無人島に到着早々。
佐藤 としお(
ja2489)は海を見た。
「成る程、大体分かった……先生、勉強ですねっ!」
「はいそうです」
余りにも清々しくやる気に満ちた声に、教員の皆さんもイイ笑顔。
しかし。
佐藤は違った。
教員と佐藤の戦いは既に始まっていたのだ。
学生を引率して内陸へ向かう先生に対して、佐藤は海を見つめて仁王立ちになり、滾る情熱を燃やしていく。
『脱出こそ漢のロマン!』
「ところで船頭さん、遠路遙々お疲れさまです。明日も食料納品にいらっしゃるので?」
五割り増しの爽やかさで語りかける佐藤。
短く刈ったソフトモヒカンと頭部左側に龍のタトゥをしたアヴァンギャルドな外見に反して、礼儀正しい所作は尚異様だったが、これも作戦だ。
この上なく好印象を与えて、次に船が来る日時を聞き出すのだ。
全ては脱出の為に!
「いんや? こねーよ?」
「は?」
「もう、水も食料も緊急装備も全部運び込んであるすけ。学生さんが帰る日までこんくていいってきいてるすけ、次に会うのは大分先やのー、兄ぃちゃんがんばれや〜」
ドッドッドッド、とエンジンを動かして走り去る船。
佐藤の野望、早々に潰える。
『……否! 俺は! 諦めない!』
この後、島を捜索したり、教員の行動を分析したり、佐藤のあくなき挑戦は続く。
しかし。
無人島に絶望する者もいれば、期待に胸膨らませる酒守 夜ヱ香(
jb6073)もいる。
『勉強、頑張って終わらせて……島を探検してみたい、な』
傍らに立つ志塚 景文(
jb8652)は遠ざかる船に目を凝らす。
「にしても絶海の孤島……先生方が普段どれだけ手を焼いているかがわかる気がするな」
志塚は「夜ヱ香さん」と話しかけた。
「勉強、分からないところがあれば教えるから。休みに落ち合おう。できれば食事も一緒にとりたいし」
酒守は無言でこっくりと頷く。
かくして。
無慈悲な合宿が始まった。
昔ながらの扇風機と言えばプロペラが回転して風を起こす。
それら旧式扇風機の前に座り、意味もなく「あー!」と叫んだ経験を持つ者もいるだろう。英語の単語暗記に躍起になっていた南條 侑(
jb9620)は、隣で「あぁぁあ!」と扇風機に叫ぶ男子達に「騒ぐな!」と声を投げた。
「余計に暑い。心頭滅却すれば火もまた涼し、だ。暗記の途中だからせめて黙っててくれ」
「お、おう」
低い声に滲む剣幕にたじろぐ。
南條は軽く頭を振り『苛々してダメだな』と我に返った。
『……本当に暑い。エアコンもない。窓が全開でも無風状態では蒸す、とくると集中力が持って行かれるな。心頭滅却……いや、英単語暗記の為には心頭滅却したくはないんだが、ここは心頭滅却すべきところだろうから心頭滅却して頑張ろう。夜の食事、風呂で息抜き、それまでの我慢だ』
南條は己に言い聞かせる事に必死で、英単語が半分ぐらいしか頭に入っていなかった。
この環境に慣れるまで時間がかかりそうだ。
宿題に涙する者がいる一方。
既に課題諸々を終わらせて、次の試験範囲を知るべく勉強する学業面の優等生もいる。
「知らないことを知るのは楽しいのですぅ〜」
『ふふふ、お勉強をたくさんするに越したことはないのですよぉ〜』
授業を受けても上機嫌な神ヶ島 鈴歌(
jb9935)は、学生達が草臥れる休憩時間を利用して、同じ教室の人達用に、甘酸っぱいレモネードを作り、ポットに入れて出した。
「みなさぁ〜ん、水分補給用にレモネードをもってきましたぁ〜、コップと一緒においておきますぅ〜、この暑い中ですし無理されませんようにぃ〜」
生気のない顔をした皆に声をかけて、神ヶ島は保健室の手伝いに出かけた。
元はと言えば依頼の受けすぎが響いている気がする。
只野黒子(
ja0049)は冷静に自己分析を行いつつ、学業面の怠慢を取り戻すにはこの合宿しかないと悟っていた。夕飯のカレーとバニラアイスを楽しみに、教室を逃げるように離れる仲間達とは違って、黙々と単語帳の暗記を行う。
授業の合間のこのひととき。
この休憩時間も無駄にしない意地があれば、食後から就寝前は遠慮なくゴロゴロできるからだ。せめてもの救いは、課題がもう少しで終わりそうだという事だ。きっと合宿終了までには終わるに違いない。
同じことを考えていたのが田村 ケイ(
ja0582)だ。
「今年の夏は……やれ運動会だ、仙台へ遠征だ、って勉強する時間削り取られたから合宿は丁度良い機会ね」
予定より進んでいない宿題を片づけ、一気に試験範囲を終わらせようと言う闘志が漲る。
真面目に勉強する者。
やむを得ず渋々勉強する者。
しかし世の中には悟りを開いて、エスケープする者もいるものだ。
エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)は出席票の記入が終わった瞬間、芝居がかった仕草で立ち上がり「先生、すいません! 船酔いがまだ! 酔い止めをもらってきます」と教室を脱出した。
そして酔い止めを貰うまでもなく、携帯用ゲーム機をひっつかんで建物を逃げ出す。
「合宿だっていうから来たのに、勉強をやるなんて聞いてないですよ。詐欺ですよ!」
マステリオは木陰を探す。
「やってられっか、という感じですね! ん?」
最初から進級するつもりのないマステリオが誰かを見つける。
崖の上から誰かが海に飛び込んだ。
流れの速い海の波を押し返すように岩場へ泳ぎ、けだるそうに髪を掻く。
同じく授業をバックレた影野 恭弥(
ja0018)だった。
夜の夕食時間まで時間はある。
「次は……山に入るか」
疲れたら休めばいい。
遠ざかっていく影野と入れ違いで、木陰に座ったマステリオはパズルゲームを始めた。
ヒーホー! という音声が波音に消えた。
一日の長い授業が終わった後、鈴代 征治(
ja1305)はぺったりと机に突っ伏した。
机がつめたい。
そして全身を襲う疲労感と倦怠感。
「ううう、一日目でこんなにギッチリ缶詰状態で勉強を詰め込まれるとは思わなかったなあ」
夏休みの中盤にサボった遅れを取り戻すつもりで参加した。
実際には宿題どころではない。
鈴代は「……よし」と呟いて立ち上がった。
「とにかく、食べようっ!」
待ちに待った美味しい晩ご飯を食べねば明日を生きられない。
「逆に考えれば、海の幸がこんなに食べ放題なんて勉強を頑張ったご褒美だよね!」
ご褒美という単語を反芻しながら、鈴代は食堂へ行き、両手にプレートを持った。
「これはもう端から全部制覇するしかないよねっ!」
胃袋の限界に挑む時だ。
食堂のバイキングには長蛇の列ができていく。
「ふむ。無人島で勉学に励むのは良き機会であると思ったが、思いの外頑張れたな」
バルドゥル・エンゲルブレヒト(
jb4599)達の話題は、自然と授業の内容になった。
海鮮サラダを丸皿に盛る叶 結城(
jb3115)も共感を覚えたらしい。
「勉強のみに打ちこめるというのはいいですね。環境が一新されるせいか、他のことに気が散らなくていいです。娯楽が少ないと言う方もおられるでしょうけれど……」
「我にとっては自然豊かな土地で過ごせることも娯楽であるな。古い本があれば尚良し」
「本に没頭できるのもいいですね。調べものが捗ります!」
白熱する会話を傍観するのがアイリ・エルヴァスティ(
ja8206)だ。
「……バルも結城も調べものするの好きだもんねぇ」
『私は調べものとか苦手だけど』
ロールパンをトースターに入れたエンゲルブレヒトが輝く仕草で雄弁に語りだす。
「知識は全て力であろう。まぁ、学んでいる最中には何故こんな益体も無い物を学ぶのか、という声も聞くが……」
云々。と長い話の間にパンが焼ける。エルヴァスティが肩を竦めた。
「何があっても対応できるよう、知識は得れるだけ得ておけばいいと思うかしらね。行くわよ」
エルヴァスティ達は三人で座れる円卓を探して腰掛けた。
三人で向かい合うとお互いのお膳が気になる。
「あ、結城のそれ、何?」
「これですか? 海鮮サラダだそうです。少し食べられますか?」
「もらうわ。これ、シャコ貝の切り身? どれ……美味しいわねこれ。こういう合宿ならもっとあっていいと思うわね」
机が広いのでエルヴァスティは参考書を取り出して捲り始めた。勉強熱心さは三人ともかわらないようだが、叶は違った。何故なら、蟹を一杯もってきていたからだ。
「好きなものを食べれるというのはいいですね。殻の剥き方に難儀しますが」
ベキベキベキ、と長い蟹の足を折っていく。
配膳係から渡されたスプーンなのか串なのかよく分からない物体(蟹フォーク)と空っぽの筒(殻入れ)は使い方がわからずに放置し、包丁による亀裂から腕力だけで食べていた。味は悪くない。鮮度的に宜しい。しかし両手や口元は蟹汁でべっとり。
「手が汚れますね」
しょんぼりする叶を見て、おしぼりを差し出したエンゲルブレヒトは自らの皿を出す。
「こちらの肉であればそのまま食せれるぞ。遠慮するな」
叶は一瞬躊躇し、何かを考え始めた。
というのも一応、菜食主義を掲げていたからだ。
菜食主義者というのは一般的に細かい区分に別れている。尤も厳格なのが所謂ビーガン……鶏肉魚肉その他魚介類に卵や乳製品どころか蜂蜜やゼラチン、イースト使用食品すら食さないし身につけない者を示すが、卵や乳製品の許容などの段階で呼称が全く異なる。
長ったらしい話は割愛するが、今此処で『まごうことなき獣の肉』を食うべきか食わざるべきか、それが叶のアイデンティティ上の問題だ!
