液晶が電圧を受けて配列を変え、ディスプレイより光を放って像を描き出している。
肘掛がついた低反発ウレタン材の椅子の座り心地は柔らかく、しかしそれなりに固く、席についた撃退士達を出迎えた。
「本日はお忙しいところにお集まりいただき、誠に有難うございます」
嗄れた低い男声が響いた。
北側の巨大なスクリーンに、鍛えられた体躯を撃退署制服に包んだ初老の男の姿が映し出された。
本部長の田岳信勝だ。深く皺が刻まれた顔立ち。
対するのは依頼を受けて集まった面々、
影野 恭弥(
ja0018)
只野黒子(
ja0049)
陽波 透次(
ja0280)
狩野 峰雪(
ja0345)
御堂・玲獅(
ja0388)
下妻笹緒(
ja0544)
君田 夢野(
ja0561)
リョウ(
ja0563)
龍崎海(
ja0565)
小田切ルビィ(
ja0841)
雨野 挫斬(
ja0919)
陽波 飛鳥(
ja3599)
礼野 智美(
ja3600)
若杉 英斗(
ja4230)
咲村 氷雅(
jb0731)
天羽 伊都(
jb2199)
ナナシ(
jb3008)
蛇蝎神 黒龍(
jb3200)
天野 天魔(
jb5560)
日下部 司(
jb5638)
ファーフナー(
jb7826)
郷田 成長(
jb8900)
ジョン・ドゥ(
jb9083)
長田・E・勇太(
jb9116)
の二十四名である。
白髪混じりの男は謝意と挨拶を撃退士達へと述べると、
「――これより、山梨県撃における冥魔対策会議を開始いたします。活発な議論を行う為にも、どうぞお気軽にご発言ください」
との開始の言葉で締めくくった。
(ただ殺す、それだけで魂を奪いさるなんて……今、此処で突破口を見つけなければ何とか拮抗していたバランスが崩れ去ってしまうな)
日下部司は山梨県の現状に対し、胸中で憂いを呟く。
(その為の大規模な戦略・戦術か……何かしら役に立つことが出来ればいいんだけど)
青年は思案しつつ会議に臨む。
他方。
(……しまった、居心地が……悪い)
挨拶を聞きつつ胸中で呟いていたのは君田夢野である。
黒髪の青年は身体の強張りをほぐすように身じろぎし、椅子に座り直す。
長らく御山の大将、そんな状態だったという夢野にとって、この形の会議は何気に珍しく、かつ苦手な雰囲気だったのである。
場は会議特有の、独特の緊張感を孕んでいた。
空気が重い。
夢野の他にも居心地悪そうにしている撃退士達の姿は散見されている。
(勢いで依頼を受けたけど、こんな大勢の前で発言するってやっぱり勇気がいるね……)
と郷田成長もまた、幼い顔立ちに緊張を隠しきれないでいた。
そんな空気の中、
「冥魔達の拠点だが――」
影野恭弥はいたっていつもの調子で喋り始めた。
淡々とした男の声がマイクを通してスピーカーから場内に響き渡ってゆく。
「少なくとも東側、特に富士山周辺にはないだろうな」
恭弥曰く、天界側の巨大ゲートもあった場所だし大規模な戦いもあった。
「あればとっくに見つかっている」
との事。
これには多くの賛同の声があがった。
「なるほど、確かにそうだ」
と本部長も頷く。
「山岳地帯を突っ切って高高度で飛行してればさすがに分かりそうなものだし、俺なら障害物も高低差も少ない河川を移動に利用する」
と恭弥。
「静岡側には山梨県の南北を繋ぐ大きな河川――【大井川】と【富士川】もある。拠点がこの河川の上流の駒ケ岳付近にあるならば、静岡方面に向かう時は【大井川】、山梨県方面なら【富士川】と経路の使い分けも出来るだろう。 特に【大井川】を通り山岳地帯を東に抜ければ大きな市街地を通らずに富士山方面にも行けるしな」
男は言うと、結論を述べる。
「よって拠点探索に関しては【駒ケ岳周辺】を重点的に行うのを薦める」
「ふむ……敵が人間と同じ程度に山岳の移動を苦にするなら、その可能性は高そうだ」
本部長は唸った。
「しかし、天魔には人と違い透過能力がある。阻霊の範囲でなければ、障害物も悪路も彼等には意味をなさない。むしろ姿の隠しやすさを考えるならば、障害物が多い道を好むのでは?」
「……透過能力か」
確かにそれがあれば人よりも遥かに進軍は容易である。
そんな折、
「……襲撃範囲が集中している地点って無いか?」
スピーカーから質問の声が響いた。
声の主は小田切ルビィ、銀髪赤眼の青年である。
「若しくは何らかの規則性――山や川に隣接している。または何処か特定の土地を経由する等――を見出す事は出来無いか?」
それにファーフナーもまた重ねて問いかける。
「学園にまで届いている報告ならば、視界が悪くなる夜間や撃退士がすぐに駆けつけられない田園地帯や山中等が多いようだが……県全体でもそうか?」
「現在までの所だと襲撃は夜間が多いな。大都市では被害報告は無い。人口が少なめの小都市や、農村のような場所が多い」
と本部長。彼は画面へとペンタブレットを伸ばした。
次の瞬間、撃退士達の前の液晶画面にウインドウが出現して切り替わり、山梨県の地図が出現した。所々に×マークのアイコンが打たれている。
「こういうもんは、点と点を繋げて行けば、線になる筈だぜ……」
「ふぅむ」
ルビィの言葉に本部長は唸った。
「しかし、件数が増えれば、あるいは規則性が見出せるのかもしれんが、現在までの所では、一見では解らんな……」
「現れた悪魔も併記すると良い。悪魔ごとに担当地区があるかもしれん」
とファーフナー。
「彼等としても帰りの進路上に先回りは嫌なはずです。撤退し易く収穫し易い場所を選んでいると思います」
と言うのは龍崎海。
「……ふむ、解りました。解析班にそれらの観点での分析を依頼しておきましょう」
「本部長、周囲の山々の内、電波や無線が通じにくい所はありませんか?」
玲獅が問いかけた。
「敵が魂を転送するゲートは必ずあり、そこは通信手段を遮る特性もあります」
「はい、一般にその筈なのですが……不自然に電波が遮られる箇所があるという報告はこれまでにないのです」
本部長の答えに玲獅は訝しんだ。
となると、考えられる可能性は、
(プロホロフカの支配領域に張られている結界は電波を遮らないか。もしくは領域自体の範囲がとても狭い?)
