「ゴキブリ? あの平たいコオロギみたいやつでしょ。なんであんなのが怖いの? つぶしちゃえばいいじゃん」
廃墟に入る直前、ソーニャ(
jb2649)はそう言った。作戦前の意気込みとしては少々強気だが、彼女の実力を慮れば、それも不適当とは言えまい。
「まさに。作戦の方針は、サーチアンドデストロイですね。了解です」
ヴェス・ペーラ(
jb2743)は、ソーニャの意見に賛同しつつ、基本方針を述べた。戦闘の難易度自体、そう高いものではないと、彼女は予測している。
「一応、準備だけはしてあります。あまり依頼者に負担をかけるのも悪いですから、余裕があれば、出来る範囲で片づけはしておきましょう」
彼女は事前にビニールシートを購入し、持参していた。
退治した敵をこれで順次回収し、処理業者のもとへ搬送するつもりなのだ。
「資料を読む限り、敵はそんなに強く無いようですわね。わたくしが全て叩き落しますから、安心して索敵してくださいませ。……ああ、探索の邪魔にならないよう、留意しますからご安心を」
長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)が、自信満々に言い放つ。ただ威勢のいい発言をするだけでなく、一定のフォローを保障するあたり、彼女の有能さが見て取れる。
「趣味が悪いですね。季節外れの大掃除と参りましょう。……みずほさん一人に任せるのも悪いですし、僕も出来る範囲で警戒はしましょう」
「異論、ありませんわ。よろしくお願いしますわね」
イアン・J・アルビス(
ja0084)は、みずほと打ち合わせをして、互いに連携し合うことにした。それがもっとも効率の良い道だと信じて。
彼は、ゴキブリのようなものが建物内にいるという事実が嫌だった。怖いとは思わないが、恐怖と嫌悪は別物だろう。
汚れた時のため、人数分のタオルは用意しているが。
「密着されたり齧られたりは嫌だけど、何であんなに嫌悪されてんだろうねぇ? まぁいいや、お仕事お仕事」
来崎麻夜(
jb0905)がアホ毛ピコピコさせながら発言した。見た目自体は平気なのだが、他人がそれを嫌うことは何となく理解している。
なるべく味方には近寄らせない方が無難かと、彼女は思った。ここは、平気な者が泥をかぶるべきだろう、とも。
「嫌悪されるには、相応の理由がある。……が、やれやれ。こういった手合いが流行っているのだろうか」
鴉乃宮 歌音(
ja0427)は、あくまでも冷静に、そう評した。敵を見下すのではない。ただ淡々と、彼我の能力差を検討しているのだ。
「ヴェスの言うように、見敵必殺でいいだろう。私は通信士を展開し、早期発見を主目的しようか」
「私も鋭敏聴覚や索敵を駆使して、潜んでいる場所をあぶり出します。火炎放射器もありますし、表現的にも、おあつらえむきでしょう」
突入前の軽い打ち合わせとしては、これで十分だろう。そして、敵が事前の情報と同じスペックであれば、負けはないと、誰もが確信していた。
書面と現実との差に驚かされるまで、彼らは自信にあふれていたのだ。
「隅々まで探しましょう。一匹たりとも逃すわけにはいきません」
「ああ、Gは集団で行動するからね。逃すと危ない」
突入してから、イアンは当たり前のことをあえて口にした。これには歌音も同意見なようで、頷いて返す。
「さっそく来ましたわね。――後衛は、支援を。私は前線で、飛び込んでくる敵を叩き落すことに専念しますわ」
廃墟に入って、五分もせずに接敵である。ろくに探索もしないうちに出てくるとは、敵は好戦的であるらしい。
もっとも、それはこちらにとっても都合のいいことである。みずほは迎え撃つ体勢を取った。それは他の皆も、同じことだった。
