●お泊り会
「みんな……いい夢見ようねっ!」
これから悪夢を見るとは思えない元気な声で歌音 テンペスト(
jb5186)が部屋の照明を落とした。
部屋には一人で悪夢を見るのは心細いと集まった女性が6人。それなりの広さがある部屋だが、様々な物品や主であるテンペストの趣味のGL本やBL本などで散らかっているため、6人が布団を並べるにはかなり狭い。
が、そんなことを気にするものはいなかった。
夜食として振舞われた冷蔵庫一杯のかまぼこと青汁で、もう何も驚かなくなっていたという話もある。
「みんなおやすみ☆」
可愛らしいパジャマに身を包んだ羊山ユキ(
ja0322)は布団の中に潜り込んだ。
「おやすみなさい」
雫(
ja1894)は言葉少なに眠りにつく。
「おやすみなさいね」
百嶋 雪火(
ja3563)は青みがかった黒い瞳を閉じた。
「おやすみなさいですぅ〜」
少し子どもっぽい口調で言うのは、深森 木葉(
jb1711)。
「大丈夫……皆と一緒なら、怖くない」
シェリア・ロウ・ド・ロンド(
jb3671)はすぐにすぅすぅと寝息を立て始めた。その側には幼少の頃よく一緒に眠ったクマのぬいぐるみ。
こうして夜が始まる。
ユキが見たのは幼い頃の夢だった。両親と共に食卓を囲んでいる。
「お父さんそれちょうだい」
ユキは父の前に並んだ握り寿司をねだった。
「はは、ユキにはこれはまだ早いよ」
「えー、ずるい。お父さんのそれすっごく美味しそうだもん!」
だだをこねるユキを見かねて父親が折れた。
「仕方ないなぁ……」
「あなた」
「まぁ、いいじゃないか。ひとつ食べれば懲りるだろう」
「?」
なんのことか良く分からなかったユキだが、ぱくりと口に入れた瞬間に理解した。
「辛い!」
父の寿司には山葵が入っていたのだ。
「水、水!」
しかしちょうど飲み干した所だった。
「お母さん、ごめん! これ貰うね!」
母の前にあったスープに手を伸ばす。
「あ、それは……」
ごくりと飲み干した瞬間――。
「これも辛―い!」
スープには唐辛子が入っていたのだった。
「ははは、ユキにはまだ大人の味はわからないようだな」
「ユキは大人の味なんて知らなくていいもん!」
それ以来、ユキは辛いものが大の苦手になってしまったのである。
「はっ、はっ、はっ……」
雫は必死に走っていた。光纏したまま、辺りを見回すが人影はない。天魔と戦っている内に、仲間とはぐれてしまったのである。
一人では危険だ。なおも走って仲間の姿を探すがなかなか見つからない。
ふと視界の隅に動くものがよぎった。仲間か、天魔か――。
よく見ればそれは男の姿をしていた。光纏はしていない。どうやら一般市民のようだ。逃げ遅れたのだろうか。
「ここは危険です。早く遠くに……。あ。撃退士を見かけませんでしたか? はぐれてしま――」
「卑怯者」
男は凍るような声でそう呟いた。
「え?」
雫は訳が分からず聞き返す。
「卑怯者! 臆病者!」
「……何を……私はただはぐれて……」
「俺たちも仲間も見捨てて逃げたんだろう!」
叫ぶ男の姿がみるみる血に染まる。
「違います……私は……!」
「背中の傷がその証拠だ!」
「……!」
雫の背中には大きな傷がある。過去に天魔に襲われた際に負った傷だ。
「あの時の私には何もできなかったのです! まだアウルにも……!」
「卑怯者! 臆病者!」
天魔との遭遇は雫の心にも大きな傷を残した。心無い者たちの陰口によって、雫は自らの価値を見失い、自らを人形と思い込むようになった。
「やめて下さい……! やめて……!」
炎が街を飲み込んでいた。赤く燃える街の中を3人で駆ける。大切なあの人と、大事なこの子と。
「くそっ、こっちにも悪魔が。雪火、あっちだ」
「あなた……傷が……」
雪火は夫の腕の傷に手を当てる。赤い液体がぬめった。もう何度この腕に守られたことだろう。
「大丈夫だ。お前たちは必ず俺が守る」
頼もしい笑み。こんな絶望的な状況でも何とかなるのではないかと思わせてくれる、優しい笑み。しかし――。
「危ない! 雪火!」
いつの間にか背後に悪魔が忍び寄っていた。どん、と突き飛ばされる。必死で我が子を抱きしめた。離れていく愛しい人の腕、そして――。
「あなたーーーっ!!」
赤を撒き散らし、倒れふす夫。その口が「逃げろ」と動いたのを雪火は見た。愛する人が散って行くのを見て、雪火の中で力が駆け巡った。
こうしてアウルに覚醒した雪火は、命からがら逃げ延びた。我が子と一緒に。でも夫とは離れて。
木葉は楽しかった。
今日は久しぶりのお出かけ。父が車を運転し、助手席には母が。木葉は後部座席にシートベルトをして座っていた。
車は山の中に入っていく。普段街では目にすることのない緑の風景が目を楽しませる。
木葉は楽しかった。
楽しい――はずだった。
「!?」
キキーッという音を立てて車が急停止する。父が急ブレーキを踏んだのだった。
車の前に現れたのは巨大な黒い獣。木葉にはその正体は分からなかったが、手負いの血まみれの姿に、何故だか怖いものだということは本能的に理解できた。
獣に続いて現れた6人の人影。皆、手に武器を持っている。撃退士だ。
「おい、降りて逃げるぞ!」
父がそう叫び、母もすぐに車を降り、後部座席の木葉のシートベルトを外しにかかった。もどかしくベルトを外し、ようやく3人で逃げられると思った。しかし――。
