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火のない所に煙は立たぬと言うが、さて、火元はどこなのか。
小見山紗風(
ja7215)がふとそんな事を考えたのは、噂から抱いたイメージと今目の前にいる施設の印象とが違っている所為だろうか。
確かに建物は古く、傷んだ箇所もありそうだが後ろ暗い事が行われている場所によくある澱んだ感じは薄い。
「遅れている被害者遺族のケアという面からも、依頼者はこちらへの支援を前向きに考えています」
依頼主から貰った委任状を示しつつ、鈴代 征治(
ja1305)は施設長に告げた。施設長はテーブルを挟んで座っている征治、紗風、そしてアレクシア・ベルリオーズ(
ja6276)と知楽 琉命(
jb5410)を確認するように見る。頷いて見せつつアレクシアは施設長に身なりを確認する。
白いシャツと紺の替えズボンはありふれた量産品で、清潔にしてはいるが洗いざらしで質素なものだ。私腹を肥やしているという感じではない。施設長自身も思ったよりも若く、顔の右半分を髪で覆っているが、気になるのはそれくらいだ。
「抜き打ちで申し訳ないのですが、調査にご協力いただけないでしょうか?」
誠実さを感じさせる物腰で征治は目的を告げた。
養護施設の多くは資金面での運営が苦しい。普通なら調査を断ることはないだろう。一方、噂が事実であるならば……
「勿論です。わざわざ有り難うございます」
施設長の反応は極めて真っ当なものだった。むしろ撃退士達の方が戸惑いを感じる程に。
「それでは早速ですが」
アレクシアと琉命が事務関係の記録や物資の状況などを確認したいと申し出ると、すぐに事務担当と思しき職員が呼ばれた。その職員も最初こそちょっと警戒するような目をしたものの、施設長から話を聞かされると一転して好意的というか、むしろ縋るような目で撃退士達を見た。
「ご案内します。必要な事やわからない事があれば何でも言ってくださいね」
その様子にいささか拍子抜けしながら職員の後に続くアレクシアと琉命の後ろ姿を見ながら
「もしかしたら、私達は噂に惑わされ過ぎていたのでしょうか?」
紗風がそっと征治に囁いた。噂はあくまで噂と言いながら、いつしか施設で悪事が行われていると決めつけ、その証拠をつかむ方向へばかり思考が傾いていたのではないか。
「まだわかりません」
征治は慎重に呟く。まだ調査は始まったばかりだ。絶対にばれないという自信があるのかもしれないし、知っている者と知らない者がいる可能性も否定できない。征治は施設長に向き直った。
「出来れば職員の方や入所している子に、個別に面談したいのですが」
施設長の態度に躊躇いのような気配が見える。
「どうでしょうか?」
「職員は問題ありません。ただ、子供達は……」
「無理ですか?」
「半数ほどの子は大丈夫です。ただ……」
この施設にいる子供達は天魔事件絡みで家族を失い、周囲から迫害され施設にすら拒否されて精神的に深い傷を負っている。その為人を極度に怖れ、部屋から出られない子もいるという。
「ですから、面談という事になると……」
「わかりました。面談できない子は所在確認だけでいいです」
ここで無理押ししても仕方がない。征治は紗風に頷いて再び施設長に向き直った。
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人気のない2階の窓からひょこっと頭が覗き、辺りを伺うとするりと中に入り込む。一見すると入所している子かと思われそうな外見だが裏から潜入したエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)だ。
「思ったよりも簡単でしたね」
確かに塀の代わりにネットが張ってあったり、鳴子が仕掛けてあったりはしたもののエイルズレトラにとってはどうという事はない。一般人ならまだしも撃退士や天魔が相手なら無意味と言っていい。
「これは、子供を逃がさないようにする為でしょうかね?」
「これはここでいいのかい?良かったら運ぶのもサービスするけど」
段ボール箱を運び込みながら、配送業者の制服を着たルティス・バルト(
jb7567)が愛想良く女性職員に声を掛ける。もっとも職員の反応は困りますの一言だったが。
「すみません、搬入された物はこれだけでしょうか?」
素知らぬ風を装ったアレクシアが近づき、職員に聞こえないように小声で囁いた。
「それで、業者の方はどうでしたか?」
「残念だけど、何か知ってるようには見えなかったね」
搬入する業者は天魔と馴れ合っている奴らがいる場所として嫌っていた。仕事だから仕方が無いが、下手に関わって厄介事に巻き込まれたくないという感じでさえある。天魔との取引に関わるどころではない。
「物資や金銭にもおかしなところはありませんね」
むしろ、少ない収入を遣り繰りして良くやっていると言うべきだろう。職員達が同じ敷地内の寮に住んでいるのも、そうでもしないと生活が成り立たないのが理由と思われる。施設全体が、さながら一つの大家族のようだった。