『……ああ、でも既に蟹を食べましたし、ツナフレークや貝入りの海鮮サラダ食べてますし、これは一種のセミベジタリアン的なものと捉えて、バルドゥルさんの気遣いを受け』
「ふふふ蟹はもらったぁ! んー、魚介類好きにはたまらない献立だわ」
叶が葛藤している隙にエルヴァスティが蟹の爪を奪取した。
食事とは戦場に等しく、隙をみせた方が負けなのである。
「ふふふー関節も美味しく、ふん! ……固いわね。爪の関節って。……頼んでいい?」
そっと蟹を持たされたエンゲルブレヒトは僅かに震えて「アイリ殿……我が……剥くのか……」と呟き、あえて避けたはずの食材をやむなく割り始めた。
不器用さんの結果はお察しの通りである。
「あやか」
ひらひらと手を振る青年の影を見つけて、親友と食堂に来た美森 あやか(
jb1451)は思わず走り出した。
「先に場所を取っててくれたのね」
「景色のいい場所に三人で座るには先にこないと難しいからね。バイキングにいこう」
三人揃ってバイキングの海鮮を皿に盛っていく。あやかは夫を一瞥した。
『夜は涼しいけど……差し入れ作ってあげられなかったのが、少し残念かな』
三人で好きなものをとり席へ戻る。
「海の幸、美味しい! そういえばさ」
礼野 智美(
ja3600)は親友を見た。
「あやかは合宿なんかに来なくても良かったんじゃ?」
「ん……でも、お兄ちゃんにまた留年して欲しくないの」
困った顔のあやかが思い出すのは、
『一度くらい妻と同じ学年という経験もしてみたいけどね』
と留年上等の夫の発言だった。これは放置できない、と悟ったのが切っ掛けの一つ。
しかし旦那の美森 仁也(
jb2552)は、と言えば。
「別に俺としては今年も留年で良いんだが……」
去年既に留年しているのだから、一度や二度の留年なぞなんのその。しかし小声で呟いた仁也の正面で、なにやら愛する妻が潤んだ目で見つめてくるではないか。
『今年は進級しようね』
此処へ来る前に約束した笑顔が脳裏にちらつく。仁也は無言の訴えに渋々押し黙った。
その頃、保健室で臨時保険医の手伝いをしていた神ヶ島がやっと食堂にやってきて、最後尾で夕飯を手に入れると「暑いですものねぇ〜、冷たい料理はありがたいですぅ〜」と幸せそうに食事を頬張っていた。
食事を終えた田村も帆立や牡蠣にご満悦だった。
「ご飯とお風呂は素敵なのよねえ。海の幸最高。もっと食べたくなるけど、このくらいにして珈琲を頂きましょうか」
その場で厳選したブレンド豆を挽いてもらい薫り高い一杯を頂く。
豪華な夕食で胃袋を満たした後に待っているのが洞窟風呂だ。
入浴時間は男女で綺麗に区切られている。
お風呂セットといってもタオル等だが、男子専用時間になって真っ先に風呂へ向かった南條は、浴場で汚れを洗い流して、ざぶざぶと洞窟の奥へ入っていく。
やがて見えた満天の星空。
「多分この景色を眺める為に、俺はこの合宿にきた……」
湯船に肩まで使って大きく深呼吸。囲いのない風景は安心する。
『これで明日も頑張れるぞ』
女性の入浴時間となった。
ファラ・エルフィリア(
jb3154)は洞窟の奥でご褒美な温泉に浸っていた。
「ふっふーん! 温泉っていいよねぇ! 広いし肌すべすべになるしもう最高! ねー?」
振り返った先では、如月 優(
ja7990)が修羅の形相をしていた。
「……って、なんか鬼みたいな形相になって、る?」
どういうことなの?
