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観光都市・函館。
過去に幾度も学園の修学旅行先となっており、その治安の良さは折り紙付きである。
海の幸・山の幸に恵まれ、駅前の朝市や異国情緒あふれる港町の印象が強い中――
プロフェッサー・M率いる久遠ヶ原からの一行は、観光地区でも繁華街でもない、地元のファミリー向けレストランでテーブルを囲んでいた。
「とりあえずメシ! なのな! 腹が減っては戦も道草もできぬとかゆうし! なの!」
にこやかな、それでいて正体の知れぬ待ち人・堂島勲と、彼に対し激しい感情を見せ顔を背けているプロフェッサー。
なんとも剣呑な空気をぶち壊し、ペルル・ロゼ・グラス(
jc0873)はバサバサとメニューを広げる。
「とりあえず肉! レッツ肉……いや、待つなのな……折角北海道まで来たんだしー……」
牛、鶏、豚、までは解かる。羊も解かる。……エゾシカ?
メニューを両手でギュッと握って黙ってしまったペルル・ロゼを皮切りに、各々がオーダーを検討し始めた。
「目移りしちゃいますね〜。せっかく函館まで来たんだから、名物メニューを食べてみたいかなぁ♪ オススメとかあります?」
温和な笑顔で堂島へ訊ねるのは藤井 雪彦(
jb4731)だ。
「妥当な線だと海産物だね。でもね、洋食としてカレーが根付いているから、この辺りもなかなか」
「へええ……函館カレー、ですか。ふむふむ」
「お客様、ご注文はお決まりですか?」
そこへ朗らかな少年の声が響き、一同が顔を上げる。
ウェイターが立つであろう位置に人は無く、声の先を追うと――
「………じゃなかった。アルバイトの癖がつい!」
女子と見紛う可憐な少年、藍那湊(
jc0170)が照れ笑いをしていた。
「そろそろ、お言葉に甘えてオーダーしましょうか」
「じゃあ、ボクは函館のカツカレー」
「では私はこの和膳セットを頼ませてもらいます」
黙考していた鳳 静矢(
ja3856)が顔を上げて続く。
「……コーヒーだけで良い。深煎りを」
ファーフナー(
jb7826)は手短に。
「アレそれコレどれも美味しそーなんだケド、ひとつじゃなきゃ駄目なのな〜??」
「……そうだね、三つくらいなら」
ペルル・ロゼの懇願の眼差しに押され、堂島は応じた。
「ヤッホウ! それじゃあ、肉を食うなの☆ 種類はわかんねーから、これと、ソレと、アレな!!」
「追加良いんですか? なら、うに丼も♪」
ちゃっかり雪彦も便乗して追加オーダー。
「僕はパフェにしようかな……。鷹代さんは決まりました?」
「あー……。そうね、私もコーヒーを。同じで良い?」
湊に話を振られ、鷹代 由稀(
jb1456)は煙草から唇を離して隣に座るプロフェッサーへ訊ねる。が、振り向く気配なし。
「コーヒー、トータル3つで」
「かしこまりましたー!」
意気揚々とベルを鳴らし店員を呼び、湊がオーダーを通す。
「……わりと複雑……つか、聞かれたくない感じかね?」
灰皿に灰を落とし、再び煙草を咥えながら――体を起こす流れで、由稀はプロフェッサーに耳打ちした。
頑なな女教授の頬が赤くなっていることに気づく。
(感情的になっちゃって、まー……)
ただ、本当に厭ならば、それこそ取り乱してまで止めるはずだ。
(加減が必要か)
無言は、肯定でも否定でもないと判断。由稀はこれからの『時間』をどう使うか思案し始めた。
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注文した料理が届くまでの間に、学園生たちは簡単に自己紹介を済ませる。
「それで……I.Dさん……? えと、名前で呼んでも大丈夫かな」
「好きにどうぞ?」
学園には、イニシャルで連絡が届いたという。
プロフェッサー自身も、この男性には強い思いを抱いているようで、無遠慮に名を呼び続けて良いのか……湊は彼女に訊ねるが、そっけない声だけが返ってきた。
(同業というよりは、元先生と生徒という感じかなぁ……。年も離れているし……。仲違いしているなら少し心配だな)
パチパチとまばたきを繰り返し、湊は不安そうな眼差しをプロフェッサーに送った。
(堂島さんのほうは指名するくらいだし、悪く思ってないんだろうけれど……)
せっかく会えたのだから、仲直り……とも、いかないのだろうか?
