蔵書の整理といっても、先日の一件で散らばった本は図書委員の依頼人の手によってとっくに棚に収められており、することといえば蔵書の確認が主な仕事である。
すなわち、「貸し出し状態になっていない蔵書が、本当に棚にあるかどうか」だ。
日も傾く頃、依頼人と一行は地道な作業を黙々と続けていた。
「わ、初版本だ」
色彩 白黒(
jb1202)は思わず、弾んだ声を上げてしまった。
それは今でこそ知る人ぞ知る作家の、処女作だ。名が知られるようになったのはしばらく後にベストセラーがでたからで、その後、その作品も出版社が変わって再販はされているものの、初版はわずか数千部しかないと聞く。
それを手にとってしげしげと見つめながら、白黒は興奮気味に訴えた。
「すごいですね。どの本もすごく丁寧に扱われてます」
「ありがとう」
図書委員は白黒の目の高さに驚くとともに、照れくさそうに笑って礼を言った。
「貸し出しは、ちょっと、また後でね」
「はい」
そのやりとりを見たフィノシュトラ(
jb2752)は、憤懣やるかたなし、といった風情で声を上げた。
「本を盗んだ人には、しっかり反省してもらうんだよ!」
依頼人の図書委員をはじめ、白黒など本を大切に思う人間は多いはずである。そんな者たちにとって、蔵書が不正に盗まれることがどれほど悲しいことか。フィノシュトラは彼女なりに怒りをあらわにし、頬をふくらませているのだ。
「結局、見つからない本というのは例の物だけだったんですか?」
「そうみたいです」
端末に首っ丈になりながら、図書委員は御堂・玲獅(
ja0388)に頷いた。
玲獅はといえば、本棚の間に糸を張り巡らせている。その糸の先にはプラスチックのトレイが結ばれており……ようは鳴子を作っていた。図書委員は「もとに戻してもらえれば」と、自分は蔵書の確認に専心していた。
「その本は、どういった物なんですか? たとえば図版が多いとか……」
「まぁ、内容が内容ですから、カラー図版は多いですね。でも、エッセイも含まれてますから、それはなんとも」
「園芸に、手芸の本ッスか……」
天菱 東希(
jb0863)は頭をひねる。整理を手伝ってはいるが、これだけたくさんの本を目の前にしてくると、眩暈がしてくる。特に、小難しい書名の本など見ていると。
「わざわざ盗んでいくほどの本には思えないッスね。内容からして、女性的かなと思わなくもないッスけど」
盗まれた本の傾向を考えてみたが、特に思い浮かぶことはない。貸し出し禁止というわけでもない。学園の生徒なら、ふつうに借りていけばよいものを。
玲獅も苦笑いして頭を振った。「目安をつけて」と思いはしたが、肝心の目安が具体的に出てこないのだから絞りようがない。鳴子も、ある程度の効果を生むように図書室に張り巡らせてはいるが、全域を覆うには道具も時間も足りない。
「デニスさんはどう思うッスか?」
「ふむ……」
窮屈そうに巨躯を書架の間におさめたデニス・トールマン(
jb2314)は顎をなでてしばし考え込んだようだったが。
そのとき、窓の様子を調べていたヴィルヘルミナ(
jb2952)が、
「何の変哲もない、ただの鍵だな」
と、呟きながら、御守 陸(
ja6074)と共に戻ってきた。
ドアや窓の鍵、つまり進入経路となりそうな箇所になにがしかの痕跡が残っていないか調べてみたのだが、
「小さな傷ひとつない」
とのことであった。
「もしそこに、……それこそ何物かを引っかけたような跡でもあれば、人の仕業であると確証が持てるのだがね」
面白くなさそうに呟くと、ヴィルヘルミナは手近な椅子に腰を下ろした。判じ物とはいかなかった。
「もっともここは久遠ヶ原学園だからね。『開錠』でも使われたらどうしようもないけど……もう少し、セキュリティは厳重にした方がいいんじゃないですか?」
陸はそう言ったが、仕方のないことではあるだろう。そこに本気で侵入を試みる者がいて、それに対する完璧な対抗策というのは、なかなかとれるものではない。
要するに、手間と予算が足りないのだ。一図書室にかけるものとしては。
「鍵は普段は職員室にあって、係の図書委員が持ち出しと返却をします。今日のように遅くまで開けている場合もありますけど……必ずその日のうちに、返却します」
「なるほどね」
「さて。そろそろ日が暮れるぞ。支度を始めた方がよいのではないかな」
それまで、なにやら気になったらしい本をぱらりぱらりとめくっていた千年 薙(
jb2513)が、一同を促した。
「よし、白黒。肩に乗れ」
デニスは軽々と白黒を持ち上げて書架の上に身を隠させた。
待つ、というのは退屈なものである。
「それが、来るか来ないかも分からないコソ泥相手だと、なおのことだな」
図書室の外、ベランダの隅でうずくまるヴィルヘルミナが、白い息を吐きながらため息をつく。寒空のもと、頼りになる暖かさは懐のカイロだけだ。
一行は思い思いの方法で身を隠し、図書室を見張っていた。
玲獅と東希、白黒、薙は図書室の中、陸は校舎の別の部屋で、デニスは並木道側、フィノシュトラは中庭側から図書室を見張っているはずである。
まぁ、こういうのんきな理由で天使だの悪魔だのが集まっているのも……悪くはない。
夜が更ける。
身を隠し、待つのも撃退士には必要な能力だ。一行は身じろぎひとつせず、かち、かち、とかすかに時計の針が動く音を聞きながら、時が経つのをひたすら待つ。
やがて。何時頃だろうか? かすかにコツ、コツという足音が、図書室に響いてきた。
ガチャ。ガラガラガラ……。
正面、ドアから!?
