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煙と湯気が、立ちのぼる。
絶え間ない破壊音、時折、銀の鱗が陽光に鈍く反射する。
「これはまた……地獄絵図だな」
言葉とは裏腹に、ファーフナー(
jb7826)は無感情に呟いた。
建物を構成する破片が轟音に合わせ青空に飛び、所々で温泉らしき湯が噴きあがる。
低音の呻き声は、人のものかディアボロか。
「温泉に不法侵入でノゾキとかいけないんだー ……なんて冗談言える状況ではないね、これ」
砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)の笑顔も、さすがに貼りついたものとなる。
露天風呂の辺りは全壊、母屋は半壊と言ったところだろうか。
飛んだ破片で駐車場の車は天井に穴が開いていた。
突き崩された、平穏な日常風景。
それは自身の背負う過去の情景に酷似していて、口を結んでいる強羅 龍仁(
ja8161)の拳は、微かに震えていた。
(……あの時とは違う。今の俺には護る力がある……)
地を踏む足に、力が籠る。
遠く、救急と消防のサイレンが響いていた。
「林由香、だったか。情報提供者経由で、自治体の応援も駆けつけているようだ」
ファーフナーが、ちらりと視線を流す。
「戦闘区域外で待機するよう、伝えなければな。安全確保後、救助活動へ移れる位置が良い……、あのビル辺りか」
小さく頷き、龍仁は消防宛に連絡を入れた。向こうも事情を知っている、連携はスムーズだ。
「救えるものは全て救う」
「瓦礫撤去や、要救助者の移動なら『あたし達』に任せてください!」
スレイプニルを召びホーリーヴェールを発動させると、竜見彩華(
jb4626)が龍仁へ応じる。
「情報提供者、か。彼女の安否も気になるところね……。無事だと良いんだけど」
ディアボロの能力等をある程度見極めることができるだけの、冷静さなり度胸なり場数なり、あるのだろう。
アルベルト・レベッカ・ベッカー(
jb9518)は、専門知識でもって黒塗りの狙撃銃を手にし、怪音を発し続けるアースワームへ照準を定めた。
「こっちは私達で抑えるから、救助の方は任せたわよ」
レベッカの弾丸が光りを纏い、まっすぐに――
「って、どうして避けるのよ!!」
ディアボロ相手ならば必中と言えるはずの一撃は、無軌道な暴れ方によって鱗を掠めてすり抜けた。
「くっそう……。ここで外してたら、黒い鳥さんに笑われるじゃない?」
とある天使を撃ち落とす、その為に誂えた狙撃銃なのだ。恥じぬ成果を上げてこそ、『彼』へも近づくというもの。
「大は僕等が抑えます!」
「人々の命と憩いの場所を奪ったな……! 絶対許さない!」
大と小、二体のアースワームが離れて暴れているうちに、個別で抑え込む作戦だ。
黒井 明斗(
jb0525)と山里赤薔薇(
jb4090)の二人は、より巨大なアースワームへと向かってゆく。
(声が)
瓦礫の下。あるいは足元を浸す湯の中。
助けを求める声が赤薔薇の耳に届く。
「絶対に、絶対に守りますから!!」
アースワームが、大きく体をうねらせる。地表を抉り、コンクリートの板、木材といった破片が飛んでくる。一歩、大きく踏み出して赤薔薇は小さな体で受け止めた。
単純な暴力が上着の袖を傷付け、白い頬を浅く裂く。
「赤薔薇!」
「平気です!! この辺りに、下敷きになっている人達が居ます……!」
後方の龍仁が青ざめるも、気丈な一声で少女は応じた。
「! ……わかった」
龍仁の視点からは、赤薔薇が暴風に飲み込まれたように見えた。それは、暴風から人々を護る盾としての行動だったのだ。
「彩華、茉祐子、今の赤薔薇の後方、看板や下足箱下を探ってくれ。生命探知で反応があった」
「はい!」
「一人でも多く、助けないと……」
同じく後方支援を務める北條 茉祐子(
jb9584)が、手中に風を集める。
「竜見さん、瓦礫は私が吹き飛ばします。上手く行ったら、ケガをしている人たちの救助を優先してください」
抜きんでた機動力を誇るスレイプニルを最大限に活かすならば、この組み合わせだろう。
茉祐子がエアロバーストを放つ。力を調整し、重なり合うコンクリートや木材が吹き飛んでゆく。
「今です……!!」
「ありがとう! 行くよ、スレイプニル。あなたの脚であたしを運んで!」
