空は広く、青々としていた。遠くに積乱雲が見えるも、夏の証の一つだろう。太陽は容赦なく地面を照らし、梅雨時期のせいもあってか、どこかじめっとしていた。
それでも、こんな天気は、グールなどにまったく似つかわしくない。仁科 皓一郎(
ja8777)は空を見上げつつそう思った。気だるげに太陽の光を手で遮り、習慣となっている咥え煙草をしたまま横を見やる。そこを歩く羽山 昴(
ja0580)が今回の戦闘におけるペアだ。最初に挨拶したとき、どこか決意を秘めたような様子が彼にとって印象的であった。
昴の内心には二つあった。一つは、単純な正義だ。死した者が生きた者の幸せを奪うことの如何に理不尽か。それが許せないだけだ。相手が元人間であろうが無かろうが。
そして、もう一つは、強さへの憧憬だろうか。
過去の依頼がまざまざと蘇るのだ。初めて死ぬほどの思いをした強敵相手の依頼。そんな理不尽な強者に横っ面から殴れる強さが欲しいと。
今回はそれに比べれば楽だ。下級も下級のグール。今はまだ力が足りなくとも、この程度は容易く葬っておきたい気持ちが見て取れる。
「んで、どう思うよ、今回の依頼?」
「どう、とは?」
皓一郎の問いに神谷・C・ウォーレン(
ja6775)が淡々と問い返す。ぼりぼりと頭をかいた皓一郎は少し考えた風にした後、詳しく続ける。
「相手は、元人間だろうってことさ」
「……そんな日常茶飯事。瑣末だな。燃やし尽くすだけだ」
すでに死した者どもだ。情を掛けるなど意味はない。強いて言えば、己の技の実験台に役立ちそうという思いくらいだろうか。少し後ろ暗い考えかと思いつつも、やはり所詮はその程度にしか感じない。
だが、ペアの三神 美佳(
ja1395)はどうか。小さい子どもの面倒を見ていた過去のある彼にとって、彼女はどう見ても庇護対象にしか思えない。
「三神、大丈夫か?」
「うみゅぅ……平気ですよ?」
少し驚いたような顔で、美佳は返す。そう、齢にして未だ九つでしかない彼女―――もっとも見た目はさらに幼く見えるが―――は、この中でもっとも天魔に対してきたことのある者であった。彼女にとって、ディアボロとなった人が人でなく無限の苦しみを味わうだけの存在と成り果てていることを理解するに、それらは十分な経験であった。そんな幼さを捨てるほどの思いをもって、ソレに相対するだけの力を手に入れたのだ。
「私はいーっぱいディアボロを見てきました。だから、大丈夫です」
その答えは少し先で話を聞いていた皓一郎にとって、どこか物悲しいものだった。
一方、街の南東部。そこには分担して向かう他の四人の姿があった。
「のっほっほ、我にかかれば、天魔の一匹たりとも街に侵攻なぞさせぬぞ」
口元を隠しつつ、フル・ニート(
ja7080)が厳かに進む。だが、どこかその動きはぎこちない。その様子をあっさりと看破したアラン・カートライト(
ja8773)がフルへと声をかける。
「おい、フル」
「ほ? ……にょっ!?」
アランは振りむいたそのおでこに構いなくデコピンする。
「な、何するのじゃ!」
涙目になりながらも抗議するフルに、アランは煙草を取り出し火をつけ一服し。
「で、緊張は解けたか?」
「ぐ、ぐぬっ……き、緊張などしておらぬわ!」
猛抗議するフルに、そうか、それなら大丈夫だなと、優しく相対するアラン。
一方で、もう一人。篠崎 宗也(
ja8814)もまた緊張していた。アランには放っておかれているが。
宗也にとってはこれが初依頼なのだ。
それだけではない。天魔の侵略というこの状況。規模は段違いであるが、昔の自分に重なるものがある。
何もできなかった過去。対して、今は力がある。復讐ではなく、人を守るためにと誓ったこの力で。
すぅと息を吸い、気を奮うために、あえて声に出す。
「ピンチの時は言ってくれよ! シュバッて駆けつけるからよ!」
「あ、絶対か? 絶対にフルを守れるのか?」
そんな宗也の決意とも言える声に、アランが一言付け加えてくる。
どうにも、女性と男性への応対の差が激しい。ある意味で紳士の鑑である。
「あ、いや、その……お、漢は言ったことは絶対守るもんだぜ!」
アランのちょっとした疑りに、少し言い渋る宗也。さらには思わず、ぽろりと。
「まぁ、守れなかった事もあったがよ……」
「おいおい」
呆れたようなアランの声に、宗也は気まずそうな顔をする。
しかし、アランはそこまで気にした風でもない。いつも通りの対応なだけであった。
「さて、そろそろ敵が見えてくるはずだけど……」
大神 直人(
ja2693)が接敵を予見する。
グールか、と今回相対する敵の名前を呟く。自分の得物が効いているかどうかを確認しづらい相手は苦手な分野にあるだろう。とは言え、殴って何とかなるだけ、十分である。