まだ距離は遠め。廊下の曲がり角から迫りくるそれらは、まさに黒い魔虫とでも呼ぶべきか。おおよその目算で、数は十匹そこそこ。戦端を開くには、悪くない状況である。
「ん、とりあえず数が多いうちは、眠ってもらおう。寒さに弱いって聞くけど、キミ達はどうなのかな?」
麻夜の大量の黒羽根が舞い散り、範囲内の敵性存在を覆い尽くす。その黒羽根は氷の結晶となりて、周囲を凍てつかせ、対象に安寧の眠りに誘うのだ。
冷気に包みこまれたゴキブリどもは、多くがその足を止めた。とはいえ、敵は数多い。この一手を抜けてくるものもいる。
「掃射! 接近を妨害する!」
歌音の掛け声に、イアンとソーニャ、そしてヴェスが反応し、それぞれが持つ銃を掃射する。
フルオートで放たれる銃弾の雨は、近づいてくる黒の軍勢を押しとどめ、散らし、屍を量産する。
しかし、敵は止まらなかった。騒音が敵を呼んだのか、一気に増援を呼んでくる。さらに十匹、もう数匹と現れてくる。
すべて前方から現れており、背後や死角から突っ込んでくるゴキブリが一匹もいなかったのは、幸運というほかない。
敵が増えたことで、前衛の仕事もできる。
「飛んで火にいる夏の虫、と言うのでしたか? ひどい有様ですこと!」
みずほが前に出る。ここに来て余裕綽々、という様子では、流石にない。だがそれは闘争の緊張によるものであり、決してゴキブリによる生理的嫌悪感からとは程遠い――。
「本当に、ひどい。……ああ、もう。こないでくださいませッ! 石火!」
と、言う訳でもない様子だった。
一匹を打ち払うと、体液を飛び散らせながら、床にひっくり返る。ゴキブリの足側は、よく見るととてもグロい。嫌悪感は、頭から背の表面部分を見るより大きいだろう。
それをで間近で直視して、みずほは声を荒げながら、視覚的暴力に対抗していた。死にかけのゴキブリに必殺の一撃を叩きこむような、火力過剰な行いをしてしまうほど、冷静さを欠いている。
「きゃー! 近づかないでー! 生理的に怖い、怖いのよー」
恐慌を来している、という意味でなら、ソーニャも同様だった。
顔面蒼白、半泣きの状態で、ライフルを掃射し続けている。
「ハァハァ、ボクが滅びるか、そちらが滅びるか。ふたつにひとつ……!」
フルオート掃射後、素早くマガジンを交換、そして涙目になりながら、ゴキブリの群れを掃討し続ける。
2人の様子を尻目に、イアンは舌打ちした。
「範囲攻撃がないのが悔やまれますね。僕にその手があれば……」
多少なりとも、状況は改善したはずだと、彼は思う。現実的には、一匹ずつ潰しいくしかないのだが。
そして彼とは別の意味で、状況を憂いているのは、ヴェスである。
「私は人間じゃない。表現の難しい形状の姿の同族達と生活経験はありますから、恐怖という感情を集めるつもりで作ったのでしたら、この敵達は失敗作です――と。そう断言したかったのですが」
人に対して効果絶大、というのであれば、この場においてもそれは変わらぬ。撃退士であり、戦う術を持つ彼女らですら、あの有様なのだ。本格的に運用する手合いが出てくれば、どうなるかわからない。
それを防ぐ意味でも、ここは完勝するべきだ、とヴェスは思考を完結させる。重傷者など、もってのほか。ヘッジホッグブレイドで飛び込んできた敵を打ちすえ、叩き落としたソレを踏みつぶし、眼前の敵の群れを睨みつけた。
殺す。ただ殺す。火炎放射器を持ち出して、ゴキブリを焼却する姿は、『東の豪傑』の称号に恥じないものであった。
「ボクを押し倒して良いのは先輩だけなの、ゴメンネ?」
