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青の森は薄暗く、ジメジメしていて、方向感覚が狂うほどに大量の木が生えていた。
「うー……森の空気は綺麗なのにぞわぞわーってするぞ」
澄んだ空気は冷気を帯び、白妙 狛太(
jb3383)を震え上がらせる。
さっさと帰りたい。付近の町ではこの森への立ち入りを禁じていた理由が彼には何となく分かる気がした。
「ホント、薄気味悪いよね。う〜っ、寒気がするよ」
「不気味は不気味だが、緋伝さんのそれは格好のせいだろうに」
緋伝 瀬兎(
ja0009)が腕を摩れば、鳳 静矢(
ja3856)がツッコミを入れる。
動きやすい服装を好む彼女は、他の者に比べて薄着だ。この森の環境だけが問題なのではなく、現在の季節は冬である。
とはいえ、この森にひんやりとした空気が流れているのは体感的に事実だ。
「……でも、凄く、落ち着く」
そんな中、霧原 沙希(
ja3448)はそう漏らした。
闇と同じ黒の髪、黒の服。赤の瞳だけが青の森に浮かんでいた。
自分と同じ世界。沙希は親近感を以てこの森を見ていた。
そうか? と声を発したのはハルティア・J・マルコシアス(
jb2524)だ。頭からひょこっと立つ耳をピクリと動かし、スンスンと周囲の臭いを調べる。
「湿気だらけでヤな感じしかしないけどな」
「鬼が出るか蛇が出るか……」
「悪魔ならここにいるけどな」
ハルティアが唇を尖らせると、夕闇 了(
jb3431)が今にも何か出てきそうな雰囲気にいたずらっぽく笑った。
鬼でも蛇でも、まして幽霊でもない。ここには悪魔がいる。やや不機嫌そうだったハルティアがニタリと笑んで見せれば、狛太がコクリと頷いた。
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彼らの現在地。樹木が避けるかのようなそのエリアには、ポツンと教会が建てられている。が、何の手掛かりもない。
だが瀬兎が気にしたのは、教会の脇にある時計塔の方だった。
「普通、時計塔って周囲から時計が見えるように建てるよね。なんでこんな深い森の中に建てちゃったのかな……?」
「……建てられた時には、状況が違った、とか」
沙希がそんなことを口にする。
誰にも見られないのならば、時計塔など建てる意味がない。ならば、見られる時に建てられたと考えればつじつまが合う。
だが、今この詮索に意味はない。何故こんなところに教会が、時計塔があるのか。考えたところで行方不明者が帰ってくるわけでもないのだから。
当の行方不明者がつけたと思しき道しるべは森の奥へと続いている。何はともかく、先へ進まねば話も進むまい。
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一行が見つけたのは小屋であった。先ほどの教会にはこれといった手掛かりはなかったが、こちらはどうだろうか。
「……怪しいけど、目印は?」
「いや、ないな。ここで終わりだ」
何故このようなところに小屋があるのか。疑問と言えば疑問である。人が住んでいるという気配があるわけでもないのだ。
沙希が問いかけると、木の幹をペンライトで照らした静矢が答えた。
ということは行方不明の男性たちは小屋にいると考えられるが……。
「でも、足跡があるぞ! これって新しい足跡? それとも古い足跡?」
地面を指差す狛太。そこには、自分たちのものとは違う足跡があった。それは森の奥へと続いている。
ふむ、と唸った了がしゃがんで足跡を確認。
向き、深さ、土の状態、落ち葉の重なり方。それらを総合して、了が結論を出す。
「どうも一人の足跡ではないですね。ただ、新しいものだと思いますよ」
「あれ、でもこの足跡……数が合わないよね。だってほら、小屋に向かう足跡の方が多いよ」
瀬兎が足跡を見比べる。小屋へ向かう足跡と、小屋から森の奥へ向かう足跡では数が違う。
何人かは小屋で待機している。そんな風にも考えられた。
それでも、小屋から人の気配はない。
「森の奥に続く足跡、なんだか随分と焦っているように見えるな。随分と泥が跳ねてる」
そうしたハルティアの指摘に目を凝らせば、確かに足跡は深く食い込み、泥を撒き散らしているように見えた。
何か急ぐ必要が出たのか、それとも。……これ以上は考えても仕方ない。
「ともかく小屋を調べよう。奥の探索はその後だ」
「小屋を調べる人と奥を調べる人で班分けしないの?」
「危険だ。連絡手段がない」
小屋へ向かおうとした静矢の背中に瀬兎が話しかける。
迅速にコトを進めるのであれば、手分けした方が効率的だろう。
しかし静矢は首を振り、携帯電話を取り出した。ディスプレイ左上には圏外の文字が浮かぶ。