と、そんなことを考えていると、遠くにゆっくりと動く影があった。人にしては動きが鈍すぎる。恐らくはグールだろう。
念のためと、北東部に向かう四人へと位置情報の確認の連絡を取ることにした。
北東部。周囲を確認していた皓一郎が真っ先に敵の姿を確認する。よく観察してみれば、一体だけ動きに違いを覚える。恐らくはリーダー格がいるのだろう。
ちょうどそこへ、位置確認の電話が鳴る。
「こちらも敵を発見した。どうやら、リーダー格がいるようだ……あぁ、手筈どおりに」
電話を切ると、四人は頷き、一斉に動き出す。グールたちもこちらの様子に気づいたのか、ややゆっくりした動きでこちらに相対する。動きはそう速くないようだ。しかし、その中に俊敏な動きをするものがいる。リーダー格だろう。
凄まじい動きで肉薄する撃退士たちについていくように、リーダー格と一匹が反応する。
だが、それよりも美佳と神谷の方が動きは速い。特に場馴れしているのか、すぐさまに美佳は己の武器にアウルを満たし、活性化させて行動を開始する。
「風よ……!」
狙いはリーダー格のグール。強風が吹き荒れると同時に、竜巻のごとき現象が起こる。それに包まれたグールは全身の平衡感覚を奪われてしまう。竜巻が止む頃には立つのもままなりそうにない状態となっていた。
「魔術と銃の組み合わせの実践だ」
すぐさま、神谷がリーダー格のグールへ銃撃を放つ。寸分の互いなく、放たれた弾丸は的確に頭部を貫く。脳漿を撒き散らしながらも、しかし、動きに大きな変化はない。ダメージの方もやや通っていないようだ。すぐさま、魔術による攻撃へと切り替えるべく召炎霊符を活性化させ始める。
そこへ、残ったグールたちが押し寄せようとしてくる。
だが、後衛の二人へ攻撃が届くには至らない。その前に、動いていた昴が大剣を凄まじい勢いで叩きつける。
「そうは行かないな……!」
ゾルン、と。グールの一体の右半身を切り落とす。人であれば、致命的な一撃に違いないが、そこは生ける屍の名の通り動き続けていた。
その強力な一撃を脅威と見たか。素早く反応した別のグールが噛みついてくる。
「くっ!」
回避を試みるも、攻撃に関しては的確だった。ガリっと鈍い音を立てて、左腕を食い千切らんとしてくる。
続けざまに二匹目が噛みついてくるが、それは辛くも避けることに成功する。噛みついてきたグールを振り払うが、今度は三匹目までもが迫る。さすがに避けきれず、今度は左腕に食いつかれる。
「くそっ……!」
さらには後ろから迫りくるグールの影。しかし、盾をかざした皓一郎が立ち塞がる。
「ぬっ……!」
ガンッ、と音を立てて、敵の攻撃を弾く。強力な防護の力と冥府の力が相反し、アウルの弾ける音が周囲に響く。
その衝撃でわずかに手が痺れるが、そこまで痛いものではない。
状況は撃退士優位に動いている。
その時―――神谷の携帯電話が非常事態を知らせるかのごとく鳴り響いた。
時をやや遡り、南東部。こちらも、すぐさまに戦闘が開始されていた。
「最高に愉快な暇潰しといこうか」
先の先をとったのは、アラン。長大な剣をものともせずに、燃焼させたアウルを用いた爆発的な速度による斬撃を放つ。上半身と下半身を真っ二つにしつつ、しかし、こんなものは武器による威力だと、歯痒さを覚える。できることならば、無手に近い状況で殴りつけたいものだと、そう思う。
未だ生きているグールに宗也があっさりと止めを刺す。神聖な力を持つ彼のアウルによって、真っ二つにされたグールは完全に浄化されその動きを止めた。
グールゆえか動きは鈍い。フルが攻撃に移ろうとしたその刹那。
一体が凄まじい動きで肉薄してきたかと思うと、強力な毒霧を一帯に撒き散らす。
アランと宗也が巻き込まれるが、翼のようなものでアランは守られる。庇護の翼だった。さらに、強力な守りを得ていた宗也の前に毒霧はさしたるダメージを与えることはできなかった。
だが、あの動きは、普通のグールではないことは明らかだった。
どちらかにリーダー格―――そう、どちらにもリーダー格がいたのだ。
しまった、と。直人は自分たちの安易な判断を後悔する。だが、先に少なくとも向こうにいることが分かっていたのは僥倖か。皓一郎の確認がなければ、どちらも遅滞戦を行うことになりかねなかった。
後は、向こうにこの事態を伝えなければ。
事前に交換しておいた連絡先から、素早く履歴を呼びだす。恐らくは後衛である神谷か美佳に連絡すれば出てくれる可能性があるだろう。熟練である美佳に戦闘を任せた方がいいかと即座に判断。神谷へと連絡をすることにした。
「何だと―――そちらにも、リーダー格がいるだと?」
緊急の電話を受けつつも、神谷は炎球をリーダー格のグールへ的確に当てる。朦朧としているグールに避ける術はなく。左半身を燃やしつつも、しかし、まだ動いている。タフだ。
