●
何処にでもありそうなワンルームマンション。そこには、フリーランスの撃退士事務所が入っている。
筧撃退士事務所。
三年前までは『宮原・筧撃退士事務所』だったことを記憶している者は、もはや少ないのだろう。
「いらっしゃい。はは、こんな大人数が来るのはさすがに初めてだな」
訪ねた学園生たちを、筧 鷹政が笑顔で迎えた。
「お邪魔します、筧さん」
「景気づけも兼ねて、ぱーっとやりましょうですよぅ☆ 」
「やあ、鳳夫妻。……凄い大量の材料だね!?」
「たまには騒いで息抜きしても、罰は当たらないでしょう。撃退士がこれだけいるんです、あっという間に消費しますよ」
鳳 静矢(
ja3856)と鳳 蒼姫(
ja3762)が持ち込んだ食材の量の多さに、筧が目を丸くする。
対する二人は、慣れた調子で笑顔を返す。
「よ〜し、夕食は任せてよ。腕に縒りを掛けて頑張るからね」
蒼姫から荷物の一つを受け取り、不破 十六夜(
jb6122)もヤル気満々だ。
「家では禁止されているから、こんな時じゃないとボク好みの味付けが出来ないしね」
「待って。不破さん、ちょっと待って。何か怖い言葉が聞こえた」
「え〜〜? 何かなぁ、わかんないなぁ」
「一緒にお料理は楽しいですねぃ☆」
「ねーっ」
十六夜のトボけには気づかず、蒼姫は天真爛漫に楽しそうである。
「まあ…… 蒼姫さんに静矢君も一緒なら、うん」
筧が、蒼姫の手料理を食べたのは昨年の花見、京都の山寺修繕の際か。
(おにぎり、美味かったっけなぁ)
「今日は、夜もよろしくお願いしますねー?」
大きな箱を抱えているのは、櫟 諏訪(
ja1215)だ。
「自分も、お酒を飲める歳になりましたよー?」
「お! そいつはおめでとう ……って。じゅんまいだいぎんじょう」
高級なラベルに、筧の目が点になる。
そして鰹の名産地の酒とは、何か意味があるのでしょうか。削るのでしょうか。
「こちらは、晩酌の楽しみとして。しばらくキッチンは貸切のようですから、買い出しに行ってきますねー!」
「どれだけの料理が並ぶのか不安になって来たよ……? 行ってらっしゃい」
手を振る筧に、諏訪はあほ毛をクルリ回して応じた。
「えぇと…… その、お邪魔します?」
「なにもないところですが、ごゆっくり。どうして疑問形?」
「あ、いや…… ねぇ?」
入りにくそうに後ろ側で様子を伺っていた常木 黎(
ja0718)が、恐る恐るといった風にドアを潜る。
「かわった事をするのは、苦手なのよ」
「え。かくし芸大会とかあるの」
「たぶん、ない、とは思う……けど」
「じゃ、いつも通りでいいんじゃない? 自然体、自然体。シゴトじゃないんだし、肩の力抜いてさ」
緊張の為か、冷えていた黎の指先を握り、筧が笑う。
(……僕は他のメンバーと違って、深く交流してきたわけでもないし……。こんな、ホームパーティーに呼ばれてもいいのだろうか?)
