●
「罠だっちゃ!」
薄闇の中、その危機を真っ先に感知したのは御供 瞳(
jb6018)だった。
透き通った茶色の瞳が映すのは、唯一の光が閉ざされていく絶望的な光景。
『巨大シェルター』という名の、暗闇と糞尿と不快臭にまみれた監獄からの唯一の出口が、
閉ざされようとしているのだ。
撃退士らの討つべき敵は、シェルターの外にいる。
「警戒していたつもりが出し抜かれたか……!」
「とにかく走れ。これはまずいぞ!」
リョウ(
ja0563)と藤村 蓮(
jb2813)の叫びが、トンネル状の屋内に反響する。
しかし、瞳を次の行動へと突き動かしたのは、そんな仲間達の警句ではなかった。
『――……』
物理的な音はなく、それでも確かに、瞳の耳には確実に届いた声。
「旦那さまぁ!」
瞳は、喜んでその声に応えた。
しかし周りからは突如として素っ頓狂な言葉を出したように見えたらしい。
全員が走り出そうとしていた足を止めて、ギョッとして振り返る。
それで正しかった。
瞳が無意識下で組み上げた印は炎を生み出し、驚く全員の顔を照らしながら前方へと放たれる。
それは何も無い闇の空間を焼いて――潜んでいた敵を吹っ飛ばした。
撃退士の行く手を遮るために、小猿型のディアボロが潜伏していたのだ。
もはや隠れる必要なしと判断したのか、わらわらと出てくる出てくる。
天井付近からは、コウモリ型まで姿を見せた。
そしてこうしている間にも、光は消えていく……。
●
敵の群れを突破し、尚且つ、400m以上も先にある出口へと迅速に到達せねばならない。
残された時間は、30秒あれば良い方だろう。
「ハッ。姑息なことやってくれるやないか。上等やで」
ゼロ=シュバイツァー(
jb7501)は僅かに腰を落とし、脚の筋肉を撓め始める。
さながら限界まで引き絞られた弓が如く、キリ、キリ、と筋肉が軋んだ。
今から作戦を立案し、推敲する時間は無い。だが余計な言葉を重ねなくとも、頷き合うだけでよかった。
肝になるのは、ゼロと、ユウ(
jb5639)。出口にたどり着けるとしたら、二人のどちらかだけだろう。
ゼロは、ニィ、と口角を吊り上げる。
ユウも小さく微笑んだ。
「Are you ready?」
「えぇ。行きましょう」
●
――3秒。
加速の勢いを乗せて突き出されたリョウのセイクリッドスピアは、壁のように群れていた敵陣をぶち抜いた。
そのまま踏み込んだ足を軸足へと変えて、刺し貫いていたディアボロごと周囲を薙ぎ払う。
ディアボロの包囲網はその猛攻と勢いによって崩壊を始め、しかし、怒り狂った敵はリョウへと殺到した。
鋭い爪でリョウを引き裂かんと、小猿どもは奇声を上げて飛びかかる。
――7秒。
しかし、先陣を切った小猿の攻撃が到達することは無かった。
カウンターの勢いを乗せた拳が、顔面にめりこんだのだ。
「ヒュゥッ……」
長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)は鋭い呼気を吐き出す。その瞬間、打撃は黄金の光と共に急加速した。
腰の捻りを加えつつ、振り抜かれる拳。黄金色に輝いたそれは薄闇に軌跡を残し、ディアボロを吹っ飛ばした。
どれほどの勢いが込められていたのか、壁に叩きつけられた一体の頭部は完全に破壊されており、
飛び出した眼球と脳漿に汚れ、痙攣するのみだ。
――11秒。
「足を止めるな、間に合わなくなるぞ!」
「ルークを通すために、ナイトはサクリファイスされましょう!」
仲間達の声を背に聞きつつ、ゼロとユウは更に加速する。
しかし敵群の層は一つだけではない。未だ遠い光に到達するまでに、前方から、そして上方から、
幾度もディアボロは押し寄せてくるのだ。
「ここは任せろ!」