獣の狂爪が父の身体に振り下ろされた。赤いものを撒き散らして倒れ伏す父。
それを見た撃退士の一人が銃を発泡する。銃弾は狙いを外れ母の胸を貫いた。
何が起きたのだろう。
両親の血を全身に浴びて放心する木葉。
天魔と撃退士――その因縁の始まり。
それはモノクロの記憶。白と黒の世界。
古い洋館の一室。子ども部屋としてあてがわれた広々とした室内は、真っ暗で寒々しかった。
上等で分厚いカーテンの向こうから昼の陽光が一条差し込み幼いシェリアの姿を浮かび上がらせた。ベッドに座り込み、クマのぬいぐるみを抱いている。
独り、だった。
「どうしてシェリーはひとりぼっちなの……?」
小さな腕に抱いたぬいぐるみに向かって小さく呟く。ぬいぐるみは何も言わず、ただ微笑むのみ。
「どうしてシェリーはひとりぼっちなの……?」
答えは、ない。
「……」
両親のことを思い浮かべる。その顔に笑顔はない。貴族の名門ロンド家の息女として育ったシェリアは、両親よりも家庭教師や召使いに会うことの方が多い。
掟に厳粛たれという両親は、シェリアに笑顔を向けることはほとんどなく、幼い少女はぬくもりに飢えていた。
「父様も、母様も、シェリーを見てくれない」
ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。ぬくもりは感じない。
「シェリーはいらない子なのかな……」
呟きは闇に吸い込まれ、答えが返ってくることは、なかった。
テンペストは中学校時代、生徒会長をしていた。
面白半分に立候補したら、何故か当選してしまったのである。これは頑張らねばと奮起して迎えた初めての生徒総会――全校生徒を前に壇上に上がる。そして――。
「まあ、その〜。生徒の皆さんにはね……」
日本列島を改造しようとしたあの総理の物真似である。親しみを持ってもらえれば、眠たい所信表明を少しでも盛り上げられれば、というテンペストなりの誠心誠意であった。渾身のギャグであった。
しかし、現実は非情なものである。
(すべったー!)
受けなかった。致命的なまでに受けなかった。
生徒総会が冷温停止した。絶対零度。氷点下−273.15℃である。
その後、演説を続けられたのは奇跡に近かった。何しろ記憶がない。やっちまった感で一杯になり、演説どころではなかったのである。
ある友人はこう言った。平成のこの時代に、大正生まれの総理大臣のネタはないだろう、と。
テンペストもちょっと古いかなーとは思っていたが、ここまでとは思わなかったのだ。これからはネタの鮮度には気をつけようと固く誓った。
誰もが認める暴走娘の苦い記憶である。
翌朝、6人は思い思いの目覚めを迎えた。
ユキはまず甘いお菓子を食べまくった。夢の反動である。他の子にも配って元気づけようとする姿は健気でもあった。
雫は表情を変えずに涙を流し続けた。
「私は、ここに居ていいの?」
友人たちの顔が思い浮かぶ。責め苛む声は遠ざかり、自分を少しだけ認められた気がした。
木葉は「ごめんなさい、ごめんなさい……」と壊れたオルゴールのように繰り返した。守れなかった後悔と独り生き残ってしまった罪悪感が、胸の中に渦巻いて離れなかった。
シェリアも自分の肩を抱きながら涙を流した。学園に来てから薄らいでいた、忘れていた、孤独。今も彼女はどこかに欠落を抱えているのかもしれない。
雪火は子どもに電話をかけた。その声が安心を運んでくれる。後悔はある。だが子どもを守るため、自分はやれることをやる――そう決めたのだ。泣いている雫、木葉、シェリアにハンカチを差し出し、温かい飲み物を皆に配った。
最後に目を覚ましたのはテンペストだった。開口一番――。
「おい〜っす!」
コメディアンで俳優でベーシストでタレントな、あの人の真似である。一斉に目が点になる一同。またすべったか、と思ったテンペストだったが、すぐにみんなが吹き出したのを見て安心した。新作ギャグは受けたようだ。
こうしてお泊り会は笑顔で終了した。夢に呼び起こされた様々な思いを胸に秘めて。
●カウンセリング
長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)は御堂・玲獅(
ja0388)に見た夢の内容を話した。
「わたくし、9歳の時にボクシングを習い始めたのですが、初めてのスパーリングを男の子として、結果3回ダウンさせてKOしたのですが……それから、彼はわたくしを避けるようになってしまい、ボクシングも辞めてしまって……」
みずほは苦しい胸の内を滔々と語った。みずほはアウルに目覚める以前、母国イギリスにいた頃からボクシングを続けている。その中での苦い経験であった。
「それ以来、殿方の気持ちがよくわからないのです」
そう呟くみずほの顔は気落ちした少女そのもの。みずほは続ける。
「男性からアプローチされると反射的に避けてしまうようになりまして…」
一度、こじれてしまった男性コンプレックスはなかなか治らない。
玲獅は静かな面持ちでみずほの話を聞いていた。彼女もかつてある人を救えなかったというトラウマの夢を見たが、これはすでに自戒として受容済みだったため、みずほに比べれば比較的落ち着いていた。
それまで静かにみずほの話を聞いていた玲獅が口を開く。
