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鈴代 征治(
ja1305)は勢いよく教室の扉を開け放った。バン、と派手な音が響く。
「動くな! 撃退士だ!」
すかさず気迫を込めた声を教室内に叩き込む。中学生達はギクリと動かなくなり――
殺人鬼は視線すら動かさず、一切の躊躇もなくナイフを振り下ろした。
「ちょっ!」
あわや首を刎ねる寸前、輝く翼が中学生を包み込む。ナイフが翼に食い込み、生徒には傷一つない。
「……っつぅ」
代わりに森田良助(
ja9460)の肩口から血が滲む。全力の一撃だった。とっさに庇ったものの、それこそ天魔相手に振るうような威力だ。――相手は一般人だというのに。
殺人鬼は舌打ちした。そしてすぐさま手に持ったナイフを手近な生徒に投げ、
「だから動くなって!」
それも庇護の翼で受け止め、良助の右足に軽い傷が出来る。掠り傷だ。確かに一般人に使う威力ではないが、同時に覚醒者としては未熟であることも感じ取れた。
「……随分派手にやるじゃないか」
ともあれ次の行動に移らせてはいけない。ファーフナー(
jb7826)はほとんど恫喝のような低い声で殺人鬼に声をかける。殺人鬼の昏い瞳が撃退士に向く。いつ弾けてもおかしくない、凍てついた瞳だった。
「僕らに直接攻撃してきなよ。もしかして怖いとか?」
良助は怯まず、煽るように言う。
「そんなことないよねぇ?」
とにかく興味を自分たちに引きつけないといけない。良助は小学生の外見だ。いくらなんでも子供に挑発されて苛立たないはずが、
「――怖いですよ」
予想外の答えが、返ってきた。
「怖いに決まってるじゃないですか。かよわい女の子が一対四で、しかもライフルで狙われてるんですよ?」
青空・アルベール(
ja0732)は、ぐ、と声を詰まらせた。確かに銃器を向けられて心穏やかでいられるかと聞かれれば、そんなことはないだろう。現状、黒板側の扉に征治とアルベール、後ろの扉に良助とファーフナー、つまり男四人が追い詰めている。確かに字面にすれば碌でもない状況だった。
しかし狙われている側が両手を血に汚していては、そんな『当たり前』はどこまでも噛み合わず、
「つか、仕事してくださいよ。撃退士でしょ。人の掃除の邪魔するのがお仕事ですか? 違うでしょ?」
さも当然のように、そんなことを口にする。
「……掃除じゃないよ、君のやっていることは」
ぎり、と奥歯を鳴らしながら、アルベールは照準を定める。狙いはナイフを持っている腕。青白いマーカーが浮かび上がり、
殺人鬼は、首を傾げた。
「あれ、害虫駆除のこと掃除って言いません? おかしいな、うちではそう言ってたんだけど」
ローカルルールなのかな、と独りごちる。まるで日常会話のような、暢気な声だった。
「だから、君のそれは、人を」
「え? やだな、ここにいる人間は私とあなたたちだけですよ。だから言ってるじゃないですか、掃除だって。殺人なんてそんな、滅相もない」
――こんなのって。
アルベールの胸中に暗澹たるものが降り積もる。撃ち殺しに来たわけではない。むしろ助けに来た。復讐では何も救われない。そう言いたかった。
だというのに、とりつく島がまるでない。
『……ダメだ。話は通じない』
征治は小声を無線機のマイクへ落とす。イヤホン越しに、全員小さく頷いた。
――説得は通じない。事前情報通りだが、それでもいざ目の当たりにするとおぞましいものがある。
信じがたいが、コイツは本当に『生徒を害虫か何かだと認識』している。『殺しても構わない、いや、駆除すべきもの』として捉えているようだった。
『吹っ切れている』と女性教諭は言った。――少なくともこの場において、この殺人鬼は自身の行いに何ら恥ずべきところがないらしい。
無線機から聞こえてきた歯ぎしりは誰のものだったか。誰のものでも構わない。思うところは恐らく一緒で、
「そうだ。邪魔するくらいなら手伝ってくれません? えっと大体二十匹残ってるから、一人頭、」
「――もういいのだ!」
たまらず発砲した。殺人鬼の振り上げたナイフに、ライフルの弾が着弾する。ナイフが吹き飛び、その手と指があらぬ方向に捻れる。――覚醒者としては、本当に未熟。
視線がアルベールに向く。その瞬間、ファーフナーが駆けた。机の上を韋駄天の如く走り抜けたかと思うと、周囲の気温ががくっと下がった。
「――あ?」
殺人鬼がよろめいて膝を突く。生徒が怯えたように悲鳴を上げる。
『氷の夜想曲』。あらかじめ用意していた作戦の一つだった。
殺人鬼が膝を突く。この魔法は追加で催眠効果を叩き込む。出来れば生徒ごと眠らせてしまいたかったのだが、一般人をノーダメージで済ませられる保証がなかったので諦めた。
――仮に。生徒の目の前でコイツを血祭りに上げた場合、彼らにどういう印象を与えるか――想像した瞬間、ファーフナーの背筋に寒気が走った。
