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それは表面だけを見れば今の時代、ごくありふれた事件だろう。
もしかすると、その裏にあるものも又。
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何故又この施設が?
それが以前にここで起こった事件に関与したファーフナー(
jb7826)が真っ先に感じた事だった。
悪魔がここに集まっている人間の魂を狙っているならわざわざ再襲撃する必要は無い。あの時の騒ぎに乗じて連れ去れば良かった筈だ。
ふと、まるで脚本を読んでいるかのような経営者の言葉を思い出す。あの経営者は『施設の居住者の証言』で放免になったという。胡散臭いことこの上ない。
だが、思考する暇はなさそうだ。居住棟の固く閉ざされた扉の前で、四人の企業撃退士とディアボロの戦闘が続いているのが見えてきた。
中には取り残された人がいる。今のところ建物に被害は出ていないようだが、このままでは。
ディアボロが炎を吐き、背中から巻き込まれて怯んだ一人に蹄が迫った時、その蹄は雪の結晶を思わせる魔方陣に守られた弓に阻まれた。瞬間移動で一気に距離を詰めた藍那湊(
jc0170)が受け止めたのだ。と、同時にたてがみの中の顔を直視する形になる。
生前は優しい表情を浮かべる顔だったのだろうか。今はまるで仮面を貼り付けたように無表情だ。
「どうしてこんなことに……」
普通に考えれば天魔に襲われてディアボロにされたという事になるだろうが、この場合は単純にそうは思えない。慎重に事態を見極めなければ……
だが、そんな湊の内心にお構いなく、ディアボロは咆吼するように顔を歪め炎を吐こうと口を開けた。
その瞬間、ディアボロの体躯は大きく仰け反り、炎は吐かれなかった。浪風 悠人(
ja3452)の放った光の弾丸が後肢に突き刺さったのだ。
追撃するなら絶好の機会。だが。
「どこに行く気ですか?」
ディアボロに背を向けてどこかに行こうとする四人の前に立ちはだかるようにして逢見仙也(
jc1616)が姿を現した。反射的に後ろを向く四人だが、そこには逃がさないと言うようにファーフナーが立っていた。
「勿論、中の人間の避難誘導に決まっているだろう」
当たり前のことをと言わんばかりに答えたリーダー格の男に対して
「策はあるのか?」
と、ローニア レグルス(
jc1480)が尋ねた。ただ敵を叩けば良い戦闘に対し、同時に大勢の人間を救助する戦闘は厄介だ。
「俺が物質透過で先行し、中の人間に状況を伝えておこう。救助対象の協力があればかなり違う筈だ」
「透過?おまえは天魔か?!」
ローニアの提案に、四人は侮蔑とも猜疑とも付かない表情を浮かべる。正確に言えばローニアは天魔ハーフだが、四人にはどうでもいいことらしい。
「中にいるのは普通の人間なんだぞ?!それどころか天魔のせいで居場所をなくした奴もいるんだ。そんなところに天魔が乗り込んでどうするって言うんだ?えぇ?」
吐き捨てるようなその言葉は、そこにいる一同にとって快いものではなかった。学園では既に種族の違いは差別の理由にならない。勿論内心で複雑な感情を持つ者もいるが、それはあくまで個人の問題である。
そして、偶然にもこの場に居合わせた五人は何らかの形で天魔の血と関わりを持っている。
「だが、ディアボロがいるということは作った悪魔がいるという事だ。もしその悪魔が中にいたら、おまえ達だけでどうにか出来るのか?」
四人の態度を無視し、ファーフナーが冷静に指摘すると彼らは黙り込んだ。どうやらそこまでは考えていなかったらしい。
「戦闘と救助を同時に行うなら時間が惜しい。阻霊符を一時的に解除してくれ。使っているのだろう?」
ローニアの言葉に応える言葉はなく、四人の視線が泳ぐ。
「まさか、この状況で使っていないのか?」
(違和感ありすぎだと思ったら……やっぱりか)
ディアボロを狙撃しつつ悠人は内心でツッコミを入れた。九人の撃退士がいるにも関わらず悠人と湊の二人でディアボロを抑えている状態で、本来の依頼は何だったのかという有様だがそれも仕方がないだろうか。
何しろ、本来なら彼らは応援に来た自分達と合流して一気にディアボロを叩くのが順当なところだろうに、敵前逃亡とも言える動きをしたのだ。避難と言うが建物は傷付いているものの穴やヒビはなく、むしろ中に籠もっていて貰う方が安全にすら思える。
ディアボロの動きも変だ。悠人の狙撃でダメージは受けているものの動けない程ではない。にもかかわらず、建物から引き離そうと攻撃を繰り返す湊との距離を詰めようともせず、威嚇するように炎を吐くだけだ。
人間を狩る為と言うよりは、まるでここを守る為に配置されたように。
改めて見れば、壁や扉に付いた傷はディアボロによって出来たものには見えない。彼らはどういう状況でディアボロに出くわしたのか?先にここに来ていたのはディアボロか、それとも四人か?