右半身を切られたグールに止めを刺しつつ、皓一郎は状況の不味さを理解していた。予定調和が乱れている。確かに現状、リーダー格が完全に行動不能になっているうえ高火力の後衛が無傷である以上、ほぼ勝てる状況になっている。救援がなくても何とかなるだろう。だが、向こうの状況はどうなのか。それは離れすぎていて分からない。戦闘中に電話に集中するわけにもいかないのだ。
「うぬぅ、誤算じゃのぅ……じゃが!」
フルは素早く判断し、リーダー格へと対象を切り替える。少なくとも初手は本来の予定通りにした方がいいだろう。聖なる鎖を召喚すると、リーダー格を捕える。己の状況を理解できないまま、グールは聖なる力による一撃を受け悶え苦しむ。ヒトの形をしたものが苦しむ姿を見て、フルは一瞬だけ目を反らす。あれは痛がっている表情。そう、まだディアボロが元人間であるという事実を完全に認識しきれていなかったのだ。しかし、それに反して沸々と怒りの感情も巻き上がってくる。
「おのれ、悪魔どもめ……許せよ、ヒトならざるモノども」
心を立ち直らせると、キッと前を見据える。
その様子をさりげなく確認していたアランはもう大丈夫かとわずかに微笑みながら、肉薄するグールへと相対する。
「はん、遅ぇよ!」
その場で砂利を蹴り上げる。向かってきていた二体は思わず、それで動きが鈍り、アランは二体の攻撃を悠々と回避した。
だが、宗也はそうは行かなかった。ふらりと目眩を感じる。さっきの毒霧で体を毒に侵されたのだ。
気付いた時には、目の前にグールの姿。回避を試みるも、予想以上に動きは素早い。
冥府の力を得た攻撃は、想像を絶する痛みを宗也へと与えていた。
一方、そんな折。美佳はわずかな逡巡で決断していた。きっと、それは今まで培ってきた経験によるもの。リーダー格以外の敵はそこまで強くない。しかも、前衛の二人に敵は群がっている。
ならば、と。
全身に満ちるアウルを片手に集中する。超々高温の業火を召喚。
「皆さん、注意してくださいっ!!」
固まる敵の頭上へ火球を飛ばし、そのまま炸裂させる―――!
「うぉっ……!」
とてつもない破壊力に昴は思わず声を上げる。
直撃した箇所は、凄まじい熱で溶けてしまった地面があった。ガラス分が融解し、キラキラと太陽光を反射する幻想的な光景とは裏腹に、凶悪なまでの一撃である。
放った炎でわずかに延焼を続けるその場には、左半身のわずかな部分しか残っておらず残りは炭化したグール、全身が炭化したもう一体、さらには爆散してしまったのか一体は姿形さえ見当たらない。
リーダー格さえもかろうじて動いている程度。もはや、勝負は決しただろう。
昴はその様子を見て、これが経験を積んだ撃退士の力なのかと改めて確認する。自身もこの域に達することができるのかと。
「向こうはやや苦戦中らしい。行くぞ」
止めを刺し、反対側の戦闘状況を聞いた神谷の声で我に返り、昴は一瞬の迷いを振り払う。
できるかできないかではない。やるしかないのだと。
連絡を続ける直人。宗也がかなりきつい状況になっている。あと一歩で意識を手放してしまうだろうことが見て取れる。
「宗也の負傷がきつい! 可能ならば援護に来てくれ!」
そう言った後に、向こうの戦闘は終了したことを知る。ほぅと一息ついて、電話を切る。
リーダー格はまだ動けないようだ。毒にも侵され、瀕死の宗也だったが、フルのぷち奇跡によって意識をはっきりと取り戻す。十分な加護を受けた奇跡である。回復がなければ確実に危なかっただろう。班編成が何とか功を奏していた。
一体一体、確実に雑魚を仕留めていく。怪我をすれば、すぐにフルが癒し、直人の援護もあって前衛二人の動きは、後はスムーズに行った。
北東組の四人がちょうど着いた時。
「Jackpot! 死体は死体らしく墓場で寝てな」
リーダー格のグールの額を直人の弾丸が正確に貫き、その無為に永らえさせられた命を終わらせていた。
ようやく終わった戦闘にフルは胸を撫で下ろす。その安心感と共にみなぎるは。
「斯様な天魔の犠牲者を増やさぬ為にも我は……」
己の使命。今までの何と不甲斐なかったことか。蝶よ花よと育てられた彼女に現実は残酷な事実を常に突きつけ続けてくる。
「でも、フル。よく頑張ったな」
アランがくしゃくしゃと頭を撫で、これでも舐めてろとキャンディを渡してくる。パッと笑顔になり、うはははと笑いだすフル。
「さて、とっとと帰ろうぜ。疲れたよ」
死した者どもには、特に感慨もない。一方で、皓一郎はそう思う。救われるのは死した者に非ず。救いがあるのはどちらにせよ生者にのみなのだ。
それでもフルの様子を見れば、少しの憐れみも出たのか。その辺りに生えていた花を一輪。そっとグールたちの最期の場所へ投げたのだった。
―――了―――