●
久遠ヶ原という島には本当に何でもある。
商店街然り、食事処然り、そして今黒井 明斗(
jb0525)が居る堤防のような釣りスポットまで様々だ。
明斗の傍らに置かれたクーラーボックスが既にカサゴで一杯。
実益を兼ねるとは言え、少々夢中になりすぎてしまったようだ。
「釣ったら食えが基本ですが…少し多すぎですね」
とりあえず寮に連絡を入れ、明斗は撤収準備に入る。季節が季節、やはりまだ少々寒い。
釣り過ぎた魚の処遇は、歩きながら考えることにしよう。
●
どーめきのにいさんが あらわれた!
そんなテロップが秋野=桜蓮・紫苑(
jb8416)の脳内に流れるここはとあるコンビニ。
制服姿のどーめきのにいさんこと百目鬼 揺籠(
jb8361)は紫苑が持つ買い物カゴの中身に目をやり、呆れたようにため息一つ。
「カップ麺と菓子しか入ってねぇように見えるんですが?」
そろそろ夕飯時。紫苑のようなお子様で無くとも中々によろしくない。
「ちょっと待ってて、俺もうすぐ仕事あがるんで」
逃げられないと悟った様子の紫苑を確認すると、揺籠は残った業務の片付けを急ぐ。
店長への挨拶もそこそこに手早く着替えを済ませ、二人は商店街へと向かっていった。
●
「まだ売り切れてないといいんだがな…」
豊富な品揃えと定期的なセール情報はやはりスーパーの魅力。
右手のチラシに付いた丸印を見つめながら呟く麻生 遊夜(
ja1838)はカートを押しながらチラシと店頭の品とを見比べる。
「…コレとコレを買うとして、今日はカレーだな」
カレーが嫌いな人間などそうは居ないし、次の日も食べられる。何より量の調整がしやすい。
「わーい、カレーだぁ」
「カレー…うん、美味しい。一晩経ったら、もっと美味しい」
遊夜の声に来崎 麻夜(
jb0905)がクスクスと笑みを漏らし、ヒビキ・ユーヤ(
jb9420)が賛成するようにこくりと頷いた。
「カレーって言えばまずお肉!」
と、麻夜が手に取ったのはサーロイン。
ステーキに使う肉の塊をカゴに入れようとする彼女を遊夜は右手で押しとどめて。
「贅沢言うない。ヒビキ、そっちの肉取ってくれ」
「お肉は、豚のばら肉が、一般的」
こくりと頷くとばら肉のパックを大量にカゴの中へ。
遊夜が経営する『深夜荘』という寮には育ち盛りが沢山居る。これでも多いということはない筈だ。
「美味しいって聞いたもの! …でも先輩、ホント色々買うんだね。大変じゃない?」
「お前らが食材使いきったからだろうが、このぷにぷにほっぺちゃん共が!」
言うが早いが麻夜とヒビキの頬をぷにぷにとつつき始める遊夜。
先日、慣れてきたからと試しに彼女たち二人に寮の食事を任せてみた。
ところが張り切りすぎたのか確信犯なのか、その日の食卓には並んだのは数日分の食材や残り物まで使った豪勢な食事の数々。
出来合いの物より自炊は安く上がるとはいえ、それは決してゼロではない。
「いや、確かに美味かったが数日分の食材だったんだぜ? その辺り何か申し開きは?」
「うん、分かってた!」
「…そうかい」
「あ、頑張ったご褒美はー?」
「ご褒美…あるの?」
ヒビキも「ご褒美」という言葉に反応しそわそわと遊夜へ期待の目線。
が、
「あるかー! おかげで家計簿が赤いんですよー?」
ご褒美以前に遊夜がキレた。
言っても二人の頬をつつくに留める辺り、そこまで怒っていないのかもしれないが。
「…ユーヤが怒ったままだわ、どうしよう?」
「んー。この場は怒られてていいんじゃない? それに、また教えてもらえるから、計画通り」
「マヤ、悪い顔してる…」