首を傾げるエルフィリアの言葉は如月の耳に届いていなかった。
『私は油断していた』
「……優?」
『そう、忘れていたのだ』
「優? もしもーし。きいてるー? おーい?」
『いかに服を着た時のふくらみがささやかでも 、生の時もそうである、とは限らないということを!』
「貴様……隠れ巨乳……か!」
漸く口を開いたと思ったら、如月はそんな言葉を投げかけた。
「何を食べたらそうなる!? 牛乳か!? ミルクか!? ラッテか!? 神様のばかぁ!」
ばしゃーん、と温泉の水面に拳を叩きつける。
エルフィリアが「それ全部牛乳だよね!?」と突っ込むものの、会話が右耳から左耳へ抜けていく。
『ちっぱい仲間だと思ったのに! 思ったのに! 世の中はなんて酷い格差社会なんだ!』
「いい……あきらめる。どうせ……皮の下は……脂肪だ……」
一人で動揺し、
一人で怒り、
一人で困惑して、
一人で悟りを開いた。
「皮の下脂肪て……いや別に、あたし巨乳ってほどじゃないし……てゆか、優ふつーに酷いことゆってると思う。あれだよ。いつかおっきくなるよ、たぶん」
漫才じみたやり取りが暫く続き、如月とエルフィリアは湯上がりに牛乳を飲むことになった。
礼野とあやかもお風呂で羽を伸ばしていた。
礼野が首を回す。
「つっかれたぁ。ここにくるまで依頼依頼で飛び回っているもんなぁ……でも集中講座を受けとけば忘れている事も思い出せるし、抜けた授業もフォローできるかな。にしても彼、留年する気だったみたいね……勉強手を抜かないといいけど」
「う。でも、目で訴えたし。去年は留年したけど……今年はちゃんと進級して欲しいもの」
礼野は「はいはい」と言いながら肩を竦めた。
田村も洞窟風呂の片隅から、満天の星空を見上げた。遠くの方にオリオン座が見える。
「星空も、もう秋ね……この時間が何よりも癒されるわ……」
岩にもたれて、ふー、と息を吐く。
食事も終え、お風呂も終え、ではゆっくり寝ようかと思えば全員がそうではない。
「さてさて、大学生も目前だし、勉強しますかぁ」
沙 月子(
ja1773)は額にぺったりと冷却剤を貼り付け、首に冷えるスカーフを巻き、宿題と予習復習の道具を持って自習室に向かう。割と真面目に勉強していた。
館内にひび割れたアナウンスが響き始める。
『消灯時間です。学生は自室へ戻ってください。30分後に全室の電源を落とします』
遊ばせる余裕は皆無な無情の響きだ。
「マジ無理……、勉強が俺を殺す」
ばふ、と布団に倒れ込んだのは月島 光輝(
jb1014)だ。
「去年の二の舞にならない様に来たはいいけど……カナは全然勉強しねぇよな。これで成績良いとかマジなんなの……聞いてる?」
白虎 奏(
jb1315)は「アイス美味しかったー」と言いながら布団に身を投げ出す。
「え、なに?」
「お前なんかアイスみたいに溶けちまえーっ! 唯でさえ勉強三昧でストレス溜まってんのに、その余裕っぷり! ムーカーつーくーっ!」
「え〜、だって俺ってば応援担当だし? それより、午前中に頭使ってんだから夜はぱーっと遊んで発散しようぜ〜」
「だぁーっ! 空気読んで少しは勉強しろーっ!」
枕を白虎に投げ放つが、ケラケラとした笑い声があるのみ。
「いってぇってば〜。何、光輝ってばヒステリー? 欲求不満? カルシウム足らないぞ〜カルシウム取らないと、背も伸びないんだぞ〜」
「今身長は関係ねぇだろがーーっ!」
どばーん、と扉が開き「やかましい! 寝なさい!」と教員が怒鳴り込んで出ていった。
深夜の大声は隣室に迷惑である。
「カナのせいで怒られただろ!」
「え〜? いや〜、大声は光輝だって。でもこれでストレスは大分吹っ飛んだんじゃね?」
押し黙った月島は白虎を小突き「バーカ、疲れたっつーの」と言って布団を被った。
そんな勉強と食事と風呂しかない生活が延々と続いた。
「最近、バイト三昧だったもんな」
この日も温泉からあがった新柴 櫂也(
jb3860)は、臨時設置の自販機に小銭を入れていた。
『合宿の間だけとはいえ、無人島に自販機までつけてくれるなんて気が利く……ん?』
物陰の椅子に屍の如く机に伏した女が居た。
