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「思うに、進級試験はすでに始まっている。――こういった交渉も試験のうちだろ?」
口の端を上げ、ミハイル・エッカート(
jb0544)は席の一つに座る。
「筧先輩を脅して泣かしてテスト問題を奪ったら勝ち、ですよね?」
「えーと、はじめましてだよね? どこで誤変換が発生したんですか」
小柄な夏木 夕乃(
ja9092)は、チョコンとミハイルの隣へ。
(あの封筒にはきっと、試験問題の他に筧さんのけしからん趣味にまつわる何かが……!)
「友里恵ちゃん、聞こえてる」
小さく震える村上 友里恵(
ja7260)には、筧も依頼で幾度か世話になっている。
独特の思考回路も、なんとなくわかってきた感じだ。
「――で。そこのおふたりは」
視線を流す筧の声が、震えた。
「フッ、分かってないわね筧さん。欲望を忘れた人なんて、獣以下の木偶の坊よ……」
波打つ金髪をかき上げるのはフレイヤ(
ja0715)、かつて筧へ渾身の腹パンを極めた魔女。
「うーん……苦手教科は保健体育かな☆」
開口一番出落ちしているのは御手洗 紘人(
ja2549)――の別人格、チェリー。かつて筧を盾にしてヴァニタスを討った魔法少女。
「お引き取り願います」
「「まさかの即答」」
「成立しないだろ、取引!! これ!」
(……そも、あれは本当に解答なのかねぇ……?)
全員へ紅茶と自身の手作りクッキーを用意しながら、点喰 因(
jb4659)は怪訝に思う。
事実であれば、普通の学校なら退学処分クラスの大問題だ。
持ちかける方も厳しく罰せられるだろう。――にも、かかわらず。
(久遠ヶ原、怖いなぁ……)
いろんな意味で。
●1st challenge
秘密の交換というのなら、取引相手以外が耳にするのはまずいだろう。
そういう意見から、1対1での交渉がスタートした。
「そもそもサラリーマンと学生、二束の草鞋ってのは大変なんだよ」
部室に残ったのは、ミハイルと夕乃の二人。二人掛りでの交渉、ということだ。
「進級できないとあれば会社からの評価が下がり、ボーナス査定がマイナスにってなもんだ」
肩をすくめてみせるミハイルは、スーツの内ポケットから手帳を取り出す。
「――あんたとは初対面だが、ある程度は調査済みだ」
それは、実に悪い顔だった。
「ぼっちのあまりクリスマスやバレンタインデーに学園に押しかけ、イベントに参加している――なんとも寂しいな」
ぺらり、ページをめくり。
「それから…… 結婚詐欺に遭ったそうだな」
「叩けばどんどんホコリが出てきますね〜」
夕乃は相の手を入れながら、不敵な笑みで睨み合うミハイルと筧の悪顔対決を動画撮影している。
筧は、反論するでなく、じっと聞き入っていた。
「更にこんな情報もある―― 人気あるじゃねーか、先輩よぅ」
「ぶは」
そこで、ついに噴出した。
いわゆる『薄い本〜全年齢対象のエリュシオンでは詳細をお届けできません〜』というやつである。
「これ描いてるのは、俺の知り合いだ。本が出ないように俺がなんとかしてやるからよ、だから――」
「俺…… 右なの?」
「左ができると思ってんのか!?」
ガタ、ミハイルも悪い顔が崩れる。
「知らない? 右って、書き手にとって本命の終着点なんだぜ。これはある意味光栄だな」
「知るか。それより、こんなのが出回ったら婚期どころか彼女もできないぜ?」
「それを言ったら野球選手や芸能人だって同じだろ?」
「叩いて出てくるホコリの類が…… 予定と違います、エッカート先輩」
紅茶を一口飲み、筧は笑う。
「調査が甘い」
