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捜査に出た霧原 沙希(
ja3448)は、自らの内に異常を感じていた。
今、彼女は街に出て擦れ違う人の群に片っ端から声をかけ、野極道子傷害事件についての目撃証言を問い掛けている。些細な情報でも、不確かな情報でも構わないと迫るその様子は、相手を恐怖させるほどだ。
それが、彼女にとっての異常である。
見知らぬ他人と会話することは、得意ではない。むしろ避けたいと考えるのが沙希だ。しかし今だけは、そう言っていられない。胸の内にある無意識の何かが、彼女を強く突き動かしているのだ。
「そんな怖い顔すんなよ」
同行するルナジョーカー(
jb2309)がそう声をかけるが、沙希は全く耳を貸さなかった。
小さく舌打ちした彼は、仕事で負った傷口を抑えながら聞き込みを再開する。
(……私は、信じているわよ。……貴女は、こんな事を望むような、人じゃ、ない。……そうでしょう、小倉さん)
そう信じたいからこそ、沙希はどんな情報でも欲しかった。我を忘れるほどに。
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当然、捜査に出たのは沙希だけではない。凪澤 小紅(
ja0266)もまた、街に繰り出し目撃証言などを集めていた。彼女にしても、沙希同様、心穏やかではない。
(神様は舞に恨みでもあるのか……)
小紅はそんなことを考えていた。
撃退士になったものの、依頼を受けることができない。万引きを強要される。クラスメイトたちによるいじめ。無理解な言葉の数々。舞のおかれた境遇は不幸と言っても過言ではない――いや、不幸などという言葉では片付かないとすら考えながら、聞き込みを進める。
「あれは……」
その過程で見つけたのは、近藤恵美という女子生徒。彼女こそ舞のクラスメイトであり、いじめの中心人物である。
声をかけずにいられない。恵美は、野極道子と繋がりがあるはずだ。今回の件に関して、何も知らないということはないだろう。
「近藤恵美だな」
「あ、アンタ、小倉さんの……!」
恵美は小紅に気付くと、後ずさるようにして身構えた。
それも当然。恵美が舞にしたことは既に知られており、小紅と舞が親しいことは恵美も知っている。だから、どのような報復をされるか分かったものではないのだ。
「待て。今の私は一撃退士として野極の事件について調べている。なので君にも、私情を捨てて協力してほしい」
「ウチ、何も知らないし」
「いや、事件以外のことでも、知っていることがあるはずだ。答えてくれるな?」
「……はぁ、まぁいいけど。正直、ウチだって真相知りたいし」
聞けば、恵美もまた野極道子の事件について調べているようだった。
確かに、恵美は事件を目撃していないようだった。が、得られた情報はある。
まず、事件現場となった場所について。これは、道子がよく帰宅時に使っていた道であったということ。そのことを舞が知っていたかどうかは、恵美は知らなかった。
次に、恵美は朝に舞が学校を飛び出してから、舞を目撃していない。これについては、疑っても仕方ないだろう。
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病院へ搬送された道子は、現在手当を済ませて病室で休んでいる。
そこを訪れたのが、ルーイ(
jb6692)と沙 月子(
ja1773)であった。情報を得るならば、被害者に直接聞くのが早いと考えてのことだった。
「実は今回の事件の捜査を依頼されていてね。協力してくれないかな?」
病室にいる以上、道子は入院患者だ。聞き込みとはいえ、形は見舞いとなる。
手ぶらというわけにもいかない、と、ルーイは桃缶を持参していた。それを道子に食べさせながら、聞き込みに了承してもらおうと交渉する。
「聞いたよ。小倉ちゃんが犯人なんでしょ」
「いえ、目撃情報が足りなくて捜査が難航しているのです。小倉さんが犯人であるかどうか、それについては見極めなくてはなりません。だからこそ、貴女の協力が必要なんです」
決定的な証拠は何一つない。道子の記憶も曖昧であり、有力な情報とはいえない状態だ。月子は、ルーイの言葉に重ねるようにして協力を請う。
「君は舞くん以外にありえないと思っているようだが、そういう先入観や思い込みは大切なことを見落とすことにつながる。もう一度、先入観を捨てて考えてくれないかな?」
そして道子の様子を感じ取ったルーイは、再度言葉をかけた。
黙し、しばし考え込む道子は、やがてスと顔を上げると、小さく頷いた。
「何を話せばいいわけ?」
「話していただく必要はありません。代わりに、記憶を覗かせていただきたいのです」
「ああ、シンパシーってやつだっけ」
シンパシーとは、撃退士の特殊能力の一つ。相手の額に手を当てることで、その人物が過去三日のうちに体験した記憶を全て知ることができるというものだ。
これを道子に対して使用するということは、つまり……。
「悪いけど、やめてくれない?」
道子がこの三日間で舞にしたこと全てがダダ漏れとなる。後ろめたいことがあるからこそ、道子はそれを拒んだ。
もちろん、道子の記憶はこの事件を解決していくに当たって不可欠ともいえる情報だ。
月子は食い下がったが、道子はこれを頑なに拒否。
見かねたルーイが間に入り、シンパシーを断念させる。
相手が嫌がっている以上、無理強いすることはできない。といった考えだ。
「では、何か思い出せたことは? 凶器の形、犯人の服装、背格好でも構わない」
「……そういえば」
ルーイの問いかけに顎を撫でた道子は、ふと口にする。
「スカートが見えたような気がする。顔は見えなかったけど」
「制服のスカート?」
