――理屈で割り切れない事もある。
それは分かっている。
(が……ただ心に従うだけが良い事とも限らん)
久遠 仁刀(
ja2464)は胸中で呟き男を見る。
(感情的に区切りをつけに行くような雰囲気か……弔いの意味もあるのか?)
ファーフナー(
jb7826)は鍛冶ヶ谷をそう見る。
風が緩く吹いている。
アイドリング状態のバイクの排気音が、一定のリズムで重く低く独特の音を立てている。
ナナシ(
jb3008)はバイクに跨っている長躯の青年へと問いかけた。
「鍛冶ヶ谷さん、どうしても行くの?」
「ああ」
鍛冶ヶ谷徹平はナナシへと視線を向けると短く言葉を発し頷く。
それに六道 鈴音(
ja4192)が重ねて言う。
「私が言わなくてもわかってると思いますが……約束の相手が来る可能性は低いですよ。だって、アウル能力のない一般人なんでしょ?」
女の長い黒髪が風に揺れ、やや掠れた高声が響いてゆく。
「じゃあ結界内の約束の場所に行くのは不可能ですよ」
「――そうだな」
鍛冶ヶ谷は肯定した。
鈴音は首を傾げた。
「自己満足のためならリスクが大きすぎると思いますけど、なにか他の理由があるんですか?」
「無い」
鈴音の瞳を見据え青年は二文字で言い切った。自己満足以外に理由は無いと。
沈黙が降りた。
しばし後、
「だが、俺は行く」
男はそうとだけ付け加えた。
六道鈴音は絶句した。
完全に居直っている。この男、腹を決めている。
自己満足の為だけに諸々を犠牲にし多大なリスクを背負ってゲートに突っ込む。
思う。
確かに、これは、大馬鹿野郎だ。
「……約束が叶う可能性は零に等しい事は理解しているようだな」
男の声が響いた。
天野 天魔(
jb5560)だ。
銀髪の男は一歩を踏み出すと、鍛冶ヶ谷へと言う。
「我々は君の恋人の依頼で来た。撃退士への依頼料が安くない事は知っていよう?」
鍛冶ヶ谷は天野へと無言で頷く。
「依頼には君の護衛も含まれており、君が引き返せば護衛分は返金できる……逆にこのまま進めば、君だけでなく我々の命も危険になる」
己の行動の意味を理解しているか? と銀髪の堕天使は問いかける。
鍛冶ヶ谷は口を開いた。
「恵里日には……心配やら負担やらをかける事になっちまって悪かったと思ってる。後で金を返しに行かなきゃな……」
男は天野達へと頭を下げると言った。
「だから、あんた達にも悪いが、どうか俺に付き合ってゲートに突っ込んでくれ。その方が、生きて帰れる可能性は高そうだ」
「……なんと勝手な奴だ!」
天野は血涙を流す白黒反転した瞳で男を見据え言う。
「問おう、青年。君の願いは、昔の女に会いにいくという裏切りを受けてもなお、健気に君を案じる恋人の想いを踏み躙り、自分のみならず、俺達の命まで危険に晒しても叶える価値のあるものか?」
「ある」
青年は顔をあげると天野の視線を真っ向から受け止め、
「誰に価値がなくても俺にはある」
見据え返して断言した。
「約束なんだ。約束というのは、守る為にあるものだろう。相手が死んだからって、自分が約束を果たそうとしない理由になるのか? いや、違う、逆だ、あいつはきっと、もう死んでしまっているから、俺はあいつと交わした約束を果たす為に、行かなければならない」
「…………決して叶わぬ約束の為に他を犠牲にするか。愚者だな、鍛冶ヶ谷徹平」
天野天魔は言って――盛大に笑った。男はひとしきりの笑いを納めると微笑を浮かべ。
「気に入った。俺は君に力を貸そう」
「……あんた……相当変わり者だな?」
鍛冶ヶ谷は天野の様子に呆気にとられた表情を浮かべたが「だが、助かる」と戸惑いを残しつつも礼の言葉を述べた。
そこに、