「人の心がわからないのは当たり前の事です。逆にこうは考えられませんか?その方は貴方ではなくボクシングに負けた事がトラウマになりボクシングと貴方を避けたと」
みずほのトラウマに絡みつく自責の念を和らげ、過去の話として受け入れられるよう、ゆっくりと話した。
「自分の過ちと思えるならなぜ貴方は今もボクシングを続けていらっしゃるのです?その答えが貴方がトラウマから解放される第一歩です」
玲獅の静かな問いに、みずほは少し考え込んでから口を開いた。
「その後テレビで試合を見て、試合後抱き合うのを見て、不思議に思って……」
そう、ボクシングの世界では必ずしも相手と険悪になることはないのだ。数ラウンドの末、拳を交えた相手と健闘を称え合うこともある。
「で、また試合をしてわかりました。手を尊敬して戦うと相手の気持ちがわかるのです。だから続けているのでしょうね」
拳で語り合うとはよく聞く話だが、これは迷信でも何でもない、紛れもない真実である。時には死に至ることもあるボクシングという極限の状態で、相手の挙動、そして心の内までも読み取ろうと全神経を集中する。すると、相手のことが何となく分かるようになるものなのだ。幾度となく拳を交えた相手となら尚更。
「みずほさんはもうお分かりのようですね。そうやって過去を見つめ直すことができるのなら、克服できる日も遠くありません」
玲獅が優しく微笑む。
「ありがとうございます。御堂さん」
みずほもようやく笑顔を取り戻した。
●二人の悪夢
とある廃ビルの一角で雨宮 歩(
ja3810)は目を覚ました。
バッドドリーム17号を口にしたのだ、と思い出す。息が荒い。乱れる息のまま、傷口を――罪の証を自ら抉る。深く、消えることのないほど深く。
歩の見た悪夢はかつて受けてとある依頼の光景だった。忘れようとも思わない。
歩の身に傷を刻んだ、ヴァニタスとなった少女の姿。
天魔となった少女の父親を殺した時の、少女の憎悪の悲鳴。
そして全てを仕組んだ魔女の笑み。
何もかも、つい先ほどのことのように鮮明に思い出せる。
踊らされた自らを、罪を犯した自らを、憎む。
「忌々しいなぁ」
撃退士は一般人よりも高い治癒能力を持つ。そのために少女によって付けられた傷口が消えそうになる度に、刃で、炎で、爪で傷口を抉る。何度も、何度も。
罪の証よ、消えるな、と。
流れる血で服が赤く汚していくが、気にも止めない。
これがボクの罪。赦されたいとは思わない。赦されていいとも思わない。己の選択の結果だ。目を逸らしたりなどするものか。
そして犯した罪は、己の手で精算する。必ず。必ず。
傷を何度も抉る手をぐっと握り込む。
「必ず、この手で殺してやる……!」
そこに普段の気怠げで皮肉げな笑はなかった。罪にまみれた手はどこへ向かうのか。
その時、ピピっと携帯が鳴った。
「……もしもし……?」
「あぁ……歩ちゃん……」
愛しい人の声が聞こえた。
雨宮 祈羅(
ja7600)は自宅でバッドドリーム17号を使用した。
現れる悪夢は、「置き去り」にされる夢。
祈羅の父親は癌で急死している。元彼も一言もなしに彼女の元を去った。そんな彼女は自分が突然置いてけぼりにされることに恐怖を覚えるようになってしまった。
夢では、たくさんの人が祈羅を置いて突然去って行った。友人が、恋人が、全員彼女の元を去った。
突然、もう二度と会いたくないと言われたり、依頼で行方不明になったり。
あるいは――死んでしまったり。
そんな突然の別離が彼女を苛んだ。
目が覚め、これが現実ではなく夢だと分かっても、手の震えは止まらない。思わず恋人の――歩の元へ電話を描ける。
本当に彼は居なくなっていないか。自分を置いていってしまってはいないか。確認せずにはいられなかった。
「……もしもし……?」
「あぁ……歩ちゃん……」
聞きなれた声を聞いて安堵する。あぁ、あれはやっぱり夢だった。
「どうしたの……?」
「ううん……何でもない……それより何か声が辛そうだけど、どうかした?」
「うん……ちょっと『彼女』の夢を見てね……」
歩のそれだけの言葉で、祈羅は察した。
「そっか……辛かったね」
「いや……これはボクの罪だから……」
すぐに立ち直った振りをする恋人に向かって、祈羅は言う。
「ねぇ、歩ちゃん、大好きだよ」
「どうしたの、突然」
苦笑する様子が伝わってくる。唐突だったかもしれない。でも祈羅は続けた。
「ううん。ただうちが言いたくなっただけ。歩ちゃん、大好き」
「……うん……」
電話の向こうでは、ぎこちない笑みを浮かべているだろうか。それでも、歩むの声を聞くと、祈羅は落ち着いた。祈羅にとって、歩は一番の精神安定剤だった。
「大好きだよ、歩ちゃん……」
一語一語、噛み締めるように祈羅は呟いた。
●それぞれの傷跡
亀山 淳紅(
ja2261)は過去の依頼で受けた数々のトラウマがないまぜになった夢を見ていた。
悲鳴怒声、全てを拒絶する防火扉。
全てが黒く焦げ、焼けた肉の香り漂う病院の焼け跡。
楽しいクリスマスソングと銃声と血肉の音。
人を見殺し、殺し、失った場所――トラウマの元凶となった時間・場所を彷徨っていた。口は乾き、時折酸味がこみ上げ、炭と化した手足を引きずりながら。
彷徨い辿りついたは雨降る親子の絆を断った場所。手の中で転がる焼き千切った子鬼の小指。零す権利も無い涙は枯れてしまった。
