●
戦闘が目視できる位置で、高級車が急停止する。
少女が飛び出す、その瞬間にバイクを乗り捨てて筧が腕を伸ばした。
「ユナちゃん、落ち着いて!!」
「でも――」
手首を掴まれ抗うユナの動きが、刹那に強張る。
自身に悪魔の血が半分だけ流れていると知っても、少女がディアボロを目の当たりにするのは今回が初めてだ。
それと戦う光景も然り。
自分に何ができるかわからないまま、飛び出した。
わからなくても、『普通の人間』にはない力が自分に在るのだと知った以上、何かできると思った。
地上に広がりつつある、屍鬼の腐臭。骸魔の炎によって遺骸が燃やされる臭い。
爆音。奇声。ひとならざるもの。
少女の胃の奥から、何かが込み上げてくる。
眼前の『現実』は、覚悟のそれを上回る衝撃で少女の心を打ちのめす。
「大丈夫、お父さんは皆が助けに来てくれるから」
「みん、な……?」
とは、一体?
「ユナ、無事か!!」
顔面蒼白で駆けつけたのは、いつかのカウンセラー……強羅 龍仁(
ja8161)だった。
「おじさん」
「心配した。ケガはしていないか。……危険なことをしないでくれ」
「わた、わたしは、だいじょう、ぶ」
膝をついて、龍仁がユナの小さな体を抱きしめる。震えているのは、寧ろ龍仁のようにも思える。
――が、
「ユナ?」
『異変』を察したのは、あとから追いついた青空・アルベール(
ja0732)の方だ。
「ユナ、どうしたの? 泣いて、いるの?」
「おにいさん、とうさまが とうさまが でも……」
少女の双眸には、大粒の涙が浮かんでいる。
『でも』自分に―― 何が、出来る?
武器を持っているわけじゃない。
力の使い方を知っているでもない。
異形は、こわい。こわい。
だからといって、じっとしていたくないのに……恐怖で足が、動かない。
体に流れる血など、生まれ育ちの前には無関係だ。ユナは、普通の少女だ。これがごく普通の反応だ。
青空が、そっと両の手を伸ばす。涙の流れる、少女の頬を優しく包む。
「ユナは力になれるよ、それだけの力がある」
「ちから」
「それ故に、ひとつだけ言っておくな? 一番怖いことは『予想外のことが起きる』こと。誰かが怪我するのは、いつだってその時だ」
ゆっくりゆっくり、動揺する少女の心にも伝わるよう、そして過剰な恐怖を与えないよう、青空は声のトーンにも気を付けて言葉を選ぶ。
「私達を信じて、鷹政達と待って欲しい。真之を見つけたら一番に連絡する。ユナの力を使う時はその時だ」
――その時。
明確に示されて、少女からスッと涙が止まる。
「此処にユナがいてくれれば、真之は生きて帰れるから。自分だけの自分ではない。それが家族になるってことと思うのだよ」
「自分、だけの自分じゃ……」
(此処に居れば、帰って……来て、くれる?)
仕事のことは、家で話すことのない真之。
学校でのことを、ユナへ聞くことも無かった。
聞くことはせず――『一件』以降、夜は傍に居てくれた。どれだけ多忙でも、『帰って来て』くれた。
父の真意はわからない。
優しい言葉の意味を疑いたくない。
だったら―― 信じて待って、良いのだろうか?