いずれにせよ、この状態で救助が必要なら阻霊符を使わない手はない。助ける気など無かったと言われても文句は言えないだろう。
苦いものがこみ上げてくるのを押さえて更に引き金を引いた時。
「さて、お仕事しましょうか。あなたたちも仕事ですよね?」
仙也に嫌味たっぷりな声をかけられつつ、ようやく四人が合流してきた。
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「いらっしゃーい」
ディアボロの射程に入らないように上空から透過して建物に入ったローニアは気抜けする程無邪気な声に迎えられた。
目の前には明らかに悪魔と見える白いコウモリの羽根を持った少年と、身を寄せ合うようにしている老若男女がいる。
ただ、ある意味予想通りと言うべきか、人々には人質にされているとかそんな雰囲気はない。むしろローニアの方に怯えているようだ。
とにかく人々の警戒を解こうと学生証を見せる。
「あー、あいつらホントに応援呼んだんだ。ねー、まさかあいつらの言うことを真に受けてこの人達を始末しに来たとか言うんじゃないよね?」
「いや、俺は」
先にこっちから今までの経緯を説明した方が良さそうだと判断したローニアは依頼の内容から先刻のやりとりまでかいつまんで話した。
「わー、あいつらそんなこと言ったんだ」
「あのディアボロをつくったのはお前か?」
「そうだよ」
あっさりと答えた悪魔の背後からたまりかねたように声が飛んできた。
「その子は悪くないよ!」
「そうだよ!新見さんを殺したのは……私達みんなを殺そうとしたのはあいつらなんだ!」
「そんな……」
インカムから聞こえる会話に、湊は弓を引く手が萎えるのを感じた。
数と力に押され、集中的に攻撃されて全身に深手を負いながら、それでもディアボロは立っていた。
瀕死の傷を負わされた一人の女性が、人のままでは守れなかったものを守ろうとして望んだことが、これだったのか?
自分達は、撃退士はこんなことが起こらないようにする為に在るのではないのか?
けれど。
「ごめんなさい」
再び弓を引く手に力を込める。
死者を蘇らせる術はない。同様にディアボロになってしまったものが人間に戻ることはない。
とどめを刺したのは誰の攻撃だったのか。
どこからか、『約束だよ』と声が聞こえたような気がした。
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「さて、こっちも報告の都合がありますんで、色々と話して貰いましょうか」
ディアボロが倒れるか倒れないかのところでこの場から逃げだそうとした四人はファーフナーと仙也がきっちりと拘束していた。
「何なんだ?俺達はただ、仕事を請け負っただけで」
「それじゃ、誰からどんな仕事を受けたんだ?」
もうこいつらを目上として扱う理由はないとばかりに常の口調で仙也は聞いた。が、そう言った男は口をつぐむ。
「喋った方が身の為だよ?」
「幾ら積まれた?このままだと割に合わないことになるぞ」
未遂ならば正直に証言すれば罪は軽いだろうと揺さぶるファーフナーの言葉にも反応しない。ここの人々が証言しても証拠能力は低いと高をくくっているのだろうか。
これでは前回の二の舞になりかねない。そう思った時。
「馬鹿だよね、あの人」
いつの間にこっちに来ていたのか、件の悪魔が声をかけてきた。
「大人しく自分だけ高飛びする程度なら見逃してあげるってネリーも言ったのに」
「どういうことだ?」
尋ねようとしたファーフナーの言葉は、四人の怒鳴り声にかき消された。
「何をやってる!そいつは悪魔じゃないか!」
「撃退士の我々を拘束して、悪魔と馴れ合うのか?!」
「撃退士養成が聞いて呆れる!」
だが、そこに別の声が被さった。
「そんなことが言えるんですか?」
湊の声だった。
「ローニアくんと一緒にここに住んでた人の話を聞いて来ました」
何故新見アキという女性がディアボロになることを自ら選んだのかを。
「あなたたちは平気なんですか?人を傷つける撃退士なんて、ディアボロ以下じゃないか……」
撃退士は人を守る為にいるのではないか、その為の強さなのではないか。
だが、それに対する答えはヒステリックな高笑いだった。
「は、馬鹿馬鹿しい。それは平たく言えば体のいい奴隷って事じゃないか」
人類を守る唯一の力、人間の英雄。だが、その実態はどうだ?