――もう、歩けない。
疲れてしまった。もう嫌だ。こんなことは。いつまで続くというのだろう。雨の中を立ち尽くした。
「逃げるならそのまま。より深く潜るなら――」
背後から響くアルトボイス。後髪を強く引かれ詰まる息。目に映るのは――。
「全部捨てて行き。自分がおらんくても、もう歌えるやろ」
泣きそうな笑い顔をしたこれまでの、姉の仮面をつけたもう一人の自分。
――ああ、そうだ。自分は今まで義兄が死ぬまでの姉の姿、性格、口調を写していたのだ。
声楽部室で目を覚ますと、立ち上がり、まっすぐに道具箱のある場所へ向かい小刀を手にする。
そして迷わず、後ろ髪を切った。勢いよく切りすぎたせいか、うなじから血が流れている。床に散らばる、髪と血。
「ごめん。一緒に行きたかった。おおきに。ずっと一緒にいてくれて」
嗚咽がこみ上げ、苦しげに泣いた。
過去との決別。新たな一歩を踏み出すには痛みが伴う。
もう少し泣こう。泣いたらまた歩き出そう。
自分には待っている人もいる。
立ち止まるわけには、行かないのだ。
それは忘却の彼方にあった記憶。澤口 凪(
ja3398)は幼い頃の記憶を思い出していた。
いつかの夜。何故か寝付かれずに、夜、弟と二段ベッドで小声でお喋りをしていた。喋ることは何でもない日常の出来事。それでも凪はそんな日常を愛していた。
幸せだった。
「それでね、今日、こんなことがあってね」
「何それ、変なの」
何気ない日常のひとコマは、消防車のサイレンによって中断された。
「近いね」
弟が言う。
「うん……何かあったのかな……?」
応える凪。
いつもより騒がしさが近いと思い、体を起こした瞬間、全身に走る衝撃。
「……っ!!」
少しの間、気を失っていたようだ。いつの間にか家の外に放り出されている。何が起きたのだろうと辺りを見渡す。目に入ったのは、瓦礫と化した我が家と――事切れた弟の姿。
叫び声さえ出ない。理解が現実に追いつかない。弟に歩み寄ろうとして、身体が全く動かないことに気づく。がくりとその場に崩れ落ちた。
意識が途切れる寸前、見えたのは凶刃を振り下ろすディアボロの姿と、それを防ぐ撃退士の男性の姿。ああ、私たちは天魔に襲われたのだ。今さらのように思いつつ、凪は意識を手放した。
意識を取り戻した時、凪は撃退士の男性に抱えられて運ばれていた。たくましい腕に抱えられながら、朦朧とする頭で弟の――家族の姿を探す。
いない。
そこで目が覚めた。
凪は思い出してしまった。撃退士によって自分は助かったが、故郷は冥魔の襲撃で壊滅したことを。
体中を激情が駆け巡った。
傍らにあった、恋人から送られたぬいぐるみを抱きしめる。
蒼目銀灰色の狼のぬいぐるみにすがり、声を出さずに泣いた。
えぐり出されたトラウマは、凪の小さな体を弄ぶように貫いた。
久世 篁(
ja4188)は寮の自室のベッドに楽な格好で横になっていた。バッドドリーム17号は既に服用済み。安らかだった寝顔が徐々に強ばったものになっていく。
篁は高名な旧家の出である。長男だったため跡取りとして厳しく育てられ、周囲には常に大人たちの期待の目があった。
勝手に期待され、勝手に落胆され、冷たい視線に晒される。
「どうして一番ではないのか?」
そう責められ、詰られ、蔑まされるのだ。耳を塞いで蹲っても止まることはない。暗闇の中、延々と続く「どうして」
「違うんです。僕は頑張りました。頑張りましたけれど、でも――」
ふと顔を上げると、小さな弟の姿があった。とても優秀な弟。自分を責めた大人たち皆が、弟を囲んで口々に賛辞を送っている。
「素晴らしい」
そんな――。
「流石だ」
僕だって――。
「それに比べて、あれは駄目だ……」
そんなこと言わないで――。
弟に少しずつ己の場所を奪われていく恐怖が、篁を責め苛んだ。居場所が、なくなっていく。
弟の綺麗な人差し指がこちらをすっと指差す。そうして言う。冷然とした声で。
「役立たず」
「――っ!」
篁ははっと目を覚ます。
少しだけ寝汗をかいているようだが、それ以上ではない。布団から抜け出し、カーテンを開け、深呼吸をすると思考の奥へ。
結局、家は弟が継ぐことになり、篁は半ば追い出されるようにして学園にやってきた。他者と比べられることを恐れ、他者に必要とされることを強く望むようになった。無意識に優等生然とした態度を取るのもそこに起因している。
しかし、ここには――久遠ヶ原には、家では得られなかったものがある。
(大丈夫。ここでは、僕は役に立てる事があるのですから)
自らに強く言い聞かせる。
篁の今日が始まる。
八角 日和(
ja4931)は早産児として生まれ、病弱故に祖父母の家に長い間預けられていた。その為、母に「嫌われた」「見捨てられた」と思い込んで育った。これは預けられる少し前の遠い記憶だ。
「普通の子に産んであげられなくて、ごめんね」
母はそう言って、今よりもっと小さかった日和を抱きしめた。幼いながらに、母が悲しんでいることは分かった。
家の外で子ども達が駆け回って遊ぶ声が聞こえる。みんな楽しそうにしている。日和はその中にまざることはなく、いつも家の中で一人だった。
……私は、普通の子じゃないの? みんなと違うの? 普通の子じゃないから、お外で遊べないの? 一緒に居られないの?
