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討伐メンバーが、郊外の遊園地の前に集まっていた。
「ヴァニタスか……俺は未だに遭遇したことのない輩だが、果してどんな奴なのか……。しかしこうも情報が少ないとなると用心に越したことはないな」
小麦色の肌に黒い髪、かなり体格のいい男、炎宇(
jb1189)が眺めるのは、閉園され真っ暗な遊園地だ。
八名の撃退士が駆けつけたときには、辺りは薄っすらと闇色に染まっていた。
「わざわざ遊園地行くのにヴァニタス退治とかやる気出ないなぁ」
アッシュグレイの髪、白スーツにサングラスの炎宇とまるで正反対な出で立ちの加茂 忠国(
jb0835)は周りに聞こえそうな独り言を呟いた。
「夕方近くにヴァニタスが出た、と連絡があっただけで中にはなにが……」
クールな表情を崩さないカタリナ(
ja5119)がふっと顔を上げると、ぱっと遊園地に明りが灯った。
それと同時に、賑やかな音楽が鳴り響く。
光と音に反応し、撃退士達は一斉に駆け出した。
閉ざされたままの門を飛び越え目にしたものは、乗り物に施されたイルミネーションが光輝く様だ。
閉園されていたとは思えないほど賑やかに見えて、来園者がいないのが不思議に思うくらい。
呆気にとられたメンバーが一歩、二歩と進むと、楽しく流れるメロディに乗って明るい声が聞こえた。
「きれいでしょ? いつもこの時期にはイルミネーションの中で結婚式が行われてたんだよ。もっとも今は閉園されちゃってるけどね」
はっとした撃退士達が腰を低く構えると、空気がぴんと張り詰めた。
「両親もここで結婚式したから、あたしもここでするのが夢だったんだけどな」
殺気のある空気をまるで感じないような声が続く。
その声に振り向くと、正面にある回転木馬に少女が座って木馬の頭を指で弾き足をぶらぶらと揺らしている。
「ヴァニタス?!」
今にも飛びかかろうとする撃退士に、慌ててぱっと立ち上がった少女は見事に回転木馬から転げ落ち、情けない声と一緒に起き上がった。
「ま、待って。あたし、戦う力はないの」
地面にぺたんと座った少女は、撃退士を見上げ照れたように笑う。
らしからぬ様子に居合わせた撃退士は拍子抜けて、お互いの顔を見合わせた。
「ヴァニタスが出るってんで、ぶっとばせばちったぁ名も上がるかと思ってきたんだが……これじゃ気も失せらぁな」
おおよそヴァニタスとは思えない少女に、千堂 騏(
ja8900)は頭のバンダナに手を置いて、呆れて声を出す。
「貴女の名前を教えていただけますか……?」
ウィズレー・ブルー(
jb2685)は濃い蒼い瞳が少女に向けた。
どこか憂いを帯びた雰囲気なのは、彼女が天使だからか。
「くるる、キラキラネームの枢。あたし、一ヶ月前に交通事故に遭ってヴァニタスになったんだけど、もうすぐ動かなくなるの」
「動かなくなる?」
用心に距離を取りつつ、カタリナがまだ座ったままのヴァニタスに問いかける。
「どういうことですか?」
敵意がない様子に気づきつつも、ウィズレーも意図を探るように問うた。
「悪魔に一ヶ月だけ力をってお願いして、今日がその最後の日」
「レディの話に嘘がある筈ないだろ?」
ややぶっきらぼうに言葉を発した紺屋 雪花(
ja9315)は、スキルで感じたことを続けて話す。
「それに……この娘に戦う力なんて、本当に、残ってない」
「……なるほど」
紳士的に、誰よりも平静に話を聞いていた若杉 英斗(
ja4230)が沈黙を破る。
しかし、にわかには信じられなくて内心はかなりの衝撃を受けていた。
(この若さで数時間後に死ぬという運命を受け入れているのか……。いや、ヴァニタスである以上すでに死んでいるのだが……)
それは櫛野 さくら(