「……これだけ憶えててな。怖くても、辛くても、一人で走りださないで」
「ふふ…… 逃げられない、です」
がっちりと抱きしめたままの龍仁の背へ、か細い腕を回し、ユナは青空へ微かに笑った。少しずつ、少しずつ、震えが止まる。
龍仁から伝わる体温が、恐怖と困惑で固まっていたユナの心を、ゆっくりと溶かし始める。落ち着きを取り戻させる。
「必ず、お父さんを助けてきますから、ユナさんはちゃんとお父さんの帰りを待っていてくださいなー?」
「こういう依頼は結構あるし、大丈夫」
「おねえさんも?」
「こっちが本職さ」
櫟 諏訪(
ja1215)に続き、常木 黎(
ja0718)が片目を瞑る。
ずっとユナに寄り添い、手を握ってくれていた優しい女性は、今は『戦う者』の表情をしている。
ふわりと髪に触れる手の暖かさだけが、変わることなく。
「黎、真之さんを頼む。ここは絶対に守るから」
「依頼を完遂してこそプロだからね。ユナちゃんの護衛は任せたよ、鷹政さん」
例えばずっと傍に居て、愛をささやいたり。
背と背を合わせ、命を預け合ったり。
どうにもそういう甘かったりなんだったりのタイミングに恵まれない恋人同士であるが、『仕事』に対する温度は共有している。
戦いにおいて、任務において、優先すべきは何か? ――私情じゃない。かといって、己を殺しきることも難しいだろう。
そのバランス感覚に関して、筧は黎に対して厚い信頼を抱いている。
信頼しているから、重要な場面を安心して託せる。そう、考えている。
離れていても、大丈夫。――などという考えでいるから、過去において恋愛関係が長続きしていないということに此の男は気づいていないが、さて黎との場合はどうだろうか。
「筧さん、頼みたいことが」
装備品の確認をしながら、鳳 静矢(
ja3856)が呼びかけた。
「私たちが高台へ着いたら、連絡を入れます。そうしたら、真之氏へ――」
「……なるほど。それは良い手だ、了解」
番号を聞き出し静矢から直接真之へ連絡することも可能だが、知らぬ番号へ『社長』が対応するとは考えにくい。
社員でもなく、『直接雇用した撃退士』であれば、非常時だからこそ反応してくれる可能性は高い。
「『人探し』なら任せてよ」
「……え、あれ?」
「といっても、僕は未だ、大事な人を探し出せていないんだけどね」
不破 十六夜(
jb6122)の姿に、ユナは既視感を覚えるも上手く表現が出来ず、まばたきを数度。
「すまない、遅れた! 筧くん、お嬢は――っと…… そちらが援軍か。私は高岡。高岡青葉」
数名の撃退士を引き連れ、長い緑髪を一つにまとめた女性が到着する。毅然とした雰囲気のディバインナイトだ。
「今回は……どうか、真之氏を頼む。こんな無茶な選択をする人ではないんだ」
「必ず助け出しましょう。それから…… いざという時は、彼女を護ってほしい。護衛対象の娘さんだしな」
頭を下げる高岡へ、静矢が後半はユナを指し小声で伝える。
「承知。あの様子ならば戦域へ飛び込むことも無いと思うが、油断はできないからな。あの年頃は……行動を掴みにくい」
大人なら、きっと誰もが通る道。
「さて、相模くんが消耗しきる前に鞭を入れて来るか」
「ああ、それからもう一つ。真之氏と別れたのは、高台のどの辺りでしたか?」
「ふむ」
静矢の問いを受け、高岡は僅かに思案する。
メモを取り出し、簡単に走り書きをした。
「別れた地点は、此処。今は移動しているだろうが、廃墟群の中でも……そうだな、身を忍ばせるとしたら」
実際に現場に立ち会っている高岡が、幾つか目星を付けて手渡す。
「真之氏を助け出す頃には、麓は一掃出来ておくよう努める。そちらも、どうか武運を」
そうして、龍仁と筧以外の撃退士たちはディアボロの取り囲む戦闘区域へと駆けて行った。
●
「鷹政、周辺警戒を頼めるか?」
「OK。――その前に、と。運転手さん、大丈夫ですよー。出てきてください」
呼吸を整え、ユナを抱きしめたまま龍仁が顔を上げる。応じながらも、鷹政は高級車に向けて声を掛けた。
勢いよく、運転席から老齢の運転手が出てくる。
「無事に到着してくれてありがとうございました。途中で事故でも起きたら大変だった」