「待て」
仁刀が声をあげた。
馬鹿だと分かってもやらずにいられない事があるのは仁刀にも分かる。
が、
「あんた――もしかして『その友人が生きてるかどうか』調べた事があるのか?」
五年間連絡が無かったらしいが、約束の日までに「その友人が生きてるかどうか」ぐらいなら調べる手段はいくらでもあった筈だ、と仁刀は思っていた。
一つの疑問だった。
そしてその疑問に対し、
「ある」
鍛冶ヶ谷は仁刀に頷いた。
彼は、過去に既に探していた。
曰く、その結果は遺体は発見されず行方不明との事だったが、
「状況から見て、99%死んでいる」
茶髪の青年は無表情で淡々と告げた。
仁刀は片眉を吊り上げた。
「…………死人との約束を果たしにいくのか」
「そうだ」
鍛冶ヶ谷は頷いた。
仁刀は青年を見据え言う。
「死人は決して来ないぞ」
「解ってる。だが、もしも俺とあいつの立場が逆だったら、あいつが約束の場所に来てくれたら、俺はあの世からそれを眺めてこいつは変わらず馬鹿な奴だと思いつつも喜ぶだろう。実際はあの世なんてものはないだろうし、死ねばその時点で意識も消滅するだろうから、見る事なんて出来ないだろうが」
茶髪の青年は淡々と言った。
仁刀は鍛冶ヶ谷が向かう理由は「確信を得るのが怖かったのではないか?」と思っていた。
だが違った。
逆だ。
この男は友人の死を確信している。
それでも行くという事は、つまり、これだけの犠牲を払わんとしているにも関わらず、完全無欠に自己満足以外のなにものでもないのだ。
死者の墓前に花を捧げにゆくようなものだ。
死者は何も見えず何も聞こえず何も感じず何も思えないなら、その行為は――花を捧げる者の満足以外に意味はない。死者へ祈りなど届かない。消えた存在は消え失せた存在だ、だから消えた存在だ。世界の何処にも既に存在せず、どんな声も行為も既に届かない。
圧倒的な断絶だ。
直視するなら死とはそれだ。
葬儀は死者の為ではなく生きている者の為に行われるものなのだと、昔誰かが言った。
「……あんたは、それを恋人を泣かせてまで行うと?」
仁刀の言葉に鍛冶ヶ谷は頷いた。
「俺がろくでなしだってのは解ってる。だがあんた、大切な奴はいるか? そいつと約束を交わして、相手が死んでしまった時、あんただったら、その残された約束、どうする?」
鍛冶ヶ谷の決意は固いようだった。淡々とした黒瞳の中に紅蓮の火が燃えている。
「…………解った」
仁刀は顔に渋面を浮かべると一つ息を吐いて、言った。
「どうしても行くんだな。なら、俺も同行する。邪魔はしない」
「すまん……よろしく頼む」
言って鍛冶ヶ谷は頭を下げた。
仁刀はこの男に己を信じてくれ、という必要はないと思った。勘だがこの男は多分、仁刀を疑わない。
「危険を承知でゲートに乗り込むねえ……イカれてやがるが、俺は嫌いじゃ無いぜ? そーいうの」
ははっと小田切ルビィ(
ja0841)は軽快に笑った。
「ダチとの約束、か。――なら、何が何でも行かなきゃな?」
ルビィは鍛冶ヶ谷の背をポンッと叩くと、その黒瞳を見据えてニッと笑う。
それに鍛冶ヶ谷は一瞬驚いた顔をしたが、ルビィの赤眼を見据え返し頷く。
「ああ。俺は必ず行く」
「99.99%意味が無くても、行動しなければ一生後悔する時が人生にはあるわよね」
悪魔の童女が微笑して言った。ナナシだ。
「あんたもあったのか? そういう時」
ナナシは青年からの問いに対しては「さてね」と微笑のみで答えると、
「もう止める気は無いわ。ただし一つだけ約束して」
ナナシは言った。
「向かった先でどんな結果が待っていても、たとえどんな真実が判明したとしても、絶対に無茶はせずに生きて帰る努力をするって」
