奇しくも最初の目撃情報があった時刻が訪れた。西に沈む夕日により、世界と炎の境界線が曖昧になる。
駐車場の中心には燃え盛る炎。その勢いが衰えぬよう、シュルヴィア・エルヴァスティ(
jb1002)と楠木 くるみ子(
ja3222)が時折、薪を放り込んだ。
「もーえろよもえろーよ♪」と定番とも言える歌を口ずさむ、くるみ子の姿は現場の緊張感にそぐわなかったが、無駄に緊張して、動きが鈍くなるよりは遥かにマシだと言えた。
昼過ぎに現場を訪れ、様々な準備を済ませてから、一時間ほどが過ぎている。しかしながら目標が現れる気配は無かった。
猟師たちにも準備を手伝ってもらったが、戦闘に巻き込むのは危険と判断し、既に退避してもらっている。そのためか、無視できない緊張感をあらわすように、不気味な静寂が現場を包み込んだ。
「……来るかしらね。出来れば日暮れまでにけりを着けたいのだけれど」
エルヴァスティの言うことは、もっともだ。誰一人否定することなく、同意するように小さく頷いた。
そんなくるみ子の姿を遠目から見つめる雫(
ja1894)――見た目は、くるみ子と同じぐらい幼いのだが、その瞳は静かな光を宿している――は小さく零す。
「こんな状態で無ければ、お芋や栗を焼いたりして楽しめるのですが」
雫と共に遮蔽物に身を隠す千堂 騏(
ja8900)も同意見だ。
そもそも火を食らうディアボロに対し、「随分と悪食なもんだ」と素直な感想を漏らしていた。
そんな撃退士らを――否、彼らが誘き寄せるために準備した揺れる炎を見つめる影が一つ。木々の作り出した濃い影の中に、異様な存在感を放つモノが現れた。緩やかな足取りは葉を踏み、木の枝を砕き、僅かながら地に沈む。
(……おや?)
その存在に、いち早く気づいたのは八重咲堂 夕刻(
jb1033)。夕刻は対象が訪れるであろう、山側の木々の上で息を潜めて待機していたのだ。
ちらと駐車場側に目をやるが、待機している彼らが気づいている様子は無い。ただ、幸いなことに薪を足していたくるみ子は、既に車の陰に戻っていた。
これならば心配あるまい――背後からの奇襲に備え、夕刻はそのまま待機する。口の端には、僅かながら笑みが浮かんでいた。今すぐにでも斬りかかりたい――そんな感情を無表情で押し殺しているかのようであった。
やがて対象が木々を抜けて、駐車場に姿を現した。真っ赤な毛並みは夕日により、馴染む。巨躯は圧巻の一言で、残るメンバー五名も息を呑んだ。
見た目は、まさに熊である。しかしながら野生の本能とは反し、炎に向かう足取りに躊躇いは無かった。
赤い悪魔は炎に鼻先を近づけ、まるで炎と戯れるように食し始めた。撃退士は静かに、それを見守る。敵意を殺し、息をも潜め、奇襲のタイミングを待つ。
――今作戦では奇襲の成否が全てを分かつ。
霧原 沙希(
ja3448)は自らの新しい相棒――改良済みのパイルバンカーを握り、その時を待つ。
それにしても凄い食欲であった。キャンプファイヤーとは言えなくとも、結構な勢いで燃えていた炎が、瞬く間に消えてゆく。
頃合だろうか――砂利の音を立てないよう、沙希は、そっと腰を上げて体勢を整える。
自分が傷つく分には構わない――その想いが一番槍として突入する決意を固めさせた。
「――ッあああ!!」
飛び込むと同時に黒耀砕撃を発動。見る間に魔具は禍々しい形状へと化す。改良パイルバンカーに黒耀砕撃による一撃が、巨躯に吸い込まれる――はずであった。
しかしながら、ほぼ同時よりも、少し早く飛び出していた者がいた。 騏は武器を振り上げ、既に攻撃体勢に入っていたため、巻き込むことを恐れた沙希の手が少し止まる。
騏の放つ地平を薙ぐような一閃。奇襲の的として、対象はあまりにも巨躯すぎた。
しかしながら流石はディアボロと言ったところか。野生の熊とは比にならぬ速度で身を引き、薙ぎ払いを躱す。
刹那、 騏と悪魔の視線が交錯する。先ほどまで穏やかだった悪魔の瞳に圧倒的な敵意が浮かんだ。
――奇襲失敗。
脳裏を過った最悪の可能性。ただ、それを一瞬で霧散させたのは、やや遅れて飛び込んだ沙希、そして雫であった。
短く息を吐きながら、二人は突進する。 沙希と雫はそれぞれ後ろ足を綺麗に叩き、悪魔を転倒させるに至った。
ただ、その強力な一撃の代償か。反動を一身に受けた沙希の身体が硬直する。腕は痺れ、僅かながら眉をひそめた。それでも体勢を整え、一度悪魔から距離を取った。
――行ける。
沙希と雫が悪魔から離れたのを確認し、エルヴァスティ、くるみ子も車の陰から飛び出した。少し離れた位置の夕刻も、木から飛び降りて一気に駆け出す。
くるみ子は光纏と同時に「任せておけ」と小さく呟く。
(せっちゃん、後は頼むのじゃ)
くるみ子の中に存在する別人格、瀬織津姫へのバトンタッチであった。
未だ体勢を崩したままの悪魔。その無防備な懐に潜りこみ、強烈な一撃――インパクトを加える。乳児と大人以上の体格差であったが、悪魔の身体が僅かながら宙に浮いた。
