●
穏やかな天候の日だった。
雪雲が空に広がり、日光が雪道を鈍く照らす。
他方の部隊との連絡も問題なく、作戦は順調に進んでいた。
細い山道から、やがて視界の開けた雪原へと出る。
ところどころに吹き溜まりが出来ており、永く人が踏み込んでいないことが窺い知れた。美しい銀世界だ。
――そこへ、フイと風が吹いた。
微かなそれは雪煙を巻き上げ、その向こうに点在するサーバントへと撃退士たちの視線を導く。
「来るなら、この道だろうと思っていたよ」
雪煙の先、吹き溜まりの山々の上から声が響いた。声の主は金眼黒翼の天使、闇を渡る風、天使・カラスだ。
手勢を率い、待ち伏せていたのだと天使は言う。
多治見から派遣された撃退士部隊に動揺が走った。
「……わざわざお出迎え?」
臨戦態勢を整えながら、野崎が問うた。できるだけ会話を引き延ばそうと試みる。
飛翔する者、防御スキルを発動する者、それらの時間を稼ぐ算段である。
カラスは、撃退士一人一人の顔を眺め、薄く笑んだ。今まで見せてきたものと変わらない、一つのポーカーフェイス。
「これは……懐かしい顔もあるようだね。昔話も恋しいが、こうする間も惜しい。早く済ませようか」
天使が視線を止めた一つには影野 恭弥(
ja0018)の姿もあった。
しかし、数年前ただ一度きりの顔合わせを若い撃退士は覚えていないかもしれない。彼からの反応は無いに等しい。
恭弥の天使に対する関心は薄く、戦場となる雪原全体を均等に視野に入れていた。
(乱戦になる前に、初期配置を頭に叩き込んでおく……)
どこから敵が襲ってくるか、退くとしたらどの方向か、瞬時に戦略を練るために事前情報は必要だ。
黙々と思考を巡らせる彼の壁になるかのように、部隊中央に立つのは若杉 英斗(
ja4230)。
(カラスには先日完敗しているけど、気負わずにいこう)
今回の出撃理由となった先の戦いへ、英斗は参加していた。その時を思えば悔しさが甦る。が。
――リベンジとか考えるな。英斗は『仲間を守る』って思考の方が力を発揮できるんだから
それは、彼を送り出してくれた幼馴染の言葉。
英斗らしさを誰より知る者たちに背を押され、彼は此処にいる。
(守るため……ここにいる仲間を、皆を、俺が守る)
深く深く息を吐きだし、感情の昂ぶりを抑える。
メンバー全てを護る防護結界を展開し、英斗は戦いへ臨んだ。
「野崎さん、ラシャ君、任せといて!」
「今回こそは、ちゃんと役に立つよ」
左翼端にいる野崎が苦く笑い、英斗の隣で紅い槍を構える少年堕天使・ラシャは緊張の面持ちで頷いた。
「キョウは……倒れない、からな」
それは、英斗に対する約束のようであり、自身へ言い聞かせているようでもあり。
風の烙印を自らに施すその背中を、ファーフナーは後方から見守っていた。
(前回は単に此方のミスと、相手が上手だっただけだ。もう、油断はない)
あの時、たった一人でカラスに遭遇し重傷を負ったのはラシャだ。
ファーフナーたちの部隊が対応を終えたら、彼の救出を考えていたが……結局は深手を負った少年が、体を引きずって合流に至った。
「……ラシャ。雷精の突撃、風精の連携には気を付けろ。可能な限りバックアップする」
「オウ!」
男の呼びかけに、少年は元気よく背中で答えた。
淡紅藤色の光を放つアウルが糸状に巡り、北條 茉祐子(
jb9584)の背に二対の翅を成す。
(……落ちついて、私)
雪原全体を見渡せる位置まで上昇し、黒翼の天使を視界に収めてから茉祐子は胸に手を当てた。
