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寂れたバスターミナルに人々が集まりつつあった。皆、表情に多少の不安や心配は感じられるものの、足取りは軽い。既にバスは人が乗り込めば何時でも発車出来る状態のようだ。
「大丈夫だよ、田中さん」
温厚そうな初老の男性が、避難者の『田中』として人々に混じっていた田村 ケイ(
ja0582)に声をかけてきた。
「落ち着いたら親戚の人にも連絡してあげればいいんだから」
「出来るんですか?!」
行く先が天使の結界内だとしたら電波など通る訳がない。
「さすがに通信までは整ってないって事だけど、詩歌ちゃんはあっちこっちに行くからねぇ。手紙とか渡しておけばいいよ」
「ああ、そういうこと」
結局、一度行ったら戻れないのは同じなのだ。そして彼らはそれを知った上で行こうとしている。
皆と一緒にバスの近くまで来たケイは乗車口を素通りすると、バスの前に立ちはだかった。運転席にいた老人の顔が強張るのが見える。
「ごめんなさい、皆さん。やはり移動するのは待って頂きたい」
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「だまされた人々を、ともに救い、護りましょう!」
地元の撃退署で、署長や署員に対してラグナ・グラウシード(
ja3538)は町の人々が天魔に誑かされていると説いていた。
本当のところはどうなのか、正直ラグナにはわかりかねる。しかし、このままでは署員達は町の人々を敵視し、攻撃をしかねない。どんな理由があっても、町にいる人間の殆どは一般人なのだ。
「街の状況を知らせてきた電話は、住民の誰かからのものかもしれない……助けを待っている人が、あそこにいるのかもしれません」
だが、署長は苦々しげに吐き捨てた。
「その電話の発信位置ならこの近くだ。あの町の人間ではあり得ん」
天魔の同調者を庇うなら出て行けと言わんばかりの態度にラグナも一旦は黙るしか無い。
「でも、ゲートが本当にあるかもわからないのに町の討伐は早すぎるのではないですか?」
学園に依頼して人数を揃え、まずは真偽を確かめる事が先なのではないかと雫石 恭弥(
jb4929)が続けるが。
「そうやって誤魔化す気か?そういえば、近頃の久遠ヶ原は天魔やハーフなどの輩にまで撃退士を名乗らせているそうだな。だから天魔の擁護という訳か。全く恥知らずな!」
近くにいた署員三人も首肯する。
年齢からして彼らは旧体制下の卒業生だろうか。だとすれば、彼らの猜疑や不満も仕方がないかもしれないが。
「……いい加減にしろよ。あんたらはあの人達を守って感謝されて愉悦に浸りたかったんだろ?それをしっぺ返しを喰らってムカついた。だから彼らに悪意を向ける。違うか?恩着せがましいんだよ!戦うと決めたのは自分自身の筈だ!」
「何だと……いい気になるなよ、ガキが」
恭弥と署員達が睨み合いになった時。
「まぁまぁ、どっちもそう尖らんと」
場の空気をものともせず、白々しい程いい笑顔でゼロ=シュバイツァー(
jb7501)が割って入る。
「まいど。今回は秘書代わりに使ってくださいな。学園とのつなぎやとでも思ってください」
にこやかに、しかし有無を言わせぬ押しの強さで署長の横に立ったゼロに気勢を削がれたのか、署長も署員も苦虫を噛み潰したような顔で黙る。
「それより急がないと。道路だってまともに通れるかどうか」
日下部 司(
jb5638)も言葉を添える。山道は慣れた者でもなければ迷わず進むのは無理そうだ。ここから町に入る唯一の道路が塞がれている可能性もある。言い争っている場合ではない。
「ほな、お仕事と行きましょか?」
空気は不穏なままだったが、彼らは動き出した。
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「あなたにとって人は心を傾けるべき隣人?それとも目的を達成するための駒ですか?」
閉ざされた役場の扉。その前で蜂蜜色の髪を靡かせる背中に鈴代 征治(
ja1305)は声をかけた。同時にそっとICレコーダーを作動させる。ここで話を断るなら畳み掛ける言葉も用意していたのだが。
「どちらかと言うなら前者ね」
向き直りながら、使徒は穏やかに応えた。
「本当にそうですか?支配領域での感情吸収は一切していないと?」
「それはないわ。ただ、死ぬほど搾り取る事は滅多にない。人は普通に仕事をしたり楽しみを見つけたりして生活し、私達はそこで高めた感情を集めているの。ただ、それだけに一人あたりから取れる量は小さいから常に一定以上の人数がいるのだけれど」
「それじゃ、やっぱり隣人じゃなく家畜じゃないですか?!」
「そう?でもね、あなた達はどうしてそんなに家畜を蔑むのかしら?」
家畜は種族維持の為に人間と上手く付き合うことを選んだ賢い存在ではないか。
「……人間は牛や豚とは違います」
結局は人を搾り取るだけの『物』として見ているのではないか。その意を込めた征治の視線も、シーカーは穏やかに受け止める。