「よし、抑えました!」
最前線では、明斗が審判の鎖による縛りつけに成功したところだ。
「麻痺と言っても、その場で動くことはできますから……未だ、気を付けてください」
アースワームの真正面に立ち、仮に敵が打ち付けを発動しても後方への被害は最小限に食い止めようとしながら明斗は叫ぶ。
「よっこら、しょ……。後方へ行ったら、手当てしますからね」
彩華がケガ人たちをスレイプニルの背に乗せ、抱きしめるように固定する。追加移動で場を離れた瞬間に、ワームの胴体が鞭のようにしなり落ちてきた。
ただし、麻痺の影響を受けて、威力は緩やかだ。
「そんなものでは、僕は倒せませんよ」
ブレスシールドで真っ向から受け止め、明斗はその腹を押しやる。
(『全身』が武器だから、この場所・範囲以上への攻撃はできないとしても……)
(完全に止めないと厄介、ですね)
追いついた赤薔薇が、明斗とアイコンタクトを交わす。
(すべての人達は守れない。……だから、手が届く人達を守るんだ、なんとしても!)
束縛するだけじゃ、完全に動きを止めることは適わない。
そう判断し、赤薔薇は明斗と別方向から魔法による風の渦を巻き起こす。力強い旋風はアースワームを飲み込み、朦朧状態へ叩き落とす!
「熱さで暴走しているのなら、冷やせばどうだ」
ファーフナーが、追い打ちでダイヤモンドダストを発生させた。
攻撃力を伴わない氷晶が、周辺へフワリフワリと舞い散っては気温を下げる。次いで敵の行動速度も下げるので、救助活動にも余裕が出るはずだ。
「……湯を止める必要もあるか。埒が明かない」
熱湯に触れる限りディアボロは暴れ、ともすれば重傷者が熱傷を負うこともある。
(排水栓……汲み上げポンプのバルブ…… 効率を考えれば、瓦礫で導水を行なった方が早いか)
水は、高いところから低いところへと流れる。単純だ。極端な道を作り、明後日の方向へ流してしまえば良い。
龍仁の生命探知、それに明斗や赤薔薇によるワームの足止め。その中間地点で急襲に備えながらの導水作業へと、ファーフナーは取り組み始めた。
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(癒し手としては救助に回りたくもあるけど、その為には天魔を押さえて、これ以上被害が増えないようにする必要があるし)
霊符を手に、竜胆は小さい方のワームへと向かう。
「ワーム殺っちゃいますか。アグレッシブな僕、貴重よ?」
超音波の効果がどれほどかは未だわからないが、耐性の高さには自信がある。
竜胆だからこそ、踏み込める距離がある。
「ジワジワやられるのも苦しいだろうけどさ、大丈夫。最速で何も感じられなくしてあげるから」
最大射程から飛ばすは蠱毒、ズルリと伸びた蛇の幻影が、ワームの喉元へ食らいつく。
「はーい、そのままそのままー」
「そのままー! もう外さないんだから!」
ジワリと毒が回り始める、そのタイミングでレベッカが第二撃を放つ。
それは硬い鱗を貫き、孔からどす黒い血が流れ出る。
茉祐子はハッとして、救助活動の手を止めて反転した。
「そこから、動かないで!!」
ギチリ、アイビーウィップで縛り上げる。
「……!!」
「大丈夫!?」
動きを束縛されたワームが、来るし紛れに超音波を発する。麻痺に掛かった茉祐子へ、竜胆が振り返った。
「助けるんだから……、助けられる人は全員助けるんだからっ!」
真空波が一直線に走り抜け、ワームの鱗を裂いた。
「ひとりだけじゃ、助けられない命だってたくさんあるのっ! 邪魔しないで……!」
彩華が叫ぶ。
「だったら、もう邪魔なんてできないようにしちゃおう、か」
口調こそ軽いが、竜胆の青紫の目は怒っているようだった。
「遠慮せずに喰らうといいよ? それくらい当然でしょ」
立て続けに攻撃を受ける、その駄目押しとばかりにスタンエッジで意識を強制的に刈り取った。
「さぁ…… 煮るもよし、焼くもよしだよ」
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――暗い、重い、熱い、痛い、
熱いのは、瓦礫に挟まれた足か。
重いのは、肩を潰す柱か。
自分は、ここで死ぬのだろうか。
死ぬ前に、何か為すことができただろうか。
あの女の子は、無事に逃げられた――?