「それなら……約束できる。俺は生きて帰る為に最善を尽くす。帰って、恵里日に金返さなきゃならないからな」
「お金ねぇ……」
その言い草にナナシは呆れた顔をした。
素で朴念仁なのか照れ隠しなのかはイマイチ解らなかったが、いずれにせよデリカシーはない奴であるらしい。
「今の約束は和泉さんに伝えておきなさいよ。ケータイ持ってるでしょ。あと、帰ったら土下座して謝る事、良い?」
「……土下座?」
青年は目を剥いた。
「そう、土下座」
ナナシは当然でしょ、という顔でこくりと頷く。
「…………むぅ、そうだな、解った」
茶髪男は自分でも思う所があるのか、やはり淡々と言って頷いた。
そんな様子を眺めつつ、
(流石に一人で行くとは言い出さなかったか)
と影野 恭弥(
ja0018)は胸中で呟く。
もしも一人で行くつもりなら実力行使で止める、と告げて護衛を承諾させようと思っていたが、鍛冶ヶ谷には単独行動に拘る理由はなかったようだ。
鍛冶ヶ谷が和泉へとケータイで連絡を入れ、数秒後、盛大に顔を顰めて会話し渋々と頷いてから通話を切ったのを確認すると、
「じゃあ、行くか?」
恭弥は淡々とぶっきらぼうに問いかけた。
「ああ」
鍛冶ヶ谷もまた淡々と頷き答えた。会話の短い男達である。
かくて七名の学園生は鍛冶ヶ谷と共にゲートに呑まれた彼の故郷の街へと向かうのだった。
●
(まぁ、こういうのキライじゃないけど)
鈴音はフロントガラスの向こう、ルビィと共にバイクで車道を走行中の鍛冶ヶ谷の背をちらっと見やって胸中で呟いた。
黒髪ロングな娘は、思慮深く行動するよう心がけてはいるが、根は直情派である。勝気で短気である。一見おとなしそうな顔立ちだが、眉毛太いね、と言われると激怒する程度に喧嘩っぱやい。
そんな彼女的には、友人との大切な約束を果たしにゆく、みたいなのは嫌いではなかった。
あの後、予定を聞いた撃退士達はホームセンターに立ち寄ってキャンプする為の諸々を買い込んで、鍛冶ヶ谷の元へと出発する際に借りていたレンタカーに詰め込んでいた。
ちなみに現在ハンドルを握っているのはサングラスをかけ煙草を咥えているファーフナーである。まさに西洋映画にでも出てきそうな絵面だ。助手席ではナナシが地図を広げていた。
数時間を走り、周囲の車両数が減り、世界を闇が包み込んで、ハイビームが前方を切り裂くように照らしてゆく。
やがて進む彼方に薄紫色のドーム状に展開している光を確認した頃には、路上に走るのは撃退士達の二台のバイクと一台のレンタカーのみになっていた。
紫光の結界、冥魔の支配領域だ。
鍛冶ヶ谷はその外周部にまで近づくとバイクを停止させた。
「ここが、あんたの故郷か」
ルビィもまたバイクを停止させ声を投げると鍛冶ヶ谷は「ああ」と頷いた。
やがてレンタカーがやってきて廃屋の隣に停止し、その助手席の窓がウィーンと音を立てて開いゆく。
「この辺りでキャンプするの?」
窓から顔を出したナナシが問いかける。
「そのつもりだ」
と頷いて鍛冶ヶ谷。
初め鍛冶ヶ谷は外周部付近で野宿し、翌日の夕方頃にバイクで結界内に突っ込むつもりだったが、撃退士達は話し合いの結果、外周部付近で野宿するのは同じだが、出発を翌日の12:30に早め、バイクや車等の車両は残し、徒歩で結界内へと侵入する事にしていた。
「了解よ」
「それじゃ野宿の準備を始めるか」
ファーフナーはエンジンを切ると扉を開いて車外へと出る。
「一応、見張りを立てた方が良いだろう。敵の領域がすぐそこだしな」
天野天魔が言って、一同は見張りを立てて警戒しつつキャンプの準備を開始する。