最後尾。
未だ踏ん切りのつかず入れないでいるのは各務 翠嵐(
jb8762)だった。
「各務くん。もしかしたら、気が進まないかもしれないけど…… 遊びの延長線にある、『依頼』も考えてもらえれば、少しは気楽になるカナ」
彼の背を軽く押すのは、金髪のどこかチャラい鬼道忍軍・相模隼人。
筧の友人であり、今回の依頼人でもある。
――筧はちょっとナーバスになってる時期だと思うんだ
――気を紛らわせてやってくれると嬉しいかな
「それならば……」
『ひと』より永くを生きる自分に、できることもあるだろうか。
何か、言葉を贈ることはできるだろうか。
「失礼するよ。パーティーというのは不馴れで……、何か粗相をしてしまったら申し訳ない」
「ようこそ来てくれました、各務君。大袈裟なものじゃないよ、美味しいものを食べて、楽しく過ごせばいいんだから」
ギュッと握手をして、筧は翠嵐を招き入れた。
「今日は、お世話になります」
「いいのでしょうか、私まで。完全に場違いな気がしますが…… ええと、よろしくお願いします」
礼儀正しくお辞儀をするのは久遠ヶ原中等部生の六角ユナ、ラフなジャケット姿の青年は公務員撃退士の難波鷲一だ。
彼らも、今回の席に呼ばれていた。
「ユナちゃん、元気にしてたかい? 難波君は……顔つきが少し変わったね」
「そう、でしょうか」
慕っていた先輩の死を乗り越え、業務に没頭しているうちに難波も一皮むけただろうか。
「そんじゃ、オレはこの辺で。楽しい時間を過ごしておいで」
相模が、一行へひらりと手を振る。
「あ、そうだ」
踵を返し、足を止め。
「常木さん」
ちょいちょい、と手招きをして、耳打ちを。
「たぶんね、『言わないと通じない』と思うよ。何がとは言わないケド」
「……、え?」
「明るく見せてるだけだから。アレの、本当に深いところに踏み込むには、たぶん待ってるだけじゃ平行線だ」
「何を……」
ガンバッテネー。
能天気な表情に戻し、相模は立ち去って行った。
(……本当に、って)
言われたところで。
「黎? あいつ、なんか変なこと言った?」
「うん、……そう、だなぁ……」
「調子のいいこと言って人を掻きまわすのが好きな奴だから、相手にしなくていいよ」
黎が思い詰めた表情をしているものだから、気を取り直すようにと筧が頭をワシャワシャに混ぜた。
(明るく……見せてる、か)
その表情が、この手のひらが、意識的なものだとしたなら……
●
「料理は得意なのですよぅ☆ 待っててくださいねぃ〜☆」
エプロン姿で準備OK、蒼姫と静矢が料理へ取り掛かる…… その前に。
「ユナさん」
右往左往していた少女を、静矢が呼び止めた。
「よければ、夕食作りを手伝ってもらえないかな」
「! 私でよければ……」
セミロングの黒髪を揺らし、嬉しそうにユナは笑う。
「ご無沙汰しています、鳳さん。お餅搗きでは、お世話になりました」
「たいしたことはしていないさ。元気そうでよかった。紹介するよ、妻の蒼姫だよ……。で、此方は六角ユナさんだよ。蒼姫」
「初めましてなのですよぅ☆ あなたがユナちゃんですねぃ。静矢さんから話は聞いてますのですよぅ?」
「おっ、奥さん……!? うわぁ、初めまして! 六角ユナと申します。鳳さんには、学園へ入る段から非常にお世話になっていて」
まさか、こんな形で奥さんともお知り合いになれるなんて。
落ち着いた雰囲気だった少女が、緊張と高揚とで顔を赤くしている。そんな姿を、蒼姫はにこにこ微笑ましく見守った。
「学園内で、ご結婚されている方もいらっしゃるんですね……。幸せそう」
結婚。家族。それが必ずしも幸せとは結びつかない生活を送ってきたユナだったが、『今』なら素直に、憧れることができた。
自分を大切にしてくれる両親が居て、両親を大切にしたいと思う自分が居る。
その感情を素直に認めることができたのは、静矢たちとの出会いが切っ掛けだった。
彼らが居なければ、ユナは久遠ヶ原へ来ていたかどうか……。