「俺としては峡北地区が怪しいんじゃないかと思うぜ」
ルビィが言った。
「峡北?」
「ああ、その辺りは静岡等の撃退士が多い地域から比較的遠いし、他県との隣接地点が山に囲まれている。 敵に背後を突かれるリスクを抑えられる」
「なるほど……峻険な立地に本拠を置くというのはありえそうだな」
「あの、悪魔が拠点を築いた山って環境変化しませんか?」
そこに陽波透次が言った。
「例えば、不自然なまでに野生動物がいない……その山の付近では人里に降りて来る動物が増加した等……そういう視点の調査もどうでしょう?」
見当違いならすみません……と謝りつつ青年は述べる。
「いや、見当違いではないでしょう。ディアボロが食料にする為に山を荒らせば、そういった事は起こりえます。結界が展開すれば、結界の内部に踏み込んだ動物は独力では二度と外へと出られなくなる。山の生態系は当然、変化を見せる」
本部長は頷いた。
「その辺りの情報収集も行うようにするべきですかね……撃退士の人手がかかるのは現在の状況では厳しいですが、民間からも聞けそうな部分はあります。ただ問題は」
男は言った。
「ゲート支配領域が極小規模の時です。結界の範囲が最小限ならば、結界による影響は極小ですし、ディアボロ達に山の動物を襲うなと厳命していれば、やはり山の動植物への影響は低い。奴等は食事によって栄養素を吸収し生命活動を維持しますが、食事を取らずとも集積装置からのエネルギーを利用すれば同様に生命活動を維持できるらしいですからな」
「でも仮にも軍団って名乗る集団なんでしょ? 結構な数がいるんじゃないの?」
雨野挫斬が言った。
「先に静岡に出没した時の動員数は千を超えたという事だったな。出撃したのがそれだけだから、総数はもっと多いだろう」
と本部長。
「エネルギーの節約を少しでも考えるなら、ディアボロ達には食料を調達しての食事をさせてるんじゃないかしら?」
「……隠密性を優先させている可能性もあるが」
「優先させてない可能性もあるわ」
「そうだな。ふむ……やはり調べた方が良さそうか」
「うん。あと、私としては静岡から来たんなら静岡らへんにいるんじゃないかって思うわ。大集団が移動したらどうしても目立つから、あんまり長距離移動はしたくないんじゃない?」
「ふむ……確かに、それは順当に道理だな。敵がこちらのその思考の裏をかいてくる可能性もあるが、コストやリスクに見合うものでなければ、大集団であればあるほどに、裏をかくためだけの手段というのは容易には採り難い」
だからこそ裏という事もあるが、と言いつつ本部長。
それに、
「しかし、私も静岡と山梨の間が怪しいと思います」
挫斬と同意見らしい海が言った。
「彼等は先年、静岡の天人の争いに介入してきましたが、遠い場所なら天使の領域であった静岡には行かなかったかと」
海の言葉に本部長は「確かに」と頷く。
「そう静岡も件の冥魔達と戦っているのです。同じ軍団を敵として対していますし、静岡と協力体制を取れないでしょうか?」
と海。
「あ、それ、私も同意見だわ」
挫斬が頷き言う。
「人手が足りないなら他県から応援を貰えればその問題は緩和できるわよね。んで、応援の人は外から山梨に向かって探索をして貰って山梨では中から外に向かって探索すれば挟み撃ちの形にならない?」
「ふーむ、静岡ですか……挟み撃ちというのは良いな。前後から攻めるのは連携できれば強い。ただ、静岡の撃退署は精鋭だが他県に割ける程に数は多くなかった筈。代わりにあそこは民間企業のものが大きいですが」
「企業連合の撃退士組織『DOG』ですね」
天野天魔が天使特有の微笑を浮かべながら言った。
「彼等は先年、天使勢力を壊滅させ――悪魔勢力は静岡県からここ山梨県に移動しました。故に静岡には今、戦力に余裕があります。逆に彼等は長く続いた戦いのせいで金がない。復興支援に金を欲しているので大量に雇える筈です」
「戦力は欲しいですが……信用はできるのでしょうか?」
天野はDOGの四代目撃退長・一刀志郎の顔を脳裏に思い浮かべる。
狸である。
ごうつくである。
あの爺は。
しかし、人の足元ばかりを見る男でもない筈だ。
パイの取り方自体は汚い場合もあるが、取れるパイが巨大である限り、その利益を広く分配できる男だ。
それに戦地に派遣されるのはおそらく、三代目撃退長を務めていた民間軍事会社の社長・西園寺顕家の方だろう。
天使も悪魔も焼き尽くす灰と炎達の長。
死んだ目をした傭兵隊長。
あの男は一兵としては凡百だし口も態度も悪いし、執る手段も割と血生臭く苛烈だが――部隊を率いての戦をやらせれば強い。静岡最強といって良いだろう。契約も破らない。
何かがまかり間違って猪突猛進なエアリアあたりが総指揮官として派遣されたりすると、ちょっと良く解らない事態になるが、彼女は後方勤務になっている筈だから、彼女が来る事はない筈だし、大丈夫だろう。
「アテにできる組織かと思います。私は長の一刀志郎氏とは面識があります。ご入用でしたら仲介いたしますが」
「俺も賛成だ。DOGと協力体制を取るのは良い案だと思うぜ」
とルビィが後押しするように賛意を述べ。
「私も賛成です」
と只野黒子もまた頷いた。彼女は人手を増やそうとする方針には基本的に賛成だった。
「ふむ……そうですな、他県とのこと故即答はできませんが、是非検討させていただきたい」
本部長はそう言った。不足があるところへ余剰をまわす、商と政治の基本だ。天野の見るところ、本部長は提案に乗り気なように見えた。
「人員といえば、他にも学園に大量動員を要請できないでしょうか」
礼野智美が言った。
「多分一番、手っ取り早いのは、山梨の撃退士は通常勤務としてあたり、これに学園の撃退士を大作戦として人数収集して、数人チームで分け、山岳地帯を一斉捜索する事だと思うのです」