車外、携帯の布椅子が置かれ、月明かりの元、ナナシは道すがら購入しておいた御握りに齧りつく。他の非見張り番の撃退士達も銘々食事を開始した。
「その白鷺寂夜サンってのはどんな奴だったんだ?」
軽食を片手にルビィは問いかけた。
「…………そうだな」
鍛冶ヶ谷は一度目を閉じると、
「変な女だった。頑固で、意地っ張りで、妙な自分ルールを持ってて、要領が悪い奴だった。絵で喰ってくなんてそう出来る事じゃないが、それでも絵に生きて絵に死ぬと決めたのだと。校則やら門限やらは平気な顔で破る癖に、約束は意地になって守ろうとする奴だった。なんでそんなに必死なんだと聞いたら『校則なんて他人が決めた事だけど、約束は私とお前とで決めた事だろう?』とか言ってたな」
青年は星空を見上げると続けた。
「俺だって今まで生きてきて約束の全部が全部を守れてきた訳じゃない。世の人の大半は必ずしも交わした約束を守らない。約束は破る為にあるという奴すらいる。だが、あいつは違った。だから俺は、あいつとの約束だけは破らない」
「なるほどね……」
薄紫の透明な光の彼方に見える闇夜の廃墟を見つめながらルビィは言った。
「なら、行かなきゃならねぇな」
「ああ」
そんな会話を交わしつつ食事を終え、見張りの組を交代してそちらの組も食事を終え、やがて月が高く昇ってゆき、就寝の時間となった。
「それじゃ交代の時間まで、先に一眠りしますね。お休みなさい」
鈴音は言って寝袋の中にずりずりと潜りこみ瞳を閉じる。
恭弥、ナナシ、仁刀もテントや車の中に入って眠りについたのだった。
●
見張りを開始してどれくらいの時が流れただろうか。
(ん……?)
暗視ゴーグルを装着し空を警戒していたファーフナーは、その緑色の視界の中に、結界のヴェールの彼方より影が三つ、急速に大きくなってきているのを捉えた。
「――敵襲だッ!!」
中年の男の声が闇を震わせて響き渡る。
その瞬間、車の左右のドアが勢い良く蹴り開けられて恭弥と仁刀が飛び出し、ナナシと鈴音がテントと寝袋から這い出した。
天野がストレイシオンを召喚し、ルビィが両手剣を出現させて構える。
「レッドフライヤーか、突撃してくるぞ。気をつけろ!」
鍛冶ヶ谷が声をあげ、恭弥がPDWでバースト射撃し、仁刀が大薙刀より炎の如きアウルを噴出しながら月白のオーラを纏わせて一閃する。
月下の夜空を舞うのは赤色の革ツナギのような赤色物質で身を覆った、蝶の羽根を持つ少女型のディアボロだった。手に赤黒い槍状物質を持ち稲妻の如く迫り来る。その数三体。
高速で舞うレッドフライヤーだったが、恭弥から放たれた弾雨は鮮やかに次々に直撃し、その身を覆う赤色物質を紙の如くに容易く貫通してゆく。血飛沫と共に態勢を崩して速度を落とした所に、弧を描き唸りをあげて振われた仁刀の光刃が炸裂し、フライヤーの身を真っ二つに両断して落とした。
しかし二体のフライヤーは怯まずに猛進し、ナナシが薔薇花弁を舞わせて劫火の竜巻を巻き起こし鈴音が符を翳して火の玉を出現させて発射し、ファーフナーは不可視の闇の矢を生み出して撃ち放った。
広範囲に放たれた紅蓮の光花弁の渦がフライヤーの身を瞬く間に焼き焦がしその羽根を消し飛ばし、直後、態勢が崩れた所に火球が炸裂して爆裂を巻き起こし、黒い矢が駄目押しで突き刺さって撃墜する。
射撃の嵐を抜けて来た一体へとルビィは地を蹴って跳躍し、風の翼を広げて舞い上がる。
空中戦。
蝶の翅の少女より錐揉むように穂先が捻られながら閃光の如くに槍が繰り出され、ルビィは大剣を下段から一閃した。
鈍い音を盛大に巻き上げながら槍と大剣が激突して互いに弾かれ、ストレイシオンがフライヤーへと迫り爪を振り下ろす。赤い少女は身を捌いて爪をかわし、直後、鍛冶ヶ谷が放った光槍がその身に突き刺さった。
