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霧深き青の森。鬱蒼と茂る木々は方向感覚を狂わせ、立ち入った者を捕えて逃さない。……当然、工夫をすればちゃんと戻ってくることは可能だが。
行方不明者を捜索してほしいと依頼を受けた撃退士にしても、それは例外ではなかったようである。
「やあ、やっと見つけたよ。この霧さえ無ければもっと早く合流出来たのだけれど」
森の中にて発見した小屋。ここの調査を切り上げた撃退士たちにハルルカ=レイニィズ(
jb2546)と樋渡・沙耶(
ja0770)が合流する。森へ足を踏み入れてほどなく、はぐれてしまっていたメンバーだ。
「良かった、心配してたんだよ」
「それで、何か掴めましたか?」
両手を合わせて笑顔を見せる緋伝 瀬兎(
ja0009)に、沙耶は手短に尋ねた。
こう問いかけるということは、ハルルカと沙耶の方で掴めた情報はほとんどなかった、ということだろう。
んー、と唸って腕を組んだのはハルティア・J・マルコシアス(
jb2524)だ。
「掴めたには掴めたんだがな、俺にはどういうことだかさっぱりだ」
「……歩きながら整理しましょ。その方が、効率的よ」
口にすると、霧原 沙希(
ja3448)はさっさと先へ進んでゆく。
まだこの先に手掛かりが残っている。立ち止まって喋っているような時間は、もしかしたらないのかもしれない。
「俺から話そう。行方不明の男性たちが通ったと思われる道筋を辿り、最初に発見したのは教会と時計塔だった。無人だったが」
話すことは、己の頭の中身を整理することにも繋がる。そう心得た鳳 静矢(
ja3856)が口を開いた。
何を見つけ、その中で何が重要なのかを、確認するかのように。
道中見つけた教会、時計塔。その先にあった小屋。……少なくとも、パッと見たところ教会にも時計塔にも重要そうなものは見当たらなかった。具体的には、行方不明者の手掛かりはなかったというべきか。
対して、小屋には不可解なものがいくつか。
「……順を追うなら、金具かしら」
「そうそう、元々絵がぶら下がってたやつ!」
「……それはあなたの、勝手な想像。恐らく、あれは、銃がかけられていたのだと、思う」
静矢の説明を引き継ぎ、沙希が最初の疑問点を挙げる。
口を挟んだハルティアをピシャリと制止し、沙希は最も可能性の高そうな推測を述べた。
「かけられて……いた? ということは、金具には何もかかっていなかったということかね」
「……そう。金具はあっても、肝心のそこに引っ掛かっていたものは、なかったわ」
そこには何もなかった。
まず間違いなく何かが存在したはずなのだ。それが、ない。
問いを重ねたハルルカがふむと唸る。
「……猟銃ではないか、と思うけど、狩りに持ち出したまま戻し忘れたのでなければ、行方不明者が持ち出した、と考えるのが妥当よね」
そもそも。この話題が重要なことかどうかは、まだ分からない。
「次に暖炉だな。火をつけるための紙くずは入っていたが、使用された形跡はなかった」
静矢は暖炉にあったという紙を持ち出していた。
この紙に何が書かれているのかを確認していなかったことを思い出した静矢は、早速紙を開く。
日記だった。
数枚の紙に記述された日付はいずれも連日となっており、2003年1月4日から同7日までである。
内容は「三が日も過ぎたから真面目に畑の手入れをしよう」とか「今日も相変わらず寒い」とか、他愛もないものであった。どうも重要そうには見えない。
「結局、暖炉は使わなかったようですね。使えなかった、といったところでしょうか」
「そんなところだろうぜ。それどころじゃなかったみたいだし」
顎に手を当て、ボソリと状況をまとめる沙耶。
実際に調べた時のことを思い出したハルティアは、虚空へ視線を挙げて呟いた。
「どういうことでしょう?」
「あぁ、アレのことね。順番に話すから、ちょっと置いておこうか」
ふいと顔を上げた沙耶に、瀬兎が目の前のものを横へずらすようなジェスチャー。
話している間に、大分歩いてきたらしい。
進む道を決めるのは、足跡だ。行方不明者が通ったと思われる道には、足後がある。これを辿れば、いずれはその行方に辿りつけるはず。気づけば小屋から離れ、また森の中を彷徨っているかのようであった。
何故このような足取りになるのか。その理由は、瀬兎や沙希、静矢には想像できる。恐らく、ハルティアにも。
「小屋の中で気になるものとして、日記がある。最初の記事は、『生まれたばかりのあの子と、あの小屋で人生をやり直す』のような内容だった。そして、『森にあるのは小屋と教会のみ』とも」
内容を思い起こしながら、静矢は口にする。
ここに書かれた「あの子」が何を指すのか、それは分からない。だが、彼には一つ気になる点があった。
「これは推測だが、時計塔は二〇〇二年以降に建てられたものではないだろうか」
「え、どうして?」
ハルティアが疑問を挟む。
この日記に、時計塔は関係ない。だからこそ、静矢はこの考えに至ったのだ。
「確か、最初の日記が二〇〇二年に書かれていた。日記には、小屋と教会しかないとあった……つまり、時計塔は、日記の持ち主かそれに近い者が建てたとも考えられる」
「そうだとして、どんな意味が?」
「それは分からない」
今度は沙耶が口を開いた。
仮に静矢の推測が正しいとして、今回の件に関係があるかどうかは不明。全く意味がないとは言い切れないが、もしかしたら教会と時計塔をセットにして「教会」と記していた可能性も、著者の書き忘れの可能性もまた捨てきれない。
……今、考えても仕方がないだろう。
「それで、最新――最後の日記だけど、えっと……」
瀬兎は最も新しい日記を一冊持ち出していた。
パラパラとページを捲り、最後の記事を開く。そして合流したばかりの沙耶とハルルカへと手渡した。
2008年6月22日
素晴らしい!
