「あくまで掃討。ま、元を断たなきゃねえ。わっかってんじゃん」
常木 黎(
ja0718)が言った。元より、敵を逃がしていい討伐依頼などない。逃亡対策は十分に練ってある。
「後は、私たちが負けなきゃいいんだ」
「そうね。……GPSの発信源、座標は常に確認していきましょう。索敵しながらの移動になるから、その点も注意して」
黎の友人である、点喰 因(
jb4659)が注意を促すように言った。今回は救助も目的である。救助対象の男性は携帯をもっているから、GPS機能を活用して居場所を特定するのは当然のこと。
それ以上に警戒しなくてはならないのは、道中の安全である。敵の奇襲は、可能性として考慮に入れておくべきである。そして、地形情報は事前に調べておくにこしたことはない。
「警戒はもちろんだけど、倒すにせよ助けるにせよ早めにやっておきたいね」
ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)が、手荷物を確認しながら応えた。杞憂だと思いたいが、探索が長引いて日が暮れる可能性もなくはない。ナイトビジョンを用意して、暗くなった時の対策とした。
「野良の蜘蛛型ですか……。天性の狩人という点では油断なりませんが、時間が限られているのでその点を意識して確実に叩きたいと思いますね。タイムリミットは、今日中という所でしょうか」
仁良井 叶伊(
ja0618)はより具体的に、時間を区切って考えていた。夜になったからといって、一時帰還することは上手くない。むしろ、今日中にけりをつけるつもりで望むべきだった。
「救助者が一人とは限らないよね? 報告にはなかったけれど、他に巻き込まれた人がいるかもしれない」
龍崎海(
ja0565)は疑問を口にしたが、そこまでは作戦の目的に入っていない。現地の目撃者からの証言と、被害報告から言っても、他に救助すべき人がいるとは考えづらかった。
「万が一、ですね。おそらくないと思いますが、その場合でも最善を尽くすしかありません。方針は、変わりませんね」
ヴィーヴィル V アイゼンブルク(
ja1097)は、救助に意識が行きすぎているように感じられた。せめて自分だけは、優先順位をわきまえねばならないと思う。
まず、敵の討伐。救助はその過程で確実に行うべき行為に過ぎず、敵に対する攻撃的な姿勢こそが、この場では重要ではないだろうか。
「救助するのは当然ですが、敵を逃がしては元も子もありません。次の被害者を出さないためにも、ここで仕留める必要があります。一旦男性を確保したら、私が護衛に入ります。皆さんは攻撃に集中してください」
個人的に優先したい順位としては、人命が先。この点の認識は、彼女とて同じである。
だが人命を優先するならば、これ以降の被害を抑えることがもっとも重要。ここで一人救っても、逃して二人三人と蜘蛛の餌食になるようでは、何のために戦っているかわからなくなる。
「一人で大丈夫かい?」
「はい。攻撃の手を緩めては、ここぞという所で火力が足りなくなる可能性がありますので」
海の問いかけに、ヴィーヴィルは頷いて返す。本心からである。実際、効率を考えればそのほうがよかろう。
「出来れば夕暮までに着きたい物ですね」
「用意はしてあるけど、暗くなるまでに終わらせられるなら、その方がいいもんね」
叶伊の言葉に、ソフィアも同意する。暗くなれば索敵にも不利だ。奇襲を受ける可能性を減らしたいのなら、すぐに行動して早めに見つけるべきであろう。
「では、参りましょう。準備はよろしいですか? 皆さん」
因が確認するように皆に問い、全員がそれを肯定して返した。撃退士たちは山に入る。救助のために。そして、敵の蜘蛛を討伐するために――。
山の中は、特別険しいものでもなかった。平地とは比べるべくもないが、ある程度までは人の手が入っており、足場もそこまで悪くない。
雨のあとであれば、相当ひどいことになっただろうが、今日は天候も良好である。
「生命探知に、わかりやすい反応はない。……このまま進もう」
海が生命探知の技能を用いて、周囲を把握する。
GPS反応を追っていくのは当然だが、道中で生命探知を使用して索敵するのも基本である。もっとも、確実で堅実、というほどの精度は得られない。他の手段も併用するのが常である。
とはいえ、安易に阻霊符に頼るのもはばかられた。敵は撃退士との交戦経験がない。透過能力を無効化する手段を、こちらが要すると知れば、慎重になって攻めて来ないかもしれないのだ。
相手の迂闊な行動を期待したいこちらとしては、遭遇時に使用して、敵の意表をつきたい所である。
「最悪でも、夕暮までに着きたいものですね」
叶伊はやや先行し、周囲を警戒しながら進んだ。いわゆる斥候の役目を、己に課している。いざとなれば、真っ先に攻撃を受けることになるだろうが、その程度の覚悟もなしにできる仕事ではない。