「人海戦術ですか。シンプル故に確実ですな。それが出来るのなら、最も確実なのは間違いがない、と思います」
本部長は頷いた。大兵に兵法なし、平地において象が目の前の蟻一匹を踏み潰すのに戦術はいらない、ただ踏めば良い。原則、戦略優位は戦術優位に優越する。故に戦においてもっとも大事なのは戦略優位を確保する事である。その優位の一つが戦力数だ。
人を確保すれば手っ取り早い、というのは戦略的には本道だ。人は石垣、人は城。
「しかし、はたして学園は我々の要請に応えてくだされるでしょうか……?」
久遠ヶ原学園が抱えている戦域・問題は多い。文字通り日本全国である。
天魔は無論、つい先日はまた『恒久の聖女』なる組織が復活し争乱を起していると聞く。
相応の理由がなければ、一県だけにそうそう戦力を集中させる訳にもいかない。
他が手薄になるからだ。
(こっちもあっちも早急に片つけたいのが多いな……悪魔だからあんまり協力体制ないけど……長期化したらわからないし天使だって他の県の悪魔だっているんだから)
智美は胸中で呟き、唸る。
「確かに今、恒久の聖女という戦力を必要とする乱もあります」
男装の少女は頷いた。
「けれど……正直前の乱でもあったように、対人間という事に迷いとか躊躇い、積極的になれない撃退士も学園には結構います。それに比べると、こちらは対ディアボロ、一般人の危機という点で、感情的にはかなり楽に作戦に参加できるんじゃないでしょうか?」
「なるほど……聞いて貰える可能性もありそうでしょうか」
「とりあえず要請を出しておいて損はないと思います」
と只野黒子。
「そうですな……要請は出しておきましょう。大量動員をかけていただけるなら、我々としては実に助かります」
と本部長。戦力が足りない故に高度な対策が必要なのであって、戦力を大幅に増強できるなら、問題の大半は解決する。
「学園からも大量の戦力を借りるというのは私も賛成です」
天野天魔が言った。
「集められるだけの戦力を集めて、しかる後は、数日間、県民を体育館や病院等に避難させ守るべき範囲を街という【面】から建造物という【点】に変更します。守る範囲を激減させて守備に割くリソースを浮かせ、借りた大戦力で大規模な山狩りを行い敵拠点を一気に割り出すのです」
「それは……思い切った策ですな」
本部長が眉間に皺を刻んでううむと盛大に唸った。
「ミーもその案には賛成デアリマス。同意見デスヨ」
長田・E・勇太が言った。
男はディスプレイへとペンタブレットを伸ばし、事前にPCで作成しておいた資料を呼び出した。
巨大スクリーンや撃退士達の前の画像がパッと鮮やかに切り替わる。
「この地点に――数日の間、市民を一箇所に集めるのでアリマス。一箇所が難しいなら、候補Bのアイコンを含めて三つ。とにかく、天野サンもおっしゃてマシタガ、守る範囲を限定スルのでアリマス」
ディスプレイに捕捉線をレイヤーに描き入れつつ勇太は説明する。
「同時に、山狩りを行い敵拠点を割り出シマス。
この山狩り時はある程度、敵を痛め付けて巣穴まで誘導させるのが効果的と考えラレルマス。
航空勢力としてバハムートテイマーのヒリュウなどを監視として飛ばしておく事も有用カト」
軍隊のブリーフィングのように映像を動かし、青年は説明してゆく。
「拠点が判明したら攻撃開始。敵を殲滅させるノデアリマス――こちらからの説明は以上デアリマス」
と勇太は一礼して説明を終える。
「なるほど……」
本部長は唸っている。
他方、
(守るのが難しければ、いっそ疎開させてしまう……住民自体を避難させる方針はありだと思うな)
若杉英斗は説明を聞きつつうんうんと胸中で頷いていた。
もっとも彼自身は、気になって参加してみた、という態なので積極的に己の考えを言葉にする気はあんまりなかったりするが。
(ありだと思うけど……)
ちらと本部長の表情を見やり、
(まぁ色々無理があるんだろうなぁ……)
と英斗は胸中で呟いた。
「それらの案は私も賛成です」
着物姿の銀髪美少女――御堂玲獅が涼やかな声で言った。
「各街の住人達に、各撃退署がすぐかけつけられる範囲に避難していただければ、行動を起すのはぐっと楽になります。実現できれば防御態勢は固まり敵拠点探索に人手を割く余裕はできます」
「軍事的には、確かにそうですな」
本部長は難しそうな表情で頷く。有効な点は認めつつも何か懸念があるようだ。
玲獅は本部長を見据えると、
「――但し実行には作業は数日では終わらず避難体制も長期維持は難しい」
「そう……避難させるそれらの策の問題点は、それですな」
心を読んだような玲獅の指摘に本部長は頷く。
山梨県ではおよそ四十五万人が働いている。
某年の資料によれば、平均年収は四三〇万だ。
大雑把に計算する。
年250日働いたとして、1日平均収入は1万と7千2百円。
一日の稼ぎが1万7千2百円の労働者を45万人一斉に休ませたら一日の収入損失は77億4千万円だ。三日で232億2千万円。一週間で541億8千万円。
当然、これは労働者のあくまで収入ベースでの試算なので、実際に動いている企業や市場経済の損失額はこれよりも数倍以上に巨大なものになる。
「経済に与える影響が甚大なものになります。また、日本国は自由の国です。避難勧告は災害の警報に似ている。眼前に一千の悪魔が迫ってくれば、俄然市民達は脱兎の如く逃げ出すでしょうが『もしかしたら襲われるかもしれない』では必ずしもは動かない。県内の被害は増えていますが、あくまで一件につき数十からせいぜい百単位の少数でもあるのです。八十五万の人口からすれば、未だ被害を受けていない地域の方が圧倒的に多い」
今の山梨は危機ではあるが、襲撃の規模が小さい故に、市の中心にゲートが出現するなど強制力を持ちうる万民に解りやすい危機ではない。
例え撃退暑が全住民避難の結論を出しても、この状況下で、はたして知事や県議会はその避難令を出す事を許可するだろうか?