(リベンジの戦いじゃない、今を生き抜くための戦い。だから、落ち着いて)
此処に居るのは、自分一人だけではない。悔しさを抱くのは、自分一人だけではない。
現状に困っているのは――苦しめられるのは、この土地に住む力無き人々だ。
今は、そのための戦い。
ともすれば悔しさで塗り潰されそうになる感情を、必死に理性で繋ぎとめる。
「北條さん、大丈夫っすか?」
「あっ、はい! いつでも大丈夫です!!」
茉祐子の後ろで、同様に翼を広げ飛行するのは黒い武者装束に身を包んだ天羽 伊都(
jb2199)。
前後に並ぶことから、伊都が大きな攻撃を放つ際には声を掛ける手はずになっている。
明るく人懐っこい伊都の声・表情によって、茉祐子は自然と落ち着きを取り戻した。
「若杉さん、6人居るなら1人位貰っても大丈夫っすよね?」
「え。だ、だめ!!」
「あははっ。ケチー」
曰く『英斗の好みの姿』だという結界を守る幻影の乙女たち。伊都はそれをからかい、相手から肩の力を抜いてやる。
「さぁて。不吉を呼ぶカラスが守るゲートは一体何を呼び寄せるのやら……。俺等にとっては、少なくともロクでもないのは間違い無いな!」
伊都はキリリと若武者の表情となり、遠方の天使を睨み据えた。
「天使が二柱おるっちうのに、指揮に優れたサーバント、……か」
ゲート。伊都の発した言葉に、ゼロ=シュバイツァー(
jb7501)が反応を示す。
(指揮なんぞ、カラスが普段からやっとるやないか。あの翼人は、拠点防衛用にでも用意されたんか)
ゲートを直接守るのが天使なのか、或いは翼人なのか、今はわからない。何しろ、両者が出てきているのだ。
しかも、翼人は二種類いるらしい。
そして二柱居る天使の一柱・ウルは、大人しく拠点を守る性格とも思えない。進んで指揮を執るとも。
(一つ所で時間稼いで……また、大規模ゲートでも作るつもりか?)
既に在るというゲートを巨大化することができるなら、それかもしれない。
指揮を増やし、あちらこちらで騒動を起こす。あるいは拠点に置いて攻めと守りの動きを易くする。企みについて、如何様にも想像はできた。
それまでは点在するゲートの底上げをしては去るだけだった天使たちの行動が、ここに来て変化を見せたことをゼロは何より怪しく考えている。
この先に在るというゲートには、深い意味があるのではないか?
「ゲートは必ず潰す、ここは上手くやってみせる!」
「せやな。『ここ』が大事や」
意気込む伊都へ頷きを返し、ゼロもまた凶翼を広げ上昇した。
「カラス、討ち滅ぼせないまでも手傷を負わせなくては……」
地上にて属性攻撃の準備をしながら、ユウ(
jb5639)は昨年初夏の戦いを思い起こしていた。
天使カラス、それに権天使ウル。二柱が揃った局面を、何とか押し返すことができた。それは、攻撃の手を緩めなかったから。
守る力を持つ者が守り、攻撃の力を持つ者が全力で牙を突き立てる。その動きが噛み合った時、単独では成し得ない結果を勝ち取ることができる。
「小細工は無用、出し惜しみはしません」
悪魔である彼女なら、敵へ大打撃を与えることができる。
ただし、それは諸刃の剣だ。相手から受けるダメージもまた、大きい。ただ一撃で墜ちる危険は覚悟していた。
それでも痛みを恐れてはいられない、戦場へ立っていられる時間が短いのなら、その瞬間に全てを乗せるだけ……!
(その分、他の仲間たちはきっと立ち続けてくれるはず。その為なら……!)
