●潜む。
「――この煙。何を隠しているんだかな」
白煙の立ち込める滑走路を目の前に、ケイ・フレイザー(
jb6707)は呟いた。
もし、この煙の中に敵がいるとすれば、随分と臆病な相手だ。
よほど姿を見られるのが嫌らしい。
「まあ、鬼が出ても蛇が出ても撃退するだけだけどさ!」
季節外れの突風が、白い垂れ幕を捲り上げる。『春一番』。
見えた人影は二人。いずれも倒れている。事前に聞いていた空港を守る撃退士か。
もうひとつ、滑走路には異物が落ちていた。筒状の物体。
風がすべての煙を吹き飛ばす前に、それは空からさらに降ってきた。
銃声が一発。
新たに発生する煙の中へ、前触れなく撃ち込んだのは御守 陸(
ja6074)。
『索敵』を用い、『動いている四人目』のいる場所を狙って『マーキング』を放ったのだ。
しかし命中した様子はない。やはり白煙が邪魔だ。陸は、銃口を上空へと向けた。
「手前に二人、奥に一人。負傷者の他に『四人目』が健在。おそらく敵です!」
仲間たちに状況を伝えながら、ヤタガラスが落としているらしい発煙筒を狙い撃つ。
陸の隣では、ケイが『春一番』を継続使用していた。
それでも足りない。投下される発煙筒の数が多すぎる。
奥に倒れた最後の一人、そして正体不明の『四人目』の姿は未だに見えない。
「うひゃあ……カッソーロが火事みたいだねっ!」
新崎 ふゆみ(
ja8965)はきょろきょろとあたりを見回した。
固まっている久遠ヶ原の皆は見えるものの、視認できた二人すら煙の向こうへ消えてしまっている。
「三人の位置がバラバラだけど、どうしよう?」
仲間に問いかけたのは鈴木悠司(
ja0226)。
固まって動き、一人ひとり救出すべきか。
「一人、離れすぎています。全員であそこまで行くのは危険かもしれません」
『忍法・響鳴鼠』で最後の一人の位置を確認したカタリナ(
ja5119)が告げる。
煙の中に大人数が長居するのは避けるべきだが、戦力を分散するのもリスクが高い。
じっと煙の向こうへ視線を向けていた紅 鬼姫(
ja0444)がぽつりと呟いた。
「……血のにおいがしますの」
暢気に相談している暇はなさそうだ。
鬼姫同様、フードの奥から煙を睨むインレ(
jb3056)が提案した。
「全員で動いては時間がかかりすぎる。組になって救出に当たろう」
「わかりました! ……無事だといいのですが」
頷いたサミュエル・クレマン(
jb4042)は、不安そうに呟いた。
全員で生きて帰らなければならない。そう強く思いながら、大剣を握る手に力を込めた。
●救う。
応援に駆け付けた久遠ヶ原の学生たち。その数は八名。
彼らから最も近い位置に倒れていたのは大橋だった。
救助に当たるのはインレとふゆみ。
頭から流血している大橋を、インレが片腕で担ぎ上げる。
「怪我人は僕が守ろう。周囲の警戒を続けてくれ」
「りょーかいっ★」
両腕についた大量のサイリウムブレスレットを揺らしながら、ふゆみが敬礼を返した。
このブレスレットは白煙の中での同士討ちを防ぐための工夫である。
無事に負傷者を回収した二人は、味方の居る煙の外へと向かう。
ケイの『春一番』で視認できたもう一人、秋村の救出に向かったのは悠司とカタリナ。
動けずに呻く秋村に、二人は駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
カタリナが抱き起こすと、秋村の首元から血が流れているのがわかった。
青い顔の秋村は、カタリナの問いかけに答えず、唇を怒りに震わせた。
「た、高葉が……高葉が裏切りやがった……!!」
カタリナと悠司は顔を見合わせる。
高葉。空港を守る撃退士の一人だったはずだ。――彼女が、裏切った?
