●RUN
生い茂る緑を踏み分け、撃退士たちは走る。
岐阜ゲート攻略のために幾度となく通った山道はサーバントの陰ひとつなく、野鳥の鳴き声がのんびりと響いていた。
「これまで警戒用に配備していたサーバントは、知られないようゲートを通じ天界へ返している。安心して――と、言い切れる確証は見せられないけどね」
数名の撃退士に囲まれて安易に逃走できないよう警戒される中で、カラスは、そう言って肩をすくめた。
(態々ラストランを知らせるメリット……。撃退士がゲートを襲ったせいでラストランされたという悪評を撒くとか?)
飄々とした黒衣の天使を後方から眺めながら、ファーフナー(
jb7826)は即座に自身の考えを打ち消す。
(……恐らく違うな…。口ぶりから、完全にウルには黙っての行動のようであるし……)
ファーフナーが選んだのは対ウル戦。この先は結界内へ向かう予定だが、カラスに対する疑問が払拭されたわけではない。
サーバントは撤退させたと言ってはいるが、撃退士が結界へ突入すると同時にゲートや結界外から大量のサーバントを呼び出し挟撃という線もあるのだ。
が、だとすればカラス自身が危うくなる。これだけの人数の撃退士に囲まれ、さすがに無傷とはいかないはず。
(まさか、本当に『信頼関係』が成立するとでも?)
ファーフナーは、『歯車』として生きてきた過去がある。
上下関係が厳しいという天界も、似たような物だろうと思う。
(……俺は)
それでもファーフナーは、久遠ヶ原へ来て少しずつ変わってきた。憎むことで自我を保ってきた『人』を、わずかながら受け入れられるようになってきた。
もし、カラスも同じだというなら――
信を得るため命を懸けているのなら、……その先の、望みとはなんなのだろうか。
(今のところ、不穏な様子はないようだけど)
カラスを取り囲む一団から距離を置き、陽波 透次(
ja0280)もまた様子を伺っていた。
神経を研ぎ澄まし周囲へ気を配るも、たしかにサーバントらしい存在は察知できない。
彼の天使は伝令用に白い鳥型サーバントを用いるというが、それもまた影は無かった。
(……彼が)
透次が、カラスと直接顔を合わせるのは初めてだろうか? それでも、存在は知っていた。
【死天】と学園にはファイリングされている戦いのひとつ。死天使サリエルが遺した使徒・リカが伊豆でゲリラ戦を展開していた頃、彼女の援護に加わったのがカラスだ。
サリエルも、リカも、透次にとって大切な存在だ。
刃を交えることでしか語り合えなかったが、だからこそ、強く願いを抱くようになった。目指す未来を与えてくれた。
だから――透次は今日という日に、この場へ居る。
カラスの監視か、ウルとの戦闘か。選ぶしかない状況で、海はウルと戦うことを選んだ。
(カラスとは【死天】の時から縁がないわけでもないからなぁ)
龍崎海(
ja0565)は、正面から戦う機会がないことを少し残念に思う。
戦うばかりが『縁』ではないと、そういうことだろうか?
どれくらい走っただろうか、生い茂る緑が急に開けた場所に出る。そこでカラスは足を止めた。
「さて……分岐点だ。ここをまっすぐ進めば結界がある。ウル様は……あの通りだから、探すまでもないだろう?」
その言葉に、フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)は口の端を上げる。
「無論。言うまでもなく加減はせぬが、『それ』で良いのだな」
「ああ」
にこり。天使は含みのない笑みを返す。主君に対する裏切りとも言える行為へ、フィオナは鼻を鳴らした。
本心がどこにあろうと、機会があるのなら利用するだけだ。
「汝の欲するところをなせ、それが法の全てとならん」
――己の『真の意志』に従って生きよ
鷺谷 明(
ja0776)はカラスに対しそんな言葉を掛け、結界へと続く道へ走り始めた。
「悪夢の連鎖、ここで止める……」
瞳に微かな光を宿し、Spica=Virgia=Azlight(
ja8786)がポソリと言葉を落とす。
因縁のあるなしに関係なく。
戦う理由は、『相手が人類の命を脅かし』、『自分たちは撃退士であるから』で充分だろう。
多治見の連合撃退士たちと共に、学園生はまっすぐに道を行く。
「それじゃあ、こちら、は……」
風が吹く。夏の熱を帯びた風が、少女のピンクプラチナの髪を揺らした。
「ラストダンス、なのかしら、ね…… 」
矢野 胡桃(
ja2617)の言葉へ、カラスはやはり、悠然と笑うのだった。
●乱
「民間人の保護は任せろ、誰一人として死なせはしない」
「だからどうか――頼む!」
先行する連合撃退士が大剣で結界を破ると同時に雪崩れ込む。
ウル撃破を目指す部隊と、民間人救出部隊とに分かれてゆく。
「お任せあれ! ラストランは絶対に阻止するのですよぅ☆」
「うむ……。これを最後の戦いにしよう」
鳳 蒼姫(
ja3762)、鳳 静矢(
ja3856)の夫妻が応じ、ウル撃破部隊へ同道する。
いつかどこかで聞いた、石斧を大地へ打ち付ける音。
警鐘。或いは力の誇示。そこに、決闘と光輝の神を二つ名とする権天使が居ることは間違いない。
(……この先の戦いを戦い抜けるかの試金石。負けるわけにはいきません)
全国各地で起きている騒乱。天界で具体的に『何』が起きているのか、現在の撃退士は知らない。
京都に降りたザインエルと、その他の天使たちがどういった関係であり、どういった展開を見せるのかわからない。
いずれにせよ、このゲート一つを鎮圧できずに未来はないだろう。黒井 明斗(
jb0525)は、そう考える。
「見えた、翼人だ……。自分が押さえます、ウル対応の方々は全力をぶつけて下さい!」
銀髪のフギン、赤髪のムニン。高い能力と知性を与えられた翼人サーバントが上空に確認し、若杉 英斗(
ja4230)が周囲へ呼びかけた。
翼を持ちながら、ウル自身は今のところ飛翔していないらしい。