怒られているにも関わらずヒソヒソと何事か会話する二人の頬に遊夜の指が再度迫る。
もう少しだけ、説教という名のじゃれ合いは続きそうである。
さて。
この騒がしい深夜荘メンバー、実はもう一人買い物に来ている人物が居る。
それが麻生 白夜(
jc1134)である。
「…はぁ」
じゃれる三人へ向けてため息一つ。放置されたままになっているカートを押して一人で買い物を続ける。
遊夜が持っていたチラシは彼女も見ていたから、買うべきものが何かは分かっている。
カレー粉は家にあったし、肉は先程家族がカゴに入れた。だからひとまず野菜を買えば良い。
指折り材料となる野菜を羅列して、必要な物を安いものから次々カゴへ放り込んでいく。
「後は…お菓子……」
それは遊夜の見ていたチラシに丸がついてない物です。
しっかり者に見える少女だが、この辺りはちゃっかりしている。母と呼ぶ二人の影響だろうか。
「…いつも売ってるプリン、じゃ…面白くない、よね」
重いカートをからころと転がす白夜の耳が、不意にそんな言葉を捉えた。
声の方へと視線を向ける。プリンの売り場で品物に熱い視線を送る、一ノ瀬・白夜(
jb9446)の姿。
別に白夜という名前を持つ物同士惹かれ合うものがあったという訳ではないだろうが、麻生の方の白夜も何とはなしにプリン売り場へ。
麻生の接近に気がついた一ノ瀬は、眠たげな顔のまま会釈を一つ。
「今日は少しだけ…頑張って作ってみよう、かな?」
独り言のような声色。
互いに、他人への興味は薄い。それを感じ取ったが故に発した声であり、事実隣の彼女は自身の声に特段反応を示さない。
「卵に牛乳、お砂糖が有れば、最低限、出来る…ハズ…出来ない、かな?」
出来ると思う。
拙い知識なりにそう結論づける麻生がこくりと頷いて、プリンを幾つかカゴへ放り込む。
「あ。バニラエッセンス? だっけ。これも要る、のかな?
いつか…知り合いが作ってくれたプリンはそんなのを使ってたって言ってた気がした」
あると香りが良くなってきっと美味しくなる。
麻生はもう一度頷くと、カートを押してプリンの売り場から去っていく。
彼女が角を曲がって見えなくなるまで一ノ瀬はその背中を見送っていたが、思い出したように自分もプリンの材料を求めて売り場を後に。
「美味しく、出来ると…いいな」
材料を混ぜたら蒸すのか、焼くのか。それとも違う方法があるのだろうか。
名も知らぬ誰かからアドバイスも貰ったことだ、出来ればきちんと作りたい。
この後レシピを求めて本屋に寄ってみるのもいい。レジへ並びながら一ノ瀬はそんなことを思う。
さて。
カートを押して麻生白夜が戻って来た頃、丁度遊夜のお説教も終わっていたようだ。
彼女がちゃっかりカゴに入れていたプリンを見て遊夜は困ったような表情を作ったが、上目遣いでの懇願に押し切られる形でそれも購入を決めた。
「さて、家族のために腕を振るうとしますかね!」
沢山の材料も四人で持てば重くない。
並び立って、深夜荘の面々が家路を急ぐ。
●
礼野 智美(
ja3600)と美森 あやか(
jb1451)、神谷 愛莉(
jb5345)の家族ぐるみで付き合いのある三人もまた、スーパーでの買い物中。
特に愛莉は未だ料理の修行中ということもあり、智美とあやかへ助言を求めるタイミングが多い。
今も余らせた大根を消費するためのレシピを二人へ問うているようで。
「大根か…愛莉ちゃんもあたしも二人暮らしだもの、余らせちゃうよね。
ブリのあらで良いものがあったらブリ大根、なかったら大根のお好み焼きで豚肉と卵、なんてどう?