小太刀二刀・龍虎を携えた蓮は、躍り出る。
ゼロを狙おうとしていた小猿は突如として出現した新手に驚き、動きを止めた。それはあまりにも致命的だった。
蓮が振り降ろした一撃は小猿の顔面を切り裂き、返す刃でその喉を掻っ捌く。
血飛沫は天井近くにまで舞い、しかし、蓮はその血を被る前に二匹目へと肉迫していた。
その二匹目もまたゼロとユウを狙おうとしていたのだが、びくんっ、と身体を痙攣させる。
胸からは、蓮が背後より繰り出した刃が飛び出していた。
それでも尚、小猿は己の使命を果たそうとしたのか。
震える手を、傍を駆け抜けるユウに伸ばすも……蓮が刃に捻りを加えると同時に、力を失った。
――15秒。
トンネルの半分まで来た。
ふと。天井付近で、大量の小さな光点が幾つも出現する。
……いや、あれは全て、コウモリ型のディアボロだ。
それが轟風のような音を立てて、群れを成して襲来してくる。
「させませんよ……!」
僅かに上体を屈めたユウの背に、ばさっ、と帳が広がる。
ユウは一切のスピードを落とさぬまま地面を蹴り、宙を舞った。
ユウの指が、まるで琴を奏でるが如く、揺れる。
瞬間。コウモリ群の先頭集団が冗談のように細切れとなっていった。
その体液や肉片の付着で露わとなったのは、微細な糸――パイオンだ。
気付いたコウモリの後続は急制動をかけるも、もう遅い。
続けて闇を蹂躙したクレセントサイスが、コウモリの殆どを肉塊へと変えた。
降り注ぐ血肉を櫂潜り、ユウは飛ぶ。
――18秒。
光は、まさしくパイオンの糸が如く、細く儚く消えゆこうとしている。
「止まるわけには行かんからな!」
ゼロは叫び、そして一切の痛覚を身体から遮断した。
ハイリスクであり、しかし絶対的な効果を見せるスキル。死活である。
だが、敵の層はここに至ってより厚くなる。このディアボロらに如何ほどの知性があるかは不明だが、
捨て身で、死に物狂いで食い止めようとしてくるようだった。
――21秒。
「Oh! MOUREETU!! だっちゃ!」
ミント雲に乗った瞳によって、ぶわぁっ! と盛大な旋風が吹き荒れる。
小猿どもは転び、コウモリらは上手く飛行を続けられずにバランスを崩す。
ゼロは倒れた小猿を踏み越え、ユウは飛行進路上のコウモリを薙ぎ払い、突き進む。
もう少し。もう少し。
まだ光は差し込んでいる。十分に間に合う。
しかし。
――24秒
横合いから、ゼロの身に小猿が取りついてきた。
痛みを感じないとは言え、重心を無視する事はできない。
がくり、と一瞬だけ脚が曲がり、蹈鞴を踏む。
すぐさま小猿を打ち払うも、更に多くが飛びかかってきた。
――26秒
「私が道を作ります!」
声と共に、ゼロは前方へと突き飛ばされた。
視界の端で捉えたのは、我が身を賭したユウの行動だ。
――27秒
ゼロは前のめりにバランスを崩しながらも、歯を食いしばり、転ばなかった。
突き飛ばされた勢いのまま、踏み堪え、駆ける。
――28秒。
光が、消える。
必死に、手を伸ばす。
――29秒。
「う、おおおおおっ!」
――30秒。
ゼロの手は、扉に――
●
大猿型ディアボロは、口を歪めた。
強敵であり天敵でもある撃退士たちを、戦わずして封殺したのだ。
自らの賢さを自賛し、喜悦が広がってしまうのは仕方の無い事である。
あとは、そう。この扉を閉ざしてさえしまえば、全てはおしまいだ。
閉ざしてしまえ……ば?
おかしい、扉が閉まらない。
建て付けが悪いかのように、ちゃんと閉まらないのだ。
いや……それどころか、向こう側から押し返されてしまう。
ギィィ。
「よぅ」
僅かに開いた隙間から、『小麦肌の悪魔』が、笑いかけてきた。
大猿は、悲鳴を上げてしまった。
なぜ、どうして、なぜ!?