「!? ユナさん? 泣いているのかい?」
「ご、ごめんなさい、なんでかな、……嬉しくて。こんな風に縁が続くだなんて、思ってもみなくって」
ユナは、笑いながらポロポロ涙をこぼした。身をかがめ、蒼姫がハンカチを取り出して優しく拭う。
「アキは、学園へ来てからたーっくさんの家族と巡り合えたのですよぅ☆ たーっくさんの縁の糸が、これから先にもありますよぅ☆」
「場所が変わっても、全て無くなる訳じゃない。場所が変わることで、増える機会もあるのだよ」
出会って、任務をこなして、はいサヨウナラだけじゃない。
それをきっかけに、広がる輪がある。
静矢の落ち着いた声に、ユナはコクコク頷いた。
「学園生活は、最近どうかな?」
「あっ、はい! それがもう……思っていたより、ずっと――」
静矢が出会った頃のユナは、力と存在意義に怯える少女だった。
それが、今は伸び伸びと活き活きとしている――……。
道を選ぶこと。
時と共に成長していくこと。
それが形となって、静矢の前で輝いていた。
「縁は奇にして喜なる物……。良縁を重ねていけると良いね」
「はいっ」
●
調味料のある場所に、手が届かない。
う〜ん、と背伸びをする十六夜の背後から、ひょいと男性の腕が延びる。難波だ。
「探していたのは、こちらですか?」
「あ、ありがとう……」
砂糖の入った缶を受け取り、十六夜は歯切れ悪く礼を述べる。
「……その」
「はい」
言いたいことがあった。
言わなくちゃ、と思っていたことがあった。
「この前……、会った時に何にも知らないのに、人員が足りないって軽く言っちゃった事が気に掛かっちゃって」
「ああ。ありましたね」
――人手が本当に必要な場所、ってどういうところなんでしょうね。人の命に優劣は、無いはずなのに
難波の暗い表情が、十六夜の胸の端っこに引っかかったままだった。
「前回の時に謝り損ねちゃったから。その、生意気な事を言ってごめんなさい」
「気にしてくれていたんですね。私が、おとなげなかったんです。でも……ありがとうございます」
前分けにした金茶の髪が、さらりと揺れる。照れくさそうに、難波は笑った。生真面目然として整った顔立ちが、ほんの少し柔らかくなる。
「皆さんが、いつか学園を卒業して、どんどん就職してくれるのを楽しみにしていますよ」
もちろん、公務員撃退士だけが道ではない。
学園で吸収できることが貴重であることも確か。
それを承知の上で、冗談めかした響きを込める。
(撃退士かぁ〜……)
十六夜が学園に入ったのは、生き別れの双子の姉がいると耳にしたから。
姉と会うため。それが彼女のモチベーション。
(……いいのかな)
先ほどまでとは違う不安が、十六夜の胸を襲う。
「ところで、いいのですか?」
「え?」
「見たところ、煮込み料理のようですが…… 調味料は、砂糖で」
「あっ、それはね! これが隠し味なんだよ!! すっごく美味しいんだから!!」
※注:十六夜基準
●
(私、仕事以外でこういう人数での付き合いってよくわかんないんだった……)
参ったな。心の中で呟いて、黎は軽く眉根を寄せる。
仕事以外でとは言っても、ほとんどが仕事を同じくしてきたメンバーで、それなりに気心が……知れているような、無いような。
「空気悪くしても悪いし、目立たない様にしてよう……。邪魔にならない程度の…… 何があるかな」
夕飯のメインとなるボリュームは蒼姫たちが作るようだし、十六夜や諏訪にも考えがあるらしい。
かといって、自分だけ手ぶらで食事にありつくのも気が引ける。
冷蔵庫を覗いて、使えそうな食材をチェック。
(ん、これだけあれば、簡単なものは――)
頭の中でメニューを組み立てたところで、買い出しに行っていた諏訪が帰還。
「あ、おかえり諏訪くん」
「黎さん、ただいまですよ〜。キッチンは変わらず満員御礼ですねー……?」
鳳夫妻とユナが、パーティー料理に取りかかっている。