一緒に作ってあげられればいいんだけれど、うちは今日はお食事頼まれてるのよね」
「そーいえば今日はあやかがおねがいされてるんだっけ。
うちは白菜が多いから豚バラと白菜のミルフィーユ鍋にする心算だったんだけど…もう少し大目にしてそれも一緒に持って行こうか?」
ブリ大根に大根のお好み焼き、それからお裾分けでミルフィーユ鍋。
それだけあれば一食分は余裕だろうが、愛莉は申し訳無さそうに首をゆるりと横に振って。
「ごめんなさい、今日はお兄ちゃんが風邪引いて寝てるんです。だから、出来ればお兄ちゃんの喉を通るものがいいなって思うんですけれど…」
すぐさま病人も食べやすい者を考えてあげられる程度に家事に明るい二人はやはり、愛莉にとって良い姉貴分と言えるだろう。
「だったら、主菜を鶏肉にして葱の蒸鳥か、お魚だったら白身魚の煮つけなんてどうかしら」
「後は湯豆腐かな。体を温める生姜を薬味にして…彼奴の場合お粥は味付けるより白粥に梅干しが良いだろうな」
「白菜と葱はスープにしましょうかしら。確か帆立の缶詰残ってたし」
それはいいな、とあやかの提案に頷く智美と二人から出てくる調理法を逃すまいと必死にメモを取る愛莉。
智美はそんなに慌てなくてもいい、と愛莉の肩を優しく叩くと、彼女を先導するように鮮魚コーナーへと足を向ける。
鮮魚コーナーでは白身魚にあまり良さそうな物が無かったため、蒸鳥を作るべく鶏肉を買って店を出る。
自分の夫だけではなく同居人たちの分も作らなければならないというあやかと分かれ、愛莉は智美のマンションへ。
智美が一緒に作ってくれるならば、どんな料理だってそう難しくない。
けれど、いつか自分だけの手で兄を看病できる料理が作れる日を夢見て、愛莉は今日も奮闘する。
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「野菜も食べねぇとちみっ子のまんまですぜ?」
「にく食べてりゃなんとかなりますよぅ」
コンビニを出た紫苑と揺籠はその足でそのままスーパーへ足を運んでいた。
「まぁ一人で買物して飯作って偉いとは思いますけど」
カゴを持つ手とは逆の手で紫苑を撫でてやりながら少しだけ思案。後に、ビールを2本カゴに入れて。
「今日は夕飯一緒にしましょうか」
妹分に食材を買い与えてハイさようなら、は酷なように思えたが為の提案だった。
それが効果覿面であった。一緒に、と口にした直後、紫苑の顔のパーツ全てが喜色に染まる。
「一人で食べるよりだれかと食べるごはんのほうがずっとおいしいんですぜ!
きっとまほうみてぇなもんがかかってるんでさ」
(一人は存外、寂しいもんですしねぇ…)
その寂しさが埋まるならば、誰かの存在はきっと大きな魔法に違いない。
すき焼きにしようか、という揺籠の提案に一も二もなく承諾した紫苑は緩む頬を抑えようともせずにあちこち売り場を行ったり来たり。
「にいさん卵かった? いとこんかった?」
「買いましたよ」
がさりと持っているカゴを一つ揺らすと、野菜売り場へ足を運ぶ。
長葱をカゴへ入れ、白菜をカゴへ入れ、長葱がカゴから出て行くのを紫苑の服の襟首を掴んで阻止。
文句を言いたげな口を、デコピン一発で黙らせる。
「葱は大事な野菜枠じゃねぇですかぃ」
ちみっこのままだぞ、と内心で再度ぼやきながら精肉コーナーまで足を運ぶと、不意に紫苑に袖を引かれた。
「……」
紫苑が何かを指さしている。示された先へ目線を送る。
如何にも高級そうな和牛だった。値札なんて見たくない。
紫苑へ視線を戻す。期待の眼差しが揺籠を見つめていた。
「いや、すき焼きって言ったら…」
「……」
「…コロッケもつけるんで、それで手ぇ打ちましょうか」
「ころっけ……」