「心ある人ほど一方的に施されることに苦しむものよ?あなた達にとって、自分と違うものや理解できない事は存在するに値しない、否定されるべきだというのかしら?」
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農業試験場の前に人影はない。ただ、枯れ木のようなサーバントに寄りかかって空に目を向けている杏里以外には。
やがて、その目が動いた。視線の先には天羽 伊都(
jb2199)の姿がある。
撃退署から合流してくる仲間を待つ筈だった伊都だが、道路が倒木で塞がっていると聞いて先に動くことにしたのだ。
とはいえ、この状態で討伐はし難い。
「君、迷ってるんじゃない?」
その言葉に応える声はない。ただ、杏里が薄く笑ったような気がした。
「住民を助けたいんだろうけど、シーカーに従うことが彼等の望みへ、幸せに繋がるのかな?ボクには仮初めな平和、それも酷く脆弱な保証の上でしか成り立たない物に見えるし、思考を奪う家畜の様な平和が彼等の幸せになるとはとても思えないよ」
天魔から人を守るということは天魔を撃退すること。伊都は今までそう思ってきた。けれど。
「だったら、あなた達は仮初めじゃない、絶対の保証がある平和を成立させてるって言うつもり?人を自己満足の道具にしていないって証明できる?」
さらりと杏里は伊都の言葉を躱した。相変わらずサーバントに寄りかかったままで。
力尽くで引き離すしかないか、しかし……と、伊都が迷った時。
「君は坂本杏里ちゃん……だよね?」
足止めされた為に徒歩で町に着いた司だった。
「そうだけど」
「君は町の人と行くつもり?向こうに行ったら人間と戦う事になるよ。そんなにまでして、何を守るつもり?」
「別に」
殆ど取り付く島もない感じだ。司は更に言葉を繋ぐ。
「君は大きな力からこぼれ落ちて顧みられない、小さなものを助ける存在になりたかったって?」
杏里の表情に変化があったように見えて、司は畳み掛けた。
「きっと、そんな存在になれる人なんていやしないよ、天魔にもね。小さいものを助けると選んだ時点で大きなものを見捨てることになる。自分が守りたいものを守る為に何かを切り捨てる、悲しいけどきっと真じ・・・いや、それは言いすぎか。これは俺の考えでしかないし」
「だったらいいんじゃない?あなたは大きな権力の為に生きればいい。それだけでしょ?」
杏里は簡単に説得や懐柔できる相手ではない。しかし、今は掛けられる時間は多くない。
「悪いけど、ボク達はそいつを討伐しないといけないんだ。君が退かないなら……」
伊都の言葉に杏里は身構え、しかし、次の瞬間には身を翻した。
「待っ……」
呼び止めようとして、司はやめた。今はサーバントを討伐する方が先だ。
二人は静かに佇むサーバントに向き直った。
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「自分たちと、未来の子達の為に決断したのはわかるんです。伸ばすべき手が届かなかった‥その結果だというのは重々承知。でも、待ってください」
自分が避難者ではない事を明かした上で、ケイは人々に呼びかけた。その横では稲葉 奈津(
jb5860)もバスの前に立ち、運転席を睨んでいる。
「皆さん、これを聞いてください!」
征治が録音したシーカーとの会話を流す。
「シーカーはやっぱり人を家畜のように見ているのではないのですか?僕達はれまでも多くの天魔との抗争を目にして来ました。天魔のゲート、支配領域は惨憺たる有様です。そこで人は死んでいない、だけで生きてはいません。感情を失って、そんな事になってさえ生きること、人であることに意味はありますか?」
「その程度の事は私達だって聞いているわ。その上で、私達は賭けることを選んだのよ」
人々の先頭に立ったアキが言う。征治にとって、これが幾度目だろう。
「あなたに不幸な経緯があったのは聞いています。でも、それに振り回されたらもっと不幸な人を増やしてしまう。それでもいいんですか?」
「どうして不幸と決めつけるの?あなた達……いえ、あなた達の上にいる人達に迎合する事だけが幸せだとでも言うつもり?」
「そんな事は言ってません。現に、今も今も久遠ヶ原から撃退署、撃退庁へこの町の現状を改善要求しています」
「それだけでしょう?あなた達は依頼でここに来ただけ。要求が実現しなくてもあなた達には何の関係もない。次の依頼に行って忘れるだけ。違うかしら?」
確かに要求を実現するか否か、決める権限まで学園生は持たない。
「だったら、私はシーカーを信じるわ。だって彼女は『仲間』だから」
アキ言葉に、人々が肯く。
「どうして?!彼女は……」
「天魔よ。私達を助けてくれて、そして一緒にここを守って、苦楽を共にしてきたのよ。それが仲間でなくて何なの?」
「本当にいいんです?」
ケイが言葉を挟む。
「サーバントを付けた人は保って命は一ヶ月。それに、ゲートの中で一般の人は長くても数年で廃人になります。 シーカーの言うことが本当だったとしても、彼女のような考えの天使は他にいないし、彼らがずっとそこを支配する保証もありません。 それでもいいんですか?」
