●
例年より早い梅雨入りといえど、六月頭の休日はほんのり晴れていた。前日までの雨でぬかるんだ砂地に足跡が残る。
公園を囲むような植木には泥が跳ね、新緑の葉は気だるそうに垂れている。ようやっと顔を出した陽の光は、まだ大地を暖めない。吹き抜ける風はちょっぴり冷たかった。
毎朝、この時間から活動する学生があった。久遠ヶ原学園高等部二年、長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)である。
私服でも、学生服でもなく、彼女がその身に纏うのはジャージ。ボクシングを嗜むみずほの日課は、早朝のロードワークであった。
久遠ヶ原の街を長距離走り、その後公園で短距離を連続で走る。少々休憩を挟んでシャドーに励むのが最近のメニュー。その、シャドーに移った頃だった。
「あら、あなたもボランティアですか?」
「ボランティア? 何のことかしら」
「いえ、この時間にその格好でいたものですから、もしかしてと思いまして」
ゴミ拾いに参加するため、ユウ(
jb5639)が公園を訪れた。集合時間までまだ余裕があるが、早めに行動して損はないとの考えだ。
そんなユウは、みずほのジャージ姿を見て、自分と同じくボランティアに参加するのだと思ったようである。
だが、そういうわけではないことはやりとりから把握した。
「ということは、ご存知でないのですね。今日、これから、街のゴミ拾いのボランティアがあるんです」
「なるほど。ということは、ここがその集合場所というわけですわね」
「ええ。もうそろそろ、参加者の方々が集まってくる頃ですけども……」
「素晴らしいですわ!」
時間を確認し、ユウは公園入り口に目を向ける。
顎に手を当てたみずほは、すぐに決めたように顔を上げた。
「街の美化は貴族の務め。わたくしもそのボランティアに参加させていただきますわ」
拳を作って気合を入れるみずほに、ユウはにこりと笑む。
同じ志を持つ者同士、こうして隣に並ぶと何だか嬉しくなるというもの。
その折。集合時間十分前になって、他の参加者もぞろぞろと集まりだした。早朝ということもあって、寝ぼけ眼をこすりながら現れたのは十三月 風架(
jb4108)である。
「さすがにこれだけ朝早いと眠いですね……」
口に手を翳してあくびを一つ。誰かに誘われて一緒に参加したというわけでもなく、ただ彼の興味が赴くままに参加したといったところ。
ひとまず布団を抜け出したものの、特にすることが見当たらなかったのかもしれない。
とはいえゴミ拾いに参加するのだから、中々に殊勝な心がけである。
「お、なんだ、風架も来てたんだな」
「ロベルさんですか。一ヵ月ぶりくらいですね」
ロベル・ラシュルー(
ja4646)も、ボランティアに参加すべく到着。風架とは依頼で共闘した経緯から、面識がある。
その風架とは、もう一人、面識のある人物が参加していた。それが、ユウである。
「あら風架さん、お久しぶり……というほど、時間は経っていないですね」
「ん? あぁ、妙に知り合いが多いですね」
知った顔があるというだけで、心は落ち着くもの。気まぐれに参加したボランティアも、楽しく取り組めそうな気がしてくる。
その中で蚊帳の外な気分を味わっていたみずほだが、彼女にしても、独りというわけではなかった。
集合時間五分前になって集まりだした参加者の中に、みずほは見知った顔を見つけたのだ。
「あら、小紅さん! 小紅さんもこちらにおられましたの?」
「なんだ、みずほもいたのか。こちらは、少々事情があってな」
凪澤 小紅(
ja0266)は気が向いたからとか暇つぶしだとかそういった理由でなく、必要に駆られてといった様子。