彼等はまず言うだろう「他の手段でなんとかならないか?」と。
病人や赤子を含め老若男女八十五万人を、一斉にそれなりの期間避難させるというのは、巨大な問題だ。
「しかし、短期的には資金的人的コストがかかりますが、長期戦となればこの比ではありません。要は他を犠牲に大戦力を用意しての短期決戦です」
天野天魔はそう言った。
病根は早めのうちに外科手術するに限る。思い切った手段を取れない間に病状が悪化する――例えば、山梨県が灰燼に帰すような事にでもなったら、一千億円の被害なんてものでは到底すまない。
十数年を超える戦いの果てに複数の都市が壊滅した静岡県を見るが良い。
戦というものは巨大な戦費がかかるから、多少の下手があっても速やかに切り上げるべきなのだ。故にこそ兵は巧遅よりも拙速を尊ぶ。二千年以上も前から言われている事だ。
しかし、
「むぅぅぅぅ」
本部長は岩を転がすような苦悩の唸り声をあげた。
容易に決断できる事ではない。避難させたとしても、未だ学園やDOGからの応援に確約がある状態でもない。
「……全県民の一斉避難は、難しい」
初老の男はそう言った。
●
やがて午前の会議は終わり休憩時間となった。
ぞろぞろと一同は退室し、成長はしゅんと肩を落としつつ食堂へと向かう。
席について周囲を見回してみると、学園生で食堂を使う者はあまりいなかったようで、周りはワイシャツ背広姿の撃退暑の職員達ばかりであった。
「よう郷田少年、気落ちした顔してどうした?」
ドンと卓にラーメンが入ったドンブリが置かれ、声が降って来た。
顔をあげると、
「えぇと、頼虎?」
「そうだ。以前に廃ビル行った依頼では世話になったな。前失礼するぞ」
と田岳頼虎が椅子を引いて卓を挟んだ席に座る。
「空気が重くってさ、緊張しちゃって何も発言できなかったんだよ……」
戦いの時に感じる恐怖とも違うな、と思い返しつつ成長。
「へぇ。お、少年弁当か、豪華だな。お袋さんに作ってもらったのか?」
「ううん、自分で作ったんだよ」
あはと笑って成長。
「マジで? 俺、二十四だが料理なんて出来ないぞ……」
食堂で買ったらしいラーメンを箸で食べつつ頼虎。
「プールと同じさ」
唐突な言葉に成長はいとけない顔に「?」マークを浮かべて小首を傾げる。
「会議。一回思い切って飛び込んじまえば、後は温度にも慣れるよ。一度何か言っちまえばたいした事ナイナイ」
「……ふーん」
成長は箸を咥えつつ、ずずっとスープを啜っている青年を見たのだった。
他方。
(午前はなんとか終わったか)
蛇蝎神黒龍は胸中で呟く。
十人十色、肯定否定はある。その為、黒龍は思想の違いからの喧嘩発展で時間が喰われる懸念があり、彼は事前に一つの案を本部長へと出していた。
それは、事前に全員にメールで個人の案を送付して貰い返答を得る、というものだった。個々なのは個人自身の純粋な意見取得の為である。
これに対し本部長曰く、
「場合によってはそういった方法も有りだと思います。しかし、それは会議というよりアンケートに近い。本来的な会議の意義、三人寄れば文殊の知恵、というものが出てこない。船頭多くして船山登るとも言いますが、今回行うのは本来的な意味での会議ですから、会議式のリスクとリターンを取ります」
との事だった。
よって黒龍は会議の記録を取りつつその整理と纏めに専念している。
(午後はどうなるものかな……)
購入した飲料をぐびりとやりつつ男は胸中で呟くのだった。
一方、公園。
日差しは暖かく、遠くから子供と母親らしき女性の声が響いている。
ファーフナーは公園の灰皿があるベンチに腰掛けるとタバコを咥え、手で風を遮りながらライターで火をつけていた。
深く息を吸うとタバコの先端より紅蓮の輝きが増してゆく。
息と共に紫煙を吐き出した。
「やれやれ……」
実はデスクワークや座り作業が苦手な中年男であった。
会議中は良く傾聴しているように深みのある真面目な顔をしていたが、実は結構しんどかったりする。
「はぁ……」
煙草をふかしながらぐったりする元FBIであった。
その同時刻、公園の別のベンチ。
透次はベンチ付近のジャングルジムに腰掛けつつサンドイッチを齧り、飛鳥はベンチに腰を降ろして同じく昼食を取っていた。
(NOUKINには辛いわ……)
はむとサンドイッチに齧りつきつつ飛鳥は胸中で呟く。
力になりたい! という気合だけは無駄にある飛鳥だったが、戦略とか苦手なので、さっぱり案が浮かばず、ぐぬぬぬ、な状態なのであった。
午前会議中はもっぱら議事録の作成を手伝うくらいしかできず、ちょっとしゅんとしている赤髪娘である。
一方、
(夏樹は自分の幸せが大事と言った)
透次は月下の鉄塔でにこりと笑って言った童女ヴァニタスの顔を思い出していた。
その為に罪無き人々を殺し喰らい続けると。
「……姉さんの幸福って何かな」
透次はぽつりと問いかけた。
「はぁ? なによ急に」
飛鳥は片眉を訝しげにあげた。
「いや、ちょっと気になってさ」
「……そうね、まずは虐殺を止めたいわ。故郷が潰されて私達みたいな想いをする子を一人でも減らす為に」
赤毛の娘は言った。
「それまでは幸福なんていわれてもピンと来ない。こんな状況でどうしてそんな話が出来るのよ」
隣で酷い目にあっている人達がいるのにそんな事は考えられない。
「虐殺なんて赦さない、絶対に止めてやる!」
