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外から見るのと、中からでは勝手が違うのはよくある。
今、撃退士達がいるこの空間がそうだ。
彼らは今ばらばらで、ほんの数メートル先も見えないほど深い霧の中を彷徨っていた。
深い焦りと共に。
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――それは僅か数十分前のこと。
神喰 茜(
ja0200)、鬼(
ja4371)、三善 千種(
jb0872)、雀原 麦子(
ja1553)、西園寺 勇(
ja8249)、シュルヴィア・エルヴァスティ(
jb1002)の六名は、ディアボロが現れたとの連絡を受けた斡旋所の依頼により、この地を訪れた。
ディアボロは毒の息を吐き、じわじわと辺りの生物の命を奪っているとは目撃者の話だ。
なるほどその地は、群生する真っ赤な曼珠沙華に、薄っすらと霧が漂っている。
大気が冷えた早朝によくある光景だ。
敵が見えない月の夜ののどかさに、皆はハイキングを楽しむような気持ちになった。
「おー、綺麗な彼岸花ー」
素直な感想を茜は言葉にする。
華の群れの中に立った茜の長い髪は、月明りの下、緋色に輝いた。
初陣の勇は、見るからにわくわくして、ずっと頬を赤く染めている。
彼にとっては、この現実は夢の中の出来事だ。
「すごい、この夢を見るようになって初めてのイベントだ! これをクリアすると何が起きるかな?」
勇がぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「花を食み、毒を吐く鬼……ね。優雅なのか野蛮なのかわからないわね」
シュルヴィアの言うように、絵のような風景は毒を孕んでいるのだ。
「今回の敵は鬼ねっ。いつものアイドル路線を継承しつつ、陰陽師らしく鬼を覆滅するわよっ!」
楽しそうににこっと千種が笑うと、その場が明るくなる。
神妙な顔つきの人物もいるが。
千種の隣には、皆が背伸びをして見上げるほどの大男がどっしりと立っていた。
「鬼ちゃんはデカイから、視界が開けてるかもだね。 敵が鬼で紛らわしいけど、ファイト!」
ははっと笑いながら麦子が励ますように、バシンと背中を叩く。
「ん? ああ」
それに鬼はたいして気にしてないと、気のない返事を返す。
「さて、と。毒を吐かなくなっても霧が薄まるには時間がかかるだろうから、短期決戦を狙うよ」
鮮血が滴るような焔に彩られた茜は、戦闘体勢に入った。
ぴんと張り詰めた空気が辺りに漂うと、撃退士達の顔つきが変わる。
それぞれが光纏し、武器を構え戦う準備を整え始めた。
だが、霧はすでに撃退士を取り巻き始めていた。
冷やされ水蒸気が小さな水の粒となってできた霧とはまるで勝手が違う。
これは、ディアボロが作り出したもの。
赤い華を食み、毒のある息を吐き出して。
それはあっという間に広がり、気がついた時には皆は深い霧に飲み込まれていた。
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ディアボロの作った霧の中は、外から見るのとまるで違った。
視界を奪う真っ白な霧は、どこまでも続いているような錯覚を起こす。
夜空を照らしていた月明りも、厚い霧の層に遮られ、僅かしか感じない。
(毒の霧ね……、長時間は誰にとっても危険ね……ほんと、厄介)
仲間の姿を見失ったシュルヴィアは、袖口で口元を覆う。
なにか聞こえないかと耳を澄ませるが、外で聞こえていた虫の音も、今はまったく聞こえなくなっていた。
「ごほっごほっ!!」
やがてシュルヴィアは激しく咳き込んだ。
自分の胸を押さえて悔しさを顔に出す。
元々病弱で、それはアウルの力に目覚めても同じだった。
ペースメーカーを埋め込んだ胸からは、ぜーぜーと音が聞こえる。
「ごほっごほっごほっ! 幻想的で、絵画の一部のようだけど……現実は甘くないわね」
握り締めた地図は使い物にならない。
シュルヴィアは赤く染まった瞳孔を細め、霧の薄くなる場所を求め走り出した。
どこか虚ろな瞳の勇はひとり、華の群れを覆い尽くす白い霧を見つめている。
(長いながーい夢の中。赤いお花が咲き乱れてても霧の中でも夢の中)
天魔に両親を殺され、それを受け入れるにはまだ幼すぎた勇は、壊れそうな心を保つため、現実と夢を逆転させていた。
「お母さん、お父さん夢の中でもどこかにいるのかな? きっとどこかにいる――」
もしかしたら霧の向こうに?