「ユナお嬢様の我儘など、初めてでしたので……」
答えながらも、老人の声は震えている。彼もまた、一般人でしかない。
何処へ向かうのか、何が起きているのか、薄々感じながらも職務を全うした――一般人ではあるが、プロである。
「車を、もう少し後方へ停めなおしてもらえますか。その後は、俺たちの傍へ。ユナ嬢と併せて警護します」
「鷹政?」
「いざって時の『逃走』用。この辺りなら戦闘は避けられるだろうし、仮に数体が近づいてきても俺が払うつもりだけど」
此処へ到着する前に、強引に車を『止める』だけなら、タイヤを狙撃するなり何なりといくらでも可能だ。
しかし、それでもユナが単独で何がしかの手段で此処へ辿りつく可能性は拭えない。
で、あるならば、『車』は生かしておくべきだ―― それが、筧の緊急時の判断だった。
「強羅さんなら、マインドケアを使える。運転手さんにハンドルを任せてユナちゃんを守りつづけられるだろう?」
それは本当に『最悪』の事態であり、必要性は他にもう一つ。
「戦闘が終わって真之氏を迎えに行くなら、車内はユナちゃんにとって『目隠し』になる。あまり、気持ちのいい光景じゃないからさ」
現時点で、ユナは戦意を喪失している。
『これが、撃退士が身を置く場所だ』と伝えるにしても衝撃が強すぎる。彼女は戦闘を前提として久遠ヶ原へ編入するわけではない。
「……そういう考えがあるなら、先に言え」
龍仁が、盛大なため気を吐き出す。
「『手』が幾通りかあるってわかっただけでも、少しは落ち着いた? 強羅さん、酷い顔してるよ」
「顔色、だろ……。って、誰がだ」
「はは。それじゃあ、後ろは任せた。俺、狙撃は得意分野じゃないんでね、ある程度は集中させてもらうからさ」
●
迅雷の動きで屍鬼の胴体を横一文字に切断した鬼道忍軍が、そのままバックステップで距離を取る。
半端に伸びた金髪が風に流れる。
「来るぞ『自爆』! 下がれ!!」
数秒と経たず、下半身が広範囲に飛散した。強烈な腐臭までまき散らす。
「側面がガラ空きだ、紙忍者」
「高岡! おまえなぁ、オブラートに包んでくれねぇか」
到着した援軍を、相模隼人が半眼で睨む。
「水で溶けるような、薄っぺらなもので良いのならいくらでも」
骸魔による炎弾を盾で防ぎ、高岡。
「今のところ、初期報告以上の敵は登らせてないはずだ、突撃と救出は頼んだぜ、久遠ヶ原の!!」
軽口の合間に、相模は駆け抜ける学園生たちへ叫んだ。
「皆を幸せにするのが、ヒーローなのだ!」
「青いねェ」
テレスコープアイ、それに魔糸を巡らす青空の背を一瞥し、相模が口の端を上げた。
「登ってすぐ、左右に骸魔が1ずつ――こちらには気づいていないみたいなのだ、背を向けてる」
「真之さんを見つけるまで交戦は極力避けたいところだが、ここばかりは仕方ないか」
盾を構え先陣を行く静矢が、さてどう攻めるかと思案する。
こちらへ背を向けているということは、高台のディアボロたちの意識は真之へ向けられている。
少なくとも、初手は確実に裏を突くことができるだろう。
「その距離でしたら、自爆に巻き込ませることができそうですよー?」
ふっと足を止め、スナイパーライフルを手に、諏訪が自身もアホ毛レーダーで敵を認識すると同時に狙いを定める。
油断しきった骸骨の背、一番当てやすい胴体ど真ん中を狙いトリガーを引く。
銃声は、周囲の喧騒に掻き消されて聞こえない。
(3、2……)
他の場所からも敵が飛び出してこないか、今の一撃で異変が生じないか気を配りながら、静矢の後ろに付いて並走する黎が心の中でカウントダウン。
カチ、骸骨の頭がこちらへ半分、振り向くような動きを見せ、膨大な熱量と共に爆発した。
「一度、ストップ! 誘爆来るよ!!」
「む」
自爆に巻き込まれ、対面していた骸魔にも同様のモーションを察した黎が叫ぶ、守りに徹している静矢には掠り傷程度の火傷が頬に。
「自分のバックアタックで一撃自爆、ですかー」
「常に背後を取れるとも限らないけど、目安にはなるね。自爆巻き込まれだと、同種でもそのままBOM、か」
魔法属性は魔法に、物理属性は物理に、それぞれ耐性がありそうなものだが、逆を言えば自爆自体にそれだけの威力があるということか。