驚いた東希は顔を上げそうになるが、慌てて首をすくめた。
もしかしたら依頼人かと思った。彼女は陸が提案したように、夕刻、しっかりと図書室に(隠れる自分たちを残したまま)鍵をかけ、「いつものように」鍵を返却したからである。
しかし、別人だ。体格は彼女よりよほどガッシリとしているし、背もわずかに高い。男だ。
携帯の明かりが目立たぬように注意しつつ、外にいるデニスにメールを送り、男の様子をうかがう。
男はキーホルダーとおぼしき小さな明かりを頼りに、書架をひとつひとつ、照らしていった。ときおり立ち止まり、小さな明かりが書名を浮かび上がらせる。
ごくり、とかすかに聞こえたのは、男が唾を飲み込む音か。男はゆっくりと書架に手を伸ばして1冊の本を手に取ると、それをそのまま懐に……。
「どれ、面白い本があるというのなら、我にも教えておくれ?」
「ひッ!」
男がビクリと震え、おそるおそる背後を振り返った。そこにはいつの間にか、ひとりの女が。薙は目を細め、彼女なりの笑みを浮かべてみせる。
「確保ーッ!」
書架から飛び降りた白黒の傍らから浮かび上がった無数の腕が、男を襲う。
しかし男もさるもので、
「あ、あわわわわ!」
と、情けない悲鳴を上げつつ、尻餅ををつきながらも、触れるか触れないかのところで運良くその腕を避け、身をよじりながら逃げ出した。あくまで本は抱えたままで。
だが幸運も続かない。手を伸ばしてつかんだ書架には玲獅のしかけた鳴子が張り巡らされていて、静まりかえった図書室にプラスチックのぶつかるけたたましい音が鳴り響いた。
それに驚いた男は逃げる向きを変え、結果、ドアから遠ざかる。窓の方向である。
男は鍵を開けるのももどかしく、窓枠に駆け上がるようにしてベランダへと逃げだそうとしたが……。
「どこへ行くつもりだboy? 外は寒いぞ」
アレスティングチェーンを手にし、闇に浮かび上がるデニスの姿に男は悲鳴を上げた。
「逃げることはかなわんよ。……さて、どうするね?」
ヴィルヘルミナが返事を待つまでもなく、男はがっくりと膝をついた。
東希が部屋の明かりをつけ、男の姿が衆目にさらされる。
図書室に侵入し、本を盗み出そうとした男は……学生服の少年だった。
「天魔、あるいは僕たちのような、施錠をものともしない撃退士……いろいろ考えた可能性のうちのひとつではあったけれど……」
駆けつけた陸が、少年の顔をのぞき込む。
「疑われることなく鍵を持ち出せる……君だったか」
依頼人の図書委員が口元を抑え、小さく悲鳴を上げた。
犯人は彼女もよく知る、図書委員の後輩だったのだ。
「さて。どうしてこんなことしたのか、ちゃんと説明してもらうんだよ!」
歴戦の撃退士に囲まれてまさかとは思うが、万が一にも暴れだして蔵書に被害が及んでは困る、ということで、陸があらかじめ手配していた近くの別教室で、後輩の取り調べが行われていた。
手口は実に単純で、鍵係の日、時間を見て図書室を抜け出して合い鍵を作っていたのだという。だから、自由に立ち入ることが出来たのであった。
しかし、犯行の理由については語ろうとしない。
フィノシュトラは腰に手を当てたかわいらしい仕草で怒りを示していたが、後輩はばつの悪そうな顔をしたまま、横を向く。
「言いにくいことだとは思います。本をきちんと返却して、二度としないと誓ってくれるなら、私たちの胸にとどめておきますよ」
玲獅は穏やかに話しかけるが、後輩は少しはにかんだ顔をして彼女の目を見ることが出来ず、何も答えない。玲獅は眉尻を下げて意味を浮かべ、ため息をついた。