ふらっと揺れるように、勇は足を一歩踏み出した。
だが、振り切るように、ううんと顔を振る。
「先に目の前のことを終わらせちゃおう。……どうせコレも夢なんだから」
顔を上げた勇にいつもの笑顔が戻る。
「僕はいっぱい凄いことができるはず! いっぱいいっぱい頑張ろう。起きたらお母さんに夢の話を聞いてもらうんだ!」
手にした防毒マスクをかぶった勇は、迷わず毒の霧の中を駆けて行った。
纏わり突く霧に気がつきとっさに剣鬼変生で自己強化した茜も、今はひとりだ。
手の甲を口に当て、じわじわと絡みつくような毒に顔をしかめる。
「くっ、皆を見失うなんてね。しかもこの霧、神経毒かも? 長くいたらこっちが不利だわ」
むやみに歩くのを止め、気配を伺っていた茜の横の華が微かに揺れる。
目を向けると、ぼんやりと輪郭のはっきりしない姿が見えた。
けれど、対照的に色だけは妙に鮮やかだ。
華の赤に、打掛の白。
ほっそりとした白い指が手折る赤い華。
運ばれた華を食む唇の紅。
その唇だけが、微かに微笑んでいるように見える。
「ディアボロ!!」
反射的に茜が手にしていた苦無を振り上げた。
「きゃー、茜ちゃん、私よ!」
チリチリと鈴が鳴る。
茜が振り上げた苦無は、両手を上げてバンザイした麦子の喉下数ミリのところでピタッと止められた。
「ふー、鈴がなかったら危なかった感じ?」
鈴を手にし防毒マスクをつけた麦子は、その音のような明るさで笑う。
「茜ちゃんの鋭い斬撃で斬られちゃうのは勘弁だし、それに遠距離から間違って誤射されないようにこれも、ほら!」
そう言いながら麦子が腰をくいっと捻ると、フラッシュライトがぴかぴかと点滅していた。
「ごめん、それあんまり効果なかったかも」
「えっ?霧で光が見えなかったかぁ」
ちょっとがっかりした麦子の声が、マスクからくぐもって聞こえる。
「幻覚、雀原さんが鬼のディアボロに見えたよ。多分皮膚からも滲み込んでくるだろうし、さっさと片付けないと」
「マズいね、それ。早く他の皆と合流しないと、同じことが起こりそう」
お互い背中合わせに立った二人は、更に濃くなる霧に焦りを隠しきれなかった。
麦子に背の高さを期待された鬼も、自身をすっぽりと覆いつくす霧に動きを止めていた。
闇雲に動いても、敵の懐の中では不利だと判断して。
動きを止めた鬼に、華を食む音が聞こえてきた。
それは後ろからだったり、前からだったり、左右からと思えば違うようで、幻聴のような不思議な感覚。
音の根源がどこか探るように、鬼はゆっくりと上体を動かした。
すると、食む音が聞こえなくなる。
感覚を研ぎ澄ました鬼の前に、気配を感じた。
それは人間ではないナニかのもの。
「――鬼か?」
静かに問えば、ひしとなにかが抱きついてきた。
温かみも感じられぬ細い腕が、鬼の体に回される。
現れたのは、白い打掛に流れる黒い髪のディアボロだ。
抱きつくディアボロの頭に生えた二本の角。
それが妙な既視感を鬼に覚えさせる。
「――鬼だ、俺も鬼だ」
ついつい独り言のように呟いてしまう。
誰と間違えたのか、それとも自分と同類だと思ったのか、鬼には分らないけれど目の前に広がる華の群生に、鬼は問う。
「――花は好きか?」
問われてディアボロが顔を上げる。
「名は――?」
