●戦いの始まり
いくつもの足音がやや薄暗い館の中に響いていた。ガラスの割れた窓から入り込む日差しが、通路を照らし、壁面に書かれたいたずら書きまではっきりと見える。いくらかつて屋敷が立派であったとしても、このようなものなのだろう。通路には時折、無造作に捨てられたらしい菓子類の袋が落ちている。
奇襲を警戒する緊張感を持ちつつ、二階、目的の広間の手前までやってくる。計七人の撃退士たち。タイミングを待ち、息をひそめていた。
そして。
ふっ、と息を吐き、彼らは広間へと突入していく。目に入るのは、がらんとした広間。傷だらけの調度品が転がり、天井には破れた大きな穴が開いている。
と、広間の暗がりに、冷たい光を放つ瞳があった。
まるで柱時計の影が一瞬で具現化したかのように、甲冑を纏ったウサギとその騎獣であるワニが、巨大な姿を広間の中央へと現す。ワニが飛び出した勢いを踏みとどまるように殺しきるなか、ウサギの持つ大きな槍が幽鬼のようにゆらりと揺れた。
艶やかな黒髪をたなびかせ、即対応したのは天風 静流(
ja0373)だった。一メートル半ほどもある洋弓から放たれたエネルギーの矢が、ウサギの左肩を打ち抜いて、鎧もろとも肉を削いだ。
続けて数人、勢いをそがれたウサギ騎士へと接近する。
瞳に、いや、全身に敵意をみなぎらせ、張り付くようにして島津・陸刀(
ja0031)がウサギへと攻撃をかける。
「さァて……速攻で決めちまおうじゃねェか」
本来なら騎士は、ここまで接近される前に、寄る敵を蹴散らさなければならなかったはずだ。だが、タイミングを見失った。
それでも槍で串刺しにしようと、ウサギがモーションを取ろうとしたとき。その眼前をかすめるようにして、大きな威力を秘めた戦槌が風を引き裂きながら通り過ぎる。
「オラ! まずは俺が相手だぜ!」
叫んだのは向坂 玲治(
ja6214)である。戦槌を両手で構えて不敵な笑みを浮かべ、身体中からディアボロに敵意を抱かせるような不快なオーラを発散させている。
ウサギ騎士だけではない。その下の巨大ワニまでもがぐりんと頭を曲げて、威嚇するような唸り声を低くあげていた。
と――
次の瞬間、ワニとウサギの大きな姿がぶれた。少なくとも彼らにはそう見えた。とっさに向坂は身をひねるが、そのころには一瞬で背後に回り込んでいたワニが彼に噛みつこうとしているところだった。
その歯は致命的な一撃になったのかもしれない……ワニが、万全の状況で噛みつくことができたならば。
しかし、ワニの急激な移動に追いついてきたものがいた。アウル力を脚部に集めた名芝 晴太郎(
ja6469)の瞳がはっきりと敵を見据えている。そして振るう拳がワニをひるませた。
「これくらいの速度……俺だってっ」
わずか数秒で移り変わる撃退士の戦闘にあって、それよりなお高速で行われた名芝とワニの攻防に、音が遅れて聞こえるような錯覚さえ見る者に感じさせる。
噛みつきが弱かったため、向坂の体は容易にワニの口から逃れることができた。そこへ続けてウサギの槍が襲い掛かる。広間の入口に待機していた黒椿 楓(
ja8601)の矢が、まだ開いているままのワニの口へ目がけて放たれ、騎乗するウサギの体勢をやや崩す。さらにウサギの上方から銃弾が降りかかった。
ウサギは気をそらし銃弾のもとを探そうとしたが、しかしすぐに、不快なオーラに影響されて、目の前にいる男への敵愾心を取り戻した。
破裂音に似た音とともに、ウサギ騎士の巨大な槍が鋭く重い突きとなって、向坂を傾がせる。自らとは異なる存在を破壊するために磨きあげられた、魔の技術。それが脅威となって襲い掛かる。
「ぐっ……!」
彼は反撃とばかりに槌をふるうが、機敏なワニの動きに避けられてしまう。その素早さがやっかいなのは誰の目にも明らかだった。
