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滑り落ちれば、片方は崖。
緊迫した雪原の向こうに、数多のサーバントの姿がある。
「距離が近い。唯さんとユナさん、下がって下さい!」
「はっ、はい! 唯ちゃん、行こうッ」
鈴代 征治(
ja1305)は雪煙が過ぎ去り形をはっきりとさせたサーバントを確認すると、経験の浅い二名へ後退を促す。
六角が如月の袖を引く、そこへ若杉 英斗(
ja4230)が声を掛けた。直前まで通信機を使っていた如月の様子が尋常ではなかったのだ。
「如月さん、ラシャ君なんだって?」
「若杉さん……! ゲートが、それで、えっと……天使のカラスが」
「ラシャ君がカラスと遭遇した!?」
如月のたどたどしい説明から、英斗は内容を読み解く。
カラス――黒翼の天使。以前、新入生歓迎イベント準備で如月たちが窮地に陥った時も彼の天使が現れ、そして英斗は救援に駆け付けた。
眼前の敵、遠方で孤立して通信を断った友人、彼が遭遇したという天使。
少女が動揺するのも当然だ。
(……ラシャ君、無事でいてくれ)
英斗は祈る。
ゲートの存在も気になる。開いたのは誰か。カラス本人か? 或いは上役のウルか。それとも、全く別の者か。
以前の不自然な動向は、現在へ繋がっているのだろうか。
「前に出る。2人のフォローは任せるぞ」
赤竜の翼を広げ、フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)が如月たちをスイと追い抜く。
「前は我等に任せておけばいい」
振り向くことなく告げられる言葉に、如月と六角は姿勢を正した。
「二人とも、あれから腕は上げたか」
ファーフナー(
jb7826)は努めて穏やかに少女たちへ声を掛けた。
彼もまた、英斗と同様に窮地を救ってくれた一人だ。幼い撃退士たちに、撃退士の存在意義を伝えてくれた。
「……はい!」
「力に、なります」
如月に庇われる形を取りながら、六角も気丈に続く。
「ラシャの身は気掛かりだが、カラスとゲートの情報を伝えてくれた。俺たちは最善を尽くすだけだ」
「やあ、ひさしぶりだなあ、この……鳥、鳥、鳥!」
歌うように声を発したのは神嶺ルカ(
jb2086)。
それで一つの意思を持つかのような鳥の群れが3組。その後方で、白色の豹が威嚇の咆哮を上げている。
「群れた鳥には、とっても嫌な思い出があるよ。波状攻撃の魔法攻撃とか波状攻撃の魔法攻撃とか」
――それから、弓を持った指揮官、かな?
彼女が弓持つ使徒と対峙し、撃破したのは二年以上前。使徒の王子さま――主たる天使――とは顔を合わせただけ、攻撃は届かなかった。
「似ているね」
あの時、猛獣は居なかったけれど。
「翼人か……。気になりますね、まるでカラスのコピーみたいな……」
天宮 佳槻(
jb1989)は崖側を抜かれないよう回り込み、ルカへ冷静な眼差しで頷いた。
赤い髪を風に流す青年サーバントの手には、見覚えのあるボウガンがある。
(連絡がつかなくなったラシャ君にしても気になることは多いが。とりあえず目の前の事を何とかするべきだろうな)
印を結び鳳凰を召喚、上空からサーバントたちへ睨みを利かせた。