麻夜の傍にも、敵が押し寄せてきている。近づかれたら胸部や足の付け根をワイヤーで絡め切り、噴き出す体液もそのままに、危なげなく対処している。
なるほど、確かに押し倒されてはいない。いないが、流石にその白い体液からは完全には逃れ難く。
「うん、思い切りが大事」
もう自分は仕方がないと割り切り、麻夜は味方の方に向かう別個体を優先的に狙っていた。トラウマ発生を未然に防ごう、という狙いだが、ゴキブリに集られそうになる自分の姿が、他者にどのように見えるか、それについては考えていなかった。
「体液で汚れたって気にしない、と私であれば割り切れたのでしょうが、流石にこれは」
歌音の射撃が、麻夜に迫る一匹のゴキブリを捉えた。
視覚的効果を言うなら、女性がゴキブリと格闘する姿とて、男からしてみれば気の滅入る光景である。
これは即時に対処せねばならぬ、と彼が感じて手を出したのも、無理なからぬことであろう。
そして事前の打ち合わせとは、思いもよらぬ形ではあるが――以外にも良い形で、連携が取れていた。冷静さを失っても、戦闘能力までは失っていない。そして仲間を思う行動が、良い形で作用しているのだから、当然ともいえるだろう。
二十匹ほど潰した所で、一旦敵の攻勢が止んだ。これからは、また探索、索敵の形になるが、突入前の心持ちでいられるものは、誰もいなかった。
一度襲撃されれば、警戒するのが当然というもの。パーティ全体で、鋭敏聴覚やスキルによる索敵を行い、奇襲の予防と敵の早期発見に力を尽くす。
可能ならば、敵がこちらを知覚する前に、先手を取りたいところであった。
「同じ日陰もの同士、もう少し親密感がわくかと思ったけど、嫌悪感しかわかないわ」
「……いやですわね、もう。体は反射で動いてくれますけど、あのおぞましい……姿には、慣れようがありませんわ」
ソーニャの言葉に、みずほが同調するように言う。口調こそ平静だが、その目には涙の跡があり、心なしか顔色も悪かった。
彼女らの様子をかんがみて、いくらかでも慰めた方がいいのだろうかと、考える者もいないではなかったが、結局この手の感情は、己で処理するほかない。
「そこにいますね」
「一匹だけか?」
「はい。焼きますので、ご注意を」
とりあえず、見つけ次第、迅速に処理することで彼らは対応する。
その度にびくり、と体を震えさせるソーニャとみずほの姿は、いかにも女の子らしかった。
……が、そうしていられるのも長い間ではない。
廃墟を探索し続け、散発的な処理を行う内に、ついに最後の部分の詰めに入った。
一階、二階の部屋はほぼ探り終え、最後の一室、二階の物置を残すのみとなった。
「扉の隙間からでも、かなりわかりますね。黒い塊が、動いている様子が見えます」
「そうですね。僕は不快でも、まだ平気ですが……あの部屋にびっちり詰まっているなら、女の子二人には少しきついでしょうか?」
ヴェスの指摘に、イアンが悩みながらも答えた。物置を閉じている扉は老朽化が進んでおり、廊下側からでも中がいくらか確認できる。
おおよそだが、十数匹はいるのではないか。そして、あの扉を開けたら、一斉に飛びかかってくるのではないか。
「わっ、わたくしなら大丈夫ですわよ!? 甘く見ないでくださいませッ」
「どうしてゴキブリって怖いんでしょう。うにょうにょ動く触覚とか。……ボクも、うん、大丈夫。お仕事しないといけないってことは、ちゃんとわかってるから」
みずほとソーニャの言葉に、嘘はないと誰もが見る。彼女らとて撃退士である。生理的嫌悪感から恐慌を来しても、それが敵の能力によるものでなければ、精神の深刻な所までは、侵されぬはずだ。
つまり、戦力になる。ならば、動くべきだった。
