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「この前は施設のネガキャンの片棒を担いだ形になってしまいましたからね。何とかこの施設への誤解は解きたいところです」
陽をはじめとする職員達と詩歌、そして同行した泉堂の秘書二人が挨拶を交わすのを少し離れて見ながらエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)は同じくこの場に来た鈴代 征治(
ja1305)に囁いた。
「そうですね。問題は施設自体よりも周囲の環境にあるようですから」
「ただ、それを考えに入れてもこの施設は閉鎖的過ぎると思うんですよねぇ」
それは征治も同感だった。そもそも彼らが施設の存在をクロだと誤解した理由はそこにある。
「複雑な天魔被害者の現状を見れば、察せられない事もないのですが」
それでも子供達を学校にも通わせず、世間と隔絶した生活がいつまでも続けられるとは思えない。
「それなんですけどね」
その閉鎖性の原因になっているのが元の施設を巡る経緯だ。しかし、考えて見ればそちらに関しても殆どわかっていない。
「その辺がわからないと、結局は元の木阿弥になる感じがするんですよねぇ」
「前とは別の意味でこの施設を調べる必要がありそうですね」
二人の視線の先で、陽と詩歌の挨拶が終わろうとしていた。
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町には澱んだ空気が流れていた。声高に何か言う者も無いが、ちょっとつついたら爆発するような不気味な雰囲気が漂う。下手に噂や雰囲気の出所をなどと言い出せば悪意が吹き上がって一気に広がっていきそうだ。はっきりと天魔が現れた訳では無い以上、撃退士だといっても簡単に話してくれるかどうか。
そんな雰囲気に困惑した天羽 伊都(
jb2199)はもう一度役場を訪れた。だが。
「そう言われましてもね。暴動とか言われても何のことだか」
「知らない筈はないでしょう?町中が何かおかしな事になってるんですよ」
対応に出た初老の職員に伊都は食い下がった。知らないと言っているが目がせわしなく泳いでいたり手元がそわそわしていたりと怪しい。
とはいえ、何か隠しているだろうと切り込むだけの材料もない。
「せめて十年前に何があったかだけでも」
「この前お見せした資料で全部です。確かに酷い火災でしたけど、単なる失火だったんですし」
ため息を吐いた伊都を諦めたと思ったのか、初老の職員は部下らしい若い職員に声を掛けた。
「用はもう済んだそうだ。表までお送りしろ」
要するに体よく追い払うつもりのようだ。言われた若い職員が此方ですと伊都を促す。
これは失敗か。伊都ががっくりした時。
「あんたも大変だね」
妙にしみじみした口調で案内の職員が話しかけてきた。
「撃退士って言っても、結局は撃退庁の宮仕えだろ?上司の命令で頭の固いおっさんの相手もしなきゃならないし、世間は公務員つーだけで……」
色々誤解がある上に仕事の愚痴になっている気がするが、
「そうですよね。役場ってのも同じなんですかね?」
適当に調子を合わせる。せっかく向こうから口を開いたのだ。この機会を逃す手はない。
「大体、そんなにピリピリする必要なんて本当は無いんだよな。あのおっさんも自分が言ったって言われたくないだけなんだから。けどまぁ、こんな土地にいるとね……」
下手に言うと、自分がやばい噂のネタになるからねと若手職員は周囲を気にしながら笑う。しかし、訳もわからず言えない雰囲気になれば却って誰かに言いたくなるのもまた人間だ。
「俺が喋ったなんて言いふらさないで欲しいんだけど……」
『昔の施設は冗談抜きで黒い噂の宝庫でね。実際、子供の様子はどう見ても尋常じゃなかったけど、皆見て見ぬ振りだったね。天魔に関係してる奴の身内ってのが一番の理由……でも、当時のお偉いさんが賄賂を貰ってそれを煽ってたとか。ま、噂だけど』
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「んー、集会ねぇ?聞いたことないなぁ」
運転手は済まなさそうに助手席に座ったルティス・バルト(
jb7567)に答えた。町中を走るトラックに同乗していれば、いわゆる決起集会らしきものに出会うのではと考えていたルティスだったが、どうやらそれは外れたらしい。
寧ろ、誰かが引っ張ると言うより下から迫り上がってくるような不気味さがある。思ったより厄介なことだ。これでは『良い噂』を流しても逆効果になりかねない。
「でも、確かに何か妙な事になってるよねぇ」
人の良さそうな中年の運転手はやれやれと言うように首を振った。
「閉鎖的過ぎると思うんだよね、あの施設」
さりげなく運転手に水を向けてみる。