彼は自ら志願して役目を担っている。懸念は時間である。どこで敵と出くわすかはわからないが、夕暮れまでに救出しないと、夜の山中を歩き回る羽目になる。救助対象を抱えたまま、夜の山を歩くというのも、恐ろしかった。
「襲って来るにしても、わかりやすいやり方で来るなら、そう怖くもないんだけど」
奇襲が来るとすれば、土中や樹木の上。蜘蛛が襲撃し易そうな場所を考えれば、それは自ずと特定できる。
この辺りの通過時は、奇襲を厳重警戒しなければならないと、黎は見定めていた。
警戒に当たるのは、彼女だけではなく、ソフィアらも同じであるのだが、四方八方全て警戒しようとすれば、かえって見えない部分が出てくる。
気を張り詰めた中にある見落としを、黎はつぶさに拾っていく。この点、正規の訓練を受けた者の意識の差というべきか。
「流石に、わかりやすく待機してくれてるってこともないですね」
因は事前に調べた、小さい谷の場所などを、近くを通るたびにその目で確認していく。戦場とするに的確か、透過が解除された場合は通り抜けやすそうか、潜めば見つかりにくいかどうか。
敵は透過しているが、襲う際にはきちんと姿を見せる。警戒にはその予兆を察することも重要だ。
「巣にこもってるのかな?」
「だったら話は早いですね。救助と戦闘が1セットです。――でも、油断はできません」
ソフィアの疑問に、ヴィーヴィルが答える。実際、可能性としてはあり得るものの、気を抜く理由にはならない。
GPSの機能は、正常である。このままの歩みで行けば、夕暮れの前にはつく。しかし、もし蜘蛛が巣にこもっているのなら、その時こそがもっとも危険な時間となるであろう。
ここまでの撃退士たちの動きが、実は蜘蛛の目に触れていて、じっと観察されていたとしたら、どうだろうか。
その可能性に思い至っていても、撃退士の方から具体的な行動に出るのは難しい。ただ、全員が襲撃を予測し、警戒していたこと。要所要所で意識して、目を向けていた部分があったからこそ、蜘蛛は奇襲を断念していたのだ。
蜘蛛は捕食者だが、獲物の反撃は常に予測する。このディアボロは未熟であるからこそ、思い切った行動に出れないでいた。
常に相手にしてきた獲物と違い、あからさまな警戒を向ける手合いと対するのは初めてである。よって、まずは警戒を解く隙を狙う。そうした消極的な判断をしても、別に不自然ではなかったろう。
「さて、この辺りでしょうか」
「GPSの反応を見るに、近くであることは間違いないでしょうね」
叶伊の言葉を、ヴィーヴィルが肯定した。この情報を疑っては前提が崩壊する。何事もなくここまでたどり着けたことを幸運と思い、男性の探索に力を尽くすべき。
とはいえ、限定された空間の中で、巣を作れるほどのスペースを探せばいいのだから、事は思ったより早く済んだ。
その蜘蛛の巣は、隠蔽されていなかった。他所からの襲撃など、まるで考えたことがないようで――捕らえられた獲物たちが、白い繭の形でそのまま木に括りつけられている。
繭は糸で固定されており、触ってみると意外に強靭であることがわかる。力任せに引きちぎることもできなくはないが、ねばりがあって手間取りそうだった。
「海さん。生命探知は?」
「……そうだね。それらしい反応はある。近場の反応から、片っ端にあたっていこう」
ソフィアの問いに、海は如才なく答えた。相応の経験を積んだ撃退士であれば、ここで手抜かりなどありえぬことである。
この時に備えて残しておいた生命探知を用いて、目標を探索する。繭の中には、体液を吸われて干からびた動物の遺骸が、むき出しのまま晒されているのもあった。
「――これか?」
海が正解にたどり着いたのは、この場に来てからおおよそ十数分。これは単なる幸運の賜物だが、時間を浪費せずに済んだのは、誰にとっても僥倖であった。
繭を割いた所から、まだ暖かい人間の体が露出する。生きていることは明白だが、衰弱している可能性がある。速やかに手当しなくてはならない。
「見つけた! こっちに来てくれ!」
海が皆に呼びかけるのと、大蜘蛛が彼に向かっていく速度と、どちらが早かっただろう。
どちらにせよ、このタイミングで出てきた敵の意図は一つしかない。
『相手が気を抜いた瞬間を狙い打つ』
蜘蛛が戦術的な行動に出たのは、これが初めてのことであった。
経験がないにしても、その蜘蛛は撃退士たちを難敵と認めていた。それゆえに、真正面から向かい打たず、弱みにつけこむ手を取ったのである。
「阻霊符!」
「――了解ッ!」
ただ、今回は相手が悪かった。仲間の声掛けに反応し、海は即座に阻霊符を使用。敵の姿を明確にした。透過状態が唐突に解除され、その大蜘蛛は思わず立ち止まって困惑する。
そもそもの前提からして、撃退士たちは毛筋のほども油断はしていなかったし、探索中に襲撃を喰らうことなど予測済みであった。
