●
――草木も眠る丑三つ時。
真っ暗なトンネルには灯りもない。今にも崩落しそうなコンクリートの洞を抜けると、まず最初に猛烈な潮の匂いが鼻を突いた。
「磯臭い」
反射的に口元を抑え、ケイ・リヒャルト(
ja0004)は眉を顰めた。
「魚、臭い」
対照的に仄(
jb4785)は淡々と呟いた。
「ほう、雰囲気は出ているのう」
緋打石(
jb5225)は行きがけのコンビニで買った懐中電灯で村を照らす。ぼうっと朽ちた木材が浮かび上がり、砂の上を虫が走る気配がする。
――人の気配がまるでない。こんな光量では、照らし出された木造建築もただの廃墟だ。まだ人が住んでいると言われても納得しかねる。なるほど、肝試しスポットというのも宜なるかなである。
「いかにもホラー小説の舞台じゃな」
「これ、で、住人が、魚面、だったら」
「政府の魚雷実験で決着が付くのかしら、ね」
Laika A Kudryavk(
jb8087)は淡々とした口調で、しかし悪乗りを重ねる。仄はこくりと頷いた。何か通じるものがあったらしい。
「いい趣味してやがるぜ、全く」
一方で向坂 玲治(
ja6214)は舌打ち混じりに吐き捨てた。この状況の『元ネタ』については玲治も知っているが、実際にそれを再現するなど――それも人命をかけるなど、悪趣味以外の何物でもないと断じた。
なんというか、そう。まるでゲームでも楽しんでいるような。そんな意図を感じるのだ。
「全く同感じゃ。剽窃された状況なんざ微塵も恐怖を覚えんわ。三文小説は三文小説らしく、ハッピーエンドがふさわしかろうて」
緋打石はからから笑いながら、しかし鋭く周囲に警戒を走らせる。
一行はあらかじめ知らされていた教会に向かって慎重に、しかし手早く移動を、
「……人の気配は無い」
不意に谷崎結唯(
jb5786)が呟いた。夜目が効くので先行して偵察していた結果報告――なのだが。
無口な上に気配を殺していて、しかも全体的に黒いために、夜の闇に紛れてしまっている。いきなり声を上げると、お前の方が怖い、と言われかねない有様だった。
もっとも結唯の芸風は元からこうである。戦闘スタイルもそれを活かしたものである以上、文句を言っている場合でもない。
「……こっちにも人影はないわ。たまたま出歩いていたり、第二の肝試しグループ、なんて連中もいないわね」
同じく夜目が利く――暗視ゴーグルを装着したケイの報告を受け、撃退士達は村の奥へと向かっていく。
元々狭い鱒引村だ。村の端にはすぐに行き当たった。
いっそう強い潮の香り――いや、生臭い魚の臭い。スーパーの鮮魚コーナーを連想する。そこから塩素の臭いを引いた、非常に不愉快な空間だった。
そこにはこんな鄙びた村には不釣り合いな、立派な教会が聳えている。
「……ダイスとキャラクターシートの準備は、いい?」
ライカはぽつりと独りごちた。仄はこくりと頷いた。
「二枚目、は、必要無い、と、思う、けど」
●
教会の扉はあっけなく吹き飛ばされた。仰々しい木製の扉は、しかし手応えとしては軽すぎる。おそらく長年潮風に晒されたことによって、劣化が激しかったのだろう。今は仰々しく見えるこの教会も、明るい日中に見れば随分と寂れているのかもしれない。
――なんて感想が一瞬でも脳裏によぎったのは、日曜大工を趣味にしているからだろうか。
「撃退士だ! 大人しくしやがれ!」
玲治は長大な槍を構えながら大見得を切る。途端、いっそう濃い魚の饐えたような臭いが鼻腔を突く。噎せそうになるがなんとかこらえた。
教会の中は、おおよそ事前に予想した通りの有様だった。
内装はおおよそ一般的な教会のそれ。木製のベンチがずらりと並び、赤いカーペットが中央に敷かれている。その奥に祭壇と十字架――カトリックかプロテスタントかまでは判別が付かない。今はどうでもいい。
まず目を引くのが、祭壇に鎮座まします『肉塊』だった。――いや、その表現も的確ではないかもしれない。スライム、としておく方が理解が早いだろう。