諏訪の呟きに、黎が自身の分析を乗せる。
「入り口は開かれた、ということだな」
静矢は、あらかじめ作成していたメール文章の送信ボタンを押す。事前に筧へ伝えていたものだ。
「ここからは、時間勝負だね。僕は真之さんとの合流を第一に動くけど、損傷が少なく進めるルートを見つけたら適宜連絡するから」
静矢へ炎の烙印を、そして十六夜自身は蜃気楼を発動して姿を消す。
「絶対に、擦れ違ったままで終わらせないよ」
声を残し、十六夜は廃墟群へと消えていった。
程なく、遠方から発煙筒と思われる白い煙が立ち上った。
――近くの窓等から発煙筒を投げて、場所を知らせてください
静矢から筧、筧から真之へと送った『伝言』は、無事に届いたらしい。
十六夜も、その煙を目掛けて最短距離で向かっているはず。
「交戦はなるべく避けたい、しかし敵の意識は確実に真之さんから逸らさなければ、な」
静矢は左右それぞれへ発煙手榴弾を投じ、それから花火セットを派手に打ち上げる。
それは、発煙筒の存在を掻き消すほどのインパクト。
うまい具合に、高台の敵を攪乱させられるだろう。
●
高台に、火の手が上がる。
反射的にユナの身体が強張る、飛び出しそうになるのを必死に龍仁が繋ぎとめる。
「大丈夫だ、あれは静矢からの『合図』だ」
恐怖。
吃驚。
感情が大きく動く度に、ユナ自身の『力の枷』が外れてゆく、無意識に攻撃能力として発動される。
それは時として龍仁の腕を胸を焼くほどの熱量を持つが、決して痛みを顔に出さず、彼は努めて穏やかな声で状況を説明してゆく。
撃退士たち三部隊の、それぞれの目的。
どうやって真之を救出するか。
敵は、どういった特徴を持っているか。
「ユナ。お前が真之を――父親を、心配する気持ちはわかる。しかしな、今のお前では足手纏いにしかならない。
怪我をして――最悪の場合、死ぬ可能性だってある。そんな時、真之や千里は…… 悲しむだけでは、すまないだろうな」
厳しいことを口にしている自覚はある。けれど、しっかり伝えなければいけないと龍仁は感じていた。
子供は、大人が考えているより鋭い。
そして、感情は不安定なものだ。安心できる確かなものが欲しくて、確証を得るまで危険を顧みない。
(最悪の場合――……)
死、ということで言うのなら、今、一番近くにいるのは真之であった。
撃退士においての『再起不能』――『決して戦えないわけではない』、ミリ単位の『希望』が危険へと身を晒すことになる。
先日の護衛依頼の際には、真之はユナを久遠ヶ原へ行かせたくないのだと行動の裏に示していた。
もしもの時は、真之自身がユナを守ると。
その『もしも』だって文字通りの命懸けになるはずで、たった一つの命を、今、こんなところで張っている。
(わかって、いるのかな)
伝わって、居るのだろうか。
久遠ヶ原から駆けつけた学園生たちがユナへ心を砕いてくれていることは、筧にもよくわかる。
でも、『これはフリーランスが引き受けた依頼』であるということ。その意味を。
撃退士が再起不能になること。
そこから、一般社会で『社会人として』力を付けてのし上がること。
今回のトラブル、そして真之が選んだ行動、その意味を。
(じゃないと、なんの為の『就職体験』か―― まあ、それは個人課題ということで)
何をどう感じるかまで、押し付けるわけにはいかない。
筧は、あくまで課題を投じるだけだ。その中で、どんな答えを見つけていくかはそれぞれだろう。
長銃の射程ギリギリで、こちらへとはぐれて来る屍鬼を撃ってゆく。二発も当たれば自爆、上手く引き付ければ誘爆で連鎖してくれる。
「ってええええ、相模のボンクラ! 逃し過ぎだ!!」
「鷹政、少し下がれ。『星の輝き』行くぞ」
「りょっかーい!!」
ユナが影響を受けないよう、胸に顔を押し当て、龍仁は片手で光を発動する。そのまま、続けてコメットを。
筧が使い慣れた大太刀へ持ち替え、残る屍鬼を近距離で仕留めていく。
高台を取り囲むディアボロたちは、確実に減っている。
撃ち漏らしは、高台ではなく『こちら』へポロポロと向かってくるように『相模が仕向けている』。
(あっのっ野っ郎……)