jb3106)も同じで、呟きながら周りを見渡す。
「枢さんの、最後の思い出作り、ですか」
「うん、あたしと一緒に遊んで欲しい」
遊園地には楽しげな音楽が流れ続ける。
動かないはずの遊具に取り付けられた電飾は点滅して、すべてが枢を見送るためのもののように見えた。
「この電気はどこから?」
雪花が不思議に思う。
「手向けだって。変でしょ、悪魔がしてくれたんだ。今日は両親の結婚記念日だから、それまでは元気でいたかったの」
「――わかった、枢さん。俺で良かったら一緒に遊ぼう。ジェットコースターでもコーヒーカップでも、回転木馬にも付き合おう」
しばらくの沈黙の後、嫌いな乗り物にも乗る覚悟を決めた英斗に、さっきまで浮かない顔をしていた忠国も手を上げる。
「不肖、この加茂 忠国、全力で貴女とデートしましょう! メリーゴーラウンドに乗りたいです」
もちろん女の子と相乗りです、とひとりきゃっきゃしながら乗り物に向う忠国に、メンバーと枢が後を追った。
そんな中、いつでも連絡が取れるよう忠国とメアドを交換し、騏はひとり遊園地を抜け出していた。
賑やかな音楽と眩しいほどのイルミネーションが遠ざかる。
「間に合うか、ちと微妙か。いや、ぜってぇ間に合わせる!」
苦々しく吐き出して、暗い夜道を騏は走った。
枢に本当の意味で悔いを残させないために。
「くそっ、待ってろよ!」
騏は叫び、更にスピードを上げていた。
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「枢さん、一緒に写真、いいかな?」
言いながら英斗が自分の携帯を取り出して回転木馬に跨る枢に向けた。
「え、ちょっちょっと待っ……」
騒ぎ乱れた髪を直そうと手を上げたと同時にシャッターが切られ、つい、と枢の目の前に画面を英斗が見せる。
「ほら、いい写真」
「やだ、変に映ってる!」
「俺達はもう友達だ」
「友達?」
「そうですよ、私達はもう友達です」
一緒に乗りたいという忠国を突き飛ばすようにして遠ざけたさくらが枢の隣に並ぶ。
「私も枢さんと遊園地を楽しみます。はい、笑って」
「あ、私も一緒にいいですか?」
柔らかな笑顔を浮かべたウィズレーも加わり、天使二人に挟まれ枢が笑顔を作る。
それを遊具の操作を行っていた炎宇が携帯を取り出し、みんなの姿を撮影していた。
「いいんだ、笑っても。今この時、枢さんは生きている。そいつに偽物も本物もないんだ」
呟いた言葉に力を込めて。
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「枢さんに電話です」
乗り物から降りた枢の目の前に忠国が自分の携帯を差し出した。
相手は、さっきここを出て行った騏だ。
騏は枢の両親を連れて来ようと走ったが、二人を連れて戻るには時間が足りないと思い電話にした。
『実は娘は一ヶ月前に死んでて、ヴァニタスになってました。最後に遊園地で遊んで楽しい思い出を持たせて見送りましたって俺達で親に説明すればいいのかよ?』
枢が携帯を受取ると、いきなりイラッとした騏の声が聞こえた。
「ヴァニタスだから倒したって、言ってくれてもいい」
『ああ? ったく、面倒極まりねぇんだよ。んなこと自分で言えよ』
「嫌! どうして幸せなまま終わらせてくれないの?!あたしがどんな気持ちで――」
『ああ、決心を鈍らせねぇよう両親に何も言わずに逝く気なんだろーが、そんなんで『楽しく』終わるなんざ無理だろ!』
電話の向こうの怒りにも似た騏の本気の言葉は、枢を黙らせるには十分で。
きゅっと唇を噛みしめた枢の頭を、炎宇が軽くぽんぽんと叩く。
「孤独も終わりも寂しいと貴女が思うように、きっとご両親も思っているでしょう」
ウィズレーが目の前の枢を見つめると、こくりと頷いた。
「……うん」
『安心しろ、あとのフォローはしといてやる』