民間人の感情を恐怖の最大値へ振り切り、一気に搾り取る『ラストラン』――、そこには『直接、人を傷つける』必要性はなく、如何に恐れさせるかが要点となる。
戦うことしかできない低知能のサーバントは下げているのも、そこが理由だろう。
怯えさせるだけなら、ウルの容姿と翼人の能力があれば充分と踏んでいる。
しかし救出部隊による、マインドケアや睡眠スキルによる強制的な意識遮断により、『精神の収穫』は時が経過するごとに少なくなるはず。
むこうがそれに気づく前に、『眼前へ現れた撃退士への対応』に完全集中させることができるか。
つまり、ラストランを急がせることなく戦いへ持ち込むこと。それが目下最大の任務となる。
「まっすぐウル退治、と行きたいが……俺も翼人の抑えに向かおう。広くはない場所で、3者をそれぞれ引きつけて戦う必要があるね」
海はそういって、翼を顕現する。
「ウルが脅威なのは言うまでもないが、何より従者が厄介だ。このクラスの敵に連携されると、個々の強みが増すものだ」
山の背景がよく似合う、ジャイアントパンダ――の着ぐるみ姿の下妻笹緒(
ja0544)もまた、対翼人へ。
「きゃはァ、ウルを喰らう事は出来るかしらねェ……。どんな味なのかしらァ♪」
愉悦の表情を浮かべ、黒百合(
ja0422)はその背に陰影の翼を広げる。筋肉の鎧を纏う権天使は、さぞかし牙の立て甲斐があるだろう。
真っ先に飛び込みたいのをこらえ、彼女もまずは翼人を捻じ伏せることを選んだ。
――きっとこれが、『自分の意思で動ける最後の仕事』なんだ。
カラスは多治見撃退士連合本部で、そんなことを言ったそうだ。
(……この先は『傀儡にされる』と言う事なのでしょうか?)
先陣を走りながら、雫(
ja1894)は考えを巡らせていた。
日本国の、天界勢力を纏め上げるのは智天使メタトロン。
具体的な情報は得られていないものの、過去の資料において『京都のザインエル』と『岐阜のウル・カラス』が別勢力であることは確認できた。
で、あるならば、ザインエルとメタトロンもまた、別勢力なのではないか。
そしてメタトロンの意思と、ウル・カラスの意思は別のところにある。
「敵が何を願い、戦うかは……今は横へ置きましょう」
戦姫が大剣を抜く、
――よりも疾く。
「――ッ」
息を呑んだのは英斗だ。
フギン――機動力の高い銀髪の翼人が、いち早くこちらの接近に気づき接近してきたのだ。
(結界を――……いや)
相手の行動が速い。それに加えて、遠い。
英斗のフォローより速く翼人は行動し、雫も自身の機動力でもって部隊の先頭に立っていた。
いつか見た、硬鞭から繰り出される嵐。全てを薙ぎ倒す烈風。
敵へダメージを与えることへ注力し、カオスレートをマイナスへ振っていた雫の小さな体は、二連続の攻撃を避けることが叶わず声を上げる間もなく吹き飛ばされる。
「大丈夫? ――気を失ってるだけか」
同じく前衛を担っていた海が、雫を受け止める。
翼人対応は2つの班に分かれて行う作戦だったが、完全に分かれる前だったからフォローが出来た。
「喰らえカマキリ流星群!」
雫の応急処置を海へ託し、カマキリの着ぐるみを纏った私市 琥珀(
jb5268)が反撃のコメットを注ぐ。
「初動対応はよし、しかし単独突出によるリスクまで考えが及ばないのは、サーバントに与えられた知能の限界かな?」
流星群は回避されたものの、そこへ笹緒が雷撃で畳みかける。背後に展開された風神雷神の屏風から射出される稲妻は、的確にフギンを襲った。
石斧を大地へ打ち付ける警告音が止んだ。
ウルが、撃退士の接近を認識したらしい。
赤髪の翼人は未だ、ウルが居るであろう付近に留まっている。
「自分たちは対応する敵を決めてるけど、向こうが『ソレ』に乗ってくるとは限らない、ということか」
隙があるなら、攻撃の機会があるのなら、武器を向ける。当たり前のことだ。
つまり『撃退士が対応する敵へ集中する』ためには、『敵も、対応する撃退士へ集中せざるを得ない』状況を作らなくてはいけない。
予想外の初撃を受けたことで逆に冷静さを取り戻し、英斗は『理想郷』を展開、確実に仲間たちを守れるよう戦いへ臨んだ。
「……行く、よ」
その間に、水無瀬 快晴(
jb0745)は闇へ溶け込み気配を消す。
多人数戦闘で、ここにきて大幅な作戦変更はできない。
あとはもう、それぞれが、それぞれに、為すべきことを果たすだけ。
●凛
生い茂る木々の向こうで、戦いが始まったようだ。
企業撃退士に取り囲まれる中、カラスはそちらへ首を巡らす。
「……暑いの」
口を開いたのは、緋打石(
jb5225)だ。
「このまま突っ立っていては日差しにやられてしまう。時間を持て余すくらいなら、世間話でもどうか?」
単に見守るだけは苦しいだろう? 退屈ならさせないぞ。
そう続ける石へ、カラスは視線を合わせる。
「お主の名、ヴェズルフェルニルと言ったか。奇しくも、自分の真名は『風を起こす鳥』だ」
ヴェズルフェルニル。北欧神話に登場する鷹。その意味は『風を打ち消すもの』。
それと対になるものと言えば――
「それはそれは。眉間を拝借して済まないね?」
世界樹に停まる鷲、世界へ風を起こす翼。フレースヴェルグ。
とある絵画の一枚には、世界樹に停まるフレースヴェルグの、その眉間に停まるヴェズルフェルニルの姿がある。
逃亡の可能性への牽制を兼ねてではあるが、翼を顕現したはぐれ悪魔に対して天使は愉快そうにこうべを垂れた。
無論、『人界における神話』と『冥魔・天界』の存在は一致しない。が、ここに居合わせる偶然を楽しむくらいは良いだろう。
(カラスを知りたい、……逃がしたくない)
それは石の抱く、純粋な知識欲だ。
はじまりは、彼の使徒討伐依頼だった。
使徒を大切にしているように見えたが、最期の場へは姿を現さなかった。
それでいて、伊豆の地には『赤い大天使』の忘れ形見である使徒を助けに到着した。