異様に大きく、玉虫色にてらてらと輝いている。教会内には光源が確保されているようだったが、電球の心許ない光量が余計におぞましさを際立たせる。
そしてその脇には、のっぺりとした面をした人型の異形が佇んでいる。半魚人とでも言うべきか。瞼もなくぎょろりと見開かれた目と、ぽっかり開いた口がなんとも不気味だった。
「その、まんま――」
玲治の後ろで、仄が名前らしきものを二つ呟く。なるほど、『元ネタ』ではそういう名前だろう。しかしどうせこれは似せただけのパチモンだ。スライムと魚人でいい。その方がかの怪奇作家に失礼がない。
「でも、チェックロールは必要なさそう、ね」
併せてライカは皮肉げに呟く。『元ネタ』――正しくはそれを下敷きにしたゲームでは、こういうものは目撃するだけで精神を蝕まれるのだが、そこまでの再現度はどうやらなさそうだった。あるいは異形を見慣れている撃退士だからこそなのかもしれない。
だが、少なくとも一般人には効果があるようだった。
連中の周囲には、おそらく鱒引村の住人であろう老人達が膝を突いて頭を垂れている。土下座めいた礼拝をしたまま、ぴくりとも動かない。事前の情報通りである。
依頼人を保護した病院は中々腕利きだったのか、移動中も事情聴取はスムーズに進行した。電話が通じる圏内ギリギリまで情報を絞り出すことに成功したのである。
教会内の状況はあらかじめ聞き取ることが出来ていた。
スライムと魚人がいること。地元民が支配されているらしいこと。そしてショックで腰を抜かした友人――友引が捕縛されたこと。
そしてその要救助者の姿もすぐに確認できた。祭壇の中央、ぼろい椅子の上に若い女性が縛り付けられている。その首筋に、魚人が銛らしきものを当てているのだ。
友引の視線がこちらを向いた。視線が合う。玲治はこくりと頷いた。
途端、名状しがたい騒音が場を支配した。鳥の囀りのような、神経を逆撫でするような不協和音の塊が鼓膜を嬲る。
スライムが震える。おそらくはアレから発せられたものだ。そしてそれを合図にして、魚人たちがこちらに向き直る。跪いていた老人達もゆらりと立ち上がった。
それを黙って見ている程、撃退士達は甘くなかった。
●
「さて、動けるようになったところ悪いんだが」
玲治はカーペットの上を走ると、屈んで地面に手を突く。クラウチングスタートのような体勢だった。
「爺さんらはもうちょい休んでてもらおうか」
途端、床から無数の手が伸びる。不安定な灯りによって生まれたいくつもの影から、漆黒の手が老人達に絡みついて取り押さえる。非覚醒者の彼らにはなすすべもない。
……これはこれでホラーじみた光景ではあった。
「魚人3、スライム1、現地人は20じゃ!」
緋打石は即座に敵の数を数え上げる。そしてこれも行きがけに購入したロープを手に取った。
漆黒の手は確かに現地住人を絡め取ったが、それでも全員ではない。難を『逃れてしまった』老人が数人いた。彼らは虚ろな目で、それこそ盲目的にこちらへ歩み寄ってくる。
――無論、一般人なので直接の驚異ではない。だが、これを配置した天魔の思惑は当然別のところにあるのだろう。
すなわち囮、あるいは消耗品の盾、そして無関係の一般人を巻き込めるのかという意地の悪さ。自分たちと天魔ども、どちらの攻撃が当たっても彼らは犠牲となるのだ。
よって、早々に機能停止してもらわなければならないのであった。
魚人はどこの言語とも判別できない言葉を交わすと、その腹部を膨らませる。そして大きく息を吐き出した。
魔力の籠もったブレス攻撃だと判じると、玲治は盾でそれを難なくはじき返した。
しかし臭気は纏わり付く。そして、
「くっせえ……!?」
途端、背筋にぞわりと寒気が走った。背筋に氷柱を突き込まれたかのような錯覚。ああ、目の前の異形が、まるでこの世の終わりを示すような――
きっ、と玲治は気合を入れ直した。大丈夫、今のはただの錯覚だ。目の前にいるのはただの下級天魔で、ただの討伐対象。
「気をつけろ! あのブレス、こっちの精神削ってきやがる!」