必勝の方程式ができあがっていたはずなのに!
「よーも、まぁ……つまらん事してくれたなぁ?」
そのまま、悪魔は扉を開こうとしている。しかし大猿も強引に閉じてしまおうと、全体重をかけた。
扉の向こう側で、悪魔が舌打ちするのが聞こえる。そう、単純な膂力なればこの大猿に敵うものはいない。
「シュバイツァーさん! 今の内にもう一度死活を!」
今度は女の声。がんっ、と向こう側から強い衝撃が伝わってきたかと思えば、開く力がより強くなる。
一人が二人になったと、大猿は気づいた。
それでも、それでもまだ! このまま押し切って、しまえばっ!
――そう思えたのも、この瞬間までだった。
まさしく、扉ドーン!
「だんなさまー」とかいう言葉と共に思いっきり開かれたのは突然のことで、大猿は顔面を強打し、
後方へと吹っ飛んでしまう。
大猿は背中から地面に叩きつけられ、びくっ、と硬直した。
男の悪魔と、女の悪魔と、黒肌の人間が、こちらを見下ろしていた。
●
「ふむ、先峰は上手くやってくれたようだ」
振り返った蓮は、差し込んでくる光に目を細めた。
彼はリョウと共にシェルター内で小型ディアボロと戦っており、入り口までは50メートル近い距離がある。
なので完全に扉が開かれたとしても薄暗いのはあまり変わらないのだが、それでも、空気が変わったのに気づいた。
良い空気だ。と。
「さて……」
蓮は、傍らに飛びずさって来たリョウと頷き合う。
「あぁ、仕事はまだ終わりじゃあない」
リョウは槍を一振りし、こびりついていた体液を払い落とす。
そしてその切っ先を足元の地に押し当てると、キィィィィ、と甲高い音を立てて横一直線を描いた。
「……俺は約束した。魂に刻んだ。――誰もが穏やかで安らげる日々を、と」
リョウはその線を踏み越えて、シェルターの入り口を背にする。
目の前には、未だ多数存在している小型ディアボロ群。
その殆どが傷を負っているが、その分、報復の血肉に飢えているようだった。
「この刻みし線は、俺の誓いの証。俺は決して退かないし、
お前達の一匹、指一本、血液一滴として、この線の向こう側へは行かせない」
果たして、ディアボロらにその言葉の意味が通じているのかはわからない。しかし――
「……俺はっ!」
ドンッ!
石突を下に、槍を力強く突き立てる。その勢いに、小型のディアボロ達は確実に動揺した。
「俺は壁だ! さぁ、来い! 20でも、100でも、幾らでも来るがいいっ!」
「まぁ、来なくても殲滅させてもらうけどな」
蓮はデッドラインをリョウに託し、得物を手に敵陣へと突っ込んだ。
注意と注目を殆どリョウに向けていたディアボロらは、蓮の攻撃に対して回避行動を取る間もない。
蓮が踊るように刃を振るうたびに血が飛び散り、死が生まれた。
今のこの状況。先ほどとは立場が逆転し、ディアボロらが追い詰められているのだ。
何せ後方は袋小路であり、逃げ場が無い。
かといって立ち向かおうにも勝てず、逃げようにもリョウがそれを許さない。
任務終了は時間の問題。
かと、思われた。
「……なんだ?」
蓮は、振り返る。
そしてすぐさま伏せた。
二人のすぐ頭上を掠めてすっ飛んで行ったのは、このシェルターの、入り口扉だった。
任務はまだ、終わっていない。
●
大猿が投げ飛ばした入り口扉を、三人は何とか回避する。
しかし、なかなか反撃に転じることができない。
脱出での強行突破で受けた負傷と疲弊が原因……というのもあるが、それ以前に、
この大猿はなかなかの強敵だったのだ。
「くっ、舐めくさりよってからに……」
そう悪態を漏らすゼロではあったが、実は彼が一番消耗している。