『黄金の大天使』ガブリエル、『ハーフブラッド』イスカリオテらが死して後、権天使ウルの下についたというが……それは何故だろう。
石がカラスと過去に顔を合わせたのは使徒を巡る一度きり、それでも彼は石を覚えていた。使徒・宵を大切に思っていたことに違いはないようだった。
「仲間の死には心を痛め、敬意も払っている……それは『昔』も『今』も変わっておらぬようだな」
「さて、なんのことかな」
「お主は以前、『死ぬわけにはいかない』と申していたが、それは仲間を死なせないために自分も死なないという、意思の表れじゃろ。
ゲートを開いている天使の名は存ぜぬが、その者とウルの命、どちらも重要なのじゃな」
――生きることとは、喪い続けることだと考えている
春先の邂逅で、カラスは撃退士たちと言葉を交わした。その中のひとつをゼロ=シュバイツァー(
jb7501)は思い出して目を伏せる。
――自らの意思で選び取る道を進んでいる。信じる方とも巡り会えた。
――きっとこれが、『自分の意思で動ける最後の仕事』なんだ。
そしてゼロへ返された言葉。今回の依頼に投じられた言葉が……重なる。
「お前の目的はウルの生還……か?」
気が付いた時には、石とカラスの会話へ加わっていた。
金色の眼が少しだけ驚いたように見開いて、こちらを見る。
「ウルが深手を負えば、天界へ連れて帰る理由ができるやろ。違うか」
神の名を欲しいままにする自家製たこ焼きを差し出しながら、ゼロは問うた。
「連れて帰れるかなぁ、この包囲で。君たちは、許してくれるのかい」
「剣を夏草さんに預けたそうですけど、それでは、いつ取りに行くんですか?」
おどけるカラスへ、天宮 佳槻(
jb1989)が至極冷静に切り込む。
撃退士の包囲網を抜けられるとは考えておらず、ならば、どうやって『戻る』というのか。
返してください・ハイドウゾ、なんて話が進むと?
(撃退士側に信用させるだけなら他にいくらでも手がある筈だ。残しておいて『ここに自分の意思が存在した証』、……とは感傷的過ぎるか)
これまで扱ってきた伸縮自在の鞭やクロスボウはサーバントへ貸し与えている。或いは、それを持ち帰る心算かもしれないが……
「わたしたちの命は、長いからね」
遠慮なくたこ焼きを頬張りつつ、カラスは笑う。
「いつか、この世界が穏やかになってからでも構わないさ。こう見えてわたしは器用でね、借り物でもそれなりに扱える。天界に友人が無いでもない」
「……天界へ戻るというのは、もう、ここでは自分の意志でやる仕事は無いということですか?」
言葉尻を取り、佳槻は問いを続けた。
(おそらく、帰還はウルの命令なんだろうけど)
詳細はわからないが、カラスが天界へ帰るというのにウルだけ残るのは不自然に思う。
『わたしは何もできないけれど』だなんて言って、剣を撃退士に預けるなんて、カラスがそこまでする必要はどこにあるのか。
(失う事に空しくなって、流されて行くのか? それとも……)
自棄になるなら、それこそ命令に従って穏便に帰還するか、ウルと共に戦うかをしそうなものなのに。
今度の問いへは、沈黙が長く続いた。カラス自身、何がしか考えているようだ。
「そうだね……。『ここ』で、わたしにできることは無いに等しい。その代わり、天界へ戻ったなら為せることがある」
「岐阜ゲートの主と、か?」
石が続く。カラスは小さく頷いた。
岐阜ゲートを閉じ、人界との関わりを断った上で、為したいことがあるという。
(最悪、自分を犠牲にして二人を助けようとしていると考えておったが……生きる、つもりか)
自身の予測が少しだけ逸れていたことに、石は知れず安堵していた。
「『あの時』姿を見せなかったことに驚きはしたが……今ならわかる気がする。お主は非常に真面目じゃな。苦労も多かろう」
自身の使徒が撃破されたあの日。カラスには『上』からの命令か何がしか、事情があったのだろうと石は察した。
「で、去り際に反抗してドカンか。お前、随分と熱い男になったんやな。誰の影響や?」
ニヤニヤと笑うゼロへ、カラスもまた口の端を上げた。革手袋に覆われた右手を差し出す。
「真面目なのは性分でね。企画書を楽しみにしていたんだが?」
なにかを受け取るのを待つかのように、くいっと指を動かす。その動作に、ゼロの顔が引き攣った。
「結構なプランを提出してくれると思ったんだけれど」
――失うだけの戦いってのは、もうええんとちゃうか? 新しい風ってやつに乗るのも悪くない……と、俺は思いたい。
確かにゼロは、かつてカラスへ言った。
「それは、やな。その。壮大過ぎて間に合わなっ……」
「残業手当も、きちんとつけるつもりだったのにな」
「どんだけカンヅメさせるつもりだったんや!!」
「『たこ焼きで、世界に革命を起こせるか』……ふむ、提出物としてはこんなところか」
「査収すんな……!!!」
コミカルな応酬に耐えきれず、ついに胡桃が声を出して笑ってしまった。
「ふふ……。ごめんなさい。私も、お話しさせていただいていい、かしら?」
「もちろん」
夏の虫の声。
野鳥のさえずり。葉擦れの音。
緊張の糸一本だけは緩めることなく、その場は不思議な穏やかさに包まれていた。
戦いの音だけが、遠く。激しく。
●
逃げ惑う人間たちの悲鳴に歓喜の声が混じり始めると、機動力に優れるサーバント・フギンが様子見に飛びたった。
権天使・ウルは雄山羊の仮面の下で顔をしかめ、石斧を振るう手を止める。
(ここで邪魔が入るだと? ――カラスの野郎か)
周囲の監視へ出向くと告げ、この場を離れた配下の背中が脳裏に過る。
よもや人類や撃退士へ情が移ったわけでもあるまい。そんなぬるい男であれば、最初から配下に選びはしない。
人々を助ける訳でないのなら、自分への挑戦だろう。
「ラストランが成れば、エネルギーはお前たちのものだというのに……返す返す上司想いの部下共だ」
――この程度の敵勢を蹴散らせず、貴方は人界で戦い続けるとおっしゃるのですか?