「下一、さん? びっくりした。いたんだ。明日の肝試しいくの? もしもし?」
ノートにミミズ文字で『だめだとけない』と書かれている。
宿題と察した新柴が立ち去ろうとすると。
「ん?」
みょーん、とTシャツが伸びた。
後ろを掴まれている。一言も発さぬままガリガリと下一のシャープペンが動いた。
『じゅーすじゅーすじゅーすじゅーすじゅそる』
「えーと……奢ろうか? どれ?」
『超☆え菜じーびた眠Z』
「あるもので頼むよ」
『りんご』
呪いのダイイングメッセージ的な会話は、缶を手渡すまで続いた。
そんな視界の片隅では。
「ねえねえ明日は墓場デートしようよー!」
ポラリス(
ja8467)がアラン・カートライト(
ja8773)の腕をぐいぐいとひいていた。
「良いぜ、明日の肝試しは夜の散歩と洒落込もうか。此奴と過ごす夜なら大歓迎だ」
例え場所が墓場でも。
辛く厳しい学習合宿の最後を飾るのは、肝試しだ。
提灯を持って朽ちた民家を巡り、スタンプを押して墓場へむかう。首無しお地蔵様の前に並べられた、自分の番号の蝋燭に火を灯して戻るという一周2キロの旅だ。
無人のままでも不気味だが、今回はお化け役がついている。
最期の学習時間を体調不良の名目で免除された者達は、授業分のプリントだけを預かり、準備に忙しい。
合宿も最期で追いつめられている生徒もいるだけに、臨時教室の窓から顔色の悪い生徒を眺めつつ九鬼 龍磨(
jb8028)は肩を竦めた。
「皆、普段から少しずつやっておけばいいのにー。さって、肝試しをがんばりますか!」
そう言って身を翻す九鬼は和装で髪を解いていた。これから白粉をはたいて口紅を塗る。
お化け役達は我先にと不気味極まりない持ち場を目指す。
授業が終わって先生が声を投げた。
「みなさーん。これから肝試しを開催します。5分ごとに番号順で出発します」
まずはケセランを抱っこしながら歩くのは夏木 夕乃(
ja9092)だ。
夏木は震えながら周囲を見る。
「……お、お、オバケなんていないさ」
震えが止まらない。
「オバケなんてうーそさ! 魔女がお化け怖いわけないじゃないですかっ! あー!」
全く仕掛けも段差もない所で転ぶ始末。
「キャーッ!」
そのくせ仕掛けを除けていた。器用である。
くじ引きで一緒になった者同士が自己紹介した後、男装の乙女こと雪之丞(
jb9178)は雄々しく宣言した。
「こ、怖くなったら私の服でも掴んでもいいぞ!」
『お化け役もいるとはきいているが……ま、まあ、せいぜい楽しませて貰おうか!』
精一杯の強がりが言葉に滲んでいる気がする。
円城寺 了(
jc0062)は「お気遣いどうも」と言いつつ全く動じている節がない。
「こわく……ない、のか?」
「ええ。何分、拝み屋時代の感覚がぬけておりませんので、とくには」
黒いパーカー姿で闇に溶け込むパウリーネ(
jb8709)が頬を掻く。
「というかアレだ。幾度となく『亡霊!』って言われてたワガハイからすれば、さして怖くないんだよなー…ううん。いいか別に。楽しそうだし。はい、じゃあレッツ肝試しな」
一応女三人が闇に消える。
「次ですわね、しば兄さま」
リラローズ(
jb3861)は新柴櫂也の手を握る。
「お勉強の間、しば兄様とお会いできず寂しかったですわ! でも肝試しがお兄様と一緒なら怖くありませんわ! ね?」
無邪気な笑顔の薔薇姫達も夜の闇を歩き出す。
そして肝試しとは別の問題に情熱を傾けているのが、姉妹のアイリス・レイバルド(
jb1510)とイリス・レイバルド(
jb0442)だった。
『……肝試しか、本物でも出ないものか! こういう催し物は本物を呼ぶと言うからな。必ずや見つける!』
『地獄の夏期講習も終わる。真夏の炎天下ともじきにオサラバ! お姉ちゃんとサマーバカンスでいちゃいちゃするチャンスだ! 努力と根性と陰謀の肝試しでどさくさ紛れに抱き付いたりなんなりで極自然に甘えればオールオッケィ! 魅せてやんよ……ボクのぶりっ子モードォォォ!』
残念臭が漂っているのは気のせいにしておきたい。
先行組の悲鳴を聞きながら、うっとりと悦に入るアイリス。
「うん。イイ悲鳴だ。まず仕掛けだろうが、確認せずにはいられないな」
いざやゆかん!