こちらにアストラルヴァンガードがいると知っての所業ですか相模さん。同調してますね高岡さん。
或いは、最低限最低限、真之救助への助けとしての動きなのかもしれなかった。
●
「次は、こちらの角だ!」
十六夜からの報告を静矢が伝え、救出班が廃墟と廃墟の間を縫って走る。
射手たちは敵へ混乱を与えるよう、時として進行方向と真逆にいる敵を狙う。
三人同時攻撃で屍鬼一体を確実撃破、諏訪に青空か黎がアシストで入れば自爆を促せるところまでは加減を把握した。
諏訪は適宜、アシッドショットで『時限爆弾』も作り上げる。
運悪く正面で出くわせば、盾であり壁である静矢が力押しで切り抜けた。
「BINGO! 意外と上手く行くもんだね」
「なかなか良いチームプレーですよー?」
「インフィルトレイターの見せ所な!!」
機動力と索敵能力、攻撃射程の長さは今回の敵に対して相性がいい。
阻霊符を発動することで道幅を制限でき、静矢も盾役として力を発揮しやすくなっていた。
――ドン
「!?」
その、進行方向真横の壁が、炎弾で突き崩された。
廃墟内から打ち込んだらしい。透過できないことを疑問に思い、力づくで壊したといったところか。
「諏訪くん? どうしたの?」
「いえ、不破さんが真之さん救助に直行してくれているので助かりましたよー? もし、壁走りで屋上に避難したとしても、壁や柱ごと破壊されたら危険でしたねー……」
「ああ……」
屍鬼や骸魔に、飛行したり壁面を登る能力は無い。しかし、土台ごとぶち壊す火力を持っている。土台もまた、それほどに経年劣化しているようだ。
「匂いや音も、ここまで来ればゴッチャだし、な」
神経を研ぎ澄ませすぎ、痛む眉間を押さえて青空が呟く。
『真之さんが居たよ! 青い窓枠の残る建物! 待ってるからね!!』
そこへ、ようやく十六夜から真之発見の報が入った。
●
夥しい血が、床に広がっている。
「後、少しの我慢だよ。もうすぐ、皆が駆け付けてくるから」
「…………ユナ?」
サラリとした黒髪が視界に入り、真之が焦点の合わない目で娘の名を呼ぶ。
血を流し過ぎた。意識がもうろうとしている。夢と現と生と死の境目がわからない。
「僕は、不破 十六夜。大丈夫、ユナさんは安全な場所で真之さんの帰りを待ってるよ」
真之の脇腹へ手を翳し、大地の恵みを与える。血が止まり、再生の力が体力の回復を促し始める。
「あの子が……ここへ?」
「お父さんを、迎えにね」
「……父、か」
そう、思ってくれているのだろうか。本当に、来ているのだろうか。
「まずは、生き残ることが先決だよね。仲間たちと合流するまで、ここは僕が守って見せる」
「君は――」
ユナより、ずっと幼い――まだ小学生くらいじゃなかろうか?
あの日、真之に対し、鋭い切り口で質問をしてきた銀髪の少女と同じくらいだろうか。
そんな彼女は、魔法書を手に建物の出口へと向かう。
「こう見えても、撃退士。信じてくれていいよ」
自信ありげに微笑んで、少女は男へ背を向けた。
十六夜が放つ影の槍が、内部を覗きこもうとする屍鬼を串刺しに。
「あそこか。……派手にやってるな……」
遠い目をしかけたところで、静矢たち一行も建物へと駆けこんだ。
「御無事でしたか!」
「君たちは…… そうか、君たちが来てくれたのか」
掠れた声で、真之が応じた。
「お待たせしまして」
なんてことはない、重くとらえることはない。そう気持を乗せて、黎は軽い調子で。
「無事、合流できてよかったですよー? 安全に帰れるよう、仲間を呼びましたので少しお待ちくださいなー?」
「高岡さん達が戻ってきています。友軍として護衛して頂けるよう要請していますので」
「高岡くんまで!? ……誰も、私の話を聞きやしないな」
静矢からの補足に真之は吃驚し、額に手をやると苦く笑う。そこへ青空が生命活性のアウルの光を降らせ、回復を重ねた。
失血や体力消耗までは取り返せないものの、外傷など大まかな治療はだいたい済んだと見える。
「ユナさんは、あなたのことが―― 父親のことが心配で、ここまで来てるのですよー?」
「……本当に、あの子が来ているのか?」
十六夜も言っていたけれど、それでもまだ信じ切れなかった。そうであったら、どれだけ嬉しいか――或いは悲しいか。怖いか。