ワンルームマンションのキッチンだ、広さは知れたもので、テーブルの上にはサンドイッチやおにぎりが広げられていて、入る隙が無い。
買い出しから戻った諏訪が、さてどうしようかと首を傾げるところへ、出迎えた黎が情報を。
「いや、上の階が空いたよ、十六夜ちゃんの料理が完成」
「でしたかー。では、上へ行きましょうかね〜」
「みんなみたいに得意って言えるほどじゃあないけど、私も出来ないわけでもないし……手伝うよ。あれ、そっちの荷物は?」
「食後に遊ぼうと思って、花火も仕入れてきましたよー?」
「豪勢じゃない」
なんだか懐かしい気持ちにさせる、ビニールバッグの詰め合わせ。手持ち花火から打ち上げまで各種揃っている。
「時間もたっぷりありますし、いろいろたくさん料理作りますねー?」
なんだかんだで、依頼を通してお世話になりましたし。
「そうねぇ……。そういえば、初回もここに泊まりだったね」
「前回は戻り鰹、今回は初鰹の季節ですねー? フルコースも、きっと違う味わいですよー?」
「やっぱりやるんだ」
お約束となりつつあるかもしれない『鰹』ネタではあるが、季節を絡めると何だか深い。気がする。
賑やかな室内を見渡し、ううーん、と翠嵐が唸る。
(皆でつまめるものを用意すればいいのだろうかと、思ってはみたけれど……)
「各務君? 何かあった?」
「ああ。……僕が住処で作り置いていたものを持ってきたけれど、お口にあうかどうか……」
筧が訊ねると、戸惑いがちに翠嵐は荷物を解いた。
――梅干し、梅酒、沢庵、白菜漬け。
「……そもそも、『パーティー』に似つかわしくないのでは、と思い始めてね」
「あは、大袈裟なものじゃないってば。へえええ、梅干しも手作りなんだ。うわ、白菜漬けの塩加減最高」
無遠慮に手を伸ばしては、筧が感嘆の声を上げる。
「炭酸水あるから梅酒のソーダ割りができるな。諏訪君が持って来てくれたお酒に、漬物は合うし。蒼姫さんのおにぎりと沢庵も抜群でしょう」
各々が持ち寄ったものと組み合わせれば、地味に思える翠嵐の差し入れは最高の相棒になる。
筧は嬉々として指折り数え、メニューを上げた。
「そうか……。それならよかったよ。あと、山で今朝採ってきた山菜……。揚げて食べると美味しいと思う」
「今朝」
「今朝」
呆然とする筧へ、真顔で頷く翠嵐。
「……本気を見た。ありがとう、あっつあつの天ぷらなー!! 蒼姫さーん! 静矢くーん! そっち、揚げ物できるー?」
「アキにお任せですよぅ☆ 見事な山菜ですねぃ?」
「各務君が、採ってきてくれたってー! 今朝、採りたて!!」
(大丈夫…… だったか)
もしかしたら、残念な空気になるかもしれない。
そう予想していた翠嵐だったが、料理好きから見れば山菜だなんて宝物みたいなものだ。
(時には、このような集いに参加してみるのもいいかもしれないね……)
人外であること、その容姿から、『人』から一歩引くのが彼のスタンスだったが、飛び込むことで何かを見つけることもあるようだ。
たった一度、されど一度。
共に戦い、命を預け合った『仲間』は、翠嵐の愛するものを笑顔で受け入れた。
●
日が暮れはじめる頃、屋上で夕食の支度が始まった。
「……ラッコ?」
テーブルを広げ終えた難波が、出入り口を見てまばたきを繰り返す。
ラッコだ。
調理服を着た、身の丈180cmを超えるラッコが料理を運んでくる。
ラッコのコック、いうなれば『ラッコック』って誰が上手いことを。
ポップなダンスステップでラッコックは料理を運び、
『ハンバーグお待ちどう!』
用意周到な看板トークである。
「あ、ありがとう…… ございます」
「酒盗に、鰹のお吸い物ですよー?」
「あ、それはこちらへ…… ……櫟くん、ですよね」
「はいなー?」
難波が、まじまじと諏訪を見る。諏訪だ。
筧はセッティングを一緒にしていてすぐそこに居るし、翠嵐は夕日を眺めている。
ということは、消去法で行くとラッコの中の人は――
(鳳君か…… 鳳君が!?)