「……今は、動けません」
彼の後方から、北條 茉祐子(
jb9584)が弓を構え警戒態勢を取る。
(ラシャさんが気になりますが、彼も撃退士です。彼の心の力を、信じます)
今すぐにでも助けに行きたい、安否を確認したい気持ちはある。が、それは眼前の敵を倒してから。
自分たちは、自分たちの為すべきことを為してから。
「加藤さん、相模さん。六角さんたちのフォローをお願いできますか?」
敵から目を逸らさず、茉祐子は並ぶ歴戦の撃退士たちへ要請する。
「もちろん。カバーするから、若者は伸び伸び動きな!」
金髪忍軍・相模はニヤリと笑う。その隣で加藤も頷いた。
「あ、でも攻撃される前にやっちゃって良いですから!」
「ぶは。オーケイ、了解!」
●
ファーフナーの魔槍が月の光を帯び、鳥の集団の一つを真っ直ぐに貫く。密集するがゆえに丸ごと攻撃範囲に飲み込まれるが、一撃で全てを落とすには至らない。
「あのひとに会うまで、倒れるわけにはいかないわよね! 今年最初の仕事でこんなチャンス、ツイてると思わない?」
軽妙な口調でもって、アルベルト・レベッカ・ベッカー(
jb9518)は黒塗りのスナイパーライフルのトリガーを引く。
Bullet Maiden【諧謔曲】、誰よりも速く敵の動向を塞ぐように。
弾丸は真正面に向き合う豹の鼻っ面を撃ち抜いた。
「ふん、威勢がいいのは姿かたちだけか」
幸先の良い出だしに、フィオナは鼻を鳴らし追撃せんと踏み出した、その直前だ。
風の精と呼称したのは誰なのか知らないが、一陣の風の如く呼吸をする暇も与えない。3つの集団がそれぞれ同時に、前線の撃退士たちへ襲い掛かった。
「子供騙しにもならん」
フィオナは機敏な動作で振り払いながら回避するも、数が増えるにつれ掠り傷は重なる。
しかし、手傷を気にすることなく女騎士は渾身の一撃を剣に乗せて切り捨てた。煙るような群れから、一羽の死骸がはぐれて落ちる。
「ただではやられないよ!」
十羽から成る波状攻撃。その攻撃全てを受け止め、征治はカウンターでランスを突きだした。そのまま続けて、スタンエッジを打ち込む!
「……なるほど、そういうことか」
十羽一単位。ナインライヴズ、一羽を倒しても残る九羽で攻撃を仕掛ける。
「厄介な敵だな。纏めて殲滅する、降り注げディバインソード!!!」
英斗は天へ右腕を掲げ、振り下ろす。動作に合わせ、アウルの聖剣が1つの群れを半壊にした。
他方、風精の攻撃により大ダメージを受けていたのは佳槻だ。単独で突出していたところを狙われた。
すかさず、遠方の豹が突進してくる。茉祐子が悲痛な声を上げる。
「天宮先輩、避けて下さい……!!」
――ピィー……ッ
上空を飛翔していた鳳凰が、主の窮地に高らかな声で鳴いた。引かれるように、佳槻は足に力を込めてサーバントの牙から逃れた。文字通りの、首の皮一枚。
「危ない危ない、統率されてるってのはホントみたいだねぇ……厄介だ」
声を低くし、相模が駆け寄る。和紐で結んだ金の髪が躍る。2体目が佳槻へ襲い掛かる前に、影縛りで拘束した。
「まゆちゃん、こっちはヨロ!」
「ま……? えっと、はい!」
唐突な呼称に戸惑いつつ、茉祐子が弓を引く。
身動きの取れない猛獣の足を射抜く!
