●process
部室に据え置かれたソファに窮屈そうに長身を沈める男がいた。
ミハイル・エッカート(
jb0544)だ。男はトレンチコートを毛布代わりに、染み込む冷気に身を任せている。
――学生の声が遠くから響く。
『日常』の気配に男は小さく笑みを浮かべ、ゆっくりと瞼を下ろした。
―・―
端末が鳴る。
飛び起きてそれを手にとり…刻まれた文言に、俺は言葉を失った。
『■■■を暗殺せよ』
数多の反駁が胸に積もった。無理だ。ありえない。此処では会社の理屈も俺達の世界の常識も通用しないというのに。
なのに――辞令は、学園の要人の暗殺。
ぎし、と。硬い音が部室に響いた。重い寂寞に、息を吐く。この反駁が全て己の感傷から立つものだと、冷徹に把握している俺自身を痛烈に感じた。
再び、息を吐く。
――楽しかったんだぜ。本当に。
コトバは、紛れも無く本心で。
――心の底からこんなに笑って、馬鹿やって。
だからこそ、この部屋に独りでいることが、苦い。
俺は誰かを。何かを、待っていた。
しかし、同時に諦観を抱いてもいた。何故か。
視線を上げる。
――そこに、物言わぬ亡者達の姿があった。俺自身が手にかけた肉の塊。愛した女もそこにいる。
彼らが、俺を縛る。
「…俺、行かないと」
亡者の気配に焦がされるように、零す。
望んだ誰かは、ついぞ現れなかった。
●
感傷故か。あと一押しで仕事は果たせた筈なのに、失敗した。
会社には早々に切り捨てられた。応援は無い。だが、死ぬわけにはいかない。
――遠くから聞こえた友人達の声が、鮮烈に耳に残っていたから。
生きたいと、此程までに焦がれた事はなかった。追手の気配を感じながら、なりふり構わず、走る。
追手の足は、速い。
じきに逃げ切れないと確信した。
撃つか。生きる為だ。
――彼処に、帰るためだ。
殺そう。殺して、逃げ延びる。
振り向き、銃口を向けた。
だが。
ここは学園で。
追手は、つまり。
「…皆、戻れなくて、ごめんな」
撃てるはずがなかった。
――楽しい夢だった。
ありがとう。
最後に、そう思った。
●
「え? 本当に、何も無い? …そうか」
困惑気な声を無視して電話を切った。アレが本当に夢だったのだと漸く確信できて、徒労感と深く重い感傷がぐるぐると回り始めた。その感傷のまま、舌打ちを零す。
「――こっちが夢なんて嫌なオチは遠慮するぜ」
言葉はやけに胸の内をくすぐって、消えた。
●with you
「私が見るのはきっと、悪夢でしょうね」
「どうしてそう思うんで?」
「…何度も何度も、見てきましたから」
女――光坂 るりか(
jb5577)が、そう言った。声の端には震えがある。微睡みながらも何かに怯えるように。眠りを、拒むように。
「夢を見て、目が覚めるといつも悲しくて、苦しくて、どうしようもなくなるんです」
「へぇ。そりゃまたどうして」
「…それが、夢だから」
―・―
眠りを得る浮遊感に包まれながら、ぞわぞわと背筋を這い上がるのは、紛れも無く恐れだった。
“必ず、夢をみる”
本当か嘘かなんて解らない。ただ、その言葉が怖かった。
理由は、解っている。
愛する夫と、我が子を失った。
もうずっと前のことなのに、その光景は深く私の裡に刻まれていて、今でも鮮明に思い出せる。
何度も、何度も、夢に見た。
二人を亡くしたあの時のことを、夢に見た。
忘れるな、と。心が悲鳴を上げているような夢だった。
叶わぬ日々を、夢に見た。
二人がいて、私がいて。溶けるほどに幸せな夢だった。
でも、目が覚めたら全て取り上げられてしまう。
残るのはただ、私は独りだという冷たい現実だけ――それはまさしく、悪夢に他ならなかった。
