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「花の匂い、……なぁ」
死んだ魚の目をして、恒河沙 那由汰(
jb6459)が空を仰ぐ。
青さが目に沁みる。
何処からが敵の術中範囲なのか探ろうとしたが、ラインが可視化しているわけではなく特定は困難だ。
(この怪我じゃ、一緒にいっても足手まといにしかならないな)
対して、日下部 司(
jb5638)は力の入り切らない己の拳へ視線を落とす。
先の戦いの傷が癒えきっていない。
「少なくとも、この辺りは無事みたいだね」
「バスに集めたところで、バスごとごっそり持って行かれる懸念もありますね。状況によると思いますが、外からも警戒しておきます」
無線機の調子を互いに確認したところで、天宮 佳槻(
jb1989)が司としっかり視線を合わせた。
「一定以上の特殊抵抗値があれば、簡単にはかからないのではと考えているのですが……」
それから、当初運転手を務める予定だった、先遣の陰陽師へとスライドし。
「最悪の時は、僕が日下部君を重体に落とすから安心してー?」
「……そんな必要がないよう、素早く任務を達成しましょう」
深緑の目を伏せ、佳槻は吐息した。笑うに笑えない冗談だった。
どちらにせよ、バス内に撃退士が二名待機していることは、心強い。
依頼に同行しないとの話だったが、『戦いには参加しない』という意味だったらしい。
そういえば『陰陽師が借り受けたバスで待機しており、連絡を受けることで人々を搬送するため駆けつける』とあったか。
「相変わらず暗躍してるな。……どれ、一丁挨拶してくるかね」
ロープを肩に掛け手を打ち鳴らし、向坂 玲治(
ja6214)がは口の端を歪めた。
――権天使・ヴィルギニア。
微笑みの修道女が振るうレイピアの、その威力を文字通り青年は『身をもって』知っている。
(無闇に、力をひけらかす相手じゃねぇ……)
『会話の余地はある』、そう踏んでいる。
もっとも、素直に考えを話すわけもないだろうけれど。
「オーダーは『一般人の保護』、それだけだと考えれば軽いんだけどね……」
念には念を。多めのロープを携行するのは常木 黎(
ja0718)。
逮捕術に類する体術の心得は有るから、武器を手にしていると言えど『一般人』相手ならば負ける気はしない。
(天使…… や、それ所じゃない、か)
根源の影が見えていても、目標がブレてしまえば全てを逸しかねない。
雑念を振り払うように、黎は踏み出した。
●
のどかな町に、鳥の鳴き声、葉擦れの音、それから人々の怒号が響き始める。
「これは酷い……、早くなんとかしませんと!」
目にした光景に、長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)が息を呑んだ。
人と人が、武器を手に争い合う―― そこに、なんの意思も介在せず。
血にまみれ、呻きを上げ、それでも倒れることをせず。
「みずほさん、刻印を」
御堂・玲獅(
ja0388)が手を掲げ、聖なる刻印を付与する。
「ありがとうございます。――一刻も早く、止めますわ!!」
人々の波へと、みずほは飛び込んでいった。
「最少労力で最大効果を狙うのが一番だな……」
視察を兼ね、闇の翼で上空から同行していた那由汰が集団の上空で磁力掌を発動、ボウガンの矢を一手に集める。
隔てるもの何一つない空へ、凶器は文字通り吸い込まれていった。
「!? いくらなんでも集まりすぎだろ……!!」
脇に大量の矢を抱え、放り投げるわけにもいかず那由汰は悪態を吐く。
射手は矢が消失していることに気づかず、射出の動作を延々と繰り返している。しばらくは放置していても大丈夫だろう。
「――風神よ、集え!」
「うわっ、軽くなった!?」
佳槻は、自身を中心とし韋駄天を発動する。
足元が軽快になり、紫ノ宮莉音(
ja6473)は二度三度まばたきをしてから為すべきことへと向かう。
(とにかく早く助けなくちゃ。こんなふうに普通の暮らしが脅かされるのは、絶対、許しちゃいけないんだ)
瞼の裏には『脅かされた普通の暮らし』が浮かぶ。取り返すのに、何年もかかった。
「まずは、血を止めないと……」
癒しの風を吹かせ、莉音は場を整える。
「こいつはいいな、礼を言うぜ」
顎を上げて佳槻へ一言、そうして玲治も地を駆ける。タウントを発動し、攻撃を自身へ集中させる―― その頬を、刃物が掠めた。
「――どう」
どうした?