積年の望みが叶う時がきた。
私は――そう、人間からすれば永遠に等しい力を得、神に近い存在となれるのだ。
この日のために必要なものはそろえた。
あとは最上の贄と共に時を渡り、神の下へと旅立つのみだ。
「随分と、陶酔したような文だね」
「まるでオカルトですね」
二人は嘆息。
これでは宗教家のようだ。それも、かなり独自の価値観を持つ、狂信者のような……。
「……書いた持ち主がシュトラッサー等になったと考えても差し支えない内容だな」
静矢の考えに、ハルティアがフンと鼻を鳴らす。
もしそうだとしたら、ますます狂信的だ。いったい何を信仰してのことかは全く想像できないが。
パタリ。瀬兎は日記を閉じる。
「では、日記の持ち主はどこへ行ってしまったのだろうね?」
ハルルカが顎に指を当てた。
持ち主がシュトラッサーになったと仮定するならば、とっくにあの小屋を出て天界へ旅立っているか、全く別の土地へ赴いている可能性が高い。見つけた日記などは、少なくとも行方不明者の手掛かりにはならず、本件とは全く関係がないということになる。
「多分、まだこの森のどこかにいるぜ」
ボソリと、ハルティアが呟いた。
「これが最後だよな。小屋には地下室があったんだ。結構暗かったぜ。そこにあるソイツよりは大分マシだったけど」
その根拠を語る。
一行が足跡を辿るうち、ある場所へと辿りついていた。ハルティアが軽く跳ねればよじ登れそうな、小さな崖。そこにぽっかりと空いたほら穴。足跡はこの中へと続いていた。
入口を覗くだけでも、暗い。手を伸ばせば、指先が見えなくなるほどに。
「……行方不明者はこの先へ進んだようですね」
灯りをつけ、沙耶が足を踏み入れる。
立ち止まっているわけにはいかない。話の続きは歩きながら聞こうということだ。
「で、小屋の地下室にはグレイウルフってサーバントがいたんだ」
「なるほど、それが根拠というわけだね」
ハルティアが地下で見つけたものを述べると、ハルルカが納得。
サーバント。そして、仮に日記の主がシュトラッサー化したのならば、彼がこの一帯を支配している可能性が高い。推測に推測を重ねたものだが、辻褄は合う。
「つまり、最後の日記にあった『贄』とは行方不明者? いや、それでは時期が合わないな」
まだはっきりしない。ハルルカが思考を巡らすが、日記の意味することには辿りつけなかった。
いずれにせよ、全ては憶測の域を出ないのだが。
「日記にある『あの子』に何かがあったから、著者がシュトラッサーになったのかな。それとも、『あの子』が『贄』……」
「――っ」
うんうんと唸る瀬兎。あらゆる方向から考え、思い付いたことを順に口にする。
途端。これまで沈黙していた沙希が壁面を殴りつけた。元より隈が濃く目つきも悪く見える彼女だが、普段のそれより、眼光が鋭い。
まるで正面を見ていないかのよう。どこか遠く、己の意識の向こう側を見ているかのような目だった。
土を掘り出して作られたと思しきほら穴の壁面を殴っても、音はない。が、異様な、殺気にも似た空気を肌に受けた他の撃退士たちがビクリと震える。
「……神だの何だの、馬鹿みたい。認めないから。そんなこと」
「オカルトを信用するつもりは、私にもありません」
「そう言ってるんじゃない。そんなことを言ってるんじゃ……」
かなり気が立っていることを感じた沙耶がひとまず落ち着かせようと口を挟む。が、沙希はそれで納得したわけではなく、怒りの宿る瞳の輝きを増すばかりであった。
彼女は、沙希は、己の姿を見ていた。瀬兎が口にした「『生まれたばかりの子』が『贄』ではないか」という推測。幼い子が――恐らく親であろう日記の著者によって、贄として捧げられる。その子は何のために生まれたのか、生きたのか。どのように生を歩んだのか、今も生きているのか、愛情を知っているのか。……分からない。
もし。この予感が本物だとしたら。
沙希の隠す多くの傷が一斉に疼いたような気がした。
「あ、それと、そのグレイウルフってのと戦って拾ったのが――」