野崎と肩を並べ左翼の一端を担う櫟 諏訪(
ja1215)の、柔らかな物腰はこの場においても揺るがない。
頭頂部のあほ毛が風でくるりと回る。
「中々に厄介そうな敵がそろってますねー? でも、ここは頑張りどころですよねー」
「そうだね。作戦は了解したよ、櫟くん。……応援は来ない、向こうも厄介な敵に遭遇したみたいだ」
通信機から短くもたらされた『ウルと遭遇』の連絡を、野崎は仲間たちへ伝える。
当初は、この倍近くの人数で対応するはずだったカラス戦。
しかし、今はこの部隊だけで切り抜けるしかない。
切り抜けたあと、ウルと遭遇した部隊へ応援に駆けつけることも難しいだろう。互いの武運を祈るばかりである。
「味方同士の連携が鍵だと思いますよー? どれだけ呼吸を合わせられるか、ですねー?」
突撃行動をとる雷精も、10羽からの波状攻撃を仕掛ける風精も、とにかく一つ一つを確実に倒していくことが肝要。
スナイパーライフルを手に、諏訪は攻撃のタイミングを待った。
(カラスの厄介さを、軽く見るんが一番の厄介や)
上空から全景を眺め、ゼロは心の中で嘆息する。
現時点でカラスを射程に収めることができないわけじゃない、しかし状況を考えれば最も近いサーバントを確実に落としていくことが先決だ。
その認識は、諏訪と一致している。
撃退士が、決して一人で戦うわけではないように。カラスもまた、『一人で』戦うことをしない。そのことをゼロは身をもって知っている。
必ず、前線に張った――そして後方に控えている手勢を――厭らしく作戦に絡ませてくるはずだ。
カラスを軽んじないということは、サーバントを軽んじないということ。初手から遠慮なく行くつもりだ。
「……さ、いっちょご挨拶といきますか」
――ゆらり
ゼロは赤い瞳を光らせ、手にした漆黒の鎌にアウルを収束させた。
●
誰よりも疾く、重く、激しく。
ゼロの放つブレイジングストームが吹き荒れる。
超高温と超低温の二種の風が、朽ち果てよと言わんばかりにサーバントへ襲い掛かった。
「先手必勝。襲わせる暇なんぞ、くれてやらんで!」
「ですよー?」
それを追いかけるように、諏訪がバレットストームによる猛射撃を繰り出す。
向かって左手。風精と雷精、そして吹き溜まりを吹き飛ばす。同じ標的を対象に、二者の連続攻撃は猛威を振るった。
雪が舞い上がるのと対照的に、風精がボロボロと群れから落ちてゆく。
直近の風精は2体が辛うじて生き残っているばかり、微動だに出来ずにいた雷精も深手を負っていた。
「一方向だけに気を取られていると、足元を掬われますよ」
穏やかな少女の声。その先には、循環させたアウルにより本来の悪魔の姿を取り戻したユウがいた。
漆黒の闘衣を纏う乙女は、蝶のような身のこなしで右翼正面に向けて攻撃を繰り出す。
属性攻撃を乗せた鋭利な刃が、地表を抉るように疾駆する。ド派手な先制攻撃に反応を見せたサーバントが反撃する前に、逆方向から薙ぎ倒す。
一気呵成の波状攻撃、そのまま撃退士側の優勢で進むかのように見えた。
――が。
雪煙を潜り抜ける地響きが近づく。
傷だらけの雷精が電撃を纏う槍を構え、中央の英斗たち目掛けて突進してきた!
その勢いは、生命力の全てを乗せたかのように激しい。
「喰らってたまるか!」
「甘く見るな」
英斗と恭弥、標的にされた二人の判断は分かれた。それはそのまま明暗に繋がる。
野崎と諏訪は右方向へ飛び退る英斗へ援護の回避射撃を放ち、後方の恭弥はシールドを発動して受け止めた。
恭弥の受けたダメージこそ小さなものだが、雷精の槍から走る電流が青年をスタンへ落とす。
そうして、雷精たちの突撃が始まった。
「掠り傷でも、当たるわけにはいかないですねー……?」
諏訪は雪煙による潜行効果を活用して仲間たちのアシストに徹する。
「……コレで、動けないハズ!」
ギチリ。
体を反転させたラシャがアイビーウィップで、恭弥を襲ったばかりの雷精を束縛する。突進直後で背がガラ空きだ、難なく技が掛かる。
「生き残ることを、諦めたわけではありません」
諏訪の回避射撃がユウを狙う雷精の前脚に当たる、ガクリと敵の体勢が崩れ、ユウは辛うじて電撃の槍を避けた。
「行くっすよ、北條さん!」
「はい、天羽先輩。こちらは任せて下さい」
後方の伊都が、封砲を走らせる。ユウが討ち漏らした風精の最後の1塊を殲滅する。
彼の攻撃とスイッチするように右へ飛翔しながら、茉祐子はユウへ突進してきた雷精をアイビーウィップで縛り上げた。
