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マスター:望月誠司
シナリオ形態:ショート
難易度:非常に難しい
形態:
参加人数:8人
サポート:1人
リプレイ完成日時:2016/02/17


みんなの思い出



オープニング

 冬の街の雑踏。
「チョコレート〜、甘くて美味しいチョコレートお一ついかがですか〜」
 年の頃は十五、六、といった所だろうか。
 黒い修道服に身を包んだ長い黒髪の娘が、銀の十字架を胸に下げ、片手にはチョコレートが詰まった籠を抱え、道行く人々に配っていた――


 少し前。
 とあるゲートの最奥、生物の臓器を思わせる、血管の如く管が走った赤黒い壁に囲まれた間。
「幸せな味の魂?」
 赤紫に輝く巨大な水槽の前、はちみつ色の長い髪を腰まで流し、白肌をナース服に身を包んだ少女が小首を傾げた。
 彼女の名はヨハナ・ヘルキャット、炎獄原の軍団プロホロフカの四獄鬼が一鬼である。
 既にニ鬼が討たれてしまって残りはニ獄鬼、さらには残りの一鬼は滅多に顔を出さないから、実質的には一獄鬼に成り果てている悪の軍団の女幹部である。
「いぇえええええええす!!」
 山梨の決戦に敗北して以来、援助を断ち切られた軍団の経済状況は非常に落ち目になっていたが、軍団長であるカーベイ=アジン博士は、相変わらずの調子で血染めの白衣を翻し、うひゃひゃひゃひゃ! とけたたましい笑い声をあげていた。
「魂にも質がぁああありますがぁ! この新型吸魂刃『形剣猿』ならばぁ、その時の対象の感情に応じて、収奪した魂のいわゆる”味”を旧来のものより大きく変化させることがぁでぇええきるんでぇええすねぇ!! つまり、幸せな状態にある人間の魂を吸い取って貪ればぁ、幸せな気分になれる味の魂を確保する事がぁできまぁああーす!! こぉおおおおれは珍しいぃぃぃぃ!!」
「ほー……」
 またうちの博士は妙なものを、と思いつつも、ブロンド少女は思う。
 珍しい物には価値がある。
「つまり、少ないエネルギー量でも好事家に高く売って大儲け、という事かえ? マスター?」
「そのとおぉおおおおりでぇええす!」
 やたら尖がったイェローサングラスをかけた悪魔博士は、助手であるデビルナースに頷いた。
「研究資金を確保すると共にぃぃぃ! 吸魂刃の存在価値を高めてひろげてぇえええ! 再び上層部に量産化と普及に協力してもらうのでぇええええす!!」
 山梨での実験の結果は、撃退士側が優勢で終わったため、吸魂刃シリーズとその派生は「あまり使えないのではないか?」と、その価値を上層部に認めて貰う事ができなかった。
 故に、使いどころにとっては役に立つかもしれないが、費用対効果が見合わずお蔵入り、との判定を概ね受けており、せいぜい補助で使われるぐらいな現状なのであった。
「そんな訳でぇ、ヨッハナ君! ハッピーな魂の回収を頼みましたよぉおおおおおお!!」
 カーベイがパチンと指を鳴らすと鋭い爪を持った人間の子猿が一匹駆けて来て、それはヨハナの足元で一振りの短剣へと変化したのだった。