問い詰めようとしたときには、秋村は意識を失っていた。カタリナが眉をひそめる。
「どういうことでしょう?」
「わからない。けど、きっと高葉さんは裏切ってないよ」
悠司は秋村の言葉を否定するように首を振った。
確証はない。しかし、陸の言葉を信じるなら『負傷者は三人いる』はずだ。
つまり、秋村の言う『裏切った高葉』は、おそらく。
「――『四人目』、ですか」
カタリナの言葉に、悠司は頷く。
この煙の中に何かが居るのは間違いない。
カタリナが声を張った。
「敵は高葉さんの姿を真似ている可能性があります! 各自警戒を!」
視界は遮られているが、音までは遮断されていない。
得た情報は出来る限り早く味方に伝え、全員で共有することが重要だった。
悠司が秋村を運び、カタリナがそれを守りながら後退する。
白煙は沈黙を保ったままだった。
――キリが無い。
投下された発煙筒を冷静に撃ち落とす一方、陸は内心焦っていた。
ヤタガラスの爆撃は間断なく続いている。
陸が発煙筒をひとつ撃ち落とす間に、滑走路に別の発煙筒が到達して白煙を噴き出していた。
視界はますます白くなるばかりで、救出に走った味方の姿がまったく見えない。
『春一番』を使い切り、ヤタガラスを直接狙うケイも、思う様に撃墜できていなかった。
「うまくいかないもんだな」
ルーンの投擲を続けるケイが、溜息交じりに上空を見上げる。
煙を吹き飛ばす有効な手段が失われた今、煙を増やす元を絶つことこそが救出班の援護に繋がる。
しかし、相手は体色を空の色に同化させている。直撃させることは容易ではない。
狙撃を続ける陸とケイ、二人を未知の脅威から守るために、サミュエルが護衛についていた。
煙を睨み、気を張り続ける。
(……やっぱり、紅さんについていくべきだったかな)
最も遠い位置にいる要救助者、高葉の元へ向かったのは、鬼姫ただ一人。
サミュエルは同行を願い出たが、鬼姫の移動力についていけない彼では、かえって足手纏いになってしまう。
また、陸とケイが上空の敵に集中するために、誰かがここに残る必要もあった。
心中の不安を振り払うように、サミュエルは頭を振った。
(自分の役割に集中しなきゃ。信じるんだ。皆の力を)
●守る。
――カタリナからの注意喚起が聞こえた。鬼姫は表情を変えない。
伝え聞いた場所を思い描き、白煙の中を駆ける。足音は無い。味方の銃声が徐々に遠退く。
最後の一人。高葉 汐里が倒れているであろう場所に、鬼姫は急行していた。
(このあたりですの……)
目標地点の滑走路には、血だまり。
その場所から、何かを引き摺ったような跡が、赤く伸びていた。
先へ進む。煙。影。
高葉 汐里は、潜行する鬼姫に気づかず歩いている。
血塗れの『もう一人』を、ずるずると引き摺りながら。
一瞬で状況を把握し、脚部にアウルを集中させる。
『迅雷』。稲妻の如く飛びかかった鬼姫が、大きく太刀を振りかぶる。
敵の接近に気づいた高葉は――『金眼の偽物』は『本物』を手放して飛び退いた。
鬼姫の手から太刀が消える。「あら?」と金眼が顔をしかめた。
「なによぉ。戦わないの?」
問いには答えず、鬼姫は本物を抱きかかえた。
強く地を蹴り、後退する。距離をとる。
「救える命なら、護ってみせますの」
敵の対応よりも、まずは救出を急がなければならない。
鬼姫が抱える高葉の体は冷たかった。一刻も早く処置をしなければ――
「ふぅん? それがあなたの『正義』ってわけね。素敵だわあ」
味方の元へ急ぐ鬼姫の足が止まった。
声がする。どこから? 当然後ろだ。敵は後ろに居る。
「あたし、そういうの好きなの。大好き。愛しちゃう♪」
――本当に?
