白に包まれた戦場だ。
霧の中に人の影が浮かび上がる、異形の怪物の影が浮かび上がる、無数の影達が入り乱れて、赤華を白の中に鮮やかに咲かせてゆく。
高山の空気は冷え切っていたが、空間は灼熱していた。
断末魔の悲鳴と怒号とが入り乱れ、周囲より唱和する人ならざる女達の歌声と溶け合って凄絶な戦歌を奏であげてゆく。
(チッ! 一刀の爺さん――)
小田切ルビィ(
ja0841)は胸中で呟いていた。
先日まで富士攻略部隊の部隊長は一刀志郎だった。だが、変わった。
その理由は、
(――逃げやがったな)
ルビィは今回の指揮官交代について、そう断定していた。
一刀は退いた理由を「火中の栗」などと余人に漏らしては当然おらず、エアリア等を初め多くは一刀が「逃げた」などとは思っていなかった――むしろ意見を容れて協力してくれたのだとエアリア等は好意的に見ていた――しかし、小田切ルビィは見抜いていた。
指揮官がエアリアに変わった結果が、目の前に広がっている、この光景だ。絶叫をあげながら多くの撃退士達が山岳に血潮をぶちまけ次々に倒れ伏していっている。
状況が、速攻する『しかない』などと撃退士側の選択肢が限られてしまった時、必ずイスカリオテはそれに対応して痛烈な罠に嵌め込んで来る。一刀はその危険をおそらくは嗅ぎ取っていたのだ。だから速攻を主張するエアリアに指揮を譲って退いた。危険に先頭きって飛び込むよりは、他の誰かをまず突っ込ませる。老獪にしたたかに、生き延びてきた撃退士らしいといえばらしい。鉄火場というのは、勇敢で善良な奴ほど早く死ぬ。
確たる根拠があった訳ではない、だが、ルビィはそのように一刀の行動を分析していた。
(ハッ、所詮その程度の男だったって訳かい。土壇場で全てを懸ける覚悟の無い奴は、総大将にゃなれねえよ)
あの老人のそれでは生き延びる事は出来ても――真の勝利者にはなれない。
失望と怒りを瞳に宿して、銀髪赤眼の青年は抜き放った剣を、突撃してきた狼人へと一閃させたのだった。
●
「うわあ?! 何だか大混乱ですーッ!!」
大乱戦に陥っている霧中の山岳路にて、レグルス・グラウシード(
ja8064)が悲鳴をあげつつも、メイスの一撃をかわし、衝撃波を黒のラメラーアーマーに身を固めた双頭の鷲人へと叩き込んでいる。
「本当に痛いところを突かれたな……だがこのまま好きにはさせん!」
久遠 仁刀(
ja2464)は言葉と共に長大な刀身を持つ大薙刀を一閃させる。一刹那のうちに三条の光が宙を走り抜け、レグルスへと踏み込んだ双頭鷲人の鎧が縦に爆ぜ割られて血飛沫が吹き上がり、仁刀へと同時に飛び掛っていた狼頭の獣人達が胴から真っ二つに両断され臓腑をぶちまけながら倒れる。
(GPSは……機能していないか)
ファーフナー(
jb7826)は手の中の液晶を一瞥し、胸中で呟いた。富士山を中心に展開している直径二十キロの大結界は、宇宙からの監視を妨害しているようだった。死天使にぬかりはないらしい。
背広姿の中年男は両手持ちのハンマーを手に飛び掛ってきた狼頭人へと両刃の戦斧を一閃し、血飛沫と共に撃墜しながらヘッドセット――無線型光信機――を通してエアリアに問いかける。
『こちらファーフナーだ。エアリア副長、富士のサーバント達について、対応の仕方を部下達に教えてあるか?』
『何? それはっ、普段の訓練でっ、教えてあるが――!』
『なら、それを思い出させるべきだ』
付近の撃退士達と共に狼人の集団を捌きつつファーフナーは言葉を続ける。
『今、そんな、細かい事をッ、言ってられる状況かッ?!』
悲鳴のような女の叫びが返って来る。なんせ至近距離で敵味方が入り乱れている大乱戦の最中である。ヘッドセットから聞こえる声と音はエアリア自身すら直接戦闘を行っている事を示していた。
『副長』