「確か、そう」
この証言が正しければ、犯人は久遠ヶ原学園の女子生徒だということになる。
舞が犯人である可能性を示す証言ともいえるが、しかし、まだ決定的ではない。
「もう一つ聞かせてください。小倉さんは、現場をあなたが通ることを知っていたのでしょうか」
「知ってたんじゃない? いつもあそこ通って帰ってるし、小倉ちゃんだって、ウチがそこ通るとこは見たことがあるよ」
聞けば聞くほど、舞にとって不利な証言ばかり。
嘘を言っているようには見えないが、きっと何かの間違いだと、二人は心のどこかで信じていた。
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学校に残っていたキャロライン・ベルナール(
jb3415)は、そこで情報収集を行っていた。
もしかしたら事件には直接関係のないことかもしれない。が、仮に舞が犯人だとしたら、その動機は、きっと学園に残されているはずだから。
ここで話を聞ける人物がいるとしたら、舞の担任、北沼であろう。彼がクラスメイト同士のことについて何も知らないという理屈は通るまい。
ならば、そこから引き出せる情報が必ずあるはずなのだ。
「あなたは今日、舞が学校に来ていたかどうか知っていたのだろうか……?」
「事件が起きてから聞いたよ。誰も何も言わないので、それまで気付かなかったがね」
教室に北沼を呼び出し、キャロラインが最初に尋ねた内容はこれであった。
「では、このところ舞が欠席しがちな理由を知っているだろうか」
「詳しくは聞いていない。体調不良だ、と生徒たちから聞いているが」
「あの机を見ただろうか」
「……机、か」
舞の机には、誰の目にも明らかないじめの痕跡。
真っ当な教師なら――いや人間ならば、これに対して無感動ではいられないだろう。
「私のクラスでいじめがあった、というつもりかな」
「他に何だと」
「こんなもの、子どもの悪ふざけにすぎないよ。中学生は、多少攻撃的な言葉を好みやすい年頃だ、こんな言葉も出てくるさ。それに小倉は気持ちの優しい生徒だ。これくらいのことなら気に留めることなく、笑って許すだろう」
「それは勝手な願望だ!」
耳を疑うような言葉に、キャロラインは絶叫した。
北沼の言い分は、クラスにいじめはなく、舞は何も気に病んでいないということ。
そんな馬鹿らしいことがあるわけがない。
「私の生徒たちは非常にフレンドリーな優しい子ばかりだよ。それがいじめなどと……。私のクラスでいじめなど存在するわけがない」
「違う。違うが……分かった、もういい」
最早得られる情報などない。
凶器や舞の行き先の心当たりなどを尋ねようとも考えていたが、この担任に聞いても無駄だろう。
事実を自分の都合のよいように歪めて、真理なき言葉を返されるだけだ。
そこに一体どんな期待ができようか。
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ネームレス(
jb6475)が当たったのは警察であった。
まだ撃退士による犯罪であることが明確でなかったうちの初動捜査は警察が担当している。凶器の行方の面から犯人が撃退士であると判明してからは捜査権を全て学園に委ねが、それでも警察が何の情報も持っていないということはないだろうという判断だ。
「学園主導捜査でもあんたら警察は関わったと思ってな。こういう捜査はそっちがプロだ。何でもいい、情報をくれないか」
警察に駆け込んだネームレスはそう問い掛けた。
つまるところ知っていることを全部教えてくれという意味だ。
得られた情報は少ないながらも、流石警察。情報自体は有力だ。
使用された凶器は、傷口の形から久遠ヶ原学園内で販売される魔具、ショートソードと断定されている。また犯行現場は野極道子が普段よく使用していた下校経路であるが人通りが少ないため、計画的犯行である可能性が高い。また、犯人は、道子の血を踏んだ可能性がある。
こんなところだろうか。
ショートソードを所持し、現場の道を知っており、かつ靴の裏に血がこびりついている人物。
それこそが、今回の犯人だ。
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「舞さん……」
長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)は、管理人に鍵を借りて誰もいない舞の部屋に立ちつくしていた。
流しには、持参したティーセットが置かれている。もしも舞が戻ってきていたら振舞ってやろうと用意したものだ。
部屋には、投げ出されたスクールバッグがあるだけで、他に変わった様子はなかった。着替えた形跡も、書き置きもない。
舞は間違いなく外にいる。上着はちゃんと羽織っているだろうか。
クローゼットを開けてみれば、ハンガーに夏服と儀礼服がかけられている。そういえば、舞は元々上着を持っていたのかどうか、定かではない。
戸を閉めようとしたみずほ。
だが視界の隅に小さなチェストが置かれているのを見つけて中断した。
悪いとは思いつつ、中身を確認。チェストには、何通かの封筒が収められていた。
「これは……舞さんのお母様からの?」
舞に宛てられた手紙だった。
どれを読んでも、舞に元気でいて欲しいと願う母の気持ちが綴られていた。
チェストの別の引き出しを開けてみる。すると、そこには切手の貼られていない封筒が一通だけ。
見てみると、どうやら書いたはいいものの送ることのできていない、舞から母に宛てた手紙のようだった。
「……っ!?」
手紙を読んで、みずほは言葉を失った。その手紙と、咄嗟に母から届いた手紙を何通か懐に入れ、血相を変えて部屋を転がり出る。
もっと早くに見つけることができていれば……!