「業者も入り口までしか駄目なんて」
「別にあそこだけじゃないぞ」
運転手はちょっと周りを見て苦笑気味に答えてきた。
「よそ者の俺が言うのも何だけどなぁ……」
『この町の人間って全部が全部とは言わないが、何だか妙に人を警戒してるんだよなぁ。よそ者に対してだけじゃなく。まるで何かに怯えてるみたいに、さ。けど、みんなしてそれを隠そうとしてる感じで……何だか息が詰まるんだよな』
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「そう言われても……あれは単なる失火だったんだし」
地元の新聞社で、十年前にこの町で起こった施設の火事と現在の施設に関する記事を調べさせて欲しいと申し入れた小見山紗風(
ja7215)に返ってきたのはそんな言葉だった。今更面倒な事を穿り返すなと言わんばかりの態度だ。
確かに図書館やデータベースなどで確認できる記事は、施設が調理場からの失火で全焼し、職員・子供・来客数人が死亡と小さく出ているだけだ。
「でも、前の施設の悪評が原因で今の施設の人達が困っているんです。お願いします」
「あんた、撃退士だからっていえば何でも通ると思ってない?そういうのは警察の仕事だろう?」
「ですから……」
「それとも、あの施設は本当に天魔とつるんでるのか?」
とりつく島もないとはこういうことか。
「……失礼します」
これ以上言いつのっても却って悪印象を持たれることになりかねない。それにしてもここまで強固に断られるとは思わなかった。
「ちょっと、あんた」
不意に声を掛けられる。見ると、清掃員らしい制服を着た四十絡みの女性が手招きしていた。
「はい、何でしょうか?」
「気にするんじゃないよ。ここの上の人は変に神経質なんだから」
「あの、何かご存じなのですか?」
「まぁ、あたしはその頃外にいたから聞いた話なんだけどね……」
『あんな小さな記事なんておかしいって思わない?だって、本当に不始末だったとしてもよ?施設が全焼して何人も死んでるなんてこんな小さな町じゃ大事件の筈でしょ?同時期に何か、それを打ち消すような大事件があった訳でもないしね。調べられたら拙いことが何かあって、誤魔化したんじゃないかって話
があったけど……いつの間にか、誰も言わなくなったねぇ』
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目の前には渋い表情をした、おそらく定年間近の警察官。そしてここは交番。どうしてこうなった。
「何を聞きたかったのか知らないけど、子供に凄んでどうするの?」
警察官のお説教を稲葉 奈津(
jb5860)は憮然とした顔で聞いていた。
今の施設と十年前の施設が混同されているのはどういうことなのか。それを探る為にとにかく幅広く聞いてみようと思ったのだが、的を絞らない聞き込みは簡単に成功しない。それならばと子供に的を絞ったところ、まともに答えて貰えなかった上に泣かれ、保護者が警察に通報した結果がこれだった。
「人にものを聞く時にはやり方ってものを考えないと。聞けば答えて当然って訳じゃないんだよ」
そんなことはわかっている。一応自分にも問題があったと思えばこそ警官のお説教も黙って聞いていたが、それもそろそろ限界だった。
「お騒がせしてごめんなさい」
一旦謝って相手の気勢を削ぐ。
「改めて聞きたいのだけれど、どうして十年前の施設と今の施設が混同されてるのかしら?」
十年前は知らないが、今は閉鎖的なだけで後ろ暗いところなどない。天魔に関わった者への偏見があるにしても不自然ではないか。
警察官は虚を突かれたような顔で奈津を見、深々と息を吐いた。
『……どっちもこの町の後ろ暗いところに関わってるからだな。私の口からはこれ以上言う訳にはいかないよ。この町の人間なんでね』
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都市部に比べれば小さいとは言え、繁華街にはそれなりに雑多な人が行き交う。そこに殺伐とした空気はないが、代わりにじんわりと冷たいものが纏わり付いてくるような雰囲気がある。デモの申請もなく、居酒屋で声高に叫ぶ者もいない。予想とは違うその雰囲気に些か戸惑いながら佐藤 としお(
ja2489)は
鋭敏聴覚を使い聞き耳を立てていた。
一見静かでも、霧のように纏わり付く悪意はどこかで言葉となってこぼれ落ちる。それを拾おうというのだ。
「そういえば例の火事場跡の土地だけど、泉堂の方で買い取るらしい」
「何する気だ?あんな曰く付きの土地」
「やっぱり、奴らと……」
「余計なことを……」
「あいつら、復讐する気なんじゃ……」
物音をかき分けるように複数の、穏やかではない声が入ってくる。復讐という言葉にとしおは首を捻った。誰が誰に復讐するというのだ?
