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山間のすすきが揺れる原っぱを傾きかけた陽が朱く染め上げ始める。
吹き抜ける風が木の葉を舞い上げ、原っぱに伸びる影法師の間を踊るように舞い落ちて行く。
「傷も癒えたわねぇ……。あなたはお帰りなさぁい」
黒百合(
ja0422)は共に癒しの光に浸っていたヒリュウを元の世界へと送り、風に靡く髪をそっと押さえる。
誰もが体中に応急的に塞いだ傷跡が残り、汚れきっていた。
だが、森へと向けられた視線には揺るぎは無く、覚悟のほどが滲んでいる。
これが最後の戦いになるだろう。
ここに立つ全ての撃退士がその覚悟をもって心静かにその時を待ち続ける。
頭上には小さな雲が撃退士達を見守る様に漂っていた。
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「……来たさね」
瞳にアウルを集め、眼前の森の奥を見つめていた九十九(
ja1149)がポツリと呟く。
「猿の姿が見えないさぁね。……ほんとやれやれさぁねぃ」
九十九の溜息に、龍崎海(
ja0565)は確信をもって首を振る。
「大丈夫さ。見通しの良い場所だ。どこに潜伏しているとしても、近くに居るはずだ」
くるりと槍を回して軽く扱き、じっと森を睨みつけていた。
彼我の表情が見える距離にまで近づいてきた天使達は静かに動きを止める。
きっかけが何だったのか、分からない。
高まりきった緊張が弾けるように、事態は一斉に動き出す。
「思いっきり行くわよォ……♪」
天使と並んで駆ける熊頭の腹が弾け、毒々しいアウルがその肌を焼く。
苦痛を気合いで消し去るように咆える熊頭は、手にした槍を地面に差して跳ね上げる。
地面がめくりあがり、次の瞬間、視界を塞ぐのは降り注ぐ無数の土塊の雨。
天羽 伊都(
jb2199)は、土塊の雨を切り裂くように黒焔を纏った刀を振り被る。
だが、迷わずに放たれた斬撃も、その手応えを天羽に伝えてはこない。
槍を頭上に跳ね上げた熊頭は、上体を反らせて薄皮一枚を切られる程度で天羽の刀をかわしたのだった。
「北村さんっ! いくよっ!」
龍崎は体勢を崩した熊頭の足を払うように、姿勢を低くして槍を振り回す。
空気を切り裂く唸りを上げて振るわれる槍の軌道を追い、北村は剣を突き出して駆け抜ける。
「まさかっ……!」
崩した体勢のまま、宙へと飛び上がって身を捻る熊頭を見て、龍崎は絶句する。
北村の頭上を飛び越えて着地した熊頭が構えると同時に放たれる銀光。
天界の気配を強めた一撃を、先ほどの攻撃の余韻が残る天羽に向かって放たれたのだった。
「見え見えの狙いです」
天羽が狙われるのを見通していた鴉守 凛(
ja5462)は、天羽の前に立ち塞がり、手にした魔具で熊頭の槍を受け止める。
熊頭は深追いせずに退く手で槍を振り回し、龍崎の脇腹を浅く抉って構えなおす。
「参る」
熊頭に攻撃が集まったことで隙を見せた撃退士達に向かって、ハガクレが腰に差した刀へ手を伸ばす。
「あなたは僕等が相手ですよ」
目の前に立ち塞がったエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)と召喚獣のヒリュウ・ハートが立ち塞がる。
目の前に立ち塞がった相手に対して、ハガクレは迷うことなく刀を抜く。
鞘を滑らせるように抜刀したハガクレの攻撃は、速く、間合いが読みにくい。
だが、エイルズレトラはその場から一歩も下がる事もなく、紙一重でハガクレの刀をかわし続ける。
連撃をかわされ隙を見せたハガクレの背後から、ハートが鋭い爪で飛びかかる。
「く……だが、軽い」
ハガクレはハートを振り払い、間合いを取り直す。
その瞬間、ハガクレ背中から小柄な人影が飛び出してきた。