ルビィが払った大剣を勢いのまま素早く上段に構えなおし落雷の如くに一閃してフライヤーの身を掻っ捌き、直後、横手に回り込んだ恭弥が放った追撃の弾丸が炸裂し、血飛沫を撒き散らしながら地に落ちていった。
「うわ、地上からも来てます!!」
鈴音が叫んだ。
見やれば薄紫の光の向こうより、巨大な芋虫とブリキの兵隊達がわらわらと撃退士達目掛けて進んできていた。その身が光を通り抜け、結界の外へと這い出てくる。
「――逃げましょう!」
「了解だ! 乗れッ!!」
ナナシが叫び、ファーフナーが言って車の運転席へと飛び込む。恭弥、ナナシ、仁刀、鈴音、天野が悲鳴のようにエンジン駆動音をあげる車の座席へと転がりこみ、ルビィと鍛冶ヶ谷はバイクに飛び乗ってキックペダルを踏み込み駆動させる。
二台のバイクが唸る排気音をあげ弧を描きながら飛び出し、すし詰め状態になっているレンタカーが弾かれるようにバックすると共にファーフナーがハンドルを勢い良く回転させ、急激に方向転換した車がアスファルトをタイヤでこすりながら切り返し、今度は前方へと勢い良く飛び出して、バイクを追いかけるように加速してゆく。
「――なんとか、逃げ切れるか」
後部座席の仁刀は鈴音や恭弥らの隙間から首を回して後方を見やり呟いた。
兵隊達はしばらく車とバイクを追いかけていたが、速度差から距離がぐんぐんと引き離され始めると諦めたのか、足を止め、くるりと踵を返して支配領域の方へと戻っていった。
見張りを立てずに全員寝こけていたら今頃は――
少し寒気が走った一夜だった。
●
翌日、撃退士達は食事を取った後、12:30頃に結界内へ突入できるように徒歩で出発した。
全力移動でいこうという案もあったが、出来るだけ足音を立てずに、遮蔽などを利用しながら慎重に進むという案になった。全力移動だと、駆ける事に専念する事になるので、足音がたってしまう。侵入スキルのある恭弥は抑えられるが、他のメンバーが駄目だ。また索敵なども疎かになってしまう
天野天魔は結界に入るよりも前に、双眼鏡でレッドフライヤー達の旋回コースを確認せんとしていた。夜とは違い、今回はなんとか紫光越しにその姿を捉える事ができた。
一行は蝶羽の少女達からの視線を切るように建物の陰に沿って慎重に進んでゆく。
地元民であった鍛冶ヶ谷による地形の説明のもと、ファーフナーの「ゲートに近いと巡回が多いかもしれない」という意見がとられ、ゲートから遠く、比較的身を隠しやすい地帯から突入するルートが選ばれた。
一行は身を低く、廃墟の町の間を縫って、息を殺して静謐に、しかし可及的素早く移動し、半球状の紫光に包まれた支配領域内へと侵入していったのだった。
●
静寂に満ちた町だ。
否、完全に無音ではない。
一行は近くからは仲間達の息遣いや衣擦れの音、抑えられた足音を聞いていた。
風が看板や錆びたシャッターをガタガタと叩く音も聞こえる。
吹く風に乗って微かに遠くからブリキの人形達の足音や巨大芋虫が蠢く音が聞こえた。
どうやら昨晩一戦した事から、ディアボロ達の活動が活発化しているようだ。
ここは敵地、無数のディアボロ達が徘徊する、魔の領域だ。
今回、この八名の撃退士達は強い。昨晩、三体のフライヤーを瞬殺して見せた通り、十や二十なら容易く蹴散らせる面子である――が、百や二百やそれ以上の数が相手となると、生きて帰れる保障は無い。もう何年も前に出来て、ずっと破壊されていない頑強なゲートだ。現在の総数は不明だったが、それなりの戦力を備えている事だろう。
