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蒸し暑く、薄暗い、深い山の森の中。
そこを歩く雨宮アカリ(
ja4010)の息は乱れ、頬から顎に汗の雫が伝った。
ライフルの銃把を握る手もだいぶ汗ばんでいて、何度も手の平の開閉を繰り返す。
それでも、色の薄い口元は弧を描いていた。
「サウナつきハイキングコースなんて、お得よねぇ。知り合いにも勧めてみようかしらぁ」
なんてジョークを呟くも、今現在、彼女はひとりである。周囲に人影は無い。
しかしすぐに返事はあった。
『あっはっはっ☆ それはいいね、増えすぎたアドレス帳の圧縮には便利だと思うよ♪』
アカリが耳につけている無線機から、である。
この声は、ジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)のものだろう。ノリの軽い感じに、
アカリも釣られて笑った。
「でしょぉ? まぁ強いて難を言うなら――」
言葉を切り、アカリは足を止めた。
僅かに腰を落とし、銃口を左右や上に向けながら、緊張感を孕む。
ガサ――
何か大きなものが動いている、そんな音。
しかし、油断なく周囲に目を馳せているが、視界になんらかの生物が映ることは無い。
ガサガサガサッ
音は確実に近づいてきている。
それもかなりのスピードだ。
アカリは大きく深呼吸をして――やはり、笑った。
「――難を言うなら、アドレスだけじゃなくて、物理的に消えちゃう可能性もあることかしらねぇ」
ハッと、顔を上げた。
アカリはすぐさま両脚を投げ出すようにして、仰向けに体を倒す。
すぐ鼻先に鋭い風が掠めたかと思えば、靡いた銀髪の毛先が刈り取られた。
僅かな木漏れ日に銀糸が反射し、輝く。
そして、銀色の帳の向こう側から――巨大なカマキリが降ってきた。
「くっ、ぁっ……!」
背中が地面に叩きつけられ、肺から空気が搾り出される。
視界が霞むも、こちらを跨ぐように着地した5mサイズのカマキリ相手に一息つく暇などない。
カマキリは二本の巨大な大鎌を振り上げ、振り降ろす。
アカリは辛うじてライフルで受け止めたが、しかし、斬撃の余波だけで腕や肩がズタズタに引き裂かれる。
飛び散った自らの血で頬と視界が朱に染まり、激痛に気を失ってしまいそうだ。
なんとか歯を食いしばって意識をつなぎ止め……、叫ぶ。
「コンタァァァァクト!!」
動きは、すぐにあった。
突如として周囲が甘ったるい香りに包まれたかと思えば、カマキリが再度鎌を振り上げた姿勢で動かなくなる。
しかし自分の意思では無いのか、身を捩っていた。
よくよくその両腕を見てみると、液体チョコレートのようなものにコーティングされている。
「アカリさん! 離れて!」
仲間の声に逆らわず、アカリは素早くうつ伏せに転がり、前方に身を投げ出した。
入れ替わるようにカマキリへ肉迫するのは、グラサージュ・ブリゼ(
jb9587)だ。
「姿なんて2度と隠させないもん!」
手に生み出していた、電撃の刃を叩きつける。激しい音と、衝撃風が辺りの草葉を揺らした。
しかし――
カマキリは平然と、その無機質な目でグラサージュを見下ろしていた。
そして両腕に絡みついていた拘束を呆気なく砕くと、鎌の切っ先をグラサージュへと向ける。
それが仲間を害する前に、アカリは引き金を引いた。
カマキリの甲殻で火花が生まれ、立て続けの銃声が重なる。
やはりカマキリは痒そうにしている程度だったものの、その僅かな隙でグラサージュは後退した。
「……さて、ここは通さないよ☆」
再びの軽い声。しかし今度は、肉声だ。
いつの間にかカマキリの懐に潜り込んでいたジェラルドが、体を回転させる。
握っているのは大斧だ。地面に刃を擦らせながら、回転運動の勢いを乗せて――
「見えてるんだよねぇ♪ きみの全てが☆」
カチ上げる。
重い一撃は、カマキリの脚の間接部に食い込んだ。
甲殻がひしゃげ、黄土色の体液が噴き出し、カマキリが耳障りな絶叫をあげる。
しかし、切断はできない。
「かったいなぁ、手が痺れちゃったよ☆」
ジャラルドはため息を漏らしてから、肩越しに背後へ手を振った。
「んじゃま、追撃ヨロ♪」
「おう!」
ジェラルドの頭上を跳んだ漆黒の影は、ゼロ=シュバイツァー(
jb7501)である。
ゼロは得物である大鎌に、超低温のアウルを収束させて、振り抜いた。
「いくでぇ! 漆黒ノ冷気ヨ、黒キ夢ヘト誘イタマエ!」
カマキリは黒氷粒の刃に甲殻を削り取られ、更にその身に貼り付いた氷で動きが鈍る。
ゼロはニヤリと笑い、返す刃でカマキリの首元を狙った。
「獲っ――」
ガギンッ!