ぱぁ、と。花が咲いたように紫苑が笑顔になる。
ちゃんと晩御飯も食べるから別腹だ、と力説する彼女に胸を撫で下ろしながら会計を済ませる。
「兄さん、ころっけおいしいねぇ」
にへら、とだらしなく笑いながらコロッケを頬張る紫苑に、揺籠もまた笑って頷き返すのだった。
●
何だか最近、周囲から男前とばかり言われる。その上、男の友人の方が料理が上手い。
女子力アップを目指す樒 和紗(
jb6970)が夕食の材料を求めるのは、そんな理由。
「さて、今日は何にしましょうか…」
今までも自炊はしていたがもっと色々な料理に挑戦してみたいと、個人商店の並ぶ区画を巡る。
「おっ、兄ちゃん。やっぱりキンメ、気になるかい?」
「あ、いや、俺は…」
不意に耳に入った声に視線を巡らせ、魚屋を見やる。
魚屋の店主の営業トークに捕まっている一人の青年――新柴 櫂也(
jb3860)の姿が目に入った。
店主の景気の良い声を聴いていれば、大体櫂也が何を喋っていたのか分かってしまう。
曰く、珍しくバイトが休みなのでたまに凝った夕食を作ろうと買い出しに来たらしい。
押し切られるままにキンメダイを手に取ってしまった彼がかおかしくて、和紗も魚屋の店頭へ。
「嬢ちゃんもいらっしゃい! 晩メシ、決まってるかい?」
「まだまだ冷えますし、温かい煮物や汁物が良いとは考えているのですが…」
櫂也のキンメダイを捌きながら和紗にも声をかける店主への返事に、櫂也が考え込むように店内をぐるりと見渡して。
「…汁物ならこの時期、鱈汁なんて良いんじゃないか?」
まさか店員ではなく買い物客から声がかかってくるのは意外だったのか、少し目を丸くする和紗。
とはいえ、そんな会話が生まれるのも個人商店の店先の不思議。
「鱈汁、いいですね。それと後は…イカとサトイモで煮物を作るのも良さそうです。ありがとうございます」
「ああいや。いきなりこんなこと言い出して悪かったな」
そこで、キンメダイを捌く作業が終わったようだ。
品物を櫂也へ手渡す店員へ、和紗は鱈とイカを注文。どちらもその場で捌いてもらう。
「そ、そのうち捌けるように頑張ります」
「出来ると格好いいもんな」
まだ魚を捌けないという和紗が強がるように零した言葉に櫂也も小さく笑う。
商品を受け取ると、二人揃って八百屋へ向かう。
片や汁物と煮付け用の材料を求めて、片やそもそも作る予定だったロールキャベツの材料を求めて。
「ふむ、そういう食べ方も美味しいのですか」
櫂也が普段作る料理に気になるものがあったようで、感心したような声を上げる和紗。
多少なり料理の心得がある者同士、調理の話題で話は尽きない様子。
●
商店街で買い物を済ませた佐藤 としお(
ja2489)が家路を急ぐ。
買い物袋にはスープ用のゲンコツ、チャーシュー用の肉、製麺所で用意してもらった麺。
加えて野菜や卵等、これからラーメンを作りますと言わんばかりの荷物だ。
「…ん? あれは…」
そんなとしおの足が不意に止まる。
知った顔であるエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)がとある店へ入っていくのが見えたからだ。
店の看板を見る。ラーメンチェーン、『天下無双』。こってりとしたスープが有名だと聞くが、タイミングが悪く未だに入れていない。
これも何かの縁かと、後を追うように店内へ。エイルズレトラもとしおの存在にすぐ気付いたようだ。
断りを入れて隣に腰を下ろすと、やって来た店員に二人合わせてラーメンの注文。
エイルズレトラ、こってりラーメンの特盛とライスの特盛。としお、様子見でこってりらーめんの並盛。
「……体の細胞という細胞が炭水化物を求めていますねえ」