おそらくはそういう特性だ。覚醒者の対策も申し訳程度には備えているらしい。
ライカは玲治の傍まで駆け寄ると、魚人達に侮蔑するような視線を向けた。饐えた臭いが鼻を突く。終わったら鼻が馬鹿になっていそうだと思った。
「生け贄? 私が向いていると思う、けど」
挑発的に言って、ライカは輝かしいオーラを纏った。途端、魚人達がライカを見据える。微動だにしなかった連中が、確かにライカに向かって動き始めた。
ひとまず、挑発(タウント)自体は成功のようだ。
「無理すんなよ」
「いつも通りにタンクをやるだけ、よ」
玲治の言葉に涼やかに返して、ゲームは違うけれど、と独りごちた。
●
「うおっ!」
玲治のすぐ傍を玉虫色の肉塊が掠める。ずずん、と重い音がして、教会全体が震えた。ぱらぱらと土埃が振ってくる。
まずい。玲治はそう直感した。これはいくら防御に自信がある玲治とて、まともに受けてはいけない破壊力だ。
幸いなのは質量任せの一撃だということだろう。単調で、しかも狙いが大雑把だ。避けること自体はそれほど難しいわけではない。
だが。
――まずいな。長引いたら崩れる。
古びた教会はそうもいかない。ぎしぎしと軋む音がして、危ないのは誰の目にも明らかだった。
ダークハンドと緋打石のロープで住人を縛り付けている現状である。教会が崩落してそのまま瓦礫で圧死、なんてことになったら目も当てられない。無論、自分たちの任務には住民の保護も含まれているから、そんな結末は笑い話にもならなかった。
「――ッ」
一方で、ライカも歯噛みしていた。表情には出さないが、思った以上に厳しい。
3体の魚人を纏めて引き受けたはいいものの、ブレス攻撃がどうも難敵だった。
恐怖を煽る追加効果が、ではない。そんなものはすぐに慣れた。そういうものだと理解していれば十分に心を対応させられる。
問題は――純粋に、攻撃力と範囲が厄介なのだ。
ブレスを回避する。しかし掠っただけでも腐食するような嫌悪感がある。さらに回避先に次のブレスが待ち構えている――そういった連携を身につけているらしく、ライカの体力はじわじわ削られていった。
「ごめんなさい。ちょっと重い、わ」
自分の役割は盾役として、連中を外に連れ出すことだ。そして盾が砕けては意味が無い。ライカは襲いかかるブレスを目の前に、素直に応援を要請した。
「邪魔だ」
不意打ち気味に、魚人の1体に星が降り注いだ。
相手は一般人、しかも老人である。住民を早々に縛り終えた緋打石は、ライカの要請を受けてすぐさま空高く飛び上がった。
そしてアウルを纏った拳を、今にもブレスを放とうとしていた魚人の頭部めがけて振り下ろす。大アルカナの17番、星をイメージした拳だった。
流星の直撃を受けた魚人はよろめき、
「魚風情が神父ごっこなんざ片腹痛え!」
その拳に仕込まれていた糸に絡め取られ、教会の外へ投げ捨てられた。
「よし、外に出るぞ!」
玲治は叫びながら、ライカに翼を纏わせる。すぐさま二発のブレスが着弾した。そのダメージはそのまま玲治へとフィードバックされる。
確かな痛みを感じるが、無視して玲治は槍を腰だめに構える。
「おらァッ!」
そして装備の重さを押しつけるように、残った2体の魚人めがけてタックルを決めた。魚人は背中から『く』の字に折れ曲がると、教会の外へ吹き飛ばされていった。
玲治はそのままの勢いで教会の外へ出る。その刹那、ちらりと後ろを振り返った。
追いかけてくる玉虫色のスライム、さらにその向こう。
それなりに立派な祭壇と、不釣り合いに粗末なおんぼろの椅子。
――そこに、要救助者の姿は既に無かった。
玲治はにやりと笑った。
●
「ここ、で、じっ、と、して、いて」
仄は友引を樹の傍に座らせると、淡々とそう言った。
「あ、ありが、」
「静か、に、して」
仄はぼろぼろと泣き出しそうな友引の口を塞ぐ。友引はこくこくと頷いた。
ここは教会の裏手。鬱蒼と茂った森の入り口である。
真っ暗な森の中とあっては、そうそう見つけることは出来ない。闇に対する本能的な恐怖はあるにせよ、今の友引にとっては安心感の方が強かった。