その言葉を続ける必要は、無かった。
「マジかよ……」
――ある程度の時間、嗅ぎ続けると催眠状態に陥らせる匂い
――神社周辺に強い花の香りが漂っている
――『それ』は撃退士にも影響を与えている
ミーティングルームで、依頼を斡旋した担当職員の言葉が蘇る。
サバイバルナイフを手に、玲治に相対する黎。
その目は、生気を失っている――術中に落ちていると、見てすぐに分かった。
●
その頃。
「何してるんだい?」
連絡待ちのバス組。
陰陽師が、運転席の司を覗きこむ。
「洗脳が、花粉や香りによる可能性もあるかと考えまして。窓は全部締切、空調は室内循環に設定すれば……少しは変わりませんか?」
「うーん……。たとえば、ダアトの『スリープミスト』って、扇風機でかき消せるかなー。試してみて悪くはないだろうけどねー」
(バスの中が、絶対に安全というわけじゃない……。バスは、短時間の移動・回収で済むだろうけど……)
あの場所で、戦い続ける仲間たちはどうだろう?
●
「ちぃ!! 予定変更だが、まとめて引き受けてやる!」
玲治が吠え、催眠にかかった撃退士たちを一手に集めた。連携を取ろうとそれぞれに立ち位置が近かったことが、不幸中の幸いか。
タウントとシールドをフル活用であらゆる角度からの攻撃に対応する。
「悠長にはしていられません……ね」
玲獅は玲治の背後を護るように割って入り、一般人からの攻撃をその身で受け止めた。
「ここで妨害が入ったら、一巻の終わりですわ!」
みずほはフットワークを駆使して、手斧を握る手首を打ち据えては神社を背へ回すように位置を変えてゆく。
万が一、境内から天魔が飛び出して来ようものなら、すぐさま対応できるように。一般人へ、その刃を届かせないように。
「邪魔はしないでくださいまし!」
みずほの発する声は鋭く短く、降り注ぐ武器を拳で打ち払い、その力加減に最善の配慮をして。
玲獅は攻撃を受け止めながら、異界認識で『人』が『人』であるか、確認していく。
(『撃退士は人々を護りきれなかったという事実作り』の為に、サーバントを紛れ込ませるかとも考えたましたが……)
今のところ、その様子はない。
ふ、と玲獅が周囲を見渡す。
ずっと催眠にかかりつづけている仲間もいれば、波のように正気に戻り、またかかる―― そんな仲間もいる。
(香りの強さが、波のよう……。関係があるのでしょうか)
(何の、香りやろ)
とぎれとぎれの意識の中、莉音が考える。
甘いような、揺らめく炎のような、香りの波。
莉音は飲んだことが無いけれどワインのそれや、香水のようにも思える。
例えるのなら――漠然と『花』という単語。
その強弱によって、時として強い眩暈に襲われる。
気づけば武器を振るい、何者かに襲い掛かっている。
「玲治さん!」
「起きたか?」
ハッとなった瞬間、ニヤリと意地の悪い笑みが莉音を迎えた。
「これも敵の手の内だ、仕方ねぇ。せめて、狙うのは俺だけにしとけ」
「すごい口説き文句……!」
「言わせんな恥ずかしい!!」
口調こそぶっきらぼうだが、懐の広さが伺える玲治の言葉に、莉音は安心と共に申し訳なさに襲われる。
(できること、しっかりやらなくちゃ……!)