難波は静矢に対して真面目な武人肌といった印象を抱いていたから、素で驚く。
「ん、どうかしましたか?」
ラッコックが全ての料理を運び終えたのち、しれりと平服に戻った静矢が難波の顔を覗き込んだ。
「あ、いや…… 意外なものを見ました」
「何も考えず馬鹿騒ぎするのも、大事だと思います。今日はそう言う日ですよ、難波さん」
「……ふ、ははは…… そうだね。うん。どうも固くてだめですね、私は」
●
群青色の空の下、宴は始まった。
「えー。それでは、ここしばらくの連戦も一息ついたということで、お疲れ様ーの」
「「かんぱーい!!」」
梅酒や日本酒、ソフトドリンクでねぎらいを。
「わー。相変わらず、蒼姫さんのおにぎりは美味しいなぁ」
「筧さんは、まっさきにそれですねぃ? ユナちゃんと作ったサンドイッチもどうぞですよぅ☆」
クスクス笑って、蒼姫は皿を勧める。
「筧さん、温かい飲み物ですよー?」
「うん? ありがとう、諏訪君。良い香りの 出汁ですね……?」
「お吸い物を紙コップへ入れただけですよー?」
「そうとも言うね……」
なるほど、これは安心して飲める出汁か。いやいやいや。
「お久しぶり〜。元気してた?」
十六夜は、ユナの隣の席へ移動する。
未成年向けに、と諏訪が用意した手料理ゾーン。チキン南蛮やあっさりさっぱり梅そうめん、ラタトゥイユが並んでいて、見目も華やかだ。
「不破さん! お久しぶりです。その節は、大変お世話になりました。お陰様で、楽しい生活を送っています」
ユナが十六夜と出会ったのは、ユナの父が窮地に陥った時だった。
――『人探し』なら任せてよ
自分より年下の少女は、頼もしく宣言したのだ。それが、どんなに心強かったか。
「どう、あれから真之さん達とお話とかしている?」
「手紙のやりとりが主ですが、月に一度は電話も。不思議ですね、一緒に暮らしていた頃よりも、近く感じるんです」
「そっか。良かったね〜」
恐怖と無力感とで震えていたユナ。それでも、ひたすらに父を想っていた姿は十六夜も覚えている。
こうして今、笑っていられるのならよかったと、心から思う。
「あ、そうだ。初めてボクと顔を合わせた時に驚いてたけど、何かあったの?」
記憶を辿り、ふと浮かんだ素朴な疑問。あの時だけ、ユナから恐怖と言った感情が抜けて驚きに染まったように感じた。
「それが……上手く、言えないんですけど。初めて会った気がしなくって。おかしいですよね」
「……それって、もしかして」
――十六夜が学園に入ったのは、生き別れの双子の姉がいると耳にしたから。
もしかして、それは……
「げっほ、ごほっ、ガッ……」
詳しく聞き出そうとした十六夜だが、それは難波の激しい咳こみで止められた。
そちらを見れば、彼女の煮込み料理を前に倒れ伏している。何事。
「…………辛くてしょっぱくて酸っぱいのに甘い……」
「えーーーー、そこが美味しいんだよ〜!?」
「冷酒には、揚げ物が合うかなー、とか。お酌しに来たよ」
気恥ずかしさを誤魔化すように視線を微妙に外しつつ、筧の隣に黎が座る。
差し出した料理は、手伝いの合間に黎が作っていた豚肉の梅紫蘇巻揚げを始めとする、簡単な肴。
「ありがと。まま、お姉さんも」
「……うん」
グラスに注ぎ注がれ、小さく乾杯。
「今更、緊張してるの?」
「そういうわけじゃないけど…… 戦場の方が気楽というか」
「まさかの」
声を押し殺して笑う筧の、肩が震えている。えい、と黎は肘で小突いた。
――アレの、本当に深いところに踏み込むには、たぶん待ってるだけじゃ平行線だ
ふと、相模の言葉を思い出す。
(仕事以外では中々会えないし、鷹政さんに触れていたい所なんだけど……。どうしたら自然に近くに居られるんだろう)
踏み込む? どこまで、どうやって? 裏目に出てしまったら?
「黎ちゃーん? 手が止まってるぜー?」
「ご、ごめん」
「……相模、なに言ってたの?」
「なんでもないよ」
言えるわけがない。
「なんでもないって――……」
「蒸し鰹の林檎酢和え、さっぱりとドウゾー?」
逆隣へと、諏訪参上。微妙な空気を鰹が削る。
「よかったら、晩酌にお付き合いしますよー?」
「あはは、どうぞどうぞ」
空気が和やかなものに戻って、黎は胸をなでおろしていた。
(ありがとう、諏訪くん)
(お気になさらず、ですよー?)
