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地面が、揺れる。先程までは聞こえていなかったはずの、枝葉が折れる音がする。岩が砕ける音がする。が、それはつまり、己の命を奪うために死神が迫っているという事だ。
先程までは、肉食獣の狩りのようなものだった。音もたてず静かに忍び寄られた誰かが、一瞬の悲鳴の後に静かに息絶えていく。
が、今は違う。今行われているのは、圧倒的な強者による虐殺だ。逃げたとしても逃げきれず、抵抗も許されず、一方的に行われる鏖殺だ。その恐怖に耐えられず、数人の登山客がその場から逃げ出そうとした瞬間。
「撃退士が来たから安心してね!」
澄んだ声が、森の中を通り抜けた。明瞭に響いたその声に、パニックを起こしかけていた登山客たちが落ち着きを取り戻す。
助けは来た。しかし、此処からだ。緊急事態であり、出動出来た撃退士はたった六人。たった六人で、何人の人間を救う事が出来るのか。
いや。言いかえれば、たった六人では何人の人間を救えないのだろうか。
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「敵を倒すまで動かないでね!」
どこに隠れているか分からない登山者たちに再度警告を与え。Robin redbreast(
jb2203)は魔具を手に一息吐く。完全ではないが、何も準備を行わずに戦闘を開始するよりはマシだろう。
その隣では六道 鈴音(
ja4192)が用意した阻霊符を木に張り、周囲の様子を探っていた。
透過が出来ないならば、森とはその面積全てが鳴子で構成されているようなものだ。どのように動こうと音が発生し、対象の位置を大まかに把握させてくれる。が……
「うーん……困ったわね」
形の良い眉をへの字にゆがめ。六道は小さくため息を吐く。確かに、敵の音は聞こえる。が、殆どは枝が激しく折れる音、大地に荒々しく重量物が叩きつけられる音でかき消されてしまう。
オグルだ。その巨体がただ動くだけでも、成人の膝ほどしかないトロルの動く音はかき消されてしまう。敵全体の位置把握は諦め、六道とRobinはそれぞれの得物を握りしめた。
今できる事は、とにかく敵の数を減らすことだ。この少数では、それ以外に登山者たちの被害を減らす方法が無い。いや、もしかすれば時間を掛ければ何か別の方法を見つけられるのかもしれないが。
「時間がありゃ色々準備できたんだが、ない物ねだりだな」
スナイパーライフルを背負い。ラファル A ユーティライネン(
jb4620)が嘆息する。軽く足を蹴り出せば、先程まで染み一つ無かった真っ白なふくらはぎが裂け、骨の代わりに組み込まれた鋼のフレームが姿を見せる。ギリギリと装甲が広がり、ガチリガチリとギアが噛みあい。そうして現れた機械の四肢を以てして、身軽に大木の幹を駆けあがっていく。
「あら、どこ行っちゃうの?」
木の幹に鋼の爪を喰い込ませながら人間が枝葉の中に潜り込んでいくのを見送って。六道が、小声で問いかける。
オグルが迫る轟音が近くなってきている。つまり、トロルも接近しているという事だ。これ以上大きな声は出せない。
が、六道の質問が聞こえたのか否か。答えはすぐに行動で示された。荒々しく枝葉が蹴り払われ、鈍く響く機械音と共にラファルが現れたのだ。背負っていたスナイパーライフルを引き抜き、姿を隠す様子もなくどっかりと腰を落ち着け。ガチンとボルトを引いた。
「なるほど、囮になってくれるわけだね!」
くりくりとした碧の目を輝かせ。ラファルとは逆に、Robinは側にあった藪の中へひっそりと潜り込む。一瞬チラリと輝いたのは、彼女が首から下げた青銅のシンボルだろうか。
「…………」
一人は囮。もう一人は囮を利用した奇襲攻撃。そんな二人を数度見た後、六道は小さく頷いた。
「つまり、私は遊撃手って事ね」
腕を大きく振り、袖から引き出すのは数枚の護符。八枚を指の間に挟み、トロルやオグルが現れるであろう正面を見据える。
「さぁ。一匹でも多く倒して、一人でも多くの人を助けないと!」
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「どうした。掛かってこないのか?」
つい先程穿ったばかりのトロルの死体を前に。鳳 静矢(