依頼がようやく片付いたのだと語るエイルズレトラが自分の腹を撫でていると、注文の品はすぐにやってきた。
「おおっこれは!?」
豚骨だの醤油だのといった、旧来のスープでは分類できない謎のこってりしたスープに、としおはまず慄く。
「なるほどこの出汁の味は……何やってるんです?」
スープの分析をしているとしおの隣で、エイルズレトラは早くも麺を完食してしまったようだ。
レンゲでスープを一口飲んで、山盛りで用意されているご飯をスープに投入。
「ラーメンのスープには、麺より飯の方が合うんです。拉飯(らーめし)として、最初から麺の代わりにご飯を入れた状態で出してほしいものです」
レンゲでご飯を崩してスープに吸わせると、卓上の調味料で味を調えて勢いよくかきこんでいく。
ラーメン馬鹿のとしおの喉も、思わずごくりと音を立てる。
「す、すみません。僕もライス、追加でいいですか」
そう頼んでしまったのは隣の彼の景気のいい食べっぷりの為か。
二人仲良くスープまで飲み干してご満悦。
「ごちそうさまでした…僕達、炭水化物しか食べてませんね」
「たまにはいいんじゃないですか? そんなこと言ったら僕は最近ラーメンしか食べてないですしね」
ラーメンマンめ、とエイルズレトラは小さく笑うと、そのまま支払へ。
追いかけるように支払いを済ませたとしおはエイルズレトラと別れると、ご飯のパックを追加購入すべく、コンビニへ急ぐ。
スマッシュヒットのスープと拉飯、是非とも一つ試さなければ。
●
砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)は自炊どころか家事が一切できない。
実家にいる間は使用人が全てを行っていたし、現代の日本はコストさえ許容できれば最低限生活に必要なものは何でも用意できる社会だ。
(友人のバーにたかりに行っても良いけれど…今日は別のお店に行くかなぁ)
彼の友人が働いている場所は食事をする店ではないことは、一応知っていたらしい。
「和洋中…今日の気分は何かなぁ」
どうせなら入ったことのない店が良い、と普段は通ることのない路地に入ってみる。
と。そこでまず見たのは品のいいスーツに身を固めた、企業の役員でもやっていそうな長身の男性。
「おや、こんばんは。あなたも夕飯かな?」
男性――狩野 峰雪(
ja0345)もすぐに竜胆に気が付いたようで、柔和な笑みを浮かべてぺこりと一礼してくる。
「ええ。どこかこの辺り、お勧めのお店とかあります?」
峰雪と似た、柔らかな笑みで問うてみる竜胆。
問いかけに彼は「そうだね…」と腕を組んで考え込むような仕草。
「僕はそこを曲がった所の小料理屋に入るつもりだね。新鮮な魚と旬の素材を活かした料理が日本酒と合うんだ。
でも、あなたくらいの年齢だと肉をしっかり食べたいかもしれないね。そこの、隣のお店なんてどうかな」
言われて初めて気が付いたが、竜胆のすぐ左手にある家屋はどうやらお店のようだった。
「ここ、お店? 気が付かなかったなぁ、色んな所知ってるんですね」
「簡単な料理ならできるんだけど、一人分の食事を作るのも面倒だし、ついつい外食しがちになってね」
「それ、僕もわかるなぁ。それじゃ、入ってみますね、ありがとうございました」
礼を告げて店内に入っていく竜胆に手を小さく振って返し、峰雪は改めてお目当ての店へ。
今日はかぶら蒸しと、寒鰤の照り焼きを頼んでみようと何とはなしに思う。
味も素材も空間も楽しむ、贅沢なひと時。
人の暗部を見続けてきた峰雪だからこそ求めたくなる、ささやかな癒しがそこにはある。
さて、竜胆が店内に入ってまず耳に入ったのは、ゼロ=シュバイツァー(
jb7501)の陽気な声だった。
「今日も一杯やりますかいな〜」
