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教会で出会ったシュトラッサー、玄朗は去った。
残されたのは、三つ目の石版。「異」wahaheremesurisayoと記されたそれは、今までに得てきた二つの石版と関連があることはまず間違いなさそうである。
「奴は、石版の『使い方』と言ったな」
玄朗の言葉を思い出し、鳳 静矢(
ja3856)は顎をしゃくる。
わざわざ石版を残していったということは、「この謎を解いてみろ」という挑戦にも受け取れる。少し考え方を変えれば、謎を解けば再び玄朗と対面できる可能性があるということだ。
「そうは言ってもなー……。俺、こういうのよくわかんねーよ」
ふぅ、と息を吐いてハルティア・J・マルコシアス(
jb2524)は己の耳を弄った。考えるのは苦手らしい。
その横で、緋伝 瀬兎(
ja0009)は石版の文字をノートに書き写していた。
「うーん、石版の頭には漢字があって、その後にアルファベットが並んでる……。なんでだろ」
ボリボリとペンの尻でこめかみを掻き、思考を練る。何かが見えそうだが、もう少し時間をかけて考える必要がありそうだ。
と、その時。
教会の扉が開かれた。
撃退士たちはとっさに敵襲を予感して身構えた。
そこにいたのは、一人の女性。白衣と眼鏡が知的な印象を醸し出している。
「だ、誰だ、あのシュトラッサーの仲間か!?」
敵意を剥き出しにしてハルティアが問いかける。
すると女性はすっと肩を落としてやれやれと頭を振った。
「せっかく手伝いにきたというのに、随分なご挨拶だね」
「ふむ、ということは味方のようだね」
警戒を解き、ハルルカ=レイニィズ(
jb2546)が女性を招き入れる。
「そういうことです。私は博士・美月(
ja0044)。他の用事を片付けていて合流が遅れました。それよりも……随分と面白そうなことをしているね」
軽く挨拶を終えた美月が石版を覗きこむ。
並ぶ文字列。撃退士たちの様子から、これを解読しているのだということはすぐに分かった。
「どうした? 顔色悪いぞ」
難しいことを考えるのは、そういうのが得意な人に任せることにしたハルティア。ぐるっと周囲を見回すと、元々白い霧原 沙希(
ja3448)の顔が、いつにも増して青ざめているように見えたのだ。
「……隈のことなら、生まれつきだから」
「いや、そうじゃなくて。なんつーか、気分悪そうというか。腹でも減ったか?」
そんな話が聞こえた瀬兎は、一度頭を休ませるのも兼ねて鞄を漁った。
あったあった、と小さく声を上げ、彼女が取り出したのは舵天照チョコである。
「はいこれ、あげる。元気出ると思うよ」
「フム、糖分の摂取は心身の疲労回復に役立ちますからね。実に合理的です」
うんうんと頷き、美月もチョコを食べるよう勧める。
しかし沙希の返事はNOだった。
「……そういう気分じゃないの」
「無理せず、少し休んでいていい。ハルティアさん、ついてやっててくれ」
静矢に言われ、ハルティアが沙希と共に長椅子に腰かける。
沙希一人にしなかったのは、静矢なりの気遣いだった。これまでに出会ったサーバントは、捜索すべき行方不明者である可能性が高い。そこに沙希の感情に触れるものがあったのだろうと考えた静矢は、隣にハルティアをつけておけば負の思考が連鎖するのを多少緩和させられると思ったのだ。
残りのメンバーは再び石版の謎に取り掛かる。
「さて、どう読んだものだろうね。この文字列、必ず意味があるはずなのだが」
「まずは分かりやすいところから考えていくのが定石ですよ。破、露、異の漢字に注目してみましょう」
顎に手を当て、唸るハルルカ。
美月が考え方のヒントを与える。分かりそうなところから整理していくと、連鎖して他のところが見えてくることもあるものだと。
「分かった、ハロイじゃなくて、イロハだ! きっとこれ、石版の順番なんだよ」
「なるほどな。では石版を並べ替えてみようか」
石版を手に取った静矢は、それぞれを異露破の順番に並べ替えた。
すると、以下のようになる。
「異」wahaheremesurisayo
「露」tatemerunimekasau
「破」sinnsatamuewoge
次に気付いたのは、このアルファベットがローマ字読みできるということだ。
「素直に読むと『わはへれめすりさよたてめるにめかさうしんさたむえをげ』だね。やはり、さっぱりだ」
ハルルカが肩を竦めた。
これだけを見ても、何のことだかよくわからない。
念のために、瀬兎がノートに新しい順番で書き直す。
ノートには次のようにまとめられた。
「異」わはへれめすりさよ
「露」たてめるにめかさう
「破」しんさたむえをげ
「それぞれの漢字の読みも合わせて読んでいってはどうだろう?」
「いえ、それでもやはり意味が通じないです」
悩みつつ、思い付いたことをひとまず口にする静矢。しかし美月は首を振った。
それでも、意味が繋がらない。
