●
晴れた空に、吹く風は柔らかい。
薄紅の花弁が揺れる度、さらさらと音が流れる。
冬山の激戦が嘘のように、多治見の街はいま、優しい春に包まれていた。
(今回は手伝いではなく、純粋な花見か……)
天宮 佳槻(
jb1989)にとって、労働を伴わない依頼は不思議な感覚だ。
『何もしない』というのはどうしても性に合わなくて。結局、その手には重箱が抱えられている。
「天宮くん、こっちこっちー」
桜の木の下、花見の宴。現地撃退士と学園生との親睦会。
繋ぎ役である、久遠ヶ原の風紀委員・野崎 緋華が佳槻の姿に気づいて大きく手を振る。何やら飲み物類を抱えていた。
「えっ、差し入れ? なになに?」
ビニールシートの上に広げられたテーブルに、軽食を並べているのはフリーランスの筧 鷹政。野崎の声で気づき、振り返る。
「みんな来てくれてありがとうね。楽しんでいってねー」
現地撃退士の取りまとめを担う夏草 風太は、軽く会釈をして人混みに消えていった。
「やあ、今年も賑やかだなぁー」
そんな光景に、砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)は笑みに懐かしさを織り交ぜる。
「そういえば、今日はシュバイツァーちゃんが屋台やってるんだっけ」
(夏草ちゃんも忙しそう。あとで差し入れでもしてあげよう)
宴で盛り上がる一団へ軽く手を振り、竜胆は公園内の出店を巡ることにした。
●
「神のたこ焼き屋、開店やで〜♪」
屋台の出店申請をしていたゼロ=シュバイツァー(
jb7501)は、手際よく準備を進めて開店へ至る。
たこ焼き神の名をほしいままにする彼にとって、花見イベントとは最高のシチュエーションだ。
出汁をきかせ、表面はカリッと中はトロッとアツアツのたこ焼きを次々と焼き上げる。
「今なら撃退士割引対応中、現地の皆さんもよろしゅうやろな!」
「じゃあ、10パック頼もうかな」
「おおきに! っと、筧さんやん」
早速やって来た赤毛の客。ゼロは初対面ながら噂に聞く人とすぐにわかった。直接の面識こそないが、共通の友人知人は多い。
「どーも。ゼロさんだね、野崎さんから話は聞いてるよ」
「そら光栄ですわ。ところで、筧さんに会うたら一度聞きたかったことがあってんけど」
くるりくるりと華麗にたこ焼きを返しながらゼロが問う。
「対天使戦の時なんやけどな。毎回、戦闘後ぶっ倒れるんよ……。その辺、なんとかならんもんやろか」
「え。無理」
「二文字」
まさかの思考放棄とは。
「レート差攻撃って、当てるのも当たるのもでかいじゃん。自分だけ都合よく相手に当ててハイおしまい、ってならないからな……。反撃があるからな」
「自分だけ都合良い局面を作ればええんちゃう?」
「作れる相手だったら、戦闘後にぶっ倒れなくない?」
「デスヨネ」
思い当たる節々が痛んだ。
それからしばらく、戦闘談議に花を咲かせることとなる。
●
周囲より頭一つ高い竜胆は、熱々のたこ焼きを両手に人を探していた。
(さっきまで、声が聞こえてた気がしたんだけど……)
なにげなく、幾度も顔を合わせていた相手。なにげなさすぎて、あまり顔を覚えていない相手。
「あ、見つけた。夏草ちゃーん、僕とたこ焼きしない?」
やっすいナンパの文句に、夏草が苦笑しながら振り向いた。
桜の花弁が舞い散るベンチに腰掛けて、賑わう花見客を眺めながら神のたこ焼きを味わう男2人。
「あ。流石たこやき神だけあって美味いや」
「たこやき神?」
「学園で正式な称号を持つ唯ひとりの人物による、たこ焼きなんだよ。これでも僕も関西人だからね、たこ焼きは煩いのよ」
熱々のたこ焼きを、上品に食べて見せる竜胆が得意げに片目を瞑る。
「ハーフだし、こんな見た目で子供の頃から勘違いされてたけど。生まれも育ちも日本だから。美食の神戸出身だよ」
「へぇえ。僕は故郷らしい故郷はないけど、今はすっかり多治見に根が張っちゃったねぇ」
