この村はどこかおかしい。どこがおかしいのかと言えば―――何もかもだ。
資料を漁ろうとしたアスハ・ロットハール(
ja8432)は、露骨にそれを感じていた。
まず、周囲に医療機関もなければ、役場もない。あると言えば、村落のみ。
「時代に切り離された集落、か……」
道中で、赤坂白秋(
ja7030)と御影 茉莉(
jb1066)から聞いた情報では、ただ戦闘があった跡のみが残されていたと聞く。報告書を読む限りでも、人命優先で調べる余裕はなかった。
ただ今となって、思いつくのは。
『撃退士の生産工場』
そんな単語。そう呼ぶ方がふさわしいだろうかと、アスハはそう思う。
自分のいた組織の何と恵まれていたことか。歪なままに育ち、そして、自壊するように。悪魔の襲撃を止め切れなかったのも必然か。
「非人道的なこともやってたのかしら……」
アスハの感想を聞き、少し恐怖感を抱き、メフィス・ロットハール(
ja7041)が言う。その手がかりでも見つければ、あるいは。
「それじゃ、私は死体を調べてみるわね」
「気を付けるんだ、ぞ?」
アスハは彼女を気にかけつつも別れ行動をする。
●
黒須 洸太(
ja2475)は、地下室を探索していた。ただ、その多くは避難用に使われていた物と思われる脱出経路ばかりで、しかも所々が塞がれていた。その塞がれていた箇所には死体があった。すでに、日数が経過しており腐食状態も激しい。
とりあえず、死体を調べると言ったメフィスに連絡を取るべきかと、一旦、外の空気を吸いに行く。
どこか、淀んでいる。そんな空気が地下室だけではなく、村全体にこびり付いているかのようだった。
地ではなく、空を俯瞰しながら探索を行う茉莉。ヒリュウの力は便利だ。自分の視界だけでは見えない景色から何か見つかりそうなものがないかを調べる。
訓練場と思しき場所を調べるのは、蒼瀬 透(
jb0954)と御暁 零斗(
ja0548)の二人だった。そこにあったのは、道場や、打ち込みをするための丸太のようなものだけ。資料を探して見る零斗。見つかったものは、訓練の時間と内容が書きこまれていたものだ。それは、異常とも呼べるほどの長時間。
自由というものがない。そんなことすら感じさせるほどで。
透が良く見てみると、道場にはいつからのものか分からないほどの古い血痕があちこちに染み付いていた。
(真剣を扱った地稽古でもしていたのだろうか……?)
教本などもなく、教えは口伝で行われていたのか。壁に掛けられた武器は、忍刀や鎖鎌、苦無といった一般的な鬼道忍軍の使いそうなものばかりだ。
続けて、透は民家に入っていく。
生活感はほとんどない。寝るだけの場所、食べるだけの場所と言った感じだ。
(母の故郷もこんな場所だったのだと聞いたことがある)
見て回る度に、胸に痛みがちらつく。
(静葉と言う少女、手遅れか? いや、僕は何を考えている?)
人に情を寄せるのはやめたはずだと。頭を振って、人の心を抑え込む。
何を感じているのだろうか、自分は。
こんなものを見て。何も思うところはないはずだ。修羅の道を歩むと決めたあの日から。
どこか苛々したように、息を吐きつつもやることは思いついた。
村雨 紫狼(
ja5376)と同じように、遺体を弔って回ることだと。
紫狼は、村人を弔っていた。何も彼らのやり口を否定するわけではない。なぜなら。
『久遠ヶ原学園もさして変わらない』
彼の感想はこうだった。
撃退士の生産工場と言えば、久遠ヶ原学園もそう呼称できるだろう。とてつもなく、人聞きは悪いが。
確かにそれは事実かもしれなかった。
●
「この村は……」
ヴァニタスの少女を救うと言った男、白秋は彼女の言葉を思い出していた。
『家族? 友だち? そんなものいないわ』
それが何を意味するのか。民家を調べ回っている中、一際大きい建物があった。村長の家だろうか。
中を調べていく。そこで、手がかりと思しきものがようやく見つかる。この村のことを記していたものと思われる手記。
『×月○日 久遠ヶ原学園のやり方はぬるい。こんなやり方であの悪魔どもを倒せる術が手に入るわけがない』
他にも様々なことが書いてある。
『○月△日 静葉が逃亡を試みた。皆にも見せしめにどうなるか分からせる必要があるようだ』
そのページを見て、思わず怒りが込み上げてきた。
他に書いてある内容は、訓練の成果が伸びないこと、村全体がたるんでいるからそんなことになるのだということ。何もかもが久遠ヶ原学園とは違う世界。
あぁ、彼女は絶望したのだ。
この世界に。
ただ、それだけだったのだと。
それを理解した。
●
撃退士が、村のことを調べ回っている最中のことだった。
「こんな村に何度も何の用があるのかしら……?」
影より、静葉がそれを眺めていた。でも、それも丁度いいかと思う。撃退士と会うことのできると思える場所はここくらいしかなく。彼女にとって、これは運の良いことだった。