ごめんね、と母はただ謝るだけ。そんなことを言われると、自分まで悲しくなってしまう。
……ねぇ、お母さん。
幼い手を必死に伸ばす。伸ばした手の先で母の姿がぼやけて――消える。
……私のこと、嫌いになっちゃったの?
日和の中にある、大きな欠落であった。愛情に飢えた心はなかなか満たされることはなかった。しかし――。
……ずっと、誰かに愛してもらえることなんてないと思っていた。でも、大好きな人に出会って……私は小さくて弱虫だけど、あの人を守りたいと思った。
……だから……もっと強くならなきゃ。
そう、決めたのだ。恋は日和に力を、理由を、そして何より愛を与えた。
目を覚ます。
頬に涙の跡があったが、表情は晴れやかだった。顔を袖で拭い、ベッドから身体を起こして大きく伸びを一つ。窓から朝日が差し込むのが見えた。いい天気だ。
今日はあの人に会えるだろうか。そんなことを考えながら、日和の一日が始まる。
霧崎夕香。
月詠 神削(
ja5265)がある依頼で殺めた少女の名前だ。神削は敵の罠にはまり、救出対象である彼女を手に掛けた。まだ小学生、撃退士をヒーローだと信じていた。
彼は二重の意味で彼女を裏切ってしまった。
神削がこの傷と向き合うのは二度目のこと。以前は終わった時、髪が真っ白になり血の涙を流す酷い面相になった。
今度は――。
神削は眠りに落ちた。
小さな少女が目の前にいる。夕香だ。
にこにこと微笑んでいる。神削は声をかけようと思ったが、声が出ない。夕香にも神削の姿は見えていないようだった。
不意に現れるヴァニタス――ロイ・シュトラールの影。これから起きることを、神削は全て知っている。少女は人質に取られ、ロイの悪意溢れる策によって殺される。いや、神削たちが殺すように仕向けられる。
(逃げろ! 行っちゃダメだ!)
やはり声にならない。
暗転。
場面は教会のような建物の中へ。ロイと夕香の姿がある。この先も、神削は知っている。また見なくてはならないのか――自分たちの手が少女の身体を切り刻むのを。
(やめろ……)
自分の手が振り上げられる。止まらない。ロイの姿をした夕香に神削の放った衝撃波が沈み込んでゆく。
(やめろー!!)
過去は、変らない。全ては記憶の通り。切り裂かれた少女の躯は何も語らない。恨みも、憎しみも、何も。
ことりと横を向いた少女のガラス球のような瞳と目が合って――神削は目を覚ました。
洗面所に行き、顔を見る。血涙はなく、髪も普通のままだ。痛みも悔しさも減ったわけではないが、もう神削の一部になっていたからか。
(まだ俺は、彼女の為に涙を流す資格は無い。俺に彼女を殺めさせた奴を、まだ討ててないから。でも、いつかきっと――)
星杜 焔(
ja5378)は魘されていた。
それはもうびっくりするぐらい魘されていた。
何に?
鯖に。
中年男性のような濃いすね毛を生やした足を持った二足歩行の鯖(味噌ダレまぶし)が何匹も現れ、焔を囲み輪になって踊りつつ顔を寄せてきた。
「うわぁぁぁーーー!!!」
泣きじゃくりながら目を覚ました。最悪の悪夢だった。
焔のトラウマが原因なのは間違いない。
あれは16歳の夏。まだアウルに覚醒する前の話だ。
工事現場のバイトでバイト仲間のおっちゃんを、手作りの鯖の味噌煮弁当で餌付け中だった。その頃から料理が好きで、将来の夢――料理屋に向かって着々と進んでいた。おっちゃんが美味しそうに食べてくれるのを、焔はにこにこしながら見ていた。
ふいに気配を感じてふと見上げると、こちらに向かって落ちてくるものが。
「危ない!」
と、咄嗟におっちゃんを押し倒して避けたところ、口元にヒゲの感触。そして口に広がる鯖の味噌煮の味と香り……。
痛恨のファーストキスである。
「うわぁぁぁーーー!!!」
思い出してまた泣きじゃくる焔。
元々、鯖の味噌煮は焔の得意料理で大好物だったのだが、あの日以来、鯖の味噌煮の味と香りが思い出したくない色々なものとリンクするようになってしまった。
また美味しく食べられるようになりたいなぁ……と思いはすれども、トラウマの傷は、思ったよりも深かったようである。
何という夢を見させてくれるのだ、バッドドリーム17号。
焔はがたがたと震えながら布団の中に引きこもり、学園を欠席した。立ち直ってから、彼の身を案じた同居中の恋人に「何があったの?」と質問され、しどろもどろになりながら説明するはめになったの、また別の話。
目を開けると鬼灯(
ja5598)は真っ暗な空間にいた。衣服は血にまみれている。何もない空間――と思ったが、下を向くとそこには――よく知った花魁の首。