「そう言えば僕、何だかんだで結構多治見来てたし、夏草ちゃんとも会ってたんだね。……男の顔、覚えるの苦手でさ」
「あはは、無理はいらんよ」
(……『現地撃退士との親睦を』ってことだったから、記憶と記録を調べて来た……けど)
今日という日に、竜胆が夏草と話したいと考えた理由。
どう切り出そうか。今、だろうか。
「あー……のさ。去年の秋、『企業撃退士』の職場体験でいきなり実地やったじゃない?」
「あったあった、半年くらい前だっけ」
夏草の勤める『七色薬品』が、企業撃退士を増やすという話が出て。協力を学園へ仰ごうとした矢先に天魔被害、急遽、依頼は戦闘サポートに切り替えられた。そんなことがあった。
「あの時は……知らなかったからさ、深い意味はなく『撃退士として選んで』って言ったんだよね」
――絶対的に人、足りないんでしょ? 『撃退士』として、選んでね。
「学園にね、記録が残ってたんだ。多治見に関することを調べて……夏草ちゃんの『過去』も今回、知った。……何気に抉ってた僕って凄くない?」
自身の命を落としたとしても退くわけにはいかないと、無謀にも見えた夏草の行動。その裏には、かつて救えなかった数多の命があった。
「悪いとは思ってないけど、ゴメンね☆」
「……、…………っ」
星が飛びそうなウィンクを飛ばされて、真剣な表情をしていた夏草は笑いを噴出した。そんな彼へ、竜胆は意味深な眼差しを向ける。
「ただ、僕は過去も今も夏草ちゃん偉いと思うよ」
涙目を拭い、宵闇の陰陽師は顔を上げる。明るい態度を崩さない竜胆の、意外な姿を目にしている気がした。
「僕はね……本当に護りたい唯一人の為なら、いくらでも他の子なんて見捨てちゃうし、『撃退士』である事だって平気で捨てると思うから」
その事に罪も感じない。
そう添える青年の言葉は、春の陽に雲が掛かるのと同じくして、少しだけ冷えて聞こえた。
「だから、僕はあまり信用しちゃダメだよ?」
にこり。
今なら夏草にもわかる、その笑顔は本音を見せないポーカーフェイスなのだと。
彼なりの『壁』なのだと。
「そんなのでも良ければ、また呼びなよ。気が向いたら手伝うからさ」
優しい声。優しい笑顔。誰にでも公平で、だけど唯一人の為に容易く全てを覆してみせる冷たさ。
「ありがとう。この街が砂原君の『唯一人』にとって害のない存在である限り、僕は君を信じるよ」
「えっ、何そのリアクション!? そういえばさ、この前お祭りで言ってた『そういうキャラ』って何? 僕どう思われてたの!?」
「えーーーー?」
「お酒も調達してきたからね、白状するまで飲ませるよ!」
●
人々の喧騒が遠く感じられるところまで来て、巫 聖羅(
ja3916)はようやく足を止めた。
(満開の桜を眺めていると……色々と創作意欲が沸いて来ちゃうのよね……)
「湧き出る妄想……という名のアイディアを、紙媒体に繋ぎ留めなくちゃ……」
のんびり過ごして構わない花見だというから、創作意欲の刺激にと参加した今回だが……
(……レミエル様)
強く慕う彼の人を思うと、ため息が零れる。それは、妄想とは違う類だ。
約1ヶ月前、まだまだ雪深い東北は鳥海山での戦いが、自然と胸に浮かび上がる。
冥魔の総大将ルシフェル率いる精鋭部隊との衝突。そこで、レミエルは自身の力と引き換えに撃退士たちの能力を飛躍的に向上させる『祭器』を手にした。
(私達は『祭器』の力を得た事で、ルシフェルには叶わないまでも渡り合える程の力を得た……。あの光景は、忘れたりしない)
レミエルの護衛として傍近くにいた聖羅だが、蒼と白の星光を纏い戦う撃退士の背中は印象に強く残っている。
「レミエル様は信じた事を――最初は殆どの人が鼻で笑ったであろう途方もない事を、現実に成し遂げて下さったんだ」
(どんなに困難な道でも、レミエル様は諦めずに立ち向かい続けてくれたわ。1人で見る夢は妄想でしか無いけれど、皆で見る夢は『希望』になる)
自分も、その希望の一欠けらとして、彼の力になれたであろうか。なり続けられるだろうか?