小生意気な天使共の声が聞こえたようだった。
天使たちの思惑など知る由もなく、撃退士たちは本気でぶつかってくるだろう。
これまで膠着状態を続けて来ただけに、この機を逃してなるかと全力をぶつけてくるだろう。
天界で何が起きているかなど、奴らは知らない。知る由もない。教えてやるつもりもない。知ったからと、何ができるでもないだろう。
(ああ、そうだ。何もできない)
心のままに戦うことも、信じる何かへ力を捧げることも。『ウルは』できない。
「楽しい手土産を有難うよ。それじゃあ、楽しませてもらおうじゃねぇの」
ウルを守るように上空を旋回していたムニンへ、ウルは指示を出す。
「邪魔を入れるな。真っ向勝負が出来れば、それでいい」
●銀の髪のフギン
神話に曰く。
『戦争と死の神』には、一対のワタリガラスが付き従っていたという。
神へ様々な情報を伝えるべく、彼らは世界中を飛び回った。
ワタリガラスの一羽の名はフギン、『思考』を意味する。
もう一羽はムニン、『記憶』という意味を背負っていた。
フギンとムニンはカラスが時間をかけ作り上げた高知能サーバントだが、本人の名も北欧神話に結び付いていることから、恐らく翼人に対しても何がしかの考えを込めているのだろう。
正しく二羽は、カラスにとっての主・ウルへ付き従い、情報を与え、守り飛び回っている。
激しい初弾を受けた雫の目は、まだ覚めない。
しかし、戦闘は火ぶたを切って落とした。
(敵がダメージを5割で無効化するなら、此方は継戦能力が重要になるか。……ダメージを無効化されても、バッドステータスは有効かもしれんな)
雫のフォローに回る琥珀を背にして、ファーフナーは、黒百合と共に飛行し前線へと駆けあがる。
ファーフナーはムニンとは交戦歴がある、あの時は毒の付与が通った。
対として作成されたサーバントなら、同様の落とし穴があるかもしれない。
「『前』は任せるわぁ?」
「構わん、行け」
『幻惑蟲』で姿を消した黒百合が、ファーフナーの耳元で囁く。一瞥することなく、ファーフナーは少女の考えを後押しした。
隙を見せない敵であるが、それより早く動けば問題ない――高い機動力で、ファーフナーが一気に接近した。相手に先制などさせない。
盾を持たぬ右側へ回り込み、帯電した掌を伸ばす――
「チッ」
済んでのところで、身をひるがえし盾で遮断されてしまう。アウルの電流は盾を伝い翼人の身体へ届いたようだが、バッドステータス付与とまではいかない。
(しかし、充分だ。『隙』は作れた)
感情のないサーバントの目を、ファーフナーは睨み続ける。
「ふふ、ここでノンビリもしてられないのよねぇ……?」
メインディッシュは、ウルなんだから。
フギンの背後へと回り込んだ黒百合が、狂気の混じった笑みを浮かべる。その手には漆黒の巨槍。
相手の左肩から叩き潰すように渾身の力で振り下ろす!
盾を持つ手が、微かに揺らぐ。
「……ッ、……ッッ」
声を発さぬサーバントが、息だけを吐き出して身を捩る。ファーフナーを振り切り、硬鞭で黒百合を斬りつけるも彼女が発動する防壁陣は強固で、掠り傷しか与えられない。
「もう一手、詰めるとしようか」
そこへ、笹緒が再度の雷撃。
「……反射能力の見極めを、してる余裕はきっとない、から」
スピカが更に、超遠距離射撃を撃ちこむ。
ムニンへ向かうことも考えたが、その盾のもつ『反射能力』が遠距離攻撃にも適用されるのか――されるのならば、狙うのはリスクが高い。
与えられた時間で『試す』行動が必要だが、ならば最初からフギンを狙うが上策だろう。
「――出し惜しみはナシだ。初っ端から全力で行くぜ……!」
直近。背後。遠距離。
攻撃手こそ少ないが、あらゆる角度・距離でもって撃退士たちはサーバントを翻弄する。
そして、最後に控えるは小田切ルビィ(
ja0841)。
風を生む真紅の翼を広げ、左右それぞれに対となる属性のオーラを纏う。
「主君へ『情報』は届けさせねぇ。思考する間もなく、その羽根を散らしな!!」
ウルのもとへ繋がる道を塞ぐように回り込み、盾で守り切れない頭部を狙い大剣を上から下へと振り抜く!!!