仄は最初から『友引を連れ出すこと』に注力していた。
玲治とライカが敵の気を引きつけている間、仄は『明鏡止水』の境地へと入り込み、相手に存在を気づかれないようにした。
そして緋打石には村民の対処に行ってもらい、友引そのものから意識を逸らさせた。
タイミングを見計らって、全力で駆ける。難なく友引を確保した仄は、五芒星を描いて敵対勢力が入れないようにし、しばらく教会内で息を潜めた。そして敵が外に引きずり出されると同時に、仄は友引を連れて教会を出たのだ。
ちなみに裏口からである。最初はスライムに隠れて見えなかったが、きちんと存在していたのだ。これ幸いと扉を開けると、裏手の森に通じていた。
仄は念のため、もう一度友引に向かって五芒星を描く。例え連中に嗅ぎつけられたとしても、もうしばらくは近寄れないはずだ。
その直後、銃声と怒声が何度も響き渡った。友引はぎゅっと身を竦める。
「様子、を、見て、くる」
「あ、お、置いてかないで……」
立ち上がった仄の裾に、思わず友引はすがりついた。仄はその手を取る。
「問題、ない。仲間、に、銃器使い、が、いる、だけ。腕、は、確か」
それに、と仄は友引の手を両手で包み込んだ。
「すぐ、戻って、くる。遭難、されたら、困る」
「……は、はい」
落ち着いてきたのか、友引は素直に頷いた。
――狂気がすぐに落ち着く辺り、やはり低俗な模造品か。
仄は嘆息する。
教会を出た途端に友引の精神は落ち着きを見せ始めた。それこそ近寄った最初はパニックで極限状態だったので、殴って気絶させるかどうか迷っていたのである。それがどうだ、連中が視界から消えたらこの有様である。
『元ネタ』のファンとしては、それこそ数時間から数ヶ月にわたって発狂していて欲しかったと思わなくもない。しかしまあ、そんな忠実再現をやられていたら、もう一段階面倒な仕事になっていただろう。それこそ撃退士でも正気を蝕まれかねない。
……というより、人命がかかっているのだからこういう考えはよろしくないか。
仄は闇夜に溶け込みながら、こっそりと表の様子をうかがった。
●
吹き飛ばされた魚人達は、すぐに体勢を立て直そうとした。
しかし教会の外に転がって、彼らは気づいた。思った以上に明るい――電灯の普及していない鱒引村の夜に、あってはならない光量がそこにあることに。
「――――――――!」
魚人達は奇妙な声を上げて呻いた。悲鳴じみたそれは、どこの言語とも取れない。
だが、『眩しい』という意味合いだということは見て取れた。ぎょろりとした眼を手で覆う。瞼がない以上、そうして光を防ぐしかない。
撃退士一行は、教会前にあらかじめ蛍光灯タイプの懐中電灯をばらまいていたのである。
それはまるでステージライトのように、地面から魚人達を照らしていた。
そしてそうなってしまえば。
「待ちくたびれたわ」
ばん。
「――――」
ばん。
闇夜に待機していたケイと結唯の、『良い的』である。
アウルの銃弾が雨あられと降り注ぎ、魚人の一体の首がもげて飛んだ。
●
「ショッキングな事象を目撃……失敗で1D3、くらい?」
ぐしゃりと潰れる魚人の頭部を尻目に、ライカは一旦距離を取った。少々ダメージを負いすぎたので、離れた位置から誘導を担当することにしたのである。上手い具合にタウントの効果も切れたので、小休止することにした。
「おいおい、ご機嫌だな!」
「そうかしら。魚を撃っても何も感じないのだけれど」
緋打石の茶々を意にも介さず、ケイはショットガンをリロードする。
そして間髪入れず、腐食の弾薬が入ったそれを、魚人の脚部めがけて放った。
「――――――!」
魚人は声にならない悲鳴を上げる。散弾でズタボロになった上に、どろどろと傷口が腐食し始めているのだ。どこまで知性があるのかは知らないが、多少は真っ当な生物なら然るべき反応だろう。
「臭いし、煩いし、最悪ね」
ケイは涼やかに言い放つと、改めて状況を確認した。