イロハの発想はかなり正解に近づいたように思えたのだが……。
その時。アッと瀬兎が声を上げた。
「これ多分、縦読みじゃない? ほら、最初の文字を縦に読むと、『わたし』になるし」
「それはかなり、いい線をいっているようだね。そっちにひらがなで書き写したのなら、そのまま読んでみてはくれないか?」
ハルルカに言われ、頷いた瀬兎が一つ咳払いをして読み上げる。
「えーっと……。わたしはてんへめされるためにむすめえりかをささげよう。……『私は天へ召されるために娘エリカを捧げよう』だ!」
意味が繋がった。
日本語として、しっかり通じる。瀬兎が読み上げた内容が、石版に記された答えであると確信しても良さそうである。
その言葉を発せられた直後。ガタ、と大きな音が鳴った。
ハルティアが立ち上がり、その横で沙希が自らを抱え、うずくまっているのだ。
「お、おい、どうした、大丈夫か、おい!」
肩を擦り、声をかけるハルティア。
沙希の唇が震えている。
微かに、声が漏れる。そう気付いたハルティアが、沙希の口に耳を近づけた。
「何が……」
言葉に怪訝な表情を浮かべるハルティア。
次に紡がれた声は存外大きく、その瞬間彼女は大きく飛び退くことになる。
「……何が天よ、何が、何が娘を捧げよう、よ。認めない、絶対認めないから!」
脳の奥にまで声が響き、驚いてひっくり返ったハルティアが耳を抑えて震える。
あぁ、耳が、耳が、と呻く彼女の背を、ハルルカが擦った。
「気分が悪かったのは、そういうことだったか」
「……それで、その石版、どうするの? 意味が分かって、それをどこで使うの?」
納得した様子の静矢に、沙希が問いかける。
沙希の感情は走りだした。湧き上がる激情は、もう止められない。
エリカ――恐らくは玄朗の娘。そして小屋で見つけた日記に記された「あの子」のこと。
身勝手な親のため、子が被害に遭う。
重なるのだ。沙希の生きた環境と。
もう見たくもないと思っていた、親に苦しめられる子の姿。
エリカがいったいどのような目に遭っていたかは分からない。しかし、親に恐怖し、震える少女の姿が、沙希の瞼には浮かんでくるようだった。
「ヒントは既に得ている。玄朗はそう言ったな。恐らくは……」
「この日記、だね」
小屋から失敬していた日記を取り出した瀬兎が、ページを開く。
最もそれらしいことが書かれているのは、やはり最後の日記だろう。
2008年6月22日
素晴らしい!
積年の望みが叶う時がきた。
私は――そう、人間からすれば永遠に等しい力を得、神に近い存在となれるのだ。
この日のために必要なものはそろえた。
あとは最上の贄と共に時を渡り、神の下へと旅立つのみだ。
「多分、最後の行。『最上の贄』というのが、このエリカって子だとして、次に『時を渡り』ってあるから……」
「外にあった時計塔へ向かうのが正解でしょう」
美月が、己の答えを口にする。
これに異議を唱える者はない。
「……行くわよ、時計塔に」
答えが分かると、沙希がさっさと歩きだす。
もう居ても立ってもいられない、という様子だ。
ハルルカがハルティアを助け起こし、後を追う。
他の撃退士もこれに続いた。
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時計塔の仕掛けを見つけたのはハルティアだった。
塔の内部をよくよく探してみると、不自然な窪みがある。すぐ脇に戸棚のようなものがあり、開いてみるとディスプレイとキーボードが設置されていたのだ。
全員を呼び集め、窪みに三つの石版を埋め込んでみる。
するとディスプレイが光を発し、そこにはこんな文字列が表示されていた。
贄の名を答えよ
「答えは決まっているね? 入力してしまうよ」
代表してハルルカが答えを入力する。「ERIKA」と。
認証......OK
システムが作動しました
ディスプレイにはこう表示され、数秒の後、ブラックアウトした。
「さて、ここでは何も起きませんね。どこへ向かうのが良いでしょう」
ニタリと笑みながら、美月が白々しく口にする。
既に答えは分かっている。そんな様子だ。
「日記には、『神の下へと旅立つ』とあったね」
「神像……か」
「じゃあ教会だね」
ハルルカが日記の一部を暗唱し、静矢がそれに連想されるものを口にすれば、瀬兎が答えを弾き出す。
この流れるような推理に、ハルティアは舌を巻いていた。
「みんなスゲーなー。俺サッパリだよ」
「……少しは、考えたのかしら」
「頭使うと腹減るじゃん?」
「あ、じゃあチョコあげるよ」
「糖分は血糖値を上げますから、脳が空腹を認識しにくくなります。空腹を誤魔化す手段としては非常に合理的――」
「あーいいから、そういうのいいから、つか、頭使ってねーからそんな腹減ってねーし」
沙希が口を挟むと、ハルティアはあまりにも清々しく笑う。
瀬兎が鞄から舵天照チョコを取り出し、ここぞとばかりに美月が解説を入れた。
しかしこれに気圧されたハルティアは、なんだか悪いような気がして遠慮した。