堂々と、村の中央から村全体を眺める。
忌々しい。そんな風に思える。やはり、この故郷は、どうあっても許せない。
「やあ。珍しいね、こんなところで。君も何か探しに来たの?」
そんな彼女へいの一番に気付いたのが、洸太だった。
「……私のこと、知ってるでしょう?」
少し戸惑うように、静葉は口にした。
「ん? えーと、あれ? もしかして、静葉?」
「えぇ、そうよ」
危機感のなさそうな洸太に毒気を抜かれて、念のためとわずかに残していた闘志も霧散させた。
「そうだ、少しお話しない?」
「えぇ、そのつもりで来たわ」
そう、二人が会話を始めたころ、次に彼女の存在に気付いたのは茉莉だった。
空よりの視点で気付いた彼女は、急いで駆け付けるが、特に険悪な雰囲気でもないことに胸を撫で下ろす。
「あなたは……あの時の」
「静葉様……」
自身に痛打を与えた茉莉の存在に気が付くと、さすがに苦虫を噛み潰したような顔をする。前回の負けに大きく起因することになった存在。
だが、彼女からも戦意を感じない。静葉が殺意を撒き散らしていないからだろう。そのことに静葉はほっとする。そう、今日の目的は戦闘でなく。
「あなたは。どうして、そんなに冷静なの?」
「?」
「撃退士になること。私はそう言われ続けて育ったわ」
来る日も来る日も地獄のような訓練を過ごして。人を斬りもした。嫌で嫌でたまらなかったが、そうでなければ、生き残れなかったから。
「そんな撃退士になって―――」
「私も、撃退士になるつもりはなかったのですよ?」
そう告げる茉莉。
撃退士たちの事情も様々だ。進んで成る者。望む望まないにかかわらず、成らされた者。
「それなら、どうして絶望しないの?」
「それも、一つの機会です。私が変われるならって」
前向きな彼女にとって、それは絶望ではなく。不満は感じるが、日常の一幕に過ぎない。自分の思い通りにならない。そんなことは日常の一つで。
だが、静葉は分からない。
閉じ込められた世界。歪な価値観。
この村の異常性に気付いただけマシだとも取れるが。それでも、彼女は確かに歪んでいた。
「おいおい、どうしたってんだよ……て!?」
そんな話し声に白秋が合流する。アスハ、透、紫狼の三人もまた気付き、その場にやってきていた。
「こんにちは。で、良いのかしら? 撃退士さんたち」
警戒した素振りを見せるアスハと透だが、彼女に戦意がないと分かると、その警戒を解く。
「来てたのか」
「えぇ」
白秋の言葉に、頷くだけ頷いて。ほんの少しの沈黙が流れる。
「なぁ、静葉」
「私を救うなんて、何のつもり?」
自分はすでに救われている。少し震えた声でそう告げる。
「キミは、本当に自由になったと、そう思ってる、のか?」
アスハが問う。
「えぇ、自由よ! この村の呪縛から解き放たれたわ!」
「確かに。虐げられ続けてきたキミの苦悩を、理解できるとは思わん」
頷き、アスハは続ける。
『人としての全てを対価に払った代償としては不釣り合いと思わないのか』と。
それに確信したように答える。
「思わない。私は、私よ。ヴァニタスになったとしても! ツォング様に生殺与奪の権利を禅譲したとしても!」
「そう、か―――今のキミは『籠女』、だな」
「何を……!」
人としてあった頃の柵を捨てても、悪魔という柵に囚われて生きている。どうして、それに気付けないか。
これ以上の問答は無意味と。アスハは嘆息する。
そんなやり取りの横、静観していた透がぎりと歯噛みする。
彼女はこんな結末を救いだなんて言っているのが。
「救いじゃない」
許せなくなって。
「そんなのは救いじゃない」
思わず口から零れていた。
自分はこんなことをどうでもいいと思っているはず。そのはずだった。
「君は外に出たつもりで―――違う鳥籠に入れられたんじゃないのか?」
アスハの言ったことはそういうことなのか、と。透も言って理解する。
彼女は、確かに『籠女』だ。
「もっと幸せな世界は外にはちゃんとあるんだ」
一つ、口を突いて出た言葉は止め処なく溢れてくる。一度決壊した堤防から、零れ出す水のように。
「普通の幸せも知らないのに」
こんな結果を救いだと。言う彼女に対して、どこか怒りに似た感情を憶えていた。
いつの間にか、自らに課した戒めを破っている。そのこともないまぜになった感情の行く末か。
「人の幸せは……もっと良い物の筈なんだ!」
思わず、叫んでいた。
「なぁ、静葉―――こんなに言ってくれる奴いなかったんだろ?」
白秋も続けて想いをぶつける。
まだ、彼女は人のココロを失ってはいないはずだ。
「本当の意味の自由ってヤツを。『トモダチ』ってヤツを。知りたいだろ?」
朝起きて、笑顔で溢れているそんな日常。喜怒哀楽、どれかは分からない。そんな透も言っていた普通の日々。
普通に、食事をして、遊んで。時には先生に怒られて。
そんなことができる場所。
