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懐かしい名前だ、と紅香 忍(
jb7811)は悪魔が口に出した名に反応するように、しばし彼を見上げる。
リーン。かつて種子島で活動していたヴァニタス。忍が撃ち滅ぼした、もう会えない相手。
数秒ほど悪魔を見ていたが、その視線に悪魔が気付く前に隣から発せられた烈火の如き怒号。そちらに悪魔の意識は向かい、忍自身も特段それを気にすることなく赤黒い蛇の痣を身体に浮かべる。
「調子に乗りやがって…!」
「遊びたい? 興味がある…? ふざけるなァ!」
声の主は天羽 伊都(
jb2199)と大炊御門 菫(ja0437)だ。
二人の心を染め上げる色は、強い怒りと、悔恨。
天界が横浜でゲートを開き、まだ半日も経っていない。
阻止できなかった、という事実だけでも自身の無力を実感するには十分だというのに、追い打ちをかけるように今度は冥魔がゲートを開いた。
それも、大規模な戦いの陰に隠れてこちらの目を盗むように、何の邪魔もなく、だ。
守りたかったものがある、取りこぼしてしまったものを悔やむ心がある。
勝手気ままに人を襲い、それを護るため懸命に戦う撃退士達を侮辱し嘲笑うような行為が、どうしても、許せない。
「なぜ貴様らは私たちの世界をこうも自分勝手に荒らしまわるのだ!」
今にも悪魔へ殴りかかりそうなほど強く拳を握りしめる様子に、鳳 静矢(
ja3856)と砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)が二人を制するように一歩前へ出て。
「力見せてほしいって言うけどさ。今見るものが全てとは限らないよ? 生き物って進化するモノでしょ?」
「今日だけで全部見れるなんて思ってねえっすよ。それに進化するなら次は今日見たものよりも凄いものが見れるって事っすよね?」
竜胆と悪魔がやり取りしている間にも、三体のディアボロは動きを止めない。あまりおしゃべりに費やしている時間もなさそうだ。
(天羽さん、大炊御門さん。まずは降りかかる火の粉を払わねば)
(分かってるっす)
(……ああ)
静矢の囁き声に返す二人の声色からは、先程の熱はもう失せている。
今は悪魔側の情報を得られる好機でもある。そのためにもまずは邪魔なディアボロの排除をしなければならない。
ファーフナー(
jb7826)とエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)、そしてエイルズレトラが呼び出した「ハート」という名のヒリュウは既に甲冑の一体を相手と見定め何時でも動ける体勢にある。
竜胆が癒しの風を周囲に吹かせ、まだ残る大規模戦闘後の傷を癒すと同時、三方からディアボロが同時に地面を蹴った。
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中央。エイルズレトラとハートが甲冑を左右から挟むように位置取り、ファーフナーが槍の届く位置をキープしつつ正面に陣取る。
対して太刀を構える甲冑は、まずエイルズレトラへと狙いを定めた。
ハートが注意を促すように一つ鳴くが、奇術師は余裕の表情を崩さない。
踏み込みから上半身と下半身を両断せんと振るわれた横薙ぎを腰を落とし避け、すぐさま後ろに退き振り下ろされる太刀の射程から逃れ、離れた分の距離を詰めるべく放たれた突きをわずかに体を捻ることで無効化する。
鎧が小さく動揺した気配。真正面から愚直に剣を振り回しても目の前のカボチャマスクに当てられる気がしない。
「とは言え、二人だけで倒し切るのも難しい相談でしょうかね、ファーフナーさん」
「無理に色気を出す必要もないだろう。反撃は他の連中を待っても遅くない」
