●21時
八塚 小萩(
ja0676)と若菜 白兎(
ja2109)の幼女二人組みは、遊技場で戯れていた。
MVPになる気満々の小萩は、今回の依頼にあたり一つの秘策を用意してきている。
策の名は、背水の陣。
水分を一定量摂取して寝た場合に【水遁 尾根諸の術】を発動する事が出来る――むしろ発動させない事が出来ない黒髪赤眼の娘は、あろうことか今晩大量の水を飲んでいた。
寝たらやらかす。故に寝ない。寝られない。
そんな逆境に身を置く事で、己の限界を突破しようとしているのだ。
小萩には見える、優勝した自分の姿が。さすがは榛名山の天狗姫と褒め称える皆の姿が。ほら、今だって彼女の眼前では家来の天狗が跪き「ささっ、姫様。ご所望の焼きまんじゅうでござる」と言って焼き立ての美味そうな饅頭を――。
「むにゃ、くるしゅうない、くるしゅうないのじゃぁ、むにゅう」
「小萩ちゃんっ、寝ちゃダメなのーー!」
白兎に激しく肩を揺すられ、天狗姫は涎を垂らしながら目を覚ました。
器用に立ったまま寝ていた幼女はハッとした様子で下半身の状況を確認し、ギリギリの所で踏みとどまった事を悟る。
「あ、危ないところじゃった。助かったぞ、白兎殿!」
「当たり前の事をしたまでなの」
エヘンと小さな胸を張る、白銀の髪の幼女。
「ビリヤードはいかん、眠くなるのじゃ。ダーツを楽しむのじゃ」
「それがいいの」
ちなみに、この幼女達は遊戯のルールを全く理解していない。
手裏剣の様にダーツを投げまくる小萩の姿を後ろから見守りながら、友人を助けた事で一つ自信を付けた白兎は決意を新たにした。
――ついに、わたしも大人デビューなの。
仔ウサギの様な雰囲気の幼女には見える。この依頼が終わった後「さすがはもう6歳、こんなに夜更かし出来るだなんて立派な大人の仲間入りだね」と褒めてくれる皆の姿が。ほら、いつの間にか行きつけのタイ焼き屋のご主人までやってきて、美味しそうなタイ焼きを――。
「むにゃ、おいしいの、とってもおいしいの、むにゅう」
「白兎殿っ、寝てはいかんのじゃーー!」
小萩に激しく肩を揺すられ、白兎は小動物の様にビクリと目を覚ました。
……色々と前途多難な二人だが、どうにか助け合って生きている様だ。
そして舞台は運動場に移る。
幼女達が互いに肩をゆすり合っている頃、長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)の拳はドリルちゃんのわき腹にめり込んでいた。
……事の経緯を簡単に説明すると、一人リング上でシャドーボクシングに勤しんでいた拳闘娘は、体が温まってきたタイミングで運動場にいた他の二人に「皆さんも、一緒に爽やかな汗を流しません?」と声をかけたのである。
相手の一人は、冗談で女子高生にスリーサイズを聞くという蛮勇を見せた壮年の男、矢野 古代(
jb1679)。
もう一人は、警戒心ゼロで古代の質問に答え、彼の心に罪悪感を刻み込んだドリルちゃん。
美しい金髪の娘の爽やかな笑顔による勧誘は魅力的だったが、数多の修羅場を潜り抜けてきた古代は瞬時に危険を察知し「実は医者に酒とボクシングを止められていてな」と男らしく堂々と嘘を吐いた。
英断である。
だが好奇心旺盛なドリルちゃんに、壮年の男の様な警戒心はない。
結果、縦巻きロールの少女が大広間から自分用のグローブを持ってくると、拳闘の開始を告げるゴングは高らかに鳴り響いてしまったのである。
みずほVSドリルちゃん。1ラウンド3分間。3ラウンド制。
ファイト。
仕掛けたタイマーが開始を告げると同時に、拳闘娘は相手の出方を伺いに機敏なステップで間合いを詰めた。