鬼を見上げた鬼のディアボロが悲しそうに目を細めた、その瞬間――。
「脳筋阿修羅の力押し、とか言わない!」
やっと鬼の姿を見つけ駆けつけた麦子は、足に力を込めディアボロの横っ腹に蹴撃を打ち込んでいた。
ディアボロの躯体は鬼から離れ、宙を舞って落ち、ごろごろと華の上を転がって行く。
次いで追いついた茜が間髪入れず突撃を食らわすと、ディアボロの体は更に遠くへと転がった。
「近くに河原とか華が生えてないとこがあればいいんだけど……」
赤い絨毯の切れ目がないか、麦子もぐりると周りを見渡すが、濃い霧の中では華が群れてない場所を探すのは難しい。
「なければ作ればいいですよっ。戦う前に私の炸裂符で。まぁ、いずれにしても早い行動が必要ねっ」
千種の元気な声が、不気味な静寂を破る。
霧の中を彷徨っていた千種も、なんとか気配を読んで合流できた。
「じゃ三善さんが刈り取ったところに、私と雀原さんで鬼を吹き飛ばすよ」
任せて! と元気に千種が声を出すと、了解と茜が頷く。
ナイトビジョンを装備した千種が弓を引く。
白い霧が濃く渦巻く場所より後ろを狙って。
千種が指で弦を引くと、キリキリキリと次第に音が高く聞こえる。
弦が引き絞られるたびに大きくなっていく千種のアウルの力。
限界まで引かれた弦に、陰陽の術を乗せて。
「さーって行くわよ♪」
放たれた札は風を斬り、赤い華の群れをごっそりと吹き飛ばした。
続けてもう一発。
月明りの空に華の残骸が舞った。
きらきらとした夜露を降らせながら、赤い華が散り、陰陽の力は霧をも切り裂いたように、左右に散らす。
一気に薄くなる毒の霧。
そこに、華が飛ばされ土が露出した一角が、月明りに照らされて見えた。
纏わりついていた霧が薄くなり、方向を失っていた皆にもディアボロが確認できるようになる。
目にしたディアボロは弱々しく、顔を上げるとよろめきながらも立ち上がった。
人にはない二本の角、なのに白い打掛のその姿は誰かを待つ花嫁のようだ。
「あぁ、確かに鬼ね。……随分と儚そうな鬼もいたものね」
姿を間近で見たシュルヴィアは呟き、ハイアンドシークを使った体が闇に掻き消える。
そのうちディアボロは、自分の周りに華がないのに気がつき、ゆっくりと頭を動かし周囲を確認している。
ディアボロの背に、千種が舞の薙刀を構え下から上へ、まるで舞を踊るように切りつけた。
白い打掛が一文字に切れ、中から白い綿がふわんと舞う。
「みんなっ、鬼が華を食べようとするとあの場所よ、そこに集中攻撃しましょうっ!」
千種が指差した場所には、ほんの少しだけ華が残されている。
華に気がついたのか、ディアボロも千種が示した方へのろのろと歩き始めた。
「敵とは言え、綺麗な女性を斬るのは気が進まないかな。ま、そんなこと言っちゃいられないんだけど、っと」
片手でつけていた防毒マスクを取り捨てた麦子がディアボロの元に走り、大きく踏み込んで餓突を食らわす。
ディアボロは弓なりに反って、前に飛ばされる。
飛んだ先には何もないと思われたが、きらきらと空に煌く星が見えた。
闇に潜んでいたシュルヴィアの剣だ。
その星は鋭い刃となって、ディアボロの腕を切り落としながら横に流れて行く。
「散らさせていただくわ……お互い敵だもの。遠慮は無用よ」
弱々しく見えたシュルヴィアのどこにそんな力があったのか?