 日本国某県某市。
「あー、畜生、街はすっかりバレンタイン色だなぁ」
 居ない歴=年齢である某高校の一年生である男子生徒は、学校帰りに商店街を歩きつつ、周囲を見回してぼやいた。
 どこもかしこもバレンタインやらチョコの文字。
 独り身な上にまったく女子から異性として好意を向けてもらえない系男子にはクリスマスに引き続き辛い季節である。
「忌々しい」
 隣を歩く同胞が怨念の籠もった呟きを一声残した。
「ほんと、独り身は責められるこの国の基本構造だよなー」
「まったくだ、忌々しい」
 二人の男子生徒が、日本国におけるやたら恋人を作れと勧めてくるイベント群について、人口増加を望む社会風土や商業主義による陰謀であるに違いない、などとの批判をしながら歩いていると、道の彼方でチョコを配り歩いている修道女の姿がその目についた。
「なんだありゃ?」
「チョコ配ってるみたいだな」
「チョコだけ貰ってもな」
 男子高校生Aは呟いた。
 大事なのはそこに籠められた好意であって、チョコそのものだけ貰っても嬉しくもなんともない。
 しかし、
「俺は欲しい……!」
 友人である男子高校生Bはスクールバッグを持つ手をぎりっと握り締めてそんな事をのたまった。
「なーなー! 折角だし貰ってこうぜ!」
「マジで? だってチョコって喰いもんだぜ? あぶなくね?」
 異物でも混入してたらどうするんだとA。
「お前は他人を疑い過ぎだぜ。シスターさんだし、大体、包装されてる既製品なら大丈夫だろ」
「そぉ〜かぁ〜?」
「それに、あの子、めっちゃ可愛くね……?」
 年頃は自分達と同じくらいだろうか、地味な黒い修道服に身を包み、ベールの陰から艶やかな長い黒髪が毀れている。肌は磁器のように白く、ぱちりとした瞳も黒かったが、日本人離れした容貌だ。
 野暮ったい黒縁の眼鏡が、かけ慣れていなさそうに見えて、妙に浮いて見えたが、確かに非常に可愛らしい顔立ちをしていた。モデルと言われても驚かないだろう。
「胸もでけーし」
 身体の線のでにくい修道服でもその盛り上がりがはっきりと解った。
 それについてもその通りであった。
「しかし、胸の大きさは配るチョコの安全性にはたして関係があるのか……?」
「そういう事じゃねぇーよバッカ! 俺はあの子からのチョコが欲しいっ!!」
 思春期真っ只中でありかつ健全な少年であるBはAの背中をどつくと黒髪シスターへと向かって歩き出した。
 仕方無しにAもBの後を追う。
「チョコレート〜チョコレートお一ついかがですか〜」
「いただきます!」
「ふふっ、神のご加護がありますよう」
 花が咲くように可憐にシスター少女は微笑んだ。
「ねぇねぇ、君、なんでチョコレート配ってるの? あと可愛いね」
「魂の救済がわら、くしの使命なのです。そのように功徳を積む事がわたくし達の宗派の修行なのです。ですので、恵まれない魂の救済を行なわさせていただいているのですよ」
「魂の……救済?」
「ええ、この時期、恵まれない男子にはチョコをお渡しするのが慰めになると」
 全力でほっとけ。
 拳を握り締めるAである。
 が、
「うぉー! やっさしー! 女神さまだー!」
 Bは歓声をあげた。さらに口々に美辞麗句を並べ立てる。
 正気か? という目でBを見るAであったが、シスターは微笑してまんざらでもなさそうである。
「でもさ、俺達チョコだけじゃ救われないんだよね。救われるには君の協力が必要なんだ」
「えっ? わたくしの協力……ですか?」
「そーそー、これから俺達と遊びにいかない?」
「おいこらバカやめろ修行積んでるっていってるのに迷惑だろうが、俺はいかんぞ」
 今度はAがBの後頭部をどついた。ってーなこのやろ、とBが頭をさすり、シスターはくすくすと笑った。
「それが救済になるのでしたら、良いですよ」
「えぇっ?!」
「うっひょーマジ女神さま! ねぇねぇ君、名前なんてーの?」
「ヨ――ヨーナと申しますわ」
「へー、ヨヨーナちゃんか、かわった名前だね。もしかして海外の人? 日本語巧いね。俺良い店知ってるんだ」
 と、Bはシスター・ヨヨーナを促して歩き始める。
「おい」
「わはは! ほんとに来ないのか? 明日、俺の武勇伝聞かせてやるから待ってろよ!」
「どうなっても知らんぞ俺は。ああ、明日、お前の失敗談を聞いてやるよ!」
 かくて、Aはシスターと共に去って行くBの背を見送ったのだった。


――翌日。
 とあるホテルのベッドの上で、実に幸せそうな顔をした半裸の少年の刺殺体が見つかった。
 未成年であった事とその状態から被害者のプライバシーの為、報道は控えられた。