「間合いに入ってしまえば、自慢の脚力も活かせませんよね」
その一撃に全てを掛ける特攻騎兵は、攻撃に失敗してしまえば対処は易い。
撃退士側の攻勢を見極めるかのようなタイミングで、残るサーバントたちが前へ詰めてきた。
「俺は絶対に倒れない……!」
雪原の奥から一気に距離を縮め、嵐のような波状攻撃を仕掛けて来る風精に対し、英斗はしっかりと目を見開いて1つ1つの回避を試みる。
小さな傷が重なり重なり、回避も困難になるところへ羽音が響いた――風精の群れの向こう、銀髪を後ろに流す翼人が接近していた。
「させるか!!」
引かない気持ちがあればこそ、咄嗟の盾が間に合った。
円盾・飛龍が、黄金のアウルに包まれる。叩きこまれるサイクロンを完全にシャットアウトした。
翼人は顔色一つ変えずに移動し、次はゼロとラシャに狙いを定めて竜巻を起こす。
「ハッ! 所詮、劣化版やなぁ。ツクリモノが真似たかて、大した傷は与えられへんで」
攻撃に耐えきったゼロが、挑発するように笑って見せた。
「へえ」
そこへ、更に風が重なる。
「それじゃあ、本家を味わってみるかい?」
薄く笑うカラスが、翼人の前へツイと現れると同時に旋風巻く剣を振り下ろした。
高度から吹き下ろすダウンバースト、野崎や諏訪も巻き込んで、周辺へ強く強く渦を起こす。
「おっと」
倒れそうになるラシャの腕を、ゼロが引き上げる。
「大丈夫か、坊」
「ヘイキだっ。アリガトウ」
(……)
顎を伝う血を拭い前を見続ける少年堕天使を、ゼロは何くれとなく見下ろした。
先の報告書に依れば。
カラスは、この少年へ言葉を投じたらしい。それはゼロにとって意外なものと感じられた。
こちらから何を呼びかけようが、飄々とした態度を崩さないあの天使が?
見るからにひ弱な堕天使へ――何を考えたのか。感じるものがあったのか。
「なあ、カラス」
一撃離脱、周辺防御のミストラルを発動する天使へゼロが呼びかけた。
「珍しいな。お前が他人に感情出すなんて。……力なくて救えんかった自分を重ねたか?」
二人の使徒。二人の上司。活動地域における巨大ゲート。
何一つ守れず、己の命だけを引きずって富士山を後にした天使。それがカラスだ。
「……そうだね。そうかもしれない」
挑発するような問いに対し、穏やかな表情で天使は応じた。ポーカーフェイスの範囲かもしれない。
「きみたちが弱いとは思わない。だからといって、わたしが退く理由にもならない」
会話の合間に、撃退士たちは体勢を整える。英斗は自己回復を、ファーフナーはゼロに向けてライトヒールを。
「わたしとて、決して強いわけではないよ。だから……負けられない」
「ほう」
ゼロは今までとは違う何かを、その返答から感じ取る。
(……奴も、組織の歯車としてでなければ生きられない男なのだろうな)
聞くとはなしに聞きながら、ファーフナーはそう考えていた。
自身の力を見極めた上で、課せられた『仕事』を全うする……それは、これまでのファーフナーの生き方に通じる。
快楽ではなく、生きるための仕事。ゆえに、私情を挟むことなく遂行できる。
(なるほどな)
理解できる気がした。同情でも共感でもない。正しく相手の行動原理を読み解くためのもの。
(歯車が…… もしも、狂ったとしたら?)
何に重ねるつもりはない。
ぷかりと浮かんだ疑問の、その意味に気づかぬまま、ファーフナーは再び顔を上げた。
●
カラスとの接触は一瞬のもの。撃退士は深追いすることなく、堅実に手近な敵の撃破に集中する。
ゼロが再びのブレイジングストームで最前衛の風精を完全に打ち払う。通った射線を、スタンから覚めた恭弥のアウル弾が黒炎を纏って走る。
「留めは任せる」
短く言い捨て、『禁忌ノ闇』により漆黒に染まった射手は次の標的へ銃口を向けた。
「死角を作らないことが第一ですね」
ユウは右方向へ距離を取りながら、ラシャによって束縛されている雷精を撃ち抜いた。1つを倒したからと安心はできない。敵の、二の手・三の手を警戒する立ち回りを忘れない。
「まだまだ行きますよー?」
「了解っす!! 正念場、流れを必ず手繰り寄せる!」
諏訪の声へ、黒き若武者・伊都が息巻く。
懐へ入ってきた風精たちに対し、二人の挟み撃ちで範囲攻撃に巻き込む。
初手で突っ込んできた敵たちは、これで壊滅した。
「……っ」
そのタイミングで、遠方に待機していた雷精2騎が足並みを揃えて突進してきた!