そんな様子に、ハルルカがくすりと笑む。
不気味なこの森には似つかわしくないほどの、朗らかな空気。
静矢が目を走らせたのは、沙希の方だ。
ニコリともしない。むしろイラついているようで、歩を進めるよう胸中で催促しているかに見えた。
「笑え、とは言わない。だが、思い詰めるなよ?」
「……、先に行くから」
踵を返した彼女。
ほんの少し間を置いてから喋るのは彼女の癖のようなものだったが、それがいつもより長かったように思える。
多少は言葉を受け止めてくれたかな、と期待し、静矢は手を叩いて他のメンバーを呼ぶ。
向かう先は教会だ。
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教会での変化は二つ。
一つは、神像の移動。教会奥の中央に位置していたそれが向かって左側へずれ、元あった場所には穴があり、地下へ向かう階段が続いている。
時計塔の仕掛けは、教会地下への入り口を開くものだったのだろう。玄朗はその先にいるに違いない。玄朗は時計塔を使わずに地下へ降りたことになるが、この仕掛けを作った張本人であることが予測される以上、別の手段を用いて神像を動かしたと考えられる。
そしてもう一つの変化は、階段の手前にグレイウルフが待ち受けていたことだ。
「また狼系か……」
耳を揺らすハルティア。
自らも狼型の悪魔であるだけに、気分の良いものではない。まるで同族を討つ気分だ。
「やあ、お出迎えご苦労様――と言いたいところだけど、その気遣いは不要だよ。消えろ」
ハルルカが地を蹴った。朱雷を放ち、グレイウルフに向けて閃光が走る。
が、敵は桂馬飛びに回避。
ハルティアが追撃にかかるが、振り抜いた鉤爪は空を切り、グレイウルフは跳躍していた。
「素早いな……」
「ならば足を止めれば良いのですよ。単純なことです」
小屋で好戦したグレイウルフより俊敏。
静矢の言葉を耳に、美月が一歩進み出た。
「アウルガジェットNo.02起動。捕縛します」
機械の腕が形成され、伸びる。
敵は跳躍したが故に、着地の隙が生まれる。
そこを捉え、機械腕がグレイウルフの前足を捉えた。
瀬兎が忍苦無を振り、辻風を飛ばす。
動けぬグレイウルフに、斬撃の衝撃波が傷を刻む。
「今だ、霧原さん! ……どうした?」
静矢が呼ぶが、沙希は教会の入り口から動いていなかった。
ただじっとグレイウルフを見つめ、武器も構えず放心している。
その間にハルティアとハルルカが畳みかけ、グレイウルフは呆気なく倒れた。
「あ……っ」
この瞬間になって、ようやく沙希は声を漏らした。
敵は、もういない。後は階段を降りるだけだが……。
「どうした、何があった?」
動かぬ沙希に、静矢が声をかける。
「……サーバントって、抜け殻になった人間を材料にしているのよね」
「ああ、そのはずだが」
「なるほどね、今のグレイウルフ、エリカという子が素体になったと思ったのではないかな?」
ハルルカの言葉に、沙希は小さく頷いた。
エリカに感情を傾けるあまり、それはまるで自らのことのように感じていた沙希。
もしもこのグレイウルフが、親に押しつぶされたエリカだとしたら。そう、考えていた。
「可能性は高いな。推測も含むが、行方不明者は全員死亡したこと、サーバントにされたことは確認した。そうするとグレイウルフは誰なのか、という疑問は当然だろう」
静矢がふむと唸る。
「エリカなる少女が素体。まず間違いないだろう」
美月もそう口にする。
ここで「あれ」と言葉を発したのはハルティアだ。
「この教会で死んでた男って、あの玄朗とかいうシュトラッサーにやられたんだろ?」
「うん、そのはずだけど」
疑問を口にしたハルティアに、瀬兎が頷いて先を促す。
「玄朗って、雷使ったよな?」
「ああ、そうだったね」
同じくハルルカも頷く。
「……ここで死んでた男、雷に撃たれたとしてさ、どっか焦げたりしてたか?」
静矢はハッとした。
このグレイウルフの正体、エリカ以外にもう一つの可能性があることに気付いたのだ。
「死体は、綺麗だったな。なるほど、奴が消えた時、あの死体も一緒に消えたのは、そういうことか」
今戦ったグレイウルフは、教会で事切れていた男性が素体である可能性が生じる。
エリカであるとは限らない、ということだ。
もちろん、男性が素体だったからといって「それなら良かった」とはならないわけだが。
「……そう、あの子じゃ、ないのね」
とはいえ、沙希の心がほんの少し晴れたようである。
自分を重ねた人間が目の前で死ぬのは、見るに堪えない。
エリカは贄になったとはいえ、まだ死んだとは決まっていない。そう考えると、進み出す勇気が湧いてきた。
この先に玄朗がいる。もしかしたら、エリカも。
行方不明者の捜索に端を発したこの仕事も、次の戦いで締めくくられる。そんな予感を誰しもが抱いていた。
教会の地下で、決着がつくはずだ。
ハルルカは、一歩、進み出した。
「それじゃ、青の森の物語の結末を見に行こうか」