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「あの町には、非常に危険な兆候があります」
ラグナ・グラウシード(
ja3538)の言葉に地元撃退署の署長は渋面を作った。紳士的対応を使ってもそれは和らぐことはない。
(確かに署長の立場と今の状況では無理もないのだろうが)
見方を変えれば署の不手際を指摘されているようなものだろう。
だが。
(私たちが去った後も、この町は確実に撃退士によって守られるという確証がなければ……結局住民は気持ちを変えてはくれまい)
天魔から一般人を守るのが撃退士だが、同時にその立場は一般人に支えられてもいる。小さな町とは言え、その一般人が撃退士に背を向けようとしている事実は無視出来ないことではなかろうか。
「言いたいことはよくわかった。考えておこう」
今までの調査で判明した事実を挙げながら町への一層の保護を訴えるラグナに、署長もさすがに黙りは大人げないと思ったのか一応頷く。
「かなり遠方で、手が届きにくいとは思いますが……住民の皆様のため、お願いいたします」
一礼してラグナは署長室を辞した。
「出来るものならとっくにやっている。世間知らずの若造が」
ラグナの耳には入らない呟きが署長室に漏れた。
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(アウルを持たない一般人が天魔を倒す?胡散臭い事この上ないお話ですねえ)
そう思いながらもエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)は消防署で心にもない熱弁を振るっていた。
「普通の人間が天魔と戦える!これが事実なら実に素晴らしい事です!」
彼は噂を聞いて単独で調べに来た撃退士という触れ込みで町に入っていた。
「何か御存知でしたら、是非教えてください!」
しかし、大袈裟な態度にその場に居合わせた人間は明らかに引き気味だった。知らないとか、何の事かという態度が返ってくるが、気にすることではない。
目的は敢えて目立つことで動揺を誘うことと、他の撃退士に注意が行かないようにすることだ。
(それにしても、何だかガラーンとしてますねぇ)
以前、避難者に紛れてこの町に来た時にはもっと人がいたし、覗き見たアウル適性検査と思しきデータには十人以上の子供のものがあったと思うのだが。
(本当に被害は出ていないんでしょうかねぇ)
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人が少ない。そう感じたのはエイルズレトラだけではない。
「田中さんじゃないか」
その声に田村 ケイ(
ja0582)は振り返った。今の彼女は常とは違い、茶髪のウィッグに眼鏡という姿をしている。以前、避難者としてこの町に来た時の姿だ。そして、小走りにやってくる初老の男性には見覚えがある。作業を手伝った役場職員だ。
「急にいなくなったから、心配してたんだよ」
「すみません。親戚が探してくれてて」
「いいんだよ。元気なら良かった。でも、それならどうしてまたここに?」
「挨拶もしてなかったし、それに……まだディアボロがあちこち出てるって聞いて、安全だと思っても心配で…皆さんは大丈夫ですか?」
「気にしなくても良かったのに。済まないね」
「なんか、街の雰囲気も変わったような気がします。避難所の方は落ち着きましたか?」
町で見かける人が少なく、それも高齢者が殆どだ。以前来た時はもっと人が多く、年代もそれなりに広かった筈だ。
「あぁ、ここも危なくなってきたからね。少し前から避難を始めてるんだ」
「避難……ですか?」
周辺の市町村でここからの避難者を受け入れたという情報はない。一体どこに避難しているというのか。
「実は、私の親戚が住んでいるところも最近危ないんです」
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町に入ったところで姉妹らしい女の子が見えた。七才と五才くらいだろうか。
「ちょっと聞きたいんだがな」
なるべく優しく声を掛けたつもりの雫石 恭弥(
jb4929)だったが、子供達は見知らぬ長身の青年に怯えたのか、踵を返して逃げ出した。
と、一人の手から抱えていたものが落ちる。拾い上げてみると、少し不格好な猫の縫いぐるみだった。元は可愛らしく暖かみのあるものだったと思しきものだが、脇に出来た無残な鉤裂きの為に悲しい感じになっている。見た感じ、今出来たものではなさそうだ。
恭弥は持ち歩いている手芸セットを取り出して鉤裂きを繕い始めた。いつの間にか女の子達も近くに来て覗き込んでいる。
「よし、これで大丈夫だ」
鉤裂きの跡もよくわからない程丁寧に直された縫いぐるみを差し出すと、妹の方が受け取って抱きしめる。
「どうもありがとう」
姉の方がややぎごちなく口を開く。
どう致しましてと受け止めて、恭弥はさりげなく質問を切り出した。
「そういえば天魔が出るって理由でバスが折り返してたんだけど、ここに撃退士は来てないのか?」
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「だから!私は撃退士なの!危険な場所の捜索とかやらせて!」
警察署に稲葉 奈津(
jb5860)の声が響く。撃退士の立場とディアボロ退治の依頼を受けたと明かして協力を持ちかけたのだが、応対した警官の反応は。
「若い娘さんが早まるもんじゃないよ」
まるで気の毒な人を見るような目で宥められる始末。
「私のできうる限りやらせてもらうわ。貴方達もだと思うけど、私等だって犠牲者は出したくないのよ!」
「意気込みはわかったけど。あんたみたいに若くて綺麗な娘さんがそんなことをしなくてもいいだろう?」
「どの時代の話?!」
「いつの時代でも同じさね」
不意に奈津の後ろから声がする。振り向くと矍鑠とした老人が立っていた。
「どの時代だろうが若い者や、まして年端もいかない子供が戦争に駆り出されて年寄りよか先に死ぬ世の中なんぞ、碌なもんじゃない」
「だから?!私は受けた恩を返したいだけ。私を助けてくれた人がいる……だから私も人を助けたい!私の目の届くところで犠牲者を増やすのは絶対に嫌っ!」
しかし、老人はやれやれと言うように首を振った。
「あんたといい、あの子といい、どうして若い者は自分を粗末にするのかね……」
「あの子?」
奈津の眉根がピクリと動いた。
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冬枯れの山は思ったよりも見通しが悪い。ディアボロが潜んでいたとしても遠目に視認するのは難しそうだ。天羽 伊都(
jb2199)は撃退署で得た目撃情報のデータを頼りに町の周囲を調べ回っていた。
(町の中にディアボロは入っていないでいいんだよね?)