「きさカマは守る、みんなを守るんだよ!」
翼人が力尽き大地へ墜落したのを確認すると、雫を抱き上げた琥珀が合流する。
それと同時に癒しの光を発動し、黒百合の負傷も綺麗に消す。
「う……。気絶、してしまうとは」
意識を取り戻した雫が、ゆるゆると首を振る。体力に自信はあったが、守りは普段より薄かった。敵のもつ射程との相性が決定的に悪いのは事前情報でわかっていたはずなのに。
「決戦は、まだまだ続くよ!」
次へ行こう、琥珀が雫の背を叩いた。
●混線
フギンの対応を担当班へ任せ、残りは迂回しながらウル達の元へ向かう。
逃げ惑う人々を企業撃退士たちが救助し、その合間を縫って騒動の中心へ。
斥候の如く襲撃してきたフギンとは対照的に、ムニンはウルの傍にいた。
「翼人にウル対応班の邪魔をさせない……。ムニンは引き付けます」
「防御半減とはいえ、ちゃんと受け止められればそれほどじゃない。真正面は俺が受け持つよ」
味方の防御力を上昇させる結界を維持する英斗の役割は、非常に重要だ。
英斗自身が非常に優秀な防御力を持つことを認めた上で、海が囮役を買って出る。
「カラスさんの真意はわかりませんが、ウルさんを逃せば罪のない人が傷つく事だけはわかります。だから逃しませんっ」
海の後方から、川澄文歌(
jb7507)が攻撃の構えを。
最後尾で、快晴が身をひそめたままスナイパーライフルで敵の動きを射程に収めていた。
「確かに任せた。必ずやウルを仕留めよう」
サガ=リーヴァレスト(
jb0805)が、ムニン対応班へ言葉を掛けるとスルリと側面へ向かってゆく。気づいた時には、その姿は闇に溶けていた。
「……回復は…お任せ…下さい…ませ……」
ウル対応班の最後尾を行くのはキサラ=リーヴァレスト(
ja7204)。
どれだけ戦いが長引こうとも、しっかりサポートするのだと微笑を浮かべた。
ウルとムニン、近接する二者を完全に引き離さなければ戦闘を有利には持ち込めない。
どちらか一方へ敵が集中するなら、挟撃できる。
上手く行けば、フギン対応班の合流も望めるだろう。
「『衝波』の範囲は広い、3次元的に纏まらないよう注意を!」
静矢が喚起を叫びながら持てる限りの脚力でウルへ迫る。
移動力と武器の射程を併せ、最大限の距離から――
「アキたちの絆の力、とくと味わうがいいですよぅ☆」
静矢の放つ、迷いなきアウルの矢。
次いで角度を変え、蒼姫が魔道の蒼風を奔らせる!!
絆の力で高められた攻撃力に加えての二連撃。
「フンッ、来たか原住民共」
その四連撃全てを、光の輪がウルの巨漢を軸に回転しながら発生し、威力を弱めてしまう。
「来たよ、お礼参りの時間と聞いてね。持久戦、大いに結構。今度こそ逃げ切って見せようか」
静矢・蒼姫の初弾の合間に距離を詰めた明が、死を報せる神の如き愉悦の笑みを浮かべた。
低く響くは、ウォークライ。万物を震わす、竜を思わせる其れは明による技の一つ。ウルの巨体をも振るわせる。
「余所見は命取りだよ、お客さん。さあさ、私を楽しませておくれ」
「てめえ」
ただひたすらに捉えどころのない撃退士については、ウルも記憶している。
他の撃退士すべてを倒し尽くしてなお逃げ続け、完全包囲し潰しきるのにどれだけ時間を要したか。
――邪魔の入らぬよう
そう指示を受けたものの、ムニンの動きは定まらない。
何をして『邪魔』なのか、主君の定義が雑過ぎた。
そも、製造者であるカラスからはウルの護衛を最優先にとされている。
撃退士たちが全て、ウルへ向かうようならば加勢するのが第一だろうと動く、その背を。
「……お前の相手は、こっち」
快晴の狙撃銃が貫いた。銃に埋め込まれている、さくら形のダイヤモンドがチカリと光る。
ムニンが振り向くも、狙撃元は遠すぎて把握できない。が、そちらにも撃退士の一団が在ることに気づく。
「…………」
ややあって、赤髪の翼人は海が先頭を務める部隊へと動き始めた。
「ちょーっと力ずくですが。みなさん、お気を付けくださーい!!」
それに気づいたRehni Nam(
ja5283)が、仲間たちへ呼びかけた。それと同時に、翼人の背後を狙いコメットを降らせる!