「大丈夫か! 今すぐ治す!!」
光りが
声が、女の沈んでゆく意識を引き上げた。
取り去られた瓦礫の向こうに、太陽の光。そして、銀髪の男性がこちらを覗きこんでいた。
「あ…… 貴方、は」
「久遠ヶ原から来た撃退士だ。報せを受けて救助に来た……もう、大丈夫だ」
「……よかった。やっぱり、来てくれたんですね……。私のことは後回しで構いません、他の方々を」
妙に落ち着いた雰囲気に、龍仁は首をかしげる。
「林由香と申します。学園の方には、幾度も助けて頂きました」
黒髪ショートカット、年齢は20代半ばくらいか。知的な印象を与える女性だった。
龍仁がライトヒールを掛けると、自力で歩ける程度に回復を見せた。
助けられたのは二度目だと、林は強羅へ笑った。
「林亮介くんを覚えていますか。私の縁戚なんです」
いつだったかの、山での遭難。そんなことも、あった。
「私は自治体との繋ぎを担います。皆さんも、どうか御無事で」
泥に汚れた頬を拭いながら一礼を、そうして林が反転しようとした先に―― 半壊だった母屋が、暴れたワームによる振動で大きく崩れた。
「由香!!」
――今度こそ……、今回こそは
(救ってみせる……守ってみせる。必ず、……必ずだ)
龍仁の手が伸びる、
(届かないではない……届かせるんだ……!)
「理不尽なのが人生、幕引きに情緒なんて添えられるもんじゃないが」
細い手首を掴み、引き寄せ、瓦礫を一身に受け止めようとした龍仁の上空を風弾が駆けた。
「効率よく仕事を回すには、生存者は多い方が良いだろう。地理感があるなら尚更だ」
エアロバーストを放ったファーフナーが、二人を見下ろしてそう言った。
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「一気にキメるわよ!!」
レベッカの三度目のスターショットが、小柄なアースワームへ引導の一撃として炸裂した。
全身から力を失い、骸はその場へと崩れ落ちる。
「これで、あとは大きいのを一斉攻撃でドンといきたいね」
符へ口づけを、そして竜胆は攻撃対象を残る一体へと絞る。
赤薔薇の魔法攻撃をまともに喰らいながら立ち続ける様子を見れば、デカブツの方が生命力も高いらしい。
明斗との連携の隙を突いては、上半身を旋回させ、攻撃を仕掛けている。
「もう、遠慮はいりませんね」
竜胆の援護攻撃を受け、明斗は武器を槍へと変える。
全ての救助を終えるより、残る一体を全力で撃破した方が安全性は言うまでもなく高い。
(天魔が起こす悲しみは私達が終わらせるんだ! どれだけ長い年月を経ようとも必ずだ!)