抱きかかえたそれは目を大きく開けたままで、鬼灯と目が合うと、
「何で助けてくれなかったの?……翼」
と、問いかけてきた。恨めしそうな、呪詛のこもった声で。鬼灯は戦慄した。
顔を背けるように振り返ると、そこには山と積まれた彼女の首。美しい彼女の顔は醜く歪み、異様な――異界のような光景を見せていた。
また前を向くと、今度はサーバント化しそうな彼女の苦しむ姿があった。煌びやかな花魁衣装が血で汚れている。血化粧した花魁の姿は紛れもなくこの世の者ではなくなろうとしていた。
「助けて……助けて……翼……」
こちらに向かってすがるように伸ばされる彼女の手。何度も鬼灯の頭を撫でてくれた優しい手が、助けを求めている。
「ごめんな、紗綾姉ちゃん……」
鬼灯の手には血塗れた斧。普段よりも重く、重く感じるのは気のせいではなかった。
「俺は燈鳥家……鬼の一族……」
奇怪な力と姿で周囲に災厄をもたらすと忌み嫌われた鬼の一族。その次期当主として、逃れられない運命に翻弄され、鬼灯は――。
「バケモノを殺すのが……俺の存在理由なんだ……ッ!」
――その手の斧を、力の限り振り下ろした。
そこで、目が覚めた。
体中に汗をかいていた。呼吸も荒い。
姉と慕った花魁をその手にかけた辛い記憶は、今もなお疼いて消えない。夢と分かっても、鬼灯の手は斧の感触を覚えていた。
「趣味ワリィな……これ……」
鬼灯はこれからも鬼の道を行くのだろう。その道に救いは――ないのかもしれない。
鴉(
ja6331)はその手にデリンジャーを構えていた。
正面には愛しい女性の姿。デリンジャーの照準はその女性に向けられていた。
女性は微笑みを浮かべているが、ひどく苦しそうだ。悪魔の魔手によりディアボロ化が始まっているのだ。このままでは女性は完全に人ならぬもの、悪魔の手先となってしまう。
止めなければならない。
かつて所属していた、古くから異端宗教や化物を狩る組織も、天魔によって壊滅した。アウルに覚醒したことで鴉は生き延びた。戦いに生きてきた鴉にとってこの引き金を引くことなど容易いことのはずだった。しかし――
「できない……!」
鴉は首を振った。
「できないよ……!」
鴉を見る女性が涙を流す。苦しみの涙ではなかった。悲しみと受容の涙。女性は鴉に言った。
「いいんだよ……」
私を殺して、と。
「できないよ……!」
愛する人を殺めることなどできない。自分にはできない。鴉は何度も首を降って拒絶した。
化物へと徐々に変わっていく体を引きずって、女性は鴉の元へと近寄り、そして柔らかく抱きしめた。優しい、抱擁。
「いいんだよ……」
「できない……!」
鴉も抱き返す。その存在を確かめるように強く、強く。そんな鴉に女性は言った。
「私は人間でいたい。人間として死にたいの。だから……お願い」
あなたの手で、殺して。
「……っ!」
鴉は血の涙を流しながら彼女を一層強く抱きしめ、そしてデリンジャーの銃口を女性の身体に当て――。
「ゴメンな……」
引き金を引いた。
女性は最後まで微笑んでいた。その頬を伝うのは鴉の為の涙。彼女は最後まで鴉を愛していた。
目が覚める。
「……こいつは……きついんだぞっと……」
レグルス・グラウシード(
ja8064)は貴族グラウシード家の末っ子として生まれた。上には兄が二人いる。
「――」
母が名を呼ぶ。長兄の名だ。レグルスの目の前で、笑顔を浮かべて長兄を抱きしめる母。その光景は、仲睦まじい親子そのものだ。
「――」
母がまた名を呼ぶ。また長兄の名を。長兄だけの名を。次兄やレグルスの存在などまるで見えていないかのように。
いや、実際に見えていなかったのだ。
母は父が亡くなった際に精神を病み、長兄だけを溺愛し、次兄とレグルスの存在を忘れてしまった。レグルスを見てくれたのは次兄だけだった。
長兄だけを抱きしめる母。その様子を無表情のまま見ているレグルス。
――レグルスは名前を呼んで貰ったことすらなかった。
はっと目を覚ます。
「……」
頬を涙が伝っていた。レグルスは泣いていたのだ。
(馬鹿だな)
自嘲し、レグルスは乱暴に目元を拭った。
(今、僕はこんなに幸せなのに……)
最愛の次兄を追って久遠ヶ原にやって来た。すぐに恋人もでき、たくさんの友達もいて、何を悲しむことがあるだろうか。
(悲しくなんかない。悲しくなんか……)
そう、自分は幸せだ。幸せなはずなのだ。
自分に強く言い聞かせる。
だが。
その途端に激情がこみ上げてきた。嗚咽を噛み殺し、レグルスは無言で泣きじゃくる。
自分を見て欲しかった。
その手で抱きしめて欲しかった。
心から愛して欲しかった。
せめて、名前を読んで欲しかった――!