ファーフナーは戦斧を振り下ろして狼の頭蓋を砕き、赤色を宙に撒き散らさせながらも冷静に、淡々と言った。
『場は混乱し皆は平静を失っている。今のような状況だからこそ、対応を徹底させるべきだ』
通話先の女は息を呑んだようだった。
『大多数のサーバントは普段通りの基本対応を守れば良い。この状況に即した特別な対応としては、教女は歌声を辿り最優先で接近し討つべきだ。逆に風神は、飛び道具の使用は厳しい状況だが、光球を破壊した後に遠巻きに射撃で仕留めた方が良い』
『あと、狼弓兵は範囲で薙ぎ払った方が良い――識別可能ならば、だがな』
影野 恭弥(
ja0018)は付け加えつつ白色の二丁拳銃の引き金を連続して絞る。轟く銃声と共に霧を裂いて飛んだ弾丸が、レグルスと仁刀と格闘している双頭の鷲人の身に突き刺さって、鎧を粉砕し肉片をぶちまけさせる。崩れ落ちるように鷲人が倒れた。
『弱小の狼弓兵に対しても決して一人で挑ませるな。 数の利を活かし敵一体に対し必ず複数で挑むこと。負傷したら戦闘継続可能なうちに一度引き回復するべきだ。それと、副長は飛ばない方が良い。指揮官が速攻で落とされると不味い。そちらの援護に学園撃退士が五名、向かう』
恭弥は引き続き二丁拳銃で周囲のサーバント達へと猛射を加えてゆく。この乱戦だ、外すと流れ弾が一大事だが、外さず敵だけを射抜けば良いのである、と言わんばかりの精密射撃。
『――了解! だが、これる、のか?!』
なんせ文字通り霧中な状況である。
『エアリアさん、隊列はどうなってるかしら? エアリアさんは、登山路からどう移動してる?』
ナナシ(
jb3008)は飛び掛ってきた鷲人のメイスを空蝉で掻き消えるようにかわしハンマーを一閃する。轟音と共に頑強な鎧と共に鷲人の身が砕け、鮮血を散らしながら吹き飛んでゆく。
『周囲の隊列は――めちゃくちゃだ! 私は登山路上にいる!』
『解ったわ。それじゃ、登山路を辿って向かうわね。可能なかぎり登山路から離れないで』
ナナシ、恭弥、ルビィ、レグルス、ファーフナーの五名はサーバント達と交戦しつつエアリアの元へと向かう。
ナナシは駆けつつ心を篭めて言った。
「大丈夫、貴方達は必ず生きて帰してみせるから」
●
白銀の槍が空を一閃して切り裂いた。
(流石はイスカリオテ、みごとな戦です。……負けませんよ)
黒井 明斗(
jb0525)は死天使の部隊展開の手腕に感嘆の念を抱きつつも、静かな闘志を燃やし白銀の槍を鋭く繰り出す。切っ先が獣人の胸元を貫き、引き抜かれると狼人は血反吐を吐いて崩れ落ちた。
『……ガブリエルは出てきていますか?』
機嶋 結(
ja0725)はヘッドセットの全体チャンネルにて問いかけつつ紅炎の光を放つ日本刀を振るう。赤光が白い闇を左から右へと抜け、その先に立つ学者風の老人が素早く翳した白光纏う腕と激突し光を散らす。
老人が左拳を固め、瞬間、山頂側に立つインレ(
jb3056)が動いた。再生中の映像の途中のコマが消滅したかのように、一瞬でトップスピードまで加速した悪魔が低い態勢から滑るように老人へと迫る。不意を突かれたらしい老人の身に隻腕の古き悪魔の体が直撃し、老人はダンプにでも激突したかのように勢い良く吹き飛び、奥の鷲人にあたって跳ね返り地面に叩きつけられた。膝、斜面による高さ、重力と体重移動を利用した、重さと何より瞬発力に優れた必殺の一撃。
直後、空間が軋んだ。
白い、古代ギリシャ風の長衣の裾を靡かせ、彫像のように美しい女が、豊かな身を躍動させ風の如くに飛び込んで来ていた。周囲に展開しているのは不可視の超重力の力場、手に持つ長剣より伸びるは眩き皓光。重力場にたまらずインレが態勢を崩し、光の剣閃の嵐が襲い掛かる。しかしその光刃がインレへと炸裂するよりも前に、銀髪の小柄な少女がその間へと飛び込んでいた。