リプレイ本文

「被害者の男性には様々な意味で同情する」
 黒髪茶眼の若い娘は神妙な表情で言って、自身が常にその作成に失敗続きである菓子名に思いを馳せながら黙祷した。
 大炊御門 菫(ja0436)である。
 依頼を受けた撃退士達は、警察から詳細情報を入手する為、また協力連携をしっかりと確立する為、県警を訪れていた。
「……なるほど。そのシスターとやらが犯人で、天魔の可能性が高いというわけですね」
 署内の一室にて若い刑事からの説明を聞きつつ、ふむふむと頷いてエルム(ja6475)。銀髪緑眼の少女だ。
「しかも、相当強力な天魔だと」
 エルムの確認に署員は「予想ですが」と頷く。
「しかし強力な天魔らしいという割には俗っぽい手段というか……いや、油断は禁物か」
 燃えるような赤髪赤眼の男――久遠 仁刀(ja2464)がエルムと署員のやりとりにそんな所感を洩らす。
「確かに、妙に人間臭いっちゃあ人間臭いな。ただ、人の欲望につけこむのは、古来より悪魔らしい悪魔の常套手段ではある」
 壮年の男の声が響いた。
 風紀委員会の長、黒瀧辰馬だ。
「日本人としちゃあ”妖怪っぽい”って言ったほーが、馴染みあるかね?」
 男の言葉に仁刀は頷いた。
「なるほど、妖怪か」
 美女につられてついていったら――というのは怪談にはよくある。
「……その、ヨヨーナという修道女の写真はありますか?」
 陽波 透次(ja0280)は署員に問いかける。
 すると署員は頷き一枚の写真を手渡してきた。
 そこには十代半ば、眼鏡をかけた愛らしい顔立ちの黒髪シスターが映っていた。
(このシスター……?)
 黒瞳の青年は眉を顰めた。
 撃退士達は写真を回し見る。多くが透次と似たような反応をした。
「……防犯カメラなどの映像記録はあるだろうか?」
 元FBIの中年男、ファーフナー(jb7826)が問いかけると署員は首肯し部屋の隅にあるモニタの電源を入れた。
 液晶に解像度の低い映像が流れる。
 若い男がホテルの受付で係員と応対しており、男の後ろに紺色のベールと修道服に身を包んだ長い黒髪の女が立っていた。シスター・ヨヨーナだ。出る所出て引っ込んでる所ひっこんでるのが修道服の上からでも解るスタイルだがかなり小柄である。
(こいつ……)
 鬼無里 鴉鳥(ja7179)は画面の中で動くシスターを見つめつつおぞましい不快感と赫怒を覚えていた。
 女の特徴は、完全に一致する訳ではない。
 しかし、そこにかつて彼女の宝石を傷つけた連中の一人との類似を鴉鳥は見ていた。
「ヨヨーナ、か……何処かで聞いた名前だな」
 ふむ、と低い声でファーフナーが呟きを洩らす。
「何処かで見た顔でもある」
 忌々しげに鴉鳥。
「……少し、ヨハナに似ていますね」
 透次がその名を口にした。
「変装した本人か、それとも血縁者か何かか……」
 赤眼を細めて小田切ルビィ(ja0841)。青年は鳩尾のあたりに手をあてた。かつて貫かれ爆破された腹の古傷が疼く。
「他人の空似っテ線は?」
 手の中で帽子を弄びつつ狗月 暁良(ja8545)が碧眼を向けクールに問う。
「その可能性もあるっちゃあるな」と黒瀧。
「だが、いずれにせよ連続殺人犯だ。ろくな輩ではあるまい」
 鴉鳥が唸るように言った。
「しかし……」
 菫がぽつりと呟く。
「ヨハナだとしたら、厄介だな」
 山梨の山林でエアリアもろとも爆破された記憶が甦る。
「プロホロフカの四獄鬼、女男爵《バロネス》、確かに強力な悪魔ですね……」
 エルムは憂いに緑瞳を曇らせつつ呟いた。あの時の戦いにはエルムも参戦していた。
「……対策は立てておくべきですね」
 透次が呟いた。彼もそうだった。遡れば静岡からの因縁だ。ルビィ、ファーフナー、鴉鳥いずれも対峙した経験がある。依頼でヨハナと対決した事がないのは暁良と黒瀧、仁刀だけだろうか。
 撃退士達はヨハナの能力対策を話し合う。
「――イカロスバレットの落下効果は、まず効かんと思うぞ。四獄鬼に通るとは思えん」
「ではマーキングの後は翼狙いで。魔弾は回避射撃で撃墜を。あと分身にはバレットパレードをお願いしたいです」
「了解」
 そんな調子でもし相手がヨハナであった場合の戦闘手順を整えておく。
 戦術が一通りまとまった後。
「……過去、静岡DOG本部周辺での戦闘でヨハナのマーキング反応地点に猫がいたことがあるそうです」
 透次が言った。
「同じ猫なのかどうかは解りませんが――」その戦闘の時、直接は透次は目にしていない「ディアボロ退治の依頼で猫が目撃されているそうです」
「あの時、黒猫がいた」
 鴉鳥が言った。あの戦いの時、ヨハナを追って真っ先にビルに生じた穴の中に飛び込んだのは、鴉鳥と神楽坂茜ともう一人の撃退士だった。
「ヨハナが関与してそうな依頼の時には、黒猫が良くでる」
 とルビィ。
「……つまり?」
 黒瀧が問いかける。
「あの黒猫はヨハナの使い魔か、もしくは――」
「――ヨハナ自身が猫に化ける能力を持っているのではないでしょうか?」
 と、ルビィと透次。
「なるほど。しかし、これも、たまたまって線は?」
「戦場に猫がいるのは不自然だ」
 とファーフナー。
「ま、確かにな」
 風紀の長は頷いた。
 かくて、黒猫には警戒を、という決定となったのだった。