そしてすぐに悟る。縦巻きロールの少女がボクシングの素人である事を。同時に、この素人が決して油断のならない相手である事を。
一言で言って、ドリルちゃんは異様に打たれ強かったのだ。何度わき腹に叩きこもうと一向に倒れず、そのくせ頭部だけは堅実に守ってくる。
気が付くと、試合は2ラウンド目に突入していた。
だがそのラウンド開始直後、試合は動く。
1ラウンド目の途中から拳闘娘は、ドリルちゃんの攻撃をかわした際、必ず間合いをとって右ストレートで反撃する事を心がけていた。
高めのガードを続ける縦巻きロールの少女にとって頭部狙いの軌道は、肝臓打ちの類と比較すればまだ対応し易い。自然とそのストレートに慣れ始め、ガードの精度も上がってきている。
――みずほの狙い通りに。
故に2ラウンド目、拳闘娘が視界から消えた際、ドリルちゃんはまた『その軌道』から拳打が飛んで来ると予想し反射的に頭を下げてガードを上げてしまったのだ。
そして、彼女は目撃する。
リバーブローよりなお低い軌道に、体ごとねじ込ませ、しゃがみこんだ姿勢から全身のバネを利用し左フックを放つ――みずほの姿を。
上げたガード、下げた頭、全てが裏目に出る。完璧に顎を捉えたカエルの跳躍の如きフックは、あらゆるタフネスを無視し、ドリルちゃんの意識を刈り取った。
試合終了。
健闘を称えようとドリルちゃんに視線を向けたみずほは、仰向けに倒れた少女の口から出てはいけない何か(霊魂的なもの)が漏れ始めているのを見て、先程までの冷静な戦いぶりが嘘の様に慌て始めた。
リングサイドで一部始終を目撃した古代は思わず呟く。
「……俺の知っているお泊まり会と違う」
仰る通りである。
●22時
遊技場で体を動かした幼女二人組は、汗を洗い流すために風呂場にやってきた。
その後しばらく、女湯では一部紳士にはたまらない光景が続くのだが、ここは視聴率の低下を恐れずに敢えてカメラを男湯の方に移したい。
オッサン――もとい壮年の男性の入浴風景に需要があるかどうかはともかく、この時間男湯には古代の姿があった。
服の上からでは分かりづらい鍛えられた戦士の裸身を湯船に沈めた男が、気持ち良さそうに溜息をついていると、突然その『珍客』は現れた。
今回の依頼に参加している男性陣は、古代を合せても二人だけだ。
切れ長の目の男が既に湯船にいる以上、次に男湯に入ってくる者がいるとすれば、それは服部 雅隆(
jb3585)に限られる。
しかし、この時引き戸を引いて入ってきたのは白灰色の髪と金色の瞳、そして口元に薄らと浮んだ微笑が印象的な――女だった。
引きしまっていながらも蠱惑的な長身の肢体を恥ずかしそうに手ぬぐいで隠しながら、その女性は無言で古代の方に近付いていく。
もしこの場にいたのが健康的な青少年であれば鼻血の一つも流していたであろう艶やかさだったが、そこは僕らの矢野古代。
「なるほど――新手の天魔か」
『魅力的な女性が半裸で自分に近付いて来る』=『天魔の罠だ!』という判断を瞬時に下した彼女いない歴=年齢の男は、鈍色の光纏を全身に纏わせながらゆっくりと湯船から立ち上がった。さすがである。
女が歩みを止めると、丁度その瞬間、幼女達が男湯に飛び込んできた。
古き良き日本の銭湯によく似たこの大きめの風呂場は、中央の壁を隔てて男湯と女湯が隣接しており、壁の上部分に空いた隙間から双方の会話を聞き取る事が可能なのである。
古代の「天魔」という言葉を偶々聞きつけた幼女達は、脱衣所で各々の装備を持つと急いで男湯に駆けこんできたのだ。
白灰色の髪の女は、どうやら幼女達を巻き込む事を嫌ったらしく、速やかに風呂場にから立ち去ろうと出入り口の方に向かった。