鬼姫は振り返った。声はする。だが、どこから聞こえているのかわからない。
前か後ろか。或いは左右? 天魔のスキル『意思疎通』ではない。それとは別の何か。
視界の悪い状況の中、立ち止まった上に振り返ってしまった鬼姫は、わずかに表情を曇らせる。
周囲の気配を探った結果、前後があやふやになってしまった。
サイリウム。ペンライト。味方の光を探すが、視界にうつるのは白い煙ばかり。
味方はどこにいる? 敵はどこからくる? 焦りと不安が鬼姫の中で急速に成長していく。
ひひっ。不快な笑い声が聞こえた。
「ほら、立ち止まってていいの? 捕まえちゃうわよ?」
声。気配。風切り音。
飛来したナイフが、鬼姫の右脚に突き刺さった。
よろめいて、倒れないよう堪える。怪我人を放り投げるわけにはいかない。
「それじゃ、はじめましょうか」
あなたの『正義』を見せてちょうだいな。
そう言って、白煙から現れた偽物は、笑った。
「――遅いな」
インレが呟いた。
大橋、秋村の二名を回収後、救出班四名は煙の外へ脱出し、陸、ケイ、サミュエルの元へ負傷者を運んだ。
スナイパーライフルを所持するふゆみはヤタガラスへの攻撃に加わり、サミュエルに代わってカタリナが狙撃班の護衛についている。
いよいよヤタガラスたちも弾切れなのか、あるときを境に発煙筒は降ってきていない。
しかし、風が無いせいで白煙はなかなか消えず、状況は不明瞭なままだ。
ヤタガラスの体色変化も相変わらずで、撃破数はなかなか伸びない。
そして何より、残る要救助者一名の元へ向かったはずの鬼姫が、まだ戻らない。
「……何かあったんでしょうか」
「かもしれないね。迎えに行った方がいいかな」
不安そうなサミュエルの言葉に、悠司が頷いて答える。
二人にインレを加えた三名は、固まって白煙の中へと足を踏み入れた。
新たに煙を撒き散らす発煙筒がなくなったためか、先ほどよりは視界が効いた。
三人が慎重に歩みを進めると、一人の人影が現れた。
「紅さん! よかった、無事で――」
「待て」
駆け寄ろうとするサミュエルを、インレが制する。
鬼姫は、こちらに背を向けたまま身動き一つしない。
よく見れば、渡したはずのサイリウムを身に着けていなかった。
肩が震えている。悠司が短く問うた。
「……誰だ」
ひひひっ。堪え切れなかったのか、『それ』は笑いを漏らした。
声は鬼姫のものだった。しかし、纏う雰囲気は鬼姫に似ても似つかない。
「あたしが誰か、って? そうねえ、とりあえず――」
振り返る。愉しそうな笑み。返り血。
金の眼。
「あなたたちの敵、ってことで間違いないわよ」
ナイフ。サミュエルに突き刺さる前に、インレの袖がそれを叩き落とした。
状況が動き出す。悠司が曲刀を構えた。『薙ぎ払い』で動きを止めようと試みる。
「おーっと、あっぶなあい♪」
その悠司めがけて、金眼はおもむろに『人型の何か』を放り投げた。抱きとめる。
身体のあちこちに朱が走り、四肢に力は無く、呼吸は浅かった。それでも。
――鬼姫は、V兵器だけは手放していなかった。
救える命。
それを護るための力は、意識を失って尚、握り続けていた。
「お前……!」
低く唸るように呟き、インレは金眼を睨んだ。
知っている。この金の眼を。『禍』に満ちた、この女を。
ひっひひひ。金眼は笑った。
「お久しぶりねえ、ヒーローさん♪ また素敵な『正義』を見せてちょうだいな?」
「……モノ知らずの小娘。ひとつ教えておいてやろう」
『燃えゆく我が心』。
不屈を成す切り札を、インレは迷いなく行使した。
左腕が焔を纏う。理不尽を焼き払う。絶望を打ち砕く。悲哀を払う、煌きの一撃。