「どうして?私達は関係ないじゃない」
「奴らにしてみれば同罪だろう?」
「焼き払え。どうせ天魔とつるんだガキ共じゃないか」
「いや、泉堂はこの町に施設の管理会社を作るらしい。下手を打つと……」
声が何かに気付いたように萎んでいく。そこから先は耳をすませても聞こえない。周りを見渡したが、声の主達を特定することは出来そうもなかった。
ただ、問答無用に焼き払えという声が、としおの中に苦く残った。
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詩歌と陽の話し合いは滞りなく進んでいた。
それと並行するように征治とエイルズレトラの手元に情報が集まってくる。
「何となく繋がりましたねぇ」
エイルズレトラの呟きに征治も頷く。まだ推測で埋めている部分もあるし、傍証をこれから固めなくてはならないが、おそらくは当たらずといえど遠からずと言ったところか。
「この施設には知られて困るような事など何一つ存在していない筈です」
ちょっといいですかと断りを入れて、エイルズレトラは詩歌と陽を見た。
「にもかかわらず、今のような閉鎖性は大いに問題があります」
「僕も同意見です。今までのように孤立無援の時であれば仕方のない事であったとしても、これからは違う筈です」
陽の顔が歪んでいる。激しい葛藤を辛うじて押さえ込んでいる、そんな表情だ。一方詩歌の方は我が意を得たりとばかりに微笑んだ。
「全くその通りです。ですから、此方としてはこの機会に施設の新築移転を提案します」
この建物はあちこちで老朽化が進み、町から離れている。子供を学校に通わせたり、町に出かけたりするのにもっと便利な場所に移転すべきだと。
「いや、急に話が大きくなってきたので……少し、頭を冷やして来たいのですが」
「そうですね。では、しばらく休憩と言うことで」
詩歌の言葉に、陽がフラフラと出ていく。その後を、自分も休憩するようなさりげなさで征治が追った。
簡素な机の上は綺麗に整頓され、中央に白い封筒が置かれている。その脇にあるのは鋭利なカミソリ。陽は奇妙に安らいだ面持ちでカミソリを手に取った。
「やめてください。あなた一人が罪を背負って死んでも誰も救われません」
その声と共にカミソリを取り上げたのは征治だった。
撃退士がそれぞれ知り得たもの。それらは一見バラバラなようでいて、繋ぐと一つの輪が出来る。
「あなたは十年前の火事の時、どういう理由でかあの火事が子供達の誰かによ
る放火だと思い込んでしまった。そうじゃないんですか?」
そして、その火事が単なる失火として処理された時。子供を傷つけずにすむ安堵と同時に不安と疑心に苛まれることになった。
いつかその罪が明るみに出、子供達が引きずり出されるのではないか。
そもそも誰が、何故やったのか。
罪が隠されるのと同時に事実を明らかにする機会も失われ、後はひたすら明らかになる事に怯え、明らかに出来ないことに苦しむ泥沼が続く。
「あなたが死んでも、何も変わらないんです」
ただ、残された子供の誰かが復讐の鬼と化すだけ。
町のある人々が疑い、恐れたように。
「何故今の施設と十年前が混同されているのか、やっとわかった気がします」
エイルズレトラはさりげない風を装って詩歌に言った。
「それは、十年前の子供達が町の人達の罪を知っている存在だということを認めたくなかったからですね?」
人は自分の罪を自覚した時、罪悪感と同時にこうも思う。
自分は悪くない。自分のせいではない。自分が断罪されることなどない。
相手が見下している存在なら、尚のこと。
だから、人々はこの施設に罪を被せた。断罪の資格を否定する為に。
「あなたは、いえ、泉堂グループは知っていたのですか?」
「いいえ、全然。だから驚いてるけど?」
その言葉が本当か否か。エイルズレトラにも読み取れなかった。
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撃退士達の調査を元に、泉堂グループがいち早く十年前の『真実』を公表、罪は天魔への恐怖を隠れ蓑に犯罪行為を働いていたかつての施設経営陣であり、賄賂を受け取ってその犯罪に手を貸していた一部の役人だと宣言したことで、町は一見落ち着きを取り戻したように見えた。
「町の人達は、噂を鵜呑みにしていた訳ではなかったのですね」
施設を見上げながら、紗風が呟いた。
見て見ぬ振りの報いをいつか受けることになるのではないか。
それでも自分だけは悪くない。
直視することを怖れ、誰かに指摘されることを怖れ、その弱さを誰かに擦り付ける事でしか折り合いを付けることが出来なかった。
そんな人々に、この結果は一番優しいものだったのかもしれない。
しかし。
「気にいらないわ」
奈津が苛立たしげに地面を蹴った。
「まるで、誰かに踊らされてる気分よ」
極力誰も傷つかない、曖昧な結果。それはまるで、暗闇を抜けたら霧の中にいたようで。
結局何も変わっていない。
これが結末なのか、過程なのか、それすら曖昧だった。
あらゆる災厄が解き放たれた後、パンドラの箱に残されたもの。
その名は『希望』。
それは福音か、それとも呪詛か。
誰もまだ、知らない。