広間の中に少し入った位置では、紅葉 公(
ja2931)が意識を集中させていた。彼女の発するアウルの力がいつしか実体となって幾本もの腕を呼び出し、ワニをからめとろうとうごめいた。だが、もう少しというところでワニは腕の群れから逃れてしまう。
そこへ追撃するようにして、相羽 守矢(
ja9372)が地面に水平の太刀筋でワニの後ろ足を狙い、命中したもののわずかな傷をつけるに終わった。
●苦境と好機
ウサギ騎士とワニの執拗な攻撃によって向坂は徐々に傷が増えて肩で息をし始めていた。むしろ、ここまでよく持っているといえるのかもしれない。撃退士たちの行動によってウサギやワニの突撃を食らうことは避けていたが、それでもそろそろ危険になりつつある。
天風は武器を槍に持ち替えて、ウサギの行動を妨害すべく攻撃を加えていた。が、ウサギは未だ行動を止める様子は見えない。
苦境の予感をひしひしと誰もが感じ取ろうとしていた。
紅葉はさらに意識を集中させ、再びワニの動きを止めようと試みようとしていた。意識は技術となり、力となり、取るべき形となって発揮されようとしていた。
そのエネルギーは渦を巻きながら、やがて無数の腕をワニへと巻きつけようとする。
「うまく当たってください!」
願いを込めた魔法が再度力を発揮する。
そして――再度、ワニはその束縛の腕に掴まれるのを逃れようとする。地面を蹴るために、ワニの足に力がこもる。
そこへ、矢が一閃した。
当て、ダメージを与えるためではなく、紅葉の魔法が成功するよう援護した黒椿の一撃である。
その矢によってワニの飛び退きは遅れ、腕がワニを掴み始める。黒椿はその光景を眺めながら、目を細めた。
「うちも、お役に立てた……かしら……」
ワニの胴体や足が、紅葉の魔法による腕に掴まれ、絡まれ、動きにくくなったことで、明らかに状況が変わった。
縦横に動き回るワニの素早い移動が封じられて、攻撃や回避の脅威が格段に減ったからだ。それは、ワニに騎乗していたウサギの騎士も同様である。しかしウサギ騎士はワニの上から降りようとはしていない。
苛立ちをぶつけるかのように槍を振るおうとするウサギへと、再三再四とその行動を妨害してきた銃弾が降り注いだ。
それは、八人目の撃退士。
九条 朔(
ja8694)による攻撃である。
広間へ向かう七人の中にはその姿がなかった。屋敷の状況を前もって把握できたこともあり、彼女は別行動で屋根の上に登って、広間の天井に開く大きな穴から銃撃をしているのである。
その意味は大きかった。高所からということで適切に状況を見極めて行動することができたし、ウサギ騎士による突撃の合図を見切って妨害することも出きた。
九条からの銃撃や天風からの刺突を受けて、勢いを削がれたウサギが槍を再び構えなおそうとする。
状勢は明らかに撃退士たちに傾き始めていた。
どうにか腕の群れからの拘束を逃れようと、ワニは周囲の家具を踏み壊しながら暴れまわっていた。腕による束縛はきついが、決して振りほどけないものではない。
そして……一閃。
「お生憎様、そこでおとなしくしてな!」
隙を逃さず、相羽がワニの後ろ足を断ち切った。鋭い切れ口にワニが痛みを訴え悶絶する。切り飛ばされた足が床の上に落ちる。これでは拘束から逃れられないだろうし、逃れても元のように自由には動けない。
ワニの上に乗っているウサギもただでは済まなかった。ワニの激しいゆさぶりにさらされながら、無理やりに槍を繰り出す。
だが。
力ない――とはいえ大きな威力を秘めているのだが、一撃で十分だった。
向坂が顔をしかめて、足でこらえきることができずにその場に倒れる。彼の発散していた不快なオーラが急速に霧散していく。