自然と立ち塞がる形になる二人だが、女が男湯にいる事実、そしてその胸部のサイズ。色々な事に驚き、彼女の逃亡を許してしまう。
古代は古代で天魔以上にあの女の正体として考えられる人物が一人だけいる事に思い至り、強いて追走する必要もないと判断した。
かくして、男湯で全裸で向かい合う壮年の男と幼女という謎の光景が生まれた訳だが、数分後、脱衣所の前で仲良くコーヒー牛乳を一気飲みする三人の姿があった以上、揉め事にはならずに済んだ様だ。
一方その頃、運動場では長谷川アレクサンドラみずほの拳がヤル子のわき腹にめり込んでいた。
……もはや何も語るまい。
まるで屍のようになってしまったヤル子を見て「ま、またやってしまいましたわ」と冷や汗を流す拳闘娘。しかし彼女は不意に、糸の切れた人形の様に倒れ伏してしまった。
その後、光速の拳を繰り出す黄金拳闘士十二人と激しい攻防を繰り広げる事になるみずほだが、それは夢の世界の話である。
「――堪忍な。そやかて、こういう依頼やろ?」
悪びれる様子も無く闊達な笑みさえ浮かべながらリングに上がってきたのは、先程までリングサイドで試合を観戦していた関西弁の少女、クフィル C ユーティライネン(
jb4962)だった
当初別の目的でこの場所を訪れたクフィルだったが、リング上で戦う少女達の姿を見て作戦を切り替えたのだ。
試合に集中していたみずほの隙をつき、彼女がインターバルに軽く口に含んでいたボトルの中身に睡眠薬を混入したのである。
「ほんまは、もう少し穏便に済ませたかったんやけどな」
笑顔を苦笑に変えつつも、意外と気を遣う関西弁の少女は眠った二人を大広間の布団へと運んだ。
●23時
生存者5名、脱落者3名。
この時間、その全てが大広間に集っていた。厳密には服部雅隆の姿だけ見えなかったが、彼は現在この場に遁甲の術で潜んでいる。
正しく、最終局面と言えよう。
実は裏の参加者である小萩は、片隅の布団に転がっている三つの死体(注:寝ているだけです)を目撃すると、嵐の山荘で二番目に殺される人ばりに疑心暗鬼に陥り「済まぬが、妾と白兎殿は別の部屋に移動させてもらうのじゃ!」と死亡フラグの様なものを立て始めた。
だが、誠実そうな表情をしたクフィルが「大丈夫や。他人を眠らせる様な悪い奴、うちらの中にはおらへん。ほらっ、枕投げをするんやろ。きっと大勢でやった方が楽しいで」と白々しく説き伏せると「それもそうじゃな!」とあっさり警戒心を失ってしまう……何ともチョロイ――もとい純粋な幼女である。
その後しばらく、大広間はとても和やかな空間だった。
風呂上りにいきなり運動もアレだろうと始まったクフィルの落語は、幼女達にも中々の好評を得る。
「――『うれしそうに焼き饅頭を食べてるの。騙されちゃったの。ねえ、小萩ちゃん、本当は一体何が恐いの?』『哺乳瓶に入った乳酸菌飲料が怖いのじゃ』――お後がよろしいようで」
「賢いのじゃ! そのお話の妾はスゴイ賢いのじゃ!」
「すっかり騙されちゃったの!」
はしゃぐ幼女達と、その様子を後ろから微笑ましそうに眺める古代。
本来クフィルは聴衆を眠りに誘うつもりだったのだが、反応の良過ぎる幼女達についつい引きずられ頑張ってしまったらしい。
そして始まるまくら投げ。
関西弁の少女が投げた枕を、小動物の様にかわしてみせる白兎。
突出した命中精度をどうでもいい場面で発揮した古代の遠投は、これまた無駄にスキルを行使した小萩の壁走りによって回避される。
しばらく続いたその騒乱を止めたのは、薄らと笑みを浮かべた『古代』の投げた枕が古代の頭に当たるのを目撃した、関西弁少女のツッコミである。