オカルト発見を目指して!
狩人の眼光と体重を感じさせない走りで廃屋へ走り出す。
そんなアイリスに気づかない妹。
イリスは、自慢の長髪を指に絡ませて小動物が如く囁く。
「……ねぇ、お姉ちゃん、ボクこういうのって苦手だから……手、つないでてほしいな」
うりゅんと瞳を潤ませて見上げ……
「って、お姉ちゃんいねえ!? あれぇ!?」
策士、策に溺れる。
「しまったぁぁぁ! お姉ちゃんを見失ったらそもそも何の意味ももたねえ!」
『まずは一刻も早く合流しなければ邪魔するヤツは……ぶっ潰す! 全速全壊! お姉ちゃんに向けて突撃ーッ!』
「お姉ちゃんドコー!?」
肝試しときいて淡雪(
jb9211)は燃えていた。
「肝試しとは! 死した者と触れあえる場所と聞いたでござる! ならば死んだおじいさまとも会えるでござる! おじいさまどこでござる!?」
飛び出していく淡雪を橘 樹(
jb3833)が追いかけた。
「わしも淡雪殿のおじいさまを探すんだの!」
「感謝するでござるよ! きっとおじいさまはかくれんぼでござるから!」
愛故に斜め上の認識をしている淡雪を、そっとしておく橘の優しさ。
淡雪は「おじいさまどこでござるー?」と叫びながら順路をちょろちょろしていたので、見守る係員は二人が迷子になる予感しかしなかった。
川内 日菜子(
jb7813)は屈伸運動をした。
「体が鈍って仕方がなかったから丁度良い……」
如何に短時間で制覇できるか……それが問題だ!
川内はダイバーズウォッチで時間を確認しつつ、ライト片手に走り出した。
相手を置いて。
「遅れるな。置いていくぞ、影野!」
影野恭弥は「待っ」と言いかけて行き場のない手をひっこめると、肩を竦めて川内の後を追い始めた。夜道は暗いが、星空は美しい。
「自然の中だけあって、星空がよく見えるな」
……追うか。
夜道でメイシャ(
ja0011)は極度に怯えていた。
「お化けなんていない……いないんだったらいない……そうだあ、私は間違っていない」
リーンリーンリーン、と聞こえる風流な虫の音すら頭の中から弾き出す。
一方のクリエムヒルト(
ja0294)は怖がる様子もなくペンライトを顎の下に当てている。
「ねえねえ、メイシャちゃん、メイシャちゃん〜! どう? お化けみたいでしょ〜」
「のわぁーっ!!?」
「ちょ、メイシャちゃんいきなり走らないでよー。足場悪いんだから危ないよー!」
と言っているのに前方ですっ転ぶメイシャ。
「ほらほら、だからこけるんだよー。メイシャちゃんはドジっ子だな〜」
「こ、こけて等いないわっ! びびび、吃驚させるな」
クリエムヒルトが助けに行くが、その後も些細な脅かしでメイシャは我先にと逃げていた。
天井が崩落した家屋を訪れた長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)が指定カードにぺったりとスタンプを押す。
『き、肝試しとはいえ……これは、怖いですわ……足下も危険ですし』
その時。
がさり、と何かが動いた。
それまで平常心を保っていた長谷川は石のように硬直した。
「お、お化けー! こ、来ないでーっ! イヤアァアァァアアア」
家屋から逃げ出していく長谷川を見て巡回中の沙が首を傾げた。
「あれ? あそこは誰もいなかったような……」
全ては神のみぞ知る。
狐石像と鳥居の道で、黙々と歩く獅堂 武(
jb0906)は順路を確認しながらスタンプの場所を探す。
一方のLaika A Kudryavk(
jb8087)の手元には、何故かノートと教科書があった。
「……ライカ先輩、肝試し楽しくない?」
「……こう、静かで暗いと、暗記が捗るんじゃ、ない?」
「え?」
会話がすれ違う。
Laikaはペンライトの明かりに頼って勉強を開始した。獅堂は合宿中、苦手な勉強で干涸らびる寸前だった為、肝試しこそ楽しもう、且つ先輩にも楽しんで貰わないと……等と色々考えていたが、もはや手を繋いで歩く、とかいう雰囲気でない。