(レミエル様が堕天して来られたからこそ、人類は戦う牙を得る事が出来たのよね……。でも、どうして? その切っ掛けは何……?)
彼はどうして、人の為に戦って下さるのだろう。
ぷかりと浮かんだ疑問に対し、胸の中には見つかる答えはなかった。かといって、本人へ訊くわけにもいかない。
「どんな想いで同胞である天使と戦い、どんな苦しみを抱えているのかしら……」
想像するしかできない。苦しみを分かち合えたならどんなにかとも、思うけれど。
「……巫? こんなところに居たのか」
「おじさま」
深い深い思考を、聞き慣れた声が引き上げる。
顔を上げれば、普段から厚い信頼を置くファーフナー(
jb7826)の姿があった。
「考え事か」
「ええ、……先日の、鳥海山でのことを。レミエル様は、どうして人の味方をしてくださるのかしら」
元は大天使だったという。
今日に至るまで、彼の人の心にどんな葛藤があったのか、聖羅は知ることができないけれど……『今』の彼を、信じることならできる。
「私はね、おじさま」
聖羅は先祖が、ファーフナーは父親が悪魔の血を持っており、人間とのハーフだ。
しかし互いに生まれも育ちも人界で、だから他種族の意識の違いはよく解からない。
『自分より劣る種族』と、他を見る気持ちは解からない。
が、それが当たり前の世界から『こちら側』を選んだ人のことを、聖羅は強く想う。
「……今の私には天魔と戦う事位しかできないけれど、レミエル様の支えになれるのなら、どんな事だってしてみせるわ」
「そうか……」
若い聖羅の瞳は、希望の輝きを宿している。
ファーフナーにはそれが羨ましくもあり、尊く感じることもあった。
同じ人魔ハーフの血を持つ者と言えど、環境が違う故だろう、彼が背負うような業を、彼女には感じない。そしてそれは、妬みといった感情とは別のところにある。
「なんて…… ふふ、おじさまに聞かれると照れちゃうわね」
「ああ、確かに聞いた。忘れないぞ?」
「……うん。忘れないで、覚えていて。おじさまが証人になってね」
聖羅はファーフナーに対し、幼い頃に別れた父をつい重ねてしまう。
だからか、話していると不思議な安心感がある。
はにかむ聖羅へ、気持ちが届いたのかファーフナーもまた、穏やかな笑みを浮かべていた。
●
出店を楽しむ人。宴を楽しむ人。
様々な笑い声が、風に乗って届く。
それは近くのことなのに、何処か遠くに感じるのはいつものことで、佳槻は淡々と手際よくテーブルへ持参したお重を広げていった。
「…………」
「……ラシャさん?」
「あっ、お、おう、アマミヤ!」
いつの間に近づいたのか、重箱を覗きこんでいた金髪の少年堕天使・ラシャと目が合った。
ラシャは弾かれたように肩を揺らし、少しだけ後ずさる。
「キレイだなーって思って。食べ物……なんだよな?」
小豆餡・抹茶・胡麻・黄粉……そして桃色のはなんだろう?