そのどれも、叶うことは、ない。
次兄に会いたい。会えば元気になれる気がする。だがもう少しこのままで。
朝焼けの差し込む室内でレグルスは泣き続けた。激情が去るまで、ずっと。
強羅 龍仁(
ja8161)は息子を抱えて走っていた。息子はまだ幼い赤ん坊だった。何としても守らなければならない。愛しい妻も一緒に――。
「――!」
妻の名前を呼ぶ。応える声はしかし悲鳴だった。龍仁の目の前で、天魔が妻の身体を串刺しにしていた。それだけでは飽き足らず、首をはね、手足をもぎ取る。
駆け寄りたくなる気持ちを、気が狂いそうになる思いで耐え、息子と共に逃げ出す。
すると、逃げた先でまた妻が殺される光景を目にする。
二度と見たくない光景を、繰り返し、何度も何度も。
(もう……やめてくれ……)
同じ光景を何度見たか。気がつくと龍仁は息子を抱えて立ち止まっていた。
天魔の姿はない。
終わったのか――と思ったその時。
妻が――見るに堪えない怪物の姿となった妻が龍仁たちの元に襲いかかってきた。
これは過去に起きた事実ではない。
妻を助けられずに逃げ出した後ろめたさから生まれた、後悔の具現だ。
これだけでもこの上なく辛い。
しかし、龍仁は違和感を感じていた。
これで終わりではない。
まだ「ある」
それは――。
そこで、龍仁は目を覚ました。
時間は午前2時。永遠とも思える悪夢を見た割に、眠っていた時間は短かったようだ。
「トラウマ……違う……これは俺の罪だ……あの時救わなかった俺の……」
怪物と化した妻の姿を思い出し、龍仁は顔を覆った。
「すまなかった……だが息子だけは……」
何としても守り通す。ぐっと拳を作り握り締める。
しかし、最後のあれは何だったのか。辛い夢だったが、まだ底が見えていないような、預かり知らぬ何かが潜んでいるような、そんな感覚。
薄暗闇の中、龍仁は深淵を覗き見てしまったような感覚のまま、再び眠りについた。
コンチェ(
ja9628)は水着姿の美女に囲まれていた。
コンチェは密教僧としての厳しい修行の結果光を失った身だが、何故か夢の中では目がはっきりと見えていた。見えすぎるほどに。
囲まれているのはグラマラスな美女ばかり。普通の男性にとっては天国のような状況だが、コンチェは身動きを取れないでいた。
別に男色家というわけではない。男ばかりの環境で生活していたため、免疫がゼロなだけだ。純情なのだ。生々しい女の匂いとでも言おうか、そういうものが苦手なのだ。
今でこそ普通に会話はできるようになったものの、以前は顔を直視して会話ができないほどだった。ボディラインが見えるだけで赤面する。
水着などもっての他だった。
原因は過去に遡る。
修行中の身でありながら拾ったというグラビア雑誌を兄弟子が見ていた。そこに写っていたのは過激な水着姿、しかも胸の大きい美女ばかり。
本を押し付けられるなどして、強引に見せつけられた。
その日の晩も、水着姿の美女に迫られる夢をみてうなされた。
今回はそのリテイクらしい。
コンチェを囲む美女達が迫ってくる。身体を密着させ、あまつさえ接吻してこようとしたりする。コンチェは逃げようとしたが、いつの間にか手足を縛られていて動けない。
光纏して引きちぎろうとしたが、美女達が近すぎて怪我をさせてしまいそうだった。そんな真似はできない。コンチェは女性が苦手だが、憎い訳ではないのだ。
やむなく、身体をよじり、顔を背け、必死で美女達から逃げようとする。密教僧としての修行よりも苦行だとコンチェは思った。
目が覚める。
紛れもない悪夢だった。この先、自分はこれを克服していけるのだろうか、と心配になるコンチェだった。
「トラウマなんてあったっけ? 自覚はねー。この薬のみゃそれも分かるか?」
今後そんな幻覚を見せてくる天魔と戦わないとも限らないから、と虎落 九朗(
jb0008)はバッドドリーム17号を服用した。
「さて何がみえんのかなっと(ゴクゴク)。じゃ、お休みー」
夢――夢を見ている。あぁ、これはアウルに覚醒した時の夢だ。
九朗は受験勉強中だった。数字とのにらめっこに辟易して、気晴らしに変身ヒーローアニメを観てみた。
30分後。
テンションが上がった。絶好調である。ついでに物真似なんかしてみたりしちゃって。
「例え閉じられたパンドラの箱に希望が残されてなくとも。我こそ、希望になって見せよう。邪悪を断つ剣となり! 身意転剣!!」
ジャキーン! とポーズを決めた――直後に襲い来る自己嫌悪。テンションが下がればこんなものである。
「何やってんだ、俺……」
勉強しよ……と、再び机に向かおうとすると――。
「ねぇ」
「うわっ!」
幼馴染みが醒めた目で見ていた。温度が北極圏であった。
「お、お前……いつの間に……」
「ねぇ」
氷点下の視線のまま、幼馴染みがこちらに指を差して言った。
「それ、アウルじゃない?」
「え?」
鏡を見ると、光纏していた。
「そう……なのか……? っていうか、お前、み、見たのか……?」
「うん」
あれを見られたのか。長ゼリフにポーズまでつけたあれを。顔から火が出そうだった。恥ずかしくて死にたい。いっそ殺して。
「やっ、やめろー!? 俺に、俺にそんな所を見せないでくれー!! はっ!? 夢か……」
ぜえぜえはあはあ、と肩で息をする九朗。
「お、恐ろしい薬だぜ……バッドドリーム17号……」
がっくりと、膝をついた。
静馬 源一(
jb2368)は琥珀色の液体を前にして首をかしげた。
「1〜16号は一体どんなのだったので御座るか……?」
もっともな疑問であるが、それは知らない方が身のためというものだ。
「これはうなされる事間違いなしで御座るね」
でも治験なのでご協力をお願いします。
「分かったでござるよ……(ごくごく)」
それではおやすみなさい。
「お休みなさいでござる〜」
源一は夢を見た。
祖父に連れられて山に一人で放り出された。サバイバルスキルなど持ち合わせているはずもなく、飢えて死にそうになった。
真冬に寒中水泳をさせられた。一桁の水温の海で凍死あるいは溺死しそうになった。
、船から海に落ちた。溺れそうになり、サメの餌になりそうになった。
そんな祖父に課された修行(?)の数々が、走馬灯のように現れては消えていった。
「ああ…おじーちゃん今度は何なので御座るの? え、自分は空は飛べないで御座るよ?うな〜〜!?」
アイキャン(ノット)フライした所で源一は目を覚ました。
以下、治験についてのアンケートに対する源一の回答を載せておく。
Q:バッドドリーム17号の効果はどうでしたか?