それが、久遠ヶ原。例え、彼女でさえも飲み込めるだろうと信じて。
「学園へ来れば、分かるッ!」
ツォングは彼女を確かに一時、救ったのかもしれない。だが、何を仕出かすか分からない部分を持っている。それに、白秋は気付いていた。あの底知れない、狂気を孕んでいるような瞳を。一度、見知っている。
だから、救うのだ。彼女を。
「絶望を希望に―――それが『撃退士』だってことを、見せてやる!」
白秋は言い切る。撃退士の在り方を。
その言葉に静葉は理解する。撃退士は、自分と違うソンザイ。
その事実を噛み締めた後。
それを知って? 知ってどうするのか。
彼女は迷う。
そして、そこに劇薬が投下される。
「あれ? この子だれ?」
メフィス・ロットハール。彼女の手によって。
●
「メフィス……顔色が悪い、ぞ? 大丈夫、か?」
「ごめん……ちょっと、死体とか見過ぎて……」
心配するアスハをよそに、ひょいと覗きこむようにして。
「で、この子だれなの?」
「ん……」
どこか瞳の色を変えかけているメフィスに、アスハは言い淀む。メフィスも気付きかけているはずだ。
だが、それを確信に変えてはいけないと。何かが警鐘を鳴らしているかのようで。
言い淀むアスハを余所に、どこか冷静に、メフィスは『ソレ』を見破る。
『彼女は人間じゃない』
そんな単純な事実。ルインズブレイドとしての、目がそう言っていた。
あんな魔力を放つヒトがいるはずがない。
それを理解し、黒化。剣を抜く。
反応し切れない速度だった。
静葉に戦意はない。そして、誰も彼も、戦意を持っていなかった。
気付くはずもない。
その瞬間的な光纏の直後。
「あんたが新たな憎しみを生む前に、誰かの大切な人を奪ったりする前に!」
血飛沫が舞った。
●
「ア、ァア、何で……?」
「………!?」
「止め、ろ、メフィス……」
ボタボタと血を流しながら、アスハはメフィスの剣を、その体で、受けていた。ざっくりと袈裟掛けに。立っているのもやっとの程の傷。
驚きを隠せない静葉を前に、しかし、アスハはメフィスを抱きしめる。
「言いたいことは、分かる……分かるが、剣を納めてくれ……」
愛する人の言葉でようやく止まるメフィス。だらりと剣から力を抜くが、その眼には涙と共に怒りが籠っていた。
「あんたは―――」
「?」
「あんたは、何のために戦ってるの!?」
「……っ!」
メフィスの言葉に気付く。
撃退士としての生活に絶望していない茉莉も、自分の想いをぶつけた透も、学園に来いと言った白秋も、静葉を守ったアスハも、そして静葉に斬りかかったメフィスも、ここにいる撃退士たちは皆。自分に対して、信念を以て戦っている。
(私には、ナニモナイ)
気付いたのは、そんな事実。
でも、そんなことは仕方がないではないか。
「私の―――」
「次のキミの台詞は『私の事を何も知らないくせに!』」
それまで黙っていた紫狼が、満を持したかのように告げる。
まさにそう言おうとしていたのか、パクパクと口をさせ二の句を告げないでいる静葉に、紫狼は告げる。
「ともかく、だ。お嬢ちゃん。ウチの青少年たちかキミの主か、どちらか決めるんだ」
別に今日でなくても良いが、いつでも良い。
自分で決めろ、と。
俯く静葉は、答えを出せないでいた。
自分で決めることに意味がある。紫狼は、そう信じていた。
さすがに、すぐには決め切ることもできないだろうと。白秋も、それは分かっている。
「言っとくが、俺は諦めが悪いぜ静葉。何度でも言う、お前を救う―――」
「本当に。諦めの悪い人」
少しだけ笑顔を覗かせて。
「何か決めるなら色々見て回ってからのほうが良いよね」
迷うそぶりを見せる静葉に、洸太が言う。今度、繁華街でも回りながら決めようと。
聞きようによってはデートのお誘い。
はたして、そんな夢のようなことが起きるのか。
答えは出ないまま。ふっと、彼女はその場から姿を消した。
●
やれやれ、と。零斗は木陰で首を振っていた。何のことはない、ずっとタイミングを覗っていたが、それを逸してしまっていた。
仕方がないかと溜め息を吐いていたそこへ。
「ずっと見てたわね。あなたも、私に何か言いたいことがあるの?」
「うぉっ!?」
いつの間にか、静葉が真後ろに立っていた。
さすがは、元鬼道忍軍のヴァニタスか。遊びででも、彼女と戦おうかと考えていたが、1対1ではまともに敵うはずもないだろうと、その力量差に気付く。
「ああ、俺は御暁零斗だ」
自己紹介に始まり、続ける。
自分の境遇と少しだけ重なる彼女との短い会話。
「君が今の状態でもって言うのは良いんじゃないか? やっと手に入れた自由というか外の世界だ。今は、それだけを楽しめばいいと思うよ」
「あなたはあの人たちと少し違うことを言うのね」
答えを出す必要はない。それも、一つの答えなのかもしれない。
そんなことを胸に秘めて。
今度こそ。彼女は完全に、この場から立ち去った。