 バレンタインに彩られた商店街。
 左を見ても右を見ても愛の誓いの日に関連したイベントが展開されている。
「チョコレート〜チョコレートお一ついかがですか〜」
 浮かれた気分の街の中に籠を片手にチョコを配り歩いている修道女の姿があった。
 そこへ一人の小柄な黒髪黒瞳の青年が近づいて包装された菓子を受け取る。
「どうも」
 それは髪色を黒く染め、黒のカラコンを入れ、変装した久遠仁刀だった。
 赤髪赤眼の普段よりぐぐっと真面目に見える外見になっている。
 服装もそれっぽくダッフルコートや落ち着いた色のマフラーなど冬らしい防寒服で整えている。ヒヒイロカネを隠す為に手袋をしていた。
 総合して真面目な大学生――というよりは高校生あたりに見えるだろうか。
「貴方に神のご加護がありますよう」
 花が咲くように可憐にシスター少女は微笑んだ。
 変装した仁刀は足を止めた。
 さて、ここからどう会話を繋いで、この可憐な微笑を浮かべる少女シスターを”捕縛場”ないし”狩場”まで誘い出すべきか。
「チョコなんて貰ったのは何年ぶりだろうな」
 しみじみとした風を装って仁刀は言った。
 実際のところは、少なくともここ数年は毎年貰っているので、あまり実感がこもった響きではなかったかもしれない。
「そうなのですか? 沢山貰ってそうなお奇麗な顔立ちでいらっしゃいますのに」
 眼鏡をかけたシスターは意外そうに目をぱちくりとさせる。
「それなら良かったんだが」
 仁刀は残念そうに首を振って見せた。
「こんな背丈じゃ中々見向きもされなくてな」
「意外ですね。それでもお兄さんもてそうに見えますけど、世の中、そういう事もあるんですね」
 そんな調子で仁刀はシスターと会話を繰り広げてゆく。
 が、
(…………なあ、おい、もしかして、人選間違ってないか?)
 黒瀧の声がスマホ・ハンズフリーセット(ルビィとファーフナー案により複数通話アプリとGPS機能もインストールされている)のイヤホンから聞こえてきた。
 風紀の長が懸念を洩らしたのは、変装してもチョコがもらえなくてふしあわせな顔をしているような男に仁刀は見えなかったからであろう。ひらたく言うと、もてない男オーラが出ていない。
(外見あれなんだから、もっと飢えてる女にもてなさそうな言動せにゃ)
 囮役の仁刀の懐にはアプリが起動されたスマホが入っており、会話を集音していた。
(もしくは、ナンパなチャラ男風に。真面目イケメンがチョコ配る怪しいシスターに近づくのは珍しいんじゃないか?)
(……最初、久遠さんだって警察の人に頼んでたじゃないですか)
 物陰に隠れて様子を窺っている透次がマイクに囁いた。こちらも尾行する為に髪を茶髪に染め、黒縁の伊達眼鏡をかけて変装している。
(しかし警察には囮となると渋られたからな。俺達でやるしかないが、他は皆、顔バレの危険性がある)
 と同じく変装しているファーフナー。小規模戦で直接関わった者達は顔を覚えられている可能性が高い。大規模作戦でなら同じ戦場に立っているしベテランの仁刀も結構怪しい所だが、他の面子はそれ以上に危ない。
(仕方ねぇさ、腹くくっていくしかねぇ)
 とルビィ。こちらも黒髪短髪のウィッグと眼鏡、冬用のジャケットにボトムスで変装中だ。
(……あのシスターが勘が鈍い女である事を祈るゼ)
 暁良は眼鏡の位置を指で直しつつ呟いた。やはり伊達眼鏡とコートで変装している。普段どおりだと派出過ぎる故、意図的に地味ーな感じのコーデにしている。曰く”その辺りを歩いているネーちゃンって感じ”である。が、173cmの長身でスタイル抜群で銀髪碧眼の美女なので日本の街ではそれでも結構目立っていたりはする。それは他の何人か日本人離れした容姿のメンバーにも言えた事ではあったが、まあやらないよりは随分マシだ。
(一応、いつでも即応できるようには構えておくべきだな)
 むむむ、と眼鏡をかけ変装している菫が唸る。もしかしたら予定地に辿り着く前に動きが発生するかもしれない。
(気付かないでー……)
 はらはらした表情でエルム。スマホをいじるふりをしつつ見守っている。こちらも黒髪のカツラをかぶり茶色のカラーコンタクトを入れて変装し、セーターにデニムという冬服を着ていた。
 そんな調子で路地のあちこちの陰から一同が見守る中、
「――どうだろう、忙しくないならこれから少し俺と一緒してくれないか?」
 と仁刀はシスター・ヨヨーナへと誘いをかけていた。
 すると、
「――わたくしでよろしければ」
 ぱっと笑顔を見せてシスター少女。
 かくて仁刀と肩から籠を提げたシスターが二人連れ立って街を歩き始めた。
(まだバレていない、か……?)
(いこう)
(了解)
 撃退士達が尾行を開始する。
 雑踏に紛れて見覚えのある顔が幾つか見えた。先に署で顔合わせした刑事達だ。
 透次とエルムからの依頼を受けた県警は、公園までの通路・ホテル街と公園に覆面警官を配備していた。通行人の振りをして監視しつつ、情報交換や有事の際の避難誘導を行なう手筈である。
 撃退士達も通行人のふりをしつつ監視、追跡してゆく。
「猫ってのは……臆病故に用心深く、狡猾だよな」
 弾んだ調子で会話している仁刀とシスターの後を尾行しつつ、ルビィがぽつりと呟いた。


『そういえばお兄さん、どちらにゆかれるのですか?』
『公園なんてどうだ?』
『冬の公園ですか……風流ですね』
『他にシスターが行きたい所があるなら、そこでも良い』
『良いのですか?』
『勿論』
 仁刀が懐に忍ばせているスマフォがそんな声を一同の耳へと届けてくる。
 撃退士達は自分達の目や覆面警官員達からの情報、仁刀が持っているマーキングされている発信機、スマホのGPSの位置情報など、を連携駆使して二人の後を追ってゆく。
 仁刀とシスターは世間話をしながら冬の街を歩いてゆき、やがてシスターは仁刀の左腕を取って身を寄せ胸に抱きしめてきた。
 柔らかい感触が左腕に伝わり、ふわっと甘い髪の匂いが仁刀の鼻腔をくすぐる。
「ね、お兄さん……」
 シスター・ヨヨーナは甘い声で仁刀へと囁き――
 その一瞬、鋭い痛みを仁刀は左手に感じた。
(――っ?!)
 視線を走らせると、何時の間にかシスターの右手に注射器が出現し、仁刀の手首にその太い針が突き刺されていた。注射器の中の緑色に毒々しい色合いの液体が、仁刀の血管の中へと熱い感触と共に注ぎ込まれてゆく。
 仁刀は咄嗟に右腕を伸ばすと注射器を掴み、身を捻りシスターを振り払った。激痛に苛まれる中、急ぎ注射器の針を左手首から引き抜く。
 ぐらり、と視界が揺れた。
 全身がカッと熱くなる。