「保護!」
征治が一喝する。すぐさまアルベールと良助は、生徒達を殺人鬼から引き離しにかかる。
「助けに来たのだ」
アルベールはつとめてにこやかに、笑顔を作った。
「大丈夫、僕たちが守るから」
良助もそれに倣う。大丈夫、自分たちは味方だから。もう安心して。
二人はそう笑うと、腰の抜けてしまっている中学生たちの手を取って、
「ぎ、い、いいいい――――!」
殺人鬼が、吼えた。
「邪魔、すん、な――――!」
彼女は捻れた自分の手を、もう片方の手でさらにねじ曲げ、激痛で眠気を叩き伏せながら
「劣等種(ムシ)ども、人間様の手を患わせるんじゃ」
修羅の如き形相で、血涙を流し、
「――ない!」
吼えた。
その瞬間、刷り込まれていた恐怖が爆発する。生徒達は三々五々、目を血走らせて走り出し、
「……虫が人間に劣るとは、随分と驕った価値観だ。虫のお陰で摂理は成り立つというのに」
がしゃん、と窓ガラスが割れた。次いで、明るい翼を持つ影が滑り込んでくる。
花見月 レギ(
ja9841)はすかさず裂帛の気迫を教室中に叩き込んだ。生徒達は再びその場でへたり込む。
「……ハンムラビの真似事は、楽しかったか?」
そしてレギは嘲るような声音で、殺人鬼に話しかけた。
『挑発』。殺人鬼はそれと気づかず、誘発された憤怒を露わにレギに向き直り、意識を完全に向けてしまい、
ばくり、と。抵抗する暇もなく、足下から湧いた毛玉に飲み込まれる。
「征治さん、寝かせて!」
良助の召喚したパサランは、程なく殺人鬼をぶうと吐き出し、
「……これで、終わりだ!」
征治は勢いよく机を踏み台にすると、宙を舞う殺人鬼に高圧電流を叩き込んだ。
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「……制圧完了」
征治はスタンガンの電源を切ると、一つ息をついた。手加減はしてある。感電死はないだろう。
用意してきたロープで殺人鬼を拘束し、そしてタオルで猿ぐつわを噛ませた。自決防止用である。舌をかみ切られては敵わない。
教室は惨憺たる有様だった。
あちこち赤黒く汚れており、鉄錆の腥い臭いが鼻を突く。さらには吐瀉物や失禁、そして破壊された建物は地獄絵図めいていた。
ぼろぼろになった生徒達は放心し、嗚咽を漏らし、あるいは憎悪の目を殺人鬼に向けている。
ある生徒が拘束された殺人鬼に駆け寄った。その手には花瓶の破片。血に汚れた、中央に転がっている女子生徒を死に至らしめた、忌まわしい凶器。
振り下ろされたそれを、良助は自分の身体で受け止めた。
「……コイツの処分は、学園できちんとやるから。大丈夫、君らの思いはきちんと汲む。……それでも許せないんだったら、僕が代わりに受けるから。それで勘弁してくれないかな?」
何度も何度も殴られながら、それでも良助は辛抱強く耐えた。所詮は一般人、痛くはない。だがその執念を一身に浴びるのは、引き裂かれるような痛みがあった。
「大丈夫、もう大丈夫なのだ。怖かったよな」
アルベールはむせび泣く生徒の肩を抱いて、必死に慰めた。
――どうしてこんなことに。その慟哭が、耳にこびりついて離れない。
警察と学園の応援が到着したのは、征治が連絡してすぐのことだった。どうやら待機していたらしい。
生徒の傷を良助が癒し、ファーフナーは昂ぶっている気を落ち着かせる。その処置のお陰で、だいぶスムーズに避難させることができた。
殺人鬼も無事に確保され、依頼は無事に完遂された。
……しかし、撃退士たちの顔は晴れなかった。
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数日後。
「まあ、なんだ。……お疲れ様」
報酬と報告を兼ねたデブリーフィング。女性教諭は気遣うような優しい声音だった。
「お陰様で、想定しうる限り最小限の被害で済んだ。学園を代表して、礼を言う」
「……先生。例の件は」
レギの質問に、女性教諭は小さく息を吐いた。
「――問題ない。学校側の隠蔽が明るみに出て、報道は過熱しネットは大炎上だ。『無事に』『現代のいじめ問題という論点』でヒートアップしてるよ。覚醒者がどうこうは……まあ、少数派だ」
女性教諭は苦笑する。レギは出発前に『動機がきちんと公表されるよう根回ししてくれ』と頼んだのだ。どうやら上手くいったらしい。
「そもそもスキャンダルを握りつぶしたのが主犯格の親だったからな。スポンサーには逆らえないということだ。お陰様でヤツに同情する声まで上がってる」
――うちの娘の経歴に、あたら傷を付けるわけにはいかんでしょう。
「そんな」
アルベールはつい声を上げてしまう。それはあまりにもむごい事実だ。
あの殺人鬼のやったことは到底許されることではない。あんな正義の形はどうしたって認められない。
……けれど、だったらどうすればよかったのだろう?