争いは、まだ止まない。
引き付け役に攻撃が集中しているところへ、莉音は大きく息を吸い込んだ。
「わーーーーっ」
なんて叫ぼうか悩んだ末の、シンプルイズベスト。
少年の咆哮で、人々が一瞬だけ散り散りになる。
すかさず、佳槻がネットを投じた。
――その様子を受け。
「予定には、ありませんでしたが…… 何事も、物は試しですね」
玲獅は目覚める気配のない黎に対し、アウルの刻印を。
「……ッ!? あれ……?」
「ようやく、お目覚めかよ」
「もしか、して……」
状況を把握し、黎の鼻先がカッと赤くなり――そして、青ざめる。
まさか。
「刻印の有効時間は長くありません。今のうちに」
「――これ以上の『最悪』は不要さ」
苦々しく舌打ちをして。黎は、地へ転がる人々の捕縛へ対応した。
「多少の怪我は勘弁してよね?」
後ろ手に、ややキツく縛り上げ。いずれ、回復魔法や病院での手当てが待っている。
今は、それ以上の怪我をさせないことが肝要だ。
(ったく…… どれだけ寝てたってぇの!)
恥ずかしくて聞けやしない。しかし、催眠にかかっているのは自分だけではなく――莉音や那由汰といった面々も断続的に陥っている。
撃退士が撃退士を襲う。
夢にだって見たくない光景だ。
(玲治くん……、全部受け止めてたのか)
玲治が撃退士の相手を、玲獅が一般人の相手を引き受け、その間にみずほと佳槻が武器の取り上げなどに集中していた。
ゆえに、動きを完全に封じることはできていない。
地面に落ちていた木刀を手に、黎は襲い掛かる鉄パイプを剣道の巻き技の要領で弾き落とす。
「常木さん、大丈夫ですか?」
「それ以上、聞かないで……。覚めた。仕事で返す」
案じる佳槻の眼差しに、居たたまれずフイと顔を逸らしつつ。
「それにしても、最近の天使の動きは妙ですね」
「妙?」
「恐怖や幻惑での支配、……あるいは資源の独占を狙っているような」
「資源……『人間の感情』でしょうか?」
会話へ、玲獅が参加する。バスへ連絡は入れており、到着するタイミングに捕縛も完了するだろう。
「人々を争わせるのは、争いの中で人々から生じる感情を収穫する意図も含まれる……そういったことでしょうか」
「いや……一般人だけなら、撃退士に効く程強力じゃなくていいはずだ」
額を押さえながら、那由汰が降りてくる。
幾度も催眠と覚醒を繰り返し、都度都度、術中に落ちた味方を引き剥がそうとしたが思うように動きが取れず。
辛うじて、斧やナイフといった金属の凶器を磁力掌で回収し終えていた。
「仮に人間を支配できたとすれば、自分の力を削って使徒や奉仕種族を作る必要もなくなりますよね。
人を盾にすれば、撃退士も動かざるを得なくなります。悪魔と戦わせる駒も得る=資源にならない撃退士も使える……という線は?」
やり取りを背に、玲獅は縛り上げられてなお暴れる男性へ『現世への定着』を試みるが――特に変化は見られない。
(ゲートによる吸収を阻止するスキルですから…… 結界内でも無い場所では効力はありませんか)
乱闘のさなか、玲獅は思いつく限りのことを試してみたが、有効と感じられたのは『アウルの刻印』――特殊抵抗の上昇。
そこから考えれば、バッドステータス付与のスキル、と導き出せるが……それにしたって、悪質だ。
威力が強い。
「急いで! 早く!!」
バスの到着と同時に、切羽詰った司の声が飛んできた。
●
運転中さえ、途中から一気に意識が危うくなった。
そう司から聞いて、撃退士たちは一斉に一般人たちの搬送を始める。
「シートベルトで固定すれば、かなり安全だと思います」