「綺麗事を押しつけられて、散々こき使われた挙げ句、年下の餓鬼共に馬鹿にされて捨て石扱いだ!確かに俺たちは金で雇われてここの人間の始末を請け負ったよ。それのどこが悪い!撃退士だって人間だぞ!」
それに、と男は続ける。
学園とてそうだ。利があるからこそあれだけのものが維持される。その利は、決して弱者のそれではあるまい。
「言いたいことはそれだけか、犯罪者共」
聞くだけ無駄だったかと冷ややかに仙也は告げた。
「俺に言えるのは、お前らみたいなのがいるとこっちまで生きづらくなる。それだけだ」
「は、どうせお前らもいずれは使い捨てだ。自分でもわかってるだろうが?」
真実から目をそらした甘ちゃんだと笑う。
「お前らの言うことが一つの真実だったとしても、それとこれとは話が別だ」
感覚が麻痺する程に世の中の泥を被ってきたファーフナーには男の言うことも又現実だとわかる。ただ、今は違う現実もあることを知っている。
「ね、ボクそろそろ行っていいかな?」
いい加減飽きたような顔で悪魔が言ってきた。本来なら見逃すべきではないかもしれないが、ここで戦っても何ら益はない。
「住人達を連れて行かれると困るのだが」
「大丈夫。後でちゃんとした書類を届けるって。あなたたちに迷惑はかけないよ」
緊急避難の後に別の土地に移住。公的にもそうなるように手筈は整えられているという。
そんなことが出来ると言うことは、社会的にそれなりの地位や力を持った者がいるということだろうか。
「それにしても、悪魔のお前がどうしてそんなに人に関わる?」
必ずしも善意や同情ばかりとは思えない。だが、ゲートに連れて行って魂を抜くわけでもない。目的が見えないのだ。
「ボクはネリーが喜ぶし、町に人が増えると面白いし。あ、でもネリーは上が馬鹿だからって言ってたし、オサナイは復讐で贖罪、とか言ってたかな?」
ネリーというのがもう一体の悪魔なのだろうか。
それにしてもこの悪魔、本当にあまり考えていないのか、それとも上手くはぐらかしているのか。
「もういい?」
本当はまだ聞きたいことがあるのだが、そろそろ限界だろうか。行く先がわかっているなら確かめようもあることだ。
とりあえずそう割り切ってファーフナーは頷いた。
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その後、悪魔の言ったように天魔・犯罪被害者を支援する団体と小さな町の役場から関係各所に書類が届けられた。
それが確かなら、施設にいた人間達は新しい生活を始めることになるのだろう。
ただ、元経営者は行方不明になっているらしいが。
その話を聞きながら、ローニアはあの時に人々に言ったことを思い出した。
お前たち人間は悪魔についていくのか?この状況に追いやった存在はそのまま放っておくのか?
お前たちの後も同じように追い詰められる者たちがいるかもしれない。それでいいのかと。
それに対する答えはもう後悔はしたくない、だから行くのだ、と。
あれは、人を見限ったということなのか、それとも別の意味があるのか。
今の彼には何とも言えなかった。
そして、同じように話を聞いた悠人は静かに頭を垂れた。この結果で彼女が救われたのか、それはわからなかいけれど。ディアボロになった人の魂に届くかどうかは知らないけれど、それでも彼女の冥福を祈る。
頭を上げた時、ふと去り際に名前を聞いた悪魔の声が脳裏をよぎった。
『名前?ネリーはオリヤって呼んでるよ』