彼がここまで耐えなければ、もっとひどい状況になっていただろう。それだけに、彼が倒れたことで嫌な雰囲気が流れ始める。
不快なオーラが消え去ったことでウサギが冷静な思考を取り戻し始めようとしていた。ウサギは手始めに、ワニを落ち着かせようとする。
が、それは遅かった。
必死な表情で紅葉が放った雷と、研ぎ澄まされた黒椿の矢が、吸い込まれるようにして同時にワニの口内へと突き刺さる。
焦げ震えるワニの体が動きを止め、ぐったりと倒れる。
天風が目つきを鋭く、騎士へとにらみつけた。
「あとは……」
「ウサギだけってことだね」
飄々としたように相羽が言う。
甲冑をまとったウサギは、動かなくなったワニの上から飛び降りた。鈍重な動作にも見えるが、そこまで遅いわけでもない。
しかし、すでに勝負は見えているように思えた。ウサギ単体でも驚くような戦闘能力を有している可能性はある。ウサギの怪力はかなりのものだろう。
が、すでに天風や九条の攻撃によって、ワニだけでなくウサギも大きくダメージを受けているのだ。
気を付けるべきは倒れている向坂への追い打ちだろうと撃退士たちは思ったが、ウサギの行動はそうではなかった。
槍を無造作に、脚のひとつが折れて転がっていたテーブルに突き刺す。粉砕されるでもなく、突き刺されたままのテーブル。
困惑と警戒のなかで、ウサギはまるで円を描くようにして槍をふるった。突き刺されたテーブルが、唸る勢いのまま飛んでいく……!
狙いは、屋根の上にいる九条だった。
無論テーブルが一つ激突したところで、撃退士にはなんの影響もない。そのテーブルは屋根にぶつかり、もとから破れていた脆い穴の範囲をわずかに広げた。
飛びのくのがわずかに遅れ、壊れた屋根の破片とともに、九条が広間の中央に着地する。
猛然と襲い掛かりに行こうとするウサギ騎士の前に、島津がギラついた瞳で立ちはだかる。このウサギは、ワニほどに動き回れるわけではない。道をふさげれば十分だった。
ウサギがうろたえ、むやみに暴れ始める。
薙ぎ払おうとする槍がめちゃくちゃに島津たちを襲うが、今まで程の攻撃の重さはなかった。
その合間をぬって、相羽がウサギへと攻撃を加えていく。今まで使っていた太刀ではなく、エペ。
突きに特化した剣である。状況に合わせて武器を使い分け、相羽は鎧の隙間を狙って確実にウサギへダメージを与えていく。
ぐらり、ウサギの巨体が傾くが、それでも倒れることはない。
天風の十字を切るような斬撃がウサギの頭部に加えられて、兜が砕け飛ぶ。長い耳があらわにされた。
死力を振り絞って、なお行動をしようとするウサギへと、九条が広間の端へと後退しながら、冷静冷酷に射撃した。たとえ敵に狙われたとしても、それでも。
「私は……足手まといでは、ない」
射撃によって、ウサギの動きが、わずかに……止まる。
そして名芝が地面を蹴り、跳んだ。ほぼ、目に留まらぬほどの速さで。黒い帯が、翼のように引かれていたようにも見えた。
「慈悲も容赦も与えないッ!」
叫びとともに、彼の一閃がウサギの体を裂いた。やがて……大きな音をたてて。
ウサギの騎士の体が、力なく倒れた。
●戦いが終わって
勝利したことによる気分の高まりも、長くは続かなかった。
犠牲者たちの遺体は、広間の隅で発見された。行方不明とされた人数とも一致し、おそらくはこの広間で犠牲になったのだろう。ディアボロたちがなにを目的としてこの屋敷に潜んでいたのかは定かではなく、それぞれ予想するほかなかった。
皆が黙祷するなか、ウサギやワニにまで黙祷する島津へ仲間から視線が投げかけられる。
黙祷を終えると、彼はその視線に気づいて答えた。
「……元は俺らと同じ、生きた人間だったんだ」
悲しげな瞳で異形の骸を見下ろしながら、
「それが何の間違いかこんなになっちまってよォ、気の毒な話じゃねェか」