筧越しに、こっそりアイコンタクトをする程度に。
「学園に来たころは、まだお酒を飲める年じゃなかったのに……。いつの間にか、あっという間に時が過ぎ去りましたねー……?」
「諏訪君、語りがオジサン入ってるよ珍しい」
飲める・飲めないは、しかして大きな境だろう。
「かわいい奥さんもできて、すごく自分の人生が変わりましたねー」
「あー……。変わるね、それは変わるよね」
筧の後ろで、黎が咽た。
「……」
「……」
微妙な沈黙。
気づくと、すごく良い笑顔で蒼姫がこちらを見守っている。
「でも、まだまだこれからですしねー? 平和は待っていても来てくれないですけれど、自分たちで努力して平和を手に入れることはできますしねー?」
色んな意味に取れる深い言葉を諏訪が口にして、微妙な空気を取り去ったような、更に混沌へ導いたような。
●
〆は鰹茶漬け、デザートは鰹節アイスにフルーツゼリー。それから蒼姫特製のレモンパイ。
楽しく食事を終えたなら、ささやかな花火大会が始まった。
色とりどりの花火が、屋上を彩る。
光、音、煙、香り、それらは日本人の心の奥をくすぐって止まない。
(賑やか……)
後片付けを進めながら、遠巻きに黎は様子を眺める。
(……一度は、フリーになってみるべきなんだろうなぁ……。誰かさんの所に行くにせよ、足を引っ張るのはごめんだし)
未来を、思い描いてみる。
いつか、久遠ヶ原を離れたら…… どんな道を、歩くのか。
(フリーランス、か)
ひとくちに言っても、仕事の取り方は様々であると知った。
相模のように、完全単独で行動することも可能なのだろう。
難波のような公務員と、繋ぎを持つパターンもある。
撃退士としての単純な能力だけではない要素が、独立するためには必要とされるようにも感じた。
「いや、そもそも撃退士としてだけでなくて……。でもそういうのって、女の方から言っても良いものなのかしら……?」
「聞こえてるよ」
――がらがっしゃん
考え事へ没頭している間に、いつの間にか思考が口に出ていて、背後には筧が居た。
黎が取り落とした食器は、そのまま階下まで落ちてゆく。
「考え込んでると思ったら、それかーーーー!」
「あ、えっと、今のナシで」
「無理。聞きました。聞こえました。覚えました」
「っ、鷹政さん!」
「俺は」
黎の抗議を、静かな声が押しとどめる。
「俺は、今でも、怖いよ」
「…………」
何が、とは聞かない。聞けない。
「弱いんだ。だから、俺から気楽には言えない。今は未だ」
「……今は?」
「うん」
永遠を誓おう。
絶対に守ろう。
そんな言葉を口にする勇気がない。
命を賭された側の悲しみを、拭えずにいる。未だ、本当の心は穴の奥底にある。
●
花火を終えた後は、室内へ戻ってボードゲームへ。
「人が少ないと、この手のゲームは面白くないからね」
静矢が準備を終え、
「さあ! 皆で、盛り上がってしまいましょう☆」
蒼姫がクラッカーを鳴らして場を盛り上げる。
(……あれ?)
ルーレットを回しながら、十六夜は人数が足りないことに気づいた。
屋上。
ようやく静寂を取り戻し、星が鳴るように輝いている。
翠嵐はフェンスにもたれかかり、美しい星空を見上げていた。
「雄大な自然を眺めると、自身の存在など、ちっぽけなものに感じるね。この星が生まれてから、どれ程の生命が生まれては散っていったのだろう」
そうして、問わず語りに語り始めた。
「身近な者の死は特別なもので、喪失の痛みは大きいが……。人は生きていくために、悲しみを忘れるようにできている。
それは自然なことだけれど、忘れることに対して罪悪感を覚えてしまうのだね」
独り言にしては、大きな声。
穏やかな声音で、『誰かへ聞かせる』ように、語りを続ける。
「ただ、故人を手放すことは、決して薄情なことではないよ。自分も故人も、お互いにとって必要なことなんじゃないかな」
――故人にとって、必要
その言葉の意味を理解するのに、少々時間がかかる。
(……伝わったかな?)