光が機嶋の鎧を裂いて血飛沫があがり、童女は苦痛に眉を顰める。
させぬとばかりに、双頭鷲を斬り捨てた仁刀が翻り、踏み込みざまに薙刀を一閃。
剣女は素早く盾を翳し、銀光の結界が展開して薙刀と激突し、轟音と共に火花を撒き散らしてゆく。
茶色の髪の女――鴉守 凛(
ja5462)が長い髪を靡かせ鋭く踏み込む。銀の長槍を流星の如くに繰り出され、その穂先が剣女の脇腹を貫いた。女の身がくの字に折れ、次の瞬間、再度振るわれた仁刀の薙刀と、よろけながらも必死に剣女が翳した盾が激突し、同時に機嶋が振るった日本刀が、剣女の身を下段から斬り上げて血飛沫を噴き上げさせた。
凛は槍の穂先を捻りながら引き抜くと、首元めがけて袈裟に振り下ろした。遠心力で加速し唸りをあげて振るわれた槍刃は、剣女の首と肩の間に深々と喰い込み、剣女はよろめいて口から真っ赤な塊を吐き出し、倒れる。
「はぁ……この人が敵だと、まだ燃えたのですけど」
「何か言ったかのぅ?」
機嶋は明斗から放たれた光によって身を癒されつつインレへとぼやき、周囲へと視線を配っている古き悪魔は良く聞こえなかったふりをしつつ、周囲のDOG撃退士へと襲い掛かっている獣人へと拳状の光を飛ばしている。
ヘッドセットから聞こえてくる無線は激しく交錯していた。どこも被害が大きく混乱の渦中にあるようだ。
そんな最中だったが、機嶋達は情報を拾った。黄金白翼の大天使は、長蛇の形であった撃退士達の行軍隊形の北側先頭部分を西側から突っ込んできて突き破り、一箇所に留まる事なく縦横無尽に動き回りながら撃退士達を斬りまくっているという。
情報を得た五人はサーバント達と交戦しつつガブリエルを補足すべく登山路を北上してゆく。
もっとも、撃退士達は登山道に列を作って山頂を目指していた所に、三方から奇襲を受けた訳で、登山道を中心に敵味方は入り乱れている。これを北上し突っ切っていくというのは並々ならぬ事であった。
もっとも、
「探し回って時間を浪費するより、戦局を少しでも立て直しつつガブリエルの方から潰しに来るよう誘導するくらいの方が良い。通り道に倒すべき敵がいるのは、好都合だ」
と薙刀を振るいつつ言ったのは仁刀である。
霧、乱戦、標的の機動力、地形、極めつけは敵もそれを踏まえて一所に留まらずに動き回っているという事、考えれば考える程捕捉し拘束するのは至難の技だ。
下手に追いかけても捕捉できず、例え捕捉しても徒に振り回されるだけで遊兵と化してしまう恐れがあった。
「取り乱せば死にますよ」
巨大な二振りの曲刀を踊るように振り回して殺戮の嵐を巻き起こしている巨人へと、機嶋結は渾身の力で斬りつけた。防御を破壊する一撃で風神の注意を惹きつつ、恐慌状態に陥っているDOG撃退士を背後にかばう。
「……踏ん張り、眼前の敵を倒して帰りましょう」
機嶋的には、心にもない言葉だったが味方を鼓舞する為に少女はそう言った。
仁刀が勇ましく薙刀を翳して風神へと斬りかかってゆく。鴉守凛も槍を携えてそれに続いた。生き残りのDOG撃退士達は未だ腰が引けている様子だったが、学園生達の姿を見て「わ、解った!」と機嶋へと声を返してくる。
それと同時に、
「わぁ、やめろ! 味方にあたってるぞ!」
「祖国!」
インレの拳銃弾や明斗のサジタリーアローが乱戦中のDOG撃退士達に命中して二人は射撃を禁止されるなどの一幕もあったが、五人は周囲のDOG撃退士達を援護して態勢を立て直させてゆくのだった。
●
壮絶な爆炎が大気を揺るがし空間を爆砕した。
赤、青、黄、色とりどりの爆炎が荒れ狂い、咲き乱れる炎の群れは、DOG撃退士達と切り結んでいたサーバント達のみを次々に呑みこんで、凶悪な破壊力を解き放ってゆく。
「エアリアさん、お待たせ!」
「来たか!」
