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高級住宅街に在る、六角邸。中世欧州貴族の邸宅かと思わせるような豪奢な建物だ。
門の前に、7名の撃退士が集っていた。
ダークグレーのスーツに身を包んだ筧が、改めて流れの確認を行う。
筧は昨日のうちに『応援を頼むことで期間を短縮し状況解決にあたる』という形で依頼者から承諾を得ていた。
「ユナさんを、家族と仲良く過ごせるようにしてあげたいですよー?」
櫟 諏訪(
ja1215)の言葉に、筧が小さく頷いた。
一行の到着を聞き付け、応接間へ六角真之が姿を見せる。
鍛えられた体つきにブランド物のスーツが似合っており、『遣り手』という雰囲気を漂わせている。
「昨夜、お伝えした『応援』です。こちらが――」
「鷹―― 筧と付き合いのある、フリーランスの常木です」
珍しくスカート。カジュアルなスーツ姿で、常木 黎(
ja0718)は薄く笑みを浮かべた。
「青空・アルベール、護衛任務なら任せてくれなのだ」
黎の隣に立つ、濃紺の着流しに大きな鈴を赤い紐で胸に提げた少年が人好きのする表情で名乗る。
「これはまた、随分とお若い……」
「外見と年齢と能力の不一致は、撃退士のお約束ってやつな」
皮肉に対し、青空・アルベール(
ja0732)は笑顔で切り返した。
握る手の温度。表情。言葉の端から感じるもの。微かな接触から出来る限りを引きだそうと、青空は真之の行動を伺う。
「若さであれば、負けるつもりはありませんね。雫と申します」
見た感じでは、ユナよりも年下だ。白銀の髪の少女・雫(
ja1894)は、礼儀正しく首を垂れる。
「あ、いや、失礼しました」
「櫟 諏訪と言いますよー! 短い期間ですがよろしくお願いしますねー?」
くるり、お辞儀をするように諏訪のあほ毛が旋回し、
「専属カウンセラーの強羅です。今回は、夫人と令嬢に面会できればと考えています」
落ち着いた物腰で、強羅 龍仁(
ja8161)が体を折った。
「初めまして、事務所員の鳳です」
筧の逆端に立つのが、鳳 静矢(
ja3856)だ。
「午前中は、夫人を含め、少しだけお話を。午後は少数で引き続きユナさんの護衛にあたります」
「どうぞ、娘をよろしくお願いします」
隙のない笑顔で、真之はひとりひとりと握手を交わした。
●六角真之
「……自分の目の届かないところに、大切な人をやるのは怖いよな」
応接間の椅子に腰を下ろし、青空が真之へと語りかけた。
「学校を休ませてるっていうのは、『目が届かないのが怖いから』ってことだろ? でもな、子供はいつか大人の手を離れていくもの。真之だって、ずっとずっと見守ることはできないだろ」
「……そう言われてしまうと、返す言葉も有りませんが」
「ユナさんの様なケースだと、御両親は学園に入れたがるって聞いたのですが?」
「それは、体のいい『押し付け』でしょう。己の手に余るから、我が子でありながら手放す……いえ、各ご家庭にも事情はあると思いますが」
茶菓子を食べ終えた雫の問いに、真之は大きく首を振った。
「私も旧制ですが撃退士の手ほどきを受けた身です。教え方は我流になりますが、娘を戦わせたいわけじゃない、充分でしょう」
「現行の学園は外部との連絡をシャットアウトしている話も聞きませんし、編入したからといって築き上げた物を壊す事は無いと思うのですが。真之さんは旧制学園の在籍中に何かあったんですか?」
「死と生の狭間、価値観の反転、背負い続ける業…… でしょうか。それは旧制も現行も隔てなく、学園生もプロも変わりなく、『撃退士』というカテゴリに属するものを縛りつづける『鎖』であると、考えています」
空になったティーカップをテーブルに戻し、雫は姿勢を正す。
「『鎖』……ですか。最後に一つ、訊ねても?」
「ええ、なんでしょう」