「いやーな波状攻撃には、波状攻撃でお返ししたいところだね」
ふふっと笑い、ルカが茉祐子の攻撃へ続いて封砲を浴びせた。一直線に伸びるアウルの衝撃波が地表を削る。
佳槻へ襲い掛かった豹も含め、2体を巻き込んで炸裂した。
「撃破より、足止めを優先した方が良さそうだな」
血の滲む左腕を抑えながら、佳槻はできるだけ多くのサーバントを巻き込める位置へ移り放つは呪縛陣。
術者もろとも巻き込む危険な技だ。
意識が遠のいたのは、ほんの一瞬。
「大丈夫。私がいるからね」
後方には、アストラルヴァンガードの加藤が居た。神の兵士が発動したらしい。続けてヒールを掛けてくれる。
ベテランのフリーランスは、それから前線を形成できていない陣営を見遣った。
「どうにか、もちこたえるしかない」
機動力のある敵は、撃退士の隙間へ入り込む。
氷精は正面、次に側面へと回り込み、より深い噛み傷をつける。
風精を、一度の攻撃で一羽落としたところで勢いはなかなか止められない。
前線を突破して疾走する氷精は、開幕の弾丸を打ち込んだレベッカへと飛びかかっていった。
Evade Maidenでわずかに狙いを逸らすも、二度目の攻撃で脚に噛付かれる。
「っ、この……ッ」
戦闘は、始まったばかり。お楽しみはこれから。ここで倒れるわけにはいかない。
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「あのボウガンがカラスの武器だとしたら、舐められたものだね」
翼人を遠目に観察しながら、征治は風精の猛攻をしのぎ再びのカウンターを繰り出す。
「さて」
一撃一撃は微々たるものでも、二度、三度と受ければダメージは大きい。
自己回復の機を伺う征治を、風の音が包んだ。呪縛陣の束縛から免れた風精の群れが側面へ回り込んできたのだ。
鳥の集団が征治を包み込んだ、次の瞬間に青年は地に伏していた。
「!?」
レベッカとの挟撃で氷精を葬ったファーフナーが、そちらへ向き直る。
自ら前線を張るだけあって、征治は守りの能力も高いし体力もある。
それゆえ、だろうか。それゆえに、敵の波状攻撃を許してしまった。敵は、そこへ付けこむタイプだと…… そういうことか。
(風精は『ボウガンの矢』か)
サポートもままならないまま味方の撃墜を目にするしかなかった佳槻が、過去の経験から分析をする。
一つ一つは微弱。その程度、と甘く見るが……それ自体が罠。敵の思惑。確実に体力を削り取り、受けきれなくなった時、或いは躱しきれなくなった時に致命傷を与える。
「獣であればあるほど我を見逃しはすまいよ。……いや、逃げることも叶わん以上、排除して生きるしか無かろうしな」
「今はとにかく、確実に倒していくだけだ!」
フィオナの覇王鉄槌、英斗の天翔撃が1体の氷精にクロスする。
「俺が盾だ! 後ろの仲間たちを傷付けさせたりしない!!」
「こちらには、守りの壁を張ります」
西方では、佳槻が四神結界を巡らせる。
ルカが二度目の封砲を放ち、今度はそこへ茉祐子が攻撃を乗せる。
少しずつ、少しずつ、攻撃と防御のリズムが形成され始める。
――ばさり
そこへ、不気味な羽音が響いた。翼人が動きを見せたのだ。
なめらかに空中を移動すると共に、並び立つフィオナと英斗にボウガンの照準を合わせる。
「――サイクロン、そうだろ!!」
英斗には覚えのある攻撃。輝く盾で、攻撃を遮断する。
「他愛ない。その程度で我を仕留めるつもりか」
矢の嵐を避け切って、フィオナは表情のないサーバントを見遣った。
(まだだ)
ルカは、一つの予感を抱いていた。
(まだよね)
レベッカは、確信に近い期待を。
まだ、敵将は姿を見せていない。
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縦横無尽に風精が飛翔する、英斗は自己回復を発動する。
「潔く散れば良いものを。生きながらえるだけ痛みは続くぞ」
フィオナの攻撃から逃れるように、氷精は走り出す――すり抜けられて、ファーフナーが舌打ちをした。
「……冗談!! 何もできないまま退場なんて御免だわ!」
そう何度も、同じ攻撃を受けてたまるもんですか。レベッカは全力で回避を試み、
「危ない……!!」
如月の悲痛な声が響いた。
――暴風の様に、矢が降り注ぐ。
氷精に気を取られる間に、撃退士たちを可能な限り範囲に含めた翼人が再びのサイクロンを撃ち込んだ。
レベッカ、そして彼女を庇おうと飛び出した如月が、悲鳴を上げる暇もなくその場に崩れ落ちた。
「どうにか、攻勢へ転じないと」
飛び回る風精の1つへ炸裂陣をぶつけ、佳槻は口の中で呟く。
守りに徹するか、徹底的に打破するか、いずれにしても味方同士の連携・協調が必要だったはずだ。
中央に位置する征治が敵に囲い込まれ、東側の前線を担うフィオナと英斗は二人が突出した形で後衛との間にどうしても隙が出来る。そこを襲われる。
西は佳槻と加藤が守りを固め、相模が中衛で立ち回っている。ルカや茉祐子が後方射撃をくりかえし、なんとか均衡を保っていた。
が、仮に東側が瓦解してしまえばそれも危うくなる。
守りか、攻撃か―― 選択を迫られるところで、最悪のタイミングで『彼』は到着した。
「ご苦労、ムニン。指揮は解除して良い、思うままに暴れなさい」
数名には、聞き慣れた声だった。
(……カラス。ねぇ、あの無口な赤髪の子が持っているもの……以前は貴方が使っていたものじゃないの?)
