「お気持ちはお察ししますが。ここは僕たちにお任せください」
鈴代 征治(
ja1305)は、手を上げてサクを制した。
「『黄泉路』に潜った敵は、いわば穴熊です。その目前に玉があれば、万が一がないとは言えませんからね」
先ほどサクは、焦りを覚えているように腰を浮かし、そしてその様を一行に見せたことに慌てて座り直した。
そのことを指摘すれば、「潜ろうなど、考えてはいない」と渋面を作られるだろう。
それを察した川澄文歌(
jb7507)はわずかに微笑み、
「片付くまで、どうか屋敷の中で待機を。セキトさん、護衛をお願いします」
そう言って促すと、セキトは「心得ました」と頷いた。
「さっそく敵さん、おいでなすったぞ!」
向坂 玲治(
ja6214)は、白銀の槍を構えつつ仲間たちに呼びかけた。
撃退士たちは、サクや自らの経験を頼りに『黄泉路』の地図を作り、先に進む。正確に図面が引けるものでもないあやふやなものだが、ひとたび頭の中で確認しておけば、ないよりはマシだ。
子鬼どもの来襲は、屋敷のそばにある入り口から潜って、しばらく進んだときだった。
洞窟内に、子鬼どもの耳障りな叫びが反響する。
「まったく、うるさいにもほどがあるぞ!」
そう言って繰り出した穂先は、子鬼の頭蓋を容赦なく貫く。
「なんだ手応えのない」
「油断は禁物ですよ。どうやら、敵は数で押し切る気のようですからね」
ユウ(
jb5639)が銃を構えて引き金を引く。倒れた「仲間」にかまいもせず、新たな子鬼が奥から飛び出してきたのだ。
「玲治さん、身をかがめて!」
北辰 一鷹(
jb9920)もクロスボウを構え、玲治がその言葉に反応するかしないかのうちに、矢を放った。
ユウの銃弾と一鷹の矢が、玲治の頭すれすれを飛び、いまにも襲いかからんとしていた子鬼どもを貫いた。
玲治はすぐさま跳ね起きると、呻く子鬼どもにとどめを刺す。
まもなく、左右に道が分かれる。
「先日、集落の人たちが立てこもった広間が右にありましたね」
記憶を振り返りながら、鳳 静香(
jb0806)はそちらに視線を送った。
そのときだ。
左右から、数匹の子鬼が飛びかかってきた。
「待ち伏せッ?」
静香は慌てて身を伏せた。鋭い爪が静香を引き裂くかと思われたが、彼女を包む青い燐光に触れると、爪は必殺の勢いを減じた。その間に、静香は退く。
「チッ!」
紅香 忍(
jb7811)はライフルを構え、狼狽える子鬼どもに銃弾をたたき込んだ。
待ち伏せをしたのは、「いかに撃退士を殺すか」を察する子鬼どもの嗅覚によるものであろう。知能のある相手ではない。
「ありがとうね、シオンちゃん。それに、忍様も」
と、召喚獣をなでると、ストレイシオンは満足げに目を細めた。
一方で忍は笑みのひとつも返さず、なおも銃弾を放つ。
道を曲がっても、子鬼の姿があった。
「私が!」
ユウは短く叫んで、敵中へと突進していく。当然のように子鬼どもはユウに群がっていくが、その周囲から発生した闇の刃が、取り囲む子鬼どもを切り裂く。
「まだ来ますか……!」
子鬼どもは怯むということを知らない。鋭い爪がユウを襲い、鮮血がしたたり落ちる。
しかしユウもまた怯まず、放った闇は子鬼どもを凍てつかせた。
「えぇい、きりがないぜ! みんな、俺が殿を務めるから、さっさと奥に行ってくれ!」
玲治が叫ぶ。そして周囲は闇に包まれた。いや、もとより洞窟内は闇だが、撃退士が持つライトの明かりさえ、子鬼どもには届かなくなる。
「助かります!」
一鷹は得物を刀に持ち替え、子鬼をなで切りにしつつ玲治を追い越し、先を急いだ。
いまここで、すべての決着をつける。
戦いの音は、遠いけれどもここまでも響いてくる。
文歌と征治は仲間たちと別れ、それぞれが山中にある別々の入り口から『黄泉路』に潜入した。
光などまったく差し込まないが、ふたりとも暗視装置を用意しているおかげで歩行に障害はない。
文歌は途中で、2匹の子鬼を発見した。
緊張を抑え、心を落ち着かせて文歌は子鬼をやり過ごす。
「……行きましたね」
一方、征治も子鬼と遭遇していた。
「しまった、こっちにもいましたか」
いったいダンは、どれほどの子鬼を従えているのか?
運の悪いことに、こちらに向かってくるところだった。先に気づいて身を隠したが、そのまま気づかれずにいられるだろうか?
いや、厳しい。
征治は潜んでいた石筍から身を躍らせ、手にした刀で鋭い突きを撃ち込んだ。
一撃のもとに仲間を屠られ狼狽する子鬼だったが、数は優勢である。征治が2匹目を切り伏せたときには反撃に転じ、大口を開けて牙を露わにし、飛びかかってきた。
さすがの征治もそれは避け得ず、肩口に牙が食い込む。
しかし次の瞬間、征治は一刀のもとにその子鬼を切り捨てた!