調べれば調べるほど噂とはほど遠い、健気な施設であるという証拠しか出てこない。
どうしたものかと思っていると、さっきの職員がこちらを見ているのに気づく。ルティスに対して警戒を解いていないようだ。
ここで不用意にスキルを使うのは得策ではない。
「これだけの荷物を運ぶのは大変でしょう?こちらの業者さんに手伝って貰ってはどうですか」
さりげなく勧めてみたアレクシアだったが、職員は複雑な表情で首を横に振った。
「以前、嫌がらせや八つ当たり目的で入り込んだ人がいたので……」
それ以来、搬入口から奥には業者を入れないようにしたという。あり得ない事ではないが、信用していいものか。
しかし、ルティスも日頃は客商売なだけに引き際は心得ている。ここで疑われるような事になったら、元も子もない。
とりあえず物資の搬入状態と、業者との癒着がない事を確かめただけでもよしとするしかなさそうだ。
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面談を受ける為に差し支えのない子供や職員が応接室の方に集まる中、琉命は部屋から出られないという子供達の確認に回っていた。職員の一人に案内して貰い、リストを元に部屋の外から生命探知でちゃんと居るかどうかを確かめていく。今のところ不審な点はない。
「先生、そろそろ面談の順番だよー」
どこかから子供の声がする。案内していた職員は困ったように琉命を見た。
「行ってください。外から確認するだけですから私一人でも大丈夫です」
済みませんと頭を下げて職員が行ってしまうと物陰からエイルズレトラが顔を出した。
「行きましたね」
さっきの声は子供を装ったエイルズレトラの声色だ。頷いて琉命は誰かが居るのを確かめた部屋の扉に手を掛けた。
生命探知で所在は確認できても、どういう状態かまではわからない。申し出て見せて貰う事も出来たかもしれないが、それだと実態がわからない可能性もある。何しろ噂の存在に比して、ここに来るまで不審な点が何一つ見つからないのだ。これが偽装だとしたら並大抵の事ではない。
ゆっくりと扉を開けるとベッドとそこに座っている十三、四才の少女が目に入ってきた。
「こんにちは」
少女を怯えさせないよう、年が近いような外見のエイルズレトラが声を掛けたが全く反応しない。琉命がマインドケアを使ってみたが変化はない。警戒や恐怖ではなく、感情を無くした状態なのだろうか。
思い切って少女に近づき、触れてみるがやはり反応はない。と、触れた肩の近く、首の辺りに目がとまる。
そこにあったのは引き攣ったような皮膚。おそらくは服の下になっている部分にも続いていると思われる火傷の跡だった。
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一旦食堂に集まって貰い、それから応接室で個別に面談するという方法を取った征治と紗風による面談は概ね順調に進んでいた。食堂を紗風、応接室を征治が担当して話したり様子を見たりしていたが、特におかしなところはない。
時々はしゃいだり退屈してふてくされる子が居たりして滞る程度だ。
「遅くなってごめんなさい」
稲葉 奈津(
jb5860)が顔を出したのを潮に面談は一旦休憩になった。
「それで、どうでした?」
征治が奈津にそっと聞く。
「……別人だったわ」
奈津が遅れてきたのは、依頼者側に聞き取りを行っていたせいだ。周囲から疎んじられている施設にわざわざ支援しようという依頼者の意図を確認するという名目だったが、もう一つ確かめたい事があった。
「『泉堂詩歌』はシ−カーとは別人でしたか」
「そうよ。人間だったわ、あの子」
泉堂詩歌は支援の提唱者の一人として名を連ねる泉堂の養子であり、自らも施設出身である為に子供達が他人とは思えないと表明している少女……と、なっている。だが、征治や奈津にとっては別の意味を持っていた。
彼らは以前、詩歌という名で人に紛れていた使徒にまみえた事がある。そして、その使徒の行動にはしばしば子供が絡んでいた。だから、今回ももしかしたらと思ったのだが。
「でも、本当に関係ないとは思えないのも事実なのよね」
確かに泉堂詩歌は一般人であり、シ−カーとは別人だった。だが、それだけにしては似ているのだ。泉堂詩歌が髪を伸ばし、髪色を柔らかくし、包容力のある雰囲気になればそっくりではないだろうか。
単なる偶然の重なりか、それとも何か意味があるのか。
そんな時、彼らのスマホが着信を告げた。
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錆びかけたフェンスと『立ち入り禁止』の看板。その向こうには伸びた雑草の間から焦げ跡のような物が見える空き地。
天羽 伊都(
jb2199)の前にあるのはそんな光景だった。
「ここが、ねぇ?」
写真を撮り、メールに添付して送る。
依頼を受けた際に示された情報は色々あるが、その多くが噂とか不確かな情報だ。その上に乗って調査を進めても大丈夫だろうか?