ゼロは息を呑む。
ゼロの刃と、カマキリの鎌が、噛み合っていた。
カマキリはこの僅か数瞬の間で氷を振り解き、守勢に転じたのである。
が、そのカマキリの体が、ぐらりと大きく傾く。
横っ腹に、雷撃が叩きつけられたのだ。
「――Der Schatten aus der Zeit……」
エヴァ・グライナー(
ja0784)は手に稲妻を収束させていき、それはまるで数世代前のカメラを思わせる形と成る。
「大いなる旧支配者の力、喰らいなさい!」
そして、雷撃を放った。
ところが――カマキリは素早く体勢を立て直すと、鎌のたった一振りで雷撃は掻き消してしまう。
エヴァは目を見開き、それでも動揺を押し殺して身構えた。
「こいつ、なにも通用しないの?」
「拘束を越える膂力、多少の攻撃は通さぬ硬い甲殻、強烈な攻撃にも対処できる素早さ。
単純に、そういうことだろう」
戦斧を肩に担ぐファーフナー(
jb7826)はエヴァの傍らに並び、冷静に言葉を続ける。
「ならば対処も単純だ。膂力、硬さ、素早さ、奴が信頼しきっているいずれかを一つでも崩せばいい」
「簡単と単純は同じじゃないのよ」
「出来なければ、死ぬだけだ」
と。
突風が、場を掻き乱した。
全員の視界が一時的に塞がれた、その隙に――
カマキリの姿は、消失していた。
逃げたわけでは無い。気配だけは確実に感じるが、どこにも見当たらない。
「いやぁ、びっくり戦闘力のわがままインフレ盛りだね☆」
「アホなこと言うとる場合かジェラやん!」
ガサ、ガサガサ。
音は聞こえる、しかし具体的な場所がわからない。
「ったく……。まだ面倒な仕事も残ってるっちゅーのに、こいつ一匹倒すことも――」
「ゼロさん!」
グラサージュの悲鳴じみた声に、ゼロは振り返る。
しかし既に、切っ先は目の前に迫っていた。
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戦闘開始より数時間前。
村の中にて。
エヴァは、村人の少女ヒナの顔面に、アイスクリームをぶつけた。
「あ、だ、大丈夫っ!?」
慌てて抱き起こし、その顔をハンカチで拭ってあげる。
しかし――
ヒナはにこにこしていて、美味しそうに口周りや手にベトつくアイスを舐めとっていた。
曰く、甘いもの大好きらしい。
エヴァは苦笑いと申し訳なさで珍妙な表情になりつつも、本来の目的を実行する。
ヒナの額に指を添えて、その記憶に探りを入れた。
情報が流れ込んでくる。
ヒナは外来者達全員に、『宝物』のことを話していること。
それだけで、村の老人たちに褒められ、甘いものを食べさせてもらえること。
逆に出来なかったときは、食料抜きのお仕置きを受けてしまうこと。
「……なるほど」
やはり、村人たちは何かしらを隠している。
ここは彼女の姉と思われるユウから、もっと詳しい事情を聞かねばならない。
そう思って、エヴァが振り返ると、
「あ、ユウちゃんって私と同年代くらいなんだー。えへへ、なんだか親しみわいちゃうなぁ。
ねぇねぇ、ヒナちゃんはユウちゃんの妹さん? かーわいいねー♪」
グラサージュの猛プッシュに、困惑しているユウがいた。
しかし、そこまで嫌そうではない気がする。
……なんて思っていると、ヒナの額に当てたままだった指から、新たな情報が流れ込んできた。
どうやら、このふたりは元々この村の人間ではないらしい。
外から来た人間だが、両親が『いつの間にか何処かにいってしまい』、
不幸にも他に身よりや親戚もなかった彼女達は村に住まうことになったようだ。
――との旨を、グラサージュもユウからぽつぽつと聞いたようで、
「……ユウちゃん!」
ひしっ、と。
グラサージュは、ユウの手を両手で包み込んだ。
「決めた! 私の依頼人はユウちゃんだよ!