A:はい! 親愛なるいんたびゅあー殿! ばっどどりーむ17号は最高で幸福になれる飲み物で御座る! 幸福は撃退士の義務で御座る! いんたびゅあー殿万歳! いんたびゅあー殿万歳! いんたびゅあー殿万歳! アハハハハァー!! ……色々と辛いことがあったので御座るよ……(遠い目)。
(注意)使用者の感想です。効果を保証するものではございません。また某有名TRPGとの関係もございません。ええ、全く。
マーシー(
jb2391)はその時、中学校卒業間近だった。撃退士の道を考えるようになって、進路で親と喧嘩していた頃だ。
場面は撃退士をしていた姉の葬式。死因は悪魔との相打ちだったと聞いている。姉らしい立派な死に様だ。
棺が焼かれる直前。
「最後くらい僕にも見せて」
そう言って、よしなさいと止める両親を押しのけて棺を開けた。なぜ、両親があれほど止めようとしたのか、考えるべきだったのかもしれない。
遺体には、無数の傷痕、切り飛ばされた左手首、そして致命傷らしい首の傷。
死に顔は見られなかった。なぜなら、首から上は「なかった」から。
それを見て、マーシーは吐き気をこらえきれなかった。足元もふらついた。肉親がこのような無残な姿でいることに、平静でいられるものがいようか。
化粧室に飛び込み、何度も吐いた。あれがあの美しい姉の末路なのか。撃退士とはそんな運命を受け入れなければなれないものなのか。
そこで、目が覚めた。
呼吸が荒い。トラウマを見せる薬というのは伊達ではなかったようだ。見た夢は確実にマーシーのトラウマをついていた。
でも、とマーシーは自問する。
今の自分は「姉さんみたいに死ぬ」ことが恐いか? 常人とは違う死に方をしていまうことが恐ろしいだろうか?
本当に?
いや、違う。今はそれより「何も守れなくなる」ことの方がもっと恐い。この手をすり抜けて守りたい人を守れないことの方が、何倍も恐ろしい。
だから、死に方なんて関係ない。どんな死に方をしたって構うものか。
死ぬまで……生きて、足掻いて、守る!
瞳に決意を漲らせたマーシーは、過去の傷跡を超えていた。
水無月 ヒロ(
jb5185)は愛犬の夢を見ていた。
ヒロがまだ幼く、親戚の家で養われていた頃、とても仲の良かった犬。
名前はキキ。
赤ちゃん犬の頃から大きくなるまで、ずっと仲良しだった。
ある時、ヒロは施設で生活するようになり、キキとは会えなくなった。ずっと長いこと会うことができず。久しぶりに家に帰った時、すでにキキはこの世にはいなかった。ヒロが帰る一年前に亡くなったそうだ。
ヒロの前に寂しそうに鳴くキキの姿が映った。
くぅん――ヒロちゃん、どうしたのかな……。
くぅん――最近、遊んでくれないな……。
くぅん――寂しいな……。
くぅん――会いたいな……ヒロちゃん……。
くぅん――ヒロちゃん……ヒロちゃん……。
そうして夢の中のキキはゆっくりと動かなくなり、冷たくなっていった。
「キキ!」
そこで目が覚めた。
布団からゆっくりと上体を起こす。最悪の寝覚めだった。
手が震える。罪悪感が押し寄せる。思わず、布団に顔をうずめた。
自分を大切に思ってくれる相手を、大切にできなかった。そのことが今もヒロの小さな胸に突き刺さっている。苦しい。とても、苦しい。
でも――と、ヒロは顔を上げる。
「とても辛い出来事だった。だからこそ、今の自分があるんだ」
キキのことは忘れない。罪の意識も忘れない。でもそこから一歩踏み出す。キキの死を無駄にしないために。
そして次こそは、自分を大切に思ってくれる相手を、最後まで大切にするために。
「ごめんね、キキ。大切なことを教えてくれてありがとう」
くぅん、とキキの鳴き声が聞こえた気がした。
●治験を終えて
「ふむ。なかなか興味深いデータが取れたのである」
「本当に悪夢が見られたんですね」
「吾輩の辞書に――」
「はいはい。そうそう被験者の一人が面会に来ていますよ」
「ふむ?」
「失礼します……」
やってきたのは玲獅である。
「やあやあ、よく来てくれた。吾輩の薬はどうだったであるか?」
「よくできた薬だと思います。ですが、大事なのはそこでトラウマを直視できる様に手助けし現実と向き合い過去起きた事として出来事が消化できる様にする事です」
玲獅は静かに述べた。
「ふむ……バッドドリーム17号だけでは不足ということであるな」
「はい」
「いや、よく分かったのである。感謝するのである」
「では私はこれで」
玲獅は第三科学部部室を後にした。
「今後の課題も見つかったのである」
「部長、また何か思いついたんですか?」
「それは今後のお楽しみなのである」
ニヤリと笑うイサムに疲れたような表情をするユウコであった。
過去は変えられない。しかし今は、未来は、変えてゆくことができる。過去に囚われている者も、乗り越えんとする者も、今を通じ未来へと進んでいく。願わくば、過去が未来への糧とならんことを。