「ぬし、撃退士じゃろ?」

 ガラッと口調を変えた微笑するシスターは、チョコが入れられていた籠に無造作に右手を突っ込み、再び外に出した。すると、その手に握られていたのは全長50cm程度の抜き身の短刀。
 ぎらりと刃が輝いた。
 花の如きだったシスターの笑顔が凶悪なものへと変化してゆく。
 光が彗星の如くに仁刀の喉元目掛けて走り、仁刀は視界が歪みすべてが変形してゆくなか身を捻りつつ光纏する。
 轟く銃声と共に横合いから弾丸が飛来して短剣に激突した。
 弾丸によって切っ先をずらされた刃は、さらに仁刀が咄嗟に出現させた斬馬刀に当たって流れ、肩口に突き刺さり、その表面をバターのように斬り裂きながら抜けてゆく。赤い飛沫が舞った。負傷率七割九分。
 それを目撃した周囲の通行人から悲鳴があがる。
 通りのど真ん中、大勢の市民がぎょっとしたように足を止めて仁刀とヨヨーナを見た。
「ばれてるぞ!!」
 黒瀧が叫んでマーキングの光弾をヨヨーナへと発射し、
「チッ……!」
 暁良もリボルバーを出現させて銃声を轟かせながら猛射する。
 透次の黒瞳に絶対零度の冷気を帯びた闇が宿った。眼鏡を投げ捨て狙撃銃を出現させ構えた青年は、その全身より刃の如き赤光を嵐の如くに噴出させながら引き金を絞る。瞬間、赤色の衝撃波を纏う弾丸が唸りをあげて飛び出した。
 ヨヨーナは”バッ!”と音を立てて背中から赤い翼を出現させると身を捻りつつ空へと向かって飛び上がった。
 光弾がシスターの脇腹に中って消え、弾丸がその腰に突き刺さって修道服に穴をあけると共に血飛沫を噴出させる。さらに赤い衝撃波を纏った弾丸が唸りをあげて猛然とシスターへと迫る。極限のカオスレート+5。
 赤刃は圧倒的なカオスレート差により破壊力を増大させると、シスターの腿部に喰らいついて壮絶な破壊力を叩き込んだ。布と血肉が爆砕されたが如く飛び散る。
「天魔です! 市民の皆さんは退避を!」
 エルムが光纏して阻霊符を展開しながら叫び市民達に避難を呼びかけ誘導する。覆面警官達も叫び車道に出て市民達に退避を促し始めた。通りの住民が悲鳴をあげながら駆け出し、車道で車がけたたましい音をあげながら次々に急停止し、時折破壊音が響いてゆく。追突事故が起こっている模様。
 窓からドライバーが顔を出して怒鳴り、刑事が怒鳴り返す。
 一方、ファーフナーは背から翼を出現させて市民達の頭上を飛び越え盾になるべくヨヨーナへと突き進んでいた。ルビィもまた背中から翼を出現させてヨヨーナへと迫る。
 菫と鴉鳥は一般市民の間を縫い道を駆けながら、シスターを見上げた。赤羽のシスターが空へと登ってゆく。
 鴉鳥、接近戦を挑みたいところだがただの斬撃だと届きそうもない。「鋒刃獄」を発動、左瞳を黒く染め、右瞳も黄金の獣瞳へと変化させてゆく。
 菫は諦めず跳躍すると停車した車の上に飛び乗り、さらにアウルを足に収縮させ車の天井を轟音と共に蹴りつけ跳躍した。
 娘が宙へと弾丸の如き勢いで飛びあがってゆく。雄叫びをあげ紅蓮の炎の槍を振り上げ、空高くに迫る。
「にゃっ?!」
 それを見たヨハナが驚愕に目を剥いた。
 赤い稲妻が空に奔り、シスターが翼をはためかせながら急旋回。
 炎の刃が伸びヨヨーナに喰らいついた。極限を超えてカオスレート+9。鬼神の破壊力を秘めた槍が修道服を貫いてその腹に突き刺さる。
 ぐふっと、シスターが目を白黒させて苦悶の息を洩らした。大跳躍した菫の身が地上へと落下してゆく。炎の穂先が抜け、鮮血が噴出した。あっというまに修道服が赤く染まってゆく。
 他方、その下、地上で仁刀が頭を左手で抑えながらよろめいていた。

――黒髪のシスター、シスター、シスター、シスター、シスター、シスター、シスター、シスター。

 周囲の人影のすべてがシスター・ヨヨーナに変化していた。
 そして、えもしれぬ激しい怒りに襲われていた。
 この黒髪シスターは叩き斬らねばならぬ。
 叩き斬らねばならぬ。
 叩き斬らねば、気が済まぬ。