信じてるって言ってくれてありがとう! 後は任せて!」
ユウはポカンとしていたが、反射的にかコクコクと首を縦に振っていた。
どこか変なやり取りに、エヴァはぽりぽりと頭を掻く。まぁ、味方が増えるのはいいことか。
ふと。エヴァはインベントリをごそごそと漁って、
「あぁ、そうそう。これ、お詫びってことで……」
ケーキの入った白い箱を、ヒナへと渡した。
ヒナは大喜びでそれを受け取り、大事そうに両腕で抱え込む。
「ユウと仲良く食べるのよ?
私達はそろそろ出発するから、帰ったら味の感想を聞かせてちょうだいね」
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森に、雨が降る。
枝葉を伝い、雫となって地に落ちる。
そして――斃れて動かなくなった、ゼロの体を濡らした。
――死んでるな?
――裏切り者が出たと聞いたときは焦ったが、これで解決だな。
――他の五人はどうした。
――逃げたか、別の場所で転がってるか。
――近くにいるなら探せ。弱っているなら殺せ。撃退士の血肉は、普通の倍近い値段がつく。
――あの服は俺が貰うよ。村で見かけたときから狙ってたんだ。
ゆっくりと姿を現すのは、人間たち。村人たちだ。
手には猟銃や鉈を持っており、狩猟装束である。
村人――狩人は、ゼロの体へと手を伸ばす。
――it’s a hell of a good day to die.aren’t you?
動きが、止まる。
その軽薄な声は、狩人達のものではなかった。
「死ぬには良い日だ。そうだろ?☆」
狩人は、飛び上がった。
撃退士のひとり、ジェラルドが木にもたれかかって、愉しそうな笑みを浮かべている。
更に……、
「全部見させてもらっちゃったぴょん♪」
兎が耳元で囁いただけで、狩人は悲鳴をあげる。
厳密に言えば、ウサちゃんドールを持ったグラサージュなのだが。
「あ、ゼロ、もういいよー☆」
狩人にとって、三回目の驚愕だった。
死体と思っていた人物が、のっそりと身を起こしたのだから。
「人間ってのはどうしてこうも……つまらん、つまらんわ自分ら」
狩人たちは、未だに事態を飲み込めていないようだった。
しかし、カマキリの引きちぎれた脚を放り投げられ、ようやく理解したようである。
「マーキング弾って便利よねぇ。どれだけ気配を殺そうと、すぐに察知できちゃうんだもの」
ぱんぱんと手を払ったアカリは、艶やかな笑顔を見せた。
「まぁ、何事も欲張り過ぎちゃだめよねぇ。
カマキリちゃんだって、あんな強いのに、そこに透明化能力なんて持っちゃったから……。
油断してるとこに、バーン、ってね」
からかうように、親指と人差し指を銃に見立て、撃った。
「ジェラルドが傷つけたところを狙撃して、その脚、吹っ飛ばしちゃったわぁ。
欲張りすぎると、それだけボロも出ちゃうもんよねぇ?」
そう、欲張りすぎて撃退士すら狩ろうとした狩人に、告げる。
狩人たちは諦めたのか、得物を地に捨てて、膝をついた。
これで、無事解決である。
――このときは、そう思っていた。
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潰れて、中身が飛び散っているケーキの箱が落ちていた。
「え……?」
エヴァがそれを見つけたのは、ヒナたちと最後に出会った場所だった。