ゼロのテーブルに視線をやる。赤ワインとカルパッチョ、そしてミラノ風のカツレツ。イタリアンの店か。
席に通されれた竜胆にゼロがカツレツを頬張りながら右手を上げて。
「よう見つけたなぁ、こんな所」
「親切な人にたまたま教えてもらってね。メニューは…あ、無いの」
会話しながら決めていくスタイルとは中々珍しい。
ゼロのテーブルにあるカルパッチョが気になったので、まずはそれと赤ワインをオーダー。
お勧めを聞けば、今日はいい肉が入ったと聞いたので、肉料理を一品作ってもらう。
前菜のカルパッチョも好みの味、これならばメインも期待できそうだ。
今度ははとこも連れてこようか。きっと楽しんでくれるはずだ。
「そうだ兄さん。折角会えたんや、乾杯せん?」
「良いね…ここを見つけられた幸運に乾杯、だね♪」
かつん。と二人のグラスが小さく音を立てる。
乾杯は、どの世界でもきっと快い音。
●
商店街の飲食店は別に裏通りだけにある訳ではない。
表通りを少し歩けば、浪風 悠人(
ja3452)と浪風威鈴(
ja8371)の夫妻が入っているようなレストランも沢山軒を並べている。
この夫妻、普段は寮で食事を作っているが、珍しく威鈴の方がレストランで食べてみたいと悠人にねだってきたのだ。
「威鈴、何食べたい?」
「ん……とね……これと、これと、…」
開いて見せられたメニューを真剣に見つめ、気になる品を二つ三つ、指で示して選んでいく威鈴。
ポテトフライに、サラダに、スパゲティ。
それを嬉しそうな目で見つめながら、悠人の方は適当にハンバーグのプレートを注文。
料理が来るまでに簡単なマナーの手ほどきなんてしながらも、悠人の表情は何時もより明るいようで。
「悠人……嬉しそうな……顔…何か…あった…?」
「ん? 俺、そんな顔してた?」
「うん…すごく……嬉しそう…」
言われてぺたぺたと自分の頬を撫でてみる悠人。
成程、確かに何だかいつもより頬が緩んでいる気がする。
原因を少し考えて、すぐに思い当たることがあった。
「いや、威鈴と結婚出来て、良かったなって。そう思ったら、嬉しくて」
それが不意打ちだったようで、威鈴の顔があっという間に真っ赤になる。
落ち着きなく周囲に視線を逃し、手元のお冷を飲み干してやっとクールダウン。
「…ボクも。結婚…して…良かったって…思う…もっと…色んな事…したいな…」
「出来るよ。だから、少しずつで良いから色んな事を勉強していこう」
威鈴が頷いたのを見計らったように、注文していた品々がやってくる。
美味しそうな匂いに、彼女の目が嬉しそうに輝いた。
「ほら威鈴。あーん」
「…!? あ、あーん…」
マナー講習は実践編。
中々上手くいかなくても、旦那様のご褒美があれば乗りきれるはず。
頑張れ、奥様。
●
亀山 幸音(
jb6961)は商店街の本屋に居た。
兄や姉に美味しい食事を作ってあげたいと料理の本を探していたのだ。
けれど、時間も時間。見ている内にお腹が空いてきてしまった。
「おなかきゅーきゅーいってるの…」
不意に幸音の脳裏に名案が浮かぶ。
美味しいと評判の店で実際に美味しいものを食べて、舌で料理を勉強しようというものだ。
けれど、一人で店に入ることは、幸音にとっては勇気のいること。
どうしよう、と困ったように辺りを見渡す。そこに丁度知った顔。
「こここんばんはなの……!」
「こ、こんばんは。亀山さん」
どどど、と効果音が鳴りそうな勢いで迫ってきた幸音に驚いたような表情で挨拶を返すのはエミリオ・ヴィオーネ(
jb6195)。
「一緒にご飯行こう…っ」
彼我の身長差から生まれる上目遣いに加えての涙目は正直反則だと思う。
幸音を落ち着かせて改めて事情を聞けば、エネルギー補給の手段を探していた彼の目的とも一致する。