どのような必要があるのか、それは後に彼女の口から語られるだろうが、無用な詮索はするものではない。
それよりも、みずほは知り合いに会えたことの喜びの方が大きいようだ。
「部活以外でも会えるなんて嬉しいですわ! せっかくですから、今日は共に行動しましょう」
「その方がこちらとしてもありがたいな。それがいいだろう」
彼女たちのように接点のある者同士で参加する者もあれば、単独で参加する者もあった。
その一人がキャロライン・ベルナール(
jb3415)である。
「フム、興味本位で参加してみたものの、和気藹々としているようだな。命令でなく同志たちでこのような活動ができるというのは良いものだ」
堕天使である彼女は、人間の文化に興味津々といった様子。
特に誰かと連れだっているわけではないが、活動を前にした周囲の雰囲気にキャロラインは新鮮な気分を味わっていた。
町内のゴミ拾いは、いくつかの班に別れて活動することとなった。その内の一つ、公園から大通りに出て久遠ヶ原学園へ向かうコースを担当する班は以上の六名に小倉舞を合わせた七名で構成された。
●
「で、そこの子はずっと黙ってるけど、大丈夫かい?」
まずは公園でのゴミ拾いを始めた彼ら。口を開いたロベルの視線は舞へと向けられている。
黙々とゴミを拾う舞はの様子は、人と喋りたくないというよりも、人見知りといった雰囲気だ。口を開けば、きっと人を和ませるような笑顔とともに会話してくれそうではあるのだが、いかんせん、キッカケを掴めていないらしい。
「ちょっと声かけてみるか」
「ロベルさんじゃ怖がられませんかねぇ」
「俺の顔が怖いってぇのか?」
「そうは言って……ます」
「チッ。ま、いいや。どうせ自覚はあんだし」
風架のからかいをかわし、何気ない様子を装って舞の隣に立ったロベルは、植木を掻き分ける。
誰かが隠したのだろう、数本の吸い殻を見つけて短い眉を顰め、しゃがむ。そして口を開いた。
「……あー腹立つね。マーナーを守れよ。マナーを」
「え、あ、その……。ご、ごめん、なさい?」
「違ーよ。これだよこれ、吸い殻のポイ捨て」
言葉の意味を勘違いした舞は思わず謝る。
すぐにそれを否定したロベルは、摘まみ上げた吸い殻を振ってみせた。
安堵に表情が落ち着いた彼女を目に、ロベルは話の切り口ができたと睨んで、会話へと持ち込んでゆく。
「小倉っていったか? 何でこのボランティアに参加したんだい?」
「いけなかった……ですか?」
「そうじゃねぇ。何か理由があんだろ。気まぐれとか、興味とかさ。ま、ボランティアに参加しておきゃ、今後の履歴書なんかに役立つとかいう奴もいるが」
「特に、理由があるわけではない、ですけど……」
「趣味だってのか?」
コクリと頷いた舞に、ロベルは煙を吐き出すようにすっと息を吐いた。
妙な奴もいたもんだ、と口にして、ロベルは吸い殻をゴミ袋に突っ込んで立ち上がった。
「俺はな、タバコ吸うんだよ。吸うからにゃ、最低限のマナーは守るぜ。こんな風にポイ捨てなんざしねぇ。むしろポイ捨てする奴は許せねぇのさ」
頭に疑問符を浮かべ、舞が顔を上げる。
この人はいったい何を言っているんだろう。そんな疑問に満ちた表情だった。
どう言ったものか、とロベルは頭をボリボリと掻きながら、ゴミ袋を拾い上げて背を向ける。何だか柄でもないようなことをしているような気がしてきたのだ。
「なんつーか、俺と違って理由なくやってんだ。どうせならもうちょっと楽しんでやりゃあいいんじゃねーの」
ひらりと手を振って、ロベルは立ち去った。
ほら、やっぱり怖がってるじゃないですか、とか、うっせーよ、とか、そんな声が聞こえてくる。裏腹に、顔は怖いけど、悪い人ではないんだな、と舞は理解した。