「ぼた餅ですよ。5色のうち、抹茶と桜色……食紅なんですけど。こちらには餡が中に入っているんです」
「へぇええええ」
「ラシャさんは、もしかしてぼた餅ってあまり見た事無い?」
「うん、初めて見る。えっと、棚から落ちて来るンだよな?」
「そういう日本語もありますね……」
人界知らずの意外な返しに、佳槻はこみ上げる笑いとも呆れともつかぬ感情を飲み込みながら。
「持参必須でもないのに、アマミヤは作って来たのか?」
「……遊ぶとか苦手で、何かしてないと落ち着かなくて。多分……自分がここにいていいのかということ以前に、『自分がここにいる』という実感が持てないからだと思います」
佳槻の話を聞きながら、少年は自分の感情を重ねてみる。でも、『ここにいる実感』というのはピンとこない。
その視線に気づいて、佳槻はもう少しだけ、話を続ける。
「今までいろんな事に出会ってきたし、そのたびに色々と感じ、思ったはずなのに……少し時間が経つと、記憶は確かに残っているのに、想いも感覚も他人事のようになっているんですよ」
今朝、早起きをしてぼた餅を作ってきたという手のひらへ、佳槻は視線を落とす。
多くの戦いを重ね、傷ついたのも傷を防いだのも、この手だ。なのに――まるで現実味がない。
「ああ、勿論それは悪いことばかりじゃありませんよ。思い入れが無ければ冷静になれるし、傷付かない」
(ただ、自分が生きているのかどうかもあやふやになって……何かの手応えが欲しくなる時がある)
その言葉は、飲み込んだ。音にしたら、自分が弱くなってしまいそうな気がした。
「僕は野崎さんや筧さん、夏草さんみたいに天魔によって何かを失った訳じゃありません」
戦いに対する強い動機、は無いように思う。
特定の誰かへ、強く心を動かされることも。
「ただ……多治見で、富士で、カラスと戦った時に、生きている手応えを感じました」
生と死の境、『ここで終るかもしれない』という実感。それこそが『生きている』ことではないか――?
「自分がこだわるのは誰でも無い『自分自身』で、それをもう一度それを感じられるかもしれない……。求める『実感』というのは、そんなところでしょうか」
ラシャは言葉が見つからず、うつむいたまま佳槻の手をきゅっと握った。
経験の浅いラシャと違い、佳槻の手はしっかりとしている。長い指、硬い皮膚。その感触を確かめながら、ようやくラシャは口を開いた。
「アマミヤは……『感覚が他人事のようになる』って言ってたケド。この手のひらは、ちゃんと覚えてるんだよナ」
皮膚の下に、薄っすらと血管が浮かぶ。とくんとくんと脈を打ち、熱を運ぶ。
「死のフチにあって、『生きたい』って願って、しがみつくのも……この手だよナ」
「…………」
「それに、オイシイぼた餅を作るのも」
握手をして軽く振り、少年堕天使は笑顔で見上げた。
「意識として実感がなくっても、手や、耳や、そういうのが、色んな経験をちゃんと覚えてると思う」
例えばそれは、パソコンのキーボードを打つとか、軽いドリンクを作るとか。
呼吸をし、食事をすることとか。
日常生活における当たり前のことが、無意識に『生』へ手を伸ばすことなのだとしたら……
「あっ、居た居たラシャ君。ゼロさんがたこ焼き屋をやっているんですよ。行きませんか?」
ふっと佳槻が思索に耽ったところで、ラシャを探していた天羽 伊都(
jb2199)が姿を見せる。
「その後、一緒に鍛錬でも」
「アマミヤは?」
「僕は、のんびりしてます。行ってらっしゃい、ラシャさん。――あ、そうだ」
振り返る少年を、佳槻は軽く手を振って送りだす。
「ちょっと会っただけなのに、あの時は名前を覚えていてくれたとは思わなかったから……嬉しかった。ありがとう」
雪原での戦いで。
朦朧とする意識の中で、自分の名を呼ぶ確かな声。
それを認識できたことも……『生きている実感』なのかもしれないと、佳槻は考えた。
●
「あ、野崎さん」
「天羽くん、それに少年も一緒だったか」