斬られたディアボロは、そのままの勢いで僅かに飛ばされる方向を変えさせられた。
「えーい!」
少し離れた位置から、スマッシュが繰り出される。
長柄のハルバードから放たれる一撃に、放った勇本人が驚いて声を上げた。
「こんな力持ちになれるなんてやっぱり夢ってすごい!!」
飛び上がって喜ぶ勇の横を、疾風が如く鬼が跳ぶ。
シュルヴィアに腕を斬られ、勇のスマッシュでダメージを受けたディアボロは、霧の効果かゆっくりであったが傷が回復している。
そこへ鬼が体当たりのようにディアボロに飛び込むと、片手に握られたハンドアックスが閃いた。
深く抉る切っ先。
「名を――つけてやろう」
鬼の声に僅かに顔を上げたディアボロの顔は、どこか笑っているようだ。
微笑んで嬉しそうなディアボロは、鬼の懐から離れよろめき華を求める。
その背を千種が放った炸裂符が次々に被弾し、ディアボロの打掛に穴が空く。
「私の炸裂符でやられるなんて光栄に思いなさいっ☆」
ダンスのように軽やかにステップを踏みつつの攻撃は、千種ならではのこだわりがある。
「天魔覆滅ってねっ、陰陽師におまかせあれっ☆」
楽しそうに魅せる、これがアイドルを目指す千種の外せないポイントだ。
撃退士の攻撃を受け、回復が怪しくなったディアボロが細い手を伸ばす。
真っ赤な華の一輪に。
「頭、随分と足りてないみたいだね」
ディアボロの背後にいつの間にか近づいた茜の声が、さわさわと吹き抜ける流れる風に乗る。
振り下ろされた大太刀には、余って溢れたアウルがポタポタと滴り落ちた。
それはまるで、ばっさりと斬られたディアボロの鮮血のように。
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「あー……気持ち悪い……」
霧が晴れ、月が光る空を見上げて茜が開口一番こんなことを言う。
「曼珠沙華かあ……。咲き乱れているとなんとなく、怖いくらいに鮮やかな華よね」
麦子は、戦闘終了と共に倒れた勇をおんぶしながら、残った華を見渡した。
おんぶされた勇は、まるで幸せな夢を見ているように穏やかな寝顔を見せている。
赤い華は、千種に刈り取られた場所と、ディアボロが食んだ以外まだ綺麗に咲き誇って夜風に揺れた。
「結局、あのディアボロはなんのために作られたのかな? 失敗作もいいところでしょ、ここでしかマトモに戦えないなんて」
茜が口にしたことは、戦った皆も感じていたことだ。
「綺麗なものは、なんであれ貴重よ。鬼、あなたは確実に綺麗だったわ。おやすみなさい」
シュルヴィアは祈るように目を閉じた。
「彼岸花の花言葉は再会とか悲しい思い出、だっけ。ここで誰かを待っているように見えなくもなかったけど」
「相思華ともいうらしいけど、お互いに想うなら一緒にいたいって私は思うわね」
おんぶしながらもなんとか一輪手折った麦子は、そっとディアボロだったものの上に添えた。
「まぁ、関係ないか」
吹っ切ったように言った茜は先に歩き出す。
「任務完了ですねっ☆ 鬼さん、帰りますよー」
とことこと歩き出した千種は、立ち尽くす鬼に声をかけるが動かないのを見ると不思議そうに首を傾げながらまた歩き始めた。
「――名もないお前に名をつけてやろう」
ぽつんと鬼が言う。
墓標はないが、せめて静かに眠れるように。
しばらく佇んでいた鬼がその場を離れると、 ひゅうと風が啼いた。
咲き残った赤い華は風に撫でられ、さざ波のように揺れ動く。
まるでなにかを待ち望み、おいでおいでと手招きするように。