「これ以上イスカリオテ達に好き勝手はさせないわ。手遅れになるまえに立て直すわよ!!」
「了解! 皆! 久遠ヶ原の撃退士が応援に来たぞ! サーバントどもを押し返せ!!」
到着したナナシの声にエアリアが応え、その言葉に周囲の撃退士達から気合の声があがる。
ナナシの一撃により範囲内のサーバントのほとんどは消し飛んだが、爆炎を裂いて激しく明滅する稲妻を纏った白面の巨人が鉄塊剣を振りかざして飛び出し、エアリアへと斬りかかる。
天の聖騎士は銀光の結界を発する盾を翳して大剣を受け止め、反撃の槍を繰り出し、周囲のDOG撃退士達もまた太刀や槍を手に次々に巨人へと飛び掛ってゆく。
「僕の新武器、喰らえっ!!」
レグルス・グラウシードは、DOG撃退士達の攻撃に合わせて、黒塗りに銀を光らせるクラリネットを口に咥えると、ドとレとミの音が出ない感じの曲の一節を奏でた。優美な旋律が響くと共に衝撃波が飛び出し白面の蛮人の身に炸裂する。乱戦中の飛び道具は外れると味方に中る恐れがあるのだが、レグルスは周囲の撃退士達と連携して命中精度を高めていた。
乱戦中の射撃は、誤射を恐れて控え過ぎても有利を掴めないので、要は『撃つべき時に上手く撃つ』必要がある。レグルスは、恭弥のような精度を誇る訳ではないが、現在までの所、工夫して上手くやっていた。
さらに恭弥の銃、ルビィの剣、ファーフナーの戦斧が唸り、蛮人は猛攻を受けつつも大剣を翳して防御し細胞を再生させ、容易には倒れず、あまつさえ怒涛の勢いで大剣を振り回し反撃したが、再度、五人の学園撃退士達とエアリア他周囲のDOG撃退士達による波状攻撃が炸裂すると頭部を砕かれながらついに沈んだ。
白面の蛮人は元々タフで、さらに再生能力持ちだったが、さらにしぶとさを増しているのは、教女の天球歌により被弾時のレート差を半減し特殊抵抗力を増し、再生力をさらに増加させているからだ。
「エアリアさん、敵は周囲の仲間と一体ずつ集中砲火して倒してゆくように指示を出した方が良いわ。一気に殺しきれないと、教女の歌の効果で、回復されてしまう」
ナナシの言葉にエアリアは頷き、無線で仲間達に指示を飛ばす。
エアリアより先の物も併せて各指示が浸透してゆき、DOG撃退士達とサーバント達のキルレシオは劣勢だった撃退士側が持ちなおしてゆく。
しかし、無線から飛び込んでくる報告は、依然として撃退士側が不利にある事を伝えてきていた。
敵は教女の歌で自動的に負傷を回復させてゆくが、撃退士側はヴァンガードのヒールを受けない事には基本的には回復しない。集中攻撃方針により幾分かはマシになっていたとはいえ、やはりその支援効果の差は大きかった。長引けば長引く程に不利だ。回復に加え、カオスレート差を被弾時に半減させる効果も大きい。特殊抵抗値も飛躍的に上昇する為、阻害術も打ち消されてしまう。
「この歌を、放置する訳には行か無ぇ……」
小田切ルビィはレグルスからヒールを受けつつ決意を赤眼に宿して言った。
乱戦の中、猛攻を受けつつも、DOG撃退士と連携しながら空蝉で捌きつつ敵味方を識別する超火力範囲攻撃を連発するナナシが猛威を振るってゆく。撃退士達の剣と斧と銃と楽器が唸って、エアリアの周囲の敵がほぼ一掃された後、
「エアリア副長、教女を討ちにいきたい。何人か飛べる撃退士を借りられないか?」
ファーフナーとルビィは飛行して乱戦中の戦域を飛び越え、外周部の教女達を直撃する作戦をエアリアに打診した。
「教女を? しかし……飛行すれば敵の頭上を飛び越えられるが、射線が通る。他に今は飛行隊はいないから、集中攻撃されるぞ」
合計して千もの敵味方が入り乱れる規模の戦闘で、射撃手達から集中射撃を受けて生き残れる者はまずいない。リターンは大きいだろうが、リスクもまた多大な作戦だ。
その懸念に対し、