2人がゼロの屋台に着くと、先客の野崎が話し込んでいたようだった。
「なんや、ナンパ中に割り込むとは空気が読めんなぁ」
「えっ、ナンパだったの?」
「……店畳んだら、キッチリとエスコートさせてもらいますよって」
「それはありがとう?」
「たこ焼き、3パックお願いするっす!」
「ホンマに空気読まへんな!!?」
伊都へキリキリとツッコミしながら、ゼロはその隣の金髪の少年を見遣った。
「坊、雪山ぶりやな。たこ焼きは好きか?」
「ああ、去年も食べたんだ」
(見たとこ、ふつーの堕天使やけどなぁ……)
天使カラスが、この少年に対してだけ感情めいた言葉を掛けたことが、ゼロには引っ掛かり続けている。
「ところで、ラシャは何やらかしてカラスの地雷を踏んだんや?」
ので、直接聞いてみる。若干、雑だが。
「……何も……。アイツは、堕天使を無様だと言ってた。堕天して、撃退士を選ぶものを無様だ、って……」
「そんなん、坊に限った話やあらへんしなあ」
虫の居所が悪かっただけ?
直面する何かがあった?
――こんなところで わたしは、死ぬわけにはいかない
あの戦いでのカラスの言葉も、違和感があった。違和感? 今までと違う、か。
自身の生に、あんなに強い執着を見せたことがあったろうか。
(……知らんところで、変化が起きとるのかもしれへんな)
伊都がたこ焼きを受け取ったところで、友人のエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)が合流した。
「ラシャ君、カラス相手に怪我をしたと聞きました。その後はどうですか?」
「……うん」
「まあまあ、エイルズさん。積もる話もありますけど、食べたり鍛錬したりしましょうよ」
ラシャの表情が少し暗くなる、それを感じ取って伊都がたこ焼きの1パックをエイルズへ差し出した。
「ほら、焼き立てっす!」
「たこ焼き……。去年も、ラシャ君と一緒に食べましたね」
「ああ、覚えてるぞ!」
その時に、2人は友達になったのだから。
(積もる話、ですかね?)
(ちょっと、時間を頂いても?)
伊都とエイルズレトラは視線で言葉を交わし、それならと伊都は席を外して野崎たちの方へ。
エイルズレトラは、ラシャの隣へ腰を下ろした。
「あの時は……色々、聞いてくれてありがとな」
覚悟も背負わぬ堕天使である自分が、人界でのうのうと暮らしていいのか……そんな悩みを抱えるラシャの、心を軽くしたのが去年のエイルズレトラの言葉だった。
「どういたしまして。また、悩みでも?」
「……エイルズレトラは……『強くなりたい』って思ったこと、あるか?」
「それはもちろん。『ただ強くなる』、それが僕の戦う目的ですから」
「???」
間髪入れずに返された答えは、少年堕天使にとってピンと来ないようであった。
「ラシャ君の『強くなりたい』というのは、自分のためでは無いんですよね?」
「自分の…… うん、そうだな。仲間の誰も傷つけないようになりたい」
圧倒的な力の差を前にして恐怖を抱かなかったといえば嘘だ。
しかし、傷ついた体を引きずって到着した先の……傷つき倒れた仲間たちの姿は、それ以上に辛かった。
「でしたら―― 先程答えたように僕とラシャ君は戦いに求めるものが違いますから、参考程度に聞いてほしいのですが」
エイルズレトラの前置きに、ラシャは何度もうなずく。
「ラシャ君に今一番必要なのは、身の程を正確に知ることですよ。自分の力を知り、相手の力を知ること。その上で、どう戦うかを決めることです」
弱いことが悪いのではない。そう付け足して。
「誰かを守りたいなら、勝てる敵から逃げてはいけない。これは大前提です。
そして、勝てない敵とは戦ってはいけない。勝てない敵と戦って死んでしまっては、この先守るはずだった人達を守れないでしょう」
「戦うことも、ダメなのか」
「敗北が、死を意味しないとは限りません。僕たちが『戦う』相手は、そういったものでしょう?」
負けて生きている方が奇跡と思った方が良い。