致命的な傷ではない。気の流れを制御し、出血を抑える。
「これではまるで、警報ですね」
遭遇するたび、子鬼どもは叫び声を上げる。それは洞窟内に響き渡り、撃退士の接近を告げる、何よりの根拠となっていた。
「完全に捨て石で、はじめからそのつもりで引き連れてきたのかも……」
征治はわずかに顔をゆがめつつも、先を急いだ。
なにやら話し声が聞こえたのは、まもなくのことだ。仲間たちと合流したのか……いや。
ダンだ。そして、ソウジも。
仲間たちに位置を……可能な限りわかりやすいように伝え、到来を待つ。
「やぁ、叔父上。わざわざ挨拶に来てくれたのかい?
……そんなはずはないよな!」
ダンは剣を手にしていた。ソウジの繰り出した槍と、幾度もぶつかり合う。その重い響きが、『黄泉路』を包む。
「ダン様……あなたをこのような姿にしてしまったのは、我が罪です」
「母上の前で、俺を殺すのかい?」
ダンの言葉に、ソウジは子鬼どもに囲まれて顔を引きつらせる姉を、思わず見た。
ダンの剣が、ソウジを切り裂く。
それでもソウジは、槍を一閃させて鍾乳石を砕くとそれを目眩ましに、せめて姉だけでも奪還せんと跳躍した。
だが、それを上回る速さで、ダンは襲う。
「そこまでですッ!」
通路から飛び込んできたユウは、ダンに向けて銃弾を放つ。
幾度もソウジの腹に剣を突き立てていたダンは、大きく跳び下がった。
その隙に、文歌は隠れていた穴から飛び出して母親のところへ向かう。
わずかに抵抗するそぶりをみせた手を強く握り、
「ダンさんは死んだんです! 貴方の愛する息子さんは! あれはもう、姿が似ているだけの別の存在なんですよ!」
そう叫ぶと母親は項垂れ、泣き崩れた。
幸い、怪我はどこにもない。連れ出しているゆとりはないから、物陰に隠れさせる。
ソウジに駆け寄った静香は、腹から流れ出る血の多さに絶句した。
「やはり、サク様たちのお母様を助けに来たのですね。
だからといって、おひとりで戦いを挑むなんて、なんて無謀な……!」
静香は文歌を呼び寄せ、ソウジに治療を施してもらった。傷は深い。生き延びられるかどうかは五分五分だが……。
「大丈夫です、必ず治ります」
と、文歌は汗をぬぐいつつ言った。
愛おしい甥を、自らの手で討つ。
これまでダンに手を貸してきたのは、慕う姉が愛する甥を、ソウジもまた愛したからであろう。
事が成らなかったときには自らが責を負い逃したのも、政争をそこで終わりにするつもりだったに違いない。
それなのに、行き着いた先が自ら討つことで決着をつけるしかないとは、いたたまれない。
「ダンッ! そこまでして当主の座に未練があるのか! サクを越えたいか!」
一鷹が激高し、紫電のごとき踏み込みを見せてダンに斬りかかる。
しかしダンは無造作に剣を振るうと、一鷹の刀を受け止めた。
逆に一鷹は、次々と繰り出される剣先を受け止めるのに必死になる。踏み込みも何もあったものではない、素人そのものの剣さばきなのだが。
腕だけで繰り出される剣だが、速い。そして重い。
避けきれなかった一撃をとっさに脛当てで受け止めた一鷹は、倒れ込むようにして距離を取る。
「おい、兄上の犬ども。兄上は、死にたくなくておまえらを寄こしたのか?」
そう言ってせせら笑うダンだったが、玲治はふてぶてしく笑って応じた。
「犬はおまえだろ、当主と認めて貰えなかった『負け犬』ってな」
「てめぇッ!」
それまでへらへらと笑っていたダンが、憤怒の形相で玲治を襲う。
「しょせんはお坊ちゃんだな。ゆとりがあるように見せても、薄皮一枚だ」
そう言いつつ槍を合わせるが、言葉ほど余裕があるわけではない。
「ティアちゃん、来て!」
静香が叫ぶと、長大な尾を持つ蒼銀の竜が現れた。身を低くして力を溜めると、ダンに向かって咆哮を上げる。
「……あなたにとって、この集落はなんなのですか。ただ、我が身のみが大切なのですか」
ダンにとって、この集落は故郷のはずではないか。
故郷を失った静香が、穏やかな口ぶりではあるが、その憤りをぶつける。
ダンの皮膚が裂け、血液とも違う体液が飛び散るが、まったく動きを緩めずに襲い来る。
ところで。さきほどから忍がいない。
「とった……!」
突如として天井から躍りかかった影こそ、忍だ。
彼は壁を駆け上がり、身を潜めて好機を窺っていたのだ。
「逃がした魚、大きいかと思っていたけど……殺しがいがあるくらいに、大きくなって帰ってきたな……!」
背後からダンを抱え上げると、頭を地に叩きつけた。
「よし」
好機とみた征治は距離を詰め、一方の忍はすぐさま跳び下がって、倒れたダンに向かって雨あられと銃弾を。