「奥様とは政略結婚だと伺いましたが、現在はどのような感情を?」
「はは、思い切ったことを聞きますね。良き妻ですよ。良き妻を、演じてくれている。望んで嫁いだではないだろうに」
●六角ユナ
短いノックに聞き覚えはある。私はゆっくりと顔を上げる。
明るい声。知っている、3日前の――
「こ、来ないでください!」
「怖がらなくて大丈夫、今日は僕一人だけじゃない。一対一で年上の男と籠りっぱなしは疲れるでしょう」
恐る恐るドアを細く開けると、隙間から背の高い女性の姿が見えた。
こじ開けようとはしてこない。
「常木 黎です」
背をかがめ、常木さんは私に視線を合わせた。
「ユナちゃん……って呼んでも良いかな?」
常木さんが、私に向けてそっと手を差しだす……握手だ。
(あ)
あの時も
筧さんの、手
その手を取ったら、遠くに連れていかれてしまいそうな―― 今まで、ずっとそうだったように
「よろしくね」
ふわり、惑っていた私の右手を、常木さんは両の手で温かく包んでくれた。押すでもなく、引くでもなく。
「あ、あの よかったら、入ってください」
怖い思いをさせてごめんね。そういって筧さんは去ってゆき、私は常木さんと二人きりでお喋りをした。
『力』のことも『血』のことも『家』のことにも触れない。
かといってはぐらかすでもなく、私が疑問に思うことを口にすれば、『彼女なりの』という前置きで、答えをくれた。
それからもう少しして、カウンセラーだという男の人がやってきた。
真っ白な髪に赤い瞳、顔を横切る一文字の傷跡が怖い印象を与えるけれど、声は穏やかで温かな雰囲気だなって感じた。
大きな手に触れると、不思議と心が軽くなった。
常木さんはずっと私の隣に居て、強羅さんとの会話を見守っていた。
それから、強羅さんは自身も孤児だったのだということを、話してくれた。
「今まで、よくがんばってきたな、ユナ」
髪を撫でてくれる手が、あったかくて大きくて、私は何日振りだろうか、それまでと全く違う意味の涙を流して、大声で泣いた。
「この後、おじさん達とケーキを作ろう」
「ケーキ?」
「籠っていると、気持ちが沈んでしまうからな」
その後、筧さんがもう一人のお兄さんを連れてやってきた。今日は、なんだか賑やか。
「いきなりアウルが発現したりハーフだと言われたり……大変だったね、ユナさん」
きっと強羅さんとお話しする前だったなら、私はまたパニックを起こしていたと思う。
けれど今は、『受け入れるべき現実』として、鳳さんの言葉がひとつひとつ、胸の中へ滑り落ちて来る。
何が、自分にとって『怖い』ことなのか……
つっかえつっかえ、要領を得ない私の言葉を、急かすことなく鳳さんは聞いてくれた。
●六角千里
人避けのしてある夫人の私室の前で諏訪が手短に事情を話すと、あっけなくそのドアは開かれた。
籠って居るという話だったが、身だしなみは整っており、聞いていた年齢よりずっと若々しい。
「ユナさんは、どんな人だったか、一緒にどんなことをしたか教えてくれませんかー?」
「……ユナ」
「今まで一緒に過ごしてきた千里さんなら、ユナさんのこと、ちゃんとわかっているはずだと思いますよー?」
威圧感を与えない諏訪の口振りに、千里の顔から血の気が引く。
「やはり、異能の力を持つ人は怖いですか?」
後ろから、雫が追いつく。
両手で顔を覆い、千里はゆっくりと首を横に振った。
「あの子は、大切な娘です。私の娘です」
「……ユナさんが実の親を見つけて付いて行き、この家で一人になるのが怖いのですか?」
「そんなこと『考えてもいません』」
「では――……どうして」
●四谷あかり
ユナが通っている学校は、いわゆる名門私立という部類で、金さえ積めば誰でも入れるとも言えるのだがユナはそんな中でもきちんと学業に励んでいたそうだ。
「それでね、あたしが赤点で困ってる時に勉強を教えてくれたのがユナなの」