恭弥は建物の陰に寄り、身を低く索敵を用いて周囲を警戒しながら進んでゆく。仁刀がそれに続き、ルビィは空も含めて全周忙しなく視線を配りながら前進している。
鈴音は今回、足音のしにくいスニーカーに履き替えている。建物の陰に隠れるように警戒しながら続いてゆく。
天野天魔は双眼鏡を用いて空のフライヤー達の動きを常に警戒中。ファーフナーは主に空へと視線を配りつつ、地上へは兵隊達がたてる音に注意を払っていた。
曲がり角。
ナナシは遁甲術で気配を薄め、無音歩行を発動して足音を消し、一度顔を出して通りを確認してから飛び出し、先行した。
道を注意しながら駆け、次のT字路まで辿り着き、左右を確認する。クリア。
悪魔の童女は振り返るとこいこい、と手を振った。恭弥が頷いて駆け出し、仁刀、鈴音がそれに素早く続く。ファーフナーと天野を上を警戒しながら駆け、殿のルビィは後方へと注意を払いつつ続く。
順調に進んでゆく撃退士達だったが――
「……! 前から来てるわ……」
また同じように先行したナナシが慌てて首を引っ込めた。WWWと迷子の兵隊達のユニットが前方の道の彼方から撃退士達の方へと向かって来ている。
まだ気付かれはいないようだったが、このままだと鉢合わせする。
「チッ、不味いな。後ろからも来てるぜ」
ルビィが呻いた。
挟み撃ちの格好である。迷路を進んでゆくゲームなどでよくある形だが、現実にも起こりうるようであり、そして挟まれた時の厄介さも同じだった。
「鍵を破る」
恭弥は言って、元は居酒屋でもやっていたような家屋の入り口のドアの鍵穴へと手を当てアウルを発し、素早く、しかし可能な限り音を抑えて破った。
慎重に素早く扉をスライドさせ、立てつけが悪くなっていた扉は一瞬つっかかったが、無理やり押すとガコッと小さく音を立てながらも開いた。
恭弥は店の内部へと入り、仲間達が全員入った所で、扉をしめた。
撃退士達は店の奥へと向かい、死角となりえそうな箇所に銘々に身を隠す。なお店内は埃塗れでカビ臭かった。
時が経過し――
ディアボロが店に突入して――
くるような気配はなかった。
天野が透過能力を発動させて、壁から僅かに目を覗かせて周囲を確認し、ナナシが出て一つ先の道の左右まで確認する。
クリアになっている事を確かめてから、撃退士達は埃に塗れた店内から出て、また道に戻り、移動を再開したのだった。
●
突入ルートの選択や、静粛性や索敵精度の為に全力移動を放棄した事、敵をかわす為の迂回などで移動には時間がかかり、結局、かれこれ四時間程をかけて、撃退士達は件の学校に辿り着いた。
時間はかかったが、支配領域内に突入してより敵との戦闘は発生していなかった。
双眼鏡で天野がレッドフライヤー達の巡航ルートを確認した後、タイミングを図って学校の正門へと撃退士達は駆けてゆく。
恭弥、仁刀、鈴音、ルビィ、ファーフナー、鍛冶ヶ谷らは移動式の鉄柵門へと次々に跳躍し、天辺を手で掴み勢いと腕を使って身体を引き上げ、足を上げて上辺へとかけて踏み乗り越え跳び下りる、などして校庭内へと侵入してゆく。
ナナシと天野はそのまま透過して抜けた。
校庭は広く遮蔽物がない。視界が良く通る。
撃退士達は駆けつつ周囲を見回す。
――大丈夫、敵はいない。
一気に校舎入り口まで駆け辿り着いた撃退士達は、恭弥を先頭に鍵を破って扉を開くと校舎内へと雪崩れ込んだ。
「その、約束の屋上ってのはどっちだ?」
ルビィが周囲を警戒しつつ鍛冶ヶ谷に問う。
「こっちだ」
鍛冶ヶ谷が言って進路を示し、撃退士達は進んでゆく。
埃に塗れ老朽化した校舎内を抜け、屋上へと続く扉を開き、撃退士達はその場所へと出た。
●
後、撃退士達は屋上へと続く階段で待機した。隠れる為である。