――魚人は残り2つ。スライムは玲治が応戦中。一般人の存在はなし。
ならば、ひとまず作戦は首尾良く進んでいると見ていいだろう。友引の安否に関しては確認する術がないが、そこは仄を信じるしかあるまい。
ぱきゅん。
くずおれた魚人の眉間(眉?)に確かな穴が空いて、それきり動かなくなる。
結唯の仕事だ。小さなペンライトの明かり一つで粛々と撃ち込んでいくその様は、かの有名な漫画のスナイパーさながらである。
さて、残った獲物は二つ。どういう順番で処理しようか、
「――――ッ!」
不意に、最後に残った魚人が声を荒げた。怒っているようにもパニックを起こしているようにも見える。手にした銛を振り上げて、まるで指揮者のような振る舞いを、
「なっ!」
するとスライムの身体がぐっと圧縮された。突き出していた玲治の槍が弾かれる。そして次の瞬間、
「きゃっ!?」
矯めたパチンコのような勢いで、スライムの巨体がケイに襲いかかった。
●
「ケイ!」
ケイの華奢な身体が弾き飛ばされる。玲治は思わず叫んだ。
あれの攻撃をまともにもらったらまずいと判断したのは玲治自身だ。加えてインフィルトレイターはそれほど防御力に長けているというわけではない。肝が冷える思いをしながら、玲治はそちらへと駆け出そうとし、
「――大丈夫」
吹き飛ばされたケイは、砂の上に一度転ぶと、猫のようなしなやかさですぐに立ち上がった。そして「ありがと」と小さく呟く。
――視線の先を見ると、教会の壁に隠れるように、仄が立っていた。
ケイの周囲を結界が取り囲んでいる。青龍、朱雀、白虎、玄武――四神をあしらった防御結界。
仄はひらひらと玲治にも手を振ると顔を引っ込めた。どうやら友引の護衛に戻るらしい。
「でも、もう一発はもらえないわね」
スライムは再びケイめがけて蠢いてくる。結唯の銃弾が襲いかかるが、直前に硬化でもしたのだろうか、弾かれる音がする。
ケイは考えを巡らせた。
この状況で取り得るセオリー。アレがどういう行動原理で動いているのは今の攻撃で明らかであり、とするならば、
「魚人の制圧を!」
「おうよ!」
「合点!」
おそらく意見は一致していたのだろう。玲治と緋打石の行動は早かった。
スライムに知性は感じられない。そうなると操っている某かがいるはずで、この場合は一目瞭然だった。
使い魔は直接破壊するよりも、使い手を打破する方が往々にして早く済むものである。
緋打石は糸を走らせ、最後に残った魚人の腕を絡め取る。銛が指揮棒代わりなのかは不明だが、スライムの挙動が明らかに鈍った。
「神の御名でも唱えてみたらどうだ? 眷属の端くれなら、召喚くらいは出来るんだろ?」
煽るような緋打石の言葉に、玲治はにやりと笑った。そして槍を腰だめに構える。
「やめろやめろ。キングサイズ二つとか、マジで出てきたら洒落にならねえ」
そして、鎧を含めた全体重を乗せたタックルを繰り出した。
それは的確に魚人の喉元を貫き、醜い魚面を赤く染め上げた。
●
瞬間、超音波じみた異音が辺りに轟いた。
鳥の囀りを無作為に重ね合わせたような不協和音。あまりにもおぞましい音色が鼓膜を蹂躙する。
いくら修業を積んだ撃退士といえども、それでも耳を塞がずにはいられない不気味さだった。
そして一通り嘶くと、スライムはてんでバラバラに暴れ出した。地鳴りにも似た振動が辺りを支配する。
――ここからが本番なのだと、否応なしに理解させられた。
「コアを破壊して! さっき一瞬見えたわ。中央にある赤黒い奴よ」
耳の痛みに不快感を示しながらも、ケイは早々に腐敗の散弾をスライムに向けて叩き込んだ。でろでろと玉虫色の組織が溶け出す。
しかし、
「チッ、無駄にでけえ図体しやがって!」
玲治は槍を突き立てる。魚人の制御を失って、確かに刃は通りやすくなった。しかし、それでもなお硬いのだ。
「出来損ないの分際で、中途半端な再現は甚だ不愉快だ!」
糸では埒があかないと、緋打石はマシンガンに持ち替えた。容赦の無いつるべ打ち。しかし、表層までにしか弾が沈んでいかない。