誰とは言わない、そっと消えた一つの気配へ翠嵐は視線を走らせ、それから再び夜空を見上げた。
美しく、吸い込まれそうな空だった。
●
深夜、寝付けずにいた十六夜が床を抜け出し屋上へ行くと、座りこんで空を見る筧が居た。
「おや。お嬢さんは眠る時間じゃないのかい?」
「……なんか、寝付けなくて。ちょっとだけ、聞いてもらっても良いかな」
「俺でよければ」
いらっしゃいな。隣へ座るよう、筧はコンクリートをぽんと叩く。
十六夜は膝を抱え、ぽつぽつと話した。
「お姉ちゃんを探しを理由に来たボクと比べると、みんな確りとした思いを持って依頼に参加してて……。ボクがいて良いのかと思っちゃって」
――ボクね、学園で、生き別れの姉を探しているんだ
そうだ。初めて共に戦った時、確かに十六夜はそんなことを言っていた。
「このまま、お姉ちゃんが見付からなければ実家の流派はボクが継ぐ事になるけど、弱っちいからちゃんと継承出来るかも不安なんだよ」
「……そっか」
「うん」
11歳が背負うには、ヘヴィな悩みだ。
「不破さんのサポートに、俺は助けられてきたけどさ」
アカシックレコーダーとしての強みを活かし、その局面に必要な補助を的確にしてくれる。それが、どんなに心強いか。
「誰かをアシストできるのは、広い視野があればこそだよ。それは、強さだ。少なくとも、俺は不破さんを弱っちいなんて思っていないよ」
「……そう、なのかな」
十六夜が背負うのは、古流剣術。相手と刃を交えてこその。そこに、自分のその長所は活きるのだろうか――?
筧の言葉に、十六夜は納得しきれない様子だ。
それでも。
「……ありがとうね。弱音を吐いて、少し元気になったよ」
十六夜。ためらいの月の横顔へ、星の光が雫の様に降る。恵みの雨のように、淡く優しい輝き。
「朝には、いつも通りのボクに戻るよ」
「おやすみなさい?」
「うん。おやすみなさい」
●
鳥のさえずり。差し込む朝陽。
卵にベーコンが焼ける音、パンの香りが室内に漂う。
「まあ、簡単なものだけど……。昨日の夜が重かったしね。うん……、祭りの後って感じだねぇ……」
「味噌汁が黎さん、コンソメスープが自分ですよー? 飲み過ぎた方には味噌汁ですかねー?」
朝食の支度は、黎と諏訪が整えてくれた。
「気が付くと、あっという間だったね。参加できて……ひとつの経験になったのだと思う」
諏訪特製のスパニッシュオムレツを堪能しながら、独り言のように翠嵐がつぶやく。
「やっぱり、料理は楽しいね! 誰かに食べてもらうのも嬉しかったし」
脱落者が居たことは忘れて、十六夜。
これを食べ終えてしまえば、お祭り騒ぎもお終いだと思うと、何処となく寂しかったり。
「今回は、ほんと色々と助けてくれてありがとう。御礼にしてはささやかすぎるけど、楽しんでもらえたらよかった。俺も楽しかった」
見送る段になり、それぞれと視線を合わせながら筧が言う。
「きっと、学園にはまた依頼を出すと思うけど、縁が繋がってたら。その時はよろしくね」
切れたと思っても、きっと見えない糸で繋がっている。縁とは、そういうものだ。
「……筧さん。正直、私はまだ将来ははっきり見えません。ですが、一つ一つの縁が重なり道が出来ると言う事は強く感じました」
最後に、静矢が口を開く。
「多分、悲しみも辛さも今に至る道で、今ある縁や絆が未来を切り開く道標だろうと」
「…………うん」
伝えたいことをなんとなく察し、筧も頷きを返す。
「今回は素晴らしい勉強の機会を有難う御座いました」
「こちらこそ。皆には、教えてもらってばかりだよ」
握手を交わし、それから筧は静矢の背を叩いた。頼もしい後輩で、友で、戦友だと思う。
「筧さんも、早く結婚するといろいろといろいろといろいろとry 見えてきちゃったりするのかもしれませんのですよぅ?」
静矢へ背後から飛びつきながら、悪戯っぽく蒼姫が見上げる。その後ろ、わかりやすく黎の表情がひきつった。
「だそうですよ?」
対して、筧の方はニヤニヤと彼女を見遣った。
今は、深くを語るまい。
心の一部は悲しみの奥底に沈んだままでも、そこへ差しこむ光があることを知っているから。
命を賭して、撃退士は戦う。
賭され取り残された者の、行き場のない悲しみも、生きているから感じることができるもの。
生きて、そこから縁が生きて、連なり、続いてゆく。
連なる糸が、きっといつかは悲しみの淵から引き上げてくれるのだろう。
そうして命は、続く、続く。踊るように、螺旋を描いて進んでゆく。