やがて陽が落ち、西の空と大地の狭間へと向かって沈んでゆく。
長時間を一箇所で待機すれば匂いが淀む。犬の如くに嗅覚に優れたディアボロが配備されていたら、撃退士達は発見される事となっていただろうが、しかしそうはならないと知っていた。このゲートの敵は目と耳に頼っている者ばかりだったからである。視覚と聴覚は鋭いが、嗅覚はそれほどでもない。
撃退士達は発見される事はなかった。
鍛冶ヶ谷が左腕の時計を確認した。
時計の針は1715時を指していた。
長躯の青年は夕陽を浴びて黒い影を長くひきながら、屋上に出た。
撃退士達は身を隠しながら周囲の様子を窺っていた。
屋上は、空から視線が通る。フライヤーに発見されるかされないかは、賭けだった。
やけに一秒が長く感じられる時の間、時計の針が三十分を回り少しした頃、それは唐突に現れた。
夕陽を浴びて真っ赤に染まった屋上の、何も無かった空間が揺らぎ、蜃気楼のようにゆらりゆらりと姿を現してゆく。
やけに古風な――今日日、日常ではあまり馴染みのない装いをしていた。
白を基調とした着物に袴を穿き、足は足袋。腰には大小の二本を差し、脇に風呂敷に包まれた長方形の何かを抱えている。
痩せていたが長身で、銀色の髪を頭の後ろで括っていた。どこかの映画にでも出てきそうな甘いマスクをしている。ついでに言うなら、全体的に映画のようだ。西洋で作られた東洋を舞台にした映画のような――『侍』ではなく『SAMURAI』というような雰囲気である。
「……何者だ?」
当然ながら、このSAMURAIは白鷺寂夜ではないようで、鍛冶ヶ谷が戸惑ったように声を発する。
「あいや、そう固くならず! セッシャ、サーヤ殿の知り合いにゴザル。キコーがスィラサギィ・サーヤ殿のご友人のカジガーヤ・テッペィ殿でよろしいか?」
「……スィラサギィ・サーヤというのが白鷺寂夜の事なら、確かに俺が奴の友人の鍛冶ヶ谷徹平だが」
「おお、左様でゴザルか! いや、よかった! キコーにこちらをお渡ししたくてな」
と言って、風呂敷包みの長方形の物体を両手に持ち差し出す。
「ちょっと待った」
ファーフナーが言って、隠れていた場所から進み出た。他のメンバーも屋上に出る。
「何故、お前はそれを鍛冶ヶ谷に渡す?」
警戒を宿し探るように男は問いかけた。
「ふむ、それはサーヤ殿はスバラシィアーティストであったからにゴザル。そして、その彼女の遺言だからにゴザル」
「遺言? まさか……それ、白鷺さんの描いた絵?」
鈴音の問いに銀髪の美青年は頷いた。
「左様。ディアボロに変化してゆく途中で、彼女がセッシャに言ったのでござる。今日のこの時、この場所に、カジガーヤ・テッペィが来ていたら、この絵を彼に渡してくれと、約束だからと」
言ってSAMURAIな男は風呂敷を解いて中身を夕陽の元に晒した。
額縁の中に笑っている少年と少女の姿が鮮やかに描かれていた。背景は屋上。どうやら昼食を取っているようだった。
鍛冶ヶ谷が絵を見つめて息を呑んだ気配がした。
「ディアボロだと……?」
「貴方、そうじゃないかとは思ってたけれど、人間じゃないわね?」
「待て。寂夜は……寂夜はどうなったんだ?」
「ふむ、ディアボロ化した時点で彼女はお亡くなりになりもうしたが、ディアボロ化した後の事であるなら、撃退――撃退されたでござる、天界軍の連中に」
鍛冶ヶ谷はしばし無言だったが、
「…………そうか」
やや経って、そうとだけ呟いた。
「天界軍? 古巣だな……もっとも今は堕天して学園に身を寄せているがね。俺は天野天魔という者だ。君は?」
血涙を流す男が名乗り、問いかける。