自分でも感情がわからなくなっている。
「……真之さんは、あの後、ユナさんとちゃんと話をしましたかー?」
くるり、あほ毛が『?』マークをかたどりながら諏訪が尋ねる。
「それは…… どうだろう、な。無理はしないように、とだけか。私から何を言えるでもない。ただ、正式に撃退士となることで、私のようになってほしくない。それが怖い」
「想いってさ、言葉にしないと伝わらないよ? 伝わらなくって良いと思ってると、間違って伝わっちゃうから……確りと話をした方が良いよ……」
ひとまずの周辺警戒を終え、十六夜が戻ってくる。真之の正面へとしゃがみ込み、視線を合わせる。
「僕みたいに、伝えたいと思った時に相手が居ないのは悲しいから……」
「…………不破さん、と言ったか。君には?」
真之の問いに、十六夜は濁すように笑って首を振った。
「生きていることは確かなんだけどね」
そこで、背面の壁が崩れる。骸魔の炎魔法だ。真之が瓦礫の下敷きになろうとしたところへ、素早く静矢が滑り込んで支える。
「骸魔はこれで4体目……、5体全部倒しきれれば、あとは怖いものないんだけどねぇ!」
黎が回避射撃で援護をしながら、ここでも悠長に待っているだけにはいかないのだと舌打ちをした。
「真之は、じっとしてて! 絶対絶対、護りきるから!」
真之を背に回し、正面入り口から迫る屍鬼へ、青空が狼瞳で睨み付ける。
友軍を呼ばず、自分たちだけで帰還することも可能だったかもしれないが、現在の真之の様子を見れば、厳しいだろう。
守りながら移動するよりは、拠点で待ち構えていた方が対応もしやすい。
接近を許し、近距離で自爆されたらアウト―― それだけは、確かだった。
黎が反転し、バレットストームで自爆の暇も与えずに蹴散らした。
●
高台の入口へ、車が乗りつける。
高岡に支えられるようにして戻って来た真之を、ユナが飛び出して迎えた。
「父様……!!」
「ユナ、本当に…… 来たのか」
「ごめんなさい、迷惑になるって……考えもしないで……」
「ケガはしていないか。痛むところは。具合を悪くしてないか?」
「私は平気です…… おじさんが……皆さんが、守ってくれたから」
真之の額にこびりつく乾いた血に触れて、ユナが首を横に振る。
「かけがえのない家族なのだから、ユナさんが今日のことを、これからのことを後悔しないよう、今を大事にして、向き合ってあげてくださいなー?」
自身の方が満身創痍だろうに、真っ先にユナの心配をする父の背へ、諏訪が言葉を掛ける。
「……本気で父が大事でなければ、娘が此処まで来る訳がないでしょう」
場合によっては、それは叱咤の思いを込めるつもりだったセリフだったが、静矢の声にも安堵が混じる。
怖いと感じていたのは、他でもなく真之だったのかもしれなかった。
苛烈な戦場を幾つも切り抜けている静矢だが、再起不能に陥るまでの手傷とはどれ程の物か――負ってからの生き方は。まだ、知らない。
――撃退士として戦場に立つことは、諦めた方が良い。
そう宣告され、素質のある少女を娘として迎え入れながらも久遠ヶ原へ入れることを望まなかった本当の理由は、真之にしかわからない。
「ユナ……。ここまで来た気持ちを、ちゃんと真之に伝えるんだ」
ぽん。大きな手のひらが、ユナの背を押す。
龍仁へ一度振り向いて頷き、それからユナは父親へと向き直った。
「父様……。私は、父様を守れるようになりたいです。いつか父様のお力になれるように……。私に素養があるのなら、自らの意思で学び、撃退士としてお傍に戻れるよう」
「…………ユナ」
「最初は、父様が危険だと耳にして、居てもたってもいられず飛び出しました。でも、それだけじゃ、私には何もできない。そんなのは、厭です」
安全な生活を送るために、力を制御する術を学ぶ―― どちらかといえば消極的な理由で、編入を決めた。
けれど、この短時間で少女が目にし、耳にし、肌で感じたものが与えた影響は……とても、大きい。
「そこまで言ってくれるなら、反対する理由もない。ただ一つ…… 約束してくれ」
「はい」
「もし、学生総動員の大規模な戦いがあったとしたら…… 選択肢は、迷わず『1』を選ぶんだ」
