●
瀟洒と言ってもいい外観の建物に絡みついた茨には、いつの間にか白い花が咲き誇っている。
「『眠り姫』の挿絵みたいだね」
事情を知らなければジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)が冗談めかした口調で言ったように見えただろうか。
一階にはまだ、人一人が入れる程度の隙間が幾つかあったのだが、正面から二階に上がる階段にはびっしりと茨が蔓延り、幾つもの壁を作っている。
「しかし、解せんな」
警察から提供された建物の構造と施設の警備状況を確認したファーフナー(
jb7826)が無表情に零す。
「窓の柵、二重の鍵、監視カメラ網……これだけの警備をする一方で火災報知器は最低限、しかも非常口の類いは一切無し。一階と二階の動線はこの階段だけとはな。これでは、仮に一階から火が出れば二階に居る子供はまず助からんぞ」
これだけの数の子供を預かり、しかも公的に認可されている筈の施設としては信じられない杜撰さだ。
「それは、過失にでも見せかけて子供達を葬り去る事も可能ということだな?」
翡翠 龍斗(
ja7594)が剣呑な目で呟く。
一見すると天魔が起こした怪事件に見えるが、そう断じるにはきな臭いところが多い。
施設の職員がこの日に限って夜に出払っていたというのも妙な話だ。天魔であれば職員諸共絡め取るのが自然では無いか。
寧ろ、職員達に影響力を持つ人間が『何か』事を起こす為に人払いし、それを『防ぐ』為に天魔が現れたと言う方が腑に落ちる気がする。
「あの時と同じね」
杜撰と言うよりは悪意と言った方が似つかわしいと稲葉 奈津(
jb5860)が断じた。以前、この施設に出資しているのと同じ団体が絡んだ依頼と雰囲気が似ていると。
「……ん、反応は二階に固まってるね。多分、子供達だろうさ」
その横でアサニエル(
jb5431)が生命探知を使い、中の様子を探る。
「でも、こっちは何だろうねぇ。一階に四つ、地下に二つ……」
一階の一つは春海と思われるが、後はよくわからない。
その時、タイミング良く彼女の携帯に着信が入った。
「……そうかい。わざわざありがとうよ」
相手に礼を言って通話を切ると、アサニエルは皆に向き直った。
「警察から新しい情報が来たよ。夕べ、おかしな時間にここに入っていった人間が三人居たそうだ」
『人間』が絡んだ事件であれば撃退士だけでは手に余る場合がある。そんな時の為に警察とも連絡を取れるよう番号とアドレスを交換しておいたのが役に立ったようだ。
これで三つの反応は説明が付いた。
「出てったのを見た人も居ないらしいから、この反応はその三人だって可能性が高いだろうね」
警備室に一つ、事務室に一つ、そして園長室の近くにもう一つ。
「こんな事件なら学園以外の撃退士が居ても不思議は無いだろう」
協力出来ればいいのだがと言外に含めつつも、和泉 大和(
jb9075)の表情は晴れない。事態の収拾に施設に関係した何処かが別の撃退士を寄越す可能性は充分にあるものの、どうも引っかかる。
施設の背後にいる団体が噂通りのものであれば、子供達を始末するという形の収拾を図っているのかもしれない。
(だとしたら見逃さない……絶対に許さん)
大和はふと上に視線を向けた。外では先刻からヒリュウの勝之助が二階の窓から様子がわからないものかと飛び回っている。
「無理か」
窓にも茨が絡みついている上に花弁で隙間が埋まっている。花弁だけでも退けられないものかと勝之助を近づけてみたが、棘に引っかかってビリッとした感覚が走る。
「ふむ」
ジェラルドが手にした戦斧を茨の壁に振るう。
繊細な外見からは想像もつかない重く鋭い斬撃が茨を薙ぎ、花弁が散るも切り裂かれた部分はたちまち再生していく。
「何だかクラクラするね、これ」
下手に手を出さない方がいいかもしれないと、苦笑気味にジェラルドは戦斧を納めた。
とはいえ、このまま手をこまねいている訳にもいかない。
「もし、この茨を使っているのがシーカーなら、子供達が今すぐ危なくなる事はないと思うわ。寧ろ、この茨は何かから子供達を守っているんじゃないかしら?」
それなら二階はとりあえずこのままにしておき、他を捜索して『何か』を確かめた方がいいのではないか。
今まで何度もシーカー絡みの依頼に関ってきた奈津の言葉には説得力があった。
「それなら俺はまず警備室に行こう」