●
ふわり、と。風が吹き込んだ。
飛び込んできたのは鮮烈な緑と、草々の香り、葉擦れの音。夏色の陽射しを和らげる風が心地良い。
今日の夢は、Ifの方ね、と。そう思った。
子ども達の楽しげな声が、遠くから響く。
声の方を振り向くと…生きていれば、私の子と同じくらいの歳の子達が、この大自然を小さな体いっぱいに受け止めて、幸せそうに笑い合っている。
――心が自然と、軽くなる。
その子達は私に気づくと我先にと駆け寄ってきた。手を振って、子供達を迎える。
「るりかお姉さんっ」
戦果を掲げる子たちのその笑顔を、私は知っていた。
――ああ、そうだ。
学園で出会った愛すべき子達。私を、悪夢から救い出した子達の笑顔だった。
――この子達と出会ってから、もう長い間、悪夢を見ていない。
夏風が私の心を叩くように強く吹いた。風から子供達を庇うように抱き寄せると、確かな熱を感じた。私の裡を温める、優しい熱。
「ね、皆さん」
「なにー?」
いつまでそうしていたか、解らない。
夢の終わりに、喚起されたこの感情を言葉にしようと、そう思った。
「……ありがとう、ございます」
●neighbor
少年、キイ・ローランド(
jb5908)は細身の体をゆるりと伸ばし眠りに落ちる。暫し後、寝息を聞きながら、悪魔は訝しげな顔を少年へ向けた。
「おや。これはまた風変わりな」
少年は声に気づかぬまま、眠り続ける。
―・―
完全な静寂が自分を包んでいた。
自分の息吹も、鼓動も感じない。セカイは白色に塗り潰されていて、ただ、そのことを知覚する『自分』だけがいる。
ふと。辺りが、ぼんやりと青く照らされた。
知覚すると同時、目の前に立つ一人の青年に気付いた。
その理解を待っていたのか。自分を見つめる目の前の青年は――どこか懐かしい笑みを、浮かべた。
ふわりと、やわらかな笑みを。
自分は多分、目の前の青年を知っている。
「君は誰?」
「さぁ、誰だと思う?」
問いに、彼は答えなかった。
どれだけ自問しても、知っている筈なのに、答えは出ない。
彼の名前も、顔も、声も…知らない。
こんなにも、懐かしいのに。
気づけば。
テーブルと2つのチェアが据えられていて、自分達は向い合って座っていた。
からり、と。手にしたグラスの中で氷が鳴った。瑞々しいオレンジの香りが届く。青年の手には珈琲カップ。
「エスプレッソだよ」
青年がそう言った。
「苦くないの?」
聞くと、青年はまた笑みを浮かべた。
「いつか、この良さが解るよ。飲んでみるかい?」
丁重にお断りしつつ、また尋ねた。
「君は、誰?」
「…『俺』は」
からり、と。氷が鳴った。
瞬後。
目まぐるしく、セカイが、廻った。
万華鏡のように、きらきらと、ぐるぐると。
分割された景色の中で、ソレを見た。
古ぼけた町並み。平穏なその中で、子供の頃の青年が笑っていた。
死屍累々の戦場。そのただ中で、血塗れの青年が吠えていた。
新緑の密林。紅に染まる砂漠。碧々とした果ての無い空。老人となった青年が、旅をしていた。
知らない筈の景色が巡っていた。その全てに、彼が居た。
「ねぇ。君は、誰?」
言うと、それらはグシャグシャと潰れはじめ、砂嵐になって、引き伸ばされ……。
「――だよ。君の隣人かな」
青年の返答と同時に、全てが白と青に戻った。
名前は、聞こえなかった。
「どうやら、お別れの時間みたいだ」
唐突に青年が言った。遠くを見ている。
自分とは違う道を往くのだと、解った。
「……また、会える?」
別れの予感に、そう呟くと。
「君が望めばね」
見覚えのある笑顔で、青年はそう言うのだった。
●all you need
突然だが。
黒羽 拓海(