諏訪が振り返る。標的とされたのは雪煙で潜行状態となり敵の視界から守られている自分ではなく、上空に居る者たちでもなく、前衛陣に守られているでもない――
「野崎さん!」
「くっ!!」
野崎が後退しながら回避射撃をぶつけるも、敵の勢いが優った。
恭弥により深手を負った個体だが、それ故に死に物狂いにでもなったか。
先に英斗たちへ突貫した雷精もそうだが、残り生命が少なくなると率先して命を捨てに来るのか。それは解からない。
他メンバーで仕留めきれなかったのは初速の差によるものが大きく、ほんの僅かでも撃ち漏らしてしまったことが悔やまれた。
雷精の槍が、野崎の身体を貫く。
他方で、肩を貫かれ宙を舞った小さな体をファーフナーが抱き留めた。
「ラシャ!!」
「……っけほッ」
「喋るな、傷が広がる」
空いてる手でアイビーウィップを伸ばし、ファーフナーは少年を襲った雷精の動きを止める。
「気を抜かないで! カラスが来ます!!」
防御に徹していた英斗の注意喚起によって、撃退士側に緊張が走る。
サーバントと行動を組み合わせた波状攻撃。敵の十八番だ。呪歌の力で、遠方から一気に距離を縮めて魔法を撃ちこんでくる。
(――時代よ、微笑みかけろ!!)
光盾でカラスの攻撃を完全に断ち切りながら、なお、英斗は祈った。
防護結界の中にいる仲間たちの無事を願った。
庇護の翼では護りきれない数を、救ってくれると信じて。
……どさり
声を上げることなく落ちる音が一つ。
カオスレートを闇へ振り切った恭弥の身体が受け止めるには、魔法攻撃の威力はあまりに大きかった。
闇色の髪が、本来の白銀へと戻ってゆく。
「行きなさい、フギン」
――手駒は、まだある。
天使と入れ替わりに、大きな羽音。表情のない、銀髪の翼人。
握られた鞭が唸りを上げて伸びる。
一撃目。辛うじて立っていた少年堕天使に引導を渡す。
二撃目。一気に側面へと移動し、撃退士の陣形を側面からサイクロンで一掃する。
「……っ、これくらいで負けてなんかいられません!」
耐えきった茉祐子がカウンターで翼人の束縛を狙うも、攻撃こそ当たるが蔦は解かれてしまう。
「ようよう来なすったなぁ、カラス! そのままお帰りなんてさせへんで」
ゼロが負ったダメージは深い。それでも気力で何とか堪えていた。本当にギリギリのところだ。
「うちの陛下から、一発ご挨拶頼まれてんねん。拒否はナシやで?」
手負いの死神は凶悪な笑みを浮かべ、具現化した大鴉を右腕に同化させた。
「すこぶる付きの『右腕』や、存分に喰いさらせ……!!」
「蝶の如き羽ばたきでも、仲間の為に風を残せれば!」
「上空に居る限り、その翼を落として見せますよー?」
ゼロのレーザー射撃とユウのダークショット、そして諏訪のイカロスバレットが、カラスを三方向からの挟み撃ちにする。
「……ッ」
さすがの天使も、全てを回避することはできない。辛うじて剣で受け止めるも、その傷の深さは見て取れた。
飛翔する彼の下、雪は鮮血に染まっている。穿たれ、刻まれ、流れ落ちた血で汚されていた。
だらりと下げた左腕は、かつて射手たちに穿たれた場所か。
黒い衣服を血で濡らし、エネルギー体の羽根を落としながらカラスは撤退の動きを見せた。
「…………こんなところで」
荒い呼吸、かすれた声で絞り出されるのは、撃退士を前にしてカラスが口にした初めての悔いの言葉かもしれなかった。
金色の眼が、鈍く光る。生に執着する色だ。
「わたしは、死ぬわけにはいかない」
風が巻き起こる。
ダウンバーストを一撃放ち、それから退がるカラスを援護するように、フギンと呼ばれた翼人が鞭を振るう。竜巻が起こる。
「チィッ」
多重攻撃を受け、今度こそゼロは墜落した。
「不吉を呼ぶお前にも、確実に不吉が迫っている。俺達の世界に介入する以上、覚悟するんだな」
「……覚えておこう」
伊都の言葉に、天使が応じる。その笑みはやせ我慢だとすぐに知れた。眉間にしわが刻まれている。
「…………また、いずれ」
敵に、これ以上の攻撃の意思はないと察したユウは、カラスと視線を交えると微笑むように一礼を。
他方面で繰り広げられていた戦いも、波が引くように収束していった。
●