そう思った伊都は町にとどまり、自分の耳目と足で傍証固めを行っていた。
施設から子供が逃げてきたとか、何か変わった事に気づかなかったかなどと聞き回っている内に反応に温度差がある事に気づいた。
『撃退士?やっぱりあそこはろくでもないところだよ!』とばかりに嫌悪感を露わにするのはある程度年齢のいった者。
『本人に罪は無いって言ったって、やっぱり関わると面倒じゃない?』という感じになるのは比較的若い年代。
その点が気になって役場や地元新聞社、警察などを回って施設にまつわる話を集めた結果。
噂が本来は今の施設ではなく、施設の前身にまつわるものだった事を突き止めた。
横領着服、虐待が日常化した施設。それを正当化してしまう周囲の偏見。そんな中、その施設は火事になった。十年前の事だ。多くの子供と酒を飲んで寝入っていた職員が焼死し、生き延びた子供達も体と心に深い傷を負った。
その当時の施設があったのが、町外れのこの場所なのだという。
「今の施設長はその時の子供の一人、ですか」
複雑な思いと共に、伊都はぽつりと呟いた。
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「江島諭君、よね?」
征治と交代で面談に入った奈津は相手を確認した。年の割に落ち着いた感じのする子だが、どこか会ったばかりの頃の杏里を思わせた。
「はっきり聞くけど、これはどういう意味?」
奈津は、征治が杏里から借りてきた葉書を見せた。
「別に。ご無沙汰してたから、挨拶しただけです」
まるで用意した台詞を読み上げるように言う諭。
「お願い、教えて。私はあなたを助けたい……いいえ、正直に言うわ。杏里が気にしてるなら手伝いたいの」
「あなた、彼女の何なんですか?」
「私?私は杏里の……友達よ!」
一瞬、諭の表情が変わった。嘘だろ、とでも言いたげな、決して好意的なものではなかったが、取り繕ったものではない諭の貌だ。
「確かに、杏里がどう思ってるかはわからないわ。私が勝手に思ってるだけかもしれない。それでも、私は手伝いたいの。お願い」
それを諭がどう取ったのか。相変わらず疑いの色は表情から消えないが、それでもゆっくりと諭は口を開いた。
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黄昏が近づいている。
一旦調査を切り上げた撃退士達は施設から少し下った位置で集まった。眼下には町が広がっている。
「施設から助けて欲しいのではなく、施設を助けて欲しい。そういうワケか」
ルティスがやや憮然とした表情で呟く。
「ここでの話を信じるなら、この施設は非合法どころか子供達にとって最後の砦に等しい、そういうことになります。けれど…」
征治は言葉を飲み込んだ。
今回の調査の結果知り得た事実。それは思っていたのと全く違ったものだった。そして、その事実が次に違う側面を見せる事が無いと誰に言えるだろうか。
どうして十年前の噂が、今になってさも現在のものであるように言われているのか。
天魔との取引は実在したのか、それとも猜疑が生んだ妄想だったのか。
生き延びた子供は、どうしてここにまた施設を作ったのか。
明るみに出た事実と新たな疑問を孕んで、施設と町に夜の帳が下りていく。
どこかに在るだろう災厄の箱と、それを開ける手を飲み込みながら。