その場にいた全撃退士が噴きだした。
「……さて、あとはケガの手当てだな。俺がいるからには掠り傷一つ残させない、全員集まってくれるか」
ユナが心の置き場所を見つけたこと。それがそのまま、龍仁にも普段の姿を取り戻させた。
「お疲れ様」
「……お疲れ」
離れたところで瓦礫に腰掛けていた筧へ、黎が歩み寄って微笑みかける。
「皆、無事でよかったよ」
「ん……、鷹政さんこそ、全力疾走の後の連戦で一番こたえてるんじゃない?」
「え、ヤダなんの――」
茶化そうとする頭ごと、黎が優しく抱きしめる。
自分のミスでユナを危険に晒して、それから各方面と連絡を繋ぎながらの車追跡。その慌ただしさは、いつかの六月を思い出させる。
「時間はあるみたいだし。ちょっと休みなよ」
「黎サン、当たってる」
「当ててんの」
「 」
絶句の後に、笑いがついてくる。
「ありがとう。いっつも、助けられてばっかりだ」
「私、『仕事』しかしてないよ……」
「そういうところ」
「が?」
「え?」
「『そういうところ』が、……何?」
そういえば、はっきりと言葉にしてもらったことが無かったような気がする。ふと思い立って、黎は突いてみる。
「えー…… ……好きです」
背後でシャッター音がした、振り返ると相模がいて、写メを撮られてネットワークに一斉送信されていた。
「……フリーランスって、皆あんななの?」
「俺と相模を同列に見たね? あんなってどんなですか」
●
ユナと千里が、キッチンで紅茶の支度をしている。
戦いを終えた撃退士は、そのまま六角邸へ招かれ、千里手製のケーキを振舞われることとなった。
「真之からの依頼を受けると、もれなく美味しいケーキが食べられるのか……?」
ぎゅうううと猫さんヌイグルミを抱きしめ、青空は瞳を震わせる。
「作って待っててとは言ったけど、本当に作ってるとは思わなかった」
「そういえば、菓子を作っていると不安が忘れられると言っていたな」
「「真之さん、それアカンやつや」」
誰というでなく撃退士の声が重なる。
ユナと一緒にお菓子を作って親睦を深めたということは、つまり千里夫人はそれまでどれだけ。
「ユナが出て行ってしまうと、また寂しい思いをさせてしまうな……」
妻と娘の談笑を聞きながら、ため息交じりに真之がこぼす。
「そういうことは、千里さんへ話したことがありますかー?」
「……いや? どうしてだ?」
「話してあげたら、きっと喜ぶと思いますよー?」
朴念仁へ向け、諏訪が苦く笑った。
(そう考えれば、妻や家族と学園で過ごせる私は幸運なのだろうな)
聞くとはなしに聞きながら、静矢は顎に手を当てる。
波乱万丈な毎日だけれど、今のところ離れて暮らす心配はない。
「筧さん、筧さん」
「うん?」
十六夜が、そっと歩み寄り耳打ちを。
「僕ね、学園で、生き別れの姉を探しているんだ。知り合った誼で、依頼料を少し安くしてくれないかな? 学園に居る事は確かだから難しくないよ〜」
「なるほど人探しか」
「……子供から金をとるのか、鷹政?」
「やだ強羅さん、振り向くまでもなく怖い」
ユナたちを手伝って紅茶を運んできた龍仁が、その後ろに立っていた。
「学園内の事で、俺が報酬を求めることはないさ。力になれることがあれば、いつでも話してください」
笑い、筧は十六夜の髪をそっと撫でる。
「言質とりましたよー?」
横を見ると諏訪がいて、動画に収められネットワークに一斉送信されていた。
「……久遠ヶ原の伝統か何かなの?」
黎が、呆れ笑いで肩をすくめた。
●
経緯があって、今があって、未来へと続いていくこと。
家族がいるということ。
家族になるということ。
それは、血の繋がりだけではない。傍にいるだけではない。
共に暮らすこと。離れて暮らすこと。
子供であるということ。
子供が成長すること。
別れが来ること。
それは時の流れにおいて自然な場合もあるし、意図しないタイミングの時もあること。
幸せばかりじゃないだろう。
それでも。
家族でよかった。あなたと家族になれてよかった。
絆という優しい鎖の重みが、いつでも何処に居ても、生きるための理由として、この世界へ繋ぎとめてくれている。