「霧を使う」
ルビィとファーフナーはそう答えた。現在の山岳路は、著しく濃い霧によって十メートルと半ばも離れればまったく見えなくなる程に視界を阻害されている。故に撃退士達は奇襲を受ける事となった。
しかし、逆を言えば、普通ならば敵側も見えない筈である。
少なくともサーバント達はその可能性が高い。
「飛翔し地表より十七メートル以上の距離を取り、霧に紛れて姿を隠しながら全速で飛行し、外周の教女達を直撃する。ただ、上昇する時と降下して教女に仕掛ける際は、援護が欲しい。敵の弓兵を抑えられないか?」
「ははぁ、敵が発生させた霧を、逆手に取って逆に利用する訳か。それは奇貨だな……そうだな、上昇時は周辺は抑えられるだろう。私達の周囲の敵はお前達のおかげであらかた片付いたからな。だが、外周部へ仕掛ける時までは難しいかもしれない。それでもやるか?」
それにルビィが答えて言った。
「勝負所だろ、死中に活あり……ってな? 敵の強力な広範囲支援をなんとかしないと負ける。逆を言えば、それを断てば勝ち目が見てくるぜ」
「……解った。良いだろう! 二番隊と三番隊、小田切とファーフナーについてゆけ!」
かくてルビィとファーフナーおよび二十名程のDOG撃退士達は、それぞれ光や闇や風の翼を広げ、白い闇が広がる天空へと飛翔してゆく。エアリアが請け負った通り、飛び立つ際は、地上の撃退士達が弓兵等飛び道具持ちへと攻撃を仕掛けて空への射撃を妨害し、無事に高度を取る事に成功し霧の中にその姿を隠した。
「ガブリエルに妨害されないよう、彼女とは離れた位置から仕掛けていった方が良いな」
と、ファーフナー。ガブリエルの近くを襲撃しては、機動力に優れた彼女は必ず来るだろう。飛行隊は他とは変わった装いをしている教女が目撃されたという東方面へと、歌声を辿って全速で突き進んでゆく。
他方、
「……上空からの奇襲は、こっちも注意しておいた方が良い」
護衛としてエアリアの傍らに残った恭弥はマーキングをつけつつ、周囲への注意深く視線を走らせながら言う。
「おあつらえ向きにあっちには一撃離脱が得意な高機動型がいる」
「ガブリエルか」
エアリアが呟いた。
「あいつが、ここに来ると?」
「……この戦の大将はあんただからな」
影野恭弥はそう言った。
DOG撃退士達にとって、エアリアは精神的支柱である。支えであるという事は、全体で見れば急所の一つと言って良い。
エアリアは己の周囲の撃退士達をルビィとファーフナーにつけて送り出した。
今、彼女の周囲は非常に手薄になっていた。
●
「皆、行くぜ!」
ルビィの声と共にファーフナー他、空を舞う二十数名の撃退士達が白霧を裂いて急降下し、地表より歌う少女達の影が浮かび上がる。地上の敵の視点から見れば、突如として白い濃霧に包まれた空からルビィやファーフナー達が出現した形である。
教女達の姿を捉えた飛行隊は、間髪入れずに弾丸や矢や黒光の衝撃波等を雨あられと撃ち降ろし始めた。瞬く間に学者帽にペプロス姿の少女達が蜂の巣にされて吹き飛んでゆく。
「dausyukirakaraso! roshikigenha!」
黒い軍服に身を包んだ少女が、破れた肩から血を流しつつも白手袋を嵌めた腕を振り上げ、黒光を凝縮させて槍を出現させると空へと向かって投擲した。生き残りの教女達も次々に黒光の槍をその手に生み出して空へと向かって投擲してゆく。
無数の槍が宙を裂いて走り、撃退士達の付近まで迫ると大爆発を巻き起こした。広範囲に重力波が荒れ狂い、ソルヴェーグ等からの圧壊の力を集中して受けた撃退士達が意識を失って地上へと落下してゆく。
空からの撃ち降ろしと地上から打ち上げられる黒槍の攻防はしばし続いたが、すぐに地上側の不利が明白となった。数が違う。教女も総数では二十体程度いるのだが、Uの字に分散している為、局所においては圧倒的に二十名からの飛行隊の方が多い。