「自分の身の丈以上の敵から、誰かを救おうとしないこと。手で水を掬おうと思っても、自分の手の大きさ以上には掬えませんからね。だから、自分の手の大きさをきちんと知ること」
ここで、エイルズレトラの語りが最初へと帰結する。
「より多くの水を掬いたいなら、手の大きさそのものを大きくしないといけません。すなわち、強くなるしかない」
友の言葉にラシャは頷き、傍らに置いていたノートへ書き留める。
「悩む暇があったら、体を鍛え、技を磨き、知識と経験を多く身につけることです。聞けば、カラスはそれほど力はないけど、立ち回りが厄介なタイプらしいですね。そういう敵こそ、学ぶことが多いものですよ」
「……敵から学ぶ?」
「ええ。カラスを倒したいなら、自分を磨くため、カラスを倒すため、二重の意味でよく学ぶべきです。ラシャ君、強くおなりなさい。例えば――」
つい、とエイルズレトラが顔を上げる、視線の先には伊都。こちらに気づいて、手を振り返してくれる。
「伊都君との鍛錬も、非常に勉強になりますよ。彼は強い。せっかくの機会ですから」
「うん、行ってくる。……エイルズレトラ、いつもありがとうな」
「友達ですから。いつか戦場で出会うこともあるでしょう。その時はよろしく」
「ああ!」
●
エイルズレトラとラシャが話し込んでいる間。
伊都はゼロや野崎と会話を楽しんでいた。
「野崎さんとは、カラス戦でのご縁ですね。いよいよ拠点を作って本格的な戦いになるってことで、改めてこれからもよろしくお願いするっす」
「こちらこそ。ゼロさんも天羽くんも頼りにしてる、し……」
「『し』? なんや、煮え切らんな」
「あたしもがんばる……から……」
野崎、ここでズドンと沈む。
「役に立ててない感ハンパなくてね!? えらっそうに依頼は持ってくるけどさ、あたし、ろくにアシスト出来てないし」
「え、いや」
イベントを取り仕切ることも多く、風紀委員という肩書もあり、常に背筋を伸ばしているようで――気にしているところは気にしているらしい。
「だったら! 約束。約束しましょうよ。カラス討伐の暁には、何か―― そうですね、何か美味しいもの食べるとか。慰安旅行とか」
目先の一戦一戦ではなくて、大きく目標を構えて。それに向かってぶつかり続ければ、きっと。
野崎に合わせてしゃがみ込み、伊都が手を伸ばす。
「多治見のワインが飲みたい」
「まさかの未成年お断り」
「ふふ。ワインはともかく…… そうだね。全てにカタがついたら、この街でまたノンビリと祭りがしたいなぁ……」
桜も良い。雪見も良いだろう。灼熱の真夏だけは勘弁として。
「じゃあ、約束っすね!」
「うん。約束」
そうこうしているうちに、ラシャが駆け寄ってくる。
「伊都、鍛錬しよう! 強くなる!!」
「そろそろ来ると思ってたっすよ! 望むところです。場所は、えーと……どこか良いところ、ありますかね」
「ああ、少し歩いた先に広場があるね。案内するよ」
「なんや、急にみんな居てなくなるんか」
「ゼロさんは、お店が終わったらナンパに来てくれるんでしょう?」
野崎はそう言って、意地悪く笑って見せた。さっき泣いたカラスとはこのことか。
●
平和な空気は、どうも慣れない。
完全に、戦闘と切り離された時間というのも。
親睦会へ軍装というのも、かといってまったくの普段着というのも違う気がして、常木 黎(
ja0718)は和装で参加していた。
白地に桜モチーフの着物へ、薄紅藤色の道行を重ねる。髪は普段通りに下ろしたままだが、戦場の姿からは想像できない純和風の雰囲気になる。
(春だなぁ……)
忙しさに任せてしまっていて、こうして季節を感じることも久しぶりに思う。
「黎、ここにいたのか」
「……鷹政さん。もう良いの?」
「おう。ひとしきり騒いできた!」
フリーランスである恋人は、現地撃退士枠で参加しているから何かと忙しいはずだった。
時間が空いたら話が出来ればいいと、距離を置いていたのだけれど。案外に早く、そして予想通りに声を枯らして、筧はやってきた。
「……その、この間は面目次第も……」