せっかくだから、私も貴方から何か貰いたいわ。そうね。腕の一本あたり、どうかしら。
意識の底で懐かしい声を耳にして、レベッカは心の中で呼びかけた。
●
あれが敵将か。
北東から姿を見せた天使を、フィオナは興味なさげに一瞥した。
彼女にとっての好敵手とは既に決着がついており、特定の何かへ闘志を抱くには少し時間が必要なのだろう。
――指揮を解除
そんなことを、言っていたが。
つまり、サーバント風情から天使へと指揮官が変わったということか。
「指揮が変わったとて、小物は小物。能力が上がるわけではあるまいよ」
一笑に付し、その攻撃には飽きたといわんばかりにフィオナは風精を相手取る。
鳥たちの群れを払いのける、その向こうに――
突きつけられた、ボウガン。
避けることすらままならないタイミングでトリガーが引かれた。
発射された4連の矢は、装甲の隙を穿ち肉の深くまで貫いた。
「一体ずつ確実に減らさなければ終わりはないようだな」
ファーフナーが再び、月の柱で風精の群れを退ける。撃ち漏らしの数羽が、カオスレートを変動させたファーフナーへ攻撃を仕掛け、通常以上のダメージを与えていく。
「くそっ……」
雪に倒れ込んだファーフナーを視界の端に収め、攻めにも守りにも踏み込み切れないままに英斗は苦いものを飲み込む。
(カラスを抑えなくちゃ…… けど)
そうなると、サーバントを野放しにすることになる。
「やっぱり駆け付けるんだね、宵の月の王子様」
緊張を破ったのは、ルカの声だった。
「いや、からかうつもりじゃないんだけど……。涼しい顔をしても、ただの駒とは扱えないのだから面白い人だ」
あの時も、そう。
深手を負った使徒を助けに、わざわざ主自ら現れた。
「…………」
天使の金眼が、ゆっくりとルカを捉える。
「そのサーバントは、大切? お姫様と同じくらい?」
珍しいと、佳槻は感じた。
カラスとは幾度か交戦しているが、感情の揺らぎを見たのは初めてだろうか?
(雰囲気が、変わったろうか。以前はイスカリオテに似てた気がしたけど……)
上司である、ウルの影響か?
「そうだね」
ルカへ応じる天使の声は穏やかだ。
「駒は、大切なものだよ。一つたりとて無駄にはできない」
――そこからの、急転。
残る風精が英斗を取り込む。同時に、距離を詰めていたカラスが西側の撃退士へダウンバーストを叩きこんだ。
更にゴリ押しでサイクロンが襲い掛かる。
タイミングを完全に読み切った、一気呵成の猛攻だった。
「……ここの場所も知られてしまったか。どうしようかねぇ」
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「……ウソ、だろ」
真っ白な雪原に、血の染みが滲んでいる。
足を引きずりながら到着した少年堕天使・ラシャは、仲間たちの惨状に言葉を失った。
「ファーフナー! アマミヤ、ワカスギ、……」
一人一人の様子を確認しながら、誰一人として重体には陥っていないことに、まずは安堵した。
地域住民も知らなかったゲートの存在。
ここ最近、活動を潜めていた天使の姿。
それが為す意味を求めるには、あまりにも判断材料が少なかった。
彼らが目覚めたなら、詳細を聞くことができるだろうか……