飛び出してきた猿頭はハガクレの肩を蹴り、苦無を放つ。
狙いは後方に居た黒百合。その黒百合は熊頭に向けて銃を構えており、苦無には気づいていなかった。
「その狙いも無駄よ」
鴉守が展開したアウルは猿頭が投げた苦無を絡めとり、代償として鴉守に小さな傷を負わせる。
黒百合を庇う鴉守は、続けて上空から黒百合目掛けて放たれた矢をも受け止める。
見上げると雉頭が次の矢を番えて狙いを付けていた。
「うちのお相手を願いないかねぇ」
九十九は溜息交じりの軽口を呟きながらも、雉頭に向けて神経を研ぎ澄ました一矢を放つ。
狙い通りに雉頭の無事な翼の付け根に矢は突き立ち、雉頭は地上へ落下して叩き付けられる。
「そんな見晴らしの良い場所に居れば、外しようがないのさぁねぃ」
雉頭を射ち落とした九十九は僅かに頬を緩める。
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ハガクレを踏み台に飛び出した猿頭はエイルズレトラを越え、黒百合へ向かって最短距離を駆ける。
「いい加減しつこいかしらァ……♪」
狙いすまして放たれた弾丸は正面から突っ込んでくる猿頭の体を貫いた、かに見えた。
地面に倒れ伏し、アウルにより煙を上げて溶かされる黒装束の下から現れたのは穴の開いた丸太だった。
地面を這うようにして黒百合の目前へと迫った猿頭だったが、横合いから飛び出してきた九十九が体当たりをして勢いを止める。
「足止め程度はやってみるさぁねぃ」
ぶつかり合った二者は互いに後退り、数歩の距離で構えを取る。
猿頭は九十九と黒百合のどちらを先に仕留めるか僅かな逡巡を見せ、瞬きの間に覚悟を決めて黒百合へと足を踏み出す。
だが、その一瞬は致命的な隙となった。
「罪を贖い喰らいて牙と双爪で舞い狂え。黄塵纏いし悪なる風神、窮奇」
微かに、そして悲痛に眉を潜め、九十九は弦を鳴らす。
放たれた矢は有翼の獣となり、その牙で、爪で、角で猿頭を串刺しにするべく、暴風雨のように荒れ狂う。
一陣の風は猿頭の装束と丸太を引きちぎりながら彼方へと吹き抜ける。
「ここまでお膳立てしてもらっては外せないわァ……♪」
咄嗟の判断で猿頭が選んだのは跳躍。
頭上へと飛び上がった猿頭目掛けて、黒百合は肩に担いでいた砲を背中へと跳ね上げ、無造作に引き金を引く。
逃げる事の叶わぬ場所で連撃を受けた猿頭は、苦無を弾丸に叩き付ける事で姿勢を変えて一撃目をかわす。
だが、そこまでであった。
続けて放たれた砲撃に遥か後方へと打ち上げられた猿頭は、錐揉みをしながら受け身も取らずに頭から地面に叩き付けられ、動かなくなる。
確かな手応えを感じた黒百合は、次の標的を探そうと首を横に動かした。
その瞬間、側頭部を掠めた矢が黒百合を地面へと叩き付ける。
「黒百合さんっ」
咄嗟に牽制の一矢を雉頭へと返しながら、九十九は倒れた黒百合を助け起こす。
抉られた場所が悪いのか流れ出す血は止まる気配を見せないが、黒百合は頭を振って力なく立ち上がる。
「大丈夫よォ……」
気怠そうに九十九を片手で遠ざけ、黒百合は自分を狙ってくる雉頭に砲を構える。
その姿に軽く息をついて、九十九も弓を構えた。
「弓師として勝負したい気持ちはあるが、撃退士としてここに居るのでねぃ」
悪く思うなと弓を引き絞る。
手にした武器の狙いをつけ、対峙する2人の撃退士と1体のサーバント。
微かな射出音と弦が鳴る音は誰が速かったのか。
ほとんど同時に放たれた攻撃により、九十九は肩を射抜かれ後頭部を地面に叩き付けられる。
そして、腹に穴を、額に矢を突き立てた雉頭は音も無くその場に崩れ落ちるのだった。
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「今ので最後、もう庇えないわ。後はなりふり構わずヤるだけよっ」