事態を察知したサーバントの一団が中央側より外周部へと移動し迫ってきていたが、その頃には周辺の教女達は血の海の中に沈んでおり、軍服に身を包んでいた教女長ソルヴェーグもまた、正面からDOG撃退士達の猛攻を受けている所に、ルビィとファーフナーに背面へと回りこまれ、二丁のアサルトライフルより猛弾幕を受け蜂の巣にされ、その実力を十全に振るう前に殺しきられていた。
「潮時だな。ずらかるぜ!」
ルビィとファーフナーの指揮の元、飛行隊は迫り来るサーバント達を尻目に再び高度を取って霧に紛れ、その場から全速で離脱してゆく。
「霧だろうが何だろうが、あるモンは利用させて貰うぜ」
ルビィは出没地点を固定化せず、外周部を神出鬼没のゲリラ戦法で徹底的に飛び回った。
結果、天界軍の要である教女達を守るべく中央から抽出された多くのサーバント達が遊兵化し全体の戦局が撃退士達の側の有利へと傾いてゆく。常ならばイスカリオテならばもっと上手く対処しただろうが、霧の為、直接視認が出来ない状態である。奇襲を仕掛ける為に霧を発生させるのは不可欠だったが、その泣き所を突かれた。
ルビィとファーフナーは実に巧みに場の状況を利用し外周部を荒らしまわってゆくのだった。
●
「来た」
恭弥の呟きが響くのが先だったのか、後だったのか、ほぼ同時に、白霧の中から現れた黄金白翼の天使は、その姿を出現させると同時に残像を残す程の速度で加速した。
刹那、エアリアの首元から盛大に血飛沫があがり、赤色を宙へと鮮やかに撒き散らしてゆく。女聖騎士の身がぐらりと大きく傾いた。
ガブリエル・ヘルヴォルは黄金の閃光の如く、放たれた矢の速度で空間を突き抜け、濃霧の中へと再びその姿を消してゆく。
「エアリアさん!」
ナナシや周囲に僅かに残っているDOG撃退士達から射撃が追いかけるように飛んだが、霧の彼方に消えていったガブリエルに命中したかどうかは解らない。
「……マーキングをつけた。霧中の中で距離を置いてぐるりと俺達の周りを旋回している。また来そうだぞ」
エアリアとガブリエルが激突した一瞬、驚異的な反応精度で光弾を中て、マーキングをガブリエルに付与していた恭弥が言う。
『こちら中央、エアリア護衛班、ガブリエルの襲撃を受けている、至急救援を請う』
『……了解。至急向かいます』
無線から機嶋の声が聞こえた。
「僕の力よ! 仲間の傷を癒やす、光になれッ!」
レグルスが叫びと共に純白の光を放っている。光は膝をついたエアリアの身へと吸い込まれてゆき、急速に身を癒してゆく。他方、レグルスは著しい消耗に襲われていた。
「ううっ、これ、使うたび辛いけど……が、がんばります!」
どうやら己の生命力を削って分け与えているらしい。
「……無茶は、するな」
周囲の残っていたもう一人のヴァンガードからもライトヒールを受けつつエアリアがレグルスへと言う。
「エアリアさんに倒れて貰っちゃ絶対困るんですよ!」
「来るぞエアリア、後ろだ」
恭弥は警告を発しつつ、骸骨の指輪を嵌めつつイカロスバレットを活性化する。
瞬間、霧の中からガブリエルが姿を現し、黄金大天使はエアリアを視認した瞬間に、残像を生む程の速度で再度猛加速する。
ナナシが放った爆炎を裂いて突き進み、DOG撃退士達の銃弾と矢をかわし、エアリアがカウンターに放ったランスをすりぬけるようにかわしざま、長柄の偃月刀を一閃し、再度エアリアの身を斬り裂いて抜けてゆく。
苦痛の呻き声を洩らし赤く染まったエアリアへとレグルスとヴァンガードからヒールが飛び癒すが、今度は全快とはいかないようだった。
嬲り殺し――という訳ではないだろうが、回復の上から強引に削り殺す気ではあるらしい。
(誰もが手が届かないとは思うなよ)
