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「な、何だ?!何しに戻ってきた?!」
扉の向こうから激しく何かを叩き付ける音が響く中、窓を透過したユウ(
jb5639)を見た男の声が一際大きく響いた。
「私は撃退士です、安心してください。通報者はあなたですね?」
落ち着かせるように穏やかな笑みを男に向けつつ、ユウはふと感じていた違和感を口にした。
「襲って来たのは本当に天魔なのですか?」
「当然だ。あれが普通の子供に出来ることか?!」
叩き付ける音が響く度、バリケードが大きく揺れる。確かに普通の子供に出来ることでは無いが、天魔なら今頃さっさと壁を透過して目的を達し、飛び去っているのが当然だろう。ユウが透過出来たのだから阻霊符は使われていない筈だ。
「どうして物質透過を使わないのでしょうか?天魔ならそうする筈なのに」
「そんな事など知らん。とにかく撃退士ならあれを何とかしろ!」
「大丈夫です。仲間もこちらに向かっていますから」
それに呼応するように足音が響いてきた。
ユウ以外の五人は階段を駆け上がっていた。
色々不審のある通報でもいつまで保つかわからないと言われた以上は悠長な事も言っていられない。反射的に最も早い移動手段を選んでいた。
「天魔の襲撃にしては死人が少ないな?」
視界の隅に倒れた警備員や職員を映しながらジョン・ドゥ(
jb9083)は思った。呻き声を上げたり動いているのが気にならない訳では無いが、今は優先すべきことがある。
「おかしな話だ……」
ファーフナー(
jb7826)が引っかかっているのは通報者の方だった。天魔の物質透過能力は一般にもそれなりに知られている。本当に天魔だと思っているならバリケードなど築く前に通報しそうなものだ。
つまり、通報者が意図的に嘘をついた可能性がある。わざわざそんな嘘をつく理由が何かあるのだろうか?
「バリケードで防げてるなら、随分小者っぽいね……」
鈴木悠司(
ja0226)がどこか面倒そうに呟いた。天魔でも下級の存在なら能力を持っていても使えない事もある。
力の誇示にも糧にもならない雑魚ならさっさと片付けるに限る。わざわざ面倒な事をつつく気にもならない。
もう少しで目的の3階というところで上に人影が見えた。七才くらいの男の子と女の子だ。似合わない繋ぎ服を着ている以外普通の子供に見えるが、その手にはそれぞれ警棒が握られている。
「天魔……?ただのガキに見えるけど?」
だが、振り上げた警棒は歪んで血がこびり付いていた。
「いい態度じゃん。だったらこっちもそのつもりでやってやろうじゃねーの」
元々きな臭い依頼と思っていたこともあり、一応天魔?に話が通じるようなら自制を求めてみるつもりだった神無月茜(
jc2230)だが、向こうが仕掛けてくるなら是非も無い。
「あたいは神無月茜だ。子供だからって手加減せん。覚悟しろ」
横殴りに振った金属バットから鈍い音が響き、意外な程簡単に女の子は吹っ飛んで壁に激突した。いち早くこちらに背を向けて駆けだした男の子には悠司が剣を手に迫る。
「待て!」
その背にファーフナーの制止が飛ぶ。一瞬引いたのか、悠司の剣は男の子の背を切り裂いたが致命傷には至っていない。
「待ちなさい!」
今度はユウの声が響いた。階段から少し離れた位置のエレベーターの扉が閉まっていく。直前に、やはり白い繋ぎ服を着た子供達がちらりと見えた。
彼らが何であるにせよ、ここで逃げられてしまえば誰にとっても碌な結果にならないだろう。
ユウは壁を透過すると降りていくエレベーターの上に降り立ち、そこも透過して中に降りた。そこにいたのは同じような服を着た五人の子供達。
「逃がしませんよ」
先程までの優しげな姿とは打って変わった悪魔が子供達を見据えた。
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皆の目が子供達に向く中、逢見仙也(
jc1616)は扉とバリケードを透過して男の前に現れた。
「何だ、おまえは?あの小娘の仲間か?」
仮にも助けに来た撃退士をあの小娘呼ばわりとは随分な態度だが、仙也はしれっと答えた。