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「小倉さんの向かった場所が分かったわ。街の中心から港へ向かう道にいるそうよ」
舞の目撃情報を得た沙希はルナと共に仲間たちへ連絡を入れながら、走る。
状況が状況だ。全員の合流を待っている余裕はなかった。
「海? なんで知って……分かった、先に行ってるからな!」
「どうしたの?」
「長谷川さんが、舞の部屋でなんか見つけたらしい。とにかく早く迎えにいってくれってさ」
「……嫌な予感がするわね」
最後にルナが連絡を入れたみずほは、既に舞が向かう先を知っていた。
何故かは、まだ語られていない。だが、それが良い報せではないということだけは、二人ともが感じていた。
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港付近の道は、潮風が入りこんで冷えるためにほとんど人通りがなかった。
感覚がなくなるほどに体が冷えても、舞はゆっくりと港へ向かって歩く。
視線の先に船が見えてきた。港まで、もう少し。
その時だった。
「小倉さん――!」
背後から声が聞こえた。
振り返ると同時に、声の主が体を包んだ。
沙希だった。
ほぼ同時に、ルナも現れる。荒い息の彼は、舞に近づくと、手にしていた真っ赤なマフラーを舞の首にかけた。
「迎えに来たぞ。皆ももうすぐここに来る。……さあ、帰ろう?」
その言葉は本当だった。
調査に出ていた面々が続々と集結してきたのだ。唯一、みずほだけがまだ姿を見せていないが。
「そんな格好してたら風邪ひくよ。ほらこれ着て」
ルーイは自分のコートを舞にかけてやる。
キャロラインは舞の手を握り、小紅は肩を抱いた。
「朝の件は聞いた。本気で心配したんだからな」
そう言って涙を浮かべる小紅。
他のメンバーも口々に舞に声をかけた。
……が、舞は一切口を開かず、黙したままだ。
「舞。道子の事件は、知っているか」
「……うん」
キャロラインへの返事。それが、舞の口にした最初の言葉だった。
「酷い話だけど、小倉さん、あなたを疑う声もあります。しかし逃げてはいけません。共に真実を掴みに行きましょう」
そう告げた月子を見やり、舞は小さく笑んだ。
決して、安堵の表情ではない。何かを諦めた時のような、虚しい笑みだった。
それから、舞はおもむろに両足の靴を脱いだ。
「沙希さん、小紅さん、それ、拾ってもらっていい?」
「あ、ああ……」
困惑しながら、小紅と沙希は靴を拾うために身を屈めた。
「いけません!」
その時。突如、到着したみずほが叫んだ。
驚いて小紅と沙希が立ち上がるが、その時には既に、舞はキャロラインの手を振り払って港へと駆け出している。
「チッ、逃げる気か、止まれ!」
「何をする、よせ!」
「靴の裏を見ろ、野極の血がついてるはずだ」
ネームレスが銃を取り出し、その手をルナが抑えつける。
だがネームレスは叫んだ。
慌ててルーイが舞の靴を確認する。確かに、血が付着しているのが分かった。
「何故……」
「犯人は小倉だってことだろうよ」
ルーイの呟きにネームレスは答え、ルナを振り払って銃をしまう。
「何をしているんですの、追いますわよ!」
「みずほ、どうして……」
「舞さんの部屋で見つけましたわ。舞さんが、お母様に宛てて書いた、届けられなかった手紙! それには、こう書かれていましたわ」
弾かれたように一同が駆け出す。
小紅は、何かを知っている様子のみずほに問い掛けた。彼女の調べた舞の部屋。そこに、全ての答えがあったのだ。
だから舞の行き先が分かり、そしてこれから何をしようとしているのかも、気づくことができたのだ。
手紙の内容とは――。
「海になります。お母さん、順番が前後してごめんなさい」