片手に教科書、片手にペンライト。
隙のないLaikaは、獅堂や遭遇する他の班、しまいにはお化け役にまで出題をする始末。
「肝試しというなら肝試しらしく出題しましょう。其処の人、感覚動詞+〇+過去分詞で次の文を英文になおしてみて。第一問『名前を呼ばれたのが聞こえましたか』?」
「え、……ディ、『Did you hear your name called』?」
思わず答えるお化け役の九鬼に目もくれず、Laikaは「ほら」と獅堂を振り返る。
「……幽霊だって英語が分かる時代、よ? ……武君も頑張らないと!」
そして獅堂は、肝試しが終わった後にご教示を御願いしようと悟りを開き始めていた。
調子が狂ったお化け役の九鬼は、再び鳥居の影に佇んだ。
浴衣に下駄。乱れ髪。血の気のない肌に真っ赤な口。
「……お前さえいなければ……」
か、と見開いた目は白かった。
狙う相手は、勿論男性だけである。
余りにも暇だったからか、或いは、恐怖を紛らわす為か、雪之丞は円城寺達同行者に延々と喋り続けていた。話はもっぱら合宿の内容にしかならなかったが。
「で、他の方はどんな具合かと」
パウリーネが「何、最期の宿題とか?」と首を出す。
「ええ、まあ」
「あーワガハイは、純粋に期末試験に備えたかっただけなんだけどさ、よく考えなくても楽勝でした」
テヘッといいつつ、棒読みな辺り、相当に楽勝だったと見える。
「学生たるもの、時にはこのような息抜きも必要でしょう。次に参りましょうか」
スタンプをカードに押した円城寺が石畳の道を行く。
目の前に広がるのは横倒しの墓石。そんな場所で、カートライトは墓石を凝視する。
「日本の墓場っていつ見ても独特だよな」
しかしポラリスは全く効いていなかった。
恐怖ではない。
チャンスを窺っていたのだ。
石が動いたり、茂みがガサガサ音を立てたりするだけで。
「キャー! こわーい! アランさぁん!」
ひし、と腕に捕まる。
その内心は。
『いまのらしかった? 不自然じゃないかな? 今は小動物系女子になって「かわいいなこいつぅー」って思わせないと! もっと必死にしがみついてみる?』
ポラリスの浅知恵を見抜いていたカートライトだが、何も指摘せず「嗚呼、確り掴まっとけ」と言って頭を撫でた。
『よしよし、可愛い可愛い。ゴールまでこの調子だな、多分』
『今のはいい感じでしたかしら!』
墓石の影に隠れた橋場・R・アトリアーナ(
ja1403)は、凛とした表情で針金を握りしめて人が来るのを待っていた。
『肝試し、という事なので沢山驚かせますの! えい!』
橋場が針金をひくと、足下の墓石がゴトゴト動いた。
順調にスタンプを集めるリラローズと新柴は、星空を見上げる余裕があった。
肝試しと言うより、星座観察の夜散歩。
「しば兄様。街灯りに霞まない星ってとても綺麗。廃墟や参道も風情がありましたわね」
「確かに星が綺麗だな」
「ふふ、兄様が一緒でなければ、楽しむ余裕も無かったと思いますけれど」
やがてリラローズ達が墓場へと歩いてきた。
ゴトッと足下の墓石が動く。
「うあ!」
「きゃ!」
新柴はリラローズを庇いながら地面に転がる。新柴に抱き込まれたまま覆い被さったリラローズは沈黙したまま瞳を覗き込んだ。やがて笑いかける。
「もう、しば兄様ったらうっかりさんですわ。お怪我はありませんか?」
「え、あ、ご、ごめ……大丈夫! リラこそ」
「砂がついたくらいですわね」
リラローズは新柴の手を握り、踊るような足取りで先へ進む。
一方の新柴は何やら首を傾げていた。
影野が墓場についた時、川内は石畳……に見える墓石の道の中央で腰を抜かしていた。
前方に目を凝らすと何かが光る。影野はすたすたと歩き出し、蛇を踏んで頭を掴むと捨てにいって戻ってきた。
「大丈夫か? まったくビビりすぎだろ」
「……へ、蛇、蛇は!?」
「捨ててきた」