元々監視カメラの映像などを調べるつもりだったのだとファーフナーが名乗りを上げた。ただ、相手の目的、正体などが不明である以上単独行動はしない方が良いと、大和が同行を申し出る。
「私は地下に行くわ。茨で守っている場所はシーカー自身が直接守れない場所なんじゃないかしら?だったら、シーカーは茨のなさそうな場所にいる筈よ」
「ま、シーカーは全く話が通じない相手という訳じゃ無いしね。あたしも地下に行ってみるよ」
奈津とアサニエルは連れだって地下室に通じる階段に向かう。
「俺は事務室を見てみよう」
園長室以外で何か拙いものがあるとしたら事務室だ。証拠隠滅を図っている可能性もある。
「ボクは園長室の方に行ってみるよ。入れなくても声を掛ければ園長さんは答えてくれるかもしれないしね」
龍斗とジェラルドが警備室と逆方向にある事務室と園長室へ向かった。
余人から見れば、ある意味奇妙かもしれない。天魔事件であるにも関わらず、彼らが敵として見ているのは天魔であるシーカーではないのだから。
●
階段を降りると、奈津は息を吸い込んだ。
「シーカー、ここに居るのはわかってるのよ!出てきなさい!」
「あのねぇ、幾ら何でもそんなので出てくる筈が……」
アサニエルが呆れ顔で窘めようとした時、
「あら、久しぶりね」
積み上げられた箱の向こうから金茶の髪がひょいとのぞいた。
「……出てきちゃったよ」
アサニエルの声が何処か気抜けしたものになる。シーカーとは初対面ではないし、ある程度は知っているつもりだったのだが。
「でも、悪いけど今急いでるの。用があるなら後にして欲しいんだけど」
「ちょっと待ってよ!」
ここで姿を消されたら元も子もない。
「ごめんなさい、本当に急がなきゃならない事があるの」
「なんだい、それは?もしかして、誰か探してるのかい?」
地下に二つの生命反応がある事を、アサニエルにはシーカーに告げた。一つはシーカーだとしても、もう一つは?
「ありがとう!」
探知した位置を教えると、シーカーは身を翻して駆け出した。
「あ、ちょっと!何なのよ?!」
奈津とアサニエルも慌てて後を追う。
●
警備室にいた三十前後の男の態度は、思いの外礼儀正しいものだった。ここに来た二人が成人男性だったせいかもしれないが、警察に依頼された撃退士かと此方の事を確認し、自分は施設の出資団体と契約しているフリー撃退士だと名乗った。
「だとしても、随分と来るのが早くはないか?」
確かに警察から学園、そして自分達のところに依頼が回ってくるまで若干の時間は掛かっている。しかし、三人が目撃されたのは騒ぎが起きるより前の事だ。そして、既に警備室や事務室など、手がかりになりそうな場所を既に押さえている。
「さぁ……私は雇い主から指示されて来ただけなんで」
何があったのかよくわからないまま駆け付けると、目の前で茨が茂り始めたという。
もっともらしく話しているが、どうしても違和感は拭えない。いくら契約を結んでいるからと言っても、普通状況確認ぐらいはするだろう。それに、駆け付けたら目の前で事件が起こったという割には落ち着きすぎている。
「防犯カメラの録画を巻き戻して調べたいが、手伝いを頼めるか?」
録画自体には既に何らかの細工がされているかもしれないが、それならそれで相手の反応を見るという手がある。
最悪、何も掴めなかったとしてもこの男を足止めして他の四人の邪魔をさせないようにする事は出来る。
「しかし、この茨は厄介だな。切り払う事も出来ないなら、火でも付けて焼き払うしかないか」
大和がぼそりと、しかし男に聞こえる程度の声で呟く。
「全くです。中に人がいなかったらそうしたいところなのですが」
相手も然る者、簡単にボロは出さないようだ。
「この施設に出資している団体には随分と黒い噂もあるようだが、この件もそれ絡みという事はあるだろうか?」
「さあ、私のような雇われの身にはわかりませんよ」
のらりくらりと躱す男の前で、録画の再生が始まった。
●
「そこで何をやっている?」
事務室でなにやらごそごそしていた男を見つけ、龍斗はあからさまに冷ややかな声を掛けた。
その声に振り返った男……というより、青年といった方が似つかわしいだろう。せいぜい龍斗より二、三才上といったところか。身なりはサラリーマン風のスーツだが、目つきにどことなく歪んだ感じがある。
「そっちこそ何なんだよ?ここは部外者の来るところじゃ無いぜ」