あのヒナが、ケーキをこのように扱うはずはない。
エヴァは無線で仲間に連絡を取ってから、駆け足になった。
向かう先は――村長の家だ。
しかし踏み込んだところで、足を止める。
縛られて気を失っているヒナと、同じく縛られ、しかし意識を保ったまま横倒しになっているユウがいた。
体は踏みつけられ、側頭部には猟銃を押しつけられている。
それを成しているのは、村長そのひとだ。
村長はエヴァに気付くと、更に平静ではいられなくなったようだ。
意味を成さない言葉を撒き散らし、引き金にかかる指の力が強くなる。
「人狩りが、今度は子供にまで手を出すか」
それはエヴァの声ではない。
同じく先行して村に戻っていたファーフナーだった。
彼はゆったりとエヴァを追い越し、村長へと近づいていく。
「宿泊客が訪れるのを待つのじゃ、我慢できなくなったんだろう?
だから、今度は自分から撃退士を呼ぶ込むことにした。
撃退士が被害にあった前例もあるようだから、俺達も返り討ちにあると踏んだか。
――子供だけではなく、ディアボロすらも餌に使うとは……とことん醜い」
村長はユウから、ファーフナーへと銃口を移動させる。
ファーフナーは動揺すること無く、しかし、その銃口が胸板に触れた辺りで足を止めた。
「……正義を気取るつもりはない。俺はただ、仕事を全うするだけだ」
ならば、と。村長は唾を飛ばして言葉を返してくる。
仕事はディアボロを討伐することであり、この村の事情は関係ないだろう、と。
「……かも知れんな、だが――」
ファーフナーは、深く吐息を漏らす。
「その仕事は既に完了している」
途端。
村長の両腕が、甘ったるい茶色の液体で拘束されていく。
事態が動いた事に気付いたエヴァが、ファーフナーの肩越しに、加減した火球を放った。
村長は悲鳴を上げて後方へと吹っ飛び、壁に背中から叩きつけられる。
「ユウちゃん!」
駆け込んできたのは、グラサージュだった。
全身を汗と雨で濡らし、それでも、横倒しになっていたユウを抱き起こす。抱きしめる。
「よかった、本当によかったぁ……」
ファーフナーはそれを横目にしてから、村長が取り落としていた猟銃を拾い上げる。
銃口を、尻餅をついたままの村長の口にねじ込んだ。
「俺は、己の仕事を全うするのみ。今の俺の依頼人は――」
引き金に、指を掛ける。
村長が声にならぬ悲鳴をあげて、首を横に振る。
しかしファーフナーの表情や声に、変化は無い。
「――この子らだ」
○
「どうにも、ここまで出来すぎた事があると……。
村人の悪意とか、欲とか、偶然じゃ片付かないような気がするんだよねぇ☆」
村長を含めた村人全員の逮捕と、少女らの保護か完了した後。
帰り道の山道にて、一番後ろを歩くジェラルドは小さくぼやいた。
隣にいたゼロは、怪訝に首を傾げる。
――そして、弾かれたように振り返った。
「……なんや、お前」
ジェラルドはゆっくりとゼロに倣って立ち止まり、笑みを深める。
「ああ、キミが?」
そこには女が立っていた。
――幸せですか? 人間さま。
言葉を返すのは、ジェラルドだ。
「ボクは、今のところ間に合ってるよ♪」
すると女は、金色の目を細め、にっこりと笑った。
――それなら、よかった。
皆さまにハピネスがありますように。
直後。
景色に溶けるように、女は消えた。
終