死活の影響は、それほどまでに大きかった。
そしてついに膝をついたゼロを、瞳とユウは背に庇う。
「ど、どうするだよ! こいつ、結構強いっちゃ!」
一方的に不利というわけではない。ジリジリと互いに削り合ってる状態だ。
撃退士が消耗しきるのが先か、仲間が駆けつけてくるのが先か。
――しかし大猿は、安全牌を選んだ。
大猿は突如として身を翻すと、逃げ出したのである。しかもよりにもよって町の方向だ。
「逃がしません!」
瞳のミント雲は既に切れている。
しかし、ユウは縮地一回分の体力が残っていた。彼女は瞳にゼロを託し、大猿を追う。
●
「お待ちなさい」
凛とした、それでいて気品のある声に、大猿は足を止めざるを得なかった。
その声を発した人物――みずほは、大猿の正面に立っていたのだから。
肩幅に広げた両足でしっかりと地を踏みしめ、両腕を組み、仁王立ち。
伏せ気味だった顔をゆっくりと上げて、大猿を正面から見据えた。
「あなたの相手は、このわたくしですわ」
組んでいた腕を解き、両手を握りこむと眼前に構える。
みずほの戦闘スタイル――ボクシングの構えだ。
「さあ、かかってらっしゃい……ませ!」
大猿は、吼えた。もはや目の前の敵を打ち倒さなければ、自らの未来がないと確信したのだろう。
逃げるつもりの無い者と、逃げたい者が、正面から激突する。
大猿の振りぬいた爪を低い姿勢で掻い潜り、みずほは左拳を突き上げる。
捻りを加えたそれは、しかし、分厚い毛皮によって衝撃を逃がされ、狙いがそれてしまった。
悔しがる間はない。踏み出した足を引いて半身を下げると、一瞬前まで体があった位置を豪風が蹂躙した。
まともに受けたら体がちぎれ飛んだだろう。
みずほは再び拳を繰り出そうと懐に潜り込むが、今度は大猿も許さなかった。
眼前に迫ったのは、膝。みずほは慌てて両腕をクロスさせるも、凄まじい衝撃がガードを突きぬけ、
体が地から離れる。それでもなんとか空中で体勢を立て直し、膝をつくに留めた。
しかし、既に、大猿は豪腕を振り上げている。
だが、みずほは突っ込んだ。
自棄になったわけではない。
ズパッ!
大猿の腕が、半ばで切断された。
「グッド・ムーブ! ユウさん!」
追いついたユウの、クレセントサイスだ。みずほの言葉にユウは微笑み、大猿は喚いた。
「これで――」
みずほは力強く一歩を踏み出し、今度こそ、的確に、標的の脇腹へと左フックを突き刺した。
強烈な苦痛は、一瞬、大猿の動きを完全に停止させる。
決まりだ。
みずほは大きく、右腕を後ろに引いたッ!
「チェックメイトですわ!」
大振りの、あまりにも大振りな右フック。それは、大猿の体に叩きつけられるッ!
めき、めぎ――ブチンッ!
大猿の上半身は、何の比喩でもなく、千切れた。
エグゼキューショナーブロウ。それは、死刑執行を意味する。
●
「私達がシェルターに入った時点で町に向かわれたとしたら、被害が出ていたかもしれません。
袋小路の施設に全員で入ってしまった私達の落ち度ですね」
ユウの言葉に、皆はどこか気の抜けた返事をするだけ。ユウもまた、すぐに大きくため息をつく。
とにかく、疲れたのだ。
「すごく走って、すごく戦って……もう、なんや。限界突破って感じやなぁ……。あいちちち……」
「そうだな。ふぅ……」
ゼロも疲弊しきっているし、リョウも最後までシェルター内で奮闘していた。もう、疲労の極地である。
同じように疲れ切っている蓮は、本当になんとなく、口にした。
「じゃ、報告書の題名。リミットブレイク、で良いんじゃないか?」
特に否定するものはおらず、結果、それが採用される事になった。
終