「俺は子供達を救出する依頼を受けて来た、久遠ヶ原学園の撃退士だ」
「何だ、ご同業かよ。俺もガキ共を天魔から助ける仕事で来たのさ。で、その為の下調べをしてたってところかな」
嘘をつけ、と龍斗は青年に冷たい視線を投げる。本当に子供達を天魔から助けるつもりなら茨を切り払う方法か上級天魔か、どちらかを探している筈だ。
だが、その視線をどう受け取ったのか、青年は馴れ馴れしく龍斗の肩を叩いた。
「だったら協力し合おうぜ?おまえが壁ごとあの茨をぶっ飛ばして、その隙に俺が中に入る。再生したら中と外からぶっ壊して一人ずつでもガキを出す。これを繰り返せば、時間はかかるがいけると思わねぇか?」
「だったら、こんなところで燻ってる暇にどうして試さなかった?一人で来た訳では無いのだろう?」
龍斗の詰問に青年は目をそらす。警備室の男程腹は据わっていないようだ。龍斗は更にたたみかける。
「お前達は、何をしにここへ来た?」
●
「おう、心強いですよ〜☆宜しくね♪」
龍斗とは対照的に、ジェラルドは園長室の前にいた自称フリー撃退士に調子よく話しかけている。ここに居たのもまだ二十代前半の男だが、此方は口が重く、表情も余り動かない。ジェラルドとはいささか相性の悪そうな相手だ。
だが、それならそれで別のやり方がある。男だけにこだわる必要は無いのだ。
「園長先生はここに居るんだよね〜封鎖はされてるけど、声は聞こえるんじゃ無いかな?試してみた?」
男は無言で首を横に振る。
「園長先生〜いらっしゃったら答えてくださ〜い☆お助けに参りましたよ♪」
軽薄な調子で声を上げるが、目と耳は油断無く扉の向こう、そして男に注がれる。
「園長先生〜」
扉の向こうで気配がするところを見ると、ここに居るのは確かだ。しかし、全く答えないというのは……
(答えられない状態になってるか……或いは何か不都合があるかだね)
例えば。
封鎖されていても声が通る以上、言葉で脅迫するという手もある。
(もうちょっと材料が欲しいところだね)
●
「洋平君、しっかりして。もう大丈夫だから」
重い鉄蓋を開き、墓穴を思わせるような狭い収納庫から助け出した洋平は酷い顔色で息も絶え絶えだったが、それでも生きていたのはアウルの恩恵だったのかもしれない。
「この子、あの時の……?」
洋平にライトヒールを施しながら、アサニエルは呟く。彼女は以前、シーカーの元に身を寄せていた洋平を連れ戻す依頼を受けた事があった。
(その結果が、これだってのかい?)
苦い思いを噛みしめるアサニエルの横で、奈津が口を開いた。
「ねぇ、これってどういうこと?説明してよ」
「あなたは見たでしょう?この施設に出資してる団体のやり方を」
洋平も同じだ。母親亡き後のささやかな財産を勝手に処分され、何故そんな事になったのか知りたがった、それだけで。
「元々この施設はね……その団体が合法的に天魔被害者の財産を手に入れる為に作られたものなの。春海先生の発案でね」
一家がすべて行方不明、或いは死亡すれば、その財産を巡って意外な身内が現れる事も少なくない。だが、財産に面倒を見る責任が生じる子供の存在がついて来るとなれば二の足を踏む。
「春海先生は上手い口実を付けて子供達を『助けてやった』と思っているでしょうけど……それは結局自分に都合のいい間だけ。都合が悪くなれば、腐った林檎として捨ててしまう」
「それじゃ、もしかして一階にいた三人は……」
「そう。上の人間が寄越したのよ。もうこの施設は不要と判断したのね。だから……天魔と撃退士の戦いに巻き込まれた不幸な事故に見せかけて、子供達の存在を葬るつもりだったの。春海先生共々ね。もっとも、本人は自分までが腐った林檎として扱われてるなんて思ってもみないでしょうけど」
だが、彼らの誤算はシーカーという、本物の天魔が来た事だった。
「悪いけど、暫く洋平君をお願いできる?」
「それはかまわないさ。でも、あんたはどうするつもりなんだい?」
「あの三人の目的は子供達を消す事よ。サーバントを倒せなくても何の問題も無い。建物を破壊するか、火を付ければ事足りるわ。でも」
そんな事はさせない。確かに天使は人間を資源、家畜として考える者が殆どだが、それでも自分の庇護下にある者には責任を持つ。
人間ならばその責任さえ持たず、弱い者を食い物にし、要らなくなったからと踏みつぶして正当化されるのか?