そんな舞の背後では、キャロラインがゴミを集めて唸っている。
ゴミはきっちりと分別せねばならない。しかし、分別に困るゴミを見つけてしまったようなのだ。
「……傘の骨部分が捨てられているのだが、誰かどう始末したらいいのか知っていたら教えて欲しい」
「あ、それは不燃ゴミだから、カンとかビンとは別の袋に分けて……」
「そうか。詳しいな」
前日の雨の影響か、傘のゴミはいくつか見てとることができた。キャロラインはその分別に困っていたらしいが、これには舞が答えた。
短い褒め言葉に、舞はほんのり頬を染めて、またゴミを拾っていく。
その隣に、キャロラインはしゃがんだ。
「この辺りのゴミは粗方片付いたな。そろそろ移動するようだぞ」
「う、うん……」
「私が怖いか?」
濁った舞の返事に、キャロラインは慣れたように問いかける。
堕天使である彼女は、一般の人間に恐れられることなど日常茶飯事。まして大人しそうな彼女に怖がられても仕方のないこと、と割り切っていた。
「怖いなら怖いままでいい。が、言っておく。何も取って食ったりはしない。万が一私が変な気を起こしたら、そこらの人間が全力で私を止めるだろう。だから、心配しなくていい」
キャロラインが視線の先に見たのは、ゴミ袋片手に近づいてくる他の参加者たちの姿があった。
公園のゴミ拾いはキリがついた。ここから大通りに出て、学園方面へと向かうようだ。
「そういえば、先ほど仰っていた、ボランティアに参加した事情というのは?」
「ああ。みずほは知っているだろうが、私はヒヨコを連れてよくこの公園で遊ばせていてな。ゴミを飲んでしまったら大事だろう?」
「なるほど、それは大変ですね。特にガムを誤飲したら、命はありませんから」
みずほが思い出したように問いかけ、小紅が回答すれば、ユウが頷く。
鶏を育てる小紅は、生まれたヒヨコの世話もしっかりとしているようだ。だからこそ、守ってやらねばならない。それは、こうした小さなことから始まるのだ。
「へー、ヒヨコ飼ってるのかい。……美味そうだ」
「ヒヨコを食べてどうするんですか」
「バッカおめぇ、鶏になったらだよ」
「言っておくが、食べるのは卵だぞ。肉ではない」
ロベルが茶々を入れ、風架が溜め息混じりにツッコミを入れる。呆れたように小紅が口を挟んだ。
これを見たキャロラインは「自給自足だな」と呟くが、舞の眉尻は下がっていた。
「卵、食べちゃうんだ……」
そんな言葉を耳にした小紅は、フンと鼻を鳴らした。
「鶏は一日一個の卵を生む。それをすべて孵していたら、私も管理しきれん。だからといって処分するくらいなら、食べた方がよほど有意義だろう」
不機嫌そうな小紅だが、その横からみずほが進み出る。そして舞の肩に手を置いて顔を寄せた。
「ごめんなさい、小紅はあんな風に言いましたけども、あれでちゃんと、貴女がヒヨコ好きなんだって理解して、内心喜んでいるのよ」
「みずほ!」
「いいじゃない、ムキになる必要なんてありませんわ」
おかしそうにみずほが笑う。ロベルや風架もニタリと笑み、舞までもがクスクスと声を漏らした。
「……コホン。しかし、舞は凄いな。趣味でこんな活動に参加しているんだ。素晴らしいと思うぞ」
「そ、そんなっ、そんな大したことじゃ……」
「見事な照れ隠しですわね」
「誰がっ!」
「ほら、ここは舞さんが反応しなければならないのに」
みずほの横槍に、小紅がぐぅと声を漏らした。
「お二人は、お知り合い?」
「拳闘部で一緒だ」
「え、その殴り合う……?」
「違いますわっ!」
ほんの少し舞が身を引いたと見るや、みずほはいきり立った。