「念には念を入れての護衛ですよ。何しろ相手は『天魔』ですからね」
いつ壁や扉を透過して入ってくるかわからないでしょうといいながら相手の反応を見る。
男は不満そうな表情をしたが、それきり何も言わなかった。
通報の段階からどこか胡散臭い印象だったが、実際に来てみれば胡散臭いを通り越して裏がありそうな感じだ。撃退士を呼んだのも、単に子供達が人間離れした力を持っているからというだけではなさそうだと思える。
「おい、何をしている?!」
机の引き出しとか棚のファイルとかを漁りだした仙也を、男は不機嫌割り増しの声で咎めた。
「天魔がどうしてここを狙ったのかわかるかと思って」
「下らんことを。天魔は人間を襲うものだろう」
時代遅れ気味とは言え、そう言う認識の人間も未だにいるだろう。だが、そう言う割には怯えた様子もない。ユウや仙也の物質透過を見ているにも関わらずだ。
残念ながらめぼしい資料は見つからない。『当事者』の証言を併せて検証するしかなさそうだ。
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同じ3階にある部屋を無断で借り、重傷を負った子供には話が出来る程度にライトヒールを施した後に撃退士達は七人の子供をそこに集めた。
依頼内容には反するが、その依頼自体に疑惑が生じているのだ。それに。
「 依頼人だって全滅させて助けてくれとは言ったが即全滅させろ、とは言って無いからなぁ」
現場判断の調査って奴さとジョンは言った。実際、依頼人の安全は一応確保している。透過が使えないなら窓や扉に気をつけていれば逃げられることは無いだろうし、とにかく不審な点が多すぎる。
「さあて、知ってることを喋ってもらおうか」
茜が威圧するように金属バットをドンと床を突く。子供達は表情を消した目で黙り込んでいる。
茜自身、脅しが必ずしも有効とは思わないが優しく聞くとか駆け引きとかは自分の柄でも役割でも無い。
「何故あの男を狙った?」
ファーフナーは子供達の耳に付けられたタグに目をやり、しかしそれには触れず話を続ける。
「おまえ達の力……アウル覚醒者だろう?」
その言葉に唇を噛む子もいればキョトンとする子もいる。
「大人しく話すなら悪いようにはしない」
子供達の目に初めて惑いの色が浮かぶ。ファーフナーは優しさとは縁遠い見かけだが、茜や悠司を止めたのが彼だったことを思い、そして何を話せば良いのか迷っている表情だ。
「最初からあの男を狙ってここに来たのか?」
その問いに、一番年嵩の少女が首を横に振った。
「違う。あたしはここに引き取られて来ただけだった……」
子供達の境遇は、程度の差はあっても似たり寄ったりだった。
親の責任放棄、天魔被害、謂われの無い迫害、或いは生活苦。頼れるものは覚醒した力だけ。
どれも今の世ではありふれた、悲劇ですら無い話。
捨てるように、或いは買い取られるように。人では無く物としてここに来た。いずれ行く先は良くてどこかの奴隷か、移植用の臓器か。
「それでも今までは諦めて大人しくしていた訳か。それが何故、今になって?」
子供達は馬鹿ではない。かといって復讐の機会をうかがって潜伏する程強い意志を持っていたようにも見えない。
何か、事を起こすきっかけがあったのでは無いか。
「……悪魔が」
少女がぽつりと言った。
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「何だ、これは?!話が違う?!」
もう安全だからという仙也の言葉に言いくるめられてバリケードを解いた男は撃退士達に挟まれるようにして立っている子供達を見て怒声を上げた。
「話が違うってのはこっちの台詞だぜ」
「あの子達は人間でした。そして、あなたは以前からここに来た人の一部を売っていたと証言しています」
呆れたようなジョンの言葉に、責めるでも哀れむでも無いユウの言葉。
「やったのか、やってないのか。はっきりしろ。あたしは頭わりぃからよ」
駄目押しとばかりに茜がバリケードに使われていた机に拳を叩き付ける。
「人間の子供とわかって殺したのでは、撃退士の立場というものに関わるのでな」