力のある『人間』だからという、それだけで。
「そんな事ないわ!」
奈津が拳を握りしめて断言した。
「現に私達は子供達を助ける依頼を受けて来たんだから。ねぇ、シーカー。子供達を助けるって言う目的は同じよね、私達」
この際協力して子供達を助け、身勝手な目論見を叩き潰してやろうという奈津に、シーカーは目を丸くした。
「私は……子供達が助かればかまわないわ。でも、あなた達はどうなの?あなた自身は良くても、他の人は?」
「依頼の目的は子供達の救出よ。だったら子供達を殺そうとしてる方が敵よ」
奈津はスマホを取り出すと、素早く操作し始めた。事の次第を知らせる為に。
●
「いい加減、下手な芝居はやめて貰おうか」
奈津からの着信を目にした龍斗は敵意を隠そうとせずに言い放った。
「此方の情報、お前らの行動。それを照らし合わせれば結論は一つだ。お前らは子供達の命を絶とうとしている。違うか?」
「何を言ってんだよ?この茨、どう見たって天魔の仕業じゃねぇかよ……大体、お前は撃退士だろ?天魔を倒すのが仕事なんだろうが!」
見苦しい言い訳になど、もう耳を傾ける価値もない。
「俺達が受けた依頼は第一に子供達の救出だ。天魔を隠れ蓑に子供達を殺すというなら、例え人間であろうと俺の『敵』だ」
そして『敵』ならば容赦なく潰す。
その意志と共に踏み出した時、爆発音と共に建物が揺れた。
「何だ?!」
振り向くと扉の隙間から煙と焦げる臭いが漏れ出している。
「拙い!」
青年がその隙に窓の隙間から逃げるのは業腹だが、この際そんな事は言っていられない。扉を開けると渦巻く煙、そしてサーバントの壁を舐めるように上がっていく赤い火が目に飛び込んできた。
仮に一階から火が出れば二階の子供達は助からない。
ファーフナーの言葉が脳裏に蘇った。
(俺達が着くまでに細工をされたのか?いや、それより)
まるで狙い澄ましたように上がった火の手と煙を前にファーフナーは自然と事の次第を分析した。
元々、何かあれば施設ごと証拠を隠滅出来るように作られていたのではないか?
そして、男達の役割がその仕掛けが作動するまで発見されないよう、自分達のような邪魔者を引きつけておく事だったとしたら?
「待て!」
「やめておけ。それより子供の方だ」
逃げる男を追おうとする大和をファーフナーは押し止めた。
自分達が受けた依頼の最重要目的は子供達の救出。男達の存在はその障害に過ぎない。障害に気を取られて目的を見失う訳にはいかなかった。
事実、炎自体はサーバントに押さえ込まれているが、煙までは押さえ切れていない。撃退士ならば凌ぎきれるかもしれないが、一般人の子供達は中毒死の危険がある。
「おやおや、ホント、感心しないねぇ」
合流してきたジェラルドがおどけたように言うが、誰にも知られないように来た方にちらりと目をやり、呟く。
「今は子供達の事があるから見逃してあげるけど、今度やったらお仕置きだよ」
炎をたたき伏せるか、遮二無二茨を切り裂くか。どちらにしてもかなりの時間が経ってしまう。子供達がそれまで保つのか……
だが、そこに。
「シーカー!頼んだわよ!」
奈津の声が響く。同時に、サーバントが姿を変え始めた。壁や床を埋めていた茨はしなやかに宙へ伸び、まるで布のような形になって炎に覆い被さった。
炎と煙の両方が押さえ込まれ、同時に二階への道が開かれる。
「シーカー?あれが?」
大和が不思議そうな顔で奈津の隣に立つ、おとなしそうな金茶の髪をした少女を見た。
「まさか、お前と協力する事になるとはな」
察したらしい龍斗は少し苦笑した。以前の自分なら考えられない事かもしれない。
だが、感慨に浸ってはいられない。まずは子供達を一階に降ろしておいた方がいいだろう。幸い、食堂は扉が焼け焦げたものの中は無事なようだ。一旦ここに集めて問題は無いだろう。
サーバントを飛び越えるようにして一同は二階へ駆け上がった。
外が静かになった。
もう嵐は過ぎたのだろうか?