敵の攻撃を一手に引き受けていた鴉守は、その手段が尽きた事に気づき、狙いを切り替えて熊頭に向かって疾駆する。
龍崎に向かって槍を振るっていた熊頭は、ただならぬ勢いで迫ってくる敵に圧迫感を覚えて不安定な構えのまま、鴉守へと槍を突き出す。
「でええええぇぇぃっ」
鴉守の口から気合いの叫びが響き、跳躍することで熊頭の槍を避ける。
そのまま全身の筋肉をしならせて落下の勢いと共に腕に巻き付けた薄青色の布を振り下ろす。
技量も何もない、ただ真っ直ぐな力任せの攻撃。
それだけに動作に無駄が無く、かわすことが難しい。
引き戻した槍の柄で受けようとする熊頭の頭部に強かに布の先端についている錘を叩き付け、鴉守は無様に地面に転がる。
着地の事も考えない、全身全霊の一撃であった。
「今だ! たたみ掛けるよ!」
よろめく熊頭に隙を与えまいと、北村と龍崎が追撃を行う。
ふらつきながらも北村の封砲を受け流した熊頭であったが、龍崎が深く踏み出した一撃をかわしきれずに、太ももを貫かれて苦痛の咆哮をあげる。
血走った目で槍を振り上げて頭上で振り回し始めた熊頭に向かって、至近距離にいた鴉守は手にした小盾を熊頭の肘へと突き出し、次の動作を止める。
「何をしようとしたのかわかりませんが、やらせません! やらせませんよォッ!」
鴉守は自分が何を叫んでいるのか意識せず、頬がひきつっている僅かな違和感は瞬時に無視する。
感じるのは自らの傷から流れる血の暖かさと熊頭の攻撃を止めた事による腕の痺れ。
そして互いの間に飛び散る血と汗。
殺意に燃え、真っ赤に染まった熊頭の目を見つめて、次の動作を予測する事だけに意識を集中させる。
「せぁっ!」
小盾を投げ捨てるようにヒヒイロカネへ戻し、布槍を活性化させ、投げつける。
近距離から投げつけた布槍を手元で引くと、熊頭の顔面を叩き潰しながら首に巻き付く。
そのまま、巨体に背中を預けてケリを放ち、その巨体を背負い、地面に叩き付ける。
その衝撃と共に頸の骨を折った確かな手応えを感じ、動かなくなった熊頭の体から布槍を巻き取る。
微かな頬の違和感がどんな表情を鴉守に取らせていたか、鴉守自身は知る事は無かった。
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猿頭の踏み台になって身軽になったハガクレの攻撃は鮮烈を極めた。
抜く手を見せずに縦横無尽に放たれる斬撃は、だが、エイルズレトラの目にははっきりと見とることが出来た。
余裕を持って、とまでは言わないが、掠らせることも無くハガクレの攻撃をかわしていく。
さらに隙を見つけては背後からハートが体当たりを狙い、エイルズレトラが突き出したカードが爆発をする。
何れの攻撃もわずかに届かず、ハガクレはその巨体に似合わぬ俊敏な動きを見せていた。
「むぐぅ……」
だが、その均衡も新たな撃退士の参戦により傾きだす。
エイルズレトラとハートの攻撃を避けたハガクレに天羽の刀が逃げ道を塞ぐように突き出される。
咄嗟に扇子で刀の勢いを逸らそうとするが、天羽の刀はハガクレの腕を切り裂き、血しぶきを上げる。
形勢不利とみたハガクレは囲みを突破するべく天羽と反対側へと駆け出す。
疾駆する天使にぴったりと張り付いて追走する撃退士達。
呼吸を整え終わったのか、ぴたりと動きを止めたハガクレは、すぅと腰を低く重心を下げ、足元を確認するようににじり寄る。
「疾ッ!」
鋭く息を吐き出して天羽に向かって刀を抜く。
激しく火花を散らす刀と刀。
ハガクレの出鼻をくじくように振り下ろされた天羽の刀とぶつかり合い、絡み合う。
だが、そのまま、天羽の刀をすりあげるように跳ね上げ、ハガクレの刀は勢いを増して振るわれる。
袈裟斬り、太ももへの水平斬り、刃を反転させての切り上げ、そして2連の正常段からの切り落とし。