回避を選んだ翼人は、咄嗟に前へ出る――それが、決定的なライン。
レフニーの狙い、ウルと翼人の完全なる分断であり、それは見事成功した。
「炎天下で長期戦など重体者を増やすだけです! 速やかに撃破して、涼むとしましょう」
●赤き髪のムニン
「防御半減とはいえ、ちゃんと受け止められればそれほどじゃない」
ムニンの攻撃対象となるべく、わざとらしいオーバーな動きで海が前線を詰める。
案の定、クロスボウによる四連射は彼に襲い掛かった。
「大丈夫だ。長期戦になりそうだったら一度、前衛を後退してくれるかな」
「わかりました!」
威力を確認した上で、海は後方の英斗へ伝える。海の体力と防御力を考えれば、ここは抑えきれそうだ。
いざという時には英斗が居て、今は彼も攻撃へ専念できるというわけだ。
守りを固める長期戦には、この上ないタッグだろう。
「貴方を撃破しない事には、先へ進むことすら危険ですからねっ」
海へ攻撃を仕掛ける間に真下へ走り込んだ文歌が、石爆風による砂塵を巻き上げる。
盾の効かない位置からの攻撃は的確にダメージを与えたものの、石化までは及ばなかった。
「くっ……何度だって、諦めませんからっ」
「そうだ、諦めない……。仲間たちを守り抜いて、必ず勝つ!!」
文歌を結界内へ納めながら逆サイドへ回り込む英斗が、円盾『飛龍』で横殴りにする。
(間合いさえ、近ければ……)
もっと効果的な攻撃が出来るのに、と内心で英斗は歯噛みする。
クロスボウの射程は長いし、相手は飛行能力がある。
仮に攻撃対象を海だけに絞られると、一撃離脱を許し延々と戦いが終わらない可能性もある。
もちろん、その間に対フギン部隊が仕事を終えて合流する可能性もあるしウルを撃破達成する可能性だってある。けれど。
主を失い、制御を失ったサーバントがどういった形で暴走するか予測できない以上、出来る限り迅速に仕留めたい。
(間合いに入ったら、じゃない)
ふと、英斗の瞳に光が宿る。
(間合いへ――入れる!!)
「龍崎さん! お願いがあります」
「うん?」
「川澄さん。行動を合わせてもらえますか」
「? わかりました」
八卦水鏡を発動する文歌、その横を快晴の放つアウル弾が走り、ムニンへ命中する。
「っツー……! 反射は距離も相手の把握も無差別なのか」
盾による反射を受け、頬に傷を負いながら快晴は片目をつぶる。
「文歌は俺が護る。この命を賭しても」
「頼りにしてるからねっ、カイ♪」
ムニンの攻撃を引き付けながら、海は徐々に高度を下げ、後退する。まるで相手に押されているかのように。
それとは逆に文歌と英斗は前進し、絶え間なく攻撃を続けた。
やがて、ムニンが厄介者の対象を切りかえる。”離れるまでもなく傍にいる相手を狙い撃つ”。
「反射は貴方の専売特許ではないですよっ」
キラキラと、文歌の周囲を取り巻いていた透明の盾が光る。
クロスボウによる連撃のダメージを、僅かながら敵へお返ししてやる。相手が怯んだ隙を逃さず、四度目の石爆風。――ついぞ、翼人は盾も武器も全て石と化した。
「ようやく、ここまで引き付けた――! 盾もクロスボウも、粉砕してやる!!」
そこへ英斗が跳躍し、全ての力を乗せたガードクラッシュを叩きこむ!!
「石化で硬くなったところで、盾の効力を失った時点で勝敗は決した、ね」
「今まで耐えた分、体力を返してもらっても構わないよね?」
そこへ、快晴の遠距離射撃と海の吸魂撃が重なる。
石化に加えスタンに陥った翼人は文字通り粉砕され、大地へ散った。
●決闘
「ザインエルといい貴様といい、賊の分際で随分と勝手だな。内輪揉めは天界(くに)でやれ」
「知った風に言うな。てめぇらに指図されるいわれはねぇよ」
フィオナの台詞へ、ウルは鼻を鳴らすだけだ。
「そういうだろうと予想していた。賊の思考に『人様の迷惑』などという言葉は無いな。最早是非も無し、であろう」
「能書きは済んだか? 一発で沈めてやる、掛かって来い」
「ふっ。いつの世も、慢心こそが身を亡ぼす。それくらいは覚えておけ」
女騎士が愛剣を抜く。
激突――と見せかけたところで、威勢よく割り込む人影。
「こんどこそ決着を着けるわ! 覚悟!」
雪室 チルル(
ja0220)、只今参上!!
ウルの視線がちらりと動く、既にフィオナは間合いを詰めている。
「大した余裕だな、権天使」
「チッ」
鋭く繰り出される刃を、ウルは石斧で受け止める。
「こらーー! 決闘におうじなさい!!」
秒にしても僅かな差だったろう。
氷の鋭さを想像させるクリスタルの剣身は、防御に徹する石斧をすり抜けウルの肉体に突き刺さる。
先の遠距離攻撃では光の輪を発動していたが、この近距離でそれをしなかったのはそれこそ『慢心』であったか。防ぎきれる、と。
同胞であるチルルに対する、フィオナの信頼は厚い。
彼女ならこのタイミングで動くだろうと予測した上での連携だった。
「この前衛、どうしてくれようかね」
ウルには近距離範囲攻撃がある。フィオナとチルルが刃を交える位置にいる以上、明とて近づくしかないが、自分は良しとして二人は避け切れるか?