恭弥はスナパーライフルを手に出現させると、その身を漆黒に染め上げてゆく。
白の中を悠々とした動きで旋回しているガブリエルへと恭弥は銃口を向けると軌道を予測、息を吐いて止め、滑らかに引き金を絞った。
轟く銃声と共に黒い炎を纏ったライフル弾が飛び出し、白い霧の彼方へと吸い込まれてゆく。瞬間、ガブリエルの動きが変わった。
ガブリエルは軌道を変えつつも動きを止めずに近づいてきて、また再び白霧の彼方からその姿を現した。その脇腹が赤く染まっている。
恭弥と視線が合うと、大天使は青い瞳を笑みの形に細め、次の瞬間、その姿を掻き消した。
熱い何かが身体の中心を通って前から後ろへと突き抜け、喉から液体が競りあがって口から盛大に吐き出される。
胴を掻っ捌かれた恭弥は鮮血を噴出しつつ血反吐を吐きながら血の池に沈んでゆく。
「影野さん!」
レグルスとガードからヒールが飛ぶが、レート差の乗ったかなりの深手であり、意識は容易には取り戻されそうにない。
霧の中から超加速して斬り逃げするガブリエルの襲撃はさらに続き、恭弥という目を失った結果、ガブリエルから意識外の斬撃がエアリアへと炸裂し、ヒールを連射するも負傷度合いが一気に加速してゆく。
ガブリエルはさらに高速攻撃を仕掛け、エアリアがついに耐え切れず鮮血の海の中に倒れる。
「エアリアさん! しっかり!」
レグルスがヒールをかけつつ抱き上げた堕天使は息はあるが意識は完全に失ってしまっているようだった。
「粘りますわね」
言葉と共に霧の中より射撃を受けつつもガブリエルが迫る。加速は既にないが、その破壊力は健在だ。
振るわれる刃がレグルスへと届かんとするその瞬間、茶色の髪の女が飛び込んで来て盾を翳した。盾と青龍刀が激突して轟音と共に火花が巻き起こる。
「少し勝手な幻滅をしている」
鴉守凛は女の青い瞳を見据えて言った。
凛は思う。
……そう、凡そ策ともいえぬ一騎当千の自身を投げ込むだけの策、大戦の最中に見たガブリエルは素敵だった。
しかし今と前は、有利を作ってからしか戦っていない。それは同僚――イスカリオテの考えなのかもしれなかったが。
「人間程度に策を弄している貴女ではなく……誇りに満ち溢れた……ガブリエル・ヘルヴォルとは逢えないのかな……」
それはただの我侭。
でもやっと見つけた我侭だった。
――子供がアイドルやアニメの主人公にあこがれるような。私も一緒に踊りたいなんて夢。
「ガブリエル!」
赤毛の青年が声と共に薙刀を振り上げて左手側より飛び掛り、銀髪の少女が目にも止まらぬ速度で右手側より日本刀を振るう。大天使は後方に大きく跳躍して斬撃をかわした。
黒井はアウルを解き放つと、光の粒子を風に逆巻かせた。エアリアや凛達の負傷がみるみるうちに回復してゆく。
この時、刹那のうちにガブリエルの脳裏を過ぎったのは、仕留めきれない――という判断と、ならば教女達の救援に向かうべき――という事だった。
しかし、
「――花は咲き誇らんと精一杯生きるから美しいのだ。手折るものではない」
声が響き渡った。
むかし強大にありて今衰えし古き悪魔、黒兎の悪魔、隻腕の古老、終わり近き力を振り絞るならば、それは即ち"尊きもの"へと。
「月に手が届けば応えるとそう言ったなガブリエル」
インレは燃焼を開始しながら言った。先の静岡での大戦時、黒い兎は空舞う黄金の天使へと向かって跳んだ。天使をして月と称した。
「ならば今此処で我が刃に応えて貰うぞ」
低く腰を落とし半身に構える。
黄金の月は常浮かべている微笑のまま、集結した撃退士達を見渡した。
「誇り……わたくしの誇りと、貴女の誇りとでは、何を誇りとするかが違うよう」
凛へとそう言葉を返す。元来、ガブリエルは陰謀は使わないが戦術は使う。彼女の美学というのは、策を弄さないという事ではない。それが美しいかどうかというだけだ。