言ってて段々興奮してきた飛鳥は立ち上がって叫んだ。
「ご、ごめん……」
落ち着いて、とジェスチャーしつつ透次は謝る。
「でも良くわかった……うん、そうだね……止めないと」
透次は誓った。
憎めない相手でも迷わない。
人を守る為に猛火となると。
けれど、大切な人の幸福は知っておきたくなった。
夏樹が大事にする幸せのように。
己が大事にするべき――大切な人が思う幸福を。
「伊豆ではありがとう、姉さん」
透次は微笑すると言った。
「大切な人が傍に居てくれた。
だから、僕は挫けずにいられたんだと思う」
飛鳥は慌てた。
「そ、そういうのは――私にはいらないから! 恋人が出来た時に言ってあげたら?」
バカ、と言いつつそっぽを向く。
「死ぬんじゃないわよ、透次」
胸中で呟く。
(それが私にとって最大級の不幸なんだから……)
私は透次が生きて笑ってくれてれば。
それが――
●
休憩終わって午後の部。
張り詰めた室内で会議が再開される。
下妻笹緒は休憩中にどこぞで購入してきたのか、信玄餅をもちゃもちゃと食べながらマイクに向かって開口一番。
「やはり山梨と言えば信玄餅……もとい武田信玄ということになるだろう。そう、必要なのは騎馬隊だ!」
一瞬の沈黙。
静寂。
無音である。
(この空気の中……)
慄く成長。かのパンダ氏はプールに錐揉み三回転半飛込みジャンプした感じである。
(……いや、これはもしや場を和ませる為のジョークなのか?)
夢野は深読みしてみた。
上記二名他、空気にやや圧されている感の撃退士達から尊敬とも『ああはなるまい』とも取れるような視線が笹緒に集まってゆく。
「ふむ」
白黒なジャイアントパンダは沈着に一つ咳払いすると。
「とまれ、馬を用意するのは難儀なのも事実。ここは浪漫に欠けるが、オートバイで代用するしかあるまい」
「……要するに、機動力を確保する、と?」
根が糞真面目な本部長は平常運転で問い返した。
「左様」
パンダは泰然と頷く。
「街に襲撃をかけてくる冥魔に対して、二輪部隊が急行するのは勿論。あえて逃がした敵を追跡するのもまたバイク。エクストリームな環境すら走破するオフロードマシンで、ひたすら追跡するのだ」
下妻笹緒は主張する。
「甲斐の兵が機動力で劣るなどということがあってはならない。撃退士の身体能力を活かした二輪機動を以て、獣魔のそれに対抗する。これしかない!」
「……バイクなら悪路に強い、か。なるほど、一理ある。機動部隊を増やすのは良いかもしれない」
本部長は納得した様子だった。
「ねえ、敢えて逃がした敵、ってパンダ君や勇太君も言ったけどさ、拠点を知りたいなら追い返せた時に敵を見逃して発信器を付けてみるとかどう?」
と挫斬。
「発信器か」
「そう。勿論、デビルやヴァニタスに付けたらばれそうだから駄目よ。狙うならディアボロね」
「その案には私も賛成です」
龍崎海が言った。
「透過能力の問題があるかもしれませんが、ヒヒイロカネやネフィリム鋼と共につければ、外れないと思う。どうでしょう?」
「うぅむ、技術部の話ではアウルの力が注がれている状態でいないと、ヒヒイロカネやネフィリム鋼でも透過はされてしまうらしいのだ」
金属それそのものだけの状態では天魔の透過能力をキャンセルできないとの事。
「だが、発想は良いかもしれんな。要は透過されなければ良いのだ」
と本部長。
「奴等は肉を喰らうから、発信器を生肉にでも包んで胃袋の中に放り込んでやれば、あるいは、上手くゆくかもしれん」
ディアボロの体内からでも電波が届くのか、呑み込まれる際に噛み砕かれたりしないか、また上手くいっても胃袋の中で肉がすぐに消化されて発信器だけ通り抜けて落ちるか、消化液で故障してしまうのではないか、などという懸念はあったが、やってみる価値はあるかもしれない、と本部長。
そんな中、夢野は茶をグィっと呑むと起立した。
夢野にとってこの雰囲気は苦手だったが、熟練撃退士の自覚はあるので意見ぐらいはして助けにならねば、という決意はある。
「んー、そういう心配があるなら、マーキングとかも使えないか? インフィルのアレ」
「マーキングか、しかしあれは……」
「そう10分の制限時間がある」
黒髪の青年は頷く。
「だが、わざと泳がせるのは有効な手段だと思う。制限時間は難点だが、そこは複数のリベレーターを狙い、彼らの帰る方向の中心点を探るなど応用は効くはずだ」
「なるほど、マーキングならつけるのは比較的容易だしな。数で押すか……」
と頷いて本部長。
「それには僕も賛成です。なんらかの手段で追跡は必要だと思います」
と天羽伊都。
「ただ、追跡するならサッカーの方が良いんじゃないでしょうか? リベレイターは撃破を優先した方が良いかなと。サッカーは己自身に魂を収容する事が出来ますが、その収容した魂を受け渡す相手が必要なので、頭に辿り着く筈です」
と少年は言う。
「それに、サッカーならば、追跡した先に頭が居なくとも撃破する事で大量の回収を防げます」
「そうだな、俺もどちらかといえば、追うならサッカーを優先した方が良いと思う」
とジョン・ドゥ。リベレイターは魂を空に飛ばして水晶剣に収容させるから、自身は必ずしも拠点に帰るとは限らない。
「なるほど……そうかもしれんな」
「今の状況は、要は相手のパイを減らしつつこちらは数を維持すれば良いと思うんです」