意外と優しい言葉を残して、電話は騏から両親へと代わった。
それはほんの数分、別れと言うにはあまりにも短すぎる時間、でも、会話を終えた枢の顔は晴れやか見えた。
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「さて、当園のクリスマス特別企画、サンタクロース体験なんていかがですか?」
カタリナの合図に合わせ、さまざまなイルミネーションの中、光纏した雪花がシルクハットを取りショウが始まる。
シルクハットを高々と持ち上げれば、吹き上がる桜色の炎が腰まで伸びた髪を持ち上げゆらゆらと夜空に漂わす。
そこからはらはらと無数の桜の花弁が舞い散り、枢を彩った。
「雪みたい」
雪花がシルクハットを上から横へと動かすと、すうっと花弁は消え代わりにきらきらと光るイルミネーションの中に飾り付けされた台車が現れる。
それはさっき少しだけ遊びの場から離れたカタリナが園内を捜し歩き見つけたもの。
遊具の操作をしていた炎宇も手伝い、簡単な装飾を施した。
「今日は大事な日、だろ。だったらちょっとの間お姫様でもいいんじゃないか?」
「どうぞ、ご案内致します」
炎宇とカタリナは枢の手を引き台車に乗せる。
そこに、忠国がどこから取り出したのか、飾りつけられた台車に乗り込んだ枢の目の前に真っ赤な薔薇を差し出した。
「何故そんな物を持ってきているのかって? それはもちろん、私が伊達男だからですよ」
驚く枢に忠国はフフと笑う。
「あ、せっかくなので枢ちゃんとチューしたいですね」
「却下。一晩限りの花嫁になって戴けますか? レディ」
唇を尖らせて迫る忠国の前に光纏を解いた雪花が、まるでナイトのように膝をつき枢の手の甲に口づける。
ほっぺでもいいですとまだ迫る忠国を退けた雪花は、枢の隣に乗り込み、しっしと手を振る。
「記念になるのにねえ。じゃぁお兄さんはここで見送るとしますか」
「花嫁を見送る父親役ですね」
ふふふ、とウィズレーが笑いながら言うと、一斉に他の皆も頷いた。
「パパ行って来まーす」
枢が元気良く忠国に手を振ると、炎宇と英斗が引く台車はゆっくりと動き出した。
バイバイと同じように手を振って見送ってから、忠国は独りごちた。
「相手はヴァニタスだが放っておけば勝手に死ぬ。随分と楽な仕事で助かりますよ、ホントにね」
綺麗に飾りつけされ枢を乗せ登って行く台車が小さくなる。
「彼等の心に傷が残らなければいいのですが。死者に意味などない、あるのは生者のみです。――ねぇ?」
腕を組んだ忠国が同意を求めるようについっと横を見上げれば、いつの間にか地面を明るく照らす照明の上に一人の男が立っていた。
男に光は当たらず表情も見えないが、忠国は続ける。
「随分と非効率的な事をする悪魔もいるものですね。どんな顔をしているか見てみたいんです、が、――叶いませんか」
一度男から視線を逸らした忠国が再び見上げると、そこにいた男は闇に溶けるように消えていた。
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「あの灯りは、そこで生活する人達の生の証か……」
台車を引きながら何気なく呟いた英斗の言葉に、枢は寂しそうに目を細めた。
「きれいで、温かいね」
「枢さんの好きな本はなんだ?」
紫の稲妻のようなオーラを出しながら荷車を引いていた炎宇が唐突に聞く。
「好きな本?」
「ああ、オジさんの趣味なんだ」
力強く一歩一歩歩きながら、炎宇は続けた。
「思い出とは誰かと考えや時間を共有する事で世界に自分のいた痕跡を残す事だとオジさんは思っている」
「思い出を?」
「オジさんの見ている世界に枢さんに想い出を残すのもいいんじゃないかと、な」
振り向きもせず言う炎宇の背中はがっちりとして頼もしく感じる。