拳を握り、声を大にして彼女は主張する。
「ボクシングは暴力ではありませんわ! 素晴らしいスポーツです!」
「は、はひっ」
今度は勢いに押されて、舞はさらに引いた。
熱くなりすぎた、と気づいたみずほは、いけませんわと小さく深呼吸して、今度はじっと舞の顔を覗きこむ。
「わたくしも暴力は苦手です。人に殴られれば痛いし、殴るともっと痛いですもの……」
「最初からそう言えばいいのだ」
「おっ、お黙りなさいっ!」
小紅のツッコミに、顔を真っ赤にしたみずほがつい声を荒げる。
そのやりとりがおかしくて、一瞬しんみりしかけた舞、そして他の参加者たちもドッと笑い声をあげた。
●
休日の朝は遅く、いつもならば部活動の朝練習へ向かう学生が駆け抜けるこの通りも、今は済んだ静けさに包まれていた。まだ眠っている人も多いのだろう。
「う……」
舞の小さな呻きは、静かな朝の街によく響いた。そう距離の離れない位置で活動する班員の耳にはしっかりと届いたようである。
「どうかしました?」
心配した風架が声をかければ、舞は道路脇に転がる泥まみれの空き缶を指差した。
街路樹のために設けられた土にまみれ、車の跳ねた水を被り、直接手で触れるには実に抵抗がある。
「いいですよ、自分が拾います」
「いいの? ありがとう」
「ま、慣れてますから」
慣れているというのは、どういうことだろう。
そんな疑問の視線を投げる舞に、風架はフッと笑んでみせた。
「普段から汚れ仕事をしているわけではないですよ?」
舞は納得しかねる様子だった。口で説明してすぐに理解してもらえるようなものでもなさそうだ、と判断した風架は、この話を早々に切り上げた。
一方でこの二人、ユウとキャロラインは並んで歩きながらゴミを拾っていた。
「堕天使とはぐれ悪魔……。ふふっ、なんだか、奇妙な組み合わせですね」
「憎み合う世界の出身者が、ただ街を綺麗にすべく協力している……。確かに、奇妙なものだ」
人間側へ着いたが故、互いの対抗意識というものはさほどないにしろ、本来ならば刃を交える者同士であった存在。
二人はそろってこの環境を奇妙というが、それはとても素晴らしいことなのだとみずほは感じていた。
「せっかくこうして手を取っているのですから、もっと親睦を深めるべきですわ! 天使と悪魔、そして人間が仲良くなることで、きっと明るい未来が切り開かれていくはず……!」
「みずほ、それはちょっと飛躍しすぎだと思うが?」
「何を仰るのです! これは決して――」
こんなやりとりを目にしながら、ロベルはコンビニの喫煙所で一服していた。
愛煙家の彼は、外に置かれた灰皿を目にすると、一本吹かしたくなったのだろう。せいぜい五分もあれば吸い終わる。小休止に丁度良いとばかりに、缶コーヒー片手にスゥと煙を吐き出した。
「女性陣は賑やかだな。全く、まだ寝てる人もいるから静かに活動しようとか言ったのは、どこの誰だったか」
水に落ちた灰がジュと音を立てる。
休日のボランティアももうすぐ終わり。自宅へ戻れば、午後をどう過ごすか考える……あるいは何も考えずのんびりと過ごすか、だ。
「そうですわ! まだお昼まで時間もあることですし、わたくしの部屋に来られません? 紅茶とトーストならありますわよ?」
「お、そいつはいい」
みずほの提案であった。
貴族の彼女についていけば、さぞ美味しい食事にありつけることだろう。遅めの朝食といったところだ。
タバコを灰皿へ放り込み、手を打ってロベルが賛成した。
「た・だ・し、わたくしの部屋は禁煙ですわよ」
「こいつは参ったねぇ」
やりとりに一同はケタケタと笑い、元来た道を戻って公園を目指す。
彼らの休日は、まだこれから続いていきそうだ。