通報の殆どは山林を見回る役所の人間かバスの運転手からのものだ。撃退士が派遣されて確認したという資料は殆ど無い。
(大人の事情ってものがあるのはわかるけど)
廃ゲートの監視がある、人の多い場所が優先、人手が足りない。けれど、『仕方ない』に甘んじた結果が撃退士への不信感なら、せめて自分達だけでもしっかりやるしかないだろう。
(最近になって数が減ってるんだけどね)
その時、近くで枯れ枝を踏むような音がした。天魔かと身構える伊都の目に入ってきたのは。
「ありゃ、どうしたのかね、坊。道にでも迷ったかね?」
夫婦に見える年老いた男女の二人連れだった。
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仲間より少し遅れて鈴代 征治(
ja1305)は町についた。ディアボロの発見と討伐が急務であることは理解していたが、その為にも前回の関係者である彼上恭悟と直接会う必要があると考えたのだ。新しい情報の為ではなく、情報と推測を血の通ったものにする為に。
その結果、征治は確信した。
かつて征治が関わった事件で二十年前に存在し、それよりも前に幼児期の恭悟やアキが『お姉さん』と呼んだ少女が天魔であり、彼女は詩歌という名であの町にいる、と。
しかし。
詩歌が天魔だと指摘するのは簡単だ。だが、彼女が何故二十年以上も前から手段に問題有りとは言え見捨てられた者に手を差し伸べ、時には守ってきたのかがわからない。今指摘したとしても町の人間達は詩歌を支持し、撃退士に背を向けるのではないだろうか。
だから、その点を明らかにする為にもまずは目に見える証拠を。目指したのは高い塀に囲まれた、再開予定の農業試験場だった。
詩歌が関わって来た事件で使用されたサーバントの特徴、はぐれ撃退士が死んだ場所との位置関係、そして周辺の山林にそうしたサーバントの痕跡がないこと。それらを考え合わせると、果樹や菌類を培養する設備もあるここが最も怪しい。
「やっぱり…」
表面が苔むしたような、二メートルに満たない高さ割に太い一本の木。そのレートは大きく天界に傾いている。顕現させた槍を手に、征治は白く輝く穂先をその木に向けた。
「ここの人達を殺すつもり?」
少女の声が掛けられる。しかし、それは予想したものとは違っていた。
「誰?」
詩歌よりも年下に見える、肩先程の黒髪の少女。
「あーっ!やっぱり!」
門の方から奈津の声が響く。
知り合いなのかと征治が問おうとした時、地響きが辺りの空気を揺るがした。
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「下がって!下がってください!」
町を通る道路で伊都が声を涸らして呼びかけるが、老夫婦は振り向く事なく道に誘い込んだ大蜘蛛に向かっていく。まさか老夫婦がこれほど高い身体能力を持つとは思わなかった事で割り込まれ、蜘蛛を町に入れてしまった。
「僕は久遠ヶ原の撃退士です!任せてください!」
それでも力の差にものをいわせて老夫婦を捕まえて下がらせようとして、一瞬驚く。その両腕は、まるで金属の鱗に覆われたようになっていた。
「坊こそ下がれ!若い者が命を粗末にするんじゃない!」
「あんたみたいな子供に戦わせて、あたしら年寄りが平気だと思うのかい?!」
力の差とはまた別の、鬼気迫る迫力だった。が、伊都も自分が引くわけにはいかない。
そこにまた、横合いから数人が飛び出してきた。
「やめてください!あなた達が傷つくと悲しむ子がいるんです!」
させまいと、追って来た恭弥が立ち塞がる。
本音を吐けば、最初は積極的に戦う気はなかった。だが、子供達の話からこの町が置かれた状況を察した今は。
「退いてくれ、兄ちゃん!」
「駄目です!ここは俺達に任せて子供達の傍にいてください!」
けれど、老人達は引き下がらない。
「年寄りが若い者より先に死ぬのは当たり前だよ」
「兄ちゃんこそ、子供らと一緒にいてやってくれ。久しぶりなんだよ…あの子らがあんなに笑ってたのは!」
だが、そうこうするうちに大蜘蛛が彼らに向き直った。
間に合わない…?!