ハードな絵コンテに一通り目を通してから、筧はそれをミハイルへ返す。
クリスマスは、学園イベントの手伝い。『卒業生』は筧だけだったから悪目立ちだったが、あの時の『仕掛け人』は筧だけではない。
「バレンタインは――言わせんなよ恥ずかしい。押しかけで2位って凄くね? 学園側の下馬評ひっくり返したし」
ちなみに本命チョコの男女比を聞いてはいけない。突くべきはそこだったのかもしれない。ものすごい量の履歴を辿ることになるが。
「結婚詐欺に関しては…… そこまで調べておきながら、察してもらえなかったのは……そこが君の調査能力の限界ということだね」
筧は少しだけ、寂しそうな表情を見せる。
自分が学園へ提出している報告書の中に、ひとつだけタグを付けているものがある。
気にしない人は、きっと気づかないで読み進めるだろう一文。
結婚詐欺に遭うこと自体は恥ずべきなのかもしれないが、ものには経緯があって。
いずれも、筧にとっては触れられたからと焦る材料ではなかった。
「悪いがミハイル君、あなたには渡せない。交渉不成立だ」
「……どういうことだ?」
「秘密と交換。そう言ったはずだよ。あるいは、それを超える何かであれば考えもしたけど……」
サングラスの向こうから、眼光だけで人を殺せそうなミハイルの睨みにも、筧は動じない。フリーランスで、それなりに死線を越えてきている。
「そっちの線で攻め立てるんだったら難度は一気に跳ね上がる、そういうことさ。俺も甘く見られたな」
徹底的に、関連する全てを洗ったのなら違う側面からアプローチができたはず。
「夏木さん、だったね。君からは、何かあるかい?」
「自分の交渉ですか? もともと得意じゃないし、こういうところで語れる秘密もないんですよね……」
話を振られ、夕乃は小首を傾げる。
「なので」
それから、よいしょと物陰からギターを取り出して。
「真心込めて歌を作ってきました。聞いて下さい。『ぼっちの歌〜筧鷹政Ver〜』作詞作曲歌:ゆーの」
…………ぽろろん、軽やかな弦の音が余韻を残し、終えた歌声とともに消えてゆく。
「……真顔ですね?」
「『ぼっちで居続け30余年』とか、裏を取ってないだろ」
「居たんですか?」
「そりゃ居ますよ」
「彼女いない歴=実年齢じゃないのか?」
ガタリ、ミハイルが顔を上げる。
「誰も一度もそんなこと言ってないからな……?」
「今はいないんだろう」
「今はね」
「……俺の会社の合コンに来るか? 20代前半の大企業勤めの美女揃いで、撃退士はモテモテだ」
先程までのコワモテはどこへやら、優しい声音でミハイルは持ちかける。硬軟使いわけての再交渉だ。
「もちろんこれも交換条件の1つだぜ。なぁ、俺が推薦してやるよ」
「残念ながら」
残念そうに、筧は眉根を寄せた。
「相棒いなくなって一人で事務所を回すようになってから書類処理も経理も全部、一人でね! 端的に言うと暇がない」
「「本当に残念」」
●2nd challenge
「いたいけな少年少女を密室に誘い込んで鍵を掛けるなんて、筧さんもしかして……」
「はいはい、何も無いからね、友里恵ちゃん。あ、クッキー食べる? 美味しいよ、因さんの手作り」
ぽっと頬を染める友里恵へ微苦笑しながら、さて、と彼女の出方を見る。
その、ツイと皿を押した手を、友里恵は握り込んだ。席を立ち、顔を近づける。
「私、その封筒の中身が欲しいのです……」
「直球だな!? けど、それだけじゃあ渡せないな」
「意地悪をするなんて酷いです……。筧さんの持っている封筒の事、私はこんなに気になっていますのに……」
「ありがとう。封筒だけに興味を示してくれてありがとう」
「そう。――封筒、そしてその中身、なのです」