シンプルに考えないと、と伊都は言う。
「リベレイターは水晶剣による回収効率を悪くさせる為交戦時撃破優先。サッカーは追跡優先。撃退士の損耗阻止を優先し、確実に敵の回収効率を落とす事が肝要だと思います」
「ふむ」
「あと、守備範囲が明らかに薄い部分を幾つか設けて故意に襲撃させ誘引するのも手だと思います。敵に此方が対応出来ていないと思わせるのです」
「その意見には俺も賛成だ」
咲村氷雅がマイクに向かって声を発した。
「神出鬼没の相手を捉えるには出現箇所を制限するのが定石だろう」
男は案を語る。
「天羽も言ってくれたが、例としては防衛網に手薄な箇所を作り、敵を誘き出すなどだな。罠と悟られない為に手薄の箇所を複数用意するのと、定期的に場所を変えていく必要はあるだろうが」
「俺も賛同だ」
黒尽くめの男――旅団【カラード】の長、リョウが言った。
「今の状況で厄介なのは、敵の動きが読み切れない事だ」
男は言った。
「俺達の調査では【コレクター】なる敵上位個体の存在を掴んだが、こいつらは市街で活動しているような節がある」
それに狩野峰雪が頷いて言う。
「どうも、町中に悪魔のスパイが紛れ込んでいるみたいなんだよね」
それにリョウは頷き、
「故に、敵の市街での活動を抑える為と、実験の情報を得る為にまずはこれを刈り出すことを提案したい」
「その為にも――そう、例えば、撃退署員の警備地区一覧を作って、緊急時の連絡先として住民に配布、この時に敢えて手薄な地点を作るんだ。そして、学園生が張る」
と峰雪。
「そうやって誘き寄せる形、と」
「そうです」
と峰雪は本部長に頷く。
「私も防衛戦力を隠匿する等の表面上布陣の薄い箇所を作り、布陣的なキルゾーンを作る、というのは有効だと思います」
只野黒子もまた賛同の声をあげた。
「確かに……やれれば有効ですが、ただ、問題があります」
本部長が言った。
「それらは、全体を十分ないしある程度カバーできている上で、敢えて穴を作る事で初めて誘い込みの効果を発揮します。現状、意図的に作らなくても穴だらけなのです」
わざと穴をあけたら、無数にある穴が一つ増えるだけだと。
確率としてはわざと空けた穴に敵が出現するよりも、元々生じている穴に向かうだろうと。
それにジョン・ドゥが言った。
「俺が思いついた案は……一般人の街を囲むように撃退士が常駐する街か居住域を作ってしまい、駐在する撃退士が交代交代で阻霊処置を続ける、というものなのだが、そうなるとこれも」
「うむ……」
本部長はペンを伸ばし、ディスプレイ内の地図画像を囲むように線を引いた。画面内右上に線の総距離が出現する。
「……やはり、圧倒的に街を囲むだけの撃退士の人数が足らん。甲府市周辺の諸市と北杜市を囲むだけでも、500mに一人という阻霊だけを張る最低限の人数配置でも三百人は必要になる。山梨県撃の撃退士数は350人だ。富士吉田市や大月市の方面まで考えるととても無理だ。本気で侵入を断つなら地下にも撃退士をおきたい。人数が必要だ」
「うむ、本部長」
地図と引かれた線を見ながらジョン・ドゥは言う。
「この距離計算は、田園地帯などかなり人口密度が低い部分も含めているだろう? 住民の避難は難しい、という話しだったが、やはり、住民を避難させてみてはどうだろうか? 全部が無理でも一部ならどうだろう。人口が少ないが面積は広い、という部分の住民だけを都市部に避難させるんだ。そうすれば人数は少ないから経済的な損失は比較的少ないし、手間も少ない。引き換えに守るべき面積はかなり狭める事が出来る」
「一部のみ、か……」
本部長は唸る。
「阻霊で囲む囲まないは別としても、守るべき面積が大幅に狭くなれば、各種の防衛策もやりやすくなる」
「……なるほど、一部ならば、実現可能な対費用効果になるやもしれないな……練ってみるか」
「防衛策ですが、敵が来ると思われる山と街の間の視界を遮り、身を隠せるようなものを撤去するのはどうでしょう?」
玲獅が言った。
「見晴らしを良くし、監視カメラを山に向け大量に設置するのです」
「なるほど。現状、防衛網は穴だらけな状態ですから、それを補う為にもカメラを置くのは良いですな」
本部長は頷く。
「俺も賛成だ。監視カメラを設置するのは悪くないと思うぜ」
とルビィ。
「私も賛成。ただカメラを設置するなら、外に向けてだけじゃなく街中にも置いたらどうかしら?」
ナナシが言った。
「各都市の高層建築物に監視カメラ設置して、それらの映像は本部に集めて、監視員と機械によるリアルタイム解析を行うの。で、人魂や敵を確認しだい現場に急行するのね」
「ふむ……そうだな。良いかもしれん。それも設置して全体的に監視システムの強化を図ってみよう」
と本部長。
「あと、専用スマホアプリを開発とかどうかしら。アプリでGPS連動の位置情報提供と出動要請をボタン一発で可能にするのね。で、敵襲撃時にこれを利用するように市民に広めるの」
「なるほど、咄嗟の時には有用そうだな。やっておいて損はないか。撃退士でない者でも出来る事なら、外注も容易だ」
本部長は頷き、ナナシはさらに言った。
「あと、隠密性と稼働時間に優れたカメラ搭載型ラジコンヘリを用意するの。戦闘発生時に別働隊が上空に飛ばしわざと逃がした敵を撮影して追うのね」