ja3856)は敢えて隙を見せる様に、開いていた魔導書を荒々しく閉じた。しかしその音に反応したトロルは僅か一匹。他はただひたすらに藪に踏み込み、岩をひっくり返し、登山者を探す事ばかりに集中する。それぞれの位置も大きく開いており、範囲攻撃で一掃する事も出来ない。
「なんとも厄介な」
周囲を走り、一体一体のトロルを撃ち倒しながら。ファーフナー(
jb7826)が微かに眉を顰める。恐らく、敵には範囲攻撃を警戒する程の知識は無い筈だ。ただ、登山者を一人でも多く殺す為に散開しているだけなのだろう。それでも、数で劣る撃退士達にとってこの戦況は歓迎できるものではない。
「ガッ……!」
撃退士達のフォローできない位置で、トロルに見つかった登山者が木の洞から引きずり出される。そこに二、三体のトロルが群がり、棍棒を振るう。
「やめろ!」
ファーフナーは即座に射撃を行おうとし……その照準が、一瞬迷うように揺れた。穿つべき標的と、護るべき標的が交錯し、どちらかを撃てば必ず両者が貫かれる位置だったからだ。
「……!!」
それでも。ファーフナーは、引き金を引いた。それを止めようと走っていた鳳も。
「…………」
一度視線を下げ。しかし、ファーフナーと共に攻撃に加わった。トロルの大きな鼻に弾かれた攻撃もわずかにあったが、殆どが的を外すことなく吸い込まれるようにトロルを貫く。
が、残されるのはトロルの死体ばかりではない。既にトロルの書劇で命を奪われており、二度と動くことが出来ない登山者の遺体も残るのだ。
トロルを優先的に撃破する。決してこの戦い方は間違っていない。これが間違っているというのであれば、登山者達を呼び集めて護りながら戦えばよかったか? あり得ない、ナンセンスだ。そんな事をすれば、トロル達は獲物が集まったことに歓喜しながら襲い掛かって来ただろう。オグルは嬉々として巨木を振り回し、その場に残るのは登山者だった肉塊と、撃退士達だった血だまりのみだったことだろう。
この判断は、間違っていない。トロルの殲滅を優先することは、現場の数少ない選択肢の中では最善に限りなく近い判断だ。しかし、登山者達全員を助ける事は出来ない。
鳳が己の得物を握りしめた。その目に鋭い怒りが芽生え、しかしゆっくりと消えていく。
(せめて他の登山者達をすぐに助けたいところだが……まず安全を確保せねばな)
怒ったところで状況は好転しない。むしろ、悪化するばかりだ。それ故に、彼は次の敵を求めて走り始める。敢えて目立つように、敢えてトロル達の気を引くように。
自分が目立てば、少しでも登山者達への被害が減るのだから。しかし、走り始めた彼の目の前に、頭上に繁る木々を引き裂きながら巨木が振り下ろされる。
「む……!」
『ゴォアアアアアアア!』
オグルの振り下ろした巨木が、咄嗟に下がった鳳とファーフナーの鼻先を掠める様に叩きつけられる。その一撃で岩が跳ね、木々が根ごと引き抜かれ……陰に隠れていた、数人の登山者達が露わになる。
「ヒッ!」
咄嗟に逃げる事も敵わず、頭を守ろうと手を上げる登山者達に向かって。オグルが再度攻撃を加えようとし……
「やらせるものか。黙って突っ立ってろ!」
濛々と舞い上がった土埃を引き裂いて。黒い影が飛び出した。金属の光沢をもつアサルトライフル。その銃身を握りしめて。全身すべての膂力を以て、振り下ろす。狙いは、オグルの指だ。
『ゴアォォォオオオオ!?』
オグルが悲鳴と共に大木を取り落す。が、殴りつけた側も無事ではない。アサルトライフルが折れ砕け、光となって空中に溶け込む。代わりに現れたのは、亀の甲羅のような盾。
その持ち主は、ミハイル・エッカート(
jb0544)。先程までは周囲の繁みに隠れるようにトロルを攻撃していたが……それも、我慢の限界だ。
自分の指に痛打を与えた人間を、オグルが遥か高みから見下ろす。その程度の視線に怯える程ミハイルは弱い人間ではない。が、威圧感を感じないわけではない。
「……行けるか?」
ほんのわずかに後ろを確認。鳳とファーフナー達が登山者達を退避させようとしている。が、既にオグルが距離を詰め始めている。トロルの数はかなり減ったが、このままではオグルに襲われる。故に、拳にアウルを集中し……
「そこ!」
ミハイルが一歩踏み出す前に、オグルの後頭部に幾つもの火の玉が叩きつけられた。それに驚いたオグルが振り返れば、次は顔面目がけて血走った目玉型の魔法弾がぶつけられる。