真っ直ぐな眼差しは、普段の友里恵と何ら変わりない。
穏やかで、優しげで、毒というものを持たない。
「もしも、その中身が――……」
至近距離から上目遣いで見つめつつ、頬を染めながら小声で囁いた一言に、筧の笑顔は凍りついた。
●3rd challenge
部室から、筧の叫び声が一瞬だけ聞こえ、そしてホクホク笑顔の友里恵が紙に包んだクッキーを抱いて出てくる。
「それにしたって答案用紙が欲しかったら秘密を暴露しろとか、筧さんホント鬼畜よね」
友里恵の背を見やりながら、フレイヤが入室する。
「乙女の秘密を知りたがるとか大人の男としてどうかと思うわよ。不敵な笑みを浮かべてニヒルなつもりかもしれないけど全然ニヒルじゃないし、似合ってないし、ホントにホントにおバカさん!」
フレイヤは椅子へ腰掛け、足を組み替えて。まくし立ててから、フゥと息を吐く。
「……とりあえず罵倒はこれ位でいいわ。もっと言いたい事は一杯あるけど我慢してあげる。黄昏の魔女であるフレイヤ様の秘密を公開するんだから筧さんも答案用紙を一つと言わず二つは寄越しなさいよね!」
「あはは、それは高くつくね。楽しみにしよう」
身を乗り出す筧に対し、強気だったフレイヤが、少しだけ口ごもる。
視線を一、二度泳がせ、それから――
「……私の秘密は、その、本名がたn ……たなかよs」
「うん?」
聞き取れない。
「私の本名は!
田中!
良子です!!
笑わないでよ絶対笑わないでよ!? これだけの秘密を公開したんだから絶対答案寄越しなさいよねおっけい?!」
「笑わないし他言しないけど、今のボリュームだと外に聞こえてない?」
しまった、と田中良子はそっと扉へ戻り、外の様子を伺う――それぞれ、室内の音が聞こえないよう配慮しているようだ。
セェ――――フ。
確認したところで、フレイヤは再びテーブルへと戻り、筧へ耳打ちする。
「やばいのだわやばいのだわ。私ね、もうね、落第してるのね。これ以上落第するとね、親にね、顔向け出来ないのよね。一応ね、私ね、実家の方だと良い子ってイメージがあるのよね。田中さんちの良い子な良子ちゃんて感じでね。だからホントお願いします神様筧様、靴でも何でも舐めますんでどうかその答案用紙を見せて下さいお願いしゃす!」
一息で告げたフレイヤへ、筧は満面の笑みを浮かべた。
「合格、大合格、花丸をあげよう。そんなフレイヤさんへ、とっておきの秘密だ」
筧は、分厚い封筒から書類を取り出して――
●4th challenge
部室から、筧の絶叫が聞こえ、そして肩を怒らせたフレイヤが出てくる。
(色々と、ここ独特のノリがわかってきたけど……初めての進級試験ってなると、色々と不安なのよねぇ)
閑話部に籍を置く因は、今回の件がなくても面々を頼るつもりでいた。
筧の悪い顔には、驚いて最初は思わず扉を閉めたけれど。
「なんだか、個人面談みたいですね」
「あはは、いつもは賑やかな部室だもんな」
腹のあたりをさすりながら、筧は因を出迎える。
「……えっと。聞くと、筧さんが、困ると思います。私の秘密」
向かい合って座り、それから因は俯いて一言、ぽそりと。
それから、肚を括って。
「その、曖昧で凄く申し訳ないんですけど…… 私、たぶん筧さんのこと好きです」
●final challenge
シンと静まり返った部室から、因がフラフラとした足取りで出てくる。
テーブルに頬杖を付き、物思いにふけっていた筧だったが、そういえばもう一人、いた。
「えっと……あのね…… 書類いらないから保体の勉強させてね?」
主に、保健を。
全員のOHANASHIが終わる間に着替えてきました☆ミニスカートにハイヒール装備で、天使の微笑を浮かべてチェリー登場!