だが、その時大蜘蛛の向こうに舞い降りた者があった。
「さあッ!この私の美しさに、目を見張るがいいッ!」
ラグナの声と共に金色の光が渦巻く。それは大蜘蛛の注意を引きつけると同時に老人達を呆れたような目で脱力させる効果をもたらした。
その隙を見逃すことなく、恭弥が老人達を脇へと引っ張って退避させる。
開いた道。ラグナに気を取られた大蜘蛛の背。
伊都が一気に踏み出す。黒の剣風が大蜘蛛を見舞った。
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三体のディアボロが、町に出入りする三本の道路からそれぞれ侵入していた。住民の退路を断ち、追い詰めるつもりででもあったのだろうか。
撃退士達が手分けして動いていたのは、果たして運が良かったのか悪かったのか。
「遅い遅い。その程度ですか?」
町の一角にある駐車場で、スポットライトを浴びているようなエイルズレトラの笑い声が響く。少なくとも大蚯蚓にとっては最悪だった。
芝居がかった動作で大蚯蚓をを挑発し、周囲を動き回って翻弄する。大蚯蚓が身動きするたびに周囲には不気味な変色が広がるが、そこを狙って近くに止められたトラックの荷台からケイが銃弾を撃ち込んで来る為に、それ以上動くことが出来ない。
「さて、それでは幕引きといきましょうか」
どこから生じたか無数のカードが舞い、大蚯蚓に張りついていく。動きを止められてのたうつ大蚯蚓を、光を纏う銃弾が貫いた。
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試験場の前で大蛇を迎え撃とうとした征治と奈津だったが、そこで三、四人の老人達と鉢合わせした。
「危険です!避難してください!」
しかし、老人達は首を横に振った。
「済まんが、これは儂らの最後の意地なんだ。譲ってくれんか?」
「駄目です!」
「あんたはまだ若い。自分より若い者が死地に行くのをただ見ているしか出来ん年寄りがどんな気持ちか……」
自分に力があれば。子供や若者を死地に行かせずに済むのなら、自分の命など喜んで投げ出すのに。
そう思っても力がないという現実はどうしようもなく、虚しい嘆きだけが降り積もる中で降って湧いたような可能性。
「わかってくれ。数年を一月に縮めても、儂らの最後の望みなんだ」
老人達は頑として引きそうにない。気迫を使うしかないかと征治が思った時。
「何よ、それ!」
黙っていた奈津が老人達に喰って掛かりだした。
「戦えなかったら何もしてないって事?!違うでしょ!あなた達が頑張って支えてきた世の中があったから私を助けてくれた人がいて、その人がいたから今の私がいる!今まであなた達が頑張ってきた事が回り回っているのよ!」
自分はその恩を返したい。その方法が、たまたま戦う事だっただけ。
「なら、こうしましょう。あなた方はここを守ってください。僕達は討って出ます」
言いたいことも聞きたいことも山程ある。しかし、それは後だ。
無言の肯定を背に、二人は走り出した。
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三体のディアボロが倒れた時、既に辺りは夕闇に包まれていた。けれど、役場の町長室にはまだ灯りがついている。
「やっぱりあなたが来たのね」
アキは訪ねてきた征治を見て薄く笑った。
「おかげで色々とわかりました。この町が撃退士の力もないのに今まで無事だったのは……天使と癒着していたからですね」
告発とも取れるその言葉にアキはあっさりと頷き、次の言葉を促す。
「確かに今まではそれも仕方のないことだったのかもしれません。でも、これ以上そんなことを続けて隠し通せるものではありませんよ。いずれは撃退庁にとって無視出来ない問題になるでしょうね。それに、町の人はそのことを知っているんですか?」
扉の向こうにもう一人の気配を感じる。だが、敵意や害意は感じない。
「勿論知ってるわ。誰がここを守ってきたかもね。そうでしょう、シーカー?」
応じるように静かに扉が開く。入ってきたのは詩歌……いや、『シーカー』だった。
「あなたにも聞きたいことがあります。茶木司、相沢美幸という人物に心当たりがありますね?」
シーカーが慈愛すら感じさせる笑みを浮かべる。それが肯定の意だった。
「あなたは天使……もしくはシュトラッサー。そうですね」
「そう。私は主たる天使に使える使徒。それで間違いないわ」
「あなたがこの町を、人々を守ってくれた事には感謝します。でも」
まるで彼女が人を愛おしんでいるように見える感覚を振り払う。
「どうして人にサーバントを与えたり、命を縮めるような力を与えたりしたんですか?」
「人がそれを必要としていたから。そして同時に私にも有益だったから。これでいいかしら?」
「やはりあなたは天魔だ。人を道具としてしか思っていない 」
征治の言葉にシーカーは労るような口調で告げた。
「それなら、あなた達の上にいる者は真の『天魔』ではないのかしら?」
(続く)