二人がそう結論付けたのは、甲冑の耐久力にある。
エイルズレトラに甲冑が攻撃を仕掛けた直後、ハートが背中を打ち据えようと体当たりを仕掛け、側面からファーフナーが脚部を狙い稲妻の如き突きを繰り出していた。
だが、ハートの一撃は直撃したにもかかわらず有効打になった様子はなく、ハートの一撃による動揺を狙ったファーフナーの槍も素早くその場から退かれてしまう。
それなりに強い、と悪魔が言っていただけのことはある。反応は決して悪くはない。
エイルズレトラには当てられないと判断した甲冑が今度は狙いをファーフナーへ定め、距離を詰めて太刀を振るおうとするが、それよりも早くファーフナーが甲冑の懐へと飛び込み掌底を打ち込む。
全身に走る衝撃に思わず甲冑が後ずさり、ファーフナーへ太刀が届かなくなる。
甲冑が体勢を立て直す前にエイルズレトラがステッキから刃を抜き放ち、鎧の隙間に刃を通した。
手ごたえは、ない。刃先が甲冑の裏側に触れた際の硬質な感覚があるのみだ。
もしかしたら透明な身体があるのかもしれない――という推測もあったが、本当に甲冑が本体なのだろう。
そうと分かればそれはそれで有益な情報だ。交戦の中でまた何かしらの傾向や特徴を探るべく、二人と一匹は甲冑相手に攻防を繰り返していく。
同時刻、右側。
癒しの風を吹かせた直後、竜胆はすぐにこちらへ迫りくる甲冑を真正面から見据え、挑発するように右手を小さく動かした。
「暫く、僕らと遊んどこうか」
その声に応じるように、竜胆の後方、膝立ちでアサルトライフルを構える忍がその引金を引いた。
タタタン! と軽い音が周囲に響き、吐き出された三発のアウルの弾丸が甲冑の胴へと吸い込まれていく。
生半可な攻撃は真正面からでは有効打には成りえないが、胴を穿つ弾丸に振るう剣の勢いが削がれたことは事実。
抜け目なく装備をレート差が発生しないように整えていることもあり、きちんと受けきることが出来れば甲冑の攻撃が自身を貫くことは無いだろう。
受けた手応えからそう判断すると、竜胆は未だ枝の上に居る悪魔へと声を向ける。
「ところで、水戸で逢ったベリアル様LOVEなケッツァーのアルファールちゃん、お友達だよね?」
「お、アルの兄さんに会ったんすか?」
「まあね。ねえ、ケッツァーの子たちって皆あんな変なの?」
「お頭が絡んでる時のあの人と一緒にされんのはちっと不本意っすけど、まあ大なり小なり変人の集まりなんじゃないんすかね。
それで、よそ見してて大丈夫っすか?」
「ああ、良いの良いの。僕黙々と戦ってるの苦手だからさ」
その声と共に、真横から風切り音。甲冑が側面を取って再度仕掛けてきたのだ。
だが、流石に目の前の相手から意識を外してまでお喋りに興じようとは思わない。その動きは把握している。素早く体の向きを変え、真正面からまた太刀による斬撃を受け止める。
その間に忍が甲冑の背面を取っている。打ち込まれる銃弾が甲冑の影を地面に縫い止め動きを奪う。
この一瞬が好機だと竜胆も電撃を叩き込み、追撃をかけるように忍も距離を詰め毒手を放つ。
「くらえ……」
雷が爆ぜるような音と光が一瞬周囲を染める。甲冑の意識を奪うまでには至らないが、無機物のような甲冑にも毒は回るようで、忍に抜手を突き込まれた個所を庇うようにしているのが見える。
まだまだ向こうも倒れるそぶりは無い、が。
「応援、来てくれたみたいだね?」
その声に、悪魔はハッと顔を上げる。
向けた視線の先、足止めを続けていた二方向への援護へ向かうべく走る四人の撃退士と、すでに骸と成り果てた甲冑の姿。
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(あまり手の内は晒したくないが…)