「美味しいごはんいっぱい作りたいの。あと、おにいちゃん達にチョコ作りたいな、って」
幸音のお兄ちゃん大好きオーラに感心しながら、店を探して二人は歩く。
食事情には疎いエミリオ故、お店選びは幸音の仕事となりそうだ。
ここで食事処を探している朝比奈 悠(jz0255)に視点を移す。
なつなと分かれてから飯屋の集まる区域へ向けて歩いていると、背後から声がかけられた。
「あら、コンバンワ♪センセイも夕飯の買い出しかしら?」
女性のような言葉に男性の声色。
不思議に思いながら振り返ると、そこに立っていたのは所謂オネエ、という奴だろうか。
怪訝な表情を浮かべる悠に、オネエことタイトルコール(
jc1034)はウインク一つ。
「あ、ごめんなさいね。あたしも生徒よ、せ・い・と♪ 最近はタイトルコールって名乗ってるわ。ヨロシク♪」
「あ、ああ。すまんな、生徒なら出来るだけ忘れないようにしているが…」
「あたしが名簿で見たことあるってだけよ。珍しいイケメンが歩いてるの見たから声かけてみたの」
持ち前の明るいテンションに乗せて悠がここに居る状況をするりと聞き出すタイトルコール。
事の次第を聞けば一つ頷いて。
「ご一緒させてもらっても大丈夫?」
「まだ行き先も決まっていないが、それで良いなら」
「ありがとっ、悠ちゃん♪」
「腕を組まんで貰えるか…」
悠の一言に楽そうに不満気な声を一つ。腕を解く代わりに一枚の名刺を悠の胸ポケットへ突っ込んで。
名刺には、彼(彼女と呼称した方がいいのだろうか)が経営する店の名と、店までの地図が記載されている。
「お暇な時にでも寄ってちょうだいな。サービスするわ♪
で、お店どうする? あたしアルコールの出る所がいいんだけれど」
「あ、先生なの……!」
それならば何処か居酒屋にでも行こうかと考えていた所に飛んできた声に、二人は揃って視線をやる。
近づいてきたのは、同じく店を探して歩く幸音とエミリオだ。
「こんばんはなの。先生とお兄さんももごはんなの?」
「お姉さんって呼んで欲しいわね」
「…? お姉さん?」
「そうよー、素直な子は大好きだわっ」
どう見ても男性であるタイトルコールを迷うこと無く『お姉さん』呼びする幸音に、悠とエミリオは互いに顔を見合わせる。
「あの、人間の食事には色々あるようなんだが…でなく、ですが…どういうのが最適なのだろう?」
問いの内容から彼がはぐれだと判断する。何を言ってやればいいものかと少しの間、思案。
「月並みだが、これが最適というものは無いと思う」
「……そういうものか…なのですか?」
口調に悪戦苦闘するエミリオの言葉に頷き。
「一人で毎日同じ物ばかり食べていると食べることに飽きてしまう。
だから、食事に限って言えば最適解だけを求めることは必ずしも正解ではない」
「……大変そうだな」
「そんな難しいこと言わなくても、皆で食べるご飯は美味しい。それでいいのよ」
首を傾げるエミリオに、すっかり幸音と打ち解けたタイトルコールが声をかける。
「ねえ悠ちゃん。この子たちとも一緒にご飯食べない?」
「先生にはお野菜いっぱいとれる定食がお奨めなの!」
「…そんなに野菜を食ってないように見えるか」
「独り身の若い男なんて野菜食べるイメージ無いでしょ」
「僕は魚以外で…」
「あー、好き嫌いは許さないわよ?」
一人が二人、二人が四人となったことで途端に騒がしくなった。
けれどその騒がしさは決して、不快なものではなくて。
エミリオにとってもこの騒がしさが好ましいものであればいい。悠はそんなことを思う。
●
依頼を終えた只野黒子(
ja0049)が、仕事上がりのサラリーマンに混じっておでん屋台に座っているのは少々目立つ。
とはいえ、久遠ヶ原はその物珍しさも許容してしまう。