『元ネタ』を原作としたゲームにおいて、このスライムは『遭遇したら逃げるべき』とされている。それはあらゆる攻撃をはじき返す装甲の分厚さと、有り余る生命力と、押し潰すだけで3回は昇天出来る破壊力を持つからだ。
そしてコレはその性能には及ばないとしても、嫌らしい破壊力と防御力を持っていた。
不意に、スライムの身体が弾けた。
「――――ッ!」
狙ったのか、ただの偶然なのかは分からない。だが、その巨体は闇に潜んでいた結唯をめがけてまっすぐに跳んできた。
ずずん。
結唯はすんでのところで回避する。しかし身を潜めていた民家がぺしゃんこに潰れてしまった。そしてスライムはそのまま、
「――まずい!」
海に向かって直進しだした。
このまま逃がしては非常に拙いことになる。放っておけば1分もしないうちに、あの怪物が大海に放り出されてしまう。制御を失ったスライムが今後どんな惨事を引き起こすかなど、想像するに難くなかった。
だが、あまりにも不意打ちすぎた。
スライムは怒濤の勢いで海に向かう。そんな機動力をどこに隠していたのかと思わんばかりの瞬発力。後手に回ってしまった。
「止まりやがれェーッ!」
玲治は叫んで飛び出す。ケイもショットガンを構えて駆け出す。
結唯と緋打石はひたすら銃を撃つが、止まる気配がない。
なすすべもないまま、玉虫色の肉塊が海へと、
「――――Sputnik!」
銀髪の小さな影が、その進路を遮った。
アウルによって赤熱した盾が、スライムの勢いを殺しにかかる。
唯一フリーの状態だったライカが、ギリギリ間に合った。
しかし。
●
ばごん。
鈍い音が響き渡った。
べぎ。
スライムの進撃は、確かに止まった。
しかし、ライカの小さな身体を包み込むように、スライムは万力のような力を込めて、
かは、とライカの口から泡が、
「うおおおおーッ!」
玲治は吼えた。
見えている。確かにコアは見えていた。
腐敗が進み、射撃によって玉虫色の肉がそげ落ち、そしてライカに邪魔されて形が固定されている。狙うなら、今しかなかった。
全力を以て、伝説の武器の名を冠した槍ををスライムに突き立てる。
ぞぶりと嫌な手応えがして、槍は肉塊を切り裂いていく。
そして切っ先がコアに――
鳥の囀り。嘲るような不協和音。聴覚を痛めつける不愉快極まりない鳴き声。
「しつ――」
ケイは耳の痛みも厭わず、ショットガンを構えて突撃した。
背中に纏った焔が滾る。紫の揚羽蝶は、突き立てられた槍を道標として、玉虫色の肉塊の臓腑を抉り取る。
「――こいッ!」
射程を犠牲にした炸裂の一撃。
アウルの銃弾は、スライムの核を確かに引き裂いた。
●
玉虫色の肉塊が、支えを失ったようにどろりと溶ける。そのまま砂浜に、趣味の悪いオブジェのように広がった。
同時に、ライカもそのままその上に倒れ伏す。
「大丈夫か!?」
玲治はその身体を抱き上げる。ぬめりと、嫌な手触りがした。
「おい!」
ライカはうっすらと目を開ける。すると、目元が小さく笑った。
「……シナリオ、クリア。ただし、一名、入院、エンド」
「冗談言ってる場合か!」
「……ひとまず大丈夫そうね。とりあえず村の様子を確かめましょう。潮風に当たるのは良くないわ。応急手当もしないと」
ふう、と息を吐くと、ケイは活性化した応急手当をライカに向けた。
「問題、ない。村民、も、正気、を、取り戻し、た」
一行が教会に戻ると、仄が住人のロープをほどいていた所だった。
友引も同行している所を見ると、どうやら安全は確保されたらしい。
「……何があった」
結唯は正気を取り戻した老人に事情聴取を始めた。
しかし、老人達から実のある返事は返ってこなかった。
曰く、ここ数日の記憶がないと言う。さらに体力の消耗が激しく、病院に搬送しなければいけない状態の人間も多数いた。
幸い、教会に備え付けられていた固定電話は生きていた。
緋打石は救急車を要請すると、ぼきりと首を鳴らした。
「しかし災難じゃったのう。趣味の悪い天魔に目を付けられて」
村長を名乗る男性は、力なくうなだれていた。