敵勢力が完全に引き上げると、誰からというでなくその場にへたり込んだ。緊張の糸が切れた。
雪原に点々と続く天使の血痕は、それほど続くことなく消えていた。恐らく、撤退の最中に自己回復を掛けたのだろう。
裏を返せば、自己回復という手段があるにもかかわらず、あの場面でカラスは撤退を選んだということか。
「……盾に、なれたかな」
「私が立っているのが、証だと思います」
額からクシャリと前髪をかき上げる英斗へ、ユウが膝をついて微笑んだ。
「櫟さんの回避射撃も……。一度でも攻撃を受けたら終わりだと、覚悟は決めていたのですが」
ユウの場合は、立ち回りの上手さもあったのだろう。飛翔という目につく位置は取らず、機敏さを活かして徹底的に移動を続けた。
「それなら、よかった……」
言葉を落とし、英斗は意識を失っている恭弥やゼロ、ラシャへと視線を投じる。
幸い、三名とも重体には陥っていないようだ。野崎が応急手当てをする際に確認している。
全てを護りきることはできなかった。けれど、僅かでも力になれたなら。
「カラスとの戦い方…… 少し、見えてきたかな」
「シミュレーションしてきた戦いの全てを出し切れたわけじゃないけど、だからこそ『先』も期待できるよね」
夏草への連絡を終えた野崎が戻り、英斗の呟きに頷いた。
「負けっぱなしは悔しいです」
「そうだね、茉祐子ちゃん。あたしも、そう思う」
「…………」
「?」
「リベンジのための戦いというわけでは!」
話の輪に加わってきた茉祐子は、会話の後、やや沈黙し、ハッとしたようだった。
少女の、少女らしい様子に耐えきれず野崎は笑った。
「みんな…… 本当に、頑張ってくれた。影野くんも、ゼロさんも、少年も……。ようやく。ようやくだ」
ラシャの金色の髪を指で梳きながら、野崎は声に安堵を滲ませた。
天使たちが何を企んでいるかはわからない。
どんな隠し玉を用意しているかわからない。
撤退した天使は、どの程度で戦線へ復帰するのだろう。どれだけ時間を稼ぐことができただろう。
それでも、この人数でこれだけの戦果を挙げた。
確実に、『次』へ繋ぐことができる。
「ゲートを潰し、カラスを潰すまでは終わらないっすよ!」
「何を目的としたゲートかも、判明していませんしねー?」
防護結界の力もあり、ほぼ無傷に近いのは伊都だ。まだまだ戦える余裕を見せる。
初手こそ範囲攻撃に巻き込まれた諏訪だが、それ以降は雪煙に紛れた行動が成功していた。
体力は消耗していても頭脳は働く。彼の思考は、この戦いの根幹となるだろう部分に触れた。
「異界を結ぶ『出入り口』のため、という可能性があるという話だったか。差し詰め、カラスは門番といったところか」
富士や伊豆のような、軍団を擁する拠点とは違う。恐らく、基本的にはひっそりとしたものだったのだろう。
それが、何らかの事情で事態が変わったと見るべきか。
諏訪の言葉を受け、ファーフナーは今回の依頼の発端を思い出していた。
「カラスが大人しくしている間に、調査でもできればいいが」
その間は、あの翼人がサーバントを纏めるのだろうか。
(それにしても……。死ぬわけにはいかない、か)
『死にたくない』ではなかった。
それは、利己的なものではない何か、為すべきものを抱いているということではないか。
組織の歯車として働く天使。一様に人類を見下すきらいのある天魔において、撃退士を侮る姿勢はないようで。故に、引き際も見極めたのだろう。
「……どんな歯車なのだろうな」
カラスが、自らをパーツとして身を捧げているのは。
それが見えた時、攻略の道が開けるのではないかと……ファーフナーは呟いた。
程なくして、同行していたフリーランスたちも集まってくる。傷の大小こそあれ、皆、命に別状はなさそうだ。
日没前に、多治見への撤退が言い渡された。
「……ウルと遭遇した向こうは、無事かな」
連絡が付かないと、夏草が言っていた。
戦闘継続中であれば、さもありなん。あるいは――……
彼らの部隊に何かが起きれば、多治見に待機している勢力が助けに向かうだろう。
風の吹く方向へ、野崎は視線を巡らせる。
やがて夜が来る。全ては闇に閉ざされる。
暗転、そして――……戦いは、続いてゆく。