「何で増えとんねん!」
そう、いつの間にか大広間には矢野古代の外見をした人物が二人いたのだ。
しかし、慌てる女性陣を余所にとうの二人は落ち着いたものである。まず、枕をあてられた方の男が口を開いた。
「変化の術か、さっきの風呂場の女もそれで化けたんだろう――服部さん」
笑みを浮かべた『古代』――服部雅隆は愉快そうにそれを肯定する。
「ご明察です」
その口からは明らかに古代と異なる男の声が零れてきた。
「今一、動機が分からんな」
「ああ、さっきの風呂場のアレでしたら、からかう事が目的ですので、特に理由などありませんよ」
タチの悪い事をしれっと口にする服部。
クフィルは「何だか、推理ドラマの犯人当てみたいやなー」と完全に観衆モードで眺めていたが、すぐにそんな余裕は消え失せる。
「もっとも、今のこの姿でしたらそれなりに理由はありますよ。だって、恥ずかしいじゃないですか。自分の姿でコレをやるのは」
そう言って、浴衣を羽織っていた雅隆は自らの帯に手を伸ばし、矢野古代の姿で褌一丁になった。
名状しがたき形状の褌の猛威が、全参加者に襲いかかる。
猛烈な睡魔に襲われた古代だが、危ないところでハッと目を覚ました。
「もー、ひーじーちゃん、今寝てたでしょー」
「フォッフォッ、そんな事はないぞい」
自宅の縁側で可愛い曾孫の頭を撫でながら、老人となった矢野古代は皺くちゃの顔に優しい笑みを浮かべた。
「あー、そうやって、すぐに誤魔化すんだからー」
ぷんぷん怒る曾孫だが、大好きな曾祖父に撫でられて満更でもない様子である。
曾孫にとってひーじーちゃんは英雄だった。曾祖父がこうして縁側で聞かせてくれる武勇伝の数々は、幼い子供にとってどんな英雄譚よりも胸躍るものなのだ。
「さて、どこまで話したかのう」
「むー、やっぱり寝てたんじゃん。えっとね――」
撃退士として、激動の人生を過ごした矢野古代。
彼の人生は、そんな緩やかな時間の中で静かに幕を降ろしていくのであった。後世に、様々なものを残しながら。
――矢野古代物語・完――
無論、これは眠った古代が見た夢である。
状況を端的に説明しよう。
生存者5名の内4名までは、先程の褌の猛威によって死んだ。ちなみに死亡系の表記は寝たものとして置き換えて読んで頂きたい。
小萩=死亡。死因、雅隆の褌。
クフィル=死亡。死因、雅隆の褌。
古代=死亡。死因、小萩の褌
そして、雅隆=死亡。死因、古代の褌
地獄絵図である。
こっそり締めていた褌で何とか近場にいた古代を抹殺するも、力及ばず雅隆に敗れた小萩。
特に他者を眠らせる意図も無く「そこに褌がある以上、締めない訳にはいかん」という奇行に出た結果、浴衣姿で仰向けに気絶し雅隆の視線に股間を――褌を晒す事になった古代。
……5人中3名までが褌を締めていたならば、この死亡率の高さも止むを得まい。
むしろ、ある種の幸運が働いた結果とはいえ、唯一の表ルール参加者が生き残っている事の方が奇跡と言える。
ヤル子がもしもの時のために仕掛けておいた監視カメラは、他の参加者が眠った大広間で、気絶したクフィルに押しつぶされた幼女が一人ジタバタともがき続ける姿を撮影していた。
起床したヤル子によって、彼女がその状況から解放されたのは、もがき疲れた白兎が眠ってしまった後の事である。
●翌日
「お疲れさまデシター」
何故かびしょ濡れになった布団を、やる気なさそうに干しているヤル子に見送られながら撃退士達は宿泊施設を後にした。
顔を真っ赤にした小萩を始め、この依頼で心身共に傷を負った者は多い。
故に、この依頼は後に『仁義なきお泊まり会』と呼ばれる事になるのである。