jb7256)には元従妹の義妹がいる。
同時に。彼には幼馴染がいる。愛する幼馴染が。
重ねて述べよう。これは飽くまでも彼が見た夢の話だ。
大切な者を失えずに、選べずに。それでも幸せを得るとしたら――恐らく、こんな夢になる。
―・―
最初に視界に飛び込んできたのは古びた木目。すぐにそれが喫茶店のカウンターだと気付く。俺はカウンターの内側に立ち、器を磨いていた。見渡せば、手狭ながらも整えられた店内が目に入る。
「こら。珍しくお客さんがいないからってだらけないの」
否。どうやら俺は、磨く手を止めて呆けていたようだ。視線を向けると幼馴染と目が合った。彼女は箒を手にしており、店内の清掃に励んでいる。
「居眠りなんて珍しいですね」
笑みを含んだ声が店内に響いた。義妹の声だ。
「具合でも悪いんですか? 拓海」
「寝てないし、具合も悪くない。大丈夫だ」
二人とも俺が知っている姿よりも少し大人びているように見え、気恥ずかしさを覚えた。恥じらいをごまかすように、眼前のサイフォンにハロゲン光を透す。
湯よ、早く湧け。
念じながら豆を挽く。手が動き始めれば、自然と気恥ずかしさは消えていた。
中細挽きにした豆を使い、3人分の珈琲を淹れる。
客はまだ居ない。暫くはこの時間を楽しんでもいいだろう。
「平和っていいよね。こうして呑気にお茶してられるし」
「そうですね、拓海が無茶をする心配もありませんし」
「…そう、だな」
義妹の言葉に含まれた刺に苦笑しながらそう返し、淹れたての珈琲の香りと苦味を味わいながら、矛先を変えるべく視線を巡らせると。
一枚の写真が、目に入った。
ウェディングドレスを着た『二人』と、その真中で仏頂面の自分。俺達を囲む友人達は笑顔だった。
「ああ。この時は大変でしたね」
「そうだね。どっちが先に誓いのキスをするかで揉めたり…」
「あ、アレはその…!」
はしゃぐ二人の声が、耳に心地よい。いつまでもこうしていたいと思わせる、緩やかな一時。
そうして、二人は笑って…。
●
『ありがとう。私は今、幸せだよ』
『ありがとうございます。私は今、幸せですよ』
「――っ」
目が冷めて、夢だと気付いて、その意味に気付いて、思わず唸った。
だが、この暖かな気持ちは――。
観念して、呟いた。
「…こんな未来も、悪くない」
――護りたいのは。
自分が剣を振るうのは、この為だ。
そう思えたから。
●forget me not
透き通る金砂の髪。その美貌が彫像めいた印象を抱かせるのは、彼女の表情が取り繕われているからかもしれない。
縷々川 ノエル(
jb8666)。
「夢は現実の投影であり、現実は夢の投影である……なんて、どこかの学者は言っていたかしら」
黒いロングコートに包まれた細い身体を掻き抱き、息を吐く。
――いいわ、やってみましょう。
そう呟いた。
―・―
眠りに落ちていく。
意識が緩やかに沈んでいく中で、私は。
…どこかで、安らぎを感じていた。
こうして私は夢を見る。
最初の記憶を。
●
欠けていたものを、夢に見た。
――温もりだ。
大きなものに包まれて――私は、笑っている。
きらきらと、金色の髪が揺れるのがキレイだった。同じ色の瞳が柔らかく細められていて、暖かだった。
『彼女』も私を抱いて、本当に嬉しそうに笑っていた。
本当に、暖かった。
だから、私は彼女を離さないようにその手を、指を、掴んだのだ。
彼女は眉根を寄せた。はたはたと透明な雫が溢れ、私の顔を濡らす。
いつしか手は、私の顔に添えられていた。
顔を、髪を撫でる手は優しかった。でも。
『ごめんね』
多分彼女は、そう言った。
そうして彼女は私に背を向けると、遠くへと歩いて行った。