少なくとも、これ以上の悪化は避けないと。
「堂島さん。僕たちを『生徒』って呼んだということは……僕たちが何者かというのは、ご存知なんですよね」
「勇敢な、久遠ヶ原学園の撃退士だね。キミは見た感じは幼いが、もう戦場へ?」
紅茶を一口飲んでから、堂島は湊へ向き直る。
「はい。親に憧れていたから、男らしく強くなるために戦うのが夢でした。戦場で散るのも華だな、なんて考えてたんですけど……」
「けど?」
「でも、今は何よりも大事なものを守る為の力になりたいです。かつての故郷の同胞に刃を向ける事になっても、この世界を……」
「同胞というと……キミは」
「育ちは冥界なんです。血は、半分だけ」
「……そうか」
語る湊の眼差しには、迷いが無い。まっすぐに希望を語る。
それを、とても嬉しそうに堂島は聞き、頷いた。
「私も久遠ヶ原に来て4年は過ぎましたが、他の学校には無い賑やかさと混沌さがありますね」
海の幸がふんだんに使われた和膳セットを堪能し、合間を見て静矢が話を切り出した。
「天魔との戦いに赴くより一般市民の手助けを主にしている学生も多く居たり……そうですね、天魔を生徒として受け入れる、ハーフの血……人と天魔、あるいは天と魔を目覚めさせる、そうして間口を広げたのも最近のことです」
「ふむ」
堂島とプロフェッサーの最初のやりとりを聞いていて、静矢の中には一つの仮説が浮かんでいた。
『教授』と呼ばれていた――つまりは教職、プロフェッサーにとってそれであるなら久遠ヶ原関係者である可能性が高い。
『久しぶりに生徒と話をしてみたい』と彼は言った。どれくらいの『久しぶり』だろうか。
それを測るため、言葉の中に糸を張る。
天魔ハーフ。
天使/悪魔ハーフ。
天魔の受け入れ。
それらは段階的に行なわれてきた。
(学園の前身である久遠ヶ原撃退士養成学園の元教師と予想していたが……反応は薄いようだな)
感情を隠しているだけかもしれないが、驚いている印象は感じられない。これまでの変遷を、ある程度は知っている?
(……この男、かつては学園で教えていたのだろうな)
湊や静矢との会話、その際の堂島の表情の機微を見てとり、ファーフナーはそう結論付ける。
久遠ヶ原に関する教職員という点では静矢と同じだが、プロフェッサーとの間には師弟関係と形容できそうな近しさを感じた。
久遠ヶ原学園に飛び級は無く、彼女は昨年大学部を卒業したばかり。逆算すれば、養成学園時代まではいかない。
その頃から居たとしても、少なくとも『学園』時代を知っている。
「近頃は、北海道で謎の組織だった者たちが冥魔と戦っているという報があったな」
さて、眼前の男は『どちら』だろう。ファーフナーは揺さぶりを掛けた。
渡したい資料があるという。
学園長からの信頼があるという。
ならば、秘密裏に『組織の偵察』をしていた?
組織に関する情報を、この男は手にしているのだろうか。
あるいは、組織の人間そのものか?