「いいんだよ、田中さん……いや、撃退士さん」
騙されたと怒ることもなく、初老の男性が静かに言った。
「私達は、承知の上で選んだんだ」
「本当に?自分は満足して死ねるかもしれないし全員数年は守ってもらえるでしょう。でもそれは皆さんが効率よく感情を出せる間だけ感情だって無限じゃない。対価を大人で賄えなくなったら次は子供ですよ?皆さんが託そうとしてる、次の時代の子達ですよ!? 」
「それは人間の側でも同じでしょう?失礼ですが、私達はあなた達よりも人や世間というものを知っています。その恐ろしさも、危うさも」
悲しげな老女の言葉に、奈津が口を開いた。
「確かに、私もシーカーに共感できるところはあるわ。あなた達の考えももっともだと思う。わがままや自己陶酔で争うのも、虐げるのも人。だけど、人を思い遣れるのも人よ。私は諦めたくないわ。あなた達は諦められるの?」
「それはあんた達が恵まれてるからだよ。知らない訳じゃないだろう……例えば、身内をディアボロにされた者がどんな扱いを受けるか」
「あ……」
理由はどうあれ、一度は天魔に与した。彼らが思いとどまったとしても、待っているのは心無い言葉と仕打ち。それも又、どうしようもない事実。
声を上げ、仲間が集う弱者の力も強者に従えられるのが世の習いだと、強者の元に組み込まれた者には所詮わからないと老爺が言う。
「じゃあ、私が言うのはいいよね」
その言葉と共に姿を現したのは、杏里だった。奈津達の横を通り、人々に向き直る。
(杏理……全部背負わせるわけじゃないけど、信じるわ)
杏里の背中を見ながら、奈津は心の中で呟いた。例え、彼女の言葉が自分達の期待とは違っていても。
(色んな事情を持っているあんたが、自分の判断で動いたなら私は受け止めるだけ。同じ仲間だもん)
それが伝わったのかどうかはわからない。
「結論から言うと、私はこっち側に残る」
ざわめく人々に、杏里は続けた。
「この人達ってホントにわかってないんだよね。真面目に考えてる割に。だから、私達みたいな人間が何も言わずにさっさと向こうに行ったらずっとわからないままなんじゃないかな。取り返しのつかない事になるまで」
そして、声を上げるのは多いほどいい。
「向こうに行くのも悪くないと思う。でも、その時期は今なのかな。シーカーだって、今すぐ絶対に来いなんて言わない。それは皆の方がわかってると思うけど」
行くなとは言わない。でも、今焦る事もない。まだ、こちらでやるべき事がある。
その言葉に、人々の決意が揺らぎ始めた時。
「もういいだろう。こいつらは所詮人間を裏切った奴らなんだ」
棘のある言葉が征治達の背後から掛けられた。学園生達を押しのけて三人の地元撃退士が前に出る。
「観念しろ、裏切り者どもが!」
殺気立つ撃退士達は既に魔具を手にしている。
「何するの!やめなさいよ!」
奈津が鋭く声をかけ、征治もケイも地元撃退士達を止めようとするが間に合わない。
だが、彼らの魔具が人々に届くより早くラグナが割り込んだ。
「落ち着け!血迷うな!命を賭けてこの地域を守り続けてきたあなた方ならわかる筈だ!」
彼らの怒りはわかる。しかし、ここで町の人間に力を振るえば彼らの思いも死者の存在も、暴力という一語に塗り潰されてしまうのだ。
「そうですよ!あなた達は本当に面子の為にだけ戦ったんですか!違うでしょう?!」
追って来た恭弥が人々、特に子供達を庇うように立って呼びかける。
更にサーバントの始末を付け、杏里を追って来たらしい伊都と司も駆けつけた。学生とは言え、これほどの撃退士が揃えば地元撃退士の力押しは利かない。
その時、地元撃退士の持つ携帯が鳴った。
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「発信位置はわかっとるのに番号はわからん、誰かもわからん、オマケに肝心のゲートは確認できてへん、これで町のモンを皆しょっ引けっちゅーのは無理があると違いますか?」
署長の渋面の下にある葛藤をゼロは見抜いていた。今自分がどうすべきか、この署長はわかっていて踏み切れない。
「あんたは『署長』やんな?不明確な情報で動いてええんか?落ち着き、あんたはそんなもんやないやろ?」
それまでとは打って変わった厳しい表情と声。しかし、すぐに元のへらっとした調子に戻ると署長に携帯を差し出した。
命令の中止を伝える署長を見守りながら、ゼロは穏やかに呟く。
「そうや、あんたは自分の間違いを認めて皆を守ったんや。それでええんや」
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サーバント化しつつある老人達はシーカーと共に姿を消していた。残る人々を慮ったのだろうか。
「僕達には確かに撃退庁を動かす力なんてありません。今日の記憶だって、薄れてしまうかもしれない。だから、もしどうしても困ったことがあったら、諦めてしまう前に学園に依頼を出してみてください」
残った人々に征治は告げた。
諦めずに声を届けてくれたらきっと手を伸ばすから。
見捨てたくない気持ちは、今も心にあるのだから。