「飛行なんてさせないし、させたとしても撃ち落とす。完全な補償はできないけど、留意はする」
「子供の頃から家族にゴキブリ退治を言い渡されて幾星霜。ボクの方が慣れてるだろうから、代われる所は代わるよ」
歌音が二人を鼓舞するように言い、麻夜は軽妙に軽口を叩く。だから大したことはないのだと、言い聞かせるように。
最後の戦闘は、突入と同時に始まった。
そして、最後の絶叫も、突入と同時に響き渡った。
「ひッ、やぁぁ――ッ!」
「ええいそこだー!! いてまえー!!」
みずほは恐怖を振り切るように前に出た。実際、彼女は近接攻撃しか決定打がなく、他に選択肢がない。泣きながらゴキブリを殴り飛ばし、体液をひっかぶり、ぬぐって、気持ち悪さと手に残る感触のひどさに目眩を覚えて。それでも泣きじゃくりながら、闘志だけは萎えさせなかった。
ソーニャは距離を取れるだけ、マシだった。ライフルの掃射は変わらず敵を痛めつける。
「不法占拠の罪により串刺しの刑に処す。なんて、ね」
麻夜は初手でSelfish Judgmentを使用した。性質上、乱戦になる前に使うしかない技だが、鋭利化した多数の翼は純粋な凶器であり、敵を串刺しにしていく。
「逃がさない。『目標捕捉』……狙撃手!」
歌音が、射程ギリギリの敵を撃ち抜いた。敵に逃亡の気配は薄いが、わずかでも兆候が見られたなら、それを逃さず打つのが『狙撃手』である。
「顔にくっつかれるのは嫌ですね」
イアンが、近くに来たゴキブリを盾で叩き落とす。注意をなるべく己に引きつけ、これに耐えるのが彼なりの感情の発露であった。
「この敵達は失敗作です。……そうでなくては、ならないのです」
ヴェスがガルムSPを構え、撃つ。距離に応じて武器を持ちかえ、状況に対応した。
ゴキブリのサーバントが、その体液を噴出させながら、倒れる。まだ動くそれらに慈悲を与えるように、確実に止めを刺す。
「ひぃ、ヒッ――」
前線で拳を振るっていたみずほに、ゴキブリが飛びかかる。顔面に直撃するはずだったソレは、歌音の射撃でどうにか撃ち落とされた。しかし未遂とはいえ恐怖には違いない。
気を取られた所で体当たりを受け、あわや押し倒されるか、という所まで追いつめられもしたが、敵の数も減ってきた頃合いで、これもなんとか切り抜けた。みずほに限らないが、こうした特殊な敵との戦闘は、得る物が多い。
最後の一匹を潰した時、彼女は顔色を失いつつも、戦意だけは失わなかった。泣きながらでも、戦えているのだ。それを評価しない者など、誰もいなかった。
「あの液体を掃除しなくてもいいっていうのはありがたいですが、汚いままでいるのは気に入りませんね」
「嫌がらせ目的としは、中々。認めるのは、癪ですが」
あの部屋での戦闘を最後に、敵は姿を見なくなった。改めて探索しなおし、討ち漏らしがないか確認後、予め持参したシートで順次回収。処理業者のもとへ搬送した。掃討は済んだと見るべきだろう。
イアンとヴェスは疲れ気味に語る。仲間達にはタオルを手渡し、気休め程度に汚れを取った。
「体を洗ったら、お茶にしよう。今日は疲れた」
歌音は至って変りなく。せめて自分を労おうと、後の事を考えていた。
「ううッ、黒いの、怖いの。アレが動いて、顔に、顔に……」
「よしよし、怖かったね。もう大丈夫だよ」
「ゴキブリさんが悪いわけじゃないんだろけど、それでもダメなの……」
膝を抱えて泣くソーニャとみずほが、麻夜に慰められる。この一件で、深刻なトラウマが出来てしまったようで、心苦しい。
依頼は成功だが、後味の悪さは何とも言えぬ。関わった者達だけが分かる、不快害虫の掃討。今後、皆は決してこの件を話したがらないだろう――。