「……そんなラジコンヘリ、作れるのか?」
「いけるんじゃないかしら。ラジコン屋さんの技術って凄いらしいわよ」
「ふ〜〜〜〜む、確かに、出来るなら使えそうだが……解った、専門家に打診してみよう」
「あの」
そんな中、成長は勇気を振り絞って声を発した。
「ラジコンじゃない方の本物のヘリコプターとか、敵の拠点探しに使えないのかな。うるさいけど、安全に調査できない?」
「ヘリか? うーむ、燃料費も多くかかるし機体自体も高価なものだからな……飛行型ディアボロに撃ち落されるのが怖い。また山林は上空から見下ろしても視界が通らない部分も多い」
本部長は唸る。
「しかし、そうだな、視界が通る場所を中心にバイクなどと空陸で連携するならありかもしれん。人員の展開も素早くなる」
「活用するべきだと思う。もっと人間にしかないものを使ってもいいと思うんだ」
と成長少年。
人類の叡智は人類の武器である。
「うむ……撃退士の人力に頼るだけでなく、科学技術をもっと積極的に活用しようとして良いのかもしれんな……」
うむむと本部長は唸りながら頷いた。
「追跡時は誘引対策で三十人規模の追跡隊の単位で臨むのが良いかと」
と伊都。
「かなりの人数ですな。しかし小勢では危険ですしな……」
難しい顔をして本部長。
「追跡専門の隠密部隊を用意しておくのも良いと思う」
氷雅が言った。
「交戦と追跡両方を一部隊に任せると対応が遅れて追跡が困難になる。それなら専門の部隊を編制しておけば追跡の成功率も上がるはず。途中で撒かれても何度か繰り返せば場所を絞れるだろう」
「専門の偵察部隊を作るのは私も賛成です」
と海が頷く。
「確かに。問題は、専門部隊を作れるだけの戦力的余裕を確保できるかどうかだな……」
と本部長。
結局、今の山梨県の問題の一つは戦力数に集約されるようだった。圧倒的な大兵があれば真っ向から踏み潰せるが、戦力が少な過ぎると工夫した手さえも打ちづらい。
「やはり人を増やす事が肝要かと」
只野黒子が言い。
「その為にもDOGと連携すべきかと。学園は不確定ですが、こちらならほぼ確実です」
と天野。
「……そのようですな。天野さんには仲介をお願いする事になりそうだ」
と本部長。
「敵の拠点についてなのですが……一つの拠点からではなく、複数の拠点で連携を取り事を起こしている可能性はないのでしょうか?」
日下部司が爆弾を投下した。
「――複数だと?」
本部長が目を剥いた。
今までの議論はその位置など敵の拠点が一つである、という前提でなされていたものだったが、
「はい。敵側の立場に立てば、こういう状況の場合、拠点が一つだけよりも、複数あった方が有利じゃないでしょうか?」
と司。
過去の事例では大半が一つのみだったが、ゲートが一軍団に一つでなければならない、なんて法律は無い。
「…………………確かに。だが、それはこちらにとっては非常に厄介な、非常に厄介な状況になるな」
本部長が盛大に呻いた。
(まぁ呻きたくなるだろうな)
英斗が胸中で呟く。
(こっち側としては、魂を回収する特殊ディアボロ製造工場?を突き止めて破壊するしかない。一箇所ならそれを突き止めて破壊すれば、事は終わるけれども……複数あるとなるとそうはいかないだろう)
むぅと英斗もまた腕組みし唸る。
「確かに……俺が敵なら本丸に加えて出城的なものを二つか三つ築くかもしれぬ。ゲートを開くにはヴァニタス以上の者がかなりの犠牲を払わねばならないと聞くから、そこは節約していると思いたいが…………しかし、コストよりも活動の優位性を優先するならば、大いにありえる話だ」
本部長は顔を青くした。
「でも、ゲート開くのって規模の大小に関わらず凄い力が減少するのよね。全体の為に自己犠牲するような殊勝な性格の幹部が、あの軍団にいるのかしら?」
ナナシは小首をかしげた。
プロホロフカ軍団はかつての京都の社畜なザインエル軍団や静岡の仲間思いなサリエル・ガブリエル軍団などと違って、基本的にフリーダムに自分勝手な連中の集まりである。例外を除いてどいつもこいつも己が第一で欲望や野望に塗れている。
「まぁ敵の数は多いからいる可能性はあるけど……そう、ヨハナ、夏樹、犬の3人とは戦ったけど確認された幹部ってまだ何人か居るんでしょ?」
「現在までの報告にある限りでは、首魁にカーベイ、四獄鬼のヘルキャットにウルヴァリン、ヴァニタス鹿砦夏樹に優、サキュバス・ラリサ、階級は不明だがロンブル、先にも話に出たコレクター、あと奇妙な腕を持つ名の解らぬ者、そしてセーレだな。山梨に姿はまだ見せていないが四獄鬼にはマーヴェリックとメタフラストなるものもいると聞く。現状では全部で十ニだな。まだ増えるかもしれん」
と本部長。
「そんなにいるの。あの連中、逃げる時は余力があっても全力で逃げ始めるから、尻尾が掴みにくいのよね……」
むぅと眉を曇らせてナナシ。主な大将は三、四柱程度が常だった静岡天界軍などと比較するとかなり多い。階級も平均的に一つ上だ。
「とりあえず、希望的観測はせぬ方が良いな。拠点が複数ある事も考慮にいれて動いた方が良いかもしれぬ……」
本部長は唸る。
「山中の廃村や消滅集落に潜んだら、新たに拠点を作る手間はない。衛星や航空写真で以前との差異を確認できないか?」
とファーフナー。
「これといった変異は報告されていないが、洗い直させるようにしよう」