そう思いながら静矢はちらと悪魔の方へと視線を向ける。
彼はどうやら竜胆と何やら話し込んでいるようだった。悠長な、と思わないでもないが意識が他所に行っているのならばそれはそれでありがたい。
「絶対に只じゃ帰さないからな…!」
隣の伊都が黒い甲冑の奥で唸るようにそう呟くと、一息で加速。
甲冑を真正面に捉えぐんぐんとその距離を詰めていく。その勢いに気圧されたか、敵が足を止め、来る一撃に備えようと防御を固める。
伊都が甲冑を剣の射程に収めた刹那、剛剣一閃。振り下ろされた刃は、相手が太刀で受け止めるよりも早く届き、まるで紙に鋏でも通すような勢いで甲冑を切り裂いていく。
たったの一撃でここまでの傷を負わせる者がいるとは。
甲冑が声を出すことが出来ればそんなことを口にしていたのだろう。
そして、甲冑の誤算はそれだけにとどまらない。
「よそ見をしている余裕があるのか?」
伊都に意識が向いた結果、側面への対応がおろそかになっている。
甲冑が気付いた時には静矢が既に距離を詰めており、居合の一撃が放たれる。
紫色の鳳凰を纏う一閃が強かに甲冑を叩きのめし、味方の援護が得られぬ位置へと吹き飛ばされる。
まだ倒れるものかと更なる追撃を警戒し――それに応じるように菫が音を抜き去る勢いで甲冑へと迫る。
跳ね上がるレートが乗った一撃を受けてはならない、と甲冑は距離が詰まる前に焔の鳥を生み出して、菫を撃ち落とさんと弓を構える。
瞑目。影が月を食むように菫自身のレートの高まりを覆い隠していく。
引き絞った結弦が解き放たれると同時、見開かれた菫の赤い瞳が飛来する焔を追い切る。
真横に振りぬかれた短槍が火鳥を打ち払う。焔の残滓がわずかに頬を焼くが、かすり傷でしかない。
「見せてやろう。ここに、私が居るということを!」
強い強い踏み込みと共に放たれた裂帛の一撃。
レート差によって生まれた凶悪と形容しても遜色ない一撃が甲冑を捉え――全身に広がる崩壊をとどめられず、甲冑はただの無機物へと還った。
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蓋を開けてみれば、撃退士側のワンサイドゲームと言ってもよかった。
二人を相手にしている段階でもその防御を突破できなかったディアボロたちに、攻撃手が合流した撃退士の攻勢を押さえることなど出来る筈もない。
「あれをそこそこ強い、なんて言ってしまうとは、あなた自身もさして強くないと言ってしまっている気もしますねえ」
「悪魔ったってピンキリっすよ。全員があんたたち全部呑み込めるとは思わないでほしいっす」
エイルズレトラのからかうような声にムッとした表情で返すも、一先ずこちらへ仕掛けてくる様子はない。
話を聞くなら今だろうと、ファーフナーと静矢が口を開く。
「お望み通りお遊びに付き合ったんだ。ギブアンドテイクでこちらにも付き合え」
「その通りだ。名前くらいは教えてくれるんだろう?」
音もなく枝の上から地面に降り立つ悪魔は、二人の声に勿論だと言わんばかりに頷いて。
「冥魔空挺軍ケッツァーが一員、ロウワンっす」
ロウワン、という名を反芻するようにファーフナーが繰り返し、再度悪魔へ視線を向ける。
「先程花火を打ち上げたのはお前か?」
「そっすね。や、お頭が『派手に花火を打ち上げる』なんてアバウトな連絡寄越してきたもんで。俺正直なんのことか分かんないままとりあえず花火用意したんすよ」
「連携が取れていないのか、別行動が多いのか…」
「両方っすかね。お頭は指示が適当っすし、俺はエンハンブレの修理めんどくせーってさっさとこっち来ちゃったクチっすし」
エンハンブレ、という単語に、一同がぴくりと反応した。
ゲートが出現した直後からつくば上空に船のような影が見えるという報告がされている。