巣に着いてから、周辺の蜘蛛の痕跡を探っていた叶伊。敵の襲撃する方向を予期して警戒し続け、奇襲に備えていた黎。救助中こそが危険と、探索中の警戒に意識を割いていたソフィア。
皆が皆、この展開を予想していた以上。事前のわずかな違和感から、素早く敵の攻撃を察知し、この即時対応まで持っていくのは難しい話ではなかった。
「……あからさまに近づいてきて、バレないとでも思ったか?」
そして、海の生命探知は、近づいてきた蜘蛛を補足していた。これまで透過能力でどうにかなっていたのだから、蜘蛛としては事前に対処法があるなど、理解していなかったに違いない。だからこそ敵の動揺は大きく――それゆえに、撃退士たちは緒戦の優位を拾ったのである。
知ってか知らずか、すでにここは幻影の鎖の間合い。幻影による心理的圧力は、確実に敵の身を束縛した。
「逃がしゃしないわよ。――っと」
黎がマーキングを使用し、相手の逃亡に備えた。これで蜘蛛は、束縛から逃れても、マーキングが続く限り追われることになるのだ。
もっとも、逃れる、ということが果たして。現実的であるかどうかは――疑問であった。
「ここで、確実に叩く!」
叶伊は近接で格闘戦を挑んでいた。束縛されているとはいえ、隣接している相手に攻撃することくらいはできる。蜘蛛にとっても、ここは攻撃圏内。
しかしそれでも直接殴りつけることの意味を、彼は考えていた。
――狙うは、脚。ここで機動力を削げば、逃亡しにくくなる。
もちろん、蜘蛛の方とてやられるばかりではない。糸を吹き付け、叶伊を束縛して黙らせようと動いたが――そのあからさまな動作を見逃すなど、ありえない話である。
「男性はこちらで護衛します。皆さんは、遠慮なく攻めてください!」
皆が戦闘に意識を集中している間、ヴィーヴィルは救助した男性を確保して防衛に回っていた。即座に出来る限りの治療は行いつつ、襲撃の気配があれば緊急障壁や魔法などで対処する体勢である。
本当に最低限の処置しか出来ていないが、すぐに命に関わるような状態ではなく、余裕はあった。
ならば、と彼女は牽制とガードに特化してサポートに徹する。状況は六対一。合間の隙をフォローすることで、作戦の穴を埋めていくのが、彼女の仕事になった。
「好き勝手できたのは、今日までだね。――あたしは、遠くから確実にやらせてもらうよ」
ソフィアは遠距離攻撃主体の攻めに出た。一撃で戦局を決するような火力を出すのが目的ではなく、こちらも味方の支援を主とする。
敵が男性の方に行ったり、流れ弾が飛んでいったりしないように注意していたのは、彼女の用心深さを表すものだった。護衛のヴィーヴィルと結果的に連携することとなったが、これで安全は確保できている。
「なんだか絵巻の妖怪みたいだねぇ」
因が言う。蜘蛛の巨体を見れば、そのような感想も沸くのだろうが。実際の戦闘で、そう呟ける余裕を持てるというのは重要である。
つまり、危なげなく戦いを処理できている。彼女は最前衛に滑り込み、痛打を浴びせた後は、足関節部を狙って切断による移動阻害を試みていた。
「……一本」
「はい、二本」
蜘蛛の足は八本ある。それを因と黎が一本づつ潰した。黎はマーキングの後、敵側背に回り込みつつ援護射撃を行っていた。味方の打ち込みの後を追撃し、弱った脚を撃ち続けた結果である。
「三本! ――これで!」
そして、叶伊が力任せに三本目を叩き折った。これで蜘蛛は機動力を大幅に失ったことになる。これまで抵抗を続けていたが、蜘蛛の方は撃退士たちに一定の痛打は与えても、戦闘に支障をきたすほどの重傷は与えられていない。初動の差がここまで響いている。
以降の詳細は、記す必要もないだろう。順当に勝利。端的に表すなら、そのような結果となった。
戦闘の後、救助された男性は、繭を引き剥がす過程で意識を取り戻していた。
とはいえ、うすらぼんやりとした程度の意識で、目はうつろである。マインドケアならば、気休め程度の効果はあるだろうと、海が処置する。
「大丈夫ですか?」
「……うう」
ヒールも追加する。蜘蛛に乱暴に運ばれたらしく、内出血の後もあったが、これで大事はない。
「ここは……なんだ? 何が起こって……」
「ちょいと不幸な事故にあったんだよ。まあ、助けられて良かった」
ようやくはっきりとした感覚が戻ったのか、男性が疑問を口にする。
黎は適当に言葉を濁しながら、てきぱきと応急の手当をした。助けた以上は生きててもらわなければ、目覚めが悪い。念には念をいれるように、丁寧に行なう。
「なんだかわからないが、ありがとう。助かったよ」
男性はこうして助けられ、無事に帰還する。帰りに飲食物を口にできる程度には、体力も回復していた。病院で検査を受けたが、問題はなかったとのこと。
こうして、数ある事件の一つとして、この件は処理された。
今では誰ひとりの犠牲もなく終えられた事件として、斡旋所の記録に残るばかりである。