いつも助けてもらってばっかり。
四谷あかりは、そう笑って――泣きそうな顔をした。
(あかりは『あの時』を覚えている……)
軽い雑談から入った青空だが、彼女の様子から確信した。
「あかり。もしも、もしもな。ユナが少し勉強の為に遠くに行っちゃうとしたら、あかりは待っててくれるかな」
「勉強? もっと上の学校へ行っちゃうの?」
「きっとユナは、あかりとずっと友達でいたいと思う」
「あたしだって、おんなじだよ! ユナがいなきゃ、楽しくないもん。止めてくれるのも、叱ってくれるのも、心配してくれるのも、ユナだもん」
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青空と諏訪、それに静矢が学校の聞き込みから戻る頃、龍仁と黎がユナと三人でケーキを作り上げていた。
「本格的ですね」
雫がウットリとため息を零す。
「仕上げは、ほとんどユナだ。大したものだな」
「母様とも、一緒に作るから」
ユナが照れた笑いを返す。
(さて、あとは――……)
母親である千里が、娘の作ったケーキを食べてくれるかどうか、だけれど。
どうやら杞憂だということを、龍仁は作っている間から感じていた。
賑やかなこちらの様子を見守る姿が、ガラスの反射で見えていたから。
火傷をしないか。指を切らないか。要所要所でリアクションが大きくなる様子は『母親』そのものだ。
簡単な茶会の場で、最後に諏訪が、あかりから受け取ってきたのだという手紙をユナへ渡した。
対面も可能だと静矢は伝えていたが、それはユナ自身が断ったためだ。
『大丈夫』になったら、胸を張って会いたいのだと、少女は意思を言葉にしていた。
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夕飯の支度をしながら、個々に得た情報を交換し合う。
「千里は、大丈夫だろうな」
「『ユナさんのために学園へ入れたい』というのが本音でしょうねー?」
鰹つみれ鍋の準備を進めながら、諏訪が龍仁へ同意を。
「物騒な物言いで部屋に籠るのは……真之さんへの体を張った抗議ということかな?」
「あんまり考えたくねーだけど、その線が濃い感じな」
「一人だけ、やたら異質だったね」
静矢の推測に青空が頷き、黎が嘆息する。
「……あの人だけ『家族』として接していないように、思いました」
雫が妻への感情を聞いた時、彼の目は笑っていなかった。
「かぼちゃの煮つけ、鮭とキノコのホイル焼き、天ぷらの盛り合わせ…… 鍋と一緒なら、こんなところか」
「わお、強羅さん、豪勢!!」
「……鷹政、冷蔵庫にビールと豚肉ともやししか入っていないのはどうかと思うぞ」
そうして賑やかに、明日に向けて時間は流れていった。
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夜中。
玄関先で紫煙を燻らす背中があった。年季の入った黒塗りのパスケースに目を落としており、こちらに気づく様子はない。
「強羅さん。うち、オートロックだよ」
少し迷ってから、わざとらしく筧が呼びかけた。パスケースを閉じ、龍仁が振り返る。
「起こしたか」
「起きてた。俺にもちょうだい」
「お前、煙草なんて吸ったか?」
「そっちこそ、普段は電子タバコじゃん」
「…………」
ロの字型になっているマンションの、吹き抜けに面したコンクリートフェンスに肘を乗せて互いに正面を向いたまま、沈黙が続く。
闇の中、二筋の煙だけがフワフワと昇ってゆく。
「『両親』を知らぬ子にとって『親』の存在は特別だ」
それは、血筋の発覚した少女の事であり、それから――。
「……馬鹿な男の昔話でも聞くか?」
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翌朝。