 幻惑だ。

 仁刀の付近に空より黒髪のシスターが降って来た。
 出し惜しみする理由はなかった。
 仁刀の左腕から光のオーラが、右腕から闇のオーラが勢い良く噴出する。
 男は怒りの咆吼をあげながらシスターへと大剣を振り上げて突っ込んでゆく。
「仁刀……?!」
 振り向いた”シスター・ヨヨーナ”が驚愕の声をあげた。
 黒髪黒瞳になっている青年は渾身の力を籠めて巨大な斬馬刀を一閃した。
 弧を描き、唸りをあげて振るわれた斬馬刀が、咄嗟に瞳を暗い赤色に変化させながらが防御に掲げたシスター・ヨヨーナの炎槍をかわし、壮絶な破壊の一撃をその細い身に叩き込んだ。
 人外魔境に頑強な”修道服”が泥のように斬り裂かれて血飛沫が舞う。
 菫、負傷率八割五分。
(さすが、に、強烈……!)
 菫が苦痛に眉を顰める。
 一般人に入っていたら間違いなく即死の凶悪な破壊力だ。
「……あっはぁ! 良い気味なのじゃっ! 争え! もっと争えー!」
 腹部を抑えて涙目のヨヨーナは、宙を高速で機動しながら、片腕を振るって透次へ短剣を投擲した。そしてその身より八つの幻影を出現させてゆく。
(この技、この声、やはりヨハナか――しかし、相変わらず速いな)
 幻影を見てファーフナーは胸中で呟いた。空を高速で機動中のヨハナの死角には普通にやっては回りこめない。相手の方が機動力が倍以上高い。
 天より撃ち降ろされた短剣は、極限のレート差で超加速して透次へと迫り、瞬間、透次の身が結界に包まれその姿が掻き消えた。一瞬後、隣の空間に出現する。超加速回避。
 地に突き立った短剣は次の瞬間、一匹の子猿へと姿を変化させ透次へと猛然と跳びあがり襲い掛かった。
 猿の爪が凶悪なレート差で加速して透次へと迫り、不意を突かれた透次は結界を纏い再度掻き消える程に超加速して回避する。
「――新手か」
 幻惑されている仁刀と睨み合っていた菫は猿へと向けて走り出す。
 仁刀は目前の、駆け出したシスター・ヨヨーナに張り付くように追いかけ、そして斬馬刀を振り下ろした。
 菫は咄嗟に横に飛び退いた。風切る唸りと共に斬馬刀が肩先をかすめて抜けてゆく。かわした。
(今のは運が良かった)
 間一髪で仁刀の斬撃をかわした菫は、そのまま猿へと向かってゆく。
 一方、車道で停車していた車両のドアが開き、市民が転げでてきた。顔を青ざめさせながらも道を駆け、立ち去ってゆく。
 周辺市民の避難行動を確認したエルムは雪結晶の如き無数の煌めきを刀身に纏う日本刀を出現させ、短刀から変化した猿へと駆ける。そして黒髪茶眼に変装している少女は弓矢を引き絞るように剣を引くと、踏み込みざま刺突を繰り出した。
 疾風の如き剣閃が猿へと伸び、肩越しに振り向いた猿は咄嗟にかわさんと素早く跳躍する。
 しかし、鋭く伸びた雪煌の剣は猿を逃さず喰らいつき、その脇腹に切っ先を突き立てた。
 インパクトの瞬間、強烈な衝撃が炸裂し猿の動きが止まる。スタンだ。その瞬間、菫はアウルを爆発させ、閃光の如くに加速して踏み込んだ。
 紅蓮の閃光が通りを駆け抜け、繰り出された炎の槍の切っ先が猿の頭部を紙の如くにぶち抜いた。急所突き。猿の全身から力が抜け、完全に動かなくなる。撃破。
 一方、黒瀧辰馬が五つの銃器を宙に浮かべ、バレットパレードで猛射を仕掛けていた。猛弾幕に穿たれてシスターの身より血飛沫が次々にあがり、八つの幻影が一瞬で消し飛んでゆく。
 ファーフナーはその瞬間、全力で加速した。シスター目掛けて突撃すると背後に回り込んで雷を帯電させた両腕を伸ばす。
 雷を帯びた男の腕が鳥の如き赤い翼を掴む――瞬間、赤翼が目の前から掻き消えた。
 くるんと前宙するようにヨハナが回転していた。目が合う。ぎょろりと無機質な黒瞳がファーフナーを見据えた。
 直後、ヨハナが翻り、銀の閃光が先程までヨハナがいた位置を貫いた。同じく全力移動で突っ込んで来たルビィの剣閃だった。
「チッ――!」
 ルビィは舌打ちした。今回のヨハナは隊を率いている訳でもないので縦横無尽に動いている。ちょこまかとまさに猫の如しである。
「お前は」
 赤光を全身より噴出させている透次は闇色の瞳でスコープを覗き込み、レティクルをヨハナの赤翼へと合わせていた。

――何度僕の故郷と同じ地獄作った?