「久遠ヶ原の撃退士が、共に戦うという報告を目にしている。彼らは何者なのだろう」
「『共に戦う』か……」
問わず語りのファーフナーに、堂島は明確な答えを与えない。言葉では。
(……少なくとも『知っている』か)
送られた目配せを、ファーフナーは正しく受け取る。
言葉には出来ない。『音』には出来ない。――事情があるのだろう。『手渡しの資料』に込められているのかもしれなかった。
(会話を求めているのは、懐かしさというよりも、情報を託すに値するか見極めるためかもしれん)
――それはそれとして。
(プロフェッサーを指名してきたということは『生徒に間を取り持ってほしい』という意図もあるのかもしれない……か)
なぜ、彼女でなくてはならなかったのか?
見る限り、プロフェッサーが烈火のごとく怒る様子を、堂島は予想していたようだ。なのに、なぜ。
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「北海道って……美味しい♪」
たかがファミレスと侮るなかれ、さすが地元で採れた食材を扱ったウニ丼は格別だ。雪彦は幸せに浸る。
「カツカレーも正解だね。昔ながらのカレーがまた食欲をそそるなあ」
「お気に召したようで何より」
「北海道って言うと海産物!! っていうイメージが強かったんですけど」
「函館は『北の玄関口』、北海道では異国文化が最初に入って来た土地だからね」
「プロフェッサーさんも、何か食べませんか? なかなか北海道まで来る機会もありませんし」
そこからさり気なく、様子を伺うも……
「……観光で来たわけじゃないわよ」
「甘いものとかは? スイーツも有名だって聞きましたよ。ね?」
「ははは、街中には店がたくさんあるがね。ここでは限られるさ」
なんとか話を盛り上げようとする雪彦に、プロフェッサーの背中は冷たい。
が、全体の空気は少しずつ打ち解けたものになっていった。
「で、プロちゃんはどしたなの? 不機嫌なの? お腹すいたなのな!」
三種の肉のステーキに没頭していたペルル・ロゼは、カフェオレで一息ついて、相変わらず仏頂面のプロフェッサーへ視線を向けた。
「ちゃんとゴハン食べないと……そこのアホ毛みたいにちっこいままになるなのぜ!」
「僕!?」
「誰の胸が小さいよーー!!」
「いや、それは言ってないですよプロフェッサー!」
ネタに引き込まれた湊が悲鳴に似た声を上げ、これ以上ないと思っていたプロフェッサーの怒りは更にヒートアップし、それから己のことはとりあえず横へ置いて湊は焼け石に水の慰めを嘆きのプロフェッサーへ投じた。
「キミは、食べるのが好きなんだね」
「あたし天魔だけど、今は天使も悪魔のいざこざもどーでもいいなの」
堂島へ、ペルル・ロゼが天真爛漫な笑顔を返す。
天魔が地球へ侵攻する理由は、彼らにとっての『食糧事情』だが――それも彼女にとっては関係のないこと。
「普段は趣味で漫画を描いてるなの。こーゆー事楽しめるのって人間界ならではだし、あたしは大好きだぜー。なの!」
「へえ、漫画を?」
「見る? 見る?」
尋ねられ、ペルル・ロゼは待ってましたとばかりに手荷物から冊子を取り出す。
「――……あ、間違ったなのー ついウッカリー☆」
80%を男性の肌色で占めるうすいほんをサッと戻し、テヘペロコツーン☆で凍てついた空気を叩き割る。
さりげない動作でクロッキー帳を取り出し、使い慣れたペンでさらさらと堂島の似顔絵を描いて見せた。
それはフワリと実体化し、そして淡く消える。――本来は攻撃用の魔具だ。加減して描いたから、効力は薄い。
「能力をこういう風に使う発想、あたしたちには無かったなの」
人間界には面白いモノだらけで、壊されちゃ困るモノやイベントがいっぱいあるのな。
「そいえば、さっきの事なんですが〜。前からプロフェッサーさんとは、お知り合いだったんですか?」
場が和んできたのを見計らい、雪彦は堂島とプロフェッサーを交互に見遣る。