何が起こるか分からず、天魔絡みの可能性があるこの状況、下手に人員を分けて敵に遭遇してしまえば堪ったものではない。連絡手段がないのであればなおさらだ。
ならば仕方がない。一行は小屋の探索を優先させることにした。
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瀬兎が小屋の中をフラッシュライトで照らすと、人の影はそこになかった。が、代わりに足跡がある。埃の積もった床に、くっきりと泥の跡。やはり行方不明者はここへ立ち寄ったのだ。
「俺、外を調べる! 何かあるかもしれないし」
「じゃ、あたしも。写真でも撮っておけば、何かの役に立つかも」
狛太が提案すると、瀬兎が付き合うと名乗り出る。
まさかこの近い距離で、対処不能な事態が起こることもあるまい。が、一人より二人。単独で調べるよりずっと安全だ。
「おう、気をつけてな」
「おー! 気をつけるぞ」
小さく手を振ったハルティアに、狛太が大きく手を振る。
互いの耳がピクピクと反応し合い、犬(狼)型悪魔同士のコミュニティがここに形成された。
まるで電波でも飛ばし合っているように見えて、瀬兎が吹き出す。
「早く行きましょう」
「……あまり時間、無駄にしたくないし」
小さく息を吐いて、了と沙希が小屋へと入る。
スと肩を竦めた静矢も続き、慌ててハルティアが追う。
外に残った瀬兎と狛太は互いに苦笑いを浮かべ、外の探索を始め……ようとした。
ここで問題が一つ。狛太はペンライトを用意していた。していたのだが。
「あれ、これどうやって使うんだ?」
使い方が分からない。ライトの尻にある突起をノックするだけなのだが、その発想が彼にはなかった。
使えない。そう判断した狛太はぽいとライトを投げ捨て、その地に四つん這いとなる。そしてクンクンと鼻を鳴らし、地面を嗅ぎまわった。
「ちょ、ちょっと、何してるの! ほらこれ持って。いい、ここを押すの。そうすると光るから。消したい時は、もう一度同じところ押せばいいの。分かった?」
慌てて瀬兎がライトを拾い上げ、使い方を狛太に教える。
カクリと首を傾げた狛太だが、教えられた通りにしてみると見事ペンライトは光を放ち、彼はおおと声を上げた。
狛太、一つ成長である。
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小屋へ入った了が真っ先に調べたのはキッチンだ。一応蛇口はあるが、水は出ない。ハンドルも錆び始めており、使用されなくなってかなりの時間が経っていることが分かる。
一方で暖炉はというと、火をつけるためであろう紙くずは放り込まれているが、最近使用された形跡はない。薪は暖炉の脇に積まれている。
「行方不明者がここへ立ち寄り、暖炉を使用しかけたけれども、何らかの理由で使用できなかった……といったところですね」
紙くずに埃は積もっていない。つい最近になって使われようとしたことが分かる。
小屋の隅には、農具が立てかけられている。これを調べたのは沙希だ。
「……近くに畑でも?」
ふと窓の外を見ようとして、すぐ近くの壁に金具が打ち込まれているのが目に入った。彼女の肩幅より一回りほど広い間隔で二つ。何かを引っかけておくもののように見えるが、そこには何もない。
彼女が思い至ったのは、猟銃だった。
「……畑でも耕しながら、銃で狩りをしていた?」
「胸糞悪いな、狩りなんてさ。どうせなら、絵でもぶら下がってたと思いたいな」
沙希の予測に、ハルティアが唇を尖らす。動物を愛好するハルティアには、どうも狩りが気に食わない。
だが、絵がかけられていたという可能性を、沙希は胸の内に削除した。仮に絵があったとして、わざわざそれを持ち出す理由がまったく分からないのだから。
「ちょっと、これを見てくれないか」
静矢が見つけていたのは、日記であった。本棚に数冊並んでおり、いずれも埃を被っている。
その中で一番古いものと思われる日記を広げてライトで照らせば、以下のように記されているのが浮かび上がった。
2002年8月10日
今日より、私は人生をやり直すこととなった。
生まれたばかりのあの子と、私と。二人で生きていこう。
幸いにして、ここは古くから私の敷地。
森にあるのはこの小屋と、旧時代には一つの名所でもあったらしい森の教会のみ。
静かに暮らしていけそうだ。
「なんだ、たった十年前か」
ハルティアが漏らす。千年の寿命を持つ彼女ら悪魔にとって、十年などほんのちょっとした時間に過ぎないのだろう。
だが、人間にとっての十年は違う。
「十年の間に何かが起きたのだろう。そしてこれが、最後の日記だ」
続いて静矢は最も新しい日記を取り出した。
2008年6月22日
素晴らしい!