「それは、こっちこそ。こうして拠点が出来て親睦会も開けたし、あの戦いから活かせることもあるって思うよ」
お互いに痛い話題である。筧も思わず目を逸らす。
「……うん」
そうだ。『次』へ繋げるための、今回の依頼だった。
少し視線を上げ、黎は隣を歩く恋人の横顔を視界の端に収める。直視するには、どうも勇気が必要だ。
「ちょっと、向こうで休もうか。枝垂桜が凄いよ」
黎が何を考えているか気づくことなく、筧は他愛のない話をし、笑い、手を引いてベンチへ向かう。
「……あの。あの、ね」
桜を見上げ、風に吹かれていると、戦いの事さえ流されてしまいそうになる。
軽く重ねた手のひらの温度だけがあれば良いなんて思ってしまう。
けれど。
「……鷹政さんがわたしの、その、帰るトコロだったら、絶対帰ってくる……と思う……」
「えっ?」
どうしよう、声が震える。
唐突な切り出しに、筧の方も驚いている。
「帰るトコロで、其処に居てくれて、……わたしも、帰るから」
嗚呼、うまく言えない。どうすれば伝えられるだろう。
「多分きっと、外の人より上手くやれないかもしれない…… ぃや、できないと思う……けど……でも」
想いを伝えることは、怖い。
緊張と、それと同じくらいの恐怖を抱きながら、黎は筧の腕を掴んだ。抱きつくというより、しがみつくに近い。顔を直視できない。
「貰われるなら、あなたがいい」
「………………」
「……と、とりあえず、返事とか今すぐじゃなくても良いから……。……そ、それと、暫く顔見ないで」
そのまま、黎は筧の胸へ顔をうずめてしまう。
「えっ。え? 黎? 黎さーん?」
完全に置いて行かれている筧が名を呼ぶも、黎も頑なだ。
「なんで泣いて」
「言い慣れてないもの、緊張するじゃない……っ」
「いや、そりゃあ、でも…… えーと……」
震える彼女の背中をさすりながら、筧も懸命に思考を整理する。
(……帰る場所)
それは、純粋に嬉しい言葉だった。
生きていていい、生きなければいけない、大きな理由になる。
筧の脳裏に、整頓されたままの相棒のデスクが浮かぶ。誰も居ない其処が、今までずっと筧の『帰る場所』だった。
「それじゃあ」
抱き締め返し、黎の頭上で筧は言う。
「俺の背中は、任せていい?」
●
伊都たちとの鍛錬を終えたラシャが、親睦会の続くビニールシートへ戻ってくる。
佳槻手製のぼた餅を2つほど紙皿にのせ、お茶と一緒に落ちつける場所を探し……
「ファーフナーも、戻ってきてたのか」
見慣れた姿へ歩み寄り、隣へ腰を下ろした。
「ああ。ずいぶん、汗をかいたようだな?」
「へへっ」
特訓してきた、と少年は笑い、そうか、と男は返す。
穏やかな沈黙に、野鳥の鳴き声が通り過ぎる。
「あれから一年か……。去年は禅寺に行ったな」
ふと、ファーフナーは青空に映える薄紅色の花びらを眺めながら過去を振り返った。
「……ラシャにとっては、どんな一年だった?」
「…………」
あの時には想像の出来なかったことが、次々と起きた。
言葉へまとめきれずにいるうちに、ファーフナーがゆっくりと語りだした。
「俺は焦りを感じ、余裕がなかった。人間社会に認められるためだけに戦っていたからだ。……依頼の失敗は、即ち自身の存在意義が否定されると思っていた。『人に役立つアウルの力』だけが求められていると」
「…………」
真面目に黙々と仕事をこなす大人だと思っていたファーフナーの心情の吐露に、ラシャは顔を上げる、その横顔をしっかりと見つめる。
「だが、この一年で考えは変わった。仕事としてではなく、守りたいという意思を持って戦うようになった。自身の血を受け入れ、そう思えるようになったのは……ラシャのおかげでもある」
「!? オレ?」
「……ありがとう、感謝している」
「オレなんて何も……」
ファーフナーには、出会った頃から助けられてばかりだ。
いつも、気に掛けてもらって……
(守ってくれていたんだ)
何が切っ掛けなのかは、わからない。でも、自分の存在が、ファーフナーを変えた?