暫く星でも見て待つか、と考えていた所、光学迷彩で姿を隠し、墓場のロープを確認して回っていたラファル A ユーティライネン(
jb4620)が現れた。恋人の悲鳴を聞きつけてきたのだろう。
「……蛇?」
たった一言で全てが伝わる。様々な技術を駆使して脅かすつもりが、それ以前の問題であったようだ。何しろ此処は無人島。本来は人間も住んでいない野生の中だ。
「後は相棒さんに任せるよ。邪魔者は退散てね」
影野はユーティライネンの肩を叩くと、すたすたと歩き出し、闇の中に消えた。
あっちへふらふら、こっちへふらふら。
手を離すとルートを外れていく酒守を、志塚は見つけるのに何度も苦労した。
また少しは怖がるんだろうかと友人の様子を伺うと、酒守はまるで怖がる様子がない。
しいていうなら。
酒守が倒れた墓石をなおしたい衝動にかられていた程度だろう。
「スタンプ……」
「首無し地蔵どこかな。むこうに沢山並んでるみたいだ。夜ヱ香さ……ん?」
遠ざかる酒守は獣道に入っていく。
何故だ。
「待って、夜ヱ香さーん! 少なくともそっちじゃない!」
足音が遠ざかる。
二人が行き損ねた首無し地蔵の影にもお化け役は潜んでいた。
担当は連日のエスケープでお馴染みのマステリオ。
黒いタキシードに、毎日必死にくり抜いた南瓜で作った伝承的怪物ジャック・オ・ランタン的なマスクをつけている。しかし何を思ったか、地蔵の首にマスクをのせ、あるものを仕込んで隠れた。
ボッと南瓜の中に灯りが灯った。
「ヒーホー!」
ケタケタと笑い出す。
奥には吊された男ならぬ吊された佐藤がいた。脱出工作の途中で宿舎脱出がバレてお仕置き中らしい。
そんなお化け役達の変装を手伝ったのが沙月子である。
闇に紛れるような衣類、小物の準備、何かと準備は大変だったが、闇の中から微かに聞こえる悲鳴が達成感をもたらす。
「フフフ」
一足早く休憩所に戻ってきたお化け役の九鬼はもぐもぐ弁当を食べていた。
「九鬼さん、でばーん」
「ふぉーい」
口の中にエビ天を放り込んで飛び出した。
一周した者達は、出発とは違う順番に戻ってきていた。
やはりスタンプ探しは難しいと見える。
きちんとスタンプを集めて蝋燭に火を灯した者に渡されるのがお菓子の詰め合わせだ。
クリエムヒルトはメイシャを探していた。
「一人で先にゴールしちゃったけど、メイシャちゃん、見当らないなぁ〜」
ぽん、と肩に手を置かれた。振り返ると真っ赤にはれた顔があった。
「ひ!」
「……どうした? 顔が引きつっているぞ?」
「って、その声メイシャちゃん!? か、顔、顔ー! 刺されたの!?」
散々転んだ橘が「ひどいめにあったの」と言いつつゴールした後、同行していた淡雪は隅っこで座り込んでいた。
「おじいさま、おられぬでござるか? 死した人に逢えるなら、何故に会うてくださらぬ……何故に妾をおいて逝きなすった……」
発言がドラマの未亡人状態だが、淡雪は大真面目だ。会えるならば幽霊でもいい。
寂しそうな様子を見て、橘が拾ったきのこを差し出した。
「これで元気だすんだの」
一本の松茸であった。全く関係ないが今が旬である。
「わしも大事な人が死んだら、きっと夢でも幽霊でもいいから会いたいと思うに違いないの……人間の友人達はきっと先に逝ってしまう。だから今を大切にするんだの!」
橘は淡雪の傍らに座り、二人で星空を見上げた。
カートライトがポラリスに菓子を渡す。
「怖くて眠れなくなったら来いよ、一緒に寝てやる」
「うん、怖いから今日は一緒にいて」
「勿論だ、この俺に二言はねえ。腕枕で可愛がってやるさ、子守唄付きでな。まあ、俺も男だッつう事は忘れるんじゃねえぞ? でなきゃ」
ささやかな駆け引きは、ピポー、という教員の笛の音がかき消した。
「さあ皆さん。それぞれ自室に戻って休みましょう。明日は船です」
強制夏期講習は肝試しで終わりを告げた。
さらば孤島。
つらく苦しい勉強の日々よ。
願わくば、否、二度と来まい。