「教授って呼ばれてましたけど……ご専攻は?」
ビクリと肩を跳ね上げるプロフェッサーを横目に、由稀が繋いだ。
「……『アウル学』――アウルを化学的に捉え、その本質の解明が主だった研究だね。わかるかな?」
「どこかで聞いたような」
「見ないでよ!!」
ちらり。由稀の視線を受けてプロフェッサーが吠える。
彼女の研究は『アウルと物理学』ではなかったか。
「この険悪な空気のまま、白々しく会話を続けるのも不毛だ。お茶を濁し続けても埒が明かない」
深々と息を吐きだしながら、ファーフナーが一石を投じた。
「久遠ヶ原学園の近況は、伝えたな。ここから先はプライベートだが……『これまで』の理由や経緯を教えてもらいたい。プロフェッサーもそれを求めているのだと思う」
堂島の、考えの読めない目を見つめ、男は問う。
「もし本音で向き合いたいのなら、席を外すが……?」
それから、不貞腐れたままのプロフェッサーへも、問う。
「……別に、私は」
「キミたちへ隠すことではないが、この場で明かせることでもない」
「――教授!!」
「落ち着きな」
立ち上がりかけたプロフェッサーの手を、隣の由稀がグイと引く。
「津村君には悪かった。しかし、同時に嬉しく思っている。研究を続けてくれていたんだね」
「…………」
「アウル学研究室は?」
「あなたが、教授が居なくなって、残っているわけがないでしょう!? そのまま、なくなりましたよ」
「そう、か」
悪かった。堂島は言葉を重ね、由稀に手を掴まれたままのプロフェッサーもまた俯いたまま押し黙った。
「いったい、ここで何をしてるんです?」
「先ほど答えたよ、『この場で明かせることではない』」
「……教授」
「有意義な時間をありがとう。キミたちに、これを託そう。必ずや学園へ届けてくれ」
恨めし気な眼差しをかわし、堂島は分厚い封筒をテーブルの上に差し出した。
「有難うございます。しかし何故、郵送や転送では無く手渡しを……?」
答えを予感しながらも、静矢は訊ねた。
「直接・それも相手が有能な撃退士であれば、それ以上の安全はないだろう?」
電子では送れない。
言葉……音にしては伝えられない。
何を危惧しているのかは、うっすらとわかる。
「確かに受け取りました。必ず届けましょう」
「そこには、私が学園を離れてから研究したことの集大成が詰まっている」
堂島の言葉を聞いて、プロフェッサーの小さな肩が微かに揺れた。
壊れたと思っていた歯車が、今再び動き出そうとしていた。
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帰りの飛行機を待ちながら。
「キレたいのはわかったけど、もうちょいクレバーになった方が得よ?」
喫煙室にて。プロフェッサーへ煙草を進めながら、呆れ声で由稀は言う。
「まがりなりにも相手を教授と呼んだことや、あのときの態度見りゃなんとなく想像つくけどね」
「……私は」
若き引率者は何事か言いかけ、口をつぐむ。受け取った煙草は指の間でへし折れてしまった。
「あれよ。学園の職員があからさまな嫌悪感見せる相手に、素直に応じることも無いかって思っただけ」
ぽんぽん。
元気づけるように、由稀は彼女の頭を撫でた。姉が幼い妹へするような、そんな優しさで。
「僕は、祖父が苦手なんです」
戻って来たプロフェッサーへ、『ナイショですよ』と湊が囁いた。
「あっちは仲良くしたがるけれど……つい冷たく接してしまうんですよね」
「そ、そうなの」
――本当言うと……、意地というか引っ込みがつかないのもあるけど。
照れくさそうに付け足された言葉に、彼女は盛大に咽こんだ。
帰ろう、我らが久遠ヶ原へ。託された情報≪想い≫を抱いて。
堂島勲よりもたらされたのは、北海道における『地脈』に関する情報であった。
それがどれほど重要で、この先の『作戦』の要となっていくかは…… もう少し、先の話。
(代筆:佐嶋 ちよみ)