大広間へと、全員が集められた。
「日本国内の撃退士のほとんどは、『久遠ヶ原学園』という養成機関を経てプロになるわけですが。必ずしも『入学したからといって撃退士にならなければいけない』わけではないんですよね」
「たとえば『一時的な学園編入』ということも、可能です」
筧が切り出し、静矢が説得に掛かる。
「真之さんが所属していた頃と今の学園は、随分違いますよ」
生徒の自主性に重きが置かれていること、戦うばかりが訓練ではないこと。
「それに。ユナさんに関わる事で貴方が倒れたら、それがユナさんにとって一番の悲しみになるのでは?」
「父様が、私に関わることで?」
「お前は気にしなくていい。鳳君、といったね。私がついている限り、万が一のことも」
「……嘘! 真之さんたら、嘘ばっかり!!」
声を荒げたのは、千里だった。
「ユナは、六角の家の子。安全を一番に考えるなら、この方たちの言に託すことが」
「お前に何がわかる」
「わかっていないのは貴方よ」
常にない両親の諍いを前に、ユナが震える。黎はその小さな体を抱きしめ、背をトントンと優しく叩いた。
「ユナ。家族が大事なら、自分の気持ちをきちんと伝えるんだ。大丈夫、わかってくれる」
その隣で、龍仁がユナへ告げる。
「でも あんな父様の姿、初めて……。私の、せい」
「大丈夫、おじさんもついてる」
真剣な眼差しに背を押され、少女は小さく頷く。
「父様、母様、……私のわがままを、聞いてくださいますか?」
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(親子になるってすごく大変なこと。血が繋がっているかとか関係ねーのだ。……でも)
顛末を見届け、それでもスッキリしない感情を青空は抱いていた。
ユナと千里、二人に押し切られる形で、真之が折れることとなった。
数日のうちに、ユナは久遠ヶ原学園へ編入となる。
家族を、友人を、大切に思うから『力』の扱いを学びたいとユナは言った。
ユナの実の親の件はハッタリ半分だが『現れたら、どうなることか』という可能性は、皆無ではない。
その時、真之では護りきれないと千里は冷静に判断していた。それは、ユナを想えばこその事。
そこまで言われてしまえば、真之も反論はできない。
(離れても……ユナさんと千里さんは、きっと大丈夫だと思いますねー……)
無理にユナを手元に置こうとしていた真之の真意だけは測りかねる。
釈然としないのは、諏訪を始め皆が同じだ。
かといって、その真相へ辿りつくには至らなかった。
「おじさん!」
去り際に、姿を消していたユナが小さな包みを手に駆け寄ってくる。
「お世話になりました。お菓子作り、楽しかったです。夜に、残った材料で急いで作ったから皆さんの分まではなくって、その」
龍仁だけに、内緒で。
「一人で作ったのか?」
「えへへ」
母様と。
少女ははにかみ、可愛らしいチョコレートをカウンセラーの手のひらへ。
「複雑な家族関係ですね……」
六角邸を後にし、雫だけが逆方向へ進み始める。
「え、雫さん、何処へ?」
「四谷あかりさんへ現状をお伝えしようかと。気にしているでしょう」
ユナが久遠ヶ原へ行っても、文通や電話など交流は続けられる。
大切な親友で、これからもいてほしいから。
(『大切な人』に疎まれるかもしれない不安と恐怖、か……。でも私は救われた。彼女も救われて良い筈)
「うん?」
「んー、別に」
何の気なしに見上げれば筧と目が合って、黎はフイと逸らす。
「似合うねスカート。たまに履けばいいよ」
「筧さん、セクハラ発言減点1です」
「雫さん地獄耳なー!?」
綺麗ばかりが、世界を作っているわけじゃない。
自由の全てが素晴らしいわけじゃない。
繋ぎとめる鎖を必要とすることもある。
『フリーランス』たちは各々の思いを胸に、ゆっくりと歩き始めた。