最初こそおでん屋にいる美少女を珍しそうに見ていた客も、五分もすればその光景を「そういうもの」だと熱燗の方に意識を向けてしまう。
「店主様。ここは持ち込み可能でしょうか」
「構わないよー」
感謝します、と黒子はコンビニで買っていたおにぎりや唐揚げを取り出して、おでんを汁物代わりに食事を始める。
店主が唐揚げを電子レンジで温めなおしてくれたので、感謝の意を込めて卵とこんにゃくを追加注文。
「お嬢ちゃん渋いよな。年頃の子って言うと、変わり種に目が行くものだと思ってたけれどな」
「面白いとは思いますが、おでんはスタンダードな物と決めています」
「ははは、良いね。ちくわおまけしてやるよ」
黒子の皿の上によく煮えたちくわが乗ったのを見て、周りの客がかみさんに怒られるぞ、などと店主に軽口を叩く。
冷えてきたので、という理由で熱燗を求めてゼロが顔を出し、その軽快な口調で場を沸かせていく。
「なべぞこだいこんは正義…」
静かに大根を突きながら、彼女はその喧騒の中に居る。
この時だけは、その場の誰もを仲間と思える、そんな時間が過ぎていく。
●
腹ごしらえのためにと肉料理と共にワインを呑み、冷えてきたからとおでん屋で熱燗を空けた。
道中でナンパした女の子達とダーツバーでカクテルを楽しむ時間を過ごせば、もう多くの人間が家路につく時間。
――でも、まだ呑み足りない。
会員制のバーでもう一杯楽しもうとゼロが知った道を歩いていると、ふと頭が気まぐれを起こした。
普段とは違う通りを選び、入ったことのない小さなバーへと入る。
寂れた店内には、先客の姿。
薄暗い照明の下、左手にグラス、右手に煙草。
煙草から燻る紫煙が男――ファーフナー(
jb7826)の強面をより強調しているように見える。
ナッツやオリーブをつまみに喉へ流すのはバーボンだろうか。
そこまで観察して、ゼロもカウンターへ。
まずはウイスキーをロックで。つまみには彼と同じくナッツとオリーブ。
ちらと、ファーフナーがゼロの方を見た。
視線に気づいたゼロも彼の方を見返す。わずかに視線が交錯し、そのまま数秒だけどちらも動かず。
「…よく見つけたな、こんな店」
「それ、俺も今日別の人に言ったわ。乾杯でもします?」
グラスに浮いた氷で小さく音を立てて促すゼロに、ファーフナーはグラスに残っているバーボンを空にして立ち上がり。
「すまんが、呑む物は呑んだ。乾杯はまた次の機会だ」
煙草を灰皿に押し潰して店を出て行く背中をゼロは目線で追って、次いで彼が座っていたテーブルへ目線をやる。
ナッツもオリーブも、あまり数が減っていない。
胃に毒だ、なんて余計な世話だろうが、経験則上あの手の手合はあまり食生活が豊かとは言えない。
「次会った時は旨いもん食わせたろ」
あっという間にウイスキーを空けてしまったゼロは、ブランデーを続いて頼みながらそう呟くのだった。
●
釣り過ぎたカサゴをお裾分けして歩いていたため、明斗が寮に付いたのは門限ぎりぎりの時間だった。
「ちょっと遅くなっちゃいましたね…皆には明日食べてもらいましょうか」
事前に連絡を入れていた食堂のおばちゃんに声をかけ、厨房に入る。
エプロンを身につけると、クーラーボックスに残ったカサゴを使って唐揚げと味噌汁を作り始める。
「黒井君、手際いいわねぇ。でも明日にすればいいのに。冷蔵庫空いてるし、取っておくよ?」
「ありがとうございます。けれど、折角ですので旬の魚を新鮮な内に調理したいですから」
調理を済ませ、後片付けまで行ってからが食事の時間だ。
目の前に並ぶカサゴ料理の数々。本当は先に皆に食べてもらいたかったが、料理は逃げはしない。
「全てに感謝して」
両手を合わせ、口に出すのは魔法の言葉。
楽しい食事の始まりを告げる、大事な言葉。
『いただきます』
(了)