人々は、気を失ったままか暴れ続けるかのどちらか。
固定された順に、玲獅が癒しの術を掛けていく。
「バスは発車できるけど…… どうする?」
花の香りは、まだ消えない。
黎の問いかけに、玲治が思案する。
一度も催眠にかかっていないのは玲獅だけ。佳槻や玲治でさえ、正気を失う瞬間があった。
「俺は弱ぇ……。それはわかってる……」
絞り出すように声を発したのは、那由汰だ。
「けどよ、このまま、何も手にしねぇで戻って…… いつまた『同じことが起きるか?』って俺より弱ぇ奴らが怯えて暮らすのは……違ぇだろ……」
「それで、居残り組が全滅したら? バスは、直ぐに戻ってこれるわけじゃない」
言いたいことは、わかる。
わかるけれど、その那由汰の命だって『たったひとつ』であることを黎は知っているから、シビアに返すしかない。
「一人だけのミッションじゃないんだよ」
「一人だけじゃなけりゃ、良いんだろ」
那由汰とともに、玲治がバスを降りる。
「あ! 僕も」
「がっつがっつ、催眠掛かってたじゃねぇか!!」
ヒョイと莉音も飛び降り、思わず玲治が叫んだ。
「それなら、僕も残ります。距離を取りますから、万一の時は駆けつけるか放置か、良い具合になるでしょう」
止めても聞かないのだろう、黎は説得をあきらめる。
「バス内の警護はお任せくださいまし。……皆様も、どうぞご無事で」
みずほの言葉を最後に、バスのドアは閉まった。
●
「今回が時間稼ぎなら、そんなに近くに重要なものはないのだろうけど……。花の香りのもととか、ないかな?」
ステップを踏むように、莉音は神社へと向かう。
その先に人影がないか、気を付けながら。
後ろを、ゆっくりと那由汰が追う。
木漏れ日が差し込み、昼寝でもしたくなる佇まいの神社だ。
「香りねぇ……」
花の香り。
今となっては、そのフレーズそのものに惑わされていた気がしてならない。
那由汰は手のひらに収束した風の球を、社の裏手に向けて放つ―― 菫色の修道服が、ひるがえる。波打つ、銀の髪も。
――バッドステータス付与のスキルにしては、威力が強い
――権天使、ヴィルギニア……
風が止むとともに、香りが消えた。
「あのまま、戻らなかったのですか?」
「……よぉ。ここに、あんたらしい影があるって聞いて、会いたくなってな。神社たぁ宗旨替えか?」
軽い調子で、玲治が声を掛ける。
権天使と撃退士たちは、それ以上の距離を縮めることはできなかった。
慈愛の笑みを湛えながら、所有する力による威圧感が、近づけさせない。
「全員が市街地へ移動したのなら、追うのも一興でしたが」
「時間稼ぎにしてはやる事はえげつねぇな? 何が目的だ?」
「あら、手際の良さには定評があるのですけれど。……遊び過ぎるのも、考えものですね」
後方から、彼女の護衛と思しきシスター姿のサーバントが数体、現れる。
撤退するのだと、気配で察する。
しかし。行かせるか、と飛び込むものは居なかった。それだけの余力も戦力もない。
気配が遠ざかるのを見送り――
「あの『香り』は……あいつの意思次第ってことか」
ガシガシと金髪をかきむしり、那由汰が呻く。
「あのまま、町に来てたら」
想像し、莉音は自身の肩を抱いた。
「手際…… 遊び…… 何がしかの『準備』をしてるってことなんだろう、な」
「藤里町での『花の香り』は、彼女の痕跡ということですよね」
無事を確認し、駆け寄った佳槻が輪へ加わり。
「学園へ持ち帰って……全部つなげて、何か見えてくっかね……」
交戦とならずに済んだことに安堵しつつ、玲治は山を振り返り仰いだ。
空の青さが映え、目に染みた。