「力が足りず、守れなかったことも何度もあった。ただ、それでも進み続けなければならない。ラシャ、お前には心の強さがある。それに救われる者もいる……俺のように」
「…………」
「独りでは天魔に敵わずとも、共に戦う仲間がいることは、心強いと思う。これからも頼りにしている」
「オ、オレだって、ファーフナーが一緒だと、安心する。頼りにしてもらえるように、がんばる、な」
――この一年間。
知らなかったことを、たくさん学んだ。
怖いこと。悔しいこと。楽しいこと。嬉しいこと。
たくさん得た。そして、これからも。今も。
●
「やっほ〜姫♪ ナンパしに来たで♪」
店を畳み、売上金は酒に変え、上機嫌のゼロが花見の場所へやってきた。
「待たせてもうたな、肩冷えるやろ」
「あら、ありがとう」
野崎の肩へ上着を掛けながら、まずは乾杯。
「ゆーっくり話すこと、なかったもんなぁ。いっつも戦闘中とかやったし、戦闘終ったら俺ぶっ倒れてたし」
「それは、言いっこなしにしよう……」
空になったゼロのグラスへ、野崎がそっと酒を注ぐ。
「姫がカラスに強うこだわる理由って聞いてもええ?」
「んー……。話すほどでもないんだけどね」
『神のたこ焼き』を味わいながら、野崎は昔語りを始めた。
カラスに使徒が居たこと。その使徒が、小さな街を襲ったこと。襲われた街には野崎の恋人がいて、巻き込まれて命を落としたこと。
カラスは使徒の行動を囮にゲート展開を計画していたこと。結果的に、それは阻止されてカラスは力を喪ったこと。
数年後、再び現れた使徒は、野崎や学園の撃退士たちによって撃破されたこと。
「もうね。仇とか、憎いとか、怒りとか、そういうものじゃないんだけどさ。キッチリ終わらせたいって、思うのよね」
「そういうもんか〜。俺は、別にあいつをぶっ殺したいわけではないねん。一発、顔面ぶん殴れればある程度すっきりするしな……多分」
「顔面?」
解かる気がする、と野崎は笑う。
「あいつはあいつで必死に生きようとしとるって感じた今は、敵対感情っちうのも違う気ぃがしてきてな」
「……そっか」
「まぁ、若干鼻につくのは否めへんけどな」
「それよね」
そこで2人は顔を見合わせる。
「ま、殴れる機会がある限り、諦めんと殴りに行くつもりなんで」
「……あたしも、最後までサポートするから」
これからも、どうぞよろしく。
明るい表情に戻し、戦友は固く握手を交わした。
望むのは、平凡な平穏。あるいは一瞬の刺激。
多くの願望・希望が絡み合い、戦いへ向かってゆく。
雪が解け、季節が変わる。
今日はその、はじまりの日。