今回の一件で、村の機能が数日停止してしまった。よって生活に必要な用品や食料が少なからず失われた。老人しかいないこの村では、立て直しは厳しいという。
――つまり、廃村ということだ。
「……まあ、久遠ヶ原に話は通しておくからの。なんとか便宜は図ってくれるじゃろ」
どのようにかは緋打石の知ったことではない。だが今は慰めが必要だったろうし、手助けの可能性がある分、現代は随分と優しくなったものだと緋打石は独りごちた。
●
「本当に、ありがとうございました」
救急車に乗り込む直前、友引は深々と頭を下げた。
「これに懲りたら、肝試しなんてこれっきりにすんだぞ」
「しかも今回は不法侵入も込みよね?」
玲治とケイに窘められて、友引は恥ずかしそうに頬を掻いた。
鱒引村に繋がるトンネルの向こう。舗装された道には街灯があり、携帯電話が通じ、文明の面影が感じられる。アスファルトと地面の境目が、なんだか『境界線』のように感じられた。
村民と友引を乗せた救急車を見送ると、玲治はぽつりと独りごちた。
「……しかし、何だ。次は猟犬やら屍鬼が出てこないことを祈ってるよ」
「前者、は、時間、を、いじらなければ、大丈、夫。後者、は、カルト、が、ワンチャン、ス」
仄の食いつきに、うっせえ、と玲治は頭を掻く。
「ふむ、参考にさせていただきます」
不意に、背後から男の声がした。
一行は警戒しながら振り返る。
果たしてそこには、黒いスーツを身に纏った若い男がいた。いかにも『執事』といった風である。
「――お前が今回の仕掛け人か?」
緋打石は糸を取り出す。
執事は「いえ」と首を振った。
「少なくとも、無関係ではないわよね?」
ケイは拳銃を向ける。
すると執事は大仰に、両手を上に上げた。降参のポーズらしい。
「はい。今回の仕掛け人は、わたくしのお仕えするお嬢様でございます」
チッ、と緋打石は舌打ちをした。なんとも気取った態度で腹立たしい。
「それで何の用じゃ? やり合うつもりがないというのなら、さっさと失せろ」
「いえ、そういう訳にも参りません。ミッションクリアということで、皆様の感想を伺いに参りました次第です」
「……感想?」
ミッション? なんだそれは。それではまるで、
「……ゲームだった、とでも言いたいってのか?」
玲治の低い声に、執事は、
「ええ。創作者は感想が欲しいものだ、とお嬢様が煩くて」
我が意を得たり、と笑った。
――ここで感情にまかせて仕掛けるのはたやすかった。
しかし消耗状況、特にライカのダメージを考えると、実力が未知数な相手に手を出すのは憚られるのも事実だった。
結唯は全員を制止するように手を出すと、一歩前に歩み出た。
「……感想か。『いい趣味している』とでも言っておこう」
「ほう。これはまさか、肯定的な意見がいただけるとは。てっきり扱き下ろされて、ねつ造せねばならぬものとばかり」
それも悪魔の方に、と執事は付け加える。どうもいちいち癇に障る言動をする男である。
もっとも結唯はそういったものを気にしない。平坦な調子で続けた。
「……天使にしておくのは、もったいない」
「なるほど」
まあ、悪魔的な趣味ですよね、と執事は軽薄に同意した。
「あとはアレじゃ。まんまパクリは寒い、とも伝えておけ」
緋打石は吐き捨てるように言う。執事は恭しく腰を折った。
「畏まりました。それでは皆様、お疲れ様でした。お気を付けてお帰りくださいませ」
執事は慇懃にそう言うと、トンネルへ向けて歩き出す。その背中はあまりに無防備すぎて、攻撃を撃ち込みたい衝動に駆られた。
程なくして、鱒引村が廃村となったというニュースが入った。もっとも、現地民かネットのマニアくらいしか知らなかった村である。匿名掲示板の情報を未唯が流してくれた形だ。
住民達は天魔事件被害者として、施設や親族の元へ預けられることになるという。悪いようにはしない、と未唯は言っていた。
何はともあれ、大した被害を出さずに済んだことは喜ばしいことである。
窓の外に幻覚を見る必要は、なかった。