何が美しいか美しくないかは完全にガブリエル自身の感性なので、実にファジーである。理屈よりも感情で動く人や天使というのはそういうものだ。
「だから、貴女が見ているガブリエルという女はきっと、目の前にいるわたくしではありませんわ。この言葉は酷い言葉なのかもしれません。けれども、わたくしが何を誇りとするかはわたくしが決めます」
女は青龍刀を構えるとインレへと言った。
「手折るの"ならば"美しく。それが強者の義務と、心得ておりますの。そしてわたくし、例え弱者となってもそう在り続けますわ。されど義理は果たさなければなりません。そう、誇りにかけて。けれども、そう――約束というのも、果たされなければなりませんわね。そう、わたくしとしての誇りにかけて」
「一手付き合って貰えるという事で良いかな?」
「ええ、貴方が斃れるまではお付き合いいたしましょう?」
「焦がれた月より愛おしい『星』が在る故に死ねんがな。泣かれては困る」
「ふふ、貴方も欲張りですわね!」
黄金の天使が駆け、黒い悪魔が跳躍した。
●
後。
対ガブリエル班が大天使を拘束している間にルビィとファーフナー率いる飛行隊が教女集団に壊滅的な打撃を与える事に成功する。
インレが倒れた後、ガブリエルは中央から外周へと向かわんとするが既に大勢は撃退士側の優勢へと傾いていた。
「勝敗は見えています。ゲートを放棄して撤退してくれませんか?」
癒しの風を放ちつつ明斗はガブリエルを見据えて声を投げた。
「イスカリオテが退くと貴方はお思い? 彼の戦略が破綻し追い込まれているのは、リカもイスカリオテも望まなかった私の我侭のツケ。その彼を私が見捨てて私は誰に顔向けできますの? イズミやリカはともかく、サリエルにあの世で笑われますわ」
ガブリエルはそう言葉を残して、霧の彼方へと飛び去って行った。
やがて天界軍は後退を開始、回復を受けて復活したエアリアは追撃を指示、さらに天界軍を撃ち減らしてゆく。
しかし、途中、エアリアは全体へは理由を告げずに、健在な戦力のうち三割程を後方に配した。そして負傷者と回復手を中央に集めて治療に務めた為、追撃に専念できたのは五割程だった。
後退したイスカリオテは堅所に再布陣して踏みとどまり、減少した追撃戦力では押してはいたがなかなか打ち破れない。
何故、エアリアは全戦力を投入しないのか、疑問が部隊間に広がる中――後方が、別行動をしていたカラス部隊の猛撃を受ける。エアリアはこれに備えていたのだ。
そして、カラスの言――巧みに心を穿つ言い方――により、五合目の拠点が既に陥落している事が全軍に知られる事となった。既に背後の足場が、崩されていたのだ。
イスカリオテ率いる本隊も猛反撃を開始し、挟撃を受ける事となった撃退士達は一転、二転、三転、戦況は拮抗状態へと押し戻されてゆく。
一見また互角に見えたそれに違いがあるとすれば、天界側はホームであり、撃退士側はアウェーの真っ只中だという事、前後を挟んでいる側と、挟まれている側、という事だった。
戦局は徐々に撃退士側の劣勢へと傾いてゆき、エアリアはついに撤退を決意。
自身含め精鋭を殿として残し、大多数は血路を開いて逃げ延びる事となる。
天界軍の熾烈な追撃を受けて殿のDOG撃退士達は次々と富士の山に屍を曝してゆき、その指揮に残ったエアリアもまた力尽きて戦死した――と思われたが、本隊同士での激突では人類側が一時期は勝利を収めかけており、天界軍の本隊はかなり戦力を削られていた。故に一歩突破力が及ばず、気絶したエアリアを抱えたDOG撃退士・草薙皐を取り逃がす顛末となった。
結果。
エアリア指揮の元、富士攻略を目指した撃退士部隊は、敗北した。
富士山より人類側の勢力は駆逐され、再び完全に天界軍が支配する所となる。
了