広げられた翼。ひらひらと舞う、幾重もの羽根。
――母の、夢だった。
●
目覚めは、唐突に訪れた。
「あー……」
息を整えながら、視界に流れてきた金髪を、思わず手で弄ぶ。
何処かに行ってしまった、母親の夢だった。
…母親のことは覚えていない。ただ、聞いただけだ。天使みたいな人だったと。
随分後になって、彼女が堕天使だと知った。
昔から、天使への憧れがあった。憧憬は、母の影を求めたからかもしれない…とは。
「…薄々、思って、いた、けれど」
深く深く、息を吐いた。
「…夢は現実の投影で、現実は夢の投影、なら」
私は、母親に、会いたいのだろう。
…そして。
――会って、また、こんな風に甘えたい。
何よりも先に、何よりも強く、そう思った。
思って、しまった。
しゃらしゃらと手触りの良い髪が揺れた。母と同じ、金色の髪が。
嘆息が、足元に落ちる。
私自身を見つめなおすには――些か以上に、感情が波立ち過ぎた。
「…『漆黒の堕天使』も、腑抜けたものね…」
そうして私は、もう一度深く、溜息をついたのだった。
●beyond the sea
「変わった商売があるもんだな」
「や、お客人。銭は受け取ってませんぜ」
そんなやりとりに、佐々部 万碧(
jb8894)は漠然と疑念を覚えた、が。
――あまり、深くは関わらないでおこう。
タダより高いものは無い。しかし、追求するのは性に合わない。我関せずと眠りに落ちようとした、その時に。
「…お客人は何だか、懐かしい香りがするねぇ」
声が、した。追求する前に、眠りが訪れる。
―・―
さわさわと、波の音。ゆるやかに俺を包む、潮の香り。
陽は落ちて、辺りには凛とした冷気が満ちている。夜天には、光。
辺りには誰もいない。
俺が、一番好きな風景だった。
人の視線が無いのがとにかく気楽だった。
自分の生まれも、自分のこの眼も気にしないで済む。
幼少期から転校を繰り返して生きてきた。
母が、悪魔だったからだ。受け継いだ力が、そうさせた。
『異質なものを排除・敬遠するのは生物として当然の行動だ』
幼い頃から、父はそう言って俺を諭した。母が死んでからも、ずっと。
仲の良い夫婦だったと思う。母を亡くして、誰よりも苦しんでいたであろう父が。
恨むな、と。そう言っていた。
…多分、俺のために。
波の音が響く。心地よい孤独を乗せて。
海の向こう。遥か遠くから、茫と、人の営みを感じさせる光が届いた。
――学園に来てから、『海』にこの光が混じるようになった。
間には変わらずに横たわる海。それが、何故だろう。こんなにも、安堵を抱かせる。
この『海』もまた、俺を拒んでいる。俺は、この海には入れない。触れられない。
だからだろう。波打ち際の、触れそうで触れないこの距離を必然だと感じ――あれは、俺には届かない光だ。そう思わせてくれる。
「…俺だって、排除、敬遠をしている」
そう、自覚している。理解している。この距離を望んでいるのは他ならぬ俺自身なのだから。
憎まないために。当たり前だと、受け入れるために。
「だったら、何故」
言葉が零れた。
何故、俺は此処に立って、あの光を眺めているのだろう。
……あの光の中に、何を見ているのだろう。
手を伸ばした。光を、覆う為だ。
じわりと、右手の輪郭が滲む。それほどまでに儚い光なのにやけに眩しく感じられて、眼を瞑る。
『海』ごと、この光景を、拒むように。
……強く。
右目が、やけに疼いた。
痛みごと手で押さえつけるようにして、荒く息を吐く。
生物は異質を拒む。父はその言葉に何を籠めた?
――俺が異質な限り、あの光には届かない。この海を、越えられない。
それが何故か、酷く、苦かった。