淡々と言うファーフナー。彼らの前に男はとりあえず高圧的に出る無駄を悟ったようだ。少なくとも馬鹿ではない。
「仕方がなかったんだ。私は悪魔に脅されていた……」
まだこの施設が小さなものだった時に悪魔が現れ、怯える男に取引を持ちかけた。自分のいう条件を承知するなら男がやろうとしている事業を手助けする、人間からも天魔からも守ってやろうと。
その条件がこの施設に集まる人間をいくらかずつ悪魔に、そして悪魔が指示するルートに差し出すこと。
裏切らなければ裏切らないと悪魔は言った。
それがどんな罪であるのかわからない訳では無い。だが、その時の男には自分と救うべき人々を守る為に承知するしか無かった。
そして重ねた罪の重さと救い守るべき人々への責任の重さは、その事実を仕方のないものから犠牲を払ってでも秘密にしなければならないものへと変えていった。
子供達を天魔と言ったのはそういえば撃退士は討伐するだろうと思ったからだ。仮に子供達が人間とわかったとしても、人殺しという負い目を背負わせておけば強くは出られまい。あわよくば共犯に引きずり込んでおけばこの先何かと役立つのではないかという目論みもあった。
「その悪魔というのはどんな奴だ?」
その問いに、男はユウの方を見た。
「その娘と同じ長い黒髪の、若い女の姿をしていた」
ただ、最近は会っていない。売買のルートがあるだけだというその言葉を確かめる術はなかった。
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「どう思う?」
男の話に一応の筋は通っている。子供達の話とも合致する点がある。二体の悪魔がいるのは気になるが、矛盾という程でもない。だが。
あまりにも出来すぎた話だ。男の話も子供達の話も、必ずしも嘘とは言えないが、まるで予め用意されていた脚本を読んでいるように。
「いいと思うんだよな、俺は」
仙也は窓の外を見た。そこには他に寄る辺の無い人々が大勢生活している。
男は多分罪に問われるだろう。だが、悪魔に脅され、それでも弱い立場の人間を守ろうとしたのなら同情の余地があると見なされるだろう。事業を引き継ごうという者や支援しようとする者も現れる筈だ。
隠された事実があったとしても、それは施設に縋るしかない人々を路頭に迷わせてまで暴くべきものだろうか?
それに、自分達に出来るのはここまでだ。悪魔が関わっているにせよ、直接には人間の手による犯罪である以上、警察の管轄になる。
子供達はおそらく、然るべき更生施設に入る事になるだろう。
「どのみち、いずれは暴かれるだろうがな」
ファーフナーはむしろそれを望んでいた。偽りの楽園の中で腐りきっていく前に。やり直すなら早い方がいい。
そんなファーフナーをジョンは複雑な目で見ていた。
子供達の生存を最も明確に主張したのはファーフナーだ。だが、これが子供では無く異形の姿をしていたとしたら?
その心がどんなに人と近くても即始末をしただろうか?
敵を選んで殺するなんて、そんなに我々は上等なのだろうか?
その思いは言葉にならないが、もし届いたとしたらこんな答えが返ってきたかもしれない。
上等かどうかは知らない、ただ変われるかどうか試しもせずに可能性の芽を摘みたくないのだと。
皆から離れていた悠司にも話は聞こえてくる。彼は子供達が何であろうと全滅させれば良いと思っていた。
別に子供達に含むところがあるわけでは無い。ただ、失ったものを取り返すことすら出来ないこの世界を、自分も含めて消し去るだけの力を手にしたい。子供達はただその為の贄だ……が。
現実には、子供達を生かそうとする意志を押しのける力も無く。
自分自身さえ消し去れず、力への渇仰にしがみつくことにしか存在を見いだせない。そんな自分は。
「……負け犬だな」
呟きは誰の耳に届くことも無く、風に溶けて消えていった。
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それは誰かが望んだ結末か、或いは誰も望まなかった結末か。
真実という名の結末は見えず、事実と思惑の断片は闇に踊る。