妹を殺されて、その事実はなかったことにされて、声を上げることすら許されないなんて。
「……そんなの、あんまりだ」
それこそ、正義なんて、一欠片もない。
「……犯人の処置は?」
征治は苦虫を噛み潰したような表情で訊ねる。女性教諭は重々しく口を開いた。
「精神鑑定の結果、まあ、なんだ……。処置なし、ということらしい」
「それは、『恒久の聖女』について?」
嫌なことを思い出したのか、良助は苦々しく呟く。しかし女性教諭は首を振った。
「いや、アレは『信者』じゃない。単に毒電波がトリガーになっただけの……」
――『アレらを殺処分しろ』の一点張り。それ以外の主義主張は一切なし、自身の処遇にすらノーコメント、とはとても言えなかった。
「哀れな、人殺しだ」
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「……どうした、こんなところで」
屋上。レギに声を掛けられて、ファーフナーは煙草の火を消した。
「……いや。それで、どうなった」
「ひとまず覚醒者が悪、という論調は避けられたようだ」
「……そうか」
風が吹く。
ファーフナーは結局、顛末を聞きに行くことが出来なかった。それは偏に、
「――何故望まれない、望まない者に、覚醒者(バケモノ)の力が与えられるんだろうな」
例えばあの殺人鬼は力にさえ目覚めなければ、人殺しをすることもなく。
そもそも『恒久の聖女』にすれ、力にさえ目覚めなければこんな気を揉む必要もなく。
転じて、自分は――。
「……社会は、一割の善人と、一割の悪人と、八割の民衆で成り立っていると考える」
レギはぽつりと呟いた。
「善人も悪人も『賢人』だ。社会は、賢人がどう民衆を扱うか――どのような統率者が頭角を現すか、それによって決まる。歴史とは、賢人の争いの積み重ねだ」
思考を整理するように、独り言のように。
「うん。だから……望むとか望まないとかではなく、力は力だ。気に病むことじゃない」
ファーフナーはがっくりと肩を落とした。
「なんだそれは。話が飛躍しすぎて全く見えない」
「いや。要するに……力の有無に、民衆の意見など当てにならないと言いたい」
「……となると、今のはものすごい暴論じゃないのか」
「いや。そうではなく…………そうかもしれない」
まあいい、ここにいるのは二人だけだ。オフレコということで許してもらおう。
「ともかく。……俺は、君に会えて良かった、と、思うけれどな」
知り合って間もないのに、何故か本音を零してしまう不思議な友人。ファーフナーが何を憂えているのか分かっているのだろう。
自分は化け物だ。久遠ヶ原(ここ)はようやく見つけた居場所なのに、それすらも脅かされそうになっている。
偏に――怖いのだ。覚醒者そのものが社会から排斥されるようなことになれば、それは。
レギはこくんと頷いた。
「うん。……とりあえず、報酬だけでも受け取りに行こう。先生も随分心配していたし」
「……そうだな」
覚醒者が必要とされる社会。自分はいつまで、その歯車で在り続けることが出来るのだろうか。
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征治がその記事を見つけたのは、本当にただの偶然だった。何気ないネットサーフィンのはずだった。
「……なんだよ、これ」
見覚えのある文字列。先日の殺人鬼の復讐事件。だが、そこにあった文字列はひときわ異質で、
――『自殺した妹の遺書』。どうやら遺品を整理していた時、秘匿されていたブログ記事が発見されたらしい。
征治は震える手で、その記事をクリックした。
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Dear.クソッタレな世界の皆様方。
これが公開されてる頃には、あらかた片付いてる事だと思います。
クソ姉貴の『殺処分(笑)』、上手くいきました? それとも久遠ヶ原の人に止められましたかね? ま、どっちでもいいです。今から死ぬんで。
そうですね。でも死ぬ前に一回言ってみたかったので、書きますね。
『それも私だ。私が黒幕だ』
どーいうことかと言いますと、姉貴にクラスメイト連中への『殺処分』を唆したのは私です。
栄光の人生を歩むはずだった私が、クソみたいな連中にクソみたいな嫌がらせばっか受けて人生やってられなくなったので死ぬわけですが、折角ですから報復したいっていうのが人情じゃないですか。
そこでクソウザい病的シスコン姉貴の出番です。覚醒者っつーんですか? なんでも出来る超能力者。うん、便利。
というわけで、「お姉ちゃん、お願い。あいつらに目にもの見せて……」みたいな感じで泣き落としかけました。合点承知と目がイッちゃってました。チョロいっすね。
それでクソ姉貴が殲滅してくれればそれでいいですし、失敗しても生き残りはPTSDで今後の人生に支障出るでしょうしね。うん、報復としてはなかなかイカしてませんか?
ついでにクソ姉貴も殺人鬼として社会的に抹殺されますし、これで万事オッケーです。
つーわけで、私はこの世からオサラバです。大丈夫、私ほどの魂なら、無事に来世で栄光の人生を歩めるでしょう。
それでは、さらばさらば。来世でお会いしましょう。