赤薔薇の掌中に、最後の旋風が集まり始めた。
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絶えずサイレンが鳴り響き、負傷者の搬送が繰り返される。
「強羅さん、大丈夫ですか? ……強羅さん!」
自身も額に脂汗を浮かべながら、明斗は龍仁の肩を揺らす。
ありったけの回復魔法を使い、最後には自身の生命力を分け与えるサクリファイスまで発動した彼は、瓦礫の傍らに腰を下ろして項垂れたままだ。
明斗が残る回復を掛けて、ようやく目を開く。その表情には、疲労の色が濃い。
「……明斗か。すまない、負傷者は……」
「見渡せる限り、確認してきたわ。もう居ないようね。……それにしても、まさか索敵以外の使い道があるとはね」
応じ、肩をすくめたのは、レベッカだ。
撤去された瓦礫の他、索敵スキルを駆使して犬猫一匹レベルで見落としが無いか見回りを終えたところ。
アースワームの行動をほとんど封じながらの攻防であったし、戦闘終了後は掠り傷ひとつ見逃さない手際で龍仁の治療を受け、撃退士たちは最終的にはケガらしいケガもなく、残る救助作業へと専念していた。
日が傾き始め、それももう終わろうとしている。
(間に合わなくてごめんなさい。安息の場でこんなことになって、どんなに怖かっただろう)
遺体安置所で、赤薔薇は静かに黙祷を捧げる。
「どうしても……どうやっても、手が届かない事だってある。それでも私は手を伸ばすのをやめたりしない、絶対に! 伸ばす前から諦めていたら、何一つ届きやしないもの!」
悲しみと悔しさを共有し、彩華は首を横に振るった。
救えなかった命の数に打ちのめされる一方、生き延びた人々がどうかこれから先、少しでも穏やかに過ごせるよう。
助けた命が、未来へとつながるよう。
「間に合わなくてすまない……。俺は決して忘れない。……この胸に刻みつけておく……」
一人一人の顔から目を逸らすことなく、龍仁は死者へ誓った。
「撃退士の数が天魔の脅威と釣り合ってないです。常駐撃退士を増やすことはできないんですか?」
赤薔薇は、振り向いた先に林の姿を見つけて詰め寄った。
この街には、企業撃退士がいるというのに。どうして、その人が今ここに居ないのか。
「今日明日に、とは…… きっと難しいと思う。日本全国で、こんな街は、きっとたくさんあるもの」
少女の肩に手を置いて、林は目を伏せた。
「この街はね。以前、悪魔ゲートを展開されたことがあるの」
そして、軽く街の足跡に触れる。
「その時に、久遠ヶ原からもたくさんの撃退士が助けに来てくれた……。街の人たちは、その姿をよく覚えている、って言ってたわ」
撃退士の強さ。優しさ。多く、触れてきた。それ故に、彼らを信じることができると。
林の祖父という人がその時に助けられ、彼女も上京先から戻ってきた。
「今は常駐の撃退士が少なくても…… 伸ばした手を取ってくれるひとたちがいるから、私たちはここで暮らしたい。我儘を言ってごめんなさい」
大切な人と、大切な場所で。目覚めるも、眠りに就くも。
「いつの世も、平和は遠いけど皆無ではない、ってやつかな」
泣き疲れてしがみついたまま眠る幼女を抱きかかえ、竜胆が片目を瞑る。
「砂原さーん! あの子のお母さん、見つかりました!!」
遠くから、茉祐子が手を振った。
「良かったー。レディの抱擁は嬉しいけど、収まりのいい場所があるよね」
「……収まりのいい場所」
竜胆の言葉に、茉祐子の表情が微かに翳った。自身の『家』を、思い出したから。
(もし)
竜胆から母親へ、泣きながら腕を伸ばし抱き移る子供。
(私が……)
私は。
手を伸ばせる?
あるいは、いつか。
――不運な事故だった、
ファーフナーは短く言った。
温泉が止まったわけではない、時が経って落ち着けば、憩いの場は再び姿を見せるだろう。
天魔被害で救援要請があれば、久遠ヶ原の撃退士はいつだって駆けつけるはずだ。
手が届かぬと、諦めることなく。