「『正義の味方』と『ヒーロー』は別物だ。僕は『正義の味方』じゃない」
『それは煌く焔の如く』。
己の左腕をも焦がす一撃が、鬼姫の姿をした金眼の胴を貫く。
感触は無い。やはり、と思う一方、またか、と呆れる。
一度距離を取ったインレの隣に、大剣を携えたサミュエルが並んだ。
「一人では行かせませんよ! 僕はインレさんと一緒に戦うと決めたんだ!」
譲り受けたのは、大剣だけではない。
サミュエルもインレ同様、対峙する相手に憤っていた。
無意識に口元を緩め、一方で気を引き締めた。
「波状攻撃を仕掛けるぞ――」
インレが呟いたときには、すでに悠司が飛び出していた。
金眼に切りかかる。回避。そのまま相手の背後へ。
「気づいた? さすがねえ。でーもっ♪」
血塗れの右腕が悠司の背を貫いた。
――彼の数歩先。もう一人倒れていた。高葉だ。
「天使のあたしを無視しようってのは、ちょーっと甘いんじゃないかしら?」
残りはふたつ。
呟いて、金眼は笑う。その姿が燃える。
朱色の髪。両手足の鉄甲。『変装』を解いた天使――エゲリア。
「行くわよ『ヒーロー』。邪魔が入らないうちに決着をつけましょうか」
跳ぶ。彼女とインレの距離は一瞬にして無くなった。
エゲリアの蹴りを左腕で防ぎ、鋼糸を操り引き離す。
間隙を縫って、サミュエルの大剣が天使を狙った。
「もっと鋭く! 大きくっ! 打ち砕くっ!!」
リーチの長い大剣を振り回せば、回避する動きも大きくなる。
それでも余裕の笑みを浮かべながら、エゲリアはサミュエルの斬撃をかわし切る。
その側方。鋼の糸を左腕に巻きつけた渾身の一撃を、インレが放つ。
『絶招・禍断』。
「ぎ――ッ!?」
わずかに反応が遅れたエゲリア。
左肩から血が噴き出し、漏れ出る悲鳴を噛み殺し、その表情から余裕が消えた。
それでも天使は愉悦に笑った。構える。吼える。
「模技――呂段拾肆式ッ!!」
貫手。それは、以前インレが放った一撃と、酷似していた。
突き刺さる。だが、終わらない。『燃えゆく心』は、尽きてはいない。
インレの鋼糸がエゲリアを拘束した。驚き、目を見開く天使に、悪魔が告げる。
「もう一つ、言い忘れていたな。『ヒーロー』には頼れる味方が居るんだ――サミュエル! やれ!!」
憧れの人に名を呼ばれ、少年は我に返った。
天使が暴れる。悪魔が押さえる。好機。今なら。
(だけど……!)
サミュエルは動けなかった。
エゲリアを斬る。それを為せば、インレもただではすまない。
仲間を守るために。皆を守るためにここへ来たのに。
仲間ごと、敵を斬るのか?
「何やってんだよっ!!」
騒ぎを聞きつけ、援護にやってきたケイがルーンを投げる。――間に合わない。
鋼糸の拘束を力任せに振り切ったエゲリアは、インレを蹴飛ばして距離を取る。
血のついた唇を舐めて、天使は肩を竦めた。
「あーあー。湧いてきたわねえ」
ケイに続いてカタリナが現れ、倒れた味方を守るべく動き出す。
退き際かしら。エゲリアは小さく呟いた。
「待てっ!!」
「待たないわ。また会ったときに遊んであげるわよ♪」
追うサミュエルを嘲笑い、エゲリアは白煙の向こうへ姿を消した。
――ほどなくして。
滑走路を覆う白煙は無くなり、空を歪ませていた烏たちは、一羽残らず去っていった。
●
報告します。
秋田空港での戦闘が終了しました。
ヤタガラスを四羽討伐。他多数の撤退を許したとのことです。
出現した天使は『エゲリア』と特定。手傷を負わせましたが、逃げられました。
こちらの負傷者は計五名。フリーランス二名、学園生三名。
……それから。
撃退署所属、高葉 汐里が死亡しました。
以上です。