「……いるわ」
ひとまず話を続けようとしたハルティアの言葉を遮ったのは、やはり沙希であった。
「何か見つけたみたいだな。急ごう」
静矢が駆ける。他の面々もこれに続いた。
走った先に出たのは、ちょっとした広場のような空間であった。そこには確かに、蠢く影が見てとれる。
広場の隅。倒れる男に、群がる三匹の犬。人間と比較すれば、ちょうど十歳そこそこの子供のような大きさ。コボルトだ。
「こいつもサーバントか」
「あ、あれって……」
静矢が呟けば、沙耶が冷や汗を流す。
男は、既に事切れている。コボルトたちはその腹へと顔を埋め、内蔵を食しているところであった。
「そう。あの倒れてる人、子供たちの捜索に出た男の人だよ」
「なるほど。差し詰め、グレイウルフを見つけた時も同じ状況だったってところかな。暖炉を使用できなかった、というのは、逃げるために使用する暇がなかった、と」
瀬兎の言葉にハルルカが納得。
男の服装は、捜索に出たという男の一人と一致する。
小屋でグレイウルフに遭遇した時も、同じ。やはり行方不明の男が食われていた。
相手はサーバント。倒さねばならない。
「くっ、うぁあああっ!」
怒りと、憎しみと、悲しみを赤の瞳に浮かべ、沙希が駆ける。
コボルトが振り向いた時には、沙希の一撃がその横面へと達していた。
ギャンと悲鳴を上げてコボルトがのけぞり、残る二匹が一斉に距離を取る。
手持ちのライトでさえも、広場全体を照らしきることができない。暗闇を盾に攻撃する算段だというのはすぐに分かった。
「ちょっと持ってて」
「これは?」
「ヒントさ。多分な!」
小屋で見つけた最後の手掛かり。グレイウルフが所持していた石版を、ハルティアはハルルカへと託した。
が、その肩に何かが弾けた。石ころのようなそれに呻きを上げ、ハルティアがよろける。
ハルルカがそちらへ光を向ければ、一匹のコボルトがパチンコのようなものを手にハルルカの方を狙っていた。
「危ない!」
その射線軸に静矢が割って入る。
放たれた石が静矢の腹部にヒット。よろりと足元がふらついた横を、今度はハルティアが飛び出してゆく。
「このっ、変なオモチャなんか使うな!」
攻撃する度、コボルトが悲鳴を上げる。
暗所での戦いに際し、撃退士は攻撃に出る者と灯りを担当する者とに分かれた。
灯り担当の一人、瀬兎。その背後に、もう一匹のコボルトが迫っていた。
気配にハッとして振り向く瀬兎。やられた、と察した彼女は、咄嗟に顔を庇う。
……が、衝撃はない。恐る恐る目を開ける。
コボルトは、攻撃に出なかった。いや、出れなかったのだ。
側面へと回った先が、その腹部へと攻撃を叩きこんだのである。
メキリと骨のきしむ音と共にコボルトが吹き飛び、背を打ちつけ、動かなくなる。
残る二匹が、今度は静矢を挟んでいた。
前から後ろから、パチンコの石が飛ぶ。
が、これは静矢の策。己を盾とすることで、隙を生む。
コボルト側面へ回った沙希とハルティア。渾身の一撃は、コボルトをあっという間に仕留めてしまった。
「……弱、い?」
沙耶が小首をかしげる。
そして絶命した一匹に近寄ると、首に石版のようなものを下げていた。
失敬する。
明りで照らしてみれば、そこにはこう書かれていた。
「露」tatemerunimekasau
「どういうこと?」
「なんか、小屋で見つけたのと似たような感じだなぁ」
覗きこんだハルティアが呟く。
小屋の石版には「破」sinnsatamuewogeの文字。確かに、似ている。
「お、出口だ、出口があるぞ」
広場の先から光が差し込む。静矢が確認に出てみると、ほら穴は教会の付近へと続いていた。
行方不明者はここへ出てきたのだろうか。そんな推測がされる中、瀬兎は一人俯いていた。
(グレイウルフ、コボルト……。もしかして、このサーバントって……)
重なる。あの情報と、サーバントの様子が、重なる。
悪寒を覚えた瀬兎は、先を歩く静矢に呼ばれてようやく顔を上げた。