 青年は、怒りと殺意と執念を乗せて引き金をひく。
 瞬間、赤い衝撃波を纏った弾丸が唸りをあげて飛び出した。一瞬で空間を制圧しルビィの一撃をかわした直後のヨハナの翼に突き刺さる。
 膨大なカオスレート差により破壊力を激増させた一射は一撃で翼を粉砕しながら抜けた。
 片翼を失ったヨハナが態勢を崩し、回転しながら路上へと落下してゆく。
「ザマあ無イな!」
 暁良は声を張り上げて言葉を投げかけた。挑発だ。声をあげつつリボルバーを猛射する。
 轟く銃声と共に放たれた弾丸が、シスターの身に突き刺さって血飛沫を噴出させた。
 鴉鳥もまた地を駆けると跳躍、空から錐揉みながら落下してきたヨハナへと大太刀を出現させざま、神速無音の一閃を繰り出した。
 抜刀ざまの刃が不可視の程の速度で空間を奔りぬけ、シスターの身が斬り裂かれて血飛沫があがる。
 鮮血を散らしながらヨハナが地面に墜落して眼鏡が転がり、鴉鳥もまた路上に着地した。
「――売女が聖女の真似事か。嗤えるなぁ、おい」
 鴉鳥は太刀を消し、血塗れのシスターを見据えて言い放つ。
 これに、
「……なぁに、似たようなもんじゃろ? 肉体か精神かの違いに過ぎぬ」
 ヒヒヒと笑みを浮かべてヨハナはよろめきながら身を起こし答えた。
「そして神聖性を失った者に世の多くの人達は救いなど見出しはしないというのも似ているな。穢れを疎んじて己を守る者は聖女ではなく、故に真に聖女であるなら真に聖女では居続けられない。聖女なる者の悲しさとはそれじゃなぁ!」
「戯言を。まぁ良い――」
 鴉鳥は再度、踏み込んだ。
「此処で滅べよ。貴様は殺す」
 太刀が出現させざま抜刀一閃、刃が空間を突き抜ける。
 瞬間、鴉鳥の視界からシスターの姿が掻き消えた。
 腹部に衝撃。
 見やるとヨハナが低くタックルしてきている。
 一閃を低くかわしざま素早く鴉鳥に組みついたヨハナは、鴉鳥の腰に回した右手に注射器を出現させ、素早くその針を突き刺した。文字通り刺す様な痛みが脳髄を走り抜ける。
「滅ぶはぬしじゃ。狂うが良い」
 毒々しい色の液体が熱い感触と共にあっというまに鴉鳥の体内に注入されてゆく。
 くらり、と鴉鳥の視界が傾いた。
 身が燃えるように熱くなってゆく。
「オイ……注射器なんて捨ててかかってきナ」
 暁良は誤射しないように横手に回りこむとリボルバーの引き金をひいた。
 銃声と共に弾丸が飛び出し、片翼の血濡れ修道女はその瞬間鴉鳥から身を離して飛び退いた。弾丸が奥の店の窓ガラスに突き刺さって甲高い音と共に破砕する。
 次の刹那、ライフル弾がヨハナの身を貫き、ヨハナは暁良を始め周囲の撃退士達へと素早く視線を走らせ――黒瀧目掛けて駆けだした。
「やらせない」
 この動きに対し、透次が刀を抜いて迎撃に向かい立ちはだかる。
「ええい、邪魔な奴じゃな!」
 黒髪シスターは斬りつけてきた透次の一閃を飛び退いてかわし、その瞬間、大炊御門菫が踏み込んだ。
(寄ってくるなら好機――貫いてやる!)
 裂帛の気合と共に紅蓮の槍を突き出す。
「ひいっ!」
 ヨハナは迫る菫に対し恐怖の色に顔を引き攣らせつつ必死に身を捻りながら前に踏み込んだ。
 穂先がシスターの脇腹を掠め、紺色の修道服を切り裂きながら抜けてゆく。紙一重。女は一閃をかわしながら菫へとタックルすると両腕をまわして組みつき、その背に回した右手に注射器を出現させ、菫の脇下へと鋭く突き刺した。
 毒々しい色の液体があっという間に菫の体内へと注入されてゆき、菫の視界がぐにゃりと歪む。
 他方、久遠仁刀は、大きなシスター、小さなシスター、周囲に様々なヨハナを見ていた。日本刀を持っているヨハナがなんとなく目についたので、目掛けて踏み込み、斬馬刀を猛然と振り下ろす。
 日本刀ヨハナは素早くかわさんと身を捌いたが、しかし仁刀の大剣は竜巻の如く振るわれその脇腹を深々と掻っ捌く。
「くぅっ……!」
 エルムの口から苦悶の息が洩れ身より血飛沫があがる。負傷率七割八分。奥義でないただの斬撃でも痛い。
 他方、ルビィは空から降下し、菫に組み付いているヨハナへと迫ると、左腕より白光を、右腕より黒光を噴出しながら落雷の如く斬りかかった。混沌の片鱗。
 咄嗟にヨハナは身を離して飛び退いたが、閃光の如く振るわれた刃は逃さずヨハナの身を斬り裂いた。
 小柄な女がよろけ背後に回り込んだファーフナーが香水の瓶を取り出し投擲した。背中に瓶が激突して割れ、香り立つ液体がシスターの身にかかる。
「なんじゃこの匂い――」
 目を白黒させている猫娘へとエルムが踏み込んで日本刀を鋭く突き出す。ヨハナは身を捻って切っ先をかわす。菫は強烈な恐怖に襲われていた。
 景色が歪んでゆく。
 恐ろしくて恐ろしくて発狂してしまいそうだった。
(狂っている場合ではない)
 だが菫は戦いと味方の事を思った。
 精神を振り絞って抗う。
 視界が、元通りになった。
 他方。
「くっ!」
 ヨハナの身から幻影の分身が噴出し、しかしその瞬間、即座にファーフナーの手から三日月状の刃の嵐が放たれ、エルムが握る日本刀が掻き消えた。
 次の刹那、三日月の刃嵐と目に見えない程に高速の斬撃の嵐にヨハナの身が左右から滅多斬りに斬り刻まれ、分身が消し飛び女の身から血飛沫が噴出し、襤褸雑巾の如くなった猫娘の身に、さらに暁良と黒瀧から放たれた銃弾が突き刺ささった。
(こっち狙ってこネーな)
 暁良はさまざまなパターンを脳内に想定していたが、起点はいずれも逆風を行く者を使いカウンターで一気に飛び込んで不意を突く事だ。しかし、敵が狙ってきてくれないとカウンターは取れない。
 そして、ヨハナからすれば見るからにインフィルで回避射撃な黒瀧をまず潰して魔弾を撃てるようになりたい所なので、ここまでの所、暁良を狙ってる間がない。
 他方、
「――偶に腹の風穴が疼くんだよな。慰謝料請求しても良いか? 看護婦さんよ……!」
 追い詰められつつあるヨハナへと眼鏡をかけているルビィが赤眼を細め迫る。
「く、くぅぅぅ……!」
 ヨハナが気圧されて呻き、仁刀がルビィへ、鴉鳥がファーフナーへと、それぞれ斬馬刀と大太刀で斬りかかってゆく。
 鴉鳥の大太刀がファーフナーの装甲の厚い部分で止まり、唸りをあげて振り下ろされた仁刀の斬馬刀がルビィの頑強な装甲もろともぶった斬って血飛沫を噴出させる。
「――っ!」
 ルビィがよろけたその瞬間、隙を見て取ったヨハナはくるりと背を向けて脱兎の如く駆け出した。
「逃がすかッ!!」
 青年は斬られてよろめきつつも隠し持っている奥の手のゼルクを鋭く放った。鋼の糸がヨハナの背後から襲い掛かり、絡み付いてその身を切り裂きながらも拘束する。
 鋼糸に身を絡められた血塗れのヨハナが無言で猛然とルビィへと振り向き、表情の抜け落ちた人形じみた無機質な黒瞳で男を睨んだ。
 ルビィはその瞳を静謐に見つめ返しつつ、
「……敵じゃなかったら良かった。そう思うぜ、ヨハナ」
 彼としてはヨハナの情が深い面には好感を持っていた。
 闇色の瞳でスコープを覗き込む透次は、ヨハナの頭部へと静かにレティクルを合わせていた。引き金を絞る。赤い衝撃波と共にライフル弾が撃ち放たれた。同時、菫が紅蓮の炎槍を消し閃光の如くに踏み込んでいる。
 弾丸がヨハナのこめかみへと迫り、菫は炎の槍を出現させるとその白い喉元を狙って猛然と穂先を繰り出した。
 双方共に急所狙いの、必殺の一撃。
 身動きの取れぬヨハナへと死の刃弾が迫り――次の刹那、シスターの姿が掻き消えた。
「……なにっ?!」
 弾丸と穂先が空だけを貫く。
 あの態勢からどうやってかわしたのかと、菫が驚愕の声をあげる中、黒髪の修道女が消えた代わりに、
「――黒猫っ!!」
 先程までヨハナがいた位置に一匹の猫が出現していた。
 その声が響いた時には既に黒猫は、緩んで地に落ちゆく鋼糸の下をくぐり黒い旋風の如くに駆け出していた。
 脱兎。
 いや、それ以上に、必死の勢いで逃げてゆく。
「――っ!」
 透次が素早くライフルをその背に回さんとしたが、その時には既に家と家の僅かな隙間に猫は入り込んで、射線が通らなくなっていた。
「……しまった……!」
 透次と菫は異口同音に悔しそうに呻き、黒瀧がヨハナの後を追って駆け出す。
 その後、仁刀と鴉鳥の一撃をルビィとファーフナーが回避し、薬の効果が切れた仁刀は正気に返り、鴉鳥は他の全員で取り押さえ、効果時間が切れるまで暴れるのを封じたのだった。