状況から考えれば、ロウワンの言うエンハンブレとはその船の名を指しているのだろう。
「もう一つ聞きたい。あのサーバント…筑波ゲートに向かっていくのを討ったのか?」
「そっすね。探してたとかじゃなくて、偶然遭遇したって感じっすけど」
近くに転がるサーバントの屍を見遣りながらの質問への返事に、拙い、と静矢は思う。
言葉の通りならば、つくばと横浜、二つのゲート間での小競り合いは既に発生している。つまり、小競り合いによる被害は今後広がっていくことが予測されるのだろう。
「あ、ところでさ。アルファールちゃんがまたって言ってたし、次はどこ行けば会えるか教えてよ」
「あの人の動きは正直読めねえっすね…お頭こっち来た訳っすし、花摘んで渡しに行ってるんじゃねえっすかね」
「会った時花摘んでたから、じゃあ今は筑波に居そうかな。この調子でもっといろいろ情報くれて良いんだよ? 例えばベリアルちゃんのスリーサイズとか」
「それは俺も知りたいっす。スレンダーっつーんすかね。あんま大きくはねえっすよ」
互いに真顔。何言ってんのこの二人…という視線をなつなが向けているのだが、互いに気にしちゃいない。
「まあ、それは兎も角として。そろそろ俺も失礼させて貰うっす」
「待てよ」
そこで、今まで黙っていた伊都が口を開いた。
「俺たちの力が知りたいんだろ? 身に受けて帰って行けよ?」
言うが早いが、懐に潜り込み、悪魔の腹部目がけて右拳を放つ。
大人しくそれを受ける道理など無い、とロウワンは装甲を纏う右手でそれを受け止め、弾かれたように後ろへと退くが、
「逃がすかァ!」
目の前に敵がいるのに放置など出来はしないとばかり。感情に突き動かされるままに菫が距離を詰め、レートを引き上げた必殺とも成り得る一撃を放つ。
それが持つ威力を迫る菫の気迫から脅威を感じたか、ばちりと電気が走るような音が響き、ロウワンの姿が消えた。
エイルズレトラや忍、鬼道忍軍を専攻している者は、その現象が「空蝉」に近い、と感じる。
「思ったよりは、面白い術を持っているようですねえ」
エイルズレトラがそう呟きながら消えたロウワンの姿を求め視線を動かし――いた。先程まで立っていた枝の上だ。
「体力有り余ってるって感じっすね。申し訳ねえんすけど、お頭のトコ顔出さねえとなんで今日ばっかは付き合えねえっす」
「覚えておけ。私は――私たちは、負けない」
「そうだ。おめえは、尻尾巻いて冥界に帰っていただく。分かったな、三下?」
ロウワンを強く睨み、菫が、伊都が。叩きつけるように宣誓する。そのことで気を抜けば弾けてしまいそうな激情を押さえているのだと言わんばかりの強い表情だった。
「では、お開きでしょうかね。奇術師エイルズと申します……覚えなくてもいいですけどね」
「覚えとくっす。あんたを捉えられたら、そりゃあ楽しそうっすから」
「果たして、僕の命に届きますかねえ?」
届けるっすよ、と言葉を残し、ロウワンは撃退士に背中を見せる。
今日はもう、誰もその背に仕掛けようとはしない。
「リーン…種子島のか……?」
忍が最後に発した、その言葉を除いて。
「こっちの地名は良く分かんねえっすけど、シマイっつーおっさんに貸してたんすよ」
「なら、種子島……」
「それがどうかしたんすか?」
振り返り、忍を見下ろす目線。
不思議そうな表情を浮かべるロウワンに、忍は少しの間目を閉じて。
「……ありがとう」
そんな言葉が出てくるとは思っていなかったのか、しばしロウワンは忍を見ていた。
けれど、やがて得心いったと言わんばかりに頷いて。
「あいつの代わりに言っとくっすよ。どういたしましてっす。
あいつ、結構良い相手に会えたみたいっすね。羨ましいっすね」
肩を上下させ、小さく笑う。
それを最後にロウワンは枝を蹴り、その場から瞬く間に姿を消していった。
(了)