「アクセサリーの本。えっとね、デザイナーになりたいの! ここから見える灯りを集めたみたいな綺麗なアクセサリーを作りたい」
「デザイナーですか、いいですね」
頬を染めて話す枢に、カタリナとウィズレーがうんうんと相槌をしながら話を聞く。
「アクセサリーの本、か」
オジさんには縁がなかったと言う炎宇を隣で、一緒に荷車を引く英斗がだろうねと笑う。
もうすぐ観覧車のある頂上というとき、微かな揺れに枢の頭が雪花の肩に乗った。
それまで燃えていた炎が風にゆらめき消えかかるように、ぐらりと枢の上体が倒れる。
「も、時間切れ、みた、い」
途切れ途切れの枢の言葉に、皆の驚きの視線が集まった。
「櫛野さん! 皆さん乗って下さい――飛びます」
「はい!」
二人の天使が輝く大きな翼を広げ、皆の乗った台車を夜空高く浮かび上がらせる。
目指していた天辺の観覧車より高く浮き上がり、遊園地のイルミネーションが下に見えた。
雪花とカタリナに抱きかかえられ、英斗と炎宇に見守られた枢は、右手を空へと伸ばす。
星はイルミネーションのように指先に輝く。
そして、満面の笑みを浮かべた枢の手がぽとりと落ちた。
僅かな空中散歩から戻った皆は、枢をそっと地面に横たえる。
「――こわ、い」
見守る中、枢の目から涙が落ちた。
「大丈夫ですよ、怖くない」
カタリナが力がなく冷たい枢の手を握る。
握り返す枢の手の力がだんだん弱くなるけれど、微笑みは絶やさずに。
それでも怖いと繰り返す枢に雪花が、カタリナの手の上から自分の手をそっと添えた。
「次に瞳を開けた時、君はこの夜空の星のどれかに。いつでも街を見下ろせる星に。……お休みなさい」
「……ほ、し?」
枢の側で跪いて寄り添っていたウィズレーが星の輝きを使う。
それまで暗かった枢の周りがぱっと明るく輝いた。
まるで、光を散りばめた星空に浮かんでいるように。
「き、れい――」
皆が見守る中、温かな光に包まれた枢はゆっくりと目を閉じた。
かさかさに乾いた枢の唇からもう声が聞こえることはなく、ぎこちなく口だけが動く。
感謝の言葉は風となり、溶けるように暗闇に消える。
カタリナがぎゅっと手を握ってやると、枢はほっとしたように微笑んだ。
そして、――それっきり動かなくなった。
眠るような枢の頭をウィズレーが、幼子を褒めるように優しく撫でる。
「よく頑張りましたね……私も楽しかったです、有難うございます。貴女と過ごせたこと、ずっと覚えていますね」
「まだ十六歳だったのに……こんな残酷な話があるかっ」
喉の奥から搾り出すかのような英斗の声は、怒りをぶつけるように闇に響く。
「私は天使なのに……いえ、天使だから彼女を見送らなければいけないんですね」
涙で濡れる顔を空に上げたさくらの背には、光を集めたかのような翼が現れた。
そっと枢の両手を握らせたカタリナが立ち上がる。
「枢さんは幸せだったと、思いたい」
「この時だけは、彼女に大切な時間を与えた悪魔に感謝を」
祈るように頭を垂れたさくらの零した涙のような星が、夜空にひとつ煌く。
それは皆と別れを惜しむかのようにすうっとゆっくりと流れ、街の灯りの中へ消えていった。
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冬の空は晴れて澄み渡る。
数日後さくらは、一番天辺の観覧車の側にもみの木の苗を植え、持ってきた写真を取り出した。
「ほら、みんなで撮った写真。千堂さんはいなかったから右上に丸枠で……、くすっ」
「卒業式に休んだ人みたいだ」
同行した英斗も写真を覗き込み笑う。
「君という友達がいたことを俺は忘れない。君に出会って生きていることの素晴らしさを実感することができたんだ」
ほんのひととき触れ合い、流れ星のように消えた少女は写真の中で誰よりも嬉しそうに微笑んでいた。