「舐めやがってッ!」
「ッ!」
放とうと銃を向けたときには、起き上がったダンの鬼気迫る形相が忍の眼前にあった。
忍の一撃はダンに少なからぬ傷を与えたが、同時に怒りも与えた。
ダンの叫びが『黄泉路』内の空気を振るわせる。シノブを惨殺したときのように。
すると忍と征治は振動に絡め取られるように、苦しげな表情を見せた。
ダンの剣をふたりは受け止めようとしたが、まったく速さが追いつかない。
征治の腕を、一鷹がとっさに引っ張って転倒させた。
振り下ろされた剣を、忍は身をよじって避ける。
骨にまでは食い込まずに済んだが、血しぶきが飛び、その風圧で忍の身体は吹き飛ばされた。
まったく、どうにもこの『黄泉路』という場所は験が悪い。
「大丈夫か?」
忍を庇うように受け止めた玲治が、自らもこめかみから血を滴らせながら問うてきたが、忍は小さくうなずいただけで無言。
「愛想のないことだな。
……それにしても、さすがにヴァニタスってところか」
この場は、玲治が生み出した騎士結界によって守られているはずなのだ。にもかかわらず、ダンの一撃の鋭さよ。
征治と一鷹とを相手に、ダンは引けを取らない。防御など考えもしていないが、力任せに繰り出される剣の速さに、ふたりとも反撃の気を見失っている。
ダンが再び、大きく息を吸い込むような仕草を見せた。まずい。
「やっかい、ですからね」
銃弾が、思わぬ方向から飛んでくる。
翼を広げて舞い上がったユウが、狙撃銃の狙いを定めて引き金を引いたのだ。
狙いは過たず、ダンの顎が砕けて散った。
「おぉの、れぇぇッ!」
目を血走らせ、身体を不自然に折り曲げて襲い来る姿こそが、悪魔の尖兵となった者の本来の姿であろう。どこから声が出ているのか知らないが。
「らしくなってきたじゃないか」
玲治はニヤリと笑い、魔具でダンの剣を受け止めた。
「すいません、食い止めていてくださいね」
そう言う征治の両腕がそれぞれ光と闇のオーラに包まれていく。繰り出した突きが、ダンの腹を深々と抉った。
「やられっぱなしは……性に合わない」
忍は再び、ダンの背後に回り込んでいた。仕留め損なったのならば、何度でも。
こうした粘性が、忍にはある。
全身から粘液をまき散らし、ダンが吠える。
「てめぇら、ごときぃッ!」
「お前ごときとは、こちらの台詞だ! ひとりの妄執で戦うおまえが、人の強さを背負って戦う俺たちに、勝てるものか!」
ダンの剣も一鷹を傷つけるが、一鷹はダンの胸板に食い込んだ刀を放さない。
「これでおわりです」
ユウの放った弾丸は、今度は頭蓋そのものを打ち砕いた。
「む……!」
撃退士一行が『黄泉路』を出ると、そこにはセキトに伴われたサクが、身を乗り出していた。
ユウは「やはり」といった顔で微笑むと、
「お母様はご無事ですよ。中で待っておいでです」
と、サクを促した。
救出されたはずの母親が姿を見せないことを訝りつつ、ユウの言葉に「しかし……」と逡巡をみせる。
それを見た文歌は、
「当主たる者、一度口にしたことは覆せないのでしょう。『あの世』に行くまでお母様には会わない。それでよろしいでしょう」
と、一見すると突き放すようなことを言った。しかし、それに続けて。
「ところでこの『黄泉路』は、『あの世』の入り口だそうですね」
「……! そうか、そうだったな」
サクははっとして顔を上げた。
「サク様。当主であっても、誰でも人の子です。ご自身の気持ちを大切にしても、よいのではないでしょうか」
と、静香が微笑む。
「ありがとう。私の心を、よく察してくれた」
喜色を浮かべて撃退士たちに頭を下げると、足の自由がきかないことなど嘘のように、『黄泉路』へと駆け込んだ。
「母上……!」
「あぁ、サク。本当にごめんなさい。私が愚かだったのです!
愚かであったために、あなたには多くの苦しみを背負わせてしまいました」
「それ以上は仰いますな。その言葉で、私は十分に救われました。もう、過去は振り返りますまい」
ふたりは涙を流して手を握り合った。サクにとって、初めて母の体温を感じたときだった。
「今まで、なにかと助けてくれましたね。これからも、サク様を支えてくださいね」
その光景を見ていた静香が、傍らの下働きの娘に言うと、彼女は頬を染めて頷いた。
その後、サクと母とは『黄泉路』で面会を重ねるようになり、そのたびに語り合うこと数刻にもなったという。
「片付いちゃったな……次の稼ぎどころを探さないと」
岩場に腰掛けていた忍は服についた苔を払い、立ち上がった。
(完)