『グオォオアアアアアア!?』
「目には目を、だよ」
藪の中から突き出していた細腕がゆっくりと引き戻されていく。聞こえた声は、恐らくRobinのものだろうか。藪の隙間でチラリチラリと銀色の髪が光り、すぐに見えなくなる。
代わりに飛び出したのは六道。先程後頭部に叩き込んだものと同じ魔術攻撃をオグルの体目がけて連続して放つ。が……
「自己回復能力があるのか。コイツはやっかいね」
火球が命中し、確かに一瞬はオグルの皮膚は焼け爛れる。が、それも即座に修復され、後から生えてくる毛で覆われてしまうのだ。
「思った以上に頑丈だな……」
一般人を危険範囲から遠ざけ。戻って来た鳳が、その様子を見て嘆息する。あの再生速度では、撃退士一人や二人の攻撃であれば問題なく耐えてしまうだろう。
「やはり牽制も難しいだろう。トロルの殲滅が最優先だ」
それぞれの撃退士達は頷き、オグルを警戒しつつバラバラに散っていく。
万が一彼らがオグル攻撃を優先していれば。その隙に、トロルは登山者たちを殺しつくしていたことだろう。
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「ひー、ふー、みー、よー……ま、こんなもんか?」
蜃気楼が上がるほど熱を持ったスナイパーライフルを無造作に背へ戻し。ラファルは、陣取った木の近くに集まったトロルの死体を数えていく。
幾ら狙撃しても自分に興味を示すことは少なかったが、その分射的大会のように叩き込むことが出来た。周囲に倒れているトロルは、六道やRobinが仕留めた分も含めて十体程。少し離れたところで戦っていた三人が仕留めた数もそう変わりはすまい。となれば。
「親玉を殺しに行くとしますかね」
二言三言呪文を唱えて、身軽に木から飛び降りたその姿は。まるで背景に溶け込むようにして見えなくなった。
「おそらく、これで最後だ」
倒れたトロルの鼻を蹴りつけ、ミハイルが頷く。それを確認し、撃退士達はじわりと包囲網を縮めた。
最後に残ったのは、予定通りオグルのみだ。Robinの執拗な狙撃でその片目は潰れており、ファーフナーの斬撃で両膝をついている。それでもなお、巨木を振り回す腕力は残っているのだが。
「とはいえ、それも長くはもたないだろう」
振り下ろされる打撃を掠ることも無く躱し。鳳がオグルの攻撃を一手に引き受ける。時折焦れたオグルが範囲攻撃を仕掛けようとするが……
「そいつは通らねぇぞ、デカブツ」
初動を、ミハイルが潰す。オグルの腕が振り上げられるよりも、ミハイルがアサルトライフルの銃床を叩きつける方が圧倒的に早いのだ。
「目は潰した、脚も動かない……でも、念には念を入れるわ」
さらに。オグルの背後から六道が迫る。両腕を光らせ、紫電の蛇を奔らせて。
「これで、どう!」
普通の天魔ならば一撃で混沌する様な雷撃が、オグルの背中へと叩き込まれる。が……オグルは、一切止まる気配を見せない。むしろ煩げに巨木を振り回し、六道を追い払う。
「あれだけの巨体だと、デバフもなかなか効かないみたいですね」
想定以上の耐久力だと、Robinが軽く首を振った、次の瞬間。
「さて、古の神々のお出ましだぜ。行け!忌まわしき敵を撃ち滅ぼせ!」
「いい加減不愉快だぜ、その顔」
『グァァアアオオオオ!?』
恐らく、二つの攻撃が放たれた。一つは視認できた。ミハイルの放った巨人の拳撃のごとき一撃がオグルの胴体を貫いたのだ。しかしもう一つは、ただ弾丸を放ったものが軽く声を出しただけ。次の瞬間にはオグルの残っていた眼が潰されており。
「決着だな」
それぞれが得物をヒヒイロカネに戻した瞬間。オグルの巨体が、森の中へと沈み込んだ。
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幾人もの登山者達が、到着した救助ヘリへと乗せられていく。しかし、全員が無事生還できるわけではない。
あるものはトロルに襲われ。あるものはオグルの攻撃に巻き込まれ。失われた命も、決して少なくは無い。
撃退士達も、久遠ヶ原に戻るヘリへと帰っていく。せめてあと数人の撃退士が動くことが出来れば。あと数時間準備の時間が残っていれば。この結果は、変わっていたのかもしれない。
「けれど、いくら望んでも結果は変わらない……」
運ばれていく担架から垂れ下がった登山者の腕を見て。撃退士達が、誰ともなく呟いた。