積年の望みが叶う時がきた。
私は――そう、人間からすれば永遠に等しい力を得、神に近い存在となれるのだ。
この日のために必要なものはそろえた。
あとは最上の贄と共に時を渡り、神の下へと旅立つのみだ。
最初の日記とかなりの落差がある。約六年の間に、日記を記した者に何があったのか、日記を片っ端から読んでいけば分かるかもしれないが、全てを辿るだけの時間はなさそうだ。ライトの電池だってもったいない。
「面白いことになってきましたね。この仕事が終わったら、是非ゆっくり調べてみたいです」
クツクツと笑んで、了が言う。文面の内容はまさにオカルト。了はこういったものに目がなかった。
とはいえ、この日記の件が今回の事件に関係があるという証拠は何もない。今調べても時間の無駄だろう。
「……日記とは別に、気になるところがあるわ」
言って沙希が指差したのは先ほどの農具……に近い床。カーペットが捲れ、床下収納庫の蓋のようになっている箇所があった。
あの下に何かあるかもしれない、ということである。
「よし、開けてみようぜ」
ハルティアが蓋の取っ手を掴み、持ち上げる。
するとそこにあったものは収納庫などではなかった。
「なんだ、地下室……?」
小屋の地下へと続く階段。この出入り口に蓋がされていたというわけである。開け放しておけば踏み外して地下へ転がり落ちることもあり得るため、それ自体は不思議なことではない。だが、この地下室に何かがあるのは間違いない。
少なくとも、小屋を出た足跡の数が減っている。その分の人間がいるとしたら、地下だろう。
もしそうだとして。わざわざ地下へ籠る理由があるのだろうか。暖炉を囲んでいた方が自然にも思えてくる。
いずれにしても、降りて確かめるしかない。
了が、外の二人を呼びに出る。小屋の中へ戻ってきた時に全員が姿を消していたらいぶかしがるだろうからだ。
「地下室ってことは、なんかいいものあるかもしれんな。食い物とか」
食糧貯蔵庫としての地下室を思い浮かべ、ハルティアが笑む。
が、食料の匂いはない。しかし代わりに、別の臭いがハルティアの鼻に届いた。
「でもこの下、鉄臭いな……」
「錆びた工具でも置いて……いやまさか」
静矢が予測を立て、血相を変えた。鉄の臭いといえば、本物の鉄以外にも思い当たるものがある。
パタパタと了が外の二人を連れて戻ってきた。
「本当に地下室があるぞ!」
「へぇ、ますます妙なもんだね」
地下室。それは少年の心を掻き立て、湧かせる。狛太は歓声を上げた。
が、瀬兎は嫌な予感を覚えていた。教会、時計塔、そしてこの小屋の存在。どうにも不自然な気がする。
小屋の外で見つかったものはこれといってない。小さな畑や、薪割り用の切り株があったくらいだ。小屋に農具や暖炉があったことと関連付けて考えれば自然なことである。
「……情報交換が済んだなら、行くわよ」
沙希が階段を一段一段降りてゆく。小屋自体がそもそも寒かったが、それでも地下へ降りるにつれ冷気が身体を包んでいくのが分かる。
彼女にとっては、それが心地よかったのかもしれない。ほんの少し、沙希の目が細くなった。
地下室は酒蔵になっていた。個人的に所有しているものであろうから、小さい。酒を並べておく棚が三つほど並んでおり、まだいくつか酒瓶が残っている。
「お、ほんとにいい物が……」
「言ってる場合じゃないですよ」
ハルティアが酒瓶に目を輝かせるところに、了が突っ込みを入れた。
酒蔵の隅に、蠢く影がある。鉄の臭いはそこから発せられているようだ。
「誰だ!」
静矢が光を向ける。そこにいたのは、人ではない。男性ものの服を身体に引っかけた狼が二匹。彼らは人間の死体にがっつき、食していたのである。
「行方不明の男性と、同じ服装だ……。あの死体!」
「えっ、じ、じゃあ、行方不明者はあの狼たちに……」
事前に仕入れていた情報を脳内に呼び起こし、静矢が口にする。
瀬兎が行方不明事件の真相に予測を立てるが、その真偽を決めるのは後だ。
撃退士たちに気がついた狼――グレイウルフたちが振り向き、低く唸る。
「サーバント、だな」
「そいじゃ、まずはこいつを」
静矢の声に応えてハルティアが阻霊符を起動する。
飛び付いてきたグレイウルフを静矢がいなし、反撃の一撃をくらわせる。
その横から沙希が蹴りかかるが、振り上がった狼の爪に脚を取られた。
転倒したところへ狼が飛びかかる。
沙希は己の力を右手に集中させた。身を引き裂くような激痛が彼女を襲う。
「う、ぅ……あああぁぁぁ!」
右手にはパイルバンカー。
拳と共に打ち出された杭が黒の液を撒き散らしてグレイウルフを貫いた。
「相手は同族かよ。いい気はしねぇな」
「う、うん……」
狼がどさりと倒れるのを見たハルティアと狛太の眉尻が下がる。二人は狼(犬)型の悪魔。身体的特徴の重なる相手を倒すのを見て気分の良いものではない。
もう一匹のグレイウルフは、了と瀬兎があっという間に倒していた。そう強い個体ではなかったらしく、苦戦らしい苦戦はなかった。
が、食われていた男の息は既にない。
他の男たちもここで狼に襲われたが、何とか逃げ出して地下室の入り口に蓋をし、小屋を脱出したと見るべきだろうか。
……そんな予測が立った時のことだ。
「あの、これ……」
了が、グレイウルフの首から何かを取り上げた。
石版だ。これ一枚では何が書かれているのか全く分からないが。
何かの手がかりになるのかもしれない。撃退士たちはひとまず石版を回収した。
それには、こんな文字が刻まれている。
「破」sinnsatamuewoge