司は撃退署で把握しているプロホロフカ軍団の襲撃と撤退方向とその日時や対応する撃退署の場所を求めた。
それに本部長は各事件の逃走方向――規則性なくバラバラである――と日時を答えてから、
「現状では撃退暑の撃退士は、北杜市周辺は北社市撃退署五〇名、甲府市と周辺七つの市は本部の二〇〇名、東部の四つの市は富士吉田市撃退署の一〇〇名が担当して対応しています」
ディスプレイに映し出された地図を見れば一目瞭然だったが、実働可能な人数に対して守るべき面積が広すぎた。そして、ほぼすべての市が山岳に面している。
「方面別に指揮官クラスを配置しているなら方針に違いがでるはず……と思うのですが」
司はそう思ってディスプレイを睨んだが、
「現状……解りませんな。もっと件数が増えればその中から法則性を見出す事も、あるいは可能かもしれませんが……」
と本部長。
(うーん、やはり飛行、透過できる天魔のインフィルトレイターや鬼道忍軍のチームで敵を追跡して、拠点を発見するしかないんじゃないのかな。マーキングや発信器も使って、正攻法で)
と英斗は会議の様子を眺めつつ、つらつらと思案している。
「ところで、敵の幹部といえば、夏樹は洋服をどこで入手しているんだろうね? いつも同じ服装っぽいけれど、年頃の子だし」
ふと峰雪が疑問を漏らした。
「殺した人間のものを奪っているのか。人間のふりをして、情報収集がてら買い物しているのか――悪魔より元人間の方が、町に溶け込みやすい」
「……鹿砦夏樹も密かに街に入りこんでいる可能性がある、と?」
と本部長。
「日中に、透過や変装で下見をしている可能性はあると思うぞ」
元アンダーカバーの男もまた言う。
峰雪は言った。
「なので手配写真は広くは貼り出さず、県内の店舗に配布する形でどうでしょう? 店員からの目撃情報に期待するんです」
「ふむ、なるほど……解りました。手配しましょう」
と頷いて本部長。
「調査といえば……静岡にもあった内通者――今回は解放者や吸者などが人に化けている可能性――の有無の調査を行う必要があると思います」
只野黒子が言った。
「今の所はそういう報告はなされていませんが、ありうる話ですな」
本部長は頷く。
「居た場合は殲滅戦を行う必要があるかと。それと、万一の場合に備え、人的な内通者の有無がないかの内偵ですね。これに関しては相互不信に繋がる可能性があるので慎重に扱う必要がありますが……」
「ふむ! 人的な内通者、というと人間の裏切り者、という意味ですかな?」
本部長は面白い冗談を聞いた、とでもいうように片手をあげハハハッと声をあげ笑う。
「山梨県撃にそんな者など存在しませんよ。そこはいらぬ心配です。必要ありませんな。人手が足りない状況ですし、労力の無駄です」
「……左様ですか」
只野黒子は頷いた。本部長の本心が何処にあるかは解らなかったが――というか黒子的にはあからさまに不自然に見えたが――もしも本心は違う所にあったのだとしても、様々な意味で、この場で『部下を疑って内偵を始めます』とは本部長は言えないのだろう。
「それと、山岳戦に備えた装備の配備を進めておくべきかと」
「確かに、それは準備しておくべきですな」
と本部長は黒子に頷いた。
●
その後も話し合いは重ねられ――やがて会議は終わった。
後日発表された情報によると、山梨県撃は天野天魔の仲介の元、DOGの撃退長一刀志郎と会談し共同して件の冥魔の軍団とあたる契約を結んだとの事。
また県撃が現段階で定めた主な方針は以下のようなものになった。
・県全域ではないが、人口密度の低い地域は中央へと避難するように勧告を出す事
・避難勧告によって縮小された要防衛面積を可能な限りカバー出来るように撃退士が常駐する駐在所を増やす事
・穴を補うように監視カメラの設置などで機械化された監視システムを強化する事
・バイクの配備数を増やしパトロール隊の機動力を増す事
・専用アプリを配布し、市民が襲われた際にSOS信号を迅速に発信できるようにする事
・冥魔の手配書を限定して民間に配布する事
・DOGからネフィリム鋼で強化されたヘリを出して貰い、空陸と連携して捜査する事
・また空からの捜索にはカメラが搭載されたラジコンヘリなども活用する事
・発信器やマーキングなどを用いて、敵ディアボロ(主にサッカー)をわざと見逃しそれを追跡する事
・追跡用の専門チームを編成する事
・山岳戦装備を整える事
・敵拠点は複数の存在を想定する事
・山の状態についての情報を集める事
・まずは静岡〜山梨間方面を中心に捜査する事
・敵の出没パターン等に対する情報分析を強化する事
・学園に大動員令を要請する事
山梨県撃本部――
「方向性は見えてきましたね」
ドヤ顔で頼虎が言った。
「お前が偉そうな顔をする事ではないと思うが、そうだな。彼等に出して貰った案でなんとかいけるかもしれん」
うむ、と本部長は頷く。
「後はこれを恙無く実行できるかどうかだな……――あぁ、それと、内偵チームを編成する」
「身内を疑うのですか?」
頼虎はあからさまに嫌そうな顔をした。
「俺だって嫌だがこの状況ではそうも言ってられん。バレないようにやれ――いや、まて、お前はやるな。他に頼む」
「……はぁ」
かくて、戦略の策定はひとまず終わり、これを実行に移す戦術段階へと課題は移行してゆくのだった。
了