注目で引き付けたところで、実際に攻防が始まってしまえば優先度は絶対じゃない。ついでに巻き込めるというなら、そちらを選ぶだろう。
「――ま、それも運というところかな」
悩む時間を放り出し、青年は風乙女≪イルマタル≫を発動する。大気の精霊へと化した半身は透け、乙女の幻影が重なる。女装願望とか女体化浪漫とか、そういったものではない。念の為。
「まとめて打ちのめしてやらぁ!!」
案の定。わかりやすい短絡思考。
ウルはフィオナの剣を受け止めた石斧をそのまま振り回し、三者一掃の『祓い』を放つ。
「貴様の攻撃はワンパターンだ。学習能力が足りんな」
一度受けた技だ、フィオナは軌道を予測して難なく回避する。
「あっぶないっ」
チルルは剣に氷結晶を纏い防御するも、その威力に両手が痺れた。
「空振り三振、ワンナウトだねえ」
明がワンステップで回避してはおどけて見せる。
「何――」
まだ余裕のあるウルは、それに対しても笑って応じるも……
「……好機!」
完全なる死角、背後をとったのはサガだった。
フィオナや明、チルルが気を引く間に、気配を殺しきり回り込んでいたのだ。
光を飲み込む常夜の闇がウルを襲う。
「……ッ」
光輪がウルの身を包む。それを持っても、多大なダメージなのは見て取れた。
「貴様……他のサーバントは呼ばんのか?」
至近距離で、サガは問う。
「馬鹿にするのも大概にしろ。決闘を冠するウル様がサーバント風情に頼るかよ」
口の中にたまった血を吐き出し、権天使は答えた。
「身を捨てる覚悟すらあると……そんなところか。まあいい、私は討つだけだ」
「ああ?? 誰が捨てるっつった。俺様が勝つ、決まりきったことだ」
「この陣容でか? 程なく、各地で戦闘している仲間たちも集う。勝ち目があると本気で考えているのか」
「隙だらけですよぅ!!」
そこへ、再び静矢と蒼姫が距離を縮めながらも近づきすぎない位置を保って攻撃を仕掛けてくる。
「しゃらくせぇ!!!」
ウルが吠える。
渾身の一撃は、サガへと向けられた。
カオスレートを振り切った直後、カバーする者が居ない中。
「……サガ様……!!」
キサラの悲鳴が戦場に響く。
『神の兵士』が発動するには距離があった。それ以前に、それ以上の、ダメージだ。
「大丈夫です、命に別状はありません」
単独行動を気に掛けていた明斗が駆け寄り、サガを抱き起こす。『生命の芽』で、回復を促した。
「さて、これで包囲したわけですが……。どうしますか、ウル」
槍を手に、明斗が問う。
「どうもこうもあるかってんだ」
しかしウルの姿勢は変わらない。
撃退士の攻撃を受け止め、あるいは直撃しても気にせず、一手一手を返していく。
時には範囲を、時には一撃に全てを込めて。
やや乱雑な範囲攻撃に比べスキルを用いないストレートな攻撃は命中精度が高く、フィオナも傷を重ねていく。
「お一人ずつの回復となりますが、どうか耐えて下さい……!」
ウルと近接して戦っているため、下手に範囲回復は打てない。レフニーや明斗、キサラが個々へのサポートに回る。
どうあがいても分の悪いサガがレフニーのサポートも及ばず三度目に沈んだ時、キサラは良人の身体を抱きしめて懸命に回復魔法を施し、一命をとりとめた。
「権天使よ。この地球での日々を、満喫したか?」
それは一瞬の事だった。
視界外から、文字通り瞬間移動で笹緒がウルの側面へ現れた。
「!!?」
虚を突き、繰り出される魔力波は権天使に直撃し、ウルは石斧を地に突きたててなんとか倒れるのを防いだ。
「あらゆる天魔が、今、この人界に存在している。その中の一柱として、所感を是非聞きたい。情報屋の務めとしてな」
「は、はははっ。まだ控えてやがったか」
「……やっと……到着……ここで、本当の『終り』にする……」
続いたのはスピカの長距離弾。
フギンを撃破したグループが続々と到着している。
「肚を決めろ、ウル。護りの技も尽きたと見える」
光輪が発動していないのは近接戦闘ばかりだからかもしれない。そう観察していた静矢だが、今の一撃で確信した。
今なら――通る。
その石斧すら打ち砕き、鋼の肉体すら斬り裂いて見せよう。
「あの時の一撃……今一度、身に刻むが良い!」
●渡る風への約束
静寂が訪れた。
喪われてしまえば、それは酷く呆気なかったように思える。
「……貴方の『本当の意志』は? ウルの望みを叶えるだけが、貴方の意志?」
何が起きたか。終えたのか。
察して、胡桃は訊ねた。
カラスは目を伏せ、ややあって顔を上げる。言葉なく石を見つめてから、視線を胡桃へ戻した。
「そうだ」
「『これから』は……どう、するつもり? 濡羽の君は……」
「天界へ戻る。それがウル様の命令だ」
『風の剣』を、人界へ残したまま。
預けるという、『約束』を残したまま。
「『死ぬ』のは厭、よ。『誰』であっても……もう、喪いたくないの」
「無論、死ぬつもりはないさ。わたしのしぶとさは、君が一番知ってるだろう」
「ホンマや」
ゼロが思わず声を発し、笑った。泣きそうな顔をしていた胡桃も、表情が和らぐ。
「カラス……ひとつ、問いたいことがある」
いつ切り出そうかと思案していた石が、口を開いた。
「自分の事を憎んだか。……殺したいほど憎んでいるか?」
大切な片翼を切落とした、撃退士を。
それは、ずっと石の胸につかえていたことだった。
一目見て把握するほど、彼は石や当時戦っていた撃退士を覚えていて。それでいて、個別に攻撃を繰り出すことは無かった。
主命に従い行動すればこそだったのだろうが……聞けるのなら、本心を知りたかった。
「まさか」
それに対し、天使はひどく穏やな声で答えた。
「悲しくはあった。しかし、それはお互い様だ。我々が君たちの領土を侵す以上、互いの損失は避けられない」
生きるとは、喪い続けること。
以前、石の問いに彼はそう答えていて、それはここにも通じていた。
残るのは、悲しみの記憶。
悲しいということは、失われた存在への愛着の裏返し。
悲しみ、愛しみ、天使はこの先も生きるのだろう。