 かくて、高速で逃げる猫に黒瀧は追撃を入れる事は出来ず、当然、追いつける訳もなかった。
 結局、一同はヨハナに逃げられてはしまったがしかし重傷を与える事には成功した。
 深手を負ったヘルキャットはこれに懲りたか、その後、チョコをばらまく悪魔猫のシスターが街に姿をあらわす事は二度となかったという。



 了


依頼結果

依頼成功度:普通
MVP: 未来へ・陽波 透次(ja0280)
重体: −
面白かった!:7人

未来へ・
陽波 透次(ja0280)

卒業 男 鬼道忍軍
創世の炎・
大炊御門 菫(ja0436)

卒業 女 ディバインナイト
戦場ジャーナリスト・
小田切ルビィ(ja0841)

卒業 男 ルインズブレイド
撃退士・
久遠 仁刀(ja2464)

卒業 男 ルインズブレイド
穿剣・
エルム(ja6475)

卒業 女 阿修羅
斬天の剣士・
鬼無里 鴉鳥(ja7179)

大学部2年4組 女 ルインズブレイド
暁の先へ・
狗月 暁良(ja8545)

卒業 女 阿修羅
されど、朝は来る・
ファーフナー(jb7826)

大学部5年5組 男 アカシックレコーダー:タイプA