天羽は時に刀で弾き、時に鎧で受け止めるが、衝撃は吸収しきれずに骨へ、筋へ、内臓へとダメージは蓄積される。
いつまでも終わらない猛攻に、エイルズレトラは刀を振るうハガクレの懐へ飛び込んで腕を突き出す。
「捕まえましたよ」
エイルズレトラが離れると共にハガクレの鳩尾で爆発が起き、ようやく動きが止まる。
ハガクレの猛攻を受けた天羽は、構えを崩すことなく獅子面の奥の表情も見えずにダメージを感じさせることはしない。
間合いを取ったエイルズレトラが天羽の傷を癒している間に、ハガクレは再び刀を鞘戻して、ふぅ、と息を吐く。
「つまらぬ宴と思っていたでござるが、なかなかどうして。このような天稟を持った者達がおろうとは……おもしろきかな」
呟き、突き出したのは刀ではなく扇子。
扇子を開いてクルクルと器用に回しながらハガクレは呟く。
「血が沸き立つでござろう。いつまでも死合い続けられれば楽しかろうが、それもやはり趣きの無いものでござろう……ハガクレの妙技、受けられよ」
言葉と共に徐々に回転を増して行く扇子。
警戒して扇子に視線が引き付けられ、やがてハガクレの姿が小さくなっていく。
その様子に不審の目を向け、天羽はさらに注視する。
小さく、小さく、小さく――。
扇子の陰に隠れるほど小さくなったハガクレの姿は、消え失せ、扇子だけがその場で回り続ける。
「奇術師である僕に手品を仕込むなんて無謀だとは思いませんか?」
エイルズレトラの声に、天羽は無理矢理に扇子から視線を外す。
宙に浮く扇子から距離を取ったハガクレは刀の柄に手を添えていた。
片目を眇めたエイルズレトラは間合いを詰めようとするが、刀に手を添えたハガクレは短く呟く。
「……遅い!」
空を切る刀、放たれる真空の刃。
エイルズレトラは飛びのき、天羽は刀を振るって勢いを相殺する。
だが、ハートは未だ扇子を警戒しており、回避が遅れる。
「ハートッ」
真空の刃がハートを切り裂き中空へと消し去り、エイルズレトラは胸から血を噴出して倒れる。
「まだだ! 君はまだ戦える!」
龍崎の叫びが響き、エイルズレトラは身体を青い輝きに包まれて、立ち上がる。
「あなたは、強い……。けれど、それでも僕の命には、切っ先は届かなかったようですよ」
失った血に表情を白くしながら、エイルズレトラは笑みを浮かべる。
「天使よ、覚悟しろ。俺の全力を! 覇は全てを乗り越えて見せる!」
全身を白銀に輝くアウルで包み、天羽は全力で疾走する。
手にした刀には漆黒の焔が纏い、眩い光と全てを飲みこむ影の二色の光となって、ハガクレの身体を貫く。
貫いた刀を引き抜き、すぐさま間合いを取る天羽。
ハガクレは貫かれた傷から噴出す黒い焔に全身を焼かれながらも、鞘に戻した刀へ手を添える。
「やっと止まったわねェ♪」
いつの間に近づいていたのか、ハガクレに体に砲を突きつけた黒百合が嗤い、引き金を引き絞る。
3度続いた衝撃に、ハガクレは倒れまいと足を運ぶ。
よろよろと、数歩。
「よい、宴であったでござる」
にぃ、と笑ってよろめくハガクレに突如上空から網が投げ掛けられ、絡まったハガクレはそのまま引き上げられる。
「なっ……!」
戦いが始まる前から見えていた不審な雲から伸びた投網は、ハガクレを絡めたまま沈んだ夕陽を追いかけるように去って行った。
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「ハガクレ……」
名前を記憶に刻むように呟くエイルズレトラ。
その隣で暗くなっていく空を見上げて北村は誰にともなく問いかける。
「これで、終わり、なのかな……?」
龍崎は北村の問いに答えるでもなく、肩をすくめて溜息をもらす。
「そんなことよりも、風呂に入ってもう寝たいよ」
血と泥にまみれた撃退士達は、応援が駆けつけるまで疲れ果てて空を見上げるのだった。