子供達はものを言わなくなったのだろうか?
春海はゆっくりと扉に近づいた。心が痛まない訳では無いけれど、これも仕方のない事なのだ。
(ごめんなさいね、あなた達の犠牲は無駄にはしないから)
警察への釈明を考えつつ、ゆっくりと扉を開けると。
「終わりを、お届けに参りました★」
銀髪長身の青年がの声が耳を打った。
●
「私が何をしたって言うの?寧ろ私と子供達は被害者よ」
「子供をダシに使わないでよね。何もしていないなら、どうして洋平君はあんなところで死にかけていたの?」
奈津の言葉に返答に詰まり掛けた春海だが、すぐに首を横に振った。
「知らないわ。それにね、私は子供をダシになんか使っていないのよ?子供達に聞いてご覧なさい」
子供達は自分の潔白を証明してくれる筈だと、勝ち誇ったように言う春海に撃退士達は小さく嘆息した。
残念ながら、施設から証拠になる書類などは出てこなかった。春海、そして洋平を含む子供達の証言に頼るしかない。
「相変わらずですね、『春海先生』」
すっとシーカーが進み出た。
「いつだって自分は正しい、周囲の人に聞いて見ろ。あの時のまま、何も変わらない」
「お前もこの施設の出身なのか?」
思わず龍斗が口を出す。シーカーの態度から彼女とこの施設が無関係とは思えなかった。
「違うわ」
あっさりとシーカーは否定した。
「もっと、ずっと前の事よ。まだ、天魔やアウルの存在さえもろくに知られていなかった、そんな時代のね」
その言葉に、春海の目がじっとシーカーに向けられた。やがて、何かに気付いたようにその目が見開かれる。
「し、詩歌ちゃん……?!いいえ、そんな筈はないわ。あの子はとっくに死んだ筈よ?生きていたとしても、もう子供達の母親と言ってもいい年の筈……」
「そうですね。人間としての『堀田詩歌』はあの時に死にました。今ここに居るのはそこから生まれた天の使徒。シュトラッサー・シーカーなんです」
力強さと諦めとが絡んだ口調でシーカーは続けた。
「自分の所為ではない、それならばあの時の私達が何の責めを負わなければならなかったのですか?」
「仕方ないのよ!あの時は誰にも判らなかったんじゃないの!」
「……ええ、さっきのは人間『堀田詩歌』としての最後の愚痴です。さようなら、『春海先生』」
シーカーは顎を引き、険しい表情で春海に言い渡した。
「あなたは救うという名目で子供を集め、実際には我が身可愛さに子供達が余計な事を言わないように施設に縛り付け、時にはそれを利用して子供を闇に葬ってきましたね」
すっとシーカーの手が上がった。
「このままあなたを放置すれば、いずれ第二、第三のあなたが出て来るでしょう。天の使徒として、私はあなたを断罪します」
「ちょっと待て」
龍斗が割って入った。シーカーと春海の間に何があったのかはよくわからない。ただ、わかるのは。
「その女の命を絶つのは簡単だ。だが、そうしたところで何も変わらん」
喜ぶのは春海のような人間を操り、犠牲の上に私利私欲を貪ってきた者だけだ。
「それを止められるのは、そいつらの罪を明らかに出来る……あの子達だけなのだ」
そう言いながら、ファーフナーの心のどこかで嘘だと呟く声がする。仮に春海やその背後にいる団体の罪状が明らかになっても人の暗部が消え去る筈もない。
ささやかな善意の勝利を信じられるほど若くもないが、それに飲まれて依頼を忘れるほど愚かでもないというだけだ。
だから、シーカーに頼む。子供達から話を聞き出して貰えないかと。
「いいでしょう……ただし、そうなったらあの子達は人間の側に戻らないかもしれませんよ?」
●
「もうちょっとだから、待っててね☆」
焼けた臭いを追い払うように、食堂には食欲をそそるスープの匂いが漂う。
事に子供達が巻き込まれる事を予想してジェラルドが毛布と暖かいスープを手配していたのだが、何の手違いかスープが冷めてしまったのでここの設備を借りて温め直しているという訳だ。
けれど、却ってそれは良かったかもしれない。単に美味しそうと言うだけでなく、立ち上る湯気が空気を暖めてくれる。
無言で毛布に包まって座る子供達の表情は相変わらず固く、言葉も笑顔もないが、少しだけ雰囲気から棘が取れたような気がする。
「……守るって、こういうことで……それを知っている子はきっと、優しく勇敢になれるから……ね☆」