「え、あ!!!?」
ひらり、彼女の頭上でアウルの桜花が舞っては消える――光・纏・完・了☆
「来れ、常闇の捕縛者よ」
悪戯っぽく呪文を唱えると、禍々しい影が伸び、筧の動きを束縛した。
「そもそも何時から自分の身が安全だとか交渉があるって錯覚してたのかな?」
『な?』の部分で、立ち上がりかけの筧へ足払いをし、転倒させる。
「保体って言ったら実技だよね! 鷹政くん好きだもんね☆ 踏まれたり削られたりするの。あ、その前にちょっとこの構図は記録しておきたいかもー☆」
無数の影に束縛され床に這いつくばって身をよじる男性の図は、BENKYOUになるかもしれない。
「チェリーが言うのも何だけど……ロリ趣味にドM美脚フェチとかちょっと狭き門だよねーそんなんだから結婚出来ないんじゃないかなー☆」
「はい、誤解! 全部誤解! あ、美脚はYES」
束縛されていても口は動くのが残念極まりない。
「……ふぅ。鷹政くんのご褒美タイム(体育)は終了だよ! 次はチェリーのご褒美タイム(保健)だよね!」
闇呪符による束縛効果が切れたところで、チェリーは額の汗を拭う。
「大丈夫、痛くはしないよ☆ あ、でも痛いのもご褒美だったね!」
スリープミストが筧を襲う。
「チェリーは花も恥じらう乙女だけど……やっぱり男の人の体とか興味津々だしー。彼氏にこんな恥ずかしいお願いして痴女だなんて思われたら嫌だけど……鷹政くんなら年とってるし大丈夫だよね!」
スリープミストでもない何かが筧を襲う。
●
被害後の筧へ、因がそっとハンカチを差し出す。
ほんの少し前のやりとりなんて、なかったかのようなごく自然な振る舞い。
ありがとう、と筧もまた自然を装い、受け取る。それから部室に集まった面々へ向き直った。
「結果発表ー。中身を直接知ることができたのはフレイヤさんだけだったね」
「知らないほうが幸せだったわよバカー!!」
ドム、魔力を込めた拳が筧の腹へ沈んだ。
「……どういうことだ?」
ミハイルが、目を眇める。
「こういうこと!!」
気絶している筧の腕からフレイヤは書類を取り出し、見せつける。
ミハイルと夕乃が身を乗り出した。
「……直近の天魔情報と」
「事務所賃貸情報?」
\試験の答案なんて、最初からなかった/
「こんなことでこんなことで乙女の秘密を聞き出そうだなんて最低だわ最低なのだわ!!」
まったくもって、弁解の余地がない。
「筧先輩、はいどうぞ」
夕乃が、手作りの冊子を渡す。
――『元気が出る100の言葉』
「はは。ありがとう、夏木さん。――あ、ミハイル君の進級に懸ける必死さと謎の交友範囲は覚えておくね」
「三秒で忘れろ」
「筧さん、責任を取って勉強教えてください♪」
「そうね、わかりやすく的確にテストのヤマどんぴしゃじゃないと許されない蛮行よね!!」
友里恵の一言にフレイヤが乗り、部室内のテーブルが集団勉強用にセッティングされていく。
筧へ学科面で本気に期待している者は居ないだろうが、嫌々ながらの勉強を、頑張る口実になれば。
そんな中、因がそっと筧へと歩み寄る。
「こんな時に言ってしまいましたけど、自分の言葉に嘘偽りはないですよ」
はっきりとした、眼差しと言葉で告げる。
想いと。秘密と。
「うん。嬉しかった。だけど、俺は……」
想いを寄せてもらえるほどに、接していただろうかとか
自立している大人として、相手が学園生であるうちは、とか
建前だったらいくらでも言える。
けど、そんなんじゃあ失礼だということも、わかる。
軽く首を振り―― やっぱりそれも、逃げの答えだろうか。
「……いえ」
因もそれ以上は追求せず、勉強道具で顔を隠した。
想いを寄せる、それはひとりだけでは成立しない難問である。
難問―― ひとまずは、目先の試験へ集中しようか。
美味しいお茶にお菓子の香り、談笑を交えて今日も閑話部は賑やかだ。