(…………)
撃退士と天使の様子を樹上からずっと見守っていた透次は、自身の考えを纏めてスキルを解いて着地した。
ここまできて、カラスの反転はないと判断したのだ。
「伝えたいことが、あるんです」
「うん?」
「リカは……最期に『私は幸せ者』と言いました」
「…………」
リカ。その名に、カラスの表情が変わる。
「リカの心はきっと救われていた。僕が言うのは変かもしれませんけど……リカを支えてくれたこと、感謝します……」
「君は、彼女を知っているのかい」
使徒リカ。主君を喪ってなお、戦い続けた少女。
彼女の力となるべくカラスは伊豆へ入り、そして――最期には間に合わなかった。助けられなかった。
交わした言葉は少ない。しかし、彼女の姿は喪った己の使徒を思い起こさせ、放っておけなかった。
カラスにとって、大切な存在の一つだ。
「僕は……リカが好きでした」
「……そうか」
あの子は幸せ者だ。
「ありがとう。……話せてよかったよ」
程なく、連合撃退士の光信機へ通信が入る。ウルの撃破が成った、と。
「それじゃあ、そろそろのはずだ」
そんなことを、カラスが言う。
ウルが撃破され、民間人が保護され、程なく――……
結界が消えた。
ゲートが撤収されたのだ。
「というわけで、近隣にサーバントもなくゲートもなく。わたしは解放してもらえるんだろうか」
両手を上げてわざとらしく丸腰をアピールし、カラスは尋ねた。
企業撃退士たちが顔を見合わせる。
「ええ、どうぞ」
沈黙を破ったのは、胡桃だ。
「どこかに武器を隠していて、唐突に街を襲うかもしれないよ?」
「だとしたら、すぐさま学園から撃退士が大量に送り込まれるわ。……なんて」
俯いて肩を揺らし、それから胡桃は顔を上げる。
「一人くらい、貴方を『信じる』者がいても、いいでしょう?」
「代償は?」
「構わない。決めたんだもの」
「……そう、か」
「いつか、また。濡羽の君」
「約束しよう、胡桃。いつかまた」
カラスは右手の人差し指を折り曲げ、その背で少女の頬に触れた。
「じゃ、約束も一つ追加で」
そこへ、ゼロが雑にボトルを一本放る。
「ワイン?」
「預けるだけや。ちゃんと返しに来い。そん時は一杯やろうや、普通にな」
(向こうは覚えてないかもしれないけど……思えば妙な縁だった)
やりとりを見守りながら、佳槻は振り返る。
特定個人へ固執する性分ではないはずなのに、引き受ける依頼先で相対することが多く。
本心を見せないのか、あるいはまるで持たないかのような姿は、何処か佳槻自身に重なるようにすら思えた。
(出来ればいつか、また)
そうして風は、いくつかの約束を残して飛び立った。
●正義なき道、その先は光り輝く
「……一武人として、貴様とのこの一戦はとても楽しかった。礼を言うぞ……ウル」
命を燃やし尽くした権天使を見下ろし、静矢は黙祷する。
「成敗かんりょう、ね! 思いっきり体を動かすのは気持ちが良いわ!」
「あっ、雪室さん。治療が未だです、あまり動かないでください……」
明斗が慌ててチルルを押しとどめる。
「他にケガしている方はいませんか? 帰り道にバタンはだめですからね、全回復で帰りましょうねー」
明斗と同様、レフニーもケガ人対応に忙しく立ち回っている。
「……サガ様。終わり、ました……。いつかは……お弁当を作って、ここへ……来ましょう」
サガの意識は戻らない。ギュッと抱き締めながら、キサラは言葉を落とした。
彼の深手は、この戦いの勲章だ。恐れを見せず、最大火力をぶつけ続けてくれたから、被害を最小限に留められたのだ。
「もーっと味わいたかったんだけどねぇ……」
黒髪を掻き上げ、残念そうなのは黒百合。急いで駆けつけたものの、ウルの味を確かめることはできなかった。
「まあ……美味しくはなさそうなんだけどぉ」
権天使と至近距離で戦うだなんて、そうそうないじゃない?
「満足そうな顔ではあるな……。今後、どのような波乱が世間を襲うかはわからないが、一つの資料にはなるだろう」
笹緒は今回の戦いについて、細やかにメモを取る。
「あの世でイスカリオテに会ったなら、宜しく伝えておいてくれ……」
笹緒と同じく新聞部のルビィは、彼のサポートをする傍らで、イスカリオテと旧知の仲だったというウルへ言葉を投じた。
イスカリオテへ個人的な感情を抱いていたルビィにとって、一連の戦いはここでようやく、幕を下ろしたのかもしれない。
「……まだまだ、道を究めるには遠いということでしょうか」
思うように戦いきれなかった雫は、表情が暗い。
間と間合い。戦いにおいて必要とされるのはそれである。
『自分の土俵』へ、敵が丁寧に乗ってくれる理由もない。
「まだまだ……楽しめそうじゃないですか」
次の戦いへの課題を把握し、戦姫は剣を握る手に力を込めた。
かくして、ひとつの土地を巡る戦いは終わった。
ゲートは撤収され、領地としていた権天使を討ち果たし、配下の天使は武器を置いてどこぞへと消えた。
『京都のザインエル』という勢力が現れ、『伊吹山のサマエル』という存在が消えたところで、もしかすると要の一つになったのかもしれない『岐阜』。
しかし、そこに駐留する天界勢力は全てとの戦いを放棄した――ようにも思える。
ザインエルへ降るでなく。
メタトロンへの忠義を通すでなく。
――逆を言えば、メタトロンからの援軍もなかったのだ。
それは、策なのか。或いは無策なのか。
そこに、岐阜天界勢力が不信を抱いたとしても不思議はないだろう。
正義とは何か――定義は個人によって異なる。それは、天使たちにとっても同様なのかもしれなかった。
決闘と光輝を冠する権天使は、名の通り撃退士との決闘の果てに散った。
風を打ち消す天使は、それまでの流れを断ち切り消息を絶った。
彼らにとっての正義とは何であったのか、明確な答えは無い。いつか、見えるのかもしれないけれど、それはまた『いつか』の話。
――いつか。風が吹いたなら。
岐阜の山は、夏の日差しを受けてキラキラと輝いて、凱旋する撃退士たちを見送った。
【光輝】了