その背後――出来得る限り死角に回りこみつつ、 エルヴァスティはゴーストバレットを放つ。
とは言え、当たれば悪魔も振り返る。しかしながら悪魔の視界を遮ったのは、夕日にも勝る禍々しき逢魔が時の双眸であった。
振り向き様に飛び込んだのは夕刻だ。頭――更に言うなら目を狙うように、戦斧を横に薙ぐ。狙いは僅かに逸れたものの、追撃としては充分。刹那ながら悪魔が怯んだ隙に、夕刻は距離を取った。決して打たれ強くない自らの戦闘能力を充分に把握しており、それが冷静な判断へと繋がった。
奇襲の後、体勢を整えた騏、沙希、雫も更なる追撃を目論んで、悪魔へと疾走する。
しかしながら、それを遮るように悪魔が吼えた。度重なる攻撃は逆鱗に触れたのだろうか。全身の毛を逆立てて威嚇する様は、歴戦の撃退士ですら恐怖を覚えた。
それでも挟み撃ちにできる現状を逃すのは、不本意であった。雫は畳みかけるべく、闘気解放を行い、更に痛打、徹しへと流れるように技を紡ぐ。
雫の確実な手応えは僅かながら油断を生み、刹那ながら悪魔に付け込む隙を与えてしまった。強烈な一撃を貰い、結果としては相打ちとなる。
ただ雫の熟練された技は確実に悪魔を追い詰め、その後の追撃は許さなかった。弱った悪魔は大きな体躯をよろめかせている。
「大丈夫か?」
吹き飛んで、結果的に距離を取ることができた雫の下に、くるみ子が駆け寄る。言葉を紡ぎ、放たれるはライトヒール。雫の身体に送り込まれたアウルが熱となり、確実に痛みを和らげた。
その安息も束の間、体勢を整えた悪魔が鋭い眼差しを雫に向ける。雫の強烈なコンビネーションに比例するように、悪魔の憎悪が燃え上がるのが分かった。
――まずい。
雫の受けた傷は決して浅くはない。ライトヒールの効果があるとは言え、下手をすると、くるみ子とまとめて一網打尽にされる最悪の可能性が、雫の脳裏を掠める。
ただ、その間に割って入る者がいた。痛みを堪え、再び黒耀砕撃を構えながら、悪魔を迎え撃たんとするのは沙希だ。やはり、ここでも自分が傷つく分には構わないとの思考が働き、危機をいち早く察知して飛び込んだのだ。
沙希と悪魔が、互いに吼えながら正面衝突する。その体格差を考えれば、沙希が圧倒的に不利だと思えた。しかしながら雫の与えたダメージが悪魔の力を根こそぎ奪い取ったのだろう。逆に悪魔を押し返す結果となった。
――今度こそ。
沙希と悪魔の間に飛び込んだのは騏だ。沙希の黒耀砕撃から、流れるような連携でダメ押しの一撃――薙ぎ払いを放つ。今回は有り余る巨躯に吸い込まれ、大きな隙を作り出すことに成功した。
悪魔は怯みつつ、後ろに下がる。そこで夕刻は阻霊符を抜いて、発動した。戦況を見守っていたため、手際は良い。透過能力を失った悪魔は軋む地に驚愕しつつも、成す術が無かった。そのまま巨大な穴に落ちていった。
前もって準備しておいた落とし穴だ。網が手足に絡まり、悪魔の動きが鈍る。まるで殺された猟師の怨念の如く、まとわりつく。
万全の体調であれば、悪魔は激昂し、引きちぎってでも脱出したことだろう。しかしながら、ここに来て、最初に受けた後ろ足のダメージ、そして雫の身を省みないコンビネーションによるダメージの蓄積が、それを阻んだ。穴の底では、もはや最初の威圧感は無く、芋虫のように転がる、ただの熊の姿があった。
それを憐憫を含んだ瞳で見下ろしながらも、エルヴァスティは銃を構える。雫とくるみ子を除き、残る三名、沙希、騏、夕刻も穴の上から見据える――各々の武器を構えて。
「さあ、散って下さいね……赤い悪魔さん」
最後を告げる夕刻。それを合図に、撃退士によるトドメの一撃が下された。
しばらくして。
太陽は完全に沈んだ頃、辺りは人工の光――車のヘッドライトで満たされた。猟師と連絡を取り、退治が済んだことを告げたのだ。
迎えの願いと、後片付けを協力して進めた。火はそれほど散っていないが、それでも念を押すように、準備しておいた消火器を使って鎮火した後に、更に水をかけた。
そもそも駐車場だったので、大きく掘った落とし穴も埋めなければならなかったが、それは猟師たちが機器を導入して、手早く済ませた。
その間、怪我の無い者は片付けを手伝った。雫は大事に至らなかったものの、猟師の気配りもあり、安静にしていた。暇を持て余しているのか、感情の読めない瞳で、ぼんやりと風景を眺めている。
エルヴァスティも戦闘の疲れからか、雫と共に休息を取る。手伝えない罪悪感からか、エルヴァスティの表情は少し曇っていた。
それでも箒でせっせと掃き掃除をする、くるみ子を中心に、残る三名も黙々と片付けを進めた。
数名はそのまま帰ろうとしたのだが、くるみ子曰く「後片付けもちゃんとするのじゃ!」であった。
そのためか、あっという間に済み、猟師を含め、一同が顔を合わせる。
「お疲れ様でした」
夕刻は穏やかな笑みを浮かべる。それに応じるように労いや感謝の言葉が飛び通った。
やがて全員が車に乗り込み、ゆっくりと下山してゆく。それを見送る山々は穏やかな静寂を取り戻した。