殆ど癖のようにおどけた口調で説教めいたことを言ってしまうジェラルドだったが、子供達は寧ろ引いたように見える。
「……同じなのよ、その言い方は。春海先生とね」
ここから出ても、人の世界ではどこに行ってもここと同じ。そんな風に思わせてしまったようだ。
証言したとしても密告屋という目で見られるだけ。だからこそ、証言してしまえば人間以外が支配する場所……この場合は天使の領域に行くしかない。
明日、否、今からどこに行けばいいのか。その答えを撃退士達は与えてやれない。今ここでそれを与えられるのは、皮肉な事に天魔であるシーカーだけなのだ。
無理なのだろうか?施設の裏にある罪状を明らかにし、人の社会に止まらせる事は。
深い溜息をついた大和に勝之助が寄り添う。自分には親も、受け容れてくれる人々もいた。けれど、この子達には……
その時、アサニエルの携帯に着信があった。
「あ?また警察かい?急かさないで欲しいもんだけどね」
少しうんざりした面持ちで通話に応じたアサニエルの耳に届いたのは警察官の声ではなかった。
『失礼します、私は泉堂詩歌と言います』
奈津があ、と言いたげな顔になる。
警察への情報提供者であり、十代にして泉堂グループの事業に関わる詩歌と、奈津は以前にも依頼絡みで顔を合わせた事がある。
『単刀直入に言います。もし、そこにいる子供達の行き場がないなら泉堂グループで責任を持って引き受けましょう』
「え……?」
確かにそれは願ってもない話だ。今ひとつ信じ切れない部分はあるものの久遠ヶ原とも依頼を通じたコネがあり、ここよりはよっぽどマシかもしれない。
「でも、どうして?」
今の世の中、孤児は多い。わざわざここの子供達を引き受けるメリットが何かあるのだろうか?
『ええ、少なくとも私と養父には。私達は、ある意味その子達と同じだったのですから』
「どういうことだい?」
『それより、そこにシーカーと名乗っているシュトラッサーがいるなら替わって貰えませんか?』
天魔被害者に関わっているとは言え、一般人である詩歌が使徒に何の用があるのか。無言の疑問の中、シーカーは携帯を受け取った。
『こんな形ですが、初めまして、シーカー……いえ、詩歌叔母様と言った方がわかりやすいかもしれませんね。私の旧姓は堀田。あなたの姉、堀田舞歌の娘です』
●
天使の領域と泉堂グループ。
二つの選択肢が示された事で気が楽になったのか、子供達の口から断片的にではあるが捜査の糸口になる事実が語られた。
子供達の多くは泉堂グループ関連の施設に一旦引き取られ、数人がシーカーと共に行く事になった。
あと、ただ一人行く先が決まっていないのは……
「ちょっと、いい?」
奈津は洋平に声を掛けた。
洋平は元々シーカーの元に身を寄せていた事があり、当然シーカーと共に行くと思われたのだが。
「君、迷ってるんじゃない?今シーカーのところに行っても迷惑になるだけだって」
確かに、シーカーのところに行けば以前のように暮らせるのかもしれない。
にもかかわらず洋平が迷っているのは。
「君には力がある。でも、それを認めて訓練するのは怖い。違う?」
洋平の力は彼に碌な結果をもたらしてこなかった。拒否したいのはわかるが、だからといって拒否すれば消えるものではない。
「君がどんな選択をするか、私には口を出せないけど、これだけは覚えておいて。力はあるだけじゃ意味が無い。でも、訓練して使いこなせるようになればいろんなものが掴めるのよ」
洋平は答えない。すぐに答えが出るようなものでも無い。
彼に必要なのは、考える場所と時間であるようだ。
「ん……?」
撤収の準備をしていたジェラルドは誰かに袖を引っ張られた。十才かそこらの女の子。確か、シーカーと共に行く事を選んだ子の一人だ。
「ありがとう」
最初は小さな声で、次にははっきりと。
「スープ、ありがとう!」
「どういたしまして☆」
女の子はジェラルドにくるりと背を向け、駆けていく。
弁舌は届かなくとも、暖められたスープの温もりは届いた。
いつか、その温もりがあの子を振り向かせる時が来るのだろうか。
「次は、笑顔で会いたいねぇ☆」
天の思惑。
魔の暗躍。
それらを絡めて連なる人の業が、次第にその輪郭を現し始めていた。