「どんな理由があれ、盗むのはよくないことッスよ」
「そうだよー。ちゃんと借りようとと思えば、借りられるんだから」
東希とフィノシュトラはなんとか相手の自供を促そうとするが、後輩はやはり、きつく口元を引き締めたままで語らない。
「……吐かないというなら、吐かせるまでだが」
こんな寒い晩に、いつまでも付き合えないんでな、と言いながらデニスが、こちらは何の意図もなく首をポキリと鳴らすと、後輩は「ひぇッ」と悲鳴を上げて仰け反った。
闇夜に浮かび上がった巨漢の姿は、ちょっとしたトラウマものだったのだ。
「まぁ、そう脅すものではないわ」
なだめるように薙は言うと、今度は何をするのかと訝る後輩を尻目に、ことさらゆったりとした動作で後輩の前に椅子を持ってきて座り、意味深に笑いつつ顔をのぞき込む。
「てっきり、こういうことはコンビニの立ち読みが定番かと思ったが……ふふ、最近はなかなかあちらも厳しいからかの?」
「どゆこと?」
小首をかしげるフィノシュトラの横で、ヴィルヘルミナは目を閉じたまま口の端を持ち上げて小さく笑う。
それをよそに、薙はなおも後輩に近づき、ほとんど耳元でささやくように。
先刻、開いていた本をいつの間にか手に持ち、後輩に見せつける。
「ほれ、こういう本は好みではないかのう?」
そう言った途端、
「う、うわわわわわ!」
後輩は顔を真っ赤に染め、バタバタと暴れ出した。暴れた拍子に床に落ちたその表紙には「魅惑の柔らかさ♪でっかいメロン大特集」という文字。スィーツの本だろうか?
「これがなにか……?」
怪訝そうに拾い上げる玲獅。やはりこれも、盗みたくなるような本とは思えないが。
ところが後輩はなおも身をよじり、
「だって、エロすぎるじゃあないですかッ!」
と、叫んだのだった。
「はぁ?」
何人かの、「意味が分からない」以外のなにものでもない声があがる。
「こやつが盗み出した本は、『月刊熟れ熟れ果実7月号〜桃』、『パイ・パイ菓子』、『やさしく手芸〜やさしくソックス編』、『手ブラで歩こう!』……」
薙が書名を読み上げていくと、後輩は、
「女の人が、そんな、そんなハレンチな言葉、口にしちゃらめぇ〜ッ!」
と、顔を真っ赤にして身もだえする。
「あぁ、なんか分かってきたような気がするッス。……いや、理解できないッスけど」
脱力する東希の横で、ヴィルヘルミナはくすくすと笑う。
「青春の滾りかな」
「そんな上等なモンか。まぁ……ある意味、いまどき珍しいpureな男かもしれんが」
そう言ってデニスは、苦虫を噛み潰したような顔で鼻を鳴らした。
「ほう、このたわわに実ったメロンとは、なかなかに美味そうなものだな。まぁ、茶漬けの至高の美味さには及ぶまいが……」
「やめて! たわわとかやめてッ! エロすぎるからッ!」
後輩など頭の隅にいつの間にか追いやり、ふつ〜に食欲を刺激されて本を読みふける薙。
「すいませんでしたッ! こんな本借りたなんて先輩にばれたら、エロ魔人って、汚物を見るような目で見られたらどうしようって思って! でも、どうしても我慢が出来なくてッ!」
「あの初版本、貸してもらってもいいですか?」
「もちろん! 返却は1週間後、遅れないでね」
「はい、もちろんです」
犯人の目的は蔵書の転売や破損などの悪質なものではなく、なかば手続きの不備ということに表向きはなり、謝罪と反省文、そして図書室の整理整頓ということで、事態は収束したのだった。
しかし依頼人の動きは、本を借りて嬉しそうに笑う白黒とは対照的に、なにやら機械仕掛けのようにギクシャクして、後輩とはびみょ〜な距離を空けていたという。