「セッシャは名乗る程の者にはゴザランよ。まぁ同志達からは彷徨える白いニーもとい貴族とか蛇剣の侍とか呼ばれてるでゴザルが。セッシャを呼ぶなら流離いの素敵浪人とでも――」
「蛇剣の侍? まさか、プロホロフカの旅団長、サイドワインダー・マーヴェリック?」
小田切ルビィが片眉をあげた。
「なるほど、君が情報不明の四獄鬼の最後の一鬼か」
と天野。
「……なんでモロバレなんでゴザル?」
銀髪の悪魔は思いっきり不満そうな顔をした。
「かの軍団は今現在、山梨で作戦を展開中だからな。君がこんな所で油を売っている事の方が驚きだ。我々としては助かるが、良いのかね?」
「セッシャ、今は働く気はナッシングでゴザル。少なくとも働きたくないでゴザル」
「働きたくない、か……シャリオンといいプロホロフカ軍団は変わり者が多いな」
「リトルシッショーは戦い飽きてゴザルからなぁ」
「……働く気が無い者とは戦う気は無いわ」
ナナシが言った。
「できれば、このままずっと何もしないでくれると助かるんだけど」
「セッシャとしても、今の生活が続くように努めたい所にゴザル。軍団が追い詰められなければ、セッシャなんぞがそう強く呼ばれる事もないでゴザローが……明日は明日の風にゴザルからなぁ。ヤマナシィはプロホロフカに負けてやってくれると助かるんでゴザルがー」
チラッチラッと撃退士達を見つつマーヴェリック。
「それは出来ないわね」
「残念。まぁそんな訳なんでゴザル。テッペィ殿、こちら、受け取って貰えるでゴザローか?」
「……一つ聞く、寂夜をディアボロにしたのはお前か?」
青年は黒瞳を鋭く細めて低い声で問いかけた。刃の光が宿っている。
「鍛冶ヶ谷さん」
ナナシが声をかけた。
「――似たようなもんにござるな。セッシャではないが、セッシャ、用心棒としてその悪魔に助太刀しておったので」
瞬間、鍛冶ヶ谷の身より光が獅子の咆吼にも似た轟音と共に噴出し、同時、ファーフナーが叫びをあげた。
「和泉はお前の帰りを待ってるんだぞ!」
鍛冶ヶ谷は光槍を片手に出現させた所でピタリと止まった。
「約束、したでしょ!」
ナナシが言った。
鍛冶ヶ谷はしばし腕を震えさせて止まっていたが、その手より光が霧散して、ジャベリンは放たれる前に虚空に消える。
「――やるなら機会を待て。今日は帰るんだ」
とファーフナー。
場所も態勢も敵も悪過ぎる。
「……徹平、今はやめとけ」
ルビィも重ねて言った。敵は一見ヘラヘラした痩身長躯の優男で、見た目も纏う気もとてもそんな強大な悪魔には見えない――というか弱そうにすら見える――が、旅団長である。炎獄原の軍団の四天王の一柱である。そして、今は相手に戦う気がない状態だった。
悪魔は特に気負った風もなく、絵を風呂敷に包みなおして屋上の床に置いた。
「……拙者が貴公に渡すのでは無い、彼女の遺志が此処に運んだ、という事に御座る。其れを如何するかは、貴公の自由に御座る。セッシャはカリソメェの宿を警備する仕事を思い出した故、これにて御免つかまつる。音が鳴った、そちらも急いだ方がよろしかろう。では皆々様、オサラバ」
マーヴェリックは一礼すると後ずさり距離を取ってから踵を返し、屋上を彼方へと向かって歩いてゆき、そして、夕焼けの赤光の中に溶けるようにゆらゆらとその身を揺らがせ、消えていった。
「Maverick――『孤独を好む者』、か」
ルビィの呟きが、赤光に染まる屋上に響いた。
その後、飛来したレッドフライヤーを撃退士達は瞬殺し、全力で駆けて追手を振り切り廃墟の街から脱出した。
「……世話になった」
別れの際、鍛冶ヶ